性別二元制
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性別二元制(あるいは性別二元論、英: Gender binary ジェンダー・バイナリ)とは、性・ジェンダーを「男」と「女」のいずれかに分類する社会規範のことである。
概要
[編集]「性別」という概念は生殖機能や生殖器官と関わっている。しかし、後述するように性染色体、性腺、内性器、外性器など、さまざまな性的特徴のレベルにおいて、性の区分は連続的である[1][2]。つまり生殖機能や生殖器官について注目すれば、性別はグラデーションをなしている。にもかかわらず社会生活において、人々はさまざまな場面で「男」か「女」のいずれか一方に分類される。このことから、性別分類は単なる生物学的な事実ではなく、社会規範(社会的な意味づけ)であるといえる[3]。ただし、性別分類を社会規範とみなすことは、生物学が別の観点から性別を理解することと必ずしも対立するわけではない[4]。
性別二元制への批判
[編集]セクシュアリティ
[編集]性別は生物的であると同時に社会的でもある。さらに生物的な側面についても複数の要素がある。
たとえばインターセックス当事者である橋本秀雄は、以下のように性を10個の次元に分けて説明している[5]。
- 性染色体の構成と性の遺伝情報(X染色体とY染色体の組み合わせ)
- 性腺の発生(卵巣、精巣、卵精巣、線状性腺に分化しているかどうか)
- 内性器の発生(子宮に分化しているか? 前立腺に分化しているか?)
- 外性器の発生(陰唇やクリトリスに分化しているか? 陰嚢やペニスに分化しているか?)
- 尿道口の発生
- 医師が判定する性(女性か、インターセックスか、男性か)
- 戸籍の性別
- 二次性徴(月経が発現するか? 勃起して射精するか? どちらもないか?)
- 社会規範としてのアイデンティティ(性自認、社会的地位、男らしさ/女らしさなど)
- 性的指向
現実には、これら10個の次元がすべて一致しない場合が多々ある。さらに近年は上の10個以外の次元についても議論されている[注釈 1]。しかし性別二元制という規範のもとでは、これらがすべて一致していることが当然視され、性別二元制のもとではこれらの次元が一致しない人々が社会的に排除されたり不可視化されたりするのである。このようにして、性別二元制はセクシュアル・マイノリティへの差別と結びついている[6]。これについてジュディス・バトラーは、性別二元制は異性愛中心主義が要請するものであるとしている[7]。
フェミニズム
[編集]フェミニズムは、ジェンダー関係の権力的な非対称性を批判しており[8]、フェミニズムからも性別二元制に対する批判が行われている[9]。
1990年代前後のフェミニストらが強調してきたように、「女」というカテゴリーは決して一枚岩ではなく[10][11]、また固定的で「自然な」カテゴリーでもない[12]。このような点から、「女」というカテゴリーを自明の前提とするような立場のフェミニズムに対しては批判がなされている。
ただし語源的に「女(フェミナ)」の「イズム」であるからといって、性別二元制への批判によって「フェミニズム」という枠組み自体が捨て去られるわけではない。まず現実的な問題として、依然として女性差別は根強く残っている[13]。また近年は「男性問題」についてもジェンダーの視点から議論されており、さらに女性同士の間にある差異や、男性同士の間にある差異も議論の対象となっている[14]。このように、「女」というカテゴリーも「男」というカテゴリーも、いまの社会で現に機能しているのである。それゆえ、性別二元制に根源的な疑問を投げかけつつ、同時に性別二元制がどのような形で社会に現れているかを記述・分析する営みとして、「フェミニズム」という枠組みは現代でも有用性をもっている[15]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Montañez, Amanda (2017年8月29日). “Visualizing Sex as a Spectrum” (英語). Scientific American. 2021年5月12日閲覧。
- ^ Ainsworth, Claire (2015-02-19). “Sex redefined” (英語). Nature 518 (7539): 288. doi:10.1038/518288a .
