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ガラタサライSK (サッカー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガラタサライから転送)
ガラタサライ
原語表記 Galatasaray Spor Kulübü
愛称 Cim Bom Bom(ジム・ボム・ボム)
Cimbom
Aslan(ライオン)
Sarı Kırmızılılar(黄-赤)
Avrupa Fatihi(ヨーロッパの征服者)
クラブカラー    
   
創設年 1905年
所属リーグ スュペル・リグ
所属ディビジョン 1部(2024-25)
昨季リーグ順位 1位(2023-24)
ホームタウン イスタンブール
ホームスタジアム
ラムズ・パーク
収容人数 52,652[1]
代表者 トルコの旗 ドゥルスン・オズベク英語版
監督 トルコの旗 オカン・ブルク
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ガラタサライ・スポル・クリュビュトルコ語: Galatasaray Spor Kulübü トルコ語発音: [ɡaɫatasaˈɾaj ˈspoɾ kulyˈby])は、トルコイスタンブールをホームタウンとする、トルコプロサッカーリーグ(スュペル・リグ)に加盟するプロサッカークラブ。

概要

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ガラタサライとして一般的に知られており、1905年にアリ・サミ・イェンによって創立された。本クラブは総合スポーツクラブであるガラタサライ・スポル・クリュビュのサッカー部門であり、総合スポーツクラブはガラタサライ大学ガラタサライ高校を含むガラタサライ・トプルルウ(ガラタサライ共同体)の一部である。

トルコで最も成功したサッカークラブであり、これまでにリーグを21回、カップを14回、TFFスュペル・クパ(スーパーカップ)を12回制している。イスタンブール・フトボル・リギの解体後、1959年からスュペル・リグの全55シーズンに参加している3チームの内の1つである。国際的には、2000年にUEFAカップUEFAスーパーカップを制し、ヨーロッパの優勝杯を掲げた初のトルコクラブとなった。また、UEFAカップを無敗で制した初のクラブである。国内では、スュペル・リグで4連覇(1997年、1998年、1999年、2000年)を果たして唯一のクラブである。1999-2000シーズンには、スュペル・リグ、テュルキエ・クパス、UEFAカップ、TSYDカップを制し、単一シーズンでの四冠を達成した。また、IFFHS世界ランキングで1位(2000年)になった唯一のトルコのクラブである。

2011年から、クラブの本拠地は収容人数52,695人のネフ・スタデュムである。このアリーナはスポーツスタジアムでの歓声の大きさの世界記録(131.76 dBA)を保持している[2]。これ以前は、1963年からアリ・サミ・イェン・スタジアムを本拠地としていた。

長年のライバルは同じイスタンブールを本拠地とするベシクタシュJKフェネルバフチェSKであり、特にフェネルバフチェとのダービーはクタラララス・デルビ(大陸間ダービー)として知られ、世界でも最大級のダービーと見なされている。

トルコ国中に多くのサポーターを抱える、最も人気のあるチームであり[3]、2500万人のファン(約38%はトルコ国外)がいると見積られている。また、ガラタサライはトルコの最も強力なグローバルブランドであると見なされている[4]

名称および発音

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ガラタサライの短縮形の呼び名はない。ファンはクラブを正式名か愛称の「Cim Bom Bom」(ジム・ボム・ボム)、あるいはそれを縮めた「Cim Bom」と呼ぶ。これは激励や感嘆の掛け声であり、言葉そのものに意味はない。

ガラタサライは複合語であるため、そのように発音される。ガラ・タサライと切って発音するのは誤りであり、ガラタ・サライのように非常に短い間を空けて発音しなければならない[5]

UEFAのホームページには、トルコ語での株式会社の意味を示すAŞを用いて、Galatasaray AŞ (ガラタサライ AŞ)とも表記されている[6]

