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シルバープレート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

シルバープレートSilverplate)とは、第二次世界大戦末期に原子爆弾投下任務を遂行するために改修を受けた特殊仕様のB-29を指す呼称、及びその計画のコードネームである。

銀メッキを意味するSilver Plateが語源だが、Silverplateとスペースが入らない表記が用いられた。ただし、計画の初期段階にはSilver Plated Projectとわかち書きで記されていた時期もある。

概要

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この計画に使用されたB-29はプロトタイプを含め第二次世界大戦後までで総数65機、大半が通常型B-29を改修したものであった。プロトタイプの初号機完成は1943年11月末、初飛行は1944年1月である[注釈 1]

最前列に投下実験用の「シンマン」の列。後方に、12の番号を付した投下実験用の「ファットマン」などの列がある。

プロトタイプは、当初計画された「シンマン[3]と呼ばれるプルトニウムガンバレル型原子爆弾(同時進行的に、プルトニウム爆縮方式の長崎原爆ファットマン[4]も計画されていた)の形状に合わせて改修された構造のB-29を指す。このシンマン原爆は全長が5m以上の非常に細長い形状をしていたため、前後2箇所の爆弾倉扉を1つにつなげたシンマン原爆専用ともいえる構造をしていた。

しかし、原爆開発科学者はプルトニウムはガンバレル型原爆には適さない(当時の技術ではガンバレル方式で原爆としての核分裂反応を起こせる純度のプルトニウム239の生成が困難だったため)と結論づけ、プルトニウムの代わりにウラン235を用いるガンバレル型原爆(のちに広島市へ投下された「リトルボーイ」)に設計変更された。ウラン型原爆は爆弾長をシンマンよりもかなり短縮できるとの報告を受け、プロトタイプのシルバープレートは再び前後独立した2箇所の爆弾倉扉に戻され、更に下記に示すような構造に改修されることとなった。

改装箇所

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ボックスカー。垂直尾翼に描かれた円形の中に黒矢印は所属第509混成部隊を表すテールコード。初期表示
ボックスカーの垂直尾翼に描かれた三角形の中にNの表示テールコード。原爆投下作戦秘匿のためテニアン島西飛行場を基地としていた第58爆撃団第444爆撃群のマークを表示した。

広島、長崎市への原爆投下任務に用いた機体は総数15機で、主な改修点として、

  1. 尾部銃座以外の武装撤去
  2. 装甲の撤去
  3. エンジン及びプロペラを改良型に換装
  4. 爆弾懸吊装置の改造(全く形状の異なるリトルボーイ・ファットマンどちらにも臨機対応可能)
  5. 爆弾倉扉の改造(油圧開閉方式→空気圧開閉方式)

等を施された。

また、原爆に関する全ての事項を徹底的に秘匿した(アメリカ国内でも、限られたごく一部の政治家・軍司令官クラスしか原爆計画は知らされていなかった)ため、この機体を配備した原爆投下任務部隊(第509混成部隊)の固有マーキング(円の中に前向きの矢印)も、部隊がテニアン基地に展開しパンプキン爆弾を用いた原爆投下訓練を開始する頃(1945年7月中旬)には既存の通常爆撃部隊のマーキングを流用した。こういった経緯もあって外観上通常型B-29との識別は困難である。なお、マーキングは戦後本国へ帰還したのち元に戻された。

