イツセイ
イツセイ | |
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現役期間 | 1950年 - 1952年 |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1948年 |
死没 | 不明(1966年2月廃用) |
父 | セフト |
母 | レボアモンド |
母の父 | レイモンド |
生国 | 日本・北海道浦河町 |
生産者 | 鎌田三郎 |
馬主 | 岩崎利明 |
調教師 | 尾形藤吉(東京) |
競走成績 | |
生涯成績 | 32戦21勝 |
獲得賞金 | 6,338,150円 |
イツセイとは、日本のサラブレッド競走馬である。1951年当時、安田賞の名称だった安田記念の初代優勝馬。同世代の著名馬には、トキノミノル・ミツハタ・トラツクオーらがいる。
なお、全32戦、芝コースで出走した。
略歴
[編集]1950年
[編集]11月5日の未出走(東京競馬場、以下 東京)がデビュー戦となったが1着。その後2戦も勝ち、12月10日の朝日杯3歳ステークス(中山競馬場、以下 中山)では、デビュー以来5連勝中のトキノミノルとの全勝対決となったが、トキノミノルに4馬身差をつけられ2着に終わった。当年の戦績は5戦4勝。
1951年
[編集]3月18日の4歳A特別(中山、1着)から始動。そしてこのレース以降、保田隆芳が主戦騎手として手綱をとることになった。その後1着2回、2着2回の戦績を経て[1]、5月13日の皐月賞(中山)へと挑んだが、またしてもトキノミノルに2馬身差の2着に甘んじた。続く6月3日の東京優駿(東京)では1馬身4分の1と、最も着差が縮まったものの、結局トキノミノルの2着に甘んじた。
ところが6月20日、トキノミノルが破傷風で急逝。これにより、トキノミノルに替わる同世代ナンバーワンという声が高くなるが、実績は必ずしもその通りにはならなかった。
東京優駿の後、7月1日の第1回安田賞(現在の安田記念。東京、1600m)で、1分38秒0のレコード勝ちを収めたレースを含め4連勝(内レコード勝ち2回)を果たしたが、2500mの距離で行われた9月23日の毎日王冠(東京)では、同世代のミツハタに敗北。しかし続く9月30日の優勝(東京、2000m)では、当年の天皇賞・秋優勝馬となるハタカゼに7馬身の差をつけ、2分04秒0のレコード勝ち。さらに10月14日のカブトヤマ記念(中山)ではミツハタに5馬身の差をつけ、11月3日に行われる菊花賞(京都競馬場)へ向けて弾みをつけた。しかし菊花賞では圧倒的1番人気に支持されたものの、勝ち馬のトラツクオー、2着のサチホマレに6馬身も離される3着とまさかの完敗。さらにこの一戦で初めて、3着以下の着順に甘んじた。その後いずれも2400mの距離で行われた11月25日のセントライト記念(東京、2着)、12月9日の中山特別(中山、6着)では、ともにミツハタの前に敗れた。
1952年
[編集]3月10日の特ハン(東京)から始動。このレースを含め以後5連勝を果たしたが、西下はしなかった。5月18日の東京杯(現在の東京新聞杯。東京、当時2400m)では1番人気に支持され、当年の春の天皇賞を勝ったばかりのミツハタと対決。しかしミツハタにレコードタイムで駆けられて2着に終わり、またしても2000mを超える距離で勝てなかった。その後最後のレースとなる7月5日のオープン(東京、1着)まで4戦して3勝したが、ついに2000mを超える距離では勝つことができなかった。
一方で、レコード勝ちは通算4回マークしており、これに関連してライバルのミツハタに騎乗していた渡辺正人は、『いや〜(イツセイは)速かった。』と、後に述懐している[2]。
引退後
[編集]引退後は北海道日高地方で種牡馬となり、1958年の皐月賞馬タイセイホープの他、1959年の春の京都記念を勝ったイリユウなどを輩出。同世代のライバルだったミツハタやトラツクオーは種牡馬時代、特筆すべき産駒を出しておらず、種牡馬として同世代では最も実績を残している。その後は、青森県や岩手県に流れ、1966年2月に用途変更。
エピソードなど
[編集]父系2代父のテトラテマや、同じく3代父のザテトラークの勝利実績がマイルまでの距離に偏っているため、大川慶次郎が自身の著書で、『イツセイの血統では、2000mを超える距離は基本的に持たない。』と述懐しており、実際にイツセイの2000m以下での戦績はトキノミノルの2着4回以外は全て勝利している。
競走成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
1950年 未出走(1着)、10万下(1着)、オープン(1着)、朝日杯3歳S(2着)、オープン(1着)
1951年 4歳A特別(1着)、4歳選抜H(2着)、オープン(1着)、オープン(2着)、優勝(1着)、皐月賞(2着)、東京優駿(2着)、4歳特別(1着)、オープン(1着)、安田賞(1着)、オープン(1着)、毎日王冠(2着)、優勝(1着)、カブトヤマ記念(1着)、菊花賞(3着)、セントライト記念(2着)、中山特別(6着)
1952年 特ハン(1着)、優勝(1着)、オープン(1着)、優勝(1着)、オープン(1着)、東京杯(2着)、オープン(1着)、中山S(1着)、目黒記念・春(3着)、オープン(1着)
血統表
[編集]イツセイの血統 ヘロド系 / 【インブリード】Sundridge 4×5、Ayrshire 5*5(父系) | (血統表の出典) | |||
父 *セフト Theft 1932 鹿毛 |
父の父 Tetratema1917 芦毛 |
The Tetrarch | Roi Herode | |
Vahren | ||||
Scotch Gift | Symington | |||
Maund | ||||
父の母 Voleuse1920 鹿毛 |
Volta | Valence | ||
Agnes Velasques | ||||
Sun Worship | Sundridge | |||
Doctorine | ||||
母 レボアモンド 1937 鹿毛 |
*レイモンド 1930 鹿毛 |
Gainsborough | Bayardo | |
Rosedrop | ||||
Nipisiquit | Buchan | |||
Herself | ||||
母の母 レボア1922 鹿毛 |
*イボア | Hackler | ||
Lady Gough | ||||
第二レインボウ | *ブレアーモアー | |||
*レインボウ |
脚注
[編集]- ^ ちなみに、2着となった2つのレースの勝ち馬は、いずれもトキノミノルである。
- ^ メルボルン二世の思い出の中の地方競馬 - 2010年8月27日付記事