アスカーニエン家
アスカーニエン家またはアスカニア家(ドイツ語: Askanier)は、ドイツの家系の1つ。11世紀頃から神聖ローマ帝国の領邦君主として、中世から近世を通してアンハルト公国を治め、一族はブランデンブルク辺境伯、ザクセン=ヴィッテンベルク、ザクセン=ラウエンブルク、リューネブルク侯領も統治していた。傍流からはロシア皇帝も輩出した。
家名の残る最も古い記録では、ドイツ・ザクセン=アンハルト州ザルツラント郡のアッシャースレーベン(Aschersleben)城の城主であり「アッシャースレーベン伯」と名乗って、その名はラテン語で書かれている[1]。近世以降、現在に至るアンハルト家がその主流の血族である[2]。
アスカン家とも呼ばれる[3]。
歴史
[編集]家祖は11世紀に登場したエジコ・フォン・バレンシュテットとされている。エジコはアンハルト地方のシュヴァーベンガウ伯でもあり、この領土は子孫に受け継がれていった。
エジコの曾孫に当たるアルブレヒト熊公は父オットーからバレンシュテット伯領を相続、母エイリーケがビルング家最後のザクセン公マグヌスの娘であったことからザクセンの相続権も有していたが、ザクセンはロタール・フォン・ズップリンブルク(後の神聖ローマ皇帝ロタール3世)が領有、後にマグヌスの外孫でロタール3世の婿でもあった従兄のヴェルフ家出身のバイエルン公ハインリヒ傲慢公がザクセンを治めた。
ハインリヒ傲慢公はローマ王コンラート3世から領土を取り上げられ、アルブレヒト熊公はザクセンを与えられたが実効支配出来ず、1142年にザクセンを放棄、傲岸公の息子ハインリヒ獅子公にザクセンを譲った。その後は東に領土を拡大、1157年に初代ブランデンブルク辺境伯に任命された。
1170年にアルブレヒト熊公は死去、ブランデンブルクは長男のオットー1世が相続、アンハルトは末子のベルンハルト3世が相続した。1180年にハインリヒ獅子公が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に帝国追放されて所領が没収された後、ザクセンはベルンハルト3世に与えられ、ザクセンの再領有を果たした。ベルンハルト3世が1212年に亡くなると、2人の息子アルブレヒト1世がザクセンを、ハインリヒ1世がアンハルトを分割相続した。アルブレヒト1世の死後にも分割相続が行われ、2人の息子ヨハン1世とアルブレヒト2世の家系はそれぞれザクセン=ラウエンブルク、ザクセン=ヴィッテンベルクに分かれていった。
一方、ブランデンブルク系は1320年に断絶、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世が姻戚関係(ハインリヒ2世の母方の叔父)からブランデンブルクを領有、数度の変遷を経てホーエンツォレルン家が獲得した。アンハルト系もハインリヒ1世の死後に分割相続となり、小規模な国家群を治めている状態に過ぎなかった。
神聖ローマ帝国は度々二重選挙や対立王の擁立が行われたが、ザクセン=ラウエンブルク系とザクセン=ヴィッテンベルク系も別々の王を支持、対立関係が生じた。最終的に単独のローマ王(1355年に皇帝に即位)となったカール4世は1356年に金印勅書を発布、皇帝選挙権を持つ選帝侯の数を7人に定め、自分の支持者であったザクセン=ヴィッテンベルク系のルドルフ1世をザクセン選帝侯とした。以後、ザクセン=ヴィッテンベルクはザクセン選帝侯領と呼ばれる。なお、ルドルフ1世の息子ヴェンツェルと孫のアルブレヒト3世は一時期ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家(ヴェルフ家)とリューネブルク侯領を巡る遺産相続戦争を起こしてリューネブルク侯領を獲得したが、彼らの死後はブラウンシュヴァイク=リューネブルク家が領有した。
1422年、アルブレヒト3世の死によってザクセン=ヴィッテンベルク系は断絶した。カール4世の次男の神聖ローマ皇帝ジギスムントはヴェッティン家のマイセン辺境伯フリードリヒ4世にザクセン選帝侯領を与えた。ザクセン=ラウエンブルク系も1689年にユリウス・フランツの死で断絶、リューネブルク侯ゲオルク・ヴィルヘルムに奪われ、後に甥で婿のグレートブリテン王兼ハノーファー選帝侯ジョージ1世が相続、ハノーヴァー朝の大陸領に組み込まれた。
こうした中、アンハルト系はアンハルト=ツェルプスト侯ヨアヒム・エルンストが統一、ハインリヒ1世以来の単独のアンハルト領が復活したが、ヨアヒム・エルンストの死後は5人の息子が共同統治した後領土を分割、アンハルトは再び分裂状態になった。長男ヨハン・ゲオルク1世の子孫はアンハルト=デッサウ侯国を統治、プロイセン王国(選帝侯に昇格したブランデンブルクも治めていた)に軍人として仕えた。レオポルト3世は1807年にオーストリア皇帝フランツ1世によってアンハルト公に昇格、孫のレオポルト4世は分裂していたアンハルト諸領を相続、アンハルト領の再統一を果たした。
その後アンハルト公国はドイツ帝国の構成国の1つとなったが、1918年に第一次世界大戦を経てドイツ革命が勃発、最後のアンハルト公ヨアヒム・エルンストは退位してアスカーニエン家のアンハルト統治は終わった。
なお、18世紀のロシア女帝エカチェリーナ2世はアンハルト系の分家に当たるアンハルト=ツェルプスト侯クリスティアン・アウグストと妃ヨハンナ・エリーザベトの娘で、母を通してロマノフ家に縁がある関係で又従兄に当たるピョートル3世と結婚、ロシアへ移り住んだ。1762年にピョートル3世をクーデターで廃位(その後暗殺)して自ら即位、彼女の子孫は1917年にロシア革命で打倒されるまでロシア帝国を統治した。
