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ゴーマン・トーマス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゴーマン・トーマス
Gorman Thomas
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 サウスカロライナ州チャールストン
生年月日 (1950-12-12) 1950年12月12日(73歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1969年 ドラフト1巡目(全体21位)
初出場 1973年4月6日
最終出場 1986年10月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
ゴーマン・トーマス

ジェイムズ・ゴーマン・トーマスJames Gorman Thomas, 1950年12月12日 - )は、MLBの元選手。ポジションは外野手アメリカ合衆国サウスカロライナ州チャールストン出身。ニックネームは「Stormin' Gorman」。

経歴

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ミルウォーキー・ブルワーズ

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1969年MLBドラフトシアトル・パイロッツから1巡目(全体21位)に指名を受け入団。翌年チーム名がミルウォーキー・ブルワーズに改称される。1973年4月6日ボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。4月15日の同カードで9回にジム・パーマーから同点に追い付くメジャー初本塁打を放つ[1]1974年にAAA級で51本塁打・122打点・175三振・93四球を記録するが、メジャーでは目立った成績を残せず。1977年はAAA級で打率.322・36本塁打・114打点・105四球を記録するが、メジャーでの出場はなかった。10月25日、8月に獲得した選手の見返りとしてテキサス・レンジャーズに放出されるが、1978年2月8日に復帰。同年は32本塁打・86打点を記録し、長距離打者として開花する。1979年に45本塁打・123打点を記録して最多本塁打のタイトルを獲得する一方で、両リーグワーストの175三振。MVPの投票では7位に入った。1980年は38本塁打・105打点。1981年に自身最初で最後のオールスターゲームに選出される。同年は50日間に及ぶストライキでシーズンが短縮されたため103試合の出場に留まるが、キャリアハイの打率.259、1位と1本差の21本塁打を記録した。ストライキの影響で前後期のスプリットシーズン制の変則日程となり、チームは後期優勝。前期優勝のニューヨーク・ヤンキースとのディビジョンシリーズでは、第5戦でロン・ギドリーから本塁打を放つが打率.111に終わり、チームは2勝3敗で敗退した。

1982年は39本塁打・112打点を記録し、レジー・ジャクソンと並んで3年ぶりの最多本塁打を獲得、チーム本塁打216本の強力打線の一角を占めた。ボルチモア・オリオールズの追い上げを振り切って球団創設以来初の地区優勝を果たし、カリフォルニア・エンゼルスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは、第1戦でトミー・ジョンから放った本塁打1本のみで打率.067と振るわなかったが、チームは2連敗の後3連勝でリーグ優勝。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでも打率.115と不振で、チームは3勝4敗で敗退した。MVPの投票では8位。1983年は開幕から不振が続き、6月6日に2選手との交換トレードで、2選手と共にクリーブランド・インディアンスに移籍。

クリーブランド・インディアンス

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移籍後に調子はやや上向いたが、シーズン通算で打率.209・22本塁打・69打点に終わり、12月7日トニー・バナザード(後南海・ダイエー)との交換トレードで、1選手と共にシアトル・マリナーズに移籍。

シアトル・マリナーズ - 古巣復帰

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1984年5月15日を最後に故障で離脱し、打率.157・1本塁打と全くの期待外れに終わる。1985年4月11日オークランド・アスレティックス戦で満塁本塁打を含む3打席連続本塁打を放つ[2]。打率.215ながら32本塁打・87打点を記録し、カムバック賞を受賞。1986年は開幕直後は好調だったが、すぐに失速。4月29日ボストン・レッドソックス戦で、チームはロジャー・クレメンスにメジャー記録の1試合20三振を喫したが、7回に唯一の得点となる本塁打を放った[3]6月25日に解雇され、7月16日に古巣ブルワーズに復帰。しかし調子は上向かず、シーズン通算で打率.187・16本塁打に終わる。10月16日に解雇され、引退。

選手としての特徴

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最大の武器は長打力で、30本塁打以上を5度記録し、最多本塁打も2度獲得している。一方で三振がかなり多く、打率も低い。しかし選球眼は良く四球を多く選んだため、打率の割に出塁率は高かった。通算打率は.225だが、出塁率は.324で、打率をほぼ1割上回っている。

獲得タイトル・表彰・記録

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  • 最多本塁打 2回:1979年, 1982年
  • MLBオールスターゲーム選出 1回:1981年
  • カムバック賞 1回:1985年
  • リーグ最多三振 2回:1979年, 1980年

年度別打撃成績

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O
P
S
1973 MIL 59 172 155 16 29 7 1 2 44 11 5 5 3 0 14 1 0 61 2 .187 .254 .284 .538
1974 17 57 46 10 12 4 0 2 22 11 4 0 1 2 8 0 0 15 2 .261 .357 .478 .835
1975 121 280 240 34 43 12 2 10 89 28 4 2 4 5 31 0 0 84 4 .179 .268 .371 .639
1976 99 267 227 27 45 9 2 8 82 36 2 3 5 3 31 1 1 67 7 .198 .294 .361 .655
1978 137 536 452 70 111 24 1 32 233 86 3 4 6 3 73 4 2 133 6 .246 .351 .515 .866
1979 156 668 557 97 136 29 0 45 300 123 1 5 5 6 98 6 2 175 8 .244 .356 .539 .895
1980 162 697 628 78 150 26 3 38 296 105 8 5 3 6 58 4 2 170 7 .239 .303 .471 .774
1981 103 420 363 54 94 22 0 21 179 65 4 5 0 5 50 8 2 85 6 .259 .348 .493 .841
1982 158 666 567 96 139 29 1 39 287 112 3 7 5 6 84 5 4 143 10 .245 .343 .506 .849
1983 46 192 164 21 30 6 1 5 53 18 2 1 2 2 23 0 1 50 6 .183 .284 .323 .607
CLE 106 437 371 51 82 17 0 17 150 51 8 3 2 6 57 2 1 98 7 .221 .322 .404 .726
'83計 152 629 535 72 112 23 1 22 203 69 10 4 4 8 80 2 2 148 13 .209 .310 .379 .689
1984 SEA 35 143 108 6 17 3 0 1 23 13 0 3 0 6 28 0 1 27 3 .157 .322 .213 .535
1985 135 574 484 76 104 16 1 32 218 87 3 2 2 3 84 6 1 126 11 .215 .330 .450 .780
1986 57 199 170 24 33 4 0 10 67 26 1 2 1 0 27 3 1 55 2 .194 .308 .394 .702
MIL 44 178 145 21 26 4 1 6 50 10 2 2 2 0 31 1 0 50 3 .179 .324 .345 .669
'86計 101 377 315 45 59 8 1 16 117 36 3 4 3 0 58 4 1 105 5 .187 .316 .371 .687
通算:13年 1435 5486 4677 681 1051 212 13 268 2093 782 50 49 41 53 697 41 18 1339 84 .225 .324 .448 .772
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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脚注

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  1. ^ Apr 15, 1973, Orioles at Brewers Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月24日閲覧。
  2. ^ Apr 11, 1985, Athletics at Mariners Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月24日閲覧。
  3. ^ Apr 29, 1986, Mariners at Red Sox Box Score and Play by Play” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月24日閲覧。

外部リンク

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