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大門正明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
だいもん まさあき
大門 正明
本名 八木 雅照
生年月日 (1949-03-10) 1949年3月10日(75歳)
出生地 日本の旗 日本 兵庫県高砂市
身長 178 cm[1]
血液型 A型[1]
職業 俳優
ジャンル
活動期間 1971年 -
配偶者 既婚
事務所 株式会社サンミュージックプロダクション
公式サイト オフィスキラ
主な作品
テレビ映画
ドラマ
映画
受賞
エランドール賞
新人賞(1973年
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大門 正明だいもん まさあき[2][3]1949年昭和24年〉3月10日[出典 1] - )は、日本俳優。本名は、八木 雅照やぎ まさあき[出典 2]。出生名、羅雅煌ロー・ヤーファン[8][6]

兵庫県[5][9]高砂市出身[4][2]早稲田大学高等学院[4]早稲田大学[5]商学部卒業[4][2]。吉村事務所[10]、バム[11]東宝映画[5]、平田崑プロモーション[12]ホリプロを経て[7]株式会社サンミュージックプロダクション所属[13]

来歴

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父は台湾人で貿易商[14]、母は日本人[14]。一男一女の長男で、小学校5年のとき[14]東京都へ転居[4][14]。世田谷区立北沢中学校へ編入[14]。大学在学中より、早大劇団木霊劇団雲および劇団欅に所属し、演劇活動を続ける[4][9][注釈 1][注釈 2]。劇団の研修生時代には『帰ってきたウルトラマン』に当時の本名「羅雅煌」名義でゲスト出演している[15]1971年増村保造監督に見い出され、野坂昭如の短編が原作の映画『遊び[16]に関根恵子(現・高橋惠子)の相手役としてデビュー[出典 3]。芸名も増村が名付けた[9]。出生時は中国籍だったが、24歳のときに日本に帰化している[8]

1973年より、沖雅也に代わって『高校生無頼控』シリーズで主人公のムラマサこと村木正人に扮した[4]。同作で飄々たる味を見せ、1973年度日本映画製作者協会(エランドール賞)新人賞を受賞[4][2]1974年には、『ゴジラ対メカゴジラ』で主演を務めた[15]

1975年からは所属事務所を変え、多数の作品に出演を続けている[4]。映画では、『天平の甍』(1980年)の遣唐使船に乗った青年僧・栄叡、『セーラー服と機関銃』(1981年)の目高組組員・政などを演じたほか、『(金)(ビ)の金魂巻』(1985年)、『極道の妻たち 三代目姐』(1989年)、『ファザーファッカー』(1995年)などに助演[4]。オリジナルビデオへの出演も多い。

テレビ作品は新人当時から出演しており、1972年の『シークレット部隊』を皮切りにレギュラー出演も多数[4]。1980年、『ウルトラマン80』に第14話から、イトウ順吉チーフ役で出演[15]。『天平の甍』の中国ロケから帰国し「さて、どうしよう」と思っていた矢先での出演オファーだったため、喜んで引き受けたという[15]。自身の役柄については、「若手メンバーと隊長役の中山仁との間に入るキャラクターがほしかったのではないか」と推測している[15]1988年には『電脳警察サイバーコップ』にもレギュラー出演し、子ども向け特撮作品への出演について「よくカッコつけて出演していたことを隠す人がいるけど、僕はナンセンスだと思う」と語っている[17]。大企業の幹部・政治家といった役どころが多い。

また、劇団を離れて以降も多くの舞台で活躍している[4]

人物

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1975年に結婚[4]。妻とは運休した新幹線で隣に座っていたことがきっかけで知り合った[9]。当初は俳優であることを明かしておらず、最初のデートで主演作の『ゴジラ対メカゴジラ』を観賞した[9]

趣味・特技は、関西弁[5]スキューバダイビング[7]ラグビー[7]。高校時代はラグビー部に所属していた[18][9]。また、30代のときにはラーメン店などを経営していた時期もある[18]

革細工を自作していた時期もあり、『ゴジラ対メカゴジラ』監督の福田純へメカゴジラを彫り込んだブックカバーを贈ったこともある[9]