系図
[編集]参照リンク:信頼できる家系図は、末裔のアンハルト家が所有しているが、その主要な一部がサイトで公開されている[4]。
ブランデンブルク辺境伯
[編集]ブランデンブルク辺境伯、ブランデンブルク=シュテンダル辺境伯
[編集]アーダルベルト1世 | ヒッダ (オストマルク辺境伯オド1世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マティルデ (シュヴァーベン大公ヘルマン2世娘) | エジコ バレンシュテット伯 | ウタ =マイセン辺境伯エッケハルト2世 | オットー1世 ヴァイマル=オーラミュンデ伯 マイセン辺境伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マグヌス ザクセン公 | アーダルベルト2世 バレンシュテット伯 | アーデルハイト | ヘルマン2世 ロートリンゲン宮中伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アイリカ | オットー (裕福伯) バレンシュテット伯 | ジークフリート1世 オーラミュンデ伯 ライン宮中伯 | ゲルトルート (ノルトハイム伯ハインリヒ・デア・フェテ娘) | オットー1世 ザルム伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルブレヒト1世(熊公) ザクセン公 | ジークフリート2世 オーラミュンデ伯 | ヴィルヘルム オーラミュンデ伯 ライン宮中伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユディタ (ポーランド大公ボレスワフ3世娘) | オットー1世 | アーデルハイト | ヘルマン1世 ヴァイマル=オーラミュンデ伯 | ジークフリート ブランデンブルク司教 ブレーメン大司教 | ハインリヒ マグデブルク大聖堂参事会員 | アーダルベルト3世 バレンシュテット伯 | アデルハイト (マイセン辺境伯コンラート1世娘) | ディートリヒ ヴェーベン伯 | ベルンハルト3世 ザクセン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オットー2世 | アルブレヒト2世 | マティルデ (下ラウジッツ辺境伯コンラート娘) | ヴァイマル=オーラミュンデ伯家 | ハインリヒ1世 アンハルト侯 | アルブレヒト1世 ザクセン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マティルデ =ブラウンシュヴァイク公オットー1世 | エリーザベト =チューリンゲン方伯ハインリヒ・ラスペ4世 | ゾフィー (デンマーク王ヴァルデマー2世娘) | ヨハン1世 ブランデンブルク=シュテンダル辺境伯 | ユッタ (ザクセン公アルブレヒト1世娘) | オットー3世 | アンハルト侯家 | ザクセン公家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン2世 | オットー4世 | コンラート | コンスタンツィア (ポーランド公プシェミスウ1世娘) | ヘレナ =ランツベルク辺境伯ディートリヒ | ハインリヒ1世 | アグネス (上バイエルン公ルートヴィヒ2世娘) | アグネス 1=デンマーク王エーリク5世 2=ホルシュタイン伯ゲルハルト2世 | ブランデンブルク=ザルツヴェーデル辺境伯家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン4世 | オットー7世 | ヴァルデマール | アグネス =アンハルト=ツェルプスト侯アルブレヒト1世 | ハインリヒ2世 | ゾフィー =ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公マグヌス1世 | ユーディト =ブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン公ハインリヒ2世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オットー3世 | ベアトリクス (ボヘミア王ヴァーツラフ1世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン3世 | オットー5世 ボヘミア摂政 | ユーディト (ヘンネベルク伯ヘルマン1世娘) | アルブレヒト3世 | マティルデ (デンマーク王クリストファ1世娘) | オットー6世 | ヘートヴィヒ (皇帝ルドルフ1世娘) | クニグンデ 1=スラヴォニア公ベーラ(ハンガリー王ベーラ4世子) 2=リンブルフ公ヴァルラム5世 | メヒティルト =ポメラニア公バルニム1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンナ (皇帝アルブレヒト1世娘) | ヘルマン ヘンネベルク伯 | メヒティルト =ポーランド王ヘンリク4世 | ユーディト =ザクセン選帝侯ルドルフ1世 | ベアトリクス =メクレンブルク侯ハインリヒ2世 | マルガレーテ 1=ポーランド王プシェミスウ2世 2=ラッツェブルク公アルブレヒト3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン5世 | アグネス 1=ブランデンブルク=シュテンダル辺境伯ヴァルデマール 2=ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公オットー温和公 | マティルデ =グウォグフ公ヘンリク4世 | ユッタ =ヘンネベルク伯ハインリヒ8世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アグネス (オーストリア公レオポルト6世娘) | アルブレヒト1世 ザクセン公 | ヘレーネ (ブラウンシュヴァイク公オットー1世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ユッタ =デンマーク王エーリク4世 | ユッタ =ブランデンブルク辺境伯ヨハン1世 | ヘレーネ 1=ヴロツワフ公ヘンリク3世 2=ニュルンベルク城伯フリードリヒ3世 | ヨハン1世 ラウエンブルク公 | インゲボルグ (スウェーデン王ヴァルデマール1世妹) | アルブレヒト2世 ヴィッテンベルク公 | アグネス (皇帝ルドルフ1世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン2世 ラウエンブルク公 | アルブレヒト3世 ラッツェブルク公 | マルガレーテ (ブランデンブルク辺境伯アルブレヒト3世娘) | エーリヒ1世 ラウエンブルク公 | エリーザベト =シュレースヴィヒ公ヴァルデマー4世 | ヘレーネ =シュヴァルツブルク伯ギュンター9世 | ユーディト (ブランデンブルク辺境伯オットー5世娘) | ルドルフ1世 ザクセン選帝侯 | アグネス (リンダウ伯ウルリヒ1世娘) | アンナ 1=マイセン辺境伯フリードリヒ1世子フリードリヒ 2=メクレンブルク侯ハインリヒ2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルブレヒト4世 ベルゲドルフ公 | エーリヒ2世 | クネグンダ (ポーランド王ヴワディスワフ1世娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン3世 | アルブレヒト5世 | エーリヒ3世 | エーリヒ4世 | ゾフィー (ブラウンシュヴァイク公マグヌス2世娘) | ルドルフ2世 | エリーザベト (リューネブルク公ヴィルヘルム2世娘) | オットー | ミエスコ | ヴェンツェル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エーリヒ5世 | ヨハン4世 | ベルンハルト2世 | アルブレヒト3世 リューネブルク公 | ルドルフ3世 | アンナ 1=ヴォルフェンビュッテル侯フリードリヒ1世 2=チューリンゲン方伯バルタザール | アルブレヒト3世 | マルガレーテ =リューネブルク公ベルンハルト1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン5世 | ドロテア (ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ2世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カタリーナ (ヴォルフェンビュッテル公ハインリヒ1世娘) | マグヌス1世 | エリーザベト =グルベンハーゲン公ハインリヒ4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジビッレ (ザクセン公ハインリヒ4世娘) | フランツ1世 | ドロテア =デンマーク王クリスチャン3世 | カタリーナ =スウェーデン王グスタフ1世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゾフィー (スウェーデン王グスタフ1世娘) | マグヌス2世 | マルガレーテ (ポンメルン公フィリップ1世娘) | フランツ2世 | マリア (ヴォルフェンビュッテル公ユリウス娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アウグスト | フランツ・ユリウス | エリーザベト (ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルク娘) | ユリウス・ハインリヒ | アンナ・マグダレネ (ヴィルヘルム・ポペル・フォン・ロブコヴィツ娘) | アグネス (ブランデンブルク選帝侯ヨハン・ゲオルク娘) | フランツ・カール | カタリーナ (ブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムント娘) | フランツ・アルブレヒト | フランツ・ハインリヒ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジビッラ | フランツ・エルトマン | ユリウス・フランツ | ヘートヴィヒ (ズルツバッハ公クリスティアン・アウグスト娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フィリップ・ヴィルヘルム・アウグスト プファルツ選帝侯子 | アンナ・マリア | ジャン・ガストーネ トスカーナ大公 | ジビッラ・アウグスタ | ルートヴィヒ・ヴィルヘルム バーデン=バーデン辺境伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バーデン=バーデン辺境伯家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- ザクセン公
- ザクセン選帝侯
アンハルト侯
