茨城新聞
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(いはらきから転送)
茨城新聞 | |
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茨城新聞社 本社(2020年5月撮影) | |
種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 | 株式会社 茨城新聞社 |
本社 | 茨城県水戸市笠原町978-25 茨城県開発公社ビル |
創刊 | 1891年(明治24年)7月5日 |
前身 | いはらき |
言語 | 日本語 |
価格 |
1部 150円 月極 3,800円 |
発行数 | 122,308部(2022年10月、日本ABC協会調べ[1]) |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒310-8686 茨城県水戸市笠原町978-25 茨城県開発公社ビル |
設立 | 1917年(大正6年)1月 |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 6050001037106 |
事業内容 | 新聞及びその他の出版物の制作・販売 |
代表者 | 沼田安広(代表取締役社長) |
資本金 | 5,000万円 |
発行済株式総数 | 4,110万株 |
売上高 | 32億1000万円(2022年3月実績) |
純利益 | 8,200万円 (2018年3月期) |
純資産 |
連結:2億8,258万7千円 単独:7,510万3千円 (2008年3月31日現在) |
総資産 | 18億0700万円 |
従業員数 |
208人 (2022年7月1日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
(株)岡部工務店 7.30% 後藤 武一郎 5.19% 茨城新聞労働組合 4.99% |
主要子会社 | (株)茨城新聞アドセンター 72.0% |
外部リンク | https://ibarakinews.jp/ |
茨城新聞(いばらきしんぶん)は、茨城県水戸市に本社を置く株式会社 茨城新聞社が編集・発行している、朝刊単独の地方新聞である。県内全域に配達されている。
概要
[編集]茨城県内向けであるものの、国際・全国ニュースも積極的に掲載する(web版でも共同通信配信ニュースを掲載)。朝刊のみで、配布地域は茨城県全域。県南地域の東京通勤圏内では全国紙との競争が特に激しい一方、部数は微増している。発行部数は約12万2千部[2]で、茨城県内の全世帯数に占める割合は約10%(2019年時点)、茨城県内では読売新聞より少なく、朝日新聞や毎日新聞、東京新聞などより多い。
茨城新聞を専門に取り扱っている新聞販売店は少なく、ほとんどは他の新聞も配達する販売店が取り扱っている。第1社会面に4コマ漫画「あんずちゃん」(田中しょう作)をカラー掲載している。
沿革
[編集]- 1891年(明治24年)7月5日 - 茨城県会議員関戸覚蔵が創刊する。当初は「いはらき」の題号であった。創刊当時の本社は南町に置かれた[3]。
- 1891年(明治24年)9月17日 - 飯村丈三郎が社長に就く。
- 1896年(明治29年)6月15日 - 明治三陸地震津波の義援金貳百圓を「いはらき新聞社長飯村丈三郎名」で送る。
- 1918年(大正7年)3月25日 - 水戸の大火で本社屋と輪転機を消失する。
- 1919年(大正8年)3月22日 - 新社屋が落成する。
- 1925年(大正14年)9月15日 - 夕刊を発行する。
- 1942年(昭和17年)2月1日 - 新聞社の統廃合令で、県内の各地方紙(常総新聞・常南日報・関東毎日新聞)を経営統合し「茨城新聞」と題号を変更する。
- 1944年(昭和19年)3月6日 - 夕刊を終刊する。
- 1945年(昭和20年) - 水戸大空襲で新聞社の建物が全焼する。
- 1947年(昭和22年) - 時事新報出身の後藤武男が社長に就任、7月5日発行分から題号を「いはらき」に復する。
- 1950年(昭和25年)8月3日 - 社員3人を赤色追放(レッドパージ)該当者として解職[4]する。
- 1985年(昭和60年)1月1日 - 国際科学技術博覧会開催を契機に超高速カラーオフセット輪転機を採用する。
- 1991年(平成3年)1月1日 - 「いはらき」から再び「茨城新聞」に題号を変更する。
