麻生太郎
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衆議院議員 麻生 太郎 | |
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生年月日 | 昭和15年(1940年)9月20日 |
出身地 | 福岡県飯塚市 |
出身校 | 学習院大学政経学部政治学科 |
学位・資格 | 政治学士(学習院大学) |
前職 |
麻生産業(現:麻生セメント) 日本青年会議所会頭 |
所属委員会 | 外務大臣 |
世襲 |
五世 高祖父(牧野の父)・大久保利通 高祖父(牧野の妻の父)・三島通庸 曽祖父(父方)・麻生太吉 曽祖父(母方)・牧野伸顕 祖父(母方)・吉田茂 父・麻生太賀吉 義父・鈴木善幸 (地盤は引き継がずと主張) |
選出選挙区 | 福岡8区 |
当選回数 | 9回 |
所属党派 | 自由民主党(麻生派) |
党役職 | 国家戦略本部副本部長 |
会館部屋番号 | 衆・第一議員会館210号室 |
ウェブサイト | 麻生太郎オフィシャルサイト |
麻生 太郎(あそう たろう、昭和15年(1940年)9月20日 -)は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員。麻生派(為公会)会長。家系は宇都宮氏の傍流麻生氏。実家は麻生財閥を形成した一族である。学習院大学政経学部政治学科卒業。学位は政治学士(学習院大学)。小泉再改造内閣から第3次小泉内閣まで総務大臣、第3次小泉改造内閣および安倍内閣で外務大臣等を歴任。射撃選手として活躍し、モントリオールオリンピック日本代表の経験を持つ。現在日本クレー射撃協会会長を務めている。『士志の会』の一員。
首相安倍晋三は遠縁の親戚(麻生の祖父吉田茂の娘婿のいとこが岸信介となるため)。
年譜
- 1940年(昭和15年)9月 - 福岡県飯塚市に麻生太賀吉と和子の長男として生まれる。小学3年生のころ上京し学習院初等科に通う
- 1959年(昭和34年)3月 - 学習院高等科を卒業。
- 1963年(昭和38年)3月 - 学習院大学政経学部政治学科を卒業。
- 1963年(昭和38年)スタンフォード大学大学院に留学。
- 1965年(昭和40年)ロンドン大学政治経済学院に留学。
- 1966年(昭和41年)8月 - 麻生産業株式会社に入社。
- 1966年(昭和41年)11月 - 麻生産業株式会社の取締役に就任。
- 1973年(昭和48年)5月 - 麻生セメント株式会社の代表取締役社長(1979年12月まで)。
- 1978年(昭和53年)1月 - 社団法人日本青年会議所の会頭に就任(1978年12月まで)。
- 1979年(昭和54年)10月 - 衆議院議員に初当選。
- 1983年(昭和58年)11月 - 千賀子夫人と結婚、後に一男一女をもうける。
- 1988年(昭和63年)12月 - 文部政務次官に就任(1989年6月まで)。
- 1990年(平成2年)3月 - 自由民主党の文教部会長に就任(1990年12月まで)。
- 1991年(平成3年)1月 - 衆議院石炭対策特別委員長に就任(1991年11月まで)。
- 1991年(平成3年)11月 - 衆議院外務委員長に就任(1993年5月まで)。
- 1992年(平成4年)12月 - 自由民主党外交部会長(1993年8月まで)。
- 1996年(平成8年)11月 - 国務大臣経済企画庁長官に就任(1997年9月まで)。
- 1999年(平成11年)1月 - 自由民主党内で長年所属した宏池会離脱~元総裁河野洋平を会長に大勇会旗揚げ(学習院で初等科~政治学科卒業まで1年先輩亀井久興も旗揚げ参加。亀井は後に会長代行となるが、05年8月離党し国民新党結成し初代幹事長)
- 1999年(平成11年)3月 - 自由民主党副幹事長に就任(1999年11月まで)。
- 2001年(平成13年)1月 - 国務大臣経済財政政策担当大臣に就任(2001年4月まで)。
- 2001年(平成13年)4月 - 自由民主党総裁選挙出馬し小泉首相、橋本元首相と戦い31票で3位。(立候補届出人は相沢英之)。
- 2001年(平成13年)4月 - 自由民主党の政務調査会長(2003年9月まで)。
- 2003年(平成15年)9月 - 総務大臣に就任。
- 2003年(平成15年)11月 - 総務大臣に再任。
- 2004年(平成16年)9月 - 国民スポーツ担当が追加。
- 2005年(平成17年)10月 - 外務大臣に就任。