[編集]ハインリヒ1世 アンハルト侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マティルダ (ブラウンシュヴァイク公オットー1世娘) | ハインリヒ2世 アッシャースレーベン侯 | ベルンハルト1世 ベルンブルク侯 | ソフィー (デンマーク王アーベル娘) | ジークフリート1世 ツェルプスト侯 | カタリーナ (スウェーデン王ヴァルデマール1世妹) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘートヴィヒ (ヴロツワフ公ヘンリク3世娘) | オットー1世 アッシャースレーベン侯 | ハインリヒ3世 アッシャースレーベン侯 | ヨハン1世 ベルンブルク侯 | アルブレヒト ハルバーシュタット司教 | ベルンハルト2世 ベルンブルク侯 | アルブレヒト1世 ツェルプスト侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オットー2世 アッシャースレーベン侯 | エリーザベト (マイセン辺境伯フリードリヒ・クレム娘) | アグネス (ザクセン=ヴィッテンベルク公ルドルフ1世娘) | ベルンハルト3世 ベルンブルク侯 | ベアトリクス (ザクセン=ヴィッテンベルク公ルドルフ1世娘) | アルブレヒト2世 ツェルプスト侯 | ヴァルデマール1世 ツェルプスト侯 | エリーザベト (ザクセン=ヴィッテンベルク公ルドルフ1世娘) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルンハルト4世 ベルンブルク侯 | ハインリヒ4世 ベルンブルク侯 | オットー3世 ベルンブルク侯 | カタリーナ 1=ヴォルフェンビュッテル侯マグヌス2世 2=リューネブルク公アルブレヒト3世 | ヨハン2世 ツェルプスト侯 | ヴァルデマール2世 ツェルプスト侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルンハルト5世 ベルンブルク侯 | ベルンハルト6世 ベルンブルク侯 | オットー4世 ベルンブルク侯 | ジークムント1世 ツェルプスト侯 デッサウ侯 | アルブレヒト4世 ツェルプスト侯 ケーテン侯 | ヴァルデマール3世 ツェルプスト侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァルデマール4世 デッサウ侯 | ゲオルク1世 デッサウ侯 | ジークムント2世 デッサウ侯 | アルブレヒト5世 デッサウ侯 | ヴァルデマール5世 ケーテン侯 | アドルフ1世 ケーテン侯 | アルブレヒト6世 ケーテン侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァルデマール6世 ケーテン侯 | エルンスト デッサウ侯 | ゲオルク2世 デッサウ侯 | ヨハン3世 ケーテン侯 | マグヌス ケーテン侯 | アドルフ2世 ケーテン侯 | フィリップ ケーテン侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴォルフガング ケーテン侯 | マルガレーテ =ザクセン選帝侯ヨハン | マルガレーテ (ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世娘) | ヨハン4世 デッサウ侯 ツェルプスト侯 | ゲオルク3世 デッサウ侯 プレッツカウ侯 | ヨアヒム デッサウ侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カール ツェルプスト侯 | ヨアヒム・エルンスト アンハルト侯 | ベルンハルト7世 アンハルト侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン・ゲオルク1世 デッサウ侯 | クリスティアン1世 ベルンブルク侯 | アウグスト プレッツカウ侯 | ルドルフ ツェルプスト侯 | ルートヴィヒ1世 ケーテン侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン・カジミール デッサウ侯 | クリスティアン2世 ベルンブルク侯 | フリードリヒ ハルツゲローデ侯 | エルンスト・ゴットリープ プレッツカウ侯 | レープレヒト プレッツカウ侯 ケーテン侯 | エマヌエル プレッツカウ侯 ケーテン侯 | ヨハン6世 ツェルプスト侯 | ヴィルヘルム・ルートヴィヒ ケーテン侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨハン・ゲオルク2世 デッサウ侯 | ヴィクトル1世アマデウス ベルンブルク侯 | ヴィルヘルム・ルートヴィヒ ハルツゲローデ侯 | エマヌエル・レープレヒト ケーテン侯 | ゾフィー (ザクセン=ヴァイセンフェルス公アウグスト娘) | カール・ヴィルヘルム ツェルプスト侯 | ヨハン・ルートヴィヒ1世 ドルンブルク侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レオポルト1世 デッサウ侯 | カール・フリードリヒ ベルンブルク侯 | レープレヒト シャウムブルク=ホイム侯 | レオポルト ケーテン侯 | アウグスト・ルートヴィヒ ケーテン侯 | ヨハン・アウグスト ツェルプスト侯 | マグダレーナ =ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ2世 | ヨハン・ルートヴィヒ2世 ドルンブルク侯 ツェルプスト侯 | クリスティアン・アウグスト ドルンブルク侯 ツェルプスト侯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レオポルト2世 デッサウ侯 | ヴィクトル2世フリードリヒ ベルンブルク侯 | アルベルティーネ (シュヴェート辺境伯アルブレヒト娘) | ヴィクトル1世 シャウムブルク=ホイム侯 | カール・ゲオルク・レープレヒト ケーテン侯 | フリードリヒ・エルトマン プレス侯 | ゾフィー (エカチェリーナ2世) ロシア女帝 | フリードリヒ・アウグスト ツェルプスト侯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レオポルト3世 デッサウ公 | ルイーゼ (ホルシュタイン=プレーン公フリードリヒ・カール娘) | フリードリヒ・アルブレヒト ベルンブルク侯 | カール・ルートヴィヒ シャウムブルク=ホイム侯 | フランツ・アドルフ | フリードリヒ・ルートヴィヒ・アドルフ シャウムブルク=ホイム侯 | アウグスト・クリスティアン・フリードリヒ ケーテン公 | ルートヴィヒ | フェルディナント・フリードリヒ ケーテン公 | ハインリヒ ケーテン公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリードリヒ | アレクシウス・フリードリヒ・クリスティアン ベルンブルク公 | マリー・フリーデリケ (ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世娘) | ヴィクトル2世 シャウムブルク=ホイム侯 | ルートヴィヒ・アウグスト ケーテン公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レオポルト4世 アンハルト公 | フリードリヒ・アウグスト | アレクサンダー・カール ベルンブルク公 | ヘルミーネ =ヨーゼフ・アントン・フォン・エスターライヒ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリードリヒ1世 アンハルト公 | アーデルハイト =ルクセンブルク大公アドルフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
レオポルト | フリードリヒ2世 アンハルト公 | エドゥアルト アンハルト公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヨアヒム・エルンスト アンハルト公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴァイマル=オーラミュンデ伯
[編集]ヘルマン1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジークフリート3世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルブレヒト2世 | ヘルマン2世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
<オーラミュンデ系> ヘルマン3世 | <ヴァイマール系> オットー3世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ3世 | ヘルマン4世 | オットー4世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ4世 | フリードリヒ1世 | ヘルマン6世 (1372年没) | オットー6世 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ5世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オットー10世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヴィルヘルム1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フリードリヒ6世 (1486年没) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出典
[編集]- ^ Codex diplomaticus Anhaltinus (CDA), Teil I, Nr. 337.
- ^ “Haus Anhalt-Askanien”. Bruderschaft der Askanier e. V.. 2023年2月25日閲覧。
- ^ 下津清太郎 編『世界帝王系図集 増補版』近藤出版社、1982年、p.324
- ^ “Der Stammbaum der Askanier”. Bruderschaft der Askanier e. V.. 2023年2月25日閲覧。
- ^ Gerd Heinrich, Berlin und Brandenburg, Kröner, 1985.
- ^ Bernd-Ulrich Hergemöller, "Pfaffenkriege" im spätmittelalterlichen Hanseraum : Quellen und Studien zu Braunschweig, Osnabrück, Lüneburg und Rostock, Böhlau, 1988.