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桑野みゆき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
くわの みゆき
桑野 みゆき
桑野 みゆき
本名 斎藤 みゆき
さいとう みゆき[1]
生年月日 (1942-07-17) 1942年7月17日(82歳)
出生地 日本の旗 日本横浜市鶴見区[注釈 1]
民族 日本人
血液型 B
職業 女優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1954年 - 1967年
配偶者 あり
著名な家族 母:桑野通子
主な作品
青春残酷物語』(1960年)
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桑野 みゆき(くわの みゆき、1942年7月17日[1] - )は、日本の元女優。本名は斎藤みゆき[1]横浜市鶴見区出身。母は戦前の人気女優桑野通子[1]

略歴

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1965年

1954年『緑はるかに』(井上梅次監督)の子役募集に応募して13歳で映画デビュー。1956年に松竹に入社[1]。清純派女優として売り出すが、1960年に『青春残酷物語』(大島渚監督)で破滅へと疾走していく女性を演じて注目を浴びる。他に『赤ひげ』(1965年・黒澤明監督)、『大根と人参』(1965年・渋谷実監督)など、松竹を中心に100作を越える映画作品に出演する。

映画『春一番』において、後輩の松竹の看板女優の岩下志麻倍賞千恵子と共演するが、撮影時から「長く松竹にいるが、松竹とハダが合わないんじゃないか」と悩み始める。1965年11月、松竹との契約が切れた[2]。1966年4月、『春一番』が公開される。

1967年4月に行われた東京都知事選挙では、自民党・民社党推薦の松下正寿を支援した[3]

同年に結婚して引退。最後の出演作は『堕落する女』(吉村公三郎監督)。

出演作品

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映画

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青春残酷物語』(1960年)
日本の夜と霧』(1960年)

テレビドラマ

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  • 三人の幸ちゃん(1956年・日本テレビ
  • 国道18号線(1964年・日本テレビ)
  • 泣いてたまるか 第16話「かわいい怪獣ナキラ」(1966年・TBS
  • 虹の設計(1967年・NHK

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『日本映画人大鑑』では東京生まれと記載されている[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f 『日本映画人大鑑』キネマ旬報社、1959年、80頁。 
  2. ^ 「芸能 まがりかどに悩む… 映画『春一番』に主演する桑野みゆき」『週刊読売』1966年3月11日号、読売新聞社、48頁。 
  3. ^ 女性自身』1967年4月24日号、「みのべ派スター対松下派スターの損得決算」。

外部リンク

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