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ちびっこものまね紅白歌合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ちびっこものまね紅白歌合戦
ジャンル 特別番組視聴者参加型音楽バラエティ番組
企画 渡辺プロダクション(企画制作)
構成 松岡孝
ディレクター 中村延義
演出 皇達也
監修 塚田茂
司会者 土居まさる(1974年)
玉置宏(1975年以降)
出演者 一般参加による子供たち
両軍キャプテン
応援歌手
応援キャラクターたち
「オペレータールーム」レポーター
スクールメイツ
審査員 服部良一ほか
会場からの一般審査員
音楽 東海林修
オープニングステイン・ソング
エンディング 回替わり→『まねまね音頭』
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本の旗日本語
製作
プロデューサー 増田道夫(渡辺プロ)
制作 渡辺プロダクション(企画制作)
放送
放送チャンネルNET→テレビ朝日系列
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1974年3月18日 - 1984年12月12日
放送時間別項
放送枠ビッグスペシャル(#1)
水曜スペシャル(#5、#6、#8、#9、#11、#13 - #18)
【なし】(#2、#4、#7、#10、#12)
放送分55分→115分→85分→114分&84分
回数18回
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ちびっこものまね紅白歌合戦』(ちびっこものまねこうはくうたがっせん)は、1974年から1984年までNET→テレビ朝日系列で放送された特別番組視聴者参加型音楽バラエティ番組)である。全18回。

概要

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日本全国(稀に外国)から参加した一般の子供が男女別に分かれ、『NHK紅白歌合戦』(以降『NHK版』と略記)形式で歌まねを披露する番組。合間には子供による踊りやコントなどの応援パフォーマンスや、「応援歌手」による持ち歌披露、そしてテレビ朝日番組(主に子供向け)の人気キャラクターが応援役で出演するという趣向もある。

渡辺プロ番組『ビッグスペシャル』(以降『BSP』)の一企画としてスタート、この後NHK版と同じ年末特番や、春夏の特番として放送するが、1977年限りで春大会は廃止、翌1978年限りで夏大会も廃止して、冬大会1回だけの開催となる。また放送枠は、1975年までは『BSP』などを放送したテレビ朝日月曜20時台渡辺プロ制作枠を拡大するかたちで、月曜日に放送していたが、1976年4月より『水曜スペシャル』(以降『水SP』)開始に伴い、春夏大会を『水SP』に移動、冬大会は引き続き月曜で放送した。その後1979年より冬大会に統一後は春夏大会の廃止、および同年4月よりテレ朝月曜20時台渡辺プロ制作枠が廃止されたため、冬大会を『水SP』に移動して継続した[1]

放送リスト

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放送日 放送時間(JST 放送枠 備考
1 1974年3月18日 月曜20:00 - 20:55 BSP 『BSP』の企画として放送。唯一の1時間
2 1974年12月30日 月曜19:00 - 20:55 (なし) 初の冬大会。近畿広域圏のネットはここまで毎日放送
3 1975年7月28日 月曜19:30 - 20:55 初の夏大会。近畿広域圏のネットはここから朝日放送
4 1975年12月29日 月曜19:30 - 20:54
5 1976年4月28日 水曜19:30 - 20:51 水SP 初の『水SP』放送
6 1976年7月28日
7 1976年12月27日 月曜19:00 - 20:54 (なし)
8 1977年4月13日 水曜19:30 - 20:51 水SP 最後の春大会
9 1977年8月3日
10 1977年12月26日 月曜19:00 - 20:54 (なし)
11 1978年8月23日 水曜19:30 - 20:51 水SP 最後の夏大会
12 1978年12月25日 月曜19:00 - 20:54 (なし) 最後の月曜放送
13 1979年11月28日 水曜19:30 - 20:51 水SP ここから年1回&『水SP』での放送。冬大会で11月放送は唯一
14 1980年12月17日
15 1981年12月16日
16 1982年12月15日
17 1983年12月14日
18 1984年12月12日

[1]

出演者

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総合司会

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※1974年冬大会は、月曜19:30のに土居司会の『ほんものは誰だ!』(日本テレビ)が存在するため、土居は20時以降の「第2部」を担当、第1部は紅組キャプテンの児島美ゆきとエバが兼任した[1]

紅組キャプテン

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ほか

白組キャプテン

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ほか

ゲスト審査員

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審査員は「歌謡界」・「テレビ朝日上層部」・「俳優または女優」・「スポーツ選手」で構成している。

ほか

応援歌手

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ほか

応援キャラクター

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ほか

「オペレータールーム」レポーター

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「オペレータールーム」とは、本戦が終了後に審査員が審査をするための別室。

