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ぴあフィルムフェスティバル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ぴあフィルムフェスティバル
PIA FILM FESTIVAL
会場の国立映画アーカイブ
会場の国立映画アーカイブ
イベントの種類 映画祭
通称・略称 PFF
正式名称 ぴあフィルムフェスティバル
旧イベント名 ぴあ展「自主映画製作展」
Off Theater Film Festival
開催時期 毎年9月中旬
初回開催 1977年
会場 渋谷東急(2005年~2008年)
国立映画アーカイブ旧 東京国立近代美術館フィルムセンター(2009年~2012年、2014年~)
シネクイント(2013年)
主催 一般社団法人PFFなど
国立映画アーカイブへの交通アクセス
最寄駅 東京メトロ銀座線京橋駅
駐車場 なし
公式サイト
備考
上記は東京会場のデータ。
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ぴあフィルムフェスティバル(Pia Film Festival)は、「新しい才能の発見と育成」「映画の新しい環境づくり」をテーマに、毎年東京をはじめ各地で開催されている映画祭である。略称はPFF。同映画祭は、自主映画の為のコンペティション「PFFアワード」と、国内外の貴重な作品を紹介する「招待作品部門」の2本柱で展開される。「PFFアワード」入選者の中からは、後にプロの映画監督として活躍する人たちが160名を越え、若く新しい才能が集う場所として、広く認知されている[1][2]。また、映画製作から劇場公開までのトータルプロデュース、映画イベント等の企画運営等を行い、映画のつくり手、観客双方の活性化にも努めている。

歴史・背景

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2005年(第27回)から2008年(第30回)までの会場だった「渋谷東急」(2013年5月23日閉館)が入居していた渋谷クロスタワー

1970年代後半、テレビ洋画の攻勢等による日本映画の衰退は進み[1]、大量のスタッフを雇用して映画を量産していた撮影所システムが崩壊[1]、従弟制度が崩れ始め[1]映画監督を養成していた助監督採用も少なくなり[1]自主映画作家だった大林宣彦[1]大森一樹[1]、それぞれ東宝松竹に招聘されるなど[1]、時代の流れが変わり始めていた[1]。「映画会社が監督を育てないなら、自主映画から人材を発掘するしかない」と映画趣味が高じてぴあを起業した矢内廣と林和男らは考えた[1]。「日本映画の火を絶やさない」との理想から1977年東京東大泉東映東京撮影所での「第一回ぴあ展」の一企画、〈映像部門〉「第一回自主映画展」としてオールナイト上映でスタートした[1][3]。当時は雑誌「ぴあ」を通じて公募した作品をぴあスタッフが審査した[3]1979年「Off Theater Film Festival」と名称を改めるが、第4回目開催の1981年より現在の「ぴあフィルムフェスティバル」に改名され、定着した。

1984年、映画製作援助制度である「PFFスカラシップ」を創設。3000万円の奨学金を開始し[1]、育成体制を整えた[1]。以降、2003年頃まで毎年700作品前後の応募が続いた[1]。但しアマチュア作品から選ぶ以上、見返りは微々たるもので[1]。運営費用は毎年数千万単位だが黒字になることはなかった[1]。矢内は「映画界が盛り上がればチケット販売にも反映すると割り切っている」と話す[1]。1990年代後半にネットの普及、ブロードバンド化で映画のコンテンツとしての魅力が高まり[1]TBSイマジカNTTブロードバンドイニシアティブなどが協力を申し出[1]、共同で運営会社「PFFパートナーズ」を設立した[1]

これまでに森田芳光[1]石井聰亙[1]黒沢清[1]橋口亮輔[1]矢口史靖[1]園子温熊切和嘉李相日荻上直子内田けんじ石井裕也など、現在日本映画界で活躍する監督を多く輩出している。

これ以前から飯村隆彦大林宣彦たちと個人的な映画作りの時代が来ると信じ[2]、長きに亘り、自主映画の活動を続けていた高林陽一[2]、『キネマ旬報』1981年5月下旬号の長谷川和彦石井聰亙との対談で、「要するに読売新聞巨人軍(笑)。『ぴあ』の拡販素材であり、そのためのイベントです。僕は去年の同じイベント『オフシアター・フィルムフェスティバル'79』というネーミングに基本的に疑問を持っています。新商業主義です『ぴあ』のあれは」と批判している[2]

