小茂田浜神社
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小茂田浜神社 | |
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(2020年8月撮影) | |
所在地 | 対馬市厳原町小茂田742番地 |
位置 | 北緯34度14分3.1秒 東経129度11分31.2秒 / 北緯34.234194度 東経129.192000度座標: 北緯34度14分3.1秒 東経129度11分31.2秒 / 北緯34.234194度 東経129.192000度 |
主祭神 |
贈從三位宗右馬允助國 対馬の国事殉難者 |
社格等 | 県社 |
創建 | 1274年(文永11年) |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 11月12日 |
小茂田浜神社(こもだはまじんじゃ)は、長崎県対馬市厳原に鎮座する神社である。対馬西南海岸に位置し、元寇(文永の役)の際に元・高麗連合軍が上陸した地にあたる。
祭神
宗右馬允助國(宗助国)を主祭神とする。また元寇で戦死した将士の霊を祀っている。
概要
祭神の宗助國は元寇の役において、国のために戦い、命を捧げた。「国難事変に際して神威を顕し命を賭して戦い、平時においては国家の平和を護り給う」神である。
対馬島民は、小茂田浜神社の管理を進め、元寇の650年後の大正13年(1924年)、鳥居の新設や元寇650周年記念碑の建設を実現した。また、昭和49年(1974年)には元寇700年記念碑が、令和2年(2020年)には元寇750年宗助国公騎馬像が建立された。
歴史
- 文永11年(1274年) 宗助国が戦死した地に、首塚や胴塚の祀を建立
- 正平2年(1347年4月 助国の後裔宗経茂が現在地に遷し、神領を寄進して宗家の祭祀とし、改めて帥(あるいは軍)大明神社と称した。
- 元禄年間 宗義真はその勲功を欽仰して神門及び石碑を建立。
- 寛政年間より毎年宗氏が祭典を執行した。
- 1882年(明治15年)- 県社に列した。
- 1896年(明治29年)- 助国に従三位が追贈される。
- 1924年(大正13年)- 鳥居の新設や元寇650周年記念碑を建設。
- 1974年(昭和49年)- 元寇700年記念碑を建立。
- 2020年(令和2年)- 元寇750年宗助国公騎馬像を建立。同時に神社参道の改良も行われた[1]。
主な祭典
- 1月1日 - 元旦祭
- 11月第2日曜日 - 例大祭
- もともと11月12日に行っていたが、ここ数年は、多くの人が訪れやすいように、例大祭本祭は11月第2日曜日に設定されている。2日前から前々夜祭(金曜日)、前夜祭(土曜日)、本祭(日曜日)が行われる。例大祭では神事の後、以下の儀式や催し物が行われる。例年、露店なども出て、にぎわいを見せる。ただし、2020年、2021年に関してはコロナウイルス感染防止対策のため、神事のみ実施された[2]。
- 命婦(みょうぶ)の舞
- 浦安の舞 - 地域の小中学生(金田小学校・佐須中学校)の女子による舞。
- 海幸式 - 鎧武者を先頭とした武者行列が神社そばの小茂田浜まで歩く。
- 鳴弦(めいげん)の儀(浜殿祭) - 武者行列が小茂田浜に到着後、蒙古軍を迎え撃ったごとく海に向かって弓矢をかまえる。
- 奉納相撲 - 幼児の部・小学生の部・中学生の部・青年の部
- まめ餅の販売 - 奮闘する戦士のため、短時間で調理できるように、塩で味付けして煮たあずきをまぶしたとされる餅。塩味の餅で祭の名物となっている。「だんつけ餅」という呼び名もあるが、方言で「だにのついた餅」という意味に聞こえるため、対馬では「まめ餅」と呼ばれている。
- 地域おこしグループ「佐須響心会」による蒙古太鼓の演奏
- もともと11月12日に行っていたが、ここ数年は、多くの人が訪れやすいように、例大祭本祭は11月第2日曜日に設定されている。2日前から前々夜祭(金曜日)、前夜祭(土曜日)、本祭(日曜日)が行われる。例大祭では神事の後、以下の儀式や催し物が行われる。例年、露店なども出て、にぎわいを見せる。ただし、2020年、2021年に関してはコロナウイルス感染防止対策のため、神事のみ実施された[2]。
- 12月31日 - 除夜祭
見どころ
- 境内
- 元寇絵馬
- 助國忌之石碑
- 元寇750年宗助国公騎馬像
- 元寇700年平和之碑
- 650年祭記念碑
- 小茂田浜の歌之石碑
- 周辺
- 第一次元寇の上陸地 小茂田浜
- 御胴塚
- 御首塚
- 矢立山古墳群
- 椎根(しいね)の石屋根倉庫
参考文献
- 小茂田浜神社御由緒書
小茂田浜の歌
小茂田浜神社の前の浜には、樋口正毅作の「小茂田浜の歌」の石碑が設置され、元寇襲来の様子が永久に伝えられている。
- 一.
- 頃は文永十一の 浪の花立つ神無月
- 傲慢無礼の蒙古勢 海をおおうて寄せ来る
- 助國公を始めとし 一族郎党おしなべて
- 忠義一途の對馬武士 頼む心の一すじは
- 霰たばしる真剣ぞ 踏み迷わじ弓張の
- 月日照りそう神州に 一歩も入れじとたゞ進め
- 進め勇めの号令に 吶喊一声いかずちの
- 天地にひゞくばかりなり
- 二.
- 智勇仁義の名将の 下弱卆のあるべきぞ
- 忠臣心をあわせるゝ 國の御陵威(みいつ)を楯となし
- きらめく剣に将を斬り とゞろく蹄に旗を抜き
- 死して忠戦の鬼となるも 生きて異國の奴となるな
- 寸歩も去らず戦えど 敵は竹葦と攻めかこみ
- 流石勇武の英将も いとも手痛き戦に
- 五丈原頭景落ちて 晝なお暗くなりにけり
- 三.
- 中にも斎藤資定は 二つの腕はたゝれても
- 忠義の二字は凛然と 大喝敵をしりぞけて
- 頭を岩にふれて死す 散りぎわ潔き山桜
- 大和心にえみしらは 小茂田の浜を落ちて行く
- わが日の本の光こそ 実に國民の亀鑑なれ
アクセス
- 最寄りのバス停留所
- 厳原市街地との間を結ぶバス路線は2020年(令和2年)時点ではない。かつては対馬交通の運行するバス路線があったが、すでに廃止されている。
- なお、対州タクシーが厳原市街地と小茂田を結ぶ予約制の乗合タクシーを運行している[3]。
- 最寄りの幹線道路