コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉本印天然素材

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉本印天然素材
別名 天素
出身地 日本の旗 日本
ジャンル お笑いダンスバラエティ番組舞台
活動期間 1991年 - 1999年
2006年
2015年
レーベル BMGビクター
事務所 吉本興業
共同作業者 夏まゆみ
つんく♂
関口誠人
ROLLY
メンバー 雨上がり決死隊宮迫博之蛍原徹
バッファロー吾郎竹若元博木村明浩
FUJIWARA藤本敏史原西孝幸
ナインティナイン岡村隆史矢部浩之
チュパチャップス星田英利宮川大輔
へびいちご(島川学・高橋智)
旧メンバー ぜんじろう
TEAM-0山崎邦正軌保博光
石野桜子

吉本印天然素材(よしもとじるしてんねんそざい)は、1991年9月に吉本興業所属の若手芸人たちで結成された、ダンスとお笑いをミックスしたユニット。略称「天然素材」「天素」(てんそ)。1999年に解散した。また、1991年10月から1994年3月まで日本テレビで放送されていた同名のバラエティ番組。

メンバー

[編集]

初期に脱退

[編集]

概要

[編集]
  • 何をやっても客が笑わない心斎橋筋2丁目劇場にてぜんじろうが「こんなにおもろいのに笑わない、客は死ね!」と楽屋で毒づく芸人ユニットとして「しねしね団」を結成。『怒涛のくるくるシアター』でテレビデビューし、番組内で集団コントを披露した。だが、ひたすらおもしろい事を追求したいメンバーと、アイドル芸人として売り出したい吉本興業との間に軋轢もあり、ぜんじろうは脱退させられ、ダンスもできるアイドル芸人ユニット「吉本印天然素材」として売りだされる。
    • 初期段階でTEAM-0と石野が脱退し、6組12人のグループとして活動。現在「元天然素材メンバー」として扱われるのがこの12人である。
  • しねしね団の傘下には「アパッチ予備軍」という集団も存在した[2]
  • グループは1992年に再開場したうめだ花月を拠点とし、当時心斎橋筋2丁目劇場を拠点としたベイブルース千原兄弟らと競い合った。グループの東京進出後に日本テレビ中京テレビでは、火曜深夜に『吉本印天然素材』という同名の冠番組が放送されていた。これは1993年3月に一旦終了したが、それから半年後に日曜夕方枠で復活し、ナインティナインの冠番組『ぐるぐるナインティナイン』の前身となった。
  • イベントや1992年頃からの後楽園ホールでの公開収録での観客を満員にするなど、若い女性を中心にアイドル的人気があった。岡村曰く、「ロンブー」「キンコン」「オリラジ」「はんにゃ」以上に女性に人気があった、と後に語っている。同時期に当時世界的にヒットしたテクノユニット・2 アンリミテッドの曲「No Limit」がテーマ曲のように使われていた。ラップの曲調のダンスの中に『ランニングマン』を入り混ぜたのは日本のユニットでは初。「三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」より四半世紀前に取り組まれていた。
  • ダンスの振り付けを主に担当していたのは、後にモーニング娘。ほかハロー!プロジェクトの楽曲の振り付けを担当して有名になった夏まゆみである。当時のメンバーはアイドルのようにダンスをすることに反発していたといい、中でも最も抵抗していたのがナインティナインだった。ある時夏は、真面目に取り組まないメンバーに対し「私のために踊って」と怒りを表すが、矢部は「お前のために踊ってんちゃうぞ!」と言い返して泣かせてしまったこともあったという[3]
    • ナインティナインのオールナイトニッポン』2023年7月6日深夜放送は、夏の逝去が報じられて直後であり、この話題となった。この当時、まわりの芸人からは「お笑いが踊って何してんねん」とさんざん言われたという。しかし岡村曰く「結果ダンスがなかったら天然素材って何者でもなかった」「私たちも今ここで喋ってなかっただろうなって思う」とのこと。矢部は「あの『27時間テレビ』[4]デカいな〜。寝ずにダンスを一生懸命練習して、夏先生も目の前で見てくれて、最後には嬉し涙を流しながらハグしてくれた」と語り、「この話聞いて笑ってはったらいいけどね」としのんだ[5]
    • その27時間テレビより前の2001年10月13日、「修学旅行で超×4+1 いい感じスペシャル!!」では蛍原に連れられた岡村が夏に謝罪。夏自身、当時の「天素」メンバー内でずば抜けてダンスのレベルが高かった岡村を評価していたが、上述していたような反発でつらい思いをしたとのことである。その後、「恋愛レボリューション21」を練習開始。石川県こまつドームで行われていたモーニング娘。のライヴにモーニングおっさん。としてステージに立ち、「ダンスで私を泣かせてほしい」という夏を感涙させた。
  • 当時は、雨上がり決死隊やFUJIWARAの人気が高かった。しかし、ナインティナインが「ねるとん紅鯨団」や「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」に出演するなど単独で仕事する機会が増えるにつれて、活動は縮小。1994年にナインティナインが、1996年には雨上がり決死隊がそれぞれ脱退。雨上がり決死隊の脱退後は、ユニット名を「天然劇場」に改名するも、人気が下降したため、1999年に解散。なお、過去の活動や解散などについて紹介されるときは、「天然劇場」ではなく「天然素材」の名称が使われている。
  • 1999年の解散から年月を経ているが、コンビ解散はあるものの、引退したメンバーは軌保(元TEAM-0)のみであり、それ以外で吉本から契約解除されたのは宮迫のみである。
  • メンバーの中で一番真面目なのは蛍原で、メンバーの中で一番ダンスが下手なのは蛍原である[独自研究?]
  • 動きでキレがありおもしろいアクション芸人で、宮迫と原西と岡村は動きの新御三家と呼ばれていた。

