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ゆく年くる年 (民間放送AMラジオ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゆく年くる年
ジャンル 年末年始特別番組
放送方式 生放送
放送期間 1955/1956年2000/2001年
放送時間 毎年12月31日–翌年1月1日
制作 輪番制
ニッポン放送
文化放送
TBSラジオ など
提供 コカ・コーラボトラーズ
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ゆく年くる年(ゆくとしくるとし)は、日本の民放AMラジオ各局が制作し、1955/1956年から2000/2001年までそれらの各局とラジオたんぱ(現在のラジオNIKKEI)で毎年12月31日から翌1月1日に放送していた年越し番組である。

放送形態

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1955/1956年の年越しより放送開始。コカ・コーラボトラーズがスポンサーだったため、「コカコーラ・ラジオスペシャル」という冠協賛タイトルをつけていた。

1962/1963年までは在京キー局を含む30数社の共同制作であった。

1963/1964年1965/1966年は、ネットワークごとに異なる番組が放送された。1963/1964年と1964/1965年はTBSなどJRNが『ゆく年くる年』を放送したが、1965/1966年はJRNと文化放送などNRNが、異なる『ゆく年くる年』を放送した。この間はラジオたんぱ、および1961年から共同制作に加わらなかったラジオ関東も別プログラムであった。

のちに在京キー局であるニッポン放送・文化放送・TBSラジオが輪番制で番組を制作するようになった。

この放送コンテンツは、すべてのAMラジオ放送局と短波放送であるラジオたんぱで放送されていた。ラジオたんぱでは通常の『大学受験ラジオ講座』がこの番組に替わられ(12月31日は例年全局で休講)、他は通常の番組編成であった(ただし直後の長時間ニュースは30分遅れ)。

20世紀最後の年明けである2000/2001年(文化放送制作)を最後に共同制作は終了した。

番組終了後

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中波各局は、各局独自(単独やブロックネット)の年越し特番を制作・放送している。一部の局では人員・予算の関係でニッポン放送・文化放送・TBSラジオのいずれかの年越し特番をネット受け[1] したり、年越し特番をせずに通常の録音ネット番組を放送する局もある。ただし、放送枠上では通常編成ながら、内容は実質年越し企画となっているところがほとんどであるが、岐阜放送ラジオ(ぎふチャン)は、中波局で唯一、2021年以降年越し特番を取りやめ、通常通り24:00で放送を休止し元日6:00から放送を開始する体制を取っている。

ラジオNIKKEI(2004年4月にラジオたんぱから愛称変更)は、深夜放送枠を縮小する番組編成をとるようになり、番組が終了した2001年以降は日本民間放送連盟加盟局では当時唯一、年越しの放送を行わなくなったが、2012年に自社制作の特番を放送。12年ぶりに年越しの放送が復活した。

