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アリョーナ・ボンダレンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アリョーナ・ボンダレンコ
Alona Bondarenko
アリョーナ・ボンダレンコ
基本情報
フルネーム Alona Volodymyrivna Bondarenko
国籍  ウクライナ
出身地 同・クリヴィー・リフ
生年月日 (1984-08-13) 1984年8月13日(40歳)
身長 168cm
体重 59kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1999年
ツアー通算 6勝
シングルス 2勝
ダブルス 4勝
生涯獲得賞金 2,785,303 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(2010)
全仏 3回戦(2010)
全英 3回戦(2005・07・10)
全米 3回戦(2007・08・10)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(2008)
全仏 ベスト4(2008)
全英 2回戦(2007)
全米 3回戦(2008)
優勝回数 1(豪1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 19位(2008年4月14日)
ダブルス 11位(2008年9月29日)
2017年10月18日現在

アリョーナ・ボンダレンコAlona Bondarenko, ウクライナ語: Альона Володимирівна Бондаренко, 1984年8月13日 - )は、ウクライナ・クリヴィー・リフ出身の女子プロテニス選手。2人の姉妹、バレリア・ボンダレンコ(1982年生まれ)とカテリナ・ボンダレンコ1986年生まれ)とともに「3人姉妹のプロテニス選手」として活動した。2008年全豪オープン女子ダブルスで、アリョーナとカテリナの姉妹ペアが初優勝を飾り、ウクライナ出身のテニス選手として史上初の4大大会優勝を達成した。3人姉妹の次女であるアリョーナは、これまでにWTAツアーでシングルス2勝、ダブルスで2008年全豪オープンを含む4勝を挙げ、シングルス自己最高ランキングでウクライナ女子選手の最高位を更新した。

来歴

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ボンダレンコ家の3姉妹は、ともにテニスコーチである両親の手ほどきでテニスを始めた。次女のアリョーナは1999年に15歳でプロ入りし、2002年に女子テニス国別対抗戦・フェドカップウクライナ代表選手に初選出された。アリョーナは2003年全豪オープンから4大大会の予選会に挑戦を始めたが、2年後の2005年全豪オープンにようやく本戦初出場を果たし、この年のウィンブルドンナタリー・ドシーとの3回戦まで勝ち進んだ。2006年、ボンダレンコはWTAツアーでシングルス・ダブルスとも初優勝を飾り、ダブルスで5月のトルコイスタンブール大会を制した後、シングルスでも10月初頭のルクセンブルク大会で初めてのタイトルを獲得した。

2007年全豪オープンで、アリョーナ・ボンダレンコは初めて「第29シード」を与えられ、3回戦でキム・クライシュテルスに敗退した。全仏オープンは2回戦で止まったが、ウィンブルドンで2年ぶり2度目の3回戦に進み、第15シードのパティ・シュナイダーに 4-6, 6-3, 6-8 で競り負けた。ウィンブルドン選手権終了後、ボンダレンコは7月23日付でシングルス自己最高ランキング「21位」をマークし、それまでナタリア・メドベデワアンドレイ・メドベデフの姉)が持っていた、ウクライナ女性としての女子テニスツアー最高ランキング「23位」を更新した。全米オープンでは、3回戦でビーナス・ウィリアムズに敗れている。

2008年全豪オープンで、第21シードのボンダレンコはシングルス2回戦でキャロライン・ウォズニアッキに敗れたが、妹のカテリナと組んだダブルスで活躍する。姉妹ペアは準々決勝で第1シードのリーゼル・フーバー&カーラ・ブラックを 6-3, 6-2 のストレートで破ると、準決勝でビルヒニア・ルアノ・パスクアル&アナベル・メディナ・ガリゲス組に勝ち、決勝戦ではビクトリア・アザレンカ&シャハー・ピアー組に 2-6, 6-1, 6-4 の逆転勝利を収めた。

全豪オープン優勝後、アリョーナとカテリナは全仏オープンでも女子ダブルスのベスト4に入った。8月の北京五輪で、アリョーナとカテリナは女子ダブルス準決勝でビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹組と顔を合わせ、“姉妹ペア対決”に 6-4, 4-6, 1-6 で逆転負けしたため、準決勝敗退ペア2組による「銅メダル決定戦」に回った。2人は銅メダル決定戦で地元中国ペアの鄭潔&晏紫組に 2-6, 2-6 で完敗し、女子ダブルスのメダルを逃した。アリョーナはシングルス2回戦でセルビアエレナ・ヤンコビッチに 5-7, 1-6 で敗れた。