その後

[編集]
雨上がり決死隊
脱退後も東京で活動するが、『ミックスパイください』など東海地区のテレビ番組へ出演が増え、宮迫曰く「どん底の生活」を過ごす。
2000年頃から『エブナイ』、『ワンナイ』など全国ネットの番組に出演するようになり、その後冠番組『アメトーーク!』 、『世界の何だコレ!?ミステリー』などのレギュラー番組を持ち、2019年までは『R-1ぐらんぷり』のMCを務めた(2020年は蛍原単独でMC)。
蛍原もローカルで長年単独のレギュラー番組をいくつか持ち、宮迫は俳優業を行っていた。宮迫は天然素材以外にも、山口智充とのユニット「くず」や、元ジャリズム桂三度三又又三2人と「荒川乃土手」も組み活動した。『炎の体育会TV』では、蛍原と宮川は共演していた。『妖怪大戦争』では、岡村と共演。映画『クレヨンしんちゃん』では、コンビとして2002年・2017年とゲスト声優を務めた。「紫SHIKIBU」としても活動していた。2人とも既婚者。
だが、宮迫は闇営業問題により吉本興業との契約を2019年7月19日に解消され、その後は蛍原が「雨上がり決死隊 蛍原徹」として活動。宮迫は公式YouTube「宮迫ですッ」を11月27日に登録、2020年1月29日にYouTube「宮迫ですッ」でYouTuberとして活動を開始。「宮迫がYouTubeを始めた頃から価値観、方向性のズレが大きくなってきた」という蛍原から2021年4月に解散を申し入れ、宮迫が「何とかならないかと言ったけど、これ以上しんどい思いをさせるわけにいかない」と了承したことを明かし、2021年8月17日に解散した[6]。コンビ時代から出演しているアメトーーク、体育会TV、何だコレ!?ミステリーのMCを務め、宮迫降板後の『松本家の休日』にも2代目お父ちゃん役で出演していた。
ナインティナイン
脱退後もコンビとして映画『岸和田少年愚連隊』や岡村単独出演の『無問題』『無問題2』『少林少女』、『てぃだかんかん〜海とサンゴと小さな奇跡〜』、矢部単独出演『メッセンジャー (1999年の映画)』など俳優業を務めたりバラエティ番組では、『ねるとん紅鯨団』『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』出演を皮切りに急速に全国ネットの番組に多数出演し、『ぐるナイ』『めちゃイケ』など20年以上続くゴールデンタイムの長寿レギュラー番組を持つ売れっ子となる。現在も、『ナイナイのお見合い大作戦』『初詣!爆笑ヒットパレード』『THE MANZAI』『ENGEIグランドスラム』のMCを務めるなど活躍している。ラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』は約20年半(『オールナイトニッポン』全体で史上最長の放送期間)放送され、岡村は後番組『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』も続投、2020年5月14日からは矢部が『岡村隆史のANN』に合流する形で、6年ぶりに『ナインティナインのオールナイトニッポン』[7] が復活した。コンビだけでなく単独としても多くのレギュラーに出演。矢部単独では『アウト×デラックス』に出演中。18年半続いた『やべっちFC』のMCも務め、その後は『やべっちスタジアム』のMCも務めている。岡村単独では、『なるみ・岡村の過ぎるTV』『東野・岡村の旅猿』『おかべろ』に出演中。『笑っていいとも!』の短期レギュラーも務めた。なお、矢部は2013年に元女子アナの青木裕子と結婚し、青木との間に、2人の息子が誕生している。岡村は2020年に一般女性と結婚し、1人の子供が誕生している。
FUJIWARAの2人は、「天素で売れて浮かれていた自分たちと比べて、ナインティナインの2人はすごく冷静に自分たちを客観視できていた」などと述べている[要出典]
FUJIWARA
解散直後は主に関西で活動。1997年から出演した『吉本超合金』が人気となり、1999年にはbaseよしもとの主力メンバーに。これらが追い風となって関西を中心に再び人気を集め、2003年頃から再び東京へ進出した。