1989年には、現在のPFF全国ツアーの先駆けとなる「インディーズジャム'89」が大阪で話題を呼び、その後名古屋、神戸、福岡、仙台、京都と日本全国各地でのPFF開催を展開している。また、「PFFアワード」入選作品や「スカラシップ」作品を海外映画祭へ出品するなど、新人監督の海外での活躍をサポートする活動も進めている。2005年、第14回PFFスカラシップ作品、内田けんじ監督『運命じゃない人』がカンヌ国際映画祭批評家週間で4賞を受賞。また、第17回PFFスカラシップ作品、熊坂出監督『パーク アンド ラブホテル』が、2008年ベルリン国際映画祭にて最優秀新人作品賞を受賞する快挙を果たした。

1999年からは、PFFの主旨に賛同する映画、映像関連企業によりPFFパートナーズを結成[1]、2008年には30回目を迎えた。翌年2009年の第31回は、日本唯一の国立映画機関、東京国立近代美術館フィルムセンター(現 国立映画アーカイブ)に会場を移し、同機関との共催を実現した。なお、2013年の第35回は、5年ぶりに渋谷に会場を移し、渋谷パルコパート3・8階のシネクイントで開催された。

2005年には「PFFアワード」入選監督が最新技術を学べる早稲田大学への推薦入学制度、産学連携を行う。2006年から参加している文化庁「ndjc:若手映画作家育成プロジェクト」では、これまで『けものがにげる』(村松正浩監督)、『屋根の上の赤い女』(岡太地監督)『直下型の女』(タテナイケンタ監督)の製作を行った。現在も入選監督の推薦を継続している。

2010年からは、東京国際映画祭との提携企画として、当年の「PFFアワード」グランプリ作品を上映。

2014年、ぴあフィルムフェスティバルが川喜多賞を受賞[4]

2017年4月、より公共的な事業としての継続・発展を目指し、「一般社団法人PFF」を設立。

2020年には「大島渚賞」を創設[5]。「大島渚賞」は、映画の未来を拓き、世界へ羽ばたこうとする、若くて新しい才能に対して贈られる映画賞。審査員長は音楽家の坂本龍一が務め、第一回の受賞者に小田香が選ばれた。

2021年5月からは、東京メトロポリタンテレビジョンサブチャンネル(TOKYO MX2)にて、当フェスティバル入賞作品を地上波放映する『~映画監督への登竜門~ PFFアワード・セレクション』の放送を開始[6]。同年10月からは、千葉テレビ放送のサブチャンネル(チバテレ ミライチャンネル)でも同様の企画『チバミライチャンネル 〜ミライの巨匠たち〜 PFFアワード・ベストセレクション』を放送している[7]。なお、過去にはBSスカパー!でもセレクション放映が行われたことがある[8][9]

2013年(第35回)会場の「シネクイント」がある渋谷PARCO Part3

活動内容

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PFFの活動は、「才能の発見」「才能の紹介」「才能の育成」の3ステップで構成されている。

「才能の発見」(PFFアワード)
このコンペティション最大の特徴は、作品の内容、完成尺や形態、応募者の年齢、経験等、通常のコンペでは制限される部分に規定が設けられていない事である。既述の「第一回自主制作映画展」では77作品だった応募数は年々増え続け、現在では500本前後が公募に寄せられている。応募締切日から4ヶ月に渡る審査を経て選ばれた入選作品は、その年のぴあフィルムフェスティバルで上映され、最終日に開催される表彰式においてグランプリ他、受賞作品が決定する。最終審査員は映画監督を中心に、現役で活躍しているクリエーター5人で構成されている。
「才能の紹介」
ぴあフィルムフェスティバルの上映に加え、既述の東京国際映画祭でのグランプリ作品上映、受賞作やスカラシップ作品等の海外映画祭への出品、DVDリリースをはじめ、劇場公開、その他テレビやWEBを通して映画祭開催地以外にも、監督、作品の紹介を推進している。また、ぴあフィルムライブラリー(PFL)を設置し、所蔵する多数のアワード入選作品やPFFスカラシップ作品などを上映会や専門学校の授業等に貸し出し、「映画」としての上映を望む団体へ協力している。
「才能の育成」(PFFスカラシップなど)
1984年から始まったPFFスカラシップは、PFFが企画から製作、国内外での公開(映画祭出品を含む)、DVDリリース、配信等までをトータルプロデュースすることで、監督に映画製作の本質を学んでもらう事を目的とした世界でも極めて稀な長編映画製作援助制度である。選考は、毎年「PFFアワード」の受賞者が対象となり、次回作の企画、脚本等を提出、その年のPFFパートナー各社のプロデューサーを含め、対象者との面談を経て審査し、その年の最も期待したいフィルムメーカー1名にスカラシップ作品監督権が与えられる。その後、PFFスカラシップ専任プロデューサーと共に、受賞から1年に及ぶ企画開発の後撮影に入り、受賞から2年後のぴあフィルムフェスティバルにてプレミア上映され、海外映画祭出品を経て劇場公開されることを基本としている。
また、前述の通り2005年度より早稲田大学との産学連携が始まり、最新デジタル機器・設備を備えた同大大学院国際情報通信研究科へ、アワード入選監督が推薦入学できる制度を設立。これまでに14名が就学した。2006年からは、文化庁若手映画作家育成プロジェクトに参画し、PFFアワード入選監督による短編映画製作に携わるなど、スカラシップ以外の育成事業にも力を注いでいる。