2010年1月のホバート大会の決勝でシャハー・ピアーを 6–2, 6–4 で破りシングルス2勝目を挙げた。全豪オープンで、アリョーナは初めてシングルスの4回戦に進み、鄭潔に 6-7(5-7), 4-6 のスコアで敗れて8強入りを逃した。

アリョーナは2011年10月のクレムリン・カップ1回戦でボヤナ・ヨバノフスキに敗れた試合を最後に、公式試合から遠ざかり2015年に第1子の長男を出産した[1]。2016年8月からツアーに復帰し下部大会を転戦している。

WTAツアー決勝進出結果

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シングルス: 5回 (2勝3敗)

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大会グレード
2008年以前 2009年以後
グランドスラム (0–0)
WTAファイナルズ (0–0)
ティア I (0–0) プレミア・マンダトリー (0-0)
プレミア5 (0-0)
ティア II (1-1) プレミア (0–1)
ティア III (0–0) インターナショナル (1–0)
ティア IV & V (0–1)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2005年2月12日 インドの旗 ハイデラバード ハード インドの旗 サニア・ミルザ 4–6, 7–5, 3–6
優勝 1. 2006年9月25日 ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク ハード (室内) イタリアの旗 フランチェスカ・スキアボーネ 6–3, 6–2
準優勝 2. 2007年5月6日 ポーランドの旗 ワルシャワ クレー ベルギーの旗 ジュスティーヌ・エナン 1–6, 3–6
準優勝 3. 2009年5月23日 ポーランドの旗 ワルシャワ クレー ルーマニアの旗 アレクサンドラ・ドゥルゲル 6–7, 6–3, 0–6
優勝 2. 2010年1月16日 オーストラリアの旗 ホバート ハード イスラエルの旗 シャハー・ピアー 6–2, 6–4

ダブルス: 6回 (4勝2敗)

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結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2006年5月27日 トルコの旗 イスタンブール クレー ベラルーシの旗 アナスタシア・ヤキモワ インドの旗 サニア・ミルザ
オーストラリアの旗 アリシア・モリク
6–2, 6–4
優勝 2. 2008年1月26日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード ウクライナの旗 カテリナ・ボンダレンコ ベラルーシの旗 ビクトリア・アザレンカ
イスラエルの旗 シャハー・ピアー
2–6, 6–1, 6–4
優勝 3. 2008年2月10日 フランスの旗 パリ ハード
(室内)
ウクライナの旗 カテリナ・ボンダレンコ チェコの旗 ブラディミラ・ウーリロバ
チェコの旗 エバ・ハルディノバ
6–1, 6–4
準優勝 1. 2009年1月16日 オーストラリアの旗 ホバート ハード ウクライナの旗 カテリナ・ボンダレンコ アルゼンチンの旗 ヒセラ・ドゥルコ
イタリアの旗 フラビア・ペンネッタ
2–6, 6–7(4)
準優勝 2. 2009年7月6日 ハンガリーの旗 ブダペスト クレー ウクライナの旗 カテリナ・ボンダレンコ ロシアの旗 アリサ・クレイバノワ
ルーマニアの旗 モニカ・ニクレスク
4–6, 6–7(5)
優勝 4. 2009年7月13日 チェコの旗 プラハ クレー ウクライナの旗 カテリナ・ボンダレンコ チェコの旗 イベタ・ベネソバ
チェコの旗 バルボラ・ザフラボバ・ストリコバ
6–1, 6–2

4大大会シングルス成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 通算成績
全豪オープン LQ LQ 1R 1R 3R 2R 3R 4R A 8–6
全仏オープン LQ LQ 1R 1R 2R 1R 1R 3R 1R 3–7
ウィンブルドン LQ LQ 3R 1R 3R 2R 1R 3R 1R 7–7
全米オープン LQ LQ 1R 2R 3R 3R 2R 3R 1R 8–7

脚注

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外部リンク

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