原西は「一発ギャグマシーン」『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』では「原西ゴリラ」が人気となる。原西も既婚者。藤本は「ガヤ芸人」としてアンタッチャブル山崎とパクリ芸などで呼ばれ、『ロンドンハーツ』や『アメトーーク』など他の番組に呼ばれるようになる。木下優樹菜と結婚し、イクメン芸人としてもバラエティ番組に多数出演していたが、2019年12月31日に離婚。テレビ東京にてコンビとして初の冠番組『FUJIWARAのありがたいと思えッ!』という番組を持ったこともある。2016年に、藤本単独で初の通販番組「キニナル!金曜日」のMCを務める。AbemaTVで、また冠番組『フジモンが芸能界から干される前にやりたい10のこと』を持つことになる。「名医のTHE太鼓判!」ではレギュラー出演していた。
バッファロー吾郎
解散後は主に関西で活動。後にbaseよしもとの主力メンバーとして活躍し、数々のイベントをプロデュースする。
「バッファローファミリー」と呼ばれる、劇場やテレビで活躍する機会に恵まれない個性的な若手芸人たちを発掘・サポートし、人気芸人に育てる。
大喜利の大会『ダイナマイト関西』の主催者・プロデューサーでもある。
第1回の『キングオブコント2008』に優勝し、全国ネットの番組に出演する機会も増えている。木村は後にバッファロー吾郎Aと改名している。単独で『マッサン』、『花子とアン』といった朝ドラにも出演。竹若も連ドラの脇役に出演し俳優業にも力を入れており、東京に再進出する。2人とも既婚者だが、バッファロー吾郎Aは2009年に離婚。[8]
解散はしていないが、2009年ごろからバッファロー吾郎Aが共演した番組内でのすれ違いがきっかけでFUJIWARAの藤本と共演NGになるほど不仲となり、それに巻き込まれる形でコンビ仲が悪くなった結果、2022年に至るまでコンビ活動がほとんどないという状況に陥っている。また、この影響で天然素材を特集する番組で再集結する際もバッファロー吾郎Aが不在となっている。
チュパチャップス
天然素材の解散により仕事が激減すると、もともとコンビ仲が悪かったことから、天然素材の解散と同じ年にコンビを解消している[9]
星田はピン芸人「ほっしゃん。」として活動を続け、第3回『R-1ぐらんぷり2005』にて優勝を果たす。2016年に芸の衰えを理由にInstagramで引退を宣言したが、宮川の説得などもあって撤回し、その後も芸能活動を続けている[10]。なお、芸名を2014年に本名の「星田英利」名義に戻し元妻と再婚。2018年から芸人部から俳優部へ移籍した。
宮川は主に舞台役者の仕事をしていたが、2001年の新喜劇出演から芸人復帰。タレント、俳優としても活躍している。2007年からは『世界の果てまでイッテQ!』にレギュラー出演。世界各地の祭りに参加する企画:お祭り男(一時期企画が休止)を担当して人気者になる。『満天☆青空レストラン』では単独MCを務める。
解散後にそれぞれが全国区のタレントとなったため、2人が共演する機会も多く『人志松本のすべらない話』では10年以上共演している。『アメトーーク!』にも元コンビ芸人として共演。2人とも既婚者。
へびいちご
解散後は主に関西で活動。ルミネtheよしもとうめだ花月のステージ出演を中心に、関西でのローカルな活動に専念しているが、テレビやラジオへの出演は少ない。
高橋は岡村との親交が深く、全国放送である『ナインティナインのオールナイトニッポン』において、岡村が「一緒に沖縄に行った」などと話題に挙げることがある。2015年、ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポンでは、電話で出演していた。
全国ネットでの天然素材メンバーの集まる番組には出演していない。『めちゃ²イケてるッ!』のコーナーの「恋のかま騒ぎ」や「オカッチ&ミヤッチ」に唯一出演していない天然素材メンバーである。
ただし、吉本興業の100周年記念イベントの舞台では何度か重要な役を演じており、その結果、関西や東京を含む全国番組に出演する機会が増えていった。高橋は『ナインティナインのオールナイトニッポン』の収録に参加したり、上記の舞台の宣伝に訪れたりしていた。
FNS27時間テレビ めちゃ²ピンチってるッ! 1億2500万人の本気になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』のコーナー「テレビのピンチをチャンスに変えるライブ」にて約16年ぶりに天然素材の一員として復活した。
高橋はネット番組めちゃ×2ユルんでるッ!にて、進行役で出演した。