出演

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テレビ作品

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映画

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ネット配信

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オリジナルビデオ

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舞台

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  • 乾いて候(1988年、新橋演舞場
  • 八人の犬士たち(1993年、日生劇場
  • 夢ある限り―山本覚馬伝―(1994年、松竹
  • 旗本退屈男(1996年、明治座
  • 大阪から来た女(2001年、松竹)
  • JIRO-CHO(2003年、博品館劇場
  • あかね空(2005年、新歌舞伎座
  • 清水の次郎長外伝 〜恋女房お蝶の奮闘記〜(2006年、三越劇場
  • 幕末義侠伝 〜CHUJI〜(2008年、博品館劇場)
  • ミュージカル ミュージカル・スターは夢を見る…(2009年、ミュージカル・スター製作委員会)
  • 友情 〜秋桜のバラード〜(2011年、劇団絵生)
  • 戦国シェイクスピア BASARA〜謀略の城〜(2015年、ザ・チョンマゲ群団)

CM

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  • 丸増 バウムハイツの宣伝に自作の「息子へ」を流し息子とともに出演した。

ディスコグラフィ

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シングル

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発売日 規格 規格品番 タイトル 作詞 作曲 編曲
東宝レコード
1973年7月 EP AT-1030 A ガクラン無宿[注釈 4] 斎木俊也 聖川湧 ボブ佐久間
B 望々節 敷島宏
東芝EMI
1985年7月21日 EP TP-17739 A 息子へ[20][注釈 5] 荒木とよひさ 三井誠 丸山雅仁
B さらばわが友よ

アルバム

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オムニバス・アルバム

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  • 歌謡曲番外地 東宝レコード 映画・TV編~銭ゲバ大行進(2012年5月19日、SOLID、CDSOL-1352) - 東宝レコードから発売されたレコード音源を、全曲デジタル・リマスタリングして発売。「ガクラン無宿」「望々節」の2曲を収録。

脚注

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注釈

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  1. ^ 劇団木霊時代の同期に佐藤B作斉木しげるがいた。
  2. ^ 劇団雲の同期には田島令子がいた[9]
  3. ^ クレジットでは、「羅雅煌」。
  4. ^ 映画「高校生無頼控 感じるゥームラマサ」主題歌。
  5. ^ 「丸増」イメージソング。「AAC 128/320kbps」形式で、配信されている。

出典

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  1. ^ a b c 大門正明”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2018年10月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 東宝特撮映画全史 1983, p. 531, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
  3. ^ a b c ゴジラ大百科 1993, p. 123, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本映画人名事典』 男優編<下巻>、キネマ旬報社、1996年、16-17頁。ISBN 978-4873761893 
  5. ^ a b c d e f 『日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、118頁。 
  6. ^ a b c 野村宏平、冬門稔弐「3月10日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、73頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  7. ^ a b c d 『TVスター名鑑'96』東京ニュース通信社、1995年、131頁。ISBN 978-4924566354 
  8. ^ a b 大門正明. “私は…大門正明(仁輔友以|俳優・大門正明)”. Ameba Blog. 2018年10月14日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i 東宝チャンピオンまつりパーフェクション 2014, pp. 76–77, 「東宝チャンピオンまつりキャストインタビュー06 大門正明」
  10. ^ 日本タレント名鑑'80』VIPタイムズ社、1979年、116頁。 
  11. ^ 日本タレント名鑑'81』VIPタイムズ社、1980年、114頁。 
  12. ^ 『日本タレント名鑑'83』VIPタイムズ社、1982年、128頁。 
  13. ^ 株式会社サンミュージックプロダクション”. ナロー. 2018年10月14日閲覧。
  14. ^ a b c d e 「人物リサーチ この個性豊かな男たち 大門正明」『スタア』1976年4月号、平凡出版、70–71頁。 
  15. ^ a b c d e タツミムック 2006, p. 129
  16. ^ https://www.allcinema.net/cinema/143711
  17. ^ タツミムック 2006, p. 131.
  18. ^ a b 大門正明、家を追い出されタクシー運転手に 狭き役者の門(1/2ページ)”. zakzak. 2018年10月27日閲覧。
  19. ^ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 537–538, 「主要特撮作品配役リスト」
  20. ^ 『息子へ』”. 仁輔友以|俳優・大門正明. 2019年2月25日閲覧。

出典(リンク)

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参考文献

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外部リンク

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