- 1998年(平成10年)4月13日 - 茨城プレスセンターで茨城新聞の委託印刷を始める。
- 2008年(平成20年)1月23日 - 編集センターを茨城プレスセンター内に開設する。
- 2009年(平成21年)12月 - 栃木県の下野新聞社と緊急事態が発生した場合の新聞発行に関する相互支援協定を締結する。
- 2010年(平成22年)9月1日 - 読売新聞東京本社と業務提携して読売新聞茨城西工場(東茨城郡茨城町)へ印刷を委託する。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で読売新聞茨城西工場が被災。3月12日と3月13日付朝刊の印刷を下野新聞社に委託し発行する。
- 2011年(平成23年)10月1日 - 株式会社茨城プレスセンターと合併する。
- 2013年(平成25年)11月18日 - 本社屋を水戸市北見町から水戸市笠原町の茨城県開発公社ビルへ移転する。
- 2014年(平成26年)2月 - 大幅な債務超過のため会社分割方式で経営再建を発表する。新聞発行事業の新会社「茨城新聞社」(2代目)を設立し、「茨城新聞社」(初代)は不動産などの不採算事業の清算を目的とした「IS管理」に社名を変更し、後者は不採算事業の整理が終了後清算する[5]。
- 2016年(平成28年)4月1日 - 「茨城新聞」の題字を変更する。
- 2023年(令和5年)9月7日 - 10月1日より月極め購読料を3,800円に改定し、1部売りは150円を据え置くとの社告を掲載する。
支社・支局
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印刷所
[編集]- 2010年9月1日までは茨城新聞社完全出資による子会社「茨城プレスセンター」(水戸市)で印刷し、読売東京本社から読売新聞の茨城県向け紙面印刷も受託していた。茨城プレスセンターとの契約が2010年10月に終了して茨城プレスセンターは茨城新聞に吸収合併されるため、茨城新聞はアサガミと読売東京本社が新たに建設した工場へ印刷を委託した[6]。
番組表
[編集]テレビ欄は在京キー局、NHK水戸放送局の他、チバテレ、テレ玉、TOKYO MX、とちぎテレビの番組表を掲載する。ラジオ欄はRADIO BERRY、BAYFM、NACK5も掲載する。
最終面[編集]
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中面[編集]
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不祥事
[編集]2020年6月、当時の男性支局長が取材中に女性のスカート内を盗撮・本人も事実を認めた。社は同年7月3日に該当男性を懲戒解雇処分にした[7][8]。
備考
[編集]- Jリーグ・鹿島アントラーズのマッチデープログラムであるヴァモス Antlersを発行している。タブロイド判で作成されており、価格は無料。カシマスタジアムの各ゲートで配布される。
脚注
[編集]- ^ “19年4月ABC部数”. 新聞情報. (2019年5月18日)
- ^ “媒体資料・企画書 | 読売新聞広告局ポータルサイト adv.yomiuri”. adv.yomiuri.co.jp. 2020年5月20日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 8 茨城県』角川書店、昭和58年12月8日、1617p.(906ページより)
- ^ 「いはらき新聞も追放」『日本経済新聞』昭和25年8月5日3面
- ^ (株)茨城新聞社/会社分割で再建へ(JC net)[出典無効]
- ^ “茨城新聞社、印刷を読売新聞社に委託し、印刷子会社の業務を終了”. スタートライズ広告ニュース. (2010年9月8日)
- ^ “茨城新聞社元支局長を懲戒解雇処分 取材中に盗撮行為”. 茨城新聞クロスアイ. (2020年7月4日). オリジナルの2020年7月4日時点におけるアーカイブ。 2020年7月4日閲覧。
- ^ “取材中にスカートの中を盗撮、茨城新聞が元支局長を懲戒解雇”. 毎日新聞. (2020年7月4日) 2020年7月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- 茨城新聞クロスアイ
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