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オールスター夢の球宴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オールスター夢の球宴
ジャンル 特別番組スポーツバラエティ番組
出演者 芸能人多数
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
制作 フジテレビ
放送
放送チャンネルフジテレビ系列
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
第1期
司会者土居まさる
放送期間1971年3月25日 - 1978年3月28日
放送時間別項
放送枠テレビグランドスペシャル(*1 - *3)
火曜ワイドスペシャル(*4 - *12)
放送分86分→85分→84分
回数12回
第2期
放送期間1981年3月17日 - 1990年11月30日
放送時間別項
放送枠火曜ワイドスペシャル(*13 - *16、*18、*19)
金曜おもしろバラエティ(*17、*20、*21)
金曜ファミリーランド(*22)
放送分84分
回数10回
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オールスター夢の球宴』(オールスターゆめのきゅうえん)は、1971年 - 1978年1977年は除く)および1981年 - 1990年の2期に渡ってフジテレビ系列で放送された特別番組スポーツバラエティ番組)である。通算22回(12回+10回)。

概要

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オールスター紅白大運動会』(以降『大運動会』)と『オールスター紅白水泳大会』(以降『水泳大会』)に続く、フジテレビの芸能人対抗スポーツバラエティ番組で、芸能人が2チームに分かれて野球の試合を行う番組。1978年まで継続後、フジテレビが結成した女子野球チーム「ニューヤンキース」の試合中継『オールスター対抗!女子野球大会』→『激突!女子野球』のため一旦中断し、1981年から再開した。

開始当初は木曜日の『テレビグランドスペシャル』(以降『TGSP』)で放送、それも春・夏・秋の年3回放送だったが、翌1972年に早くも夏を廃止し放送枠を『火曜ワイドスペシャル』(以降『火WSP』)に移動、1975年からは年1回に変更、再開後は引き続き『火WSP』で放送したが、後に金曜日の『金曜おもしろバラエティ』(以降『金OV』)→『金曜ファミリーランド』(以降『金FL』)で放送した。

収録は一貫して首都圏の野球場で、第1期は明治神宮野球場川崎球場、そして後楽園球場で行い、第2期は当初西武ライオンズ球場(現:西武ドーム球場)で行ったが、後に後楽園球場→東京ドームに変わった。いずれの時も観覧希望者は、番組に観覧希望の葉書を投稿し、抽選で当選した人が観覧する事が出来た。

放送リスト

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放送日 放送時間(JST 放送枠 備考
1 1971年3月25日 木曜20:00 - 21:26 TGSP
2 1971年7月15日 唯一の夏回
3 1971年11月18日 最後の木曜放送
4 1972年4月4日 火曜20:00 - 21:26 火WSP
5 1972年10月10日
6 1973年4月10日
7 1973年10月16日 火曜20:00 - 21:25
8 1974年4月2日
9 1974年10月29日
10 1975年10月28日 火曜20:00 - 21:24 この回から年1回
11 1976年10月19日
(1977年は「1977年ワールドカップバレーボール」の影響で開催せず)
12 1978年3月28日 火曜20:00 - 21:24 火WSP 第1期最後
(この間、放送せず)
13 1981年3月17日 火曜20:00 - 21:24 火WSP 第2期開始
14 1982年11月22日 火曜19:30 - 20:54
15 1983年11月1日
16 1984年11月13日
17 1985年11月1日 金曜19:30 - 20:54 金OV 初の金曜
18 1986年11月25日 火曜19:30 - 20:54 火WSP
19 1987年11月24日
20 1988年9月23日 金曜19:30 - 20:54 金OV
21 1989年12月?日
22 1990年11月30日 金FL

(出典:『読売新聞 縮刷版』読売新聞社、1971年3月25日 - 1990年11月30日。 ラジオ・テレビ欄)

出演者

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司会・実況

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始球式ゲスト

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球審

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  • 田辺一鶴 - 第1期。講談師らしく豪快なジャッジで、ストライクの時はバックネットを向いて「ストライーク!!」、打者が三振の時は打者に向かって「ストライーク!!バッターアウトーッ!!」と絶叫するのが売りだった。東京12チャンネル(テレビ東京)での「ピンクベアーズのソフトボール試合」でも球審を担当。
  • 森山周一郎 - 第2期。中断中に放送されたニューヤンキースの試合から担当し、そのまま当番組でも担当した。田辺とは対照的に豪快さはなかった。