内容一覧

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旧年 新年 制作局 テーマ(『〜』はタイトル) 司会者 特記
1955年 1956年 いろんなことがありました 森繁久彌
越路吹雪
岸恵子
千葉信男
構成:キノトール
1956年 1957年 森繁久彌 構成:永六輔
前田武彦
1957年 1958年 森繁久彌
幸田文
ゲスト:大下弘西鉄ライオンズ)、火野葦平玉乃海
1958年 1959年 フランキー堺 構成:永六輔、前田武彦、ゲスト:稲尾和久(西鉄ライオンズ)、岸恵子
1959年 1960年 徳川夢声
香川京子
日本短波放送(現 ラジオNIKKEI)初参加
1960年 1961年 森繁久彌
越路吹雪
1961年 1962年 いずみたく ラジオ関東(現 RFラジオ日本)はこの年から1965年まで不参加
1962年 1963年 若き明日の日本の若さを アイ・ジョージ
倍賞千恵子
1963年 1964年 TBS 『ゆく年くる年』 高橋圭三
石井好子
HBCTBCCBCABCRKBと共同制作
文化放送 『新春を迎えるオールナイト・ミュージック』
ニッポン放送 『歳末多元報道特集・新しい年の足音』 中村メイコ STVYBCSFMBSRCCKBCと共同制作
ラジオたんぱ 『一本の棒のごとくに去年、今年』
1964年 1965年 TBS 『ゆく年くる年』
文化放送 『新春を迎えるオールナイト・ミュージック』
ニッポン放送 『オールナイト電話リクエスト・ゴールデンパレード』
1965年 1966年 TBS 『ゆく年くる年』(JRN版) 田英夫
大沢嘉子
日野てる子
文化放送 『ゆく年くる年』(NRN版) 淡谷のり子
暉峻康隆
ニッポン放送 『オールナイト電話リクエスト・ゴールデンパレード』
1966年 1967年 ケン田島
全局統一放送に戻る
1967年 1968年 鐘よひびけ世界の空に ロイ・ジェームス
矢島正明
ケン田島
清水恵子
1968年 1969年 長門裕之
南田洋子
1969年 1970年 若さでゆこう'70年 ロイ・ジェームス
野沢那智
加藤登紀子
1970年 1971年 オン・ライン日本列島 芥川也寸志
1971年 1972年 ニッポン放送 日本の伝統と若者たち 黒川紀章 音楽担当は吉田拓郎[2]
1972年 1973年 TBSラジオ 日本の伝統と若者たち 愛川欽也
見城美枝子
この年度から沖縄のAMラジオ3局(琉球放送ラジオ沖縄極東放送)が日本の放送局となり正式にネットする。
1973年 1974年 文化放送 美しい日本 愛川欽也
1974年 1975年 ニッポン放送 生きざまそして昭和50年 野坂昭如 音楽担当は井上陽水高橋竹山[2]
1975年 1976年 TBSラジオ 若者元年・見つめようあしたを 小室等
桝井論平
1976年 1977年 文化放送 若者たち・再びロマンの海へ…旅・冒険・ロマンの世界を みのもんた
1977年 1978年 ニッポン放送 1/35000000 〜ワカモゲラ・ニュージャパニーズ タモリ
西村知江子
音楽担当は矢野顕子トランザム[2]
1978年 1979年 TBSラジオ 若いことばはエイトビートで 久米宏
山本エミコ
1979年 1980年 文化放送 走れ!80年代のメロスたち 梶原茂
高石ともや
1980年 1981年 ニッポン放送 ひとりじゃないよ・タモリの日本のご家庭大研究 タモリ 音楽担当はみなみらんぼう石黒ケイ[2]
1981年 1982年 TBSラジオ 青春年齢いま20歳 さだまさし
1982年 1983年 文化放送 コミュニケーション元年 さだまさし
吉田照美
1983年 1984年 ニッポン放送 '84地球はスポーツ気分 山口良一
川島なお美
1984年 1985年 TBSラジオ マイサウンズ・マイソング! 山本コウタロー
山下久美子
沖縄の極東放送がFM放送(エフエム沖縄)移管とJFN加盟のためこの回以降放送せず。
1985年 1986年 文化放送 100年後に残したいこの100曲 小林克也
千倉真理
1986年 1987年 ニッポン放送 みんなでプッツン!高校生のゆく年くる年 上柳昌彦
渡辺美里
1987年 1988年 TBSラジオ 史上最大のロック電リク 松宮一彦
富田靖子
浅草から公開生放送
1988年 1989年 文化放送 明日のスーパースターを探せ 長嶋茂雄
1989年 1990年 ニッポン放送 今、一番大切なあなたへ 大槻ケンヂ
1990年 1991年 TBSラジオ 脱・オタク宣言 サンプラザ中野
1991年 1992年 文化放送 おいしい夢を食べよう 吉田照美
小川範子
1992年 1993年 ニッポン放送 1億人の大合唱 伊集院光
小室哲哉
1993年 1994年 TBSラジオ 夢を語れますか? 松宮一彦
岸谷五朗
1994年 1995年 文化放送 愛してるからラブレター 本木雅弘
荻野目慶子
1995年 1996年 ニッポン放送 未来へのマーチ 福山雅治
1996年 1997年 TBSラジオ 合言葉はHAPPY 伊集院光
櫻井智
前日の『伊集院光 深夜の馬鹿力』では、公開リハーサルと称して、勝手にこの番組のパロディ企画を放送
1997年 1998年 文化放送 夢みる力 デーモン小暮閣下
岩男潤子
広井王子
第3次声優ブームという事もあって、当時文化放送のアニメゲーム関連番組(いわゆるA&Gゾーン)の出演者が多く登場した。新宿渋谷からの中継もあった。この年はコカコーラの提供はなく、代わってアニメ・ゲーム関連のスポンサーが多く目立っていた
1998年 1999年 ニッポン放送 ナインティナイン 1999年はナイナイの年という事で、「第九」を歌う企画(ただ曲に合わせて「ナインティナイン」と叫ぶだけのもの)。北海道(担当:STVラジオ)・沖縄(担当:ラジオ沖縄)・お台場の3元中継
1999年 2000年 TBSラジオ 次世代スター大発表 伊集院光
小倉弘子
伊集院光 日曜大将軍』をベースにした番組。松坂大輔らが出演
2000年 2001年 文化放送 R@DIO de Communication 21世紀への夢~ デーブ大久保
野村邦丸
知念里奈
最終回、20世紀の終焉とともに45年の歴史に幕。1984年版から最終回まで民間AM放送各局とラジオたんぱの計48局でネットした。

脚注

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  1. ^ 年越し特番ではなく、年越し特番をネットしない地方局に向けて裏送りされる通常番組をネット受けするパターンもある。
  2. ^ a b c d ドン上野『ミスター・ラジオが通る』実業之日本社、1986年、p.76