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ザ・クーガーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・クーガーズ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル グループ・サウンズ
活動期間 1966年 - 1968年
レーベル 日本クラウン
メンバー 林靖男
松本嘉郎
島田宏昌
土志田正夫
出光功
倉光薫
長瀬晴美

ザ・クーガーズ(The Cougars )は、1966年に結成されたグループ・サウンズのバン ド。1968年10月に、2枚の同時発売シングル「テクテク天国」「あこがれ」でデビュー。1968年夏頃解散。

メンバー

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概要

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1961年日本ビクターからデビューしたロカビリー歌手倉光薫[6]が1966年10月に結成したエレキ・ギター・バンドのゲーターズ(Gatores)に翌1967年日本クラウンで同年5月青春歌謡歌手としてデビューしていた出光功[7]を加え改名を経て9月26日ジャズ喫茶新宿ACBでデビューステージを踏み、10月に日本クラウンからレコード・デビューした。所属の[8]芸能事務所エコー・プロダクションからデビューに際して話題作りにヘア・スタイルを丸刈り坊主頭とその衣装かスコットランド風衣装どちらかの選択を迫られ後者を選び、スコットランド風にアレンジしたキュロットスカートを伴うユニホームで登場活動を開始し話題には成った。 所属事務所にはザ・ジャガーズが在籍しそのミリタリールックが好評からこれに倣った提案で、衣装が限られる子供っぽい丸刈り坊主頭よりステージ衣装と心情で割り切ることができるスコットランド風衣装の方がマシ、演奏営業では着衣の自由が利くというメンバーの判断だった。ナイトクラブなどの出演にはスーツを着用している。

全国交通事故死者数がワースト、ピーク[9]という当時の状況について社会世論は「交通戦争」と皮肉り、政策から交通安全意識の啓発とその運動に交通指導誘導員「みどりのおばさん」が増員された。休日には都心部の道路を車両通行止めにする「歩行者天国」が開始され、楽曲「テクテク天国」はこの道路交通事情と人災が相次いだ社会情勢を反映したユーモア曲として制作された背景があり、「あこがれ」は出光のソロ2作目を兼ねた中途半端な発表となった。 ザ・クーガーズはエレキ・インストロメンタル・バンドを兼ねて発足した前身ゲーターズの由来から「アフロデティ」などではヴォリュームやトレモロ・アームを駆使した印象的な松本のリード・ギターに土志田のハイハットとシンバルを多用する卓越したロックドラムス奏法を聞くことができる。

首都圏のジャズ喫茶を中心に活動、音楽テレビ番組や映画に出演し活躍していたが1968年に入りグループサウンズブームが徐々に退潮しファン層が変化し、ザ・クーガーズの人気が低迷するなか土志田が脱退、5人と臨時サポートメンバーを得てシングル「青い太陽」を発売後、長瀬実を加え心機一転を図ったが打開には繋がらず、出光は転職の誘いを貰い、倉光は音楽家としてキャリアアップを望み同年の秋頃にバンドは活動を停止した。

付記

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  • 同時発売となったシングルで「あこがれb/wこころの恋人」は、「出光功/ザ・クーガーズ」名義。
  • 長瀬実はボーカルとして加入(ドラムスは殆ど扱えなかった)、ザ・クーガーズの活動停止後はいくつかの客演を経て同じくエコー・プロダクション所属していた末期のザ・ブルーインパルスに加入した。
  • 倉光薫のバックバンド、エレキ・インストロメンタル・バンドとして結成した経緯から非公式に「倉光薫と(ザ・)クーガーズ」と呼称することがある。スコットランド風衣装と演奏する楽曲に関連は無かった。
  • ソロ活動再開後の倉光は、1970年穂口雄右らが携わった朝比奈愛子らの企画オムニバス・アルバムに参加、のち「倉光カオル」の別表記で歌手活動と作曲業ではデビル雅美などに楽曲を提供、漫画家はらたいらとは楽曲の共作をきっかけに親交を深めた。はら没後には漫画家さとう有作と祈念の演奏会「はらたいら記念ライブ」や2010年発表The JADEによる、はら作詞の未発表楽曲「くじらのあくび」に携わった。
  • 倉光薫は、旧交から岡本和夫(または岡本和雄。もと寺内タケシとブルージーンズ。)達を伴うオールディーズ音楽バンドの「倉光薫とニュークーガーズ」名称を使い分け演奏活動を続けたが2010年11月、癌で死去した。

ディスコグラフィ

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シングル

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  1. テクテク天国(詞 水沢圭吾、曲 竹村次郎)/アフロデティ(詞 春名美幸、曲 原田良一)日本クラウンPW-2 1967年10月1日発売
  2. あこがれ(詞 なかにし礼、曲 三木たかし)/こころの恋人(詞 なかにし礼、曲 三木たかし)日本クラウンPW-4 1967年10月1日発売 ※出光功・ザ・クーガーズ名義
  3. 好きなんだ(詞 倉光薫、曲 倉光薫)/J&A(詞 水沢圭吾、曲 小杉仁三)日本クラウンPW-10 1968年2月1日発売
  4. 青い太陽(詞 水沢圭吾、曲 鏑木創)/可愛い悪魔(詞 水沢圭吾、曲 鏑木創)日本クラウンPW-22 1968年5月1日発売 ※NETテレビ連続ドラマ「青い太陽」主題歌(主演・小林幸子、放送期間・1968年4月3日- 1968年9月25日)

脚注

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  1. ^ 本名林靖夫、三宅裕司の従兄弟。1945?年-2010年2月4日没
  2. ^ 1947年3月1日生まれ。
  3. ^ 本名溝口伸郎、1946年生-2000年7月19日没
  4. ^ 1945年1月26日-2010年11月没
  5. ^ 本名三原純一、函館市出身1949年9月11日生-2006年9月27日没
  6. ^ デビューシングルは日本ビクターPV-9さらば街角(作詞曲デル・シャノン、日本語詞タカオカンベ、編曲宮川泰)b/wヤング・ワールド(作詞曲デル・シャノン、日本語詞星加ルミ子、編曲東海林修
  7. ^ デビューシングルは日本クラウンCW-651 想い出の赤いパラソル(作詞菊池平三郎、作曲三沢聖彦)b/w涙でかれた花(作詞星野哲郎、作曲田村博)
  8. ^ 永和子log's p.28、もとフィフィ・ザ・フリー吉田一夫インタヴュー。「ザ・ジャガーズとはスケジュールを都合しあったり(中略)赤坂のクラブスペースカプセルは前任のザ・ブルーインパルス(長瀬実が参加)を引継ぎ、同じく所属エコー・プロの出演枠を交代した日(日記にある通り1969年6月29日)楽器搬出を手伝った。会った事は無いけどクーガーズの宣材写真が(エコー・プロの)事務所に掲示されてた。」2003年7月取材
  9. ^ のち1970年には死者16,765人に達した。

文献

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関連項目

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