オリアナ (初代)
オリアナ | |
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基本情報 | |
船種 | オーシャンライナー、クルーズ客船 |
船籍 | イギリス |
所有者 | P&O |
運用者 | P&O |
建造所 | ヴィッカース・アームストロング |
IMO番号 | 5264742 |
経歴 | |
起工 | 1956年9月18日 |
進水 | 1959年11月3日 |
竣工 | 1960年12月3日 |
引退 | 1986年 |
最後 | 2005年、 中国で解体 |
要目 | |
総トン数 | 41,910 トン |
全長 | 245.1 m |
全幅 | 30.5 m |
機関方式 | 蒸気タービン |
主機関 | 2基 |
出力 | 80,000 馬力 |
最大速力 | 30.64 ノット |
航海速力 | 27.5 ノット |
旅客定員 |
2,000名(定期航路) 1,750名(クルーズ) |
オリアナ(SS Oriana)は、1960年に就航したイギリスP&O社の客船。イギリス・オーストラリア間の定期航路やオーストラリア周辺のクルーズに用いられた。また、引退後の1987年からは大分県別府市の別府港に係留され、フローティング・ミュージアムとして営業した。
船歴
[編集]オーシャン・ライナーとして
[編集]オリアナは、P&O社の最後のオーシャン・ライナーである。イギリス・ランカシャーにあるヴィッカー・アームストロング社バロウ・イン・ファーネス造船所で建造され、1959年11月3日に進水した。オリアナという名は、イギリス女王エリザベス1世の雅名である。
オリアナの処女航海は、1960年12月、サウサンプトンからシドニーまでであった。オリアナは、当時、イギリスとオーストラリア、ニュージーランド間に就航していた中で、最大かつ最速の客船であった。大きさでは、直後の1961年に就航したキャンベラにその座を譲ったが、速力では、引退する1986年までP&Oの船団の中で最速を保った。
日本へは1963年4月に初めて寄港した。また、1964年の東京オリンピックの際には、横浜港に停泊し海上ホテルとして使用された。
クルーズ船として
[編集]1973年以降、オリアナはクルーズ船に転用され、1981年から引退する1986年3月まで、シドニーを本拠地としていた。
日本へ
[編集]引退から2か月後の1986年5月、大和ハウス工業が設立したロイヤル海洋観光がオリアナを購入。オリアナは大阪に回航されて改装を受けた。フローティング・ホテルとしての営業も検討されたが、改装費や別府旅館組合など反対からミュージアムとして営業することとなり、1987年8月1日に大分県別府市の別府港でマリーン・ミュージアム SSオリアナとしてオープンした。
オリアナの優雅な船体は別府港のシンボルとして親しまれたが、入場料設定が高かったため、初年度の入場者は目標の120万人に対して80万人にとどまった。1993年度には入場者が目標の6分の1に過ぎない22万人にまで落ち込むなど、営業的には成功を収めることはできず、1994年10月24日、ロイヤル海洋観光は1995年3月に営業を終了することを発表。営業終了にあたって船体を大分県、別府市に寄贈すると申し出た[1]。大分県、別府市側では活用の目途が立たないことから、この申し出が受け入れられることはなかった。
中国へ
[編集]その後、売却先として中国やドイツ、イギリスから打診があったが、公的機関として現状変更をせず長く使うという点から、中国の湖北省秦皇島港港務局への売却が決まった。1995年7月17日、オリアナは「さようなら ありがとう」と書かれた垂れ幕を掲げて別府湾を離れ、中国へ曳航された[2]。中国では秦皇島でレストラン船「奥麗安婦」として営業されていたが、1998年末に上海港で再塗装を施され[3]、翌1999年にオリアナ号豪華客船博物館として営業を再開した。さらに2002年からは大連の星海湾公園で大連オリアナ海上主題公園(テーマパーク)として営業していたが、2004年6月16日夜、台風6号の影響下の暴風雨のため船体が傾き浸水[4]。修復不能と判断され、2005年に解体された。
オリアナの名は、1995年に就航したP&O社のクルーズ客船「オリアナ」に受け継がれた。