グラツィアーノ・ロッシ
グラツィアーノ・ロッシ | |
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グランプリでの経歴 | |
国籍 | イタリア |
活動期間 | 1978年 - 1982年 |
チーム | モルビデリ、スズキ |
レース数 | 22 |
優勝回数 | 3 |
表彰台回数 | 7 |
通算獲得ポイント | 114 |
ポールポジション回数 | 1 |
ファステストラップ回数 | 0 |
初グランプリ | 1978年 500cc フランスGP |
初勝利 | 1979年 250cc ユーゴスラビアGP |
最終勝利 | 1979年 250cc スウェーデンGP |
最終グランプリ | 1982年 500cc サンマリノGP |
グラツィアーノ・ロッシ (Graziano Rossi, 1954年3月14日 - ) は、イタリア・ペーザロ出身の元モーターサイクル・ロードレーサー。ロードレース世界チャンピオンであるバレンティーノ・ロッシの父。
経歴
[編集]1970年代から1980年代にかけて活躍し、同世代のイタリア人ライダーとしてはバージニオ・フェラーリ、マルコ・ルッキネリ、フランコ・ウンチーニらが挙げられる。
ロードレース世界選手権には1978年に500 ccクラスでデビュー。翌1979年にはモルビデリのワークスライダーとして250 ccクラスを戦う。この年がグラツィアーノのベストシーズンとなり、オパティヤ(ユーゴスラビアGP)、アッセン(オランダGP)、カールスクーガ(スウェーデンGP)とシーズン3勝を果たし、コーク・バリントン、グレッグ・ハンスフォードのカワサキ勢に次ぐシリーズ3位に入る。またこの年には息子のバレンティーノが誕生した。
1980年には再び500 ccクラスに戻り、ルッキネリと共にロベルト・ガリーナの「チーム・ガリーナ」でスズキ・RG500を駆ることになった。2度表彰台に立ちシリーズ5位に入るが、翌シーズン[1]は同チームに残留することは出来なかった。ガリーナとの確執があったとも言われている。その後は1982年まで500 ccクラス参戦を続けたが、結果を残すことは出来なかった。
また1982年にはヤマハを駆ってイモラで行われた200マイル耐久レース(200 miglia)に参戦するが、激しく転倒し、一時心肺停止状態に陥る。しかしクリニカ・モバイルの尽力により一命を取り留めた[2]。怪我から回復した後は2輪レースから引退し、ラリーへ転向した。
2007年にはロッシ親子が共演するヤマハのCMが日本で放映された。
ロードレース世界選手権 戦績
[編集]シーズン | クラス | バイク | 出走 | 優勝 | 表彰台 | PP | ポイント | 順位 |
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1978年 | 500 cc | スズキ | 2 | 0 | 0 | 0 | 7 | 16位 |
1979年 | 250 cc | モルビデリ | 5 | 3 | 5 | 0 | 67 | 3位 |
1979年 | 500 cc | モルビデリ | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 31位 |
1980年 | 500 cc | スズキ | 7 | 0 | 2 | 1 | 38 | 5位 |
1981年 | 500 cc | スズキ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
1982年 | 500 cc | スズキ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | - |
合計 | 22 | 3 | 7 | 1 | 114 |
脚注
[編集]- ^ 翌1981年は、ニューマシンRGΓを駆ったルッキネリがワールドチャンピオンに輝く。
- ^ http://www.ducati.com/clinica_mobile/story2.html