歴史

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ガラタサライの最初の写真(1905年)。

ガラタサライSKは1905年の秋に、ガラタサライ高校(1481年創立)の生徒によってサッカークラブとして設立された。ガラタサライの初代代表はアリ・サミ・イェンである。初試合はCadi-Keuy FCとの間で行われ、ガラタサライが2対0で勝利した。クラブの名称に関しては議論があり、「Gloria」(勝利)や「Audace」(勇気)といった名称を提案するものもいたが、ガラタサライに決定した。

ガラタサライという名称はガラタサライ高校から取られている。ガラタサライ高校の名称は1481年に設立されたGalata Sarayı Enderûn-u Hümâyûn(ガラタ宮殿帝国学校)に由来しており、ガラタは近隣の中世ジェノアの属州ガラタから取られている。ガラタサライは直訳すると「ガラタ宮殿」という意味である。

オスマン帝国時代の1905年は結社のための法律がなかったため、クラブは公式に登録することができなかったが、1912年に結社法が出来、クラブは法的に登録された[7]

当初のクラブカラーは赤と白であった。これはトルコの国旗の色である。クラブカラーはその後変更され、1907年まで黄色と紺青色が使用された。1908年には赤と黄色が選ばれた。

当時、他にトルコ人のチームが存在しなかったため、ガラタサライはイングランド人やギリシャ人のチームで構成されるイスタンブール・サンデー・リーグ英語版に1905-06シーズンから参加した。ガラタサライは1907-08シーズンに初優勝を果たし、トルコサッカーの歴史の始まりを告げた[8]

1952年までにガラタサライは「イスタンブール・リーグ」のタイトルを10回、「サンデー・リーグ」のタイトルを6回、「フライデー・リーグ」のタイトルを3回獲得した。1952年から1959年までは、トルコ初のプロリーグ「イスタンブール・プロフェッショナル・リーグ」が開催された(ただしナショナルリーグではない)。ガラタサライは7年間で3回の優勝を果たした。

1959年に「テュルキエ・プロフェショネル・1. リギ」(現在のトルコ・スュペル・リグ)が結成された。これはトルコサッカーの全国リーグであり、ガラタサライはこれまで全てのシーズンで戦い、18度のリーグ制覇を果たしている。

1962-63シーズンから始まったトルコカップではこれまでに14回の優勝を果たしている[9]

2000年5月17日、UEFAカップ決勝、アーセナルFC戦の先発メンバー。

ガラタサライは1990年代末に最も成功した。2002 FIFAワールドカップで3位、UEFA EURO 2000で準々決勝に進出したトルコサッカーの黄金世代に支えられ、トルコのサッカークラブで初のヨーロッパタイトルを手にした。才能豊かな選手達に加えて、ガラタサライのサポーターによって「地獄」と呼ばれ、威圧的な雰囲気を持つアリ・サミ・イェン・スタジアムへ訪れるのを相手チームは嫌っていた[10]

クレスト

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ガラタサライSKの最初のクレスト

ガラタサライの最初のエンブレムは、学籍番号333のŞevki Egeによって描かれた。これは、くちばしにサッカーボールを咥えて翼を広げた鷲を描いていた。1925年に、Ayetullah Eminによってデザインされた現在の「Ghayn-Sin」クレストになった。

競技場

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ラムズ・パーク
施設情報
所在地 イスタンブール
起工 2007年12月13日
開場 2011年1月15日
設計者 'asp' architekten Stuttgart[11]
使用チーム、大会
収容人員
52,652

ガラタサライが結成された時、ホームグラウンドを持つトルコのチームはなく、インスタンブル・フトボル・リギの全試合はパパズン・チャユル(現在のフェネルバフチェのホーム・シュクリュ・サラジオウル・スタジアム)で行われていた。1921年、イスタンブール初のサッカー競技場であるタクシム・スタジアムが建設された。このスタジアムはイスタンブールの全チームのホームグラウンドとして使用された。タクシム・スタジアムが1940年に解体された時、ガラタサライは大きく近代的なスタジアムの建設を決定した。第二次世界大戦の影響により、スタジアムの建設は20年以上送れた。この期間は、シェレフ・スタジアムおよびドルマバフチェ・スタジアムでプレーした。