演奏

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踊り

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番組の流れ

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オープニング

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  1. 真っ暗なステージの中、バンドのファンファーレと同時に赤と青(白組をイメージ)のライトが回り、ステージのライトが点灯、総合司会がタイトルコールをすると、テーマ曲と共に会場後ろ側から両軍が「プラカード旗手」「キャプテン」「出場子供」(担当歌手のプラカードを持つ)の順番で入場し、ステージに上がる。
  2. 総合司会が入場すると、まず前回優勝したチームのキャプテン代表が、『見よ勇者は帰る』(作曲:ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル)と共に優勝旗を審査員に返還、その後は両軍キャプテンによる選手宣誓となる。宣誓文はNHK版と似ており、(紅白)「宣誓!!」(紅)「私たちはアーティスト精神とちびっこものまねシップに則って」(白)「敵をノックアウトするまで正々堂々と戦う事を誓います!!」(紅)「紅組代表○○!!」(白)「白組代表○○!!」となる。
  3. 次はゲスト審査員の紹介で、ステージや画面右に映っている審査員から一人ずつ紹介、まず総合司会が「○○さんです」と紹介すると、バンド演奏による「ジャーン!」の直後に審査員が一言挨拶、これを繰り返して、最後の審査委員長紹介が終わると、バンドによるファンファーレが鳴って終わる(「ジャーン」と挨拶が入れ替わる時期もあり)。
  4. そして観客から選ばれた「一般審査員」(100名)と、「『オペレータールーム』レポーター」を紹介(「場内応援」を紹介する時もあり)して終わり。

対戦

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  1. まず先行側の子供が歌い、続いて後攻側の子供が歌う。なお先攻後攻決めはNHK版同様、予め抽選で決めておく。
  2. 2・3戦終わったら一旦中断し、まず両軍の担当バンドを紹介、続いて両軍の応援パフォーマンスや、応援歌手による持ち歌の披露となる。その後対戦を再開する。
  3. 前半が終わったら、「中間発表」として現在までの得点を発表、その後は攻守交代となる。そして前半同様の展開となるが、テレ朝人気キャラクターの応援出場はこの時が多い。また「トリ」の時はNHK版同様、全出場者がトリの周りに集まって応援役となる。
  4. 全ての対戦が終わったら、審査員はレポーターに連れられてオペレータールームに移動し、審査を始める。その間には応援歌手の持ち歌披露となる。

エンディング

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  1. 全員がステージに集まったところで、ドラムロールと共に、審査委員長が優勝チームを口頭で発表、『見よ勇者は帰る』と共に優勝チームキャプテンには、審査員から優勝旗と大型トロフィー、一方の負けチームキャプテンには中型トロフィーがそれぞれ贈られる。
  2. 審査委員長による寸評が述べられた後、全員で歌を歌って終りになる。なお時期によっては、「病気や交通事故に気をつけよう」・「お父さんやお母さんの言う事を聞こう」などといった、スタッフによるメッセージボードが映される時がある。

番組テーマ曲

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  • オープニングはNHK版でも入場の際に使用されたドイツ民謡『ステイン・ソング』。
  • エンディングは、前期までは放送時期に合う童謡(例:夏大会では『われは海の子』)を歌っていたが、後期からは番組オリジナルソング『まねまね音頭』を使用、1パートと3パートは普通の音頭だが、2パートには子供の歌まねで『情熱の嵐』(西城秀樹)や『ひと夏の経験』(山口百恵)などの曲が挿入されているという珍曲。

収録場所

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主に東京都の公会堂を使用しての公開番組で、次の場所で収録が行われた。

ほか

エピソード

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  • 冬大会が月曜日時代だった時期では、日本テレビ月曜20:00の『紅白歌のベストテン』の年末企画「あなたが選ぶ紅白歌合戦」が放送、2局で紅白ものが放送されていた[1]

スタッフ

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第10回(1977年冬大会)
  • 監修:塚田茂
  • 構成:松岡孝
  • 音楽:東海林修
  • 技術:柳原茂
  • カメラ:近藤弘志
  • 音声:沖田良一
  • 照明:五十嵐和昭
  • カラー調整:柳田正憲
  • 音響効果:新井和治
  • 美術進行:佐藤隆男
  • 美術デザイン:梢健児
  • 制作担当:ダニーすがの、小松健容
  • ディレクター:中村延義
  • 制作協力:東通
  • 演出:皇達也
  • プロデューサー:増田道夫(渡辺プロダクション)
  • 企画制作:渡辺プロダクション

脚注

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  1. ^ a b c d 朝日新聞 縮刷版』朝日新聞社、1974年3月18日 - 1984年12月12日。 ラジオ・テレビ欄

関連項目

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