その他、「ぴあフィルムフェスティバル」の招待作品部門としてフランソワ・トリュフォールイス・ブニュエルマキノ雅弘、NYインディーズ特集(ジョン・ウォーターズジム・ジャームッシュスパイク・リー等を招聘)、ケン・ラッセルロバート・アルトマンクリント・イーストウッド(初期作品)、ミヒャエル・ハネケアレックス・コックステオ・アンゲロプロスダグラス・サーク若松孝二大島渚サミュエル・フラーロバート・アルドリッチなど多彩な監督を特集するとともに、日本映画の魅力を数多くの人に伝えることを目的に、2001年から現在まで続く「ミューズ シネマ・セレクション 世界が注目する日本映画たち」(財団法人所沢市文化振興事業団主催)に企画制作として参画。

また、1980年代以降、当時としては、まとめて紹介されることの少なかったオーストラリア、ニュージーランド、カナダ並びにケベック州、オランダなどの各国大使館と連携した映画祭や国際交流基金主催のアジア、アラブ地域の映画祭などの運営に携わるなど、様々な形で国内での映画振興に努めている。

PFFアワード入選者

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PFFスカラシップ作品

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 竹田聡 (2003年7月3日). “ぴあフィルムフェス25周年-映画界の人材バンクに(感動を創る)”. 日経産業新聞 (日本経済新聞社): p. 21 
  2. ^ a b c d 高林陽一長谷川和彦石井聰亙、日比野幸子(司会・構成)「【特別座談会】 自主映画の明日を語ろう」『キネマ旬報』1981年5月下旬号、キネマ旬報社、94–100頁。 
  3. ^ a b “第1回ぴあ展1977”. http://pff.jp/jp/old/festival/history.html#1977 
  4. ^ 第32回川喜多賞 PFF(ぴあフィルムフェスティバル)”. 公益財団法人川喜多記念映画文化財団. 2021年7月14日閲覧。
  5. ^ “PFFが大島渚賞を創設、審査員長は坂本龍一”. 映画ナタリー. 株式会社ナターシャ. (2019年12月4日). https://natalie.mu/eiga/news/358085 2019年12月5日閲覧。 
  6. ^ “地上波初!「TOKYO MX2」でPFFアワード・セレクション放送決定”. https://pff.jp/jp/news/2021/05/tokyo_mx2.html 
  7. ^ “千葉テレビ「チバテレミライチャンネル」にてPFFアワード・ベストセレクション放映!”. https://pff.jp/jp/news/2021/10/chibaTV.html 
  8. ^ “【テレビ放映決定】年末はスカパー!で「PFFアワード2020」受賞作品セレクションを楽しもう”. https://pff.jp/jp/news/2020/12/2020-skper.html 
  9. ^ “【テレビ放映情報】12月30日・31日に、BSスカパー!で「PFFアワード」11作品の一挙放送決定”. https://pff.jp/jp/news/2020/12/2019-2020-skper.html 
  10. ^ ぴあフィルムフェスティバルの軌跡 vol.1”. 国立映画アーカイブ 国立美術館. p. 2 (2008年). 2021年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月16日閲覧。
  11. ^ PFFアワード2014『暁の石』(監督:清原惟、飛田みちる)」『第36回PFF公式サイト』。2018年7月29日閲覧。
  12. ^ PFFアワード年別一覧|PFFアワード”. PFF(ぴあフィルムフェスティバル)公式サイト. 2023年1月2日閲覧。
  13. ^ PFFスカラシップ”. ぴあフィルムフェスティバル. 2014年4月9日閲覧。
  14. ^ 【招待作品部門】第26回PFFスカラシップ作品『すべての夜を思いだす』|2022年:第44回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)公式サイト”. 2022年:第44回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)公式サイト. 2023年10月9日閲覧。

外部リンク

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