- 2006年(平成18年)9月 - 自由民主党総裁選挙出馬し安倍官房長官、谷垣財務大臣と戦い136票で次点。
- 2006年(平成18年)9月 - 外務大臣に再任。
- 2006年(平成18年)12月 - 麻生派(為公会)を旗揚げ、会長に就任。
人物像
- 麻生財閥の元社長。名門一家に育ったが「首相の家庭なんて幸せなもんじゃねえ」と言う。本人曰く「両親にほったらかしにされて育った」「生まれはいいが、育ちは悪い」と。
- 将来は経営者になるべく、アメリカ大学院留学。しかし祖父の吉田茂にアメリカ英語の訛りを指摘され、半ば強制的に英国留学となる。アメリカで2年、イギリスで1年、会社の業務で西アフリカ・シエラレオネで2年、ブラジルで1年を過ごした。
- 射撃で日本を代表する選手として活躍。モントリオール五輪に日本代表選手として出場(結果は41位)。第2回メキシコ国際射撃大会(クレー・スキート(個人・団体))では優勝。
- 政治評論家三宅久之によると、JC会頭の改選において麻生太郎の認証無くしては決まらないという。
- 漫画が大好きで、週刊漫画雑誌のほとんどを読み流していると豪語している。好きな作品は『ゴルゴ13』他多数。『NEWS23』出演の際は、「『ビッグコミックオリジナル』の『風の大地』が好き」と発言。
- 西アフリカのシエラレオネにダイヤモンド鉱山開発で2年間滞在するも、内戦・革命が勃発したことから帰国を余儀なくされる。
- クリスチャン(カトリック)であるが、毎年靖国神社に参拝。しかし8月15日ではなく例大祭に参拝する形を取っている(カトリックでは8月15日は聖母の被昇天という大祝日であり、この日に祝いのミサがあるという事情もある)。またA級戦犯が合祀されていることに対しては疑義を唱えているが、分祀賛成派というわけでもない。
- 福岡県知事の麻生渡とは同姓であるが、縁戚関係はない。
- 地元の人々からは「太郎ちゃん」と呼ばれている。
- 血液型はA型である。
家系
- 麻生家は、宇都宮氏の流れを汲む麻生氏の一族とされており、江戸時代には大庄屋をつとめた豪家だったという。
- 明治の初め曾祖父・麻生太吉の代に先祖伝来の土地から石炭が採掘され石炭産業に着手、九州三大石炭財閥の一つに伸し上がり鉄道、電力、金融等幅広く事業を展開して大富豪となった。
- 元内閣総理大臣吉田茂は祖父、子爵加納久朗は祖母・夏子の兄。牧野伸顕、竹内綱は曽祖父、大久保利通、三島通庸は高祖父にあたる。
- 戦後麻生炭鉱は吉田茂の資金源となった。妻は元・内閣総理大臣鈴木善幸の三女。夫人との間に1男1女あり。弟・泰の妻は元・日本医師会会長武見太郎の娘。妹・信子は寬仁親王妃。
- なお、現職の外務大臣に関して述べるならば、牧野・吉田はいずれも外務大臣経験者であり、世襲が多い日本の政界でもとりわけ目を引く“毛並みの良さ”で知られる。
橋本龍太郎 ┃ ┏加納久朗━━━━━久次━━━━━━━久美子 ┗夏子 ┃ 小川平吉┳━こと ┃ ┃ ┣━━━━━━━宮沢喜一 ┃ ┃ 宮沢裕 ┃ ┃ ┃ ┗━平五━━━━━━━敦子 ┃ ┃ ┃ 鈴木善幸━━━━┳鈴木俊一 ┃ (首相) ┗千賀子 ┣━━━━━━━太賀吉 ┃ 麻生賀郎━太吉━━━━太郎 ┣━━━━━━┳麻生太郎 ┏和子 ┃~~~~~~~~ ┣吉田健一 ┣次郎 竹内綱━━━吉田茂 ┣正男 ┃ ┣━━━━━━╋江子 ┣雪子 大久保利通━牧野伸顕┳━雪子 ┗桜子 ┃ ┃ ┗━利武子① ┃ ┃相馬和胤(旧相馬中村藩第33代当主 ┃ ┃ ミングオブジャパン社長) ┏━━さわ━━━━━吉田寛 ┣旦子 ┃ ┃ ┃ ┃ ┏松岡洋右 ┃荒船清彦(駐スペイン大使) ┃ ┗藤枝 ┃ ┃ ┣━寛子 ┣信子(寬仁親王妃)② 佐藤信彦╋━━松介 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗麻生泰(麻生セメント社長) ┗━━茂世┳佐藤栄作 ┃ ┃ ┃ ┗岸信介━洋子 ┃ ┣━┳安倍晋三 ┃ ┃ ┗岸信夫 ┃ ┏安倍晋太郎 ┃ ┗西村正雄 ┃ ┃ 利武子① ┃ ┣━━━━━━━英子 ┃ 秋月種英 ┣━━━━━━┳和子 ┃ ┗武見敬三 武見太郎(日本医師会会長) 明治天皇━大正天皇┳昭和天皇━━━┳今上天皇 ┃ ┃ ┃ ┗常陸宮正仁親王 ┃ ┃ ┃ 津軽義孝━━┳華子 ┃ ┗美枝子━るみ ┃ ┃ ┃ 中内功━中内正 ┃ ┃ 信子(寬仁親王妃)② ┃ ┃ ┣三笠宮崇仁親王┳寬仁親王 ┃ ┃ ┗高松宮宣仁親王┗近衛甯子 ┃ ┃ 徳川慶喜━━━慶久┳喜久子 ┃ ┃ ┃ ┗慶光━真佐子 ┃ ┃ ┃ 平沼赳夫 ┃ ┃ 近衛文麿━温子 ┏近衛忠煇 ┣━━━━━┫ 細川護貞 ┗細川護煕
