コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ゲイ・アイコン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
女優歌手ジュディ・ガーランド(1922年-1969年)はゲイ・アイコンの典型的な例として挙げられる。

ゲイ・アイコンGay icon)は、多くのLGBTレズビアンゲイバイセクシャルトランスジェンダー)に支持される、(歴史上または存命中)著名人のことである。英語圏にはDykonという近年になり普及した言葉もあり、これは"dyke"と"icon"からなる複合語で、レズビアンがアイコン性を感じる著名人のことを指す[1]

彼らは性別ジェンダーを問わないが、彼らの性的指向性自認は様々で、その公表/非公表は関連性がない。ゲイ・アイコンの多くはLGBTの社会運動を支持しているが、彼らの中でキリスト教に熱心な一部の人々は反対の立場(LGBT rights opposition)を取っており、さらにその一部はLGBTの地位向上(en)反対論を擁護する立場を取っている。現代のゲイ・アイコンは主に女性芸能人が多いが、シルヴェスターのような男性も含まれる。彼らの多く、または一部は、LGBTコミュニティから支持されている。

歴史における例

[編集]
聖セバスティアヌス は史上最初のゲイ・アイコンといわれている

歴史上で一番古いゲイ・アイコンは聖セバスティアヌスとされている[2]。セバスティアヌスはキリスト教の聖人かつ殉教者で、屈強で衣服を纏わない身体、矢で射抜かれた様、苦痛な様などの要素は、異性愛・同性愛を問わず芸術家達の興味を絶えず惹きつけ、特に19世紀のゲイカルチャーで人気を得た存在だった[2]
ジャーナリストのRichard A. Kayeは「現代のゲイ男性がみても聖セバスティアヌスの肖像は同性愛的(はっきり言うなら、同性的なエロティック)なものを感じるし、これはゲイであることを隠さざるを得なかった時代から続くポートレイトの原点だ。」と記している。[3] セバスティアヌスのゲイ・アイコン的な面を示す例はいくつかあり、劇作家テネシー・ウィリアムズは彼の作品『去年の夏 突然に英語版』で苦労を堪え忍ぶキャラクターの名前に「セバスチャン」の名前を使っている。[4]
この名前はアイルランドの作家で詩人のオスカー・ワイルドが、服役を終えた後の偽名「セバスチャン・メルモス」(Sebastian Melmoth)の引用元になっている。彼はユーモアとダンディでも知られた人物で、19世紀の終わりには同性愛者を公表していたと考えられ、彼自身も今日ではゲイ・アイコンと見なされている。[5]

マリー・アントワネットは初期のレズビアン・アイコンで、フランス革命直前に反王室側が流布した文書ではマリーの女性関係の噂が取り上げられ、性的な内容を事細かに書き連ねた噂話を流布された人物である。 ヴィクトリア朝時代のイギリスでは、フランス王国派の伝記作家がこの噂を否定したがランバル公妃マリー・ルイーズへの寵愛が美化されて話題となっており、1858年の記録には「神の導きで貴重で偉大な二人の愛があの世で結ばれた」という記述が残されている[6]。 彼女の処刑は悲劇の殉死のイメージが影響したのか、19世紀末にはサッフィズム(女性の同性愛、en)のアイコンと見なされていた。 マリーは20世紀のレズビアン文学(en)にも影響を残している。イギリスの詩人ラドクリフ・ホールの著書『さびしさの泉英語版』や、ゲイの劇作家Jonathan Brockettはマリーとランバル公妃について「言い訳や見せかけに疲れた哀れな魂よ…」と表現している。[7]
マリーはゲイ・アイコンでもあり、フランスの作家ジャン・ジュネは彼女に魅了された一人である。彼は1947年の演劇「女中たち英語版」で彼女の処刑シーンを再現している[6]

現代における例

[編集]
マーロン・ブランド(1948年)