応援

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番組の流れ

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出場選手は主に男性芸能人で、女性芸能人は始球式や応援程度の出演だが、第1期末期は代打要員として出場する事もあった。

  1. まず開会式は、両選手が入場し、前回勝利チームの代表が優勝旗を返還、この後両チームの代表が選手宣誓を行う。
  2. 続いて試合。まず女性芸能人(例外もあり)によって始球式を行ってから始まる。試合は5イニングまでで、延長戦はないが、希に1イニング延長する事もある。
  3. 最後は表彰式。勝利チーム代表者に優勝旗が贈られ、その後個人賞が発表、最後は一番頑張った選手に「最優秀選手賞」が贈られる。

チーム名称

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  • 第1期では「紅軍」と「白軍」。
  • 第2期では「スタッカート」と「フォルティシモ」だったが、読売ジャイアンツ西武ライオンズの人気に因んで「リトルジャイアンツ」と「ゴールデンライオンズ」に変更(どちらもイニシャルは「L」と「G」を使用)。

主な選手

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  • ロイ・ジェームス - 第1期。
  • 沢田研二 - 第1期からの常連。中断中でもドリフ率いる「パーフェクト」のメンバーとして出場。背番号は一貫して「26」(自身の野球チーム「ジュリーズ」の結成した時が26歳であるため)。
  • 郷ひろみ - 沢田と並ぶ常連にして、当時の芸能界では速球派投手。沢田のライバル的な存在だが、「パーフェクト」時代は仲良くプレー。背番号は当初芸名に因んで「5」だったが、後に自身のチーム「ヒロミーズ」の背番号にちなんで「18」。
  • 西城秀樹
  • フォーリーブス - 郷と並ぶ常連。中断中に解散し、第2期ではおりも政夫が出場。
  • サンダー杉山 - 第1期の巨漢選手。
  • マギー・ミネンコ - 初の女性出場選手。
  • フィンガー5 - 玉元晃を始めとする兄弟が中心で、末っ子・玉元妙子は応援程度だが、代打出場もある。1975年から玉元一夫に代わって、兄弟の甥・具志堅実が加入したため、以後は実が参加。
  • 狩人
  • 清水健太郎 - 第1期末期の1978年に初参加。その後ニューヤンキースの試合に参加した後、第2期にも参加。背番号は一貫して「0」。
  • ザ・ドリフターズ - 中断中に放送された『女子野球だよドリフターズ』に「パーフェクト」メンバーとして出場。いかりや長介が「スタッカート」監督で、他の4名は選手。
  • ハナ肇 - 第2期初期に担当。「フォルティシモ」監督。
  • 堺正章 - 第2期担当。毎回井上順と共に珍妙なパフォーマンスを行うのが名物だった。背番号は一貫して「6」。
  • 井上順 - 第2期。堺のライバル的存在。背番号は一貫して「90」。
  • ビートたけし - ハナに代わってフォルティシモ監督に。ドリフとの「土曜8時戦争」の変形パターン。
  • そのまんま東(現:東国原英夫)
  • 井手らっきょ
  • ダンカン - 初期は「立川ふんころがし」名義。後楽園球場のスコアボードには「ふんころがし」が入れないので、「ころがし」名義となった。
  • 島田紳助
  • 青空球児
  • 松崎しげる
  • 近藤真彦 - たのきんトリオでは一番早く出場。
  • 田原俊彦 - 近藤に遅れて参加。背番号は愛称「トシちゃん」に因んで「104」(「10」が「ト」、「4」が「シ」に読める事から)
  • 少年隊
  • 石橋貴明とんねるず

ほか

関連番組

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  • オールスター夢の球宴 珍プレー好プレー
プロ野球珍プレー・好プレー大賞』の特別版として放送された番組で、司会はみのもんた(ナレーター兼任)と板東英二。本大会で芸能人が見せた珍プレーと好プレーを公開、これに、1979年3月20日に放送された『女子野球だよドリフターズ!』からも取り上げた。
第1回目は1984年12月7日に『金OV』で放送、第2回目は1987年7月14日に『火WSP』で放送された『オールスター紅白大運動会 栄光の青春・激斗編』(『オールスター紅白大運動会』の総集編)に代わり、フジテレビ火曜プロ野球中継雨傘番組として編成したが、試合は全て予定通りに行われ、1988年火曜中継の雨傘番組に回されるも、ここでも試合は全て予定通り行われたので、1988年10月2日関東ローカル枠『サンデーイベントアワー』(日曜12:00 - 13:50)でようやく放送された。

脚注

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関連項目

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