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さくらさくら (テレビドラマ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さくらさくら
ジャンル テレビドラマ
脚本 大西信行
演出 戸崎春雄、浜忠臣
出演者 浅茅陽子大滝秀治馬渕晴子大門正明紀比呂子西田敏行樹木希林(悠木千帆)新克利 ほか
製作
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1977年3月19日 - 1977年9月17日
放送時間土曜21:00 - 21:54
放送枠土曜劇場
放送分54分
回数26
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さくらさくら』は、1977年3月19日から同年9月17日までフジテレビ系列の『土曜劇場』で放送されたテレビドラマ

概要

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日本初の女医専門学校である東京女医学校、東京女子医学専門学校(現在の東京女子医科大学)の創設者・吉岡彌生の生涯を元にした物語。明治時代、大正時代を舞台に、彌生の17歳(明治21年)から56歳(昭和2年)までを描いた。

静岡県小笠郡土方村(現在の掛川市)で生まれ育った彌生は、父・要斎が幕末期に江戸に出て医学を学んだ経歴を持つ村の名医という医者一家の娘。彌生は17歳の時、東京に出て医学を勉強することを決意し、その旨を父・要斎に申し出たが「女には無理だ」と大反対され、大ゲンカに。しかし祖母の梅の説得、母の千勢と兄の俊太郎の応援もあって要斎も最後は折れて許しを得られ、明治22年(1889年)、大きな希望と志を持って東京へ出発、俊太郎と同じ下宿に住んで、済生学舎に入学し医学生としての第一歩を踏んだ。その後彌生は日本で27番目の女医となり、山岡荒太と結婚し、実誠学院を創設して実誠病院を経営。済生学舎が専門学校に昇格するあおりを食らって締め出された女学生たちを集めて女医学校を設立した。女医そして女医学校創設者としての彌生の活躍と人生の記録である[1]

キャスト

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スタッフ

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  • 脚本:大西信行(全話担当)
  • 演出:戸崎春雄、浜忠臣
  • 制作:フジテレビ

サブタイトル

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話数 放送日 サブタイトル 演出
1 1977年3月19日 女、志をたてて 戸崎春雄
2 1977年3月26日 女の地獄済生学舎
3 1977年4月2日 女であること 戸崎春雄、浜忠臣
4 1977年4月9日 女が家出する時 戸崎春雄
5 1977年4月16日 女とバクテリア 浜忠臣
6 1977年4月23日 恋と金とドイツ語 戸崎春雄
7 1977年4月30日 雨の試験地獄
8 1977年5月7日 初の解剖震える手
9 1977年5月14日 恋のライバル同士 浜忠臣
10 1977年5月21日 女医誕生! 父に女が… 戸崎春雄
11 1977年5月28日 失恋得恋、恋の味
12 1977年6月4日 喜びが一転、あッ…!
13 1977年6月11日 父と娘の夜明け 浜忠臣
14 1977年6月18日 愛の青森ゆき、そして…!! 戸崎春雄
15 1977年6月25日 スルメでプロポーズ
16 1977年7月2日 日本一の結婚式
17 1977年7月9日 夫婦の夢と火の車 浜忠臣
18 1977年7月16日 (秘)金策四十八手 戸崎春雄
19 1977年7月23日 飛びだした花嫁 浜忠臣
20 1977年7月30日 誕生!!女医学校
21 1977年8月6日 すばらしき出産
22 1977年8月13日 喜作の恋 戸崎春雄
23 1977年8月20日 特訓四人の女医候補生 浜忠臣
24 1977年9月3日 初の卒業式、大混乱!
25 1977年9月10日 父の死悲しく晴れ姿 浜忠臣
26 1977年9月17日 夫の死 戸崎春雄

脚注

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  1. ^ 参考:毎日新聞朝日新聞読売新聞北海道新聞京都新聞 各縮刷版週刊TVガイド(1977年3月~9月)
  2. ^ 悠木千帆は本作放映途中の1977年4月1日テレビ朝日社名変更記念番組の中で自分の芸名を競売にかけて売却したため改名。本作では5月途中まで「悠木千帆」で出演した。
フジテレビ 土曜劇場
前番組 番組名 次番組
鯛めしの唄
(1976年10月2日 - 1977年3月12日)
さくらさくら
(1977年3月19日 - 9月17日)
まひる野
(1977年9月24日 - 1978年1月28日)