現代のエンターテイメント界(映画スターおよびミュージシャン)でゲイ・アイコンに挙げられる人物は、いずれも逞しさや独特な個性の強さを持ち、また早世したり悲劇的な最期を遂げた人物が多いことも特徴である。例えば、1950年代に名声を極めたギリシア系アメリカ人でオペラ歌手のマリア・カラスは、ステージでの魅力的な様や悲劇的な恋愛など波乱に満ちた私生活、舞台を去った後のパリで早世した事などの多くの出来事が彼女をゲイ・アイコンにする要素となった。彼らゲイ・アイコンは同性愛異性愛を問わず、また同性愛を公言しているか否か、性別も様々である。ショーなどでドラァグクイーンが特定の人物になりきって演じる際などは、ゲイ・アイコンの女性がよく取り上げられる。 レズビアン・アイコンと呼ばれる人物は、殆どの場合がレズビアンまたはバイセクシャルで、かつ本人が公言しているか噂のある、パワフルな女性である[8]

しかしながら、一部の男性著名人もレズビアン・アイコンに含まれることもある。ジェームズ・ディーンはその一例で[9]マーロン・ブランドも男性的レズビアンのイメージに似た風貌(en)や、1950年代[10]以降の彼自身のイメージからレズビアン・アイコンとされている[11][12]

マイナーなレズビアン・アイコンのジョニー・キャッシュは、彼の「男らしさに対する不安感や苦しみがレズビアンの要素である」[13]という旨の主張が批判の的となった人物である。サイエンスフィクションの著者フォレスト・J・アッカーマンはレズビアン人権団体Daughters of Bilitisの初期の活動を支えたことから、"honorary lesbian"(名誉レズビアン)の異名で知られる。彼は"Laurajean Ermayne"のペンネームでレズビアンのフィクション小説を書いていたことがある。

一方で、イギリスの新聞ガーディアンのPaul Flynnが「ゲイ・アイコンの概念はもはや"激安"といった見出し的なもので、その概念は"人気"や、逞しさや特徴的なスタイルを作り出せる"能力"などで言い換えられるものになっている[14]」と指摘するなど、ゲイ・アイコンの実態が本来の「ゲイに大きな支持を受けている人物」の特徴を失ったものになりつつあるという声もある。アメリカのゲイ作家Michael Thomas Fordも彼の作品"Last Summer"で同様の主張をしている。

ゲイ・アイコンという用語はアメリカ国内では普通に使われる言葉であるが、同様の概念は他文化圏でも見られる。イタリア系エジプト人のダリダは、生涯を通じて、パリから中東の広いエリアでゲイのファンに支持を得ていた。彼女は死後数年経ってもアイコン性が失われることはなかった[15][16]。同様にボリウッドの俳優アビシェーク・バッチャンはインド国内の調査でゲイ・アイコンとして最近認定された。同性愛を恥とする風習の残るインドにあって、「どんな人からの好意や愛も歓迎です」と述べたと伝えられている。彼自身は異性愛者だが、ゲイ男性の厚いファン層があることを喜んでいる[17][18]

オランダの歌手Willeke Albertiは、歌のレパートリーやキャリアの長さ、ゲイ擁護のパフォーマンスなどでゲイ・アイコンと広く認められている[19]。スペインの女優カルメン・マウラ、イタリアの歌手ミーナ・マッツィーニ、スコットランドのポップシンガージミー・ソマーヴィル、ドイツのシンガー・ソングライターMarianne Rosenberg、イギリスの歌手ダスティ・スプリングフィールドもゲイ・アイコンと見なされている[20][21][22][23][24]

ラテンアメリカにも多くのゲイ・アイコンとされている人物が存在する。タリアはその例の一つで、彼女のシングル曲で1980年代にスペインのバンドAlaska y Dinaramaのヒット曲のカバー"¿A_quién_le_importa?"(誰が心配するの?)は、スペイン語圏のLGBTコミュニティでゲイ・アンセムになっている。また、メキシコのポップシンガーグロリア・トレビもその一人である。グロリアは、差別を受けた男性がドラァグクイーンに成長する内容の曲"Todos Me Miran"(皆が私を見ている)のリリース後に人気が高まったが、彼女はそれまでメキシコのゲイ・レズビアンコミュニティにのみ知られる存在であった。パウリナ・ルビオもラテンアメリカでゲイ・アイコンとされていて、同性婚の活動支援や、「マドンナとセックスしたい」と公に発言したことで話題と支持を得た[25]