アリ・サミ・イェン・スタジアム

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1964年12月20日、アリ・サミ・イェン・スタジアムがオープンした[12]。ガラタサライの創設者であるアリ・サミ・イェンの名を冠したこのスタジアムは、イスタンブールの中心にあるシシリ区のメジディイェキョイ地区にある。1964年は、スタジアムの収容人数は35,000人強であった。安全や立見席の禁止などにより、1993年に全席座席付きで収容人数は22,000人に減少した。数年後、地震で損傷を受けたメインスタンドの改築により収容人数がわずかに増加した[13]

イスタンブールのオリンピック招致のためアタテュルク・オリンピヤト・スタドゥが建設された2002年の後、ガラタサライはUEFAチャンピオンズリーグの試合をこのスタジアムで開催し始めた。ガラタサライとオリンピアコスとの試合は79,414人の観客を集め、トルコのスタジアムにおける観客動員記録を破った。しかし、規模が小さいアリ・サミ・イェン・スタジアムもガラタサライのファンにとって歴史的な重要性を有していた[14]

ガラタサライが新たに建設されたテュルク・テレコム・アレナに移った後の2011年に、アリ・サミ・イェン・スタジアムは解体された。

ラムズ・パーク

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ガラタサライの新本拠地は、シシリ区のマスラク金融街に近いアスランテペ地区にあるテュルク・テレコム・アレナである。2011年1月15日にオープンした新スタジアムは座席数52,695で、トルコのクラブが所有するスタジアムの中で最大である[15]

2021年に不動産会社のネフ社と2031年までの10年契約を結び、ネフ・スタデュムと改名したが、2023年に契約を解消しラムズ・パークと改名した。

スタジアム・アンセム

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1998年から、ガラタサライの選手がゴールを決めた後は必ず、エルメス・ハウス・バンドの「恋のサバイバル(I Will Survive)」の最終部が歌われる。この曲の歌詞は英語であるが、最終部は「ラ・ラ・ラ・ラ」以外に歌詞はない。また、試合前は必ず北米インディアンの非常に古いチャントであるフロリダ州ウォー・チャント(Galatasaray War Chant)が、ガラタサライのスカーフやバナー、旗を振るファンによって歌われる。このスタジアム・アンセムとサポーターによる絶え間のない轟音のため、多くの人々はスタジアムを「ジェヘンネム Cehennem」(地獄)と呼ぶ。

スタジアムの歴史

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# Stadium Years[16]
1 パパズン・チャユル 1905–1921
2 タクスィム・スタジアム 1921–1940
3 シェレフ・スタジアム 1940–1948
4 ドルマバフチェ・スタジアム 1948–1966
5 アリ・サミ・イェン・スタジアム 1966–1972
6 ドルマバフチェ・スタジアム 1972–1980
7 アリ・サミ・イェン・スタジアム 1980–1984
8 ドルマバフチェ・スタジアム 1984–1986
9 アリ・サミ・イェン・スタジアム 1986–2003
10 アタテュルク・オリンピヤト・スタドゥ 2003–2004
11 アリ・サミ・イェン・スタジアム 2004–2011
12 ネフ・スタデュム 2011–
# スタジアム 使用年数
1 アリ・サミ・イェン・スタジアム 34
2 ドルマバフチェ・スタジアム 28
3 タクスィム・スタジアム 18
4 パパズン・チャユル 17
5 シェレフ・スタジアム 8
6 テュルク・テレコム・アレナ 2
7 アタテュルク・オリンピヤト・スタドゥ 1

選手の記録

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サポーター

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ヨーロッパでの試合

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ガラタサライのファンはヨーロッパでの大会を重要視しており、ガラタサライはファンによって「欧州の征服者」として知られている。この愛称は、ガラタサライが1999-2000シーズンにUEFAカップとUEFAスーパーカップを制したことから来ている。ガラタサライのファンは、ultrAslanと共に、世界で最も熱狂的なファンとしても知られている。

