アルマス (シャルルマーニュ伝説)
アルマス(フランス語: Almace[2])は、シャルルマーニュ伝説に登場する大司教テュルパン(またはチュルパン)の剣。11世紀古フランス語の武勲詩『ロランの歌』やその他の武勲詩、それらの翻訳・翻案作品に登場する。
剣名の意味解釈は諸説ある( § 語釈にて後述)。
登場作品と用例
[編集]『ロランの歌』では、テュルパンの剣として登場する[3][4][5]。作中では刃の鋭さが謳われており、一部の日本語訳では「氷の刃」と表現されている[注 1]。異本ではエーグルデュール(Aigredure[注 2][1][6])等とも表記される[7][注 3]。
12世紀末の武勲詩『エイモンの四人の息子』(または『ルノー・ド・モントーバン』)[注 4]では、モージに盗み出される[9]。
13世紀中頃の武勲詩『ジョフロワ』にも登場するが、オートミーズ(Hautemise[注 5])と剣は呼ばれている[10][7]。
北欧サガ版
[編集]13世紀後半に古ノルド語散文で書かれた翻案作品(騎士のサガ)の一つ『カルル大王のサガ』では、アルマツィア(Almacia)の表記で登場する。作中では、カルル大王(=シャルルマーニュ)に献上された三振りの名剣の一つとして登場する。献上した者が語るには、ガラント [12]、すなわちウェイランド・スミス[13]によって7年掛けて鍛えられた業物であるとされる[14]。
カルル大王が鋼鉄を試し斬りして、切れ味が上がっていくのを確かめ、小傷させた剣をクルト(=クルタン, Kurt)、掌幅以上切りこんだのをアルマツィア(=アルマス)、足の長さ半分以上の欠片を切り落としたのをデュルムダリ(=デュランダル, Dyrumdali)と名付けた。またアルマツィアはカルル大王から「異教徒を斬るのに良さそうだ」と評されている[15]。
その後、異教徒と戦うための武器を求めたトゥルピン(=テュルパン, Turpin)に、カルル大王はアルマツィアを下賜した[16]。
語釈
[編集]アルマス "Almace" はフランス語で読み下して "alme hache" つまり 「聖なる斧」の意と解釈できる、とベルギーの言語学者リタ・ルジュンヌは主張した[18]。
しかしながら、アラビア語に語釈を求める説も幾つかある。
例えば「モーセの剣」を意味する"al-Mūsā"(ال ماضي)が元になったと、ヘンリー・カハネ、ルネ―・カハネら夫妻は論じている[注 6]。また、このアラブ語形に最も近いのが『ロランの歌』V4本にある異綴りAlmuceであろうと指摘する[注 7][19][20]。
これを受けて、元はアラビア語の"al-māsu"であり[注 8]、要するにアラビア語で"ダイアモンド"を意味する「アルマス」(ألماس)が本来の名称だろうと、アルヴァロ・ガルメス・デ・フエンテスが反論。固有名詞の由来説には否定的であった[21]。
また異説として、al-māḍī(الماضي) すなわち"切るもの、切れる、鋭利"[注 9]こそがそのアラビア語での剣名だと、ジェイムス・A・ベラミーは主張した。しかしこの語にあるダード(ḍ, ض)の字はサード(ṣ, ص)の字と点の有無しか違わないため、書き違えやすく、そのようにヨーロッパ人によって誤読された、と論ぜられる[注 10][22]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 神沢訳 (1990) など。「氷の刃」は日本の語りものにみられる表現で、『南総里見八犬伝』の刀・村雨に対する表現や、浄瑠璃、活動弁士などに用例がみられる。参考:「抜けば玉散る氷の刃」『デジタル大辞泉』 。コトバンクより2023年3月9日閲覧。;「氷の刃」『精選版 日本国語大辞典』 。コトバンクより2023年3月9日閲覧。。
- ^ 『ロランの歌』P本=パリ本、L本=リヨン本。
- ^ C本(シャトールー本) ではDalmice; V本(ヴェニス写本 IV=ヴェネツィア、国立マルチャーナ図書館Fr. Z. 4写本)も同様にAlmice[8][1]。
- ^ 「ルノー・ド・モントーバン」「エイモンの四人の息子」の表記はゴーティエ & 武田編訳 (2020), p. 324にみられる。
- ^ 『Gaufrey』、5087-88行目。
- ^ これは両氏のデュランダル語源説と関連している。ギリシア語魔術パピルスにみえる「ダルダノスの剣」がデデュランダルの剣の語源とみており、これを模してヘブライ語でも「モーセの剣」Ḥarba de-Moshe( חרבאדמשה)という表現/文書が確立したと主張する。
- ^ V4本=ヴェネツィア、国立マルチャーナ図書館Fr. Z. 4写本。V本と異なり、こちらはフランコ=イタリア語(またはフランコ=ヴェネト語)で書かれている。
- ^ 語尾"-u"は発音上、落とされる。古典アラビア語では記すが、通常会話では抑制された、と説明される。
- ^ "(the) cutter, cutting, sharp".