過去の発言
- 2003年5月31日、東京大学学園祭において「創氏改名は朝鮮人が望んだ、日本はハングル普及に貢献した」旨の発言を行い、創氏改名は強制されたものとの立場をとる韓国などの反発を招いた。
- 10月20日にはホームレスに対して、無理解からきたとみられる差別的とも受け取れるような発言を行い、各地の日雇い労働者及び野宿者支援組織などから軒並み抗議を受けた。[1]
- 2003年の総務大臣就任記者会見の場で、ITの発達で役所から書類が不要となり、「全てフロッピーで済むようになる」旨の発言を行い、「フロッピー」を連発した。インターネットコミュニティー上では「今時フロッピーかよ」という声も見られた。
- 総務大臣在任中の2005年10月15日、この日に開館した九州国立博物館の開館記念式典での来賓祝辞の中で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言。アイヌや琉球などには独自の文化、民族、言語がある(詳しくは概要、住民の民族性、言語、アイヌ、琉球の項を参照)との立場をとる人々から批判が巻き起こった。また、中国や朝鮮半島との交流の中で日本文化が形成されてきた歴史を展示する同博物館の趣旨をも理解していないことが明白となり、関係者をひどく落胆させた。なお、同博物館は彼の地元である福岡県内にある(小選挙区としては別の地区に属するが)。
- 2006年1月9日、福岡県飯塚市で開いた集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」と述べ、配慮を欠くとの批判を浴びた。
- 2006年1月28日、名古屋で行われた公明党議員の会合で、「英霊は天皇陛下のために万歳と言ったのであり、首相万歳と言ったのはゼロだ。天皇陛下が参拝なさるのが一番だ」と述べた。「(天皇が)公人か私人かという論議のため参拝できなくなったが、解決の答えはいくつかあるはず」と付け加えた。外交問題に飛び火した首相の参拝について「中国が(参拝を中断しろと)言えば言うほど行かざるを得ない」とし、「これはたばこを吸うなと言うと吸いたくなるのと同じだ」と述べた。
- 2006年2月4日の福岡市での講演において、日本が支配下の台湾の義務教育に力を入れたと指摘した上で「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」と述べた。
- 2006年5月26日に都内ホテルで開かれた国際交流会議「アジアの未来」で講演し、「23日に自分がカタールで中韓の外相と会談したので関係改善の流れが出て来た」と発言。これに対して韓国産業資源部長官は、「アジア共同体形成に関して各国間合意は出来たが、韓中日の共同体構築努力が他地域に比べ足りない、原因は一部政治家の靖国参拝や歴史問題だ、ヨーロッパがいかにしてこれを克服したか考えて欲しい」と講演した。(日経26日夕刊記事)
- 2006年7月8日に広島市内で行なった公演で、北朝鮮がミサイルを撃ち、主要国が重大な関心を持ったことについて、「金正日に感謝しないといけないな」と発言し、失言として取り上げられた。
- 2006年8月8日に靖国神社を非宗教法人化する私案を朝日新聞に発表した。
- 2006年8月21日、自民党総裁選に立候補することを正式に表明する。総理総裁になったときには、靖国神社を上で述べられているように非宗教法人化、最終的には特殊法人国立追悼施設靖国社にすることを公約に掲げている。また、「日本の底力」と題した政権構想・マニフェストを発表した。
- 2006年10月、中川昭一自由民主党政務調査会会長が核武装も選択肢として考えておくべきだと発言したのに対し、「隣の国が持つとなった時に、一つの考え方としていろいろな議論をしておくことは大事だ」「日本は言論統制された国ではない。言論の自由を封殺するということに与しないという以上に明確な答えはない」と発言し、核武装を容認するものとして批判される(本人は非核三原則を堅持すると明言はしている)。この発言が北朝鮮の核保有を正当化しかねないと問題になり12月に民主、社民、共産など野党4党から外相としての不信任決議案を提出された。だが、核保有議論に対する野党側の反応は、言論を封殺するものとして、北朝鮮の核保有正当化については、完全に因果関係が逆転しているとの批判も浴びている。
過去の行動
漫画関連