作戦機リスト

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第393爆撃戦隊
陸軍航空軍
シリアルナンバー
ビクター
ナンバー
機体愛称 航空機司令 陸軍航空隊
配属日
テニアン飛行場
到着日
尾翼マーキング
(テイルコード)
44-27296 84 サム・パンプキンス英語版 ジェームス・プライス[5] 1945年3月19日 1945年6月14日 大型 A
44-27297 77 ボックスカー フレデリック・ボック 1945年3月19日 1945年6月17日 三角形 N
44-27298 83 フルハウス ラルフ・テイラー[6] 1945年3月20日 1945年6月17日 四角形 P
44-27299 86 ネクスト・オブジェクティブ英語版 ラルフ・デボー[7] 1945年3月20日 1945年6月17日 三角形 N
44-27300 73 ストレンジ・カーゴ英語版 ジョセフ・ウエストオーバー[8] 1945年4月2日 1945年6月11日 大型 A
44-27301 85 ストレートフラッシュ クロード・イーザリー 1945年4月2日 1945年6月14日 三角形 N
44-27302 72 トップ・シークレット チャールズ・マックナイト[9] 1945年4月2日 1945年6月11日 大型 A
44-27303 71 ジャビット3世英語版 ジョン・ウィルソン[10] 1945年4月3日 1945年6月11日 大型 A
44-27304 88 アップ・アン・アトム英語版 ジョージ・マーコート[11] 1945年4月3日 1945年6月17日 三角形 N
44-27353 89 グレート・アーティスト チャールズ・オルバリー[12] 1945年4月20日 1945年6月28日 丸型 R
44-27354 90 ビッグ・スティンク トーマス・クラッセン[13] 1945年4月20日 1945年6月25日 丸型 R
44-27291 91 ネセサリー・エヴィル英語版 ノーマン・レイ[14] 1945年5月18日 1945年7月2日 丸型 R
44-86292 82 エノラ・ゲイ ロバート・ルイス[15] 1945年5月18日 1945年7月6日 丸型 R
44-86346 94 ルーク・ザ・スポーク英語版 ハーマン・ザン[16] 1945年6月15日 1945年8月2日 四角形 P
44-86347 95 ラッギン・ドラゴン英語版 エドワード・コステロ[17] 1945年6月15日 1945年8月2日 四角形 P
  • 1945年8月8日の時点で機体名が冠せられていたのはエノラ・ゲイ(8月5日に命名、このことについて、本来の44-86292号機機長であったロバート・A・ルイス大尉は不快感を示したという)のみであった。他の14機は8月9日以降に命名され、ノーズアートは戦後本国に帰還した後に描かれた。
  • 機体番号44-86346 ビクターナンバー94号機は名称なし。戦後ルーク・ザ・スポークと命名された。

広島原爆投下任務

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広島市への原子爆弾投下任務に参加した機体は下記の通りである。

 ※バックアップ機はビッグ・スティンクであったという資料もある。

長崎原爆投下任務

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長崎市への原子爆弾投下任務には下記の6機が使用された。

クロスロード作戦

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戦後の1946年7月1日クロスロード作戦において、史上4番目に爆発した原爆となったABLE(エイブル)の投下にデーブス・ドリーム(ビッグ・スティンク)が使用された。

参考文献

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  • Richard H. Campbell 著『They were called Silverplate』
  • 工藤洋三、金子力『原爆投下部隊 第509混成群団と原爆・パンプキン』工藤洋三・金子力、2013年8月1日。ISBN 978-4-9907248-1-8 

脚注

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注釈

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  1. ^ 工藤洋三・金子力の著書『原爆投下部隊』には、1944年2月20日、カリフォルニア州 ムロック(Muroc)の飛行場[1]で、原爆搭載用に改造された最初のシルバープレートB-29が飛行訓練を行ったと記載されている[2]

出典

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  1. ^ 英語:Murocは「ムロック」または「ミューロック」と表記される。
  2. ^ 工藤洋三 & 金子力 2013, p. 04.
  3. ^ 英語:Thin Man、「痩せた姿の男」、「細身の姿の男」、「やせっぽち」などの意味。
  4. ^ 英語:Fat Man、「太った姿の男」、「ふとっちょ」などの意味。
  5. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “James N. Price, Jr.” [ジェームス・プライス]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月4日閲覧。
  6. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Ralph R. Taylor, Jr.” [ラルフ・テイラー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  7. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Ralf N. Devore” [ラルフ・デボー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  8. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Joseph E. Westover” [ジョセフ・ウェストオーバー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  9. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Charles F. McKnight” [チャールズ・マックナイト]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  10. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “John A. Wilson” [ジョン・ウィルソン]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  11. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “George W. Marquardt” [ジョージ・マーコート]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  12. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Charles D. Albury” [チャールズ・オルバリー]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  13. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Thomas J. Classen” [トーマス・クラッセン]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  14. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Norman W. Ray” [ノーマン・レイ]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  15. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Robert A. Lewis” [ロバート・ルイス]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  16. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Herman S. Zahn, Jr.” [ハーマン・ザン]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。
  17. ^ The Atomic Heritage Foundation (AHF) (2023年). “Edward M. Costello” [エドワード・コステロ]. https://ahf.nuclearmuseum.org/. 2023年12月5日閲覧。


関連項目

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外部リンク

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