- ^ 金野美奈子,2012,「ジェンダー」『現代社会学事典』(弘文堂)p.500
- ^ 「生物学が生殖するヒトとしての身体に照準するのに対して、社会学は究極的には意味によって構成された社会的世界のあり方に照準する。両者は位相を異にする事実であり、単純な相互規定関係にはない」(金野 2012: p.500)
- ^ 橋本秀雄,2000,『性のグラデーション――半陰陽児を語る』青弓社.p.57-60
- ^ ジェンダーとセックスとセクシュアリティとの結びつきについて、ジュディス・バトラーは以下のように述べている。 「ジェンダーがセックスの当然の帰結でないようなアイデンティティや、欲望の実践がセックスやジェンダーの「当然の帰結」でないようなアイデンティティは存在できない。この場合の「当然の帰結」とは、セクシュアリティの形状や意味を確立し規制している文化の法によって制定されている政治的な必然のことである。事実、ある種の「ジェンダー・アイデンティティ」は、文化の理解可能性の基準に合致しないがゆえに、その文化のなかでは、発達上の失敗とか、論理的不可能性としてしか現れない。だがこの種のものがつねに存在し、増殖していることは、理解可能性の領域に限界があることや、それが規制目的をもっていることをあばき、その結果、その理解可能性というマトリクスの枠のなかでそれに対抗し、それを攪乱させるような、ジェンダー混乱の多様なマトリクスを切り拓く批判の機会を与えるものとなる。」(ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』青土社,1999.p.47)
- ^ 「強制的で自然化された異性愛制度は、男という項を女という項から差異化し、かつ、その差異化が異性愛の欲望の実践をとおして達成されるような二元的なジェンダーを必要とし、またそのようなものとしてジェンダーを規定していく。二元体の枠組みのなかで二つの対立的な契機を差異化する行為は、結局、各項を強化し、各項のセックスとジェンダーと欲望のあいだの内的一貫性を生みだすのである。」(ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』青土社,1999.p.55)
- ^ 「「ジェンダーの正義 gender justice」への要求とは、女性の「男性化」への要求でもなければ、男/女の項の互換性への要求でもない。(……)非対称的な差異化そのものの解体の要求なのである。」(上野千鶴子 『新版 差異の政治学』岩波書店,2015年.p.22)
- ^ 「そもそもジェンダー規範の問題点は、まず第一に、ジェンダー規範は「男」と「女」という二極化され分離されたカテゴリーを作りだし、そのどちらかに人を当てはめるということ、第二に、このジェンダーの二分法は階層秩序をもつものであり、〈二つの差異〉ではなく、〈一つの差別〉を意味しているということだろう。」(竹村和子『フェミニズム』岩波書店,2000年.p.19)
- ^ 黒人女性でフェミニストのベル・フックスは、1970年代頃のフェミニズム運動における白人ブルジョア主義を批判した。「女性間の階級的な分断に焦点を絞らないかぎり、わたしたち女性が社会運動としての連帯を築くことはできないだろう。」(ベル・フックス『ベル・フックスの「フェミニズム理論」――周辺から中心へ』あけび書房,2017年.p.96 なお原著Feminist Theory: From Margin to Centerは1984年出版)
- ^ 「女というカテゴリーの一貫性や統一性に固執すれば、具体的な種々の「女たち」が構築されるさいの文化的、社会的、政治的な交錯の多様性を、結果的に無視してしまうことになる。」(ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』青土社,1999.p.41)
- ^ ジュディス・バトラーによれば、ジェンダーとはあらかじめ存在する実体を表すものではなく、行為することを通じてアイデンティティを生み出す行為遂行的なものである。(ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』青土社,1999.)
- ^ 世界経済フォーラムが発表する「ジェンダー・ギャップ指数」から、「日本の女性と男性との間には、ベーシックな栄養や健康などについては目立った格差は見られないものの、経済力や政治的地位の面では大きな格差がある」と言える。(加藤秀一『はじめてのジェンダー論』有斐閣,2017年.p.170)
- ^ 「男性は、一般にジェンダー秩序の不平等から利益を得ているが、すべての男性が対等に利益を得ているわけではない。実際には、多くの男性たちがかなりの代償を払っている。ゲイであったり、女っぽかったり、または単に弱々しいために、男らしさの支配的な定義から逸脱した男の子や男性は、暴言や差別を受けやすく、ときには暴力の被害者になる。男らしさの支配的定義に合致している男性も、代償を払っている。男性の健康に関する研究が示すように、男性は女性よりも、職場で事故に遭う確率が高く、暴力によって死ぬ確率が高く、アルコールを乱用する傾向が強く、(当然のことながら)スポーツによる怪我が多い。周縁化されたエスニック・グループの男性は、人種差別的な嫌がらせの対象となる可能性があるし、労働条件、健康状態、そして平均余命において恵まれない状況に置かれる傾向にある。」(レイウィン・コンネル『ジェンダー学の最前線』世界思想社,2008年.p.16)
- ^ 「フェミニ・ズムは、女(フェミナ)という概念を自然化せずに前景化して、思考の俎上にのせる(イズム)ということである」(竹村和子『フェミニズム』岩波書店,2000年.p.vii)
参考文献
[編集]- 金野美奈子「ジェンダー」『現代社会学事典』弘文堂,2012年.
- 加藤秀一『はじめてのジェンダー論』有斐閣,2017年.
- レイウィン・コンネル『ジェンダー学の最前線』世界思想社,2008年.(原題:Gender)
- ベル・フックス『ベル・フックスの「フェミニズム理論」――周辺から中心へ』あけび書房,2017年.(原題:Feminist Theory: From Margin to Center)
- ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』青土社、1999年。(原題:Gender Trouble: Feminism and the Subversion of Identity)
- 橋本秀雄『性のグラデーション――半陰陽児を語る』青弓社,2000年.
- 上野千鶴子『新版 差異の政治学』岩波書店,2015.
- 竹村和子『フェミニズム』岩波書店,2000年.
関連項目
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