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しらけ世代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

しらけ世代(しらけせだい)は、1960年代昭和30年代後半~40年代前半)に活性化した日本の学生運動が鎮火したのちの、政治的に無関心な世代[1]1980年代(昭和50年代後半)には、世相などに関心が薄く、何においても熱くなりきれずに興が冷めた傍観者のように振る舞う世代を指した[2][3][4]。また、真面目な行いをすることが格好悪いと反発する思春期の若者にも適用された。このことからノンポリ世代(ノンポリせだい)とも呼ばれる場合もある。

範囲

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この世代を指す範囲の定義は諸説ある。

  1. 1950年代に生まれた世代[5]:この範囲では、学生運動が下火になる時期に大学生だった世代から、共通一次試験制度が開始される前までに大学に入った世代までという範囲である。この場合、「新人類」は共通一次試験を経験した1960年代に生まれた世代を指している。
  2. 1950年代の“後半に”生まれた世代[3][4]:最も狭い定義で、「無共闘世代」と呼ばれることもある[6][7]。この範囲では、ベビーブームが過ぎた後の出生数が最も少なくなった時期に生まれ、高度経済成長と学生運動時代が終わった直後に高校を出て、共通一次試験制度が始まる前に大学に入った世代、という範囲に基づいている。
  3. 1950年代から1960年代半ばに生まれた世代[1][4]:最も広い定義で、この範囲では、大学在学中に学生運動が終わった世代から、バブル景気が起こる前に成人した世代までを一括している。この場合でも1950年~1967年度生まれ、1953年~1962年度生まれなど諸説ある。

また、高度経済成長と学生運動時代が終わった後から冷戦が終結したころに成人した1955年昭和30年)4月2日から1964年(昭和39年)4月1日頃に生まれた世代(定義 3. が該当)は、「新人類」と呼ばれることがある[8]

以下、本項では主に 3. の定義、つまり1950年昭和25年)4月2日1968年(昭和43年)4月1日に生まれた世代で記載する。

成長過程

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前期しらけ世代1950年 - 1955年度、つまり1950年(昭和25年)4月2日 - 1956年(昭和31年)4月1日〉生まれ)は第一次ベビーブームに続く世代(ポスト団塊の世代)に当たり、高度経済成長初期に小学校に入り、1970年(昭和45年)の大阪万博の頃に高校を卒業した世代である。この世代の大学進学率は戦前生まれ世代に比べて飛躍的に上昇したものの(特に女子の大学・短大進学率は倍以上に増えた)約20%ないし約30%[9]であり、「金の卵(を産む鶏)」として中卒や高卒で集団就職する人も[1]。その一方で、大学進学志向の強い高校、あるいは予備校に在学していた時期に70年安保などの学生運動を経験した者[注釈 1]も存在した。そして、成人する時期にあさま山荘事件1972年2月)や沖縄返還(1972年5月)や1973年の第一次オイルショック(石油危機)を経験した。

中期しらけ世代1956年 - 1961年度、つまり1956年(昭和31年)4月2日 - 1962年(昭和37年)4月1日生まれは、出生数が前後の世代に比べて少なくなった時期に生まれた世代に当たる。高度経済成長時代中期に小学校に入り、小学校時代から高校時代の1970年代前半(昭和40年代後半)の時期にあさま山荘事件沖縄返還オイルショック(石油危機)を経験した。また、彼らが会社に就職した時期はオイルショック後の低成長期で、後の就職氷河期ほど酷くはないものの、オイルショック前に就職した上の世代に比べると就職環境は厳しかった。

後期しらけ世代1962年 - 1967年度、つまり1962年(昭和37年)4月2日 - 1968年(昭和43年)4月1日生まれ)は、ひのえうまショックの1966年(昭和41年)を除き出生数が再び上がり始めた世代に当たる。高度経済成長時代後期に小学校に入り、小学校時代から中学校時代の時期にあさま山荘事件や沖縄返還やオイルショック(石油危機)を経験した。また、この世代が就職するころ、今までとは違う価値観を持っているといわれ、新人類[注釈 2]と呼ばれるようになった。

1972年(昭和47年)に連合赤軍事件で学生運動が急速に衰え、一つの時代の終わった無力感と学生運動への失望が起き、1973年(昭和48年)にオイルショック(石油危機)が起きて高度経済成長が終わると、「シラケ」という言葉が若者の間で流行し、「無気力・無関心・無責任」の三無主義(後に「無感動・無作法」を加えて五無主義ともいわれた)を中心とする風潮が見られた。何をしても言っても「しらけ(当て字で「白け」)る」「しらけた」を連発し、冷めており、政治的な議論には無関心になり、一種の個人主義に徹する傾向が強くなった。

1975年(昭和50年)頃に若者の間において安保闘争全共闘が代表するような過激な政治志向が消えオカルトブーム等に移行し、四畳半フォーク(代表例:かぐや姫の「神田川」)、井上陽水の「傘がない」、ドラマ『俺たちシリーズ』3部作(俺たちの旅俺たちの朝俺たちの祭)に見られるようなノンポリ・個人生活優先・心理社会的モラトリアムの傾向が残り、若者の「シラケ」を強く印象づけた[注釈 3]。一方でこうした世相を自虐的な笑いに結びつけることもあった。1976年(昭和51年)から放送された『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』では「しらけ鳥」というキャラクターを登場させシュールな笑いを誘った。