トルコにおけるガラタサライの人気

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メディアの世論調査によると2000年以来、ガラタサライSKはトルコで最も人気のあるチームである。2012年6月に行われた調査では、ガラタサライSKが41.8%で1位、フェネルバフチェSKが35.9%で2位、ベシクタシュJKが16.3%で3位、トラブゾンスポルが4.7%で4位であった[17][18][19][20]

イスタンブール・ダービー

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1909年1月17日にパパズン・チャユルで行われた初の「大陸間ダービー」。

イスタンブールの「ビッグ・スリー」クラブであるベシクタシュJKフェネルバフチェSK、ガラタサライSKは100年以上ライバル関係にある。ガラタサライとフェネルバフチェのライバル関係は、イスタンブール最大のダービーであり、トルコサッカーにおける最も重要なライバル関係である。このダービーはサポーターにとって象徴的な重要性を持っており、サポーターはダービーに勝利せずにリーグを制したとしても空虚であるとしばしば口にする。以前はサポーター間の暴力などが数え切れない程起こっていたが、近年は減少傾向にある。ダービーの特徴は、満員の観客、試合の間途切れない大音量の声援、キックオフ前にサポーターによる相手チームを嘲る振り付けなどである[21]。その他の1部に所属するイスタンブールのクラブ(イスタンブールBBカスムパシャSK)とのダービーマッチもあるが、歴史的にはライバル関係は薄く、ビッグスリー同士のダービーのように国内中からの関心は集めない。

タイトル

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国内大会

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  • スュペル・リグ:
    • 1961-62, 1962-63, 1968-69, 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1986-87, 1987-88, 1992-93, 1993-94, 1996-97, 1997-98, 1998-99, 1999-00, 2001-02, 2005-06, 2007-08, 2011-12, 2012-13, 2014-15, 2017-18, 2018-19, 2022-23, 2023-24
  • テュルキエ・クパス:
    • 1963, 1964, 1965, 1966, 1973, 1976, 1982, 1985, 1991, 1993, 1996, 1999, 2000, 2005, 2014, 2015, 2016, 2019
  • スュペル・クパ:
    • 1966, 1969, 1972, 1982, 1987, 1988, 1991, 1993, 1996, 1997, 2008, 2012, 2013, 2015