その他

[編集]

出演

[編集]

テレビ番組

[編集]
  • 吉本印天然素材(日本テレビ
    • 水曜 1:10 - 1:40(火曜深夜)(1991年10月1日 - 1993年3月2日)
    • 水曜 1:15 - 1:45(火曜深夜)(1993年3月9日 - 1993年3月30日)
    • 日曜 16:55 - 17:15 (1993年10月3日 - 1994年3月27日)
  • ピッカピカ天然素材!TBS、1994年10月 - 1995年3月)
  • 超天然銀座テレビ朝日、1994年4月 - 1994年9月)
  • 天然超アスリート→銀座深夜劇場 夜中の天丼(テレビ朝日、1995年4月 - 1996年3月)
  • 急性吉本炎(TBSテレビ、1995年4月6日 - 1995年9月26日)
  • 慢性吉本炎(TBSテレビ、1995年10月5日 - 1997年3月27日)
  • BANG! BANG! BANG!フジテレビ、1996年1月 - 9月)ナイナイ、雨上がり脱退後に「天然劇場」名義で出演。
  • 所のジオ玉(日本テレビ、1996年 - 1997年)ナイナイ、雨上がり脱退後に出演。
  • ワイドABCDE〜す朝日放送) - 初期のみに出演。

ラジオ番組

[編集]
  • 吉本印天然素材のオールナイトニッポン(ニッポン放送) - 1994年3月24日(木曜) 25:00 - 27:00に放送された単発番組。同番組の放送中、あるメンバーが同年4月4日からラジオのレギュラーを担当することを告知し、後に現在まで続く長寿番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』がスタートした。

