アルボ
自治体庁舎 | |
州 | ガリシア州 |
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県 | ポンテベドラ県 |
コマルカ | ア・パラダンタ |
面積 | 42.9 km² |
標高 | 257m |
人口 | 2,904 人 (2014年) |
人口密度 | 67.69 人/km² |
住民呼称 | arbense |
ガリシア語率 | 51.45% (2011年[1]) |
北緯42度07分 西経8度19分 / 北緯42.117度 西経8.317度座標: 北緯42度07分 西経8度19分 / 北緯42.117度 西経8.317度
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アルボ(Arbo)は、スペイン、ガリシア州ポンテベドラ県の自治体。コマルカ・ダ・パラダンタに属する。ガリシア統計局によると、2010年の人口は3,801人(2009年:3,833人、2004年:4,018人、2003年:4,121人)。住民呼称は男女同形のarbense。
ガリシア語話者の自治体住民に占める割合は51.45%(2011年)。
地理
[編集]アルボはポンテベドラ県の南東部に位置し、コマルカ・ダ・パラダンタに属する。隣接する自治体は、北がア・カニーサ、東がクレセンテ、西がアス・ネベス、そして南がミーニョ川を隔ててポルトガルのメルガーソ(Melgaço)となっている。自治体の中心はアルボ教区のパソ地区[2]。
人口
[編集]アルボの人口推移 1900-2010 |
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[3]、1996年 - [4] |
歴史
[編集]自治体では、新石器時代の石おのが発見されており、現在ポンテベドラの県立博物館に所蔵されている。また、ミーニョ川河畔のサン・ショアン・デ・アルボ地区にはペトログリフが残されている。
アルボについての現存する最古の記録は、アルフォンソ7世によって、サンタ・マリーア・デ・メロン修道院にこの地が寄贈されたことについて記述されている。そして、現在も同修道院の特権、寄贈などに言及するおびただしい数の証文が残されている。
ポルトガル領のメルガソに、川を隔てて隣接するという地理的条件は、しばしば、アルボを直接あるいは間接的に紛争に巻き込むこととなった。フェリーペ4世統治下のポルトガル独立回復戦争、スペイン継承戦争、そしてスペイン独立戦争時の1809年2月には、この地に入るために重要なモウレンタン橋をめぐって、この地の住民とフランス兵との間で衝突が起きている。
経済
[編集]近年、人口の減少が著しいが、いくつかの経済分野においては、伸びている。とくに、ワイン生産の分野においては順調に伸びている。自治体内にはいくつものワイン醸造所がある。この地域の天候は良質の白ブドウ品種アルバリーニョの生産に適しており、D.O.リアス・バイシャスの一翼を担っている。また、その他の分野ではアグリツーリズムが重要分野となっている。
政治
[編集]自治体首長は、ガリシア国民党(PPdeG)のマヌエル・リベーラ・ドミンゲス(Manuel Rivera Domínguez)、自治体評議員はガリシア国民党:6、ガリシア民族主義ブロック(BNG):2、A.I.AR.(Alternativa Independiente de Arbo):2、ガリシア社会主義者党(PSdeG-PSOE):1、となっている(2007年自治体選挙結果)。
教区
[編集]アルボは6の教区に分けられている。太字は自治体中心地区のある教区[2]。
- アルボ(サンタ・マリーア)
- バルセーラ(サン・ショアン)
- カベイラス(サン・セバスティアン)
- セケリーニョス(サン・ミゲル)
- モウレンタン(サン・クリストーボ)
- セラ(サンタ・マリーア)
参考文献・脚注
[編集]- ^ Neira, Carlos (ガリシア語), Evolución no uso do galego por concellos, Praza Pública.
- ^ a b Dicionario Xeográfico Ilustrado de Galicia vol.2、p.72-74、Xeogal Publicacións、2009、ISBN 978-84-613-5811-3
- ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
- ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.