国際大会

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現存しない国内大会

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現存しない地域大会

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過去の成績

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シーズン リーグ戦 テュルキエ・クパス 欧州カップ
ディビジョン 順位
1992-93 スュペル・リグ 1位 30 20 6 4 74 21 66 優勝 UC ベスト16
1993-94 1位 30 22 4 4 67 28 70 準優勝 CL 準々決勝敗退
1994-95 3位 34 21 6 7 76 38 69 準優勝 CL GS敗退
1995-96 4位 34 21 5 8 67 38 68 優勝 UC 予選ラウンド敗退
1996-97 1位 34 25 7 2 90 30 82 ベスト16 CWC ベスト16
1997-98 1位 34 23 6 5 86 43 75 準優勝 CL GS敗退
1998-99 1位 34 23 9 2 85 30 78 優勝 CL GS敗退
1999-00 1位 34 24 7 3 77 23 79 優勝 CL GS敗退
UC 優勝
2000-01 2位 34 23 4 7 77 35 73 準決勝敗退 CL 準々決勝敗退
2001-02 1位 34 24 6 4 75 31 78 ベスト32 CL ベスト16
2002-03 2位 34 24 5 5 61 27 77 準々決勝敗退 CL GS敗退
2003-04 6位 34 15 9 10 56 47 54 ベスト16 CL GS敗退
UC ベスト32
2004-05 3位 34 24 4 6 64 25 76 優勝
2005-06 1位 34 26 5 3 82 34 83 準々決勝敗退 UC 1回戦敗退
2006-07 3位 34 15 11 8 58 37 56 準々決勝敗退 CL GS敗退
2007-08 1位 34 24 7 3 64 23 79 準決勝敗退 UC GS敗退
2008-09 5位 34 17 8 9 57 39 61 準々決勝敗退 CL 予選3回戦敗退
UC ベスト16
2009-10 3位 34 19 7 8 61 35 64 準々決勝敗退 EL ベスト32
2010-11 8位 34 14 4 16 41 46 46 準々決勝敗退 EL プレーオフ敗退
2011-12 1位 34 23 8 3 69 24 77 ベスト16
2012-13 1位 34 21 8 5 66 35 71 5回戦敗退 CL 準々決勝敗退
2013-14 2位 34 18 11 5 59 32 65 優勝 CL ベスト16
2014-15 1位 34 24 5 5 60 35 77 優勝 CL GS敗退
2015-16 6位 34 13 12 9 69 49 51 優勝 CL GS敗退
EL ベスト32
2016-17 4位 34 20 4 10 65 40 64 ベスト16
2017-18 1位 34 24 3 7 75 33 75 準決勝敗退 EL 予選2回戦敗退
2018-19 1位 34 20 9 5 72 36 69 優勝 CL GS敗退
EL ベスト32
2019-20 6位 34 15 11 8 55 37 56 準々決勝敗退 CL GS敗退
2020-21 2位 40 26 6 8 80 36 84 準々決勝敗退 EL プレーオフ敗退
2021-22 13位 38 14 10 14 51 53 52 5回戦敗退 CL 予選2回戦敗退
EL ベスト16
2022-23 1位 36 28 4 4 83 27 88 準々決勝敗退
2023-24 1位 38 33 3 2 92 26 102 準々決勝敗退 CL GS敗退
EL プレーオフ敗退
2024-25 CL

現所属メンバー

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2023年9月2日現在

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK ウルグアイ フェルナンド・ムスレラ キャプテン
2 DF フランス レオ・デュボワ
3 DF スペイン アンへリーニョ
6 MF ノルウェー フレドリク・ミッシェ
7 FW トルコ ケレム・アクトゥルコール
8 MF ドイツ ケレム・デミルバイ
9 FW アルゼンチン マウロ・イカルディ
10 FW ベルギー ドリース・メルテンス
12 GK トルコ アタカン・オルドゥ
14 FW コートジボワール ウィルフレッド・ザハ
19 GK トルコ ギュナイ・ギュヴェンチ
20 MF ブラジル テテ
21 FW トルコ ハリル・デルヴィショール
22 MF モロッコ ハキム・ツィエク
23 DF トルコ カーン・アイハン
25 DF デンマーク ヴィクトル・ネルソン
No. Pos. 選手名
27 MF ポルトガル セルジオ・オリヴェイラ
34 MF ウルグアイ ルーカス・トレイラ
42 DF トルコ アブドゥルケリム・バルダクチ
50 GK トルコ ジャンカット・ユルマズ
53 MF トルコ バリシュ・ユルマズ
56 MF トルコ バラン・デミログル
58 DF トルコ アリ・イェシルユルト
63 MF トルコ エズギュル・バラン・アクサカ
72 DF トルコ アリ・ビュルビュル
81 MF トルコ ハムザ・イギット・アクマン
85 MF トルコ エフェ・アクマン
88 DF トルコ カズミカン・カラカス
91 MF フランス タンギ・エンドンベレ
93 DF カメルーン サシャ・ブイ
94 FW コンゴ民主共和国 セドリック・バカンブ
-- DF コロンビア ダビンソン・サンチェス
監督