映画

[編集]
  • ごんたくれ - 原作では千原兄弟をモデルにした「千河兄弟」というコンビが登場したが、千原兄弟は天然素材に参加していないため、映画版では「藤原兄弟」に変更され、キャストもFUJIWARAに変更された。現在でも藤本が「なんで同期のジュニアを演じんねん」とトークのネタにしている(正式には千原ジュニアをモデルにした役)。

CM

[編集]
  • マルちゃん ヌー大陸(東洋水産) - ナイナイの岡村がメイン。
  • マルちゃん ラーメン横丁(東洋水産) - ナイナイの岡村がメイン。
  • レーザーディスクプレーヤー(パイオニア) - メインはあくまでもナインティナインの2人であり、その他のメンバーはオマケ扱いされていた。15秒、30秒バージョンともに共通で、ナイナイ以外のメンバーは1シーン、約2秒ほどしか出番が無い。
  • はいお茶 涼水仕立て(ポッカ) - ナインティナインメインのバージョンとその他のメンバーのバージョンがある。

ビデオ

[編集]
  • てんそ6月号
  • てんそ特別号
  • てんそ満員御礼
  • てんそ8月号
  • てんそ○秘大作戦
  • てんそ大入満員 吉本印天然劇場94冬の巻 BANDAI HOME VIDEO BES-1076
  • てんそ笑大作戦
  • てんそコンビネタ
  • てんそ一発逆転
  • てんそ爆弾
  • てんそ千客万来 吉本印天然劇場冬の巻95 BANDAI HOME VIDEO BES-1192
  • 吉本印天然素材スペシャルライブ in KORAKUEN
  • 吉本印天然素材 V1 - V5
  • てんそパォーン!水金地火木天然素材 BANDAI HOME VIDEO BES-1353

CD

[編集]

写真集

[編集]
  • Forever Friend ship - ナインティナイン脱退後に出版。
  • 吉本印天然素材 特別天然危険物
  • 吉本印天然素材写真集 てんそもり!吉本印天然劇場冬の巻'94全記録

DVD

[編集]
  • 吉本印天然素材 DVD第一巻(吉本印天然素材スペシャルライブ in KORAKUEN、吉本印天然素材V1、V2を収録)
  • 吉本印天然素材 DVD第二巻(吉本印天然素材V3、V4、V5を収録)

(2巻とも2014年3月29日に発売された)

解散後

[編集]
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! (日本テレビ)- 2006年から2010年までに1回ほどのペースで「元天然素材チームと対決しまっしょい」を放送。2018年にも出演した。出演は雨上がり決死隊・FUJIWARA・星田(初期天素メンバーの山崎邦正は番組レギュラー)。
  • めちゃ²イケてるッ! - 2006年、「恋のかま騒ぎ」天然素材同窓会を放送。へびいちご以外のメンバーが出演。12年ぶりに集合し、当時の暴露話とダンスを披露した。
  • 祇園笑者 (2013年)- バッファロー吾郎竹若×FUJIWARA原西の同期対談で出演。
  • FNS27時間テレビ (2015年) - 蛍原、宮川大輔、バッファロー吾郎A(木村)[13] 以外のメンバー9人が集結しダンスを披露した(なお、宮川のポジションは夏まゆみの指名で矢部が受け持った)。
  • おかべろ(2019年)- 岡村と田村亮ロンドンブーツ1号2号)がMCを務めていた番組だったが、亮が闇営業問題で謹慎、出演見合わせ期間(その後降板)に、8月17日、11月16日に藤本、9月21日に原西が代役を務めた。
  • 蛍原×大輔×フジモン ほとバス~小京都・金沢で多数決旅~(2019年12月27日、関西テレビ)出演は蛍原、宮川、藤本。
  • フォトぶら(2019年8月24日、11月9日、2020年2月15日、関西テレビ)- 出演は蛍原と藤本。
  • フォトぶら(2020年1月11日、1月18日、関西テレビ)- 出演は蛍原と矢部。
  • ボクらの時代(2020年3月15日、フジテレビ)蛍原徹×藤本敏史×星田英利 対談
  • 蛍原×宮川大輔×フジモンほとバス~大自然を満喫!!富士五湖あたりでニコルンルン♪ツアー~(2020年9月27日、関西テレビ・フジテレビ系全国ネット)出演は蛍原、宮川、藤本。
  • おかべろ(2022年1月15日、2023年1月28日)- 岡村のMCの番組に蛍原(2023年は欠席)、FUJIWARA、竹若、星田、宮川、へびいちご(矢部、バッファロー吾郎A(木村)、宮迫以外)が出演。矢部もポスターの形で参加し、これだけのメンバーが集まるのは、2015年の『FNS27時間テレビ』以来となった[14]
  • 笑神様は突然に…初笑い4時間SP(2023年1月1日、日本テレビ)「チーム宮川大輔」として、宮川、蛍原、FUJIWARA、星田がそろい、思い出の大阪の地をめぐった。