- ^ アラブ人ならば、仮に点が省略されたしても(「ダ行」を「サ行」音に変えてしまうと意味不明になるため)自己訂正して読めるが、ロマンス諸語の読者は惑わされ(「アル=マディ(?)」を「アル=マシ(?)」と読んでしまう)と説く。また、アラビア語の「サード ṣ」の字は、古スペイン語や古フランス語化するとき"ç"に置き換えられるが、これはかつて両語で「ツ ts」音で発音された[22]。
出典
[編集]- ^ a b c Stengel ed. (1900), p. 225.
- ^ 『ロランの歌』O本=オックスフォード本の表記[1]。
- ^ 有永訳 1965.
- ^ 神沢訳 1990.
- ^ Gautier 1872, vol. 1, p. 166, 第156節、2089行目。 “Deuxième partie/Texte” (フランス語), La Chanson de Roland, ウィキソースより閲覧。 [スキャンデータ]。原文:
Il trait Almace, s’espée d’ acer brun, / En la grant presse mil colps i fiert e plus ;
(引用は2089-2090行目、強調は引用者による) - ^ Foerster ed. (1886), p. 113
- ^ a b Langlois (1904) Table des noms, s.v. "Almice": "Épée de Turpin. R 2089 (var. Almace, Dalmuçe, Aigredure). -- Autemise. RM 306. -- Hautemise. Ga 154。Rは校訂版『ロランの歌』(Stengel ed. (1900))、RMは『ルノー・ド・モントーバン』(Michelant編、1862刊)、Gaは『ジョフロワ』(Gaufrey、Guessard & Chabaille (1859))の略称。
- ^ Foerster ed. (1883), p. 184
- ^ Gautier 1872, vol. 2, p. 169, Vers 2089. - Almace. “Notes et variantes” (フランス語), La Chanson de Roland, ウィキソースより閲覧。 [スキャンデータ]
- ^ Kibler, William; Chabaille, P., eds (1859). Gaufrey: Chanson de geste publiée pour la première fois d’après le manuscrit unique de Montpellier. Paris. p. 154
- ^ Langlois (1904) Table des noms, s.v. "Galant (2)"
- ^ ガラン[ト](Galant)とはフランス文学における伝説的鍛冶[11]。
- ^ Hieatt tr. (1975a), p. 132(第43章)注2
- ^ 『カルル大王のサガ』第1枝篇第43章。Unger (1860), p. 40。heimskringla.no版。Hieatt tr. (1975a), p. 132。Togeby et al. (1980) Chapitre 40, pp. 88–89
- ^ 『カルル大王のサガ』第1枝篇第44章。Unger (1860), p. 40。heimskringla.no版。Hieatt tr. (1975a), p. 133。Togeby et al. (1980) Chapitre 41, p. 89
- ^ 『カルル大王のサガ』第1枝篇第58章。Unger (1860), p. 48。heimskringla.no版。Hieatt tr. (1975a), p. 155。Togeby et al. (1980) Chapitre 55, pp. 103–104
- ^ Lejeune, Rita (1950), “Les noms d'épées dans la Chanson de Roland”, Mélanges de linguistique et de littérature Romances, offerts à Mario Roques (Bade (Baden-Baden): Éditions Art et Science): pp. 161–162
- ^ Lejeune (1950), p. 162[17]; Bellamy (1987a), p. 272, n34に引用。
- ^ Kahane, Henry (February 1959), “Magic and Gnosticism in the 'Chanson de Roland'”, Journal of the American Oriental Society 12 (3, Charles H. Livingston Testimonial): 218, JSTOR 44939010: reprinted in: Kahane, Henry; Kahane (1981), Graeca Et Romanica Scripta Selecta, Hakkert, p. 155
- ^ Cf. Galmés de Fuentes (1972), p. 238
- ^ Galmés de Fuentes, Álvaro (1972), “« Les nums d'Almace et cels de Durendal » (Chanson de Roland, v.2143). Probable origen árabe del nombre de las dos famosas espadas”, Studia hispanica in honorem R. Lapesa (Madrid: Cátedra-Seminario Menéndez Pidal) 1: pp. 238–239