1970年代(昭和50年代前半)末期に差し掛かると、個人的な消費による自己実現を目指す風潮が生まれ、拝金主義ブランド指向の風潮が芽生え始める。この時期を象徴する文化が松任谷由実1972年のデビュー当時は荒井由実)のニューミュージックや、「ブランド小説」とも呼ばれた田中康夫の『なんとなく、クリスタル』(1980年)である。こうした風潮は、1986年(昭和61年)から1991年(平成3年)まで起こったバブル景気(バブル経済)の好景気によって絶頂期を迎える。

バブル崩壊後

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2024年令和6年)4月現在、最も広義の解釈でしらけ世代と呼ばれる年齢は56歳から74歳である。多くは定年になって既に子育ても終え、エンプティ・ネストとなっており、特にポスト団塊の世代に属する年長のしらけ世代は70歳以上の前期高齢者の年代に入っている。

文化

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文学では、川上弘美村上龍などの純文学の担い手を生み、浅田次郎あさのあつこ石田衣良大沢在昌高村薫東野圭吾宮部みゆき京極夏彦ら娯楽的な小説の大家を輩出した。

なお、1950年〜1964年生まれの女性は、成人する1970年代から1980年代前半にかけて「アンノン族」と呼ばれる新しい国内旅行のスタイルを生み出した。アンノン族によって生み出された個人旅行のスタイルは、1980年代以降、団塊の世代以降の男性も含めた日本人に広く定着した。また、新婚旅行の行き先に海外を選ぶ新婚カップルが増えたのもこの世代である。

1980年代半ばには、1983年(昭和58年)にデビューした尾崎豊1965年生まれ)を「しらけ世代」の最たる者[注釈 4]として記事に採り上げたりキャプションをつけることが度々あった。

おたく文化への影響 

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彼らが成人する1970年代後半以降、アニメコンピュータゲームといったおたく系業界が急速に発展した。

1950年(昭和25年)度〜1964年(昭和39年)度生まれからは、おたく産業に関わるクリエイターを多数輩出した。

アニメ業界
庵野秀明幾原邦彦板野一郎出渕裕今川泰宏押井守片渕須直金田伊功河森正治新房昭之永野護原恵一など
漫画家
秋本治高橋よしひろ車田正美しげの秀一ゆでたまご鳥山明青山剛昌など
コンピュータゲーム業界
宮本茂堀井雄二深谷正一黒須一雄岩谷徹遠藤雅伸坂口博信など
SFファンタジーライトノベル作家
田中芳樹栗本薫安田均夢枕獏氷室冴子新井素子花井愛子水野良神坂一など
おたく評論家
大塚英志岡田斗司夫など

この世代の中でも1955年(昭和30年)〜1964年(昭和39年)生まれは「おたく第一世代」と呼ばれている。

各国の類似の世代

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米国では、ジェネレーションXX世代。1960年代初頭または半ばから1970年代に生まれた世代)が該当する。ベトナム戦争終結による「しらけムード」の中で10代を過ごし、個人主義と内向性を特徴としており、政治や社会に対して冷めている傾向が強い。

脚注

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注釈

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  1. ^ 代表的人物としては、在学中に高校をバリケード封鎖した体験を基に『69 sixty nine』を綴った村上龍、高校時代に羽田闘争に触発された押井守本人のプロフィール)、高校時代に校内でバリケード封鎖などを行った坂本龍一馬場憲治、そして高校および全国浪人共闘会議で運動に参加した塩崎恭久などがいる。
  2. ^ 但し、新人類世代と呼ぶ場合は狭義のバブル世代(1960年代後半生まれ)を含む、1950年代後半から1960年代にかけて生まれた世代を指すことも多い。
  3. ^ ただし、南こうせつと井上陽水は1948年から1949年の間に生まれた同期生であり、共に団塊の世代に当たる
  4. ^ ただし、尾崎は正確には1965年11月29日生まれであるため、実際はしらけ世代ではなく、バブル世代ジェネレーションX)に属している。

出典

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  1. ^ a b c 変遷する新卒一括採用 5世代意識調査《しらけ世代/バブル世代/氷河期世代/プレッシャー世代/ゆとり・さとり世代》FNN 2020年2月28日
  2. ^ 市川孝一「若者論の系譜─若者はどう語られたか─」 2003 文教大学人間科学部「人間科学研究 25」
  3. ^ a b 公益財団法人ハイライフ研究所現代若者考・レポート -第三回若者世代の変遷」 2018年6月27日
  4. ^ a b c 社会福祉法人 信和会「日本の世代」『広報なかよし』2019年9月号
  5. ^ 西村直哉「「ゆとり社員&シニア人材」を伸ばすマネジメントの極意【第6回-管理職必読!生まれ年代別に見る「思考・行動パターン」の特徴」 2018.12.19 幻冬舎ゴールドオンライン
  6. ^ 泉麻人みうらじゅん、『無共闘世代』(朝日出版社、1985年3月)。また、公文書においても、1955年から1958年生まれの世代を「無共闘世代」と呼ぶ例がある(「『公』に関する考え方」
  7. ^ [リンク切れ] 三重県庁総合企画局企画開発室、「新しい時代の公」)。
  8. ^ 黒住光「適応力高く、昭和的な価値観「新人類世代」の接し方」 PRESIDENT 2015年6月1日号 プレジデント社
  9. ^ 文部科学省『平成19年度学校基本調査報告書』

関連項目

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