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しま丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
しま丸
関西汽船「フェリーくろしお」
前後にサイドランプ、側面に名瀬港乗降用タラップが後付された姿
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
ギリシャの旗 ギリシャ
インドの旗 インド
所有者 フジフェリー
来島興産
関西汽船
運用者 フジフェリー
太平洋沿海フェリー
関西汽船
建造所 林兼造船下関造船所[1](第1173番船)
姉妹船 いせ丸[2]
航行区域 沿海[2]
IMO番号 7328736
改名 しま丸
フェリーくろしお
SEATRAILER
経歴
起工 1973年1月24日[2]
進水 1973年7月19日[2]
竣工 1973年12月13日[1]
就航 1973年12月
最後 2003年インドで解体
要目
総トン数 7,083 トン[1]
載貨重量 2,996 DWT[1]
排水量 8,980 トン(満載時)[2]
全長 140.9 m[1]
垂線間長 128.0 m[1]
22.4 m[1]
深さ 8.0 m[1]
満載喫水 5.5 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 三菱-MAN V9V 40/54 2基[1]
推進器 2軸[1]
最大出力 20,000馬力(連続)[1]
定格出力 17,000馬力[2]
最大速力 24.4ノット[1]
航海速力 21.5ノット[1]
航続距離 3,200海里[2]
旅客定員 670名[1]
乗組員 55名[2]
車両搭載数 トラック104台、乗用車45台[1]
テンプレートを表示

しま丸は、フジフェリーが運航していたフェリー。後に関西汽船フェリーくろしおとして就航した。

概要

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フジフェリーの松阪 - 名古屋 - 東京航路開設にあたって、いせ丸とともに林兼造船下関造船所で建造され、1973年12月13日に竣工した。松阪港の整備の遅れなどから航路開設が遅延したため、日本沿海フェリーに傭船され、1974年10月まで東京 - 苫小牧航路で運航された後、1974年10月17日、フジフェリーに戻り東京 - 松阪航路に就航した。

1977年12月15日、大阪商船三井船舶に売却され、1978年2月、尾道造船(尾道)で改装、7,060 トン

1978年3月、関西汽船の沖縄航路のフェリー化のために傭船され、フェリーくろしおとなり、阪神 - 奄美 - 那覇航路に就航した。

1980年10月25日、大洋フェリーに売却。

1982年8月20日関西汽船に売却。

1982年来島どっくに売却。

1988年来島興産に移籍。

1990年11月、さんふらわあさんふらわあ2くるしま7くいーんふらわあ2とともに22億5千万円で来島興産から関西汽船に売却された。 1998年3月、沖縄航路の廃止により、引退した。

1998年ギリシャのExpress Seatrailersに売却され、SEATRAILERとなり、コリントス - ポルト - マグヘラ航路で運航された。 1999年、 Minoan Flying Dolphinsに売却され、パトラ - ポルト - マグヘラ航路で運航された。 2001年には、再びコリント - ポルト - マグヘラ航路で運航された。

2002年6月、運航から外れエレウシスで係船された。 2003年9月、スクラップとしてインドに売却され、SEATRAILに改名されて回航された後、解体された。

設計

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いせ丸の同型船である。

船内

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船室

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  • 特等室(2名×6室)[3] - 12名
  • 1等洋室(6名×14室) - 84名 
  • 1等和室(4名×16室) - 64名
  • 2等室 - 460名
  • ドライバー室 - 72名

設備

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プロムナードデッキ[3]
  • 展望喫茶室
Aデッキ[3]
  • エントランスホール
  • 案内所
  • エントランス
  • ラウンジ
  • ゲームコーナー
  • レストラン
  • 売店
  • 浴室
  • 2等室
  • 1等室
  • 特等室
Bデッキ[3]
  • 2等寝台
  • 浴室

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 世界の艦船(1974年5月号,p116)
  2. ^ a b c d e f g h 新造船写真集 いせ丸 - 船の科学1974年2月号
  3. ^ a b c d 長距離フェリーガイド フェリーくろしお - ぐるりニッポン船旅ガイド'96(成美堂出版)

外部リンク

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