- 自身のサイトに『ビッグコミックオリジナル』2003年7月2日増刊号のインタビュー(麻生太郎 コミックを語る)が収録されているが、それによると週10~20冊の漫画雑誌を読み『ジパング』や『三国志』(横山光輝による)、『風の大地』、『ジョジョの奇妙な冒険』、『ゴルゴ13』、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』などがお気に入りで、必ず自分の車内には最新の週刊コミック誌を置いているほど。
- マンガ『ローゼンメイデン』の読者である噂が立ち、実際にインタビューを受けたことから、ネット上などで話題となった。そのため、事情を知る人々からは「ローゼン閣下」「ローゼン麻生」などの愛称で呼ばれる事もある。このことは『メカビ Vol.1』(講談社で創刊された雑誌)の「麻生太郎 直撃!ローゼンメイデン疑惑」という記事で掲載されている。ただし「少女漫画」と呼称するなど、実際に読者であるかは疑問が残る。また、実際に目撃されたといわれる場所で読んでいたか、とあるイベントで原作者PEACH-PITのサインを受けたか(原作者ブログより)も適当にお茶を濁されただけであった。
- 手塚治虫の生前、彼に国民栄誉賞を贈るよう当時の中曾根首相か、後藤田官房長官のいずれかに進言したが、勲章(勲三等瑞宝章叙勲を指すと思われる)に落ち着いたという。
- 小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言』中に登場したことがある。
- 上記のような背景から、特にネットでは漫画好きと目されており、一部からは漫画文化のよき理解者として非常に人気が高い。しかしながら、全ての漫画を肯定しているわけではない。1989年 - 1991年に掛けての「有害コミック」騒動では、1991年「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成し、会長となった。もちろんポルノ漫画を守るためではなく、これらの「有害コミック」を規制するためである。
- 本人曰く、今一番好きな漫画は『風の大地』とのこと。
その他
- 世界有数の大富豪であるマイクロソフトのビル・ゲイツ会長が来日した際、国会議事堂の安いカレーライスを奢った事がある。
- 3年10ヶ月の国民年金保険料未払い期間があったことが、2004年9月に判明した。詳細は政治家の年金未納問題を参照のこと。
- 被差別部落出身の野中広務に対し差別的発言をしていたのではないかと議論が起きた。
- 魚住昭『野中広務 差別と権力』によると、麻生は過去に「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」という旨の差別的発言をしていたとされる。
- 2005年2月22日、衆議院総務委員会の議論でも取り上げられたが、麻生は「その発言(=野中に対する差別的発言)については事実とまったく違っている」「大勇会の席でその種の発言をしたことはありません」と答弁している。
- 2006年12月13日、シンポジウム「今こそ部落問題を語る」にて、講師として招聘された野中が、麻生の差別的発言について語った。それによると、外務大臣当時の麻生が大勇会の会合で「野中のような部落出身者を日本の総理にしていいのか」と発言し、野中は大勇会会員3名からその発言内容を確認したという。
- 2006年、『週刊現代』の取材に対し、麻生太郎事務所は「衆議院総務委員会で説明しており、それ以上のコメントはない」と回答している。
- 2006年、麻生太郎事務所の回答を受けた『週刊現代』の取材に対し、野中は「事実無根だなんて。その会議(=差別的発言があったとされる大勇会の会合)におった人間が言ってますよ。河野さん(=河野洋平)も言っているし。」と発言し、河野洋平が発言内容を野中に報告していたことを明らかにした。
- インタビューで、円周率を10桁言ったことがある[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。
関連項目
参考文献
- 魚住昭『野中広務 差別と権力』講談社 2004年06月29日 ISBN 4062123444
- 『メカビ Vol.01』講談社 2006年06月02日 ISBN 4061795910
- 「野中広務元官房長官『山崎拓衆院議員は『週刊文春』を部落問題で恫喝した』」『週刊現代』49巻1号、講談社、2007年1月13日、46-47頁。
外部リンク
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