歴代監督

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歴代所属選手

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脚注

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  1. ^ http://www.tff.org/Default.aspx?pageID=394&stadID=5018
  2. ^ Loudest crowd roar at sports stadium”. Guinness World Records 2013. 2013年3月16日閲覧。
  3. ^ Harris, Nick (2010年9月14日). “How Galatasaray became the world’s No1 sports team on Facebook”. Sportingintelligence. 2013年3月16日閲覧。
  4. ^ Galatasaray”. Brand Finance. 2013年3月16日閲覧。
  5. ^ Tekil, Süleyman (1983). Galatasaray, Dünden Bugüne 1905–1982. İstanbul: Arset Matbaacılık Kollektif Şti. pp. 1–13 
  6. ^ チャンピオンズリーグ2019/2020シーズンにおけるガラタサライのページ
  7. ^ Founding”. Galatasaray Sports Club Official Website. 2007年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月16日閲覧。
  8. ^ “History of Turkish football”. Tff.org. (2007年11月21日). http://www.tff.org/default.aspx?pageID=497 2013年3月16日閲覧。 
  9. ^ “Information about Turkish Cup”. Tff.org. (2007年11月20日). http://www.tff.org/default.aspx?pageID=411 
  10. ^ “News about Galatasaray Match”. BBC.co.uk. (2007年10月18日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/sport/football/744728.stm 
  11. ^ asp stuttgart
  12. ^ Ali Sami Yen Stadium”. 2007年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年11月26日閲覧。
  13. ^ Ali Sami Yen Stadium Information”. The Stadium Guide. 2007年11月26日閲覧。
  14. ^ “Zulümpiyat! Stadı”. Fotomaç. (2006年10月20日). http://www.fotomac.com.tr/2006/10/20/gal105.html 2007年7月15日閲覧。 
  15. ^ Stadium info”. Galatasaray SK. 9 November 2011閲覧。
  16. ^ TRT Website
  17. ^ En fazla taraftar kimde?”. Internethaber.com (February 3, 2000 / October 12, 2006). 2013年3月16日閲覧。
  18. ^ Taraftarın gerçek yüzü!”. Ligtv.com.tr (December 15, 2008). 2013年3月16日閲覧。
  19. ^ En çok taraftar hangi takımda? İŞTE CEVABI”. Samanyolu Haber (April 6, 2010). 2013年3月16日閲覧。
  20. ^ Türkiye'de En Çok Taraftara Sahip Takım Hangisi?”. Sabah Gazetesi Spor Sayfası (June 13, 2012). 2013年3月16日閲覧。
  21. ^ “Turkey to send anti-terror police to Leeds to protect Galatasaray”. CBC. (2000年11月11日). http://www.cbc.ca/sports/story/2000/04/17/galatasaray_leeds000417.html 2013年3月16日閲覧。 

参考文献

[編集]
  • Birand, M. A., & Polat, M. M. (2006). Passion that continues for 100 years. İstanbul: D Yapım. OCLC 164788939
  • Turagay, U., Özgün, G., Gökçin, B., Ahunbay (2006). 17 May: The story of a championship. İstanbul: D Yapım. OCLC 169899400
  • Hasol, D. (2004). Dreams/realities in Galatasaray. İstanbul: Yapı Yayın. ISBN 978-975-8599-44-8
  • Tuncay, B. (2003). Galatasaray with European Success and Notable Players. Yapı Kredi Kü̈ltü̈r Sanat Yayıncılık. ISBN 978-975-08-0427-4
  • Yamak, O. (2001). Galatasaray: Story of 95 years. Sinerji. OCLC 59287768
  • Çakar, A. (1995). 90 questions about history of Galatasaray SK. Cağaloğlu, İstanbul: Demir Ajans Yayınları. OCLC 42434622
  • Tekil, S. (1986). History of Galatasaray, 1905–1985. Galatasaray Spor Kulübü. OCLC 25025508
  • Tekil, S. (1983). Galatasaray 1905–1982: Memories. Arset Matbaacılık Koll. Şti. OCLC 62614035
  • İsfendiyar, F. (1952). History of Galatasaray. İstanbul: [Doğan Kardeş yayınları]. OCLC 27753643

外部リンク

[編集]