エンターテイメント界

[編集]

1930年代 - 1940年代

[編集]

1930年代は、作家、政治活動家、評判の良い有名人に数多くのゲイ・アイコンが存在した。詩人で風刺作家のドロシー・パーカーに数多くのゲイファンが存在したという。とはいえ、ゲイ男性を意味する"Friend of Dorothy"という言葉は、後年になってジュディ・ガーランドが『オズの魔法使』でドロシーを演じた頃になって普及したが[26]、パーカーに端を発すると言われている。

映画「愛の勝利」のベティ・デイヴィス(1939年)

1939年の映画「愛の勝利」でのベティ・デイヴィスの演技はクィア学者のイヴ・セジウィックによって「クローゼットの認識論」の異名で呼ばれている[27]。主人公Judith Traherneを演じたデイヴィスの演技は、どこか秘密を隠した雰囲気と"camp-worthy"というセリフで、ドラマチックな世界に生きる派手なクイーンを連想させ、彼女の人気を押し上げた[27]。"Dark Victory: The Life of Bette Davis"の著者Ed Sikovは、「20世紀のゲイ達は、デイヴィスを見本に自分達のサブカルチャを発展させた」と言及している[27]

クイア学者Marcella Althaus-Reidは著書"Liberation Theology and Sexuality"で、マレーネ・ディートリヒが最初にハリウッドの評論家の絶賛を受けたドイツ生まれ女優というだけでなく、退廃的かつ美性・完全性・官能性を備えた最初の女性だと述べている[28][29]。 Althaus-Reidは、リオデジャネイロにてアパレシーダの聖母の姿をしたディートリヒの立像がコパカバーナのゲイバーに存在しているのを確認している[29]黒い聖母を思わせるディートリッヒのイメージは、彼女の華やかさと困難多き姿を物語っている[29]。Althaus-Reidによると、ディートリヒを神格化した立像は、メアリー像と交換されたものであるという。

メイ・ウエストは彼女がデビューした頃からのゲイ・アイコンであり、ゲイの権利をサポートしていたが、彼女のパフォーマンスがキャンプ的なスタイルを連想させるとして顰蹙(ひんしゅく)を買った[30]

この年代の他のアイコンに、男性との交際の噂があった俳優のケーリー・グラント[31]カルメン・ミランダ[32]レナ・ホーン[33]ジョセフィン・ベーカー[34]エセル・マーマン[35]グレタ・ガルボ[36]キャサリン・ヘプバーン[37]メイ・ウエスト[38]ジンジャー・ロジャース[39]タルラー・バンクヘッド[40]エディット・ピアフ[41]ノエル・カワードなどがいる。

1950年代 - 1960年代

[編集]
最も有名なゲイ・アイコンの一つとも言われるドロシーを演じるジュディ・ガーランド(1922年–1969年)

ゲイ・アイコンの元型の一つはジュディ・ガーランドである[42]。ジュディはバイセクシュアルであり、特に有名なゲイ・アイコンの一人とされている[26]。"Culture Clash: The Making of Gay Sensibility"の著者Michael Bronskiは、「ストーンウォール時代直前のゲイ・アイコンの中心的な存在」とガーランドを評している[43]。 映画『オズの魔法使』で演じたドロシー役で知られるガーランドのゲイ・アイコンとしての敬愛度は高く、1950年代のゲイの間で隠語として使われるほどだった[43]。たとえば、"Is he a friend of Dorothy?"(彼はドロシーの友達?)という言い回しは、「彼はゲイ?」という意味で使われていた[43]

物語の中で、ブリキ男や臆病なライオン、カカシといった妙な仲間と出会うドロシーのキャラクターと、「ドロシーの友達」の意味していた「ありふれていない、奇妙さ」といったニュアンスが「クウィア」へと通じていった[43]。ガーランドは映画で演じたキャンプな姿が有名だが、実際には正反対の性格で、「彼女の歴史は落胆と憂鬱」であったとBronskiは述べている。

彼女のゲイファンに対する考え方ははっきりしていない[44]

