日本医科大学
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日本医科大学 | |
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大学設置 | 1904年 |
創立 | 1876年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人日本医科大学 |
本部所在地 | 東京都文京区千駄木1-1-5 |
キャンパス |
千駄木キャンパス - 東京都文京区 新丸子キャンパス - 神奈川県川崎市中原区 |
学部 | 医学部 |
研究科 | 医学研究科 |
ウェブサイト | http://www.home.nms.ac.jp/ |
日本医科大学(にほんいかだいがく、英語: Nippon Medical School)は、東京都文京区千駄木1-1-5に本部を置く日本の私立大学。1876年創立、1904年大学設置。 6年間の学費は2800万円程度。1903年、済生学舎の突然の廃校によって行き場を失った医師を目指す学生の受け皿として、磯部検蔵によって1904年に日本医学校として創立された。専門学校令による日本医学専門学校の時代を経て、1926年の大学令によって旧制日本医科大学となる。
慶應義塾大学医学部、東京慈恵会医科大学と共に、私立医大御三家と称されることがある。なお、東京女子医科大学は前身の済生学舎出身の吉岡弥生によって創立され、また、東京医科大学は日本医学専門学校から袂を分かった人々によって創立されたという経緯があり、日本医科大学は私立医科大学の歴史においては、慶應義塾大学医学部をつくった北里柴三郎、東京慈恵会医科大学をつくった高木兼寛らと共に、長谷川泰の済生学舎の流れを汲む医科大学として、三大潮流の一つとされている。 長い歴史と伝統を誇る私立医大の名門である。
建学の精神
- 克己殉公
沿革
- 1876年4月 長谷川泰により、医師国家試験予備校の済生学舎設立。本校の前身となる。
- 1903年8月 済生学舎廃校。
- 1904年4月 済生学舎学生を救済するために山根正次衆議院議員(校長)、磯部検蔵(学監)らによって私立日本医学校設立。4月15日を創立記念日とする。
- 1910年3月 私立東京医学校を合併。同年10月私立東京医学候跡地駒込(現千駄木校舎)に移転。翌11月付属駒込病院(現・付属病院)開院。
- 1912年7月 私立日本医学専門学校となる。
- 1919年8月 日本医学専門学校と改称。
- 1924年7月 付属飯田町医院(後の日本医科大学付属第一病院)開院。
- 1926年2月 大学令により日本医科大学に昇格。
- 1937年12月 付属丸子病院(現・日本医科大学武蔵小杉病院)開院。
- 1952年2月 学制改革により新制日本医科大学となる。日本獣医畜産大学を運営移管。
- 1977年6月 付属多摩永山病院(現・日本医科大学多摩永山病院)開院。
- 1983年11月 本学創立80周年記念式典挙行。
- 1986年9月 創立80周年記念付属病院東館改築竣工。
- 1986年11月 済生学舎開校110年記念祭挙行。
- 1994年1月 付属千葉北総病院(現・日本医科大学千葉北総病院)開院。
- 1997年10月 付属第一病院閉院。
組織
学部
大学院
- 大学院医学研究科 - 博士号(医学)
施設
校舎
系列・附属施設
- 日本医科大学看護専門学校
- 日本医科大学付属病院:文京区千駄木にある。東京メトロの東大前駅・根津駅・千駄木駅下車。
- 日本医科大学武蔵小杉病院:川崎市中原区。東急東横線の新丸子駅・武蔵小杉駅下車。
- 日本医科大学多摩永山病院:多摩市。京王永山駅・小田急永山駅下車。
- 日本医科大学千葉北総病院:千葉ニュータウンの印旛日本医大駅下車。千葉県印西市。
その他
- 東京医科大学 - 1916年(大正5年)に前身の日本医学専門学校から分離独立(分裂)、以来系列関係にはない。
- 東京女子医科大学 - 卒業生吉岡弥生が1900年(明治33年)に創立した東京女醫學校から発展したが、系列関係にはない。
- 東京理科大学 - 2009年12月、連携協力に関する協定を締結[1]。
- 中央大学 - 2010年3月、連携協力に関する協定を締結
- 丸山ワクチン - 丸山千里博士による皮膚結核、肺結核、ハンセン病に対する特効薬、あるいは悪性腫瘍に対する有償治験薬。後者として有名。後者の丸山ワクチン(SSM)は、1972年以来、ゼリア新薬工業による協力のもと、日本医科大学付属病院ワクチン療法研究施設から全国・世界の医師・患者たちに供給され続けている。
大学関係者と組織
大学関係者一覧
脚注
外部リンク