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オーウェン・ハーグリーヴス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーウェン・ハーグリーヴス
名前
本名 オーウェン・リー・ハーグリーヴス
Owen Lee Hargreaves
ラテン文字 Owen HARGREAVES
基本情報
国籍 イングランドの旗 イングランド
カナダの旗 カナダ
ウェールズの旗 ウェールズ
生年月日 (1981-01-20) 1981年1月20日(43歳)
出身地 カナダの旗 カナダ カルガリー
身長 180cm[1][2]
体重 76kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
1994–1997 カナダの旗 カルガリー・フットヒルズ
1997–1999 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2001 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘンII 26 (6)
2000-2007 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 145 (5)
2007-2011 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 27 (2)
2011-2012 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 1 (0)
通算 202 (14)
代表歴2
1998 ウェールズの旗 ウェールズ U-19 3 (0)
2000-2001 イングランドの旗 イングランド U-21 3 (0)
2006 イングランドの旗 イングランド B 1 (0)
2001-2008 イングランドの旗 イングランド 42 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年4月16日現在。
2. 2015年4月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オーウェン・リー・ハーグリーヴス英語: Owen Lee Hargreaves1981年1月20日 - )は、カナダアルバータ州カルガリー出身の元イングランド代表サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

ジョー・ベイカー以来史上二人目のイングランドでプレーせずにイングランド代表になったサッカー選手である。

来歴

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クラブ

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ボルトン・ワンダラーズFCの下部組織でサッカー経験のあるイングランド人の父親とウェールズ人の母親の下、カナダに生まれる。

カナダのクラブチームでのプレーを経て、1997年にドイツ・ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘンに入団。当時の監督オットマー・ヒッツフェルトに重用され2000-01シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝第2戦で出場停止のシュテファン・エッフェンベルクの代役として出場し、一躍注目を浴びる。翌2001-02シーズンには早くもレギュラーを獲得し、以降地位を確立した。

バイエルン・ミュンヘンとの契約は2010年まで残っていたが、マンチェスター・ユナイテッドFCアレックス・ファーガソン監督が以前からハーグリーヴスに獲得の意志を見せ、さらにハーグリーヴス自身も移籍願望を口にしていた。2007年5月31日、約1年にわたるバイエルン・ミュンヘンとマンチェスター・ユナイテッド間の交渉を経て、約1700万ポンドの移籍金で2007年7月1日にマンチェスター・ユナイテッドに移籍することを発表した[3]

2007-08シーズンはマンチェスター・シティFCとのマンチェスターダービーでプレミアリーグデビューを飾ると、3月1日のフルハム戦ではフリーキックを直接決めプレミアリーグ初ゴールを記録。そのユーティリティ性からさまざまなポジションを任され、チームのリーグ、CL制覇に貢献した。

2008-09シーズンは膝の度重なる怪我に悩まされ、9月に戦線離脱。11月には右膝、翌2009年1月には左膝の手術を行った。以降も復帰が近づくたびに故障を再発し、2009-2010年シーズンの終盤、サンダーランドAFC戦の数分間のプレーでようやくグラウンドに帰ってきた。しかし、手術後初先発となった2010-2011年シーズンのウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC戦において、開始わずか10分でハムストリングを痛め負傷交代。マンチェスター・ユナイテッドFCでの公式戦出場はわずか39試合にとどまった。

その後マンUからフリートランファーとなり11-12シーズン、移籍期間終了直前にライバルクラブのマンチェスター・シティFCに移籍した[4]。シティでのリーグデビューは10月15日にホームで行われたアストン・ヴィラ戦である。4-1と大きくリードした後半32分にアダム・ジョンソンと交代し出場。僅かな時間ながら約1年ぶりのピッチを踏みしめた。マンチェスター・シティとの契約終了後、クイーンズ・パーク・レンジャーズFCでトレーニングを行っていたがクラブとの契約は無く、現役を引退。

代表

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ウェールズ人の母とイギリス人の父の間にカナダで生まれたハーグリーヴスは、イングランド、ウェールズ、カナダのいずれかの国で代表選手としてプレーする資格を持っていた[5]。 ハーグリーヴスがイングランドでプレーすることを選んだことで、カナダのサッカーファンの怒りを買った[6][7][8]。 あるファンサイトでは、2010年にバンクーバー・ホワイトキャップスがハーグリーヴスに声をかけた後[9]、MLSに所属するカナダの3チーム(モントリオール・インパクトトロントFC、バンクーバー・ホワイトキャップス)がハーグリーヴスと契約しないことを要求するほどだった[10] 。 イングランド代表デビューは2001年8月15日のオランダ戦。その後代表にはコンスタントに招集され、2002年ワールドカップEURO20042006年ワールドカップにも出場を果たしている。

エピソード

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代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 42試合 0得点(2001年-2008年)[14]


イングランド代表国際Aマッチ
出場得点
2001 2 0
2002 8 0
2003 5 0
2004 9 0
2005 5 0
2006 8 0
2007 2 0
2008 3 0
通算 42 0

獲得タイトル

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クラブ

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バイエルン・ミュンヘン
マンチェスター・ユナイテッド
マンチェスター・シティ

個人

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  • ブラヴォー賞 : 2001
  • U-21ヨーロッパ年間最優秀選手 : 2001
  • イングランド年間最優秀選手 : 2006

脚注

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  1. ^ Owen Hargreaves”. Manchester United. 16 June 2011閲覧。
  2. ^ Player Profile: Owen Hargreaves”. Premier League. 16 June 2011閲覧。
  3. ^ “Hargreaves completes Man Utd move”. BBC Sport. (1 July 2007). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/m/man_utd/6707995.stm 1 July 2007閲覧。 
  4. ^ MARCA.COM Hargreaves 'se rompe' en seis minutos 2010年11月6日 19:48
  5. ^ "Wales under-21 squad blow”. bbc.co.uk (23 August 2000). 14 July 2021閲覧。
  6. ^ Berrisford, Russell (1 August 2011). “How Owen Hargreaves Became The Sarah Palin Of Canadian Soccer”. soccerreportextra.com. 3 January 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2 January 2014閲覧。
  7. ^ Bucholtz, Andrew (6 July 2011). “Owen Hargreaves' unconventional team search inspires parodies”. ca.sports.yahoo.com. 2 January 2014閲覧。
  8. ^ Johnston, Ryan (15 October 2011). “Sportsnet magazine: Rebuilding Hargreaves”. sportsnet.ca. 2 January 2014閲覧。
  9. ^ Massey, Benjamin (23 September 2010). “The Whitecaps Will Not Sign Owen Hargreaves (Good.)”. eightysixforever.com. 2 January 2014閲覧。
  10. ^ Monaghan, Matt (22 September 2010). “Vancouver Whitecaps prepared to lure Manchester United midfielder Owen Hargreaves back to Canada”. goal.com. 2 January 2014閲覧。
  11. ^ Owen Hargreaves
  12. ^ Patrick Milchraum
  13. ^ Allianz Arena
  14. ^ オーウェン・ハーグリーヴス - National-Football-Teams.com

外部サイト

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