Bronskiが意見しているように、1950年代のハリウッドは「活気あふれる30年代と自立した40年代」から一転して淀んだ空気に包まれていた。ガーランドだけでなくラナ・ターナースーザン・ヘイワードも「苦悩する姿は魅力の一部…50年代の女性スターはゲイ達と同じく、苦悩し、美しかった」とBronskiは記している[43]

ガーランドの娘ライザ・ミネリも母と同じくゲイ・アイコンであり[8]バーブラ・ストライサンドも同様である[8]

ジョーン・クロフォードは、芸術に身を捧げた生き方で「究極のゲイ・アイコン」と呼ばれている[45]。Lawrence J. Quirkは著書"Joan Crawford: The Essential Biography"にて、彼女の公私両方においてもがく姿に同情してくれるゲイ男性達にクロフォードはアピールしていた、と説明している[46]。クロフォードは1930年代 - 1940年代にかけて素晴らしい映画スターであったが、"joan crawford: Hollywood Martyr"の著者David Bretによると、完璧なゲイ・アイコンになったのは、彼女がカラーで撮影された最初の映画『Torch Song』(1953年)の後だったという。Bretはさらに、女優の赤い髪、濃い目の色、ビクトリーレッドの唇が、ゲイ界の他のセイレーン:ディートリッヒ、ガーランド、タルラー・バンクヘッドエディット・ピアフ、そして若き日のマリリン・モンローマリア・カラスに共通する項目であると述べている[45]

女優・ルシル・ボール(1945年)

ルシル・ボールもこの時代の卓越したアイコンである。リー・タネン(Lee Tannen)の著書"I Loved Lucy: My Friendship with Lucille Ball"で、彼は共通の友達からボールがはじめてゲイ・アイコンと言われたときの体験を述べている[47]ウェストハリウッドのバーでは彼女が出演していたテレビシリーズ『アイ・ラブ・ルーシー』を毎週末に見るのが恒例になっているのが知り、ボールはゲイ男性から熱烈な賞賛を受けたと話していた。 米国のゲイ向け雑誌『OUT』のインタビューにて、タネンは「ボールの演じたキャラクター、ルーシー・リカードは何をしても失敗ばかりで、自分みたいだと思うゲイ男性は多かったと思う」と述べてルーシーは正にゲイ・アイコンだ、と自身の意見を説明している[48]

テレビ伝道師Jim Bakkerの元妻で牧師Jay Bakkerの母タミー・フェイ・メスナー英語版は"究極のドラァグクイーン"と呼ばれている。ラリー・キングとの最後のインタビューで「私が何もかも失った時に、私を助けにきてくれたのはゲイの人々だったの。それ以来私は彼らが大好きだわ。」と語っている[49]

この時代の他のアイコンには、リベラーチェ[50]ジュリー・アンドリュース[51]シャーリー・バッシー[52]デビー・レイノルズ[53]バーバラ・クック英語版[54]ロック・ハドソン[50]ファビュラス・ムーラドリス・デイ[55]アーサー・キット[56]クララ・ウォード[57]マリリン・モンロー[8]グロリア・スワンソンエリザベス・テイラー[58]などがいる。

1970年代 - 1980年代

[編集]

1970年代のゲイディスコシーンにおける最初のゲイ・アイコンは"クイーン・オブ・ディスコ"と称されたドナ・サマーであり、彼女のダンスナンバーはクラブ好きのゲイコミュニティのアンセムであった[31]。彼女の代表曲"Love to Love You Baby"(邦題:愛の誘惑)はゲイ・アンセムに留まらず、"absolute disco epic"(完全なるディスコの叙事詩)とまで評さるほど全てのセクシャリティに渡って愛された。この曲はヨーロッパのディスコから火が付いた後アメリカへ飛び火し、レコード界のムーブメントが数年に渡り影響を受けるほどのインパクトがあった[59]。しかしながら、エイズ禍が広がりを見せ始めた1980年代にキリスト教を信仰し始めたサマーは、「AIDSはゲイに対する天罰である」と同性愛嫌悪の意見を述べたというデマが流れ[60]、批判の波に巻き込まれることになる。この事件で彼女はゲイ・コミュニティから見放されることになった[61]