- ^ a b Bellamy (1987a), p. 273, Bellamy (1987b), p. 255
参考文献
[編集]- ロランの歌
- 有永弘人 訳『ロランの歌』岩波書店〈岩波文庫〉、1965年。ISBN 4-00-325011-7。
- 神沢栄三 訳「ロランの歌」『フランス中世文学集1 信仰と愛と』白水社、1990年。ISBN 9784560046005。
- Gautier, Léon, ed (1872). La Chanson de Roland. Tours: Alfred Mame et fils (Wikisource版)
- Foerster, Wendelin, ed (1883). Das altfranzösische Rolandslied. Text von Châteauroux und Venedig VII. Altfranzösische Bibliothek, VI. Helbronn: Verlag von Gebr[üder] Henniger
- Foerster, Wendelin, ed (1886). Das altfranzösische Rolandslied. Text von Paris, Cambridge, Lyon und den sog. Lothringischen Fragmenten, mit R. Heiligbrodt’s Concordanztabelle zum altfranzösichen Rolandslied. Altfranzösische Bibliothek, VII. Helbronn: Verlag von Gebr[üder] Henniger
- Stengel, E., ed (1900). Das altfranzösische Rolandslied. Kritische Ausgabe Hand I. Text, Variantenapparat und vollständiges Namenverzeichniss.. Leipzig: Theodor Weicher
- カルル大王のサガ
- Aebischer, Paul (1972) (フランス語 [訳本]). Textes norrois et littérature française du Moyen Age: La première branche de la Karlamagnus saga. Traduction complète du texte en narrois, pécédée d'une intruduction et suivie d'un index des noms propres. Textes norrois et littérature française du Moyen Age. Vol 2.. Genève: Droz
- Unger, Carl Richard, ed (1860). Karlamagnús saga ok kappa hans. Christiania: Trykt hos H.J. Jensen (IArchive版; heimskringla.no版)
- Translated by Hieatt, Constance B. (1975a). Karlamagnús saga: The Saga of Charlemagne and his heroes. 1. Toronto: Pontifical Institute of Mediaeval Studies. ISBN 0-88844-262-9
- Togeby, Knud; Halleux, Pierre; Loth, Agnete, eds (1880) (古ノルド語、フランス語 [対訳本]). Karlamagnús saga: branches I, III, VII et IX. Traduction française par Annette Patron-Godefroit. Société pour l'étude de langue et de la littérature danoises. ISBN 9788774212614
- その他
- レオン・ゴーティエ 著、武田秀太郎 訳『騎士道』中央公論新社、2020年。ISBN 978-4-12-005259-0。
- Bellamy, James A. (April–June 1987a), “Arabic Names in the Chanson De Roland: Saracen Gods, Frankish Swords, Roland's Horse, and the Olifant”, Journal of the American Oriental Society 107 (2): 267–277, JSTOR 602835
- Bellamy, James A. (Fall & Winter 1987b), “A Note on Roland 609-10”, Olifant 107 (3 & 4): 247–257
- Fritzner, Johan [in 英語] (1867). Ordbog over dut gamle norske Sprog (古ノルド語、ノルウェー語(ニーノシュク)). Kristiania: Snilberg & Landmarkn.
- Langlois, Ernest [in 英語] (1904). Table des noms propres de toute nature compris dans les chansons de geste. Paris: Émille Bouillon.