スタッフ

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 2019年7月19日に吉本興業が契約を解消。
  2. ^ ぜんじろう『ぜんじろう 旅の途中 第十一回 「死ね死ね団」結成 そして「吉本印天然素材」へ』(インタビュアー:吉村智樹http://mimi33.biz/zenjiro/11.php2014年7月5日閲覧 
  3. ^ ナイナイ2人が、夏まゆみさん悼む 泣かせて謝罪した過去を反省「心の底から本当にすみません」
  4. ^ 2015年にナイナイと中居正広が総合司会を務めた『FNS27時間テレビ めちゃ²ピンチってるッ! 1億2500万人の本気になれなきゃテレビじゃないじゃ〜ん!!』のこと。この中で2日目の夜の大型企画として「テレビのピンチをチャンスに変えるライブ」を行い、事情により出演できなかった3名を除く「天素」メンバーが集まってステージを披露した。途中から夏も参加。
  5. ^ 「笑ってはったらいいけどね、天国で」ナインティナイン、夏まゆみさんを追悼
  6. ^ 雨上がり決死隊解散、宮迫闇営業から2年 方向性ズレ蛍原から4月申し入れ”. 日刊スポーツ. 2021年8月18日閲覧。
  7. ^ 2020年4月30日から2週連続で矢部がゲスト出演しており、岡村単独の放送は2020年4月23日が最後となった。詳細は『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』を参照
  8. ^ その後2019年に再婚した。
  9. ^ gooテレビ「八方・陣内・方正の黄金列伝! 2016年4月30日(土)」
  10. ^ 宮川大輔 元相方・星田英利に電話で「寂しい」…引退宣言後すぐに連絡”. デイリースポーツ. 2017年8月26日閲覧。
  11. ^ 千原ジュニア×竹若元博、同期が語り合う若手時代と互いの魅力”. マイナビニュース (2020年1月8日). 2022年3月2日閲覧。
  12. ^ 「人工素材」は吉本に対抗した松竹芸能が会社を上げて結成したユニットといわれていたが、実際はTKOの木本武宏が提案していたことがわかっている(TBSリンカーン2009年05月12日放送分より)
  13. ^ 蛍原と宮川は他の仕事の都合。岡村によると、木村は藤本との不仲による共演NGの為とされる。
  14. ^ 岡村隆史、吉本印天然素材メンバーとの“青春の絆”を確認 離れても「どんな世界でも頑張ってほしい」”. ORICON NEWS. 2022年1月16日閲覧。
日本テレビ 火曜25:10枠 → 火曜25:15(「劇的時間帯」火曜日第1部)
前番組 番組名 次番組
ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.
(1990年4月3日 - 1991年9月24日)
※日曜22:30枠(『笑撃的電影箱』第1部)へ移動
吉本印天然素材
(1991年10月1日 - 1993年3月30日)
ビックリなべしま大サーカス!
(1993年4月6日 - 1993年9月28日)
日本テレビ 日曜16:55枠
ショージに目あり!
(1992年10月4日 - 1993年9月26日)
吉本印天然素材
(1993年10月3日 - 1994年3月27日)
ぐるぐるナインティナイン
(1994年4月10日 - 1997年3月30日)