1983年のアトランティックシティの後、カムバックを果たしたことを大変喜んでいたサマーはファンに話していた。サマーがキリスト教信仰を新たに始めたことを知るエイズ患者の男性ファンが、サマーに自分のために祈りを捧げて欲しいとお願いし、彼女は喜びを口にしていたが、誰かが彼女の行為が偽善的だと騒ぎ出した。その時点で会場のファンにどよめきが走り、非礼な一部のファンが「劇場から出ろ」と叫ぶなど、多くの目撃者が加熱した現場に陥っていたと証言している。サマーは「ゲイコミュニティにエイズが表れたのは、無謀なライフスタイルが原因だ」と述べているが、「エイズが神からの罰」とは語っていなかったと状況を知る複数のファンが証言している。サマーとゲイのファンが共に祈り、前述のファンにキリストの教えに戻るよう声を掛けて抱擁を交わした[62]
D.L. Groover、OutSmart magazine

1980年代中盤の間、サマーの広報はデマについての否定声明を数回に渡って出し[62]、レコード業界とゲイコミュニティの一部が彼女を支え続けた。しかしながら、サマー自身はこの件について沈黙を続け、彼女が直接言及するのは数年後のことになる[62]。1989年に雑誌アドボケートのインタビューに答え、自分のキャリアはオープンゲイの多くのスタッフと共に築いてきたし、ゲイを理由に彼らを批難したことは一度も無い[62]と述べ、「私は性的指向で人を見たりしない。ゲイかストレートかで人を判断したりしないわ。私の愛は人としての思いやりから成っているのよ。」[62]と述べた。 同じディスコシンガーグロリア・ゲイナーも彼女のシングル"I Will Survive"がフェミニストとゲイの社会運動のアンセムになっていることでゲイコミュニティからの大きな支持を受けていた[63]。さらにダイアナ・ロス、グレース・ジョーンズ、メルバ・ムーア、ロリータ・ハロウェイらも、DJやゲイの客たち、LGBTコミュニティから厚い支持を受けた[64]

歌手のキャス・エリオットは、ファッション性と個性を尊重する歌詞("Make Your Own Kind of Music"や"Different"など)や、自由な恋愛や歌唱力のインパクトで知られている。彼女の曲は1996年のゲイ映画『とても素敵なこと-初恋のフェアリーテール-』で使用されている。歌手で女優のベット・ミドラーは1970年代のゲイ・アイコンとして認識されるが、ブロードウェイシアターでのパフォーマンスの後、ニューヨークのゲイ向けバスハウスContinental Baths内のクラブでパフォーマンスを始めた。彼女はここでピアノ伴奏をお願いしたバリー・マニロウと親しくなり、その後彼がミドラーの最初のメジャーアルバム「The Divine Miss M」(1973年)をプロデュースすることとなる。

(エイズ禍が)広まる場所だったけど、(バスハウスで歌っていた)あの頃を今でも誇りに思うわ。ゲイ解放運動の先端に立っているような気分だったし、私もその役に立っていたと思いたいわ。そう、誇りを持って「バスハウスのベティ」って肩書きを持っているのよ[65]
Bette Midler、Houston Voice

1970年代から1980年代に掛けてのゲイコミュニティで 大きな支持を得ていたアーティストに、ダイアナ・ロス[66]グレイス・ジョーンズCharo[67]エレイン・ペイジ,[68]ドリー・パートン[69]がいる。またイギリス人には、作家クエンティン・クリスプ[50]カルチャー・クラブのボーカルのボーイ・ジョージ[70][71][72]クイーンのメンバーでフレディ・マーキュリー[73]の三人のゲイが、またバイセクシャルではデヴィッド・ボウイ[74]らがゲイ・アイコンにいる。

ボーイ・ジョージはその目を惹くルックスとクィアな雰囲気によって世間の注目をいち早く集めた[71]。エルトン・ジョン[75]もこの時代にゲイ・アイコンとなっていたが、1990年代にかけてより大きな存在になっていく。

