むつ市立第一田名部小学校
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むつ市立第一田名部小学校 | |
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北緯41度18分03秒 東経141度12分46秒 / 北緯41.30095度 東経141.21266度座標: 北緯41度18分03秒 東経141度12分46秒 / 北緯41.30095度 東経141.21266度 | |
過去の名称 |
第七学区一六中学区四番小学 田名部小学 田名部尋常小学校 田名部尋常高等小学校 田名部国民学校 田名部町立田名部小学校 田名部町立第一田名部小学校 大湊田名部市立第一田名部小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | むつ市 |
併合学校 |
最花小学校 樺山小学校 |
設立年月日 | 1873年7月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210001427 |
所在地 | 〒035-0031 |
青森県むつ市柳町2丁目7番1号 | |
外部リンク | 第一田名部小学校 (むつ市教育委員会) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
むつ市立第一田名部学校(むつしりつ だいいちたなぶしょうがっこう)は、青森県むつ市柳町にある公立小学校。むつ市立むつ中学校と施設分離型(4・3・2制)小中一貫教育を行っている[1]。
概要
[編集]沿革
[編集]- 1873年(明治6年)7月10日 - 第七学区一六中学区四番小学[注釈 1]として創立。
- 1874年(明治7年) - 田名部小学と改称。
- 1875年(明治8年)9月 - 神明町に校舎改築移転。
- 1886年(明治19年) - 田名部尋常小学校と改称。田名部高等小学校(1879年(明治12年)設置の下北郡公立中学校を継承)併設。
- 1892年(明治25年) - 田名部尋常高等小学校と改称。
- 1895年(明治28年)5月28日 - 田名部新町の個人宅から出火し、校舎全焼。
- 1897年(明治30年)1月 - 旧盛岡藩田名部代官所跡に校舎新築移転。
- 1915年(大正4年)10月3日 - 旧田名部代官所跡隣接地に、新築移転。
- 1917年(大正6年)4月15日 - 田名部女子実業補習学校併設。
- 1920年(大正9年) - 田名部農商業補習学校併設。
- 1926年(大正15年) - 農商業補習学校が青年訓練所充当に改称。同年、大曲(赤川)に、季節分教場設置。
- 1927年(昭和3年)3月11日 - 柳町字蓮花寺1番地に第二校舎新築。
- 1929年(昭和4年)4月8日 - 大曲季節分教場が、通年制分教場となる。
- 1930年(昭和5年)6月1日 - 田名部女子実業補習学校が、田名部実践女学校と改称。
- 1933年(昭和8年) - 田名部実践女学校が、田名部実科高等女学校と改称。
- 1935年(昭和10年) - 青年訓練所充当田名部農商業補習学校が、田名部青年学校と改称。
- 1941年(昭和16年)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法(旧法)施行により、田名部町立田名部小学校と改称。同日、高等科生を田名部中学校に移籍。第二田名部小学校は、旧海兵団兵舎を改造校舎とし、分離発足。大曲分教場は、第二田名部小学校の分校となる。
- 1948年(昭和23年)
- 1954年(昭和29年)
- 日付不明 - 酪農分校廃止。
- 4月1日 - 第一田名部小学校と改称。
- 1959年(昭和34年)9月1日 - 田名部町と大湊町が合併し、大湊田名部市発足により、大湊田名部市立第一田名部小学校と改称。
- 1960年(昭和35年)8月1日 - 市名変更により、むつ市立第一田名部小学校と改称。
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 最花・樺山の両小学校を統合。
通学区域
[編集]- 本町、田名部町、柳町一・二・三・四丁目、横迎町一・二丁目、上川町、栗山町、女舘、尻釜、宮後、椛山、赤坂、土手内、斗南岡、最花、品ノ木、酪農[2]
周辺
[編集]アクセス
[編集]- 下北交通恐山線「まさかりプラザ前」停留所から、徒歩約625m。約10分(神明宮西側の道を通った場合)。
- JRバス東北下北線「田名部」停留所から、徒歩約780m。約11分(神明宮西側の道を通った場合)。
- 川内交通(むつ車体) ムーヴィ (市内循環路線)「柳町栗山奉公会館前」停留所から、徒歩約240m・約4分。
関連項目
[編集]参考資料
[編集]- 『むつ市史 年表』310頁~882頁
- 『青森県教育史 別巻』(青森県教育委員会・1973年12月20日発行)746頁「学校沿革 小学校 第一田名部小学校」
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 第七大学区(第)十六(中)学区は北郡(=上北郡と下北郡)である。番は小学区を表し、一:七戸、二:野辺地、三:三本木、四:田名部、五:大畑、六:大間、七:川内の七小学区があった。この順に創立したわけではないが「〇番小学」と言うのはあくまでも小学区名であり、1873年頃までに創立した各小学区で最初の学校では地区名での区別が必須では無かったため小学校名としても通用した。なお、この中では七戸が最も古く(1872年8月15日)、野辺地は最も新しく(1873年9月27日)、他の五小学区ではほぼ同じ時期(1873年7月上旬頃)に小学校が創立した。最初から地区名を併称する学校もあり、1874年以降は小学区を省略し地区名のみが正式の小学校名となった。
出典
[編集]- ^ 『むつ市教育プラン(平成29年度~平成33年度)策定』
- ^ 学区一覧 - むつ市