オーストラリア出身の歌手オリビア・ニュートン=ジョンは同性婚支持の表明、『グリース』『ザナドゥ』などへの映画出演、ヒット曲「フィジカル」のMVにゲイの男性を登場させたことからゲイ・アイコンの一人として数えられている[76]

ディスコ・ポピュラーミュージックの歌手で女優のシェール (Cher)は彼女の音楽性だけでなく、映画『シルクウッド』でレズビアンを演じてアカデミー助演女優賞にノミネートされるなど、ゲイコミュニティで重要な人物として扱われている[77]。彼女の娘Chastity Bonoが17歳の時にカムアウトしたが、シェールが最初に感じたことは「自責心、恐れ、哀しみ」であったという[77]。シェールが娘の性的指向を受け入れることができた時に、彼女は自身の娘やLGBTの人々が「不公平にも、誰もが持つのと同じ権利を持っていない」という事実を実感した[78]。シェールはLGBTの人々のゲイ・アイコンに留まらず、ゲイ・レズビアン・バイセクシャル・トランスジェンダーの子を持つストレートの親の手本となる人物にもなった[77]

シェールは1997年のPFLAG(レズビアン・ゲイの家族と友人の会)国際会議の基調講演を務めた[77][78]。シェールの音楽界における長いキャリアが多くのゲイファンの支持を集め続けている[79]。"Gay Pride: A Celebration of All Things Gay and Lesbian"の著者William J. Mannは、「私たちが60歳になっても、90歳になったシェールの音楽で踊っているだろう。」と述べている[79]。シェールは自身のキャリアがつまづいた時期にも支えてくれたのはゲイファン達だったと言及している[80]

マドンナ(右から2番目、2023年)
マドンナ(中央、2023年)

メディアから"クイーン・オブ・ポップ"、"クイーン・オブ・ダンス"の異名で呼ばれ、ギネス世界記録に「世界で最も成功した女性歌手」の記録を打ち立てた、ポップシンガーのマドンナ(en:Madonna as gay icon)は、20世紀末におけるゲイ・アイコンの星とも言える人物になった[81][82][83][84]。。そのキャリアを通じてゲイファンが存在していることが知られ、彼女はゲイコミュニティに関連する様々な事を曲やパフォーマンスで表現しており、ゲイクラブでパフォーマンスすることもあった。彼女はインタビューで親友の何人かはゲイで、自身が"史上最大のゲイ・アイコン"[85]と評されたことでゲイを敬愛している、と言及している。また1990年代初頭のテレビ・インタビューで「今のアメリカの最も大きな問題は同性愛差別」と指摘している。

雑誌The AdvocateのSteve Gdulaは、「1980年代から1990年代の前半にかけて、マドンナのビデオやシングルのリリースは、祝日が来るようなものだった。少なくとも彼女のゲイファンにはね[83]」と述べ、アメリカ国内のゲイ男性にエイズ感染の輪が拡大していた当時の背景を踏まえて「彼らの後押しでスターダムに上った他のアーティスト達が彼らとの距離を取ろうとするなかで、マドンナだけがゲイファン達に(希望の)光を当てるべく舞い戻り、まばゆい輝きを浴びせた存在だった[83]」とコメントしている。"Madonna As Postmodern Myth: How One Star's Self-Construction Rewrites Sex, Gender"の著者Georges-Claude Guilbertは、ゲイ・アイコンとしてのマドンナへの賛辞は、ジュディ・ガーランドのものと等しく、共通点も多いと指摘している[61]。ゲイ・アイコンについて「通例、女性のゲイ・アイコンは傷つき易いか自殺を遂げてしまったスターか、マドンナのように何者にも屈しない強いアイドルのいずれかに属している」とGuilbertは指摘している.[61]。マドンナは親しかったダンス講師をエイズで亡くしたことから、エイズ問題にも積極的に取り組んだ[84]Blond Ambition Tourではバックダンサーの多くがゲイであり、ツアーの舞台裏を描いた映画『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』にも彼らは登場[84]ゲイ・パレードやゲイ同士のキスが映し出された[86]。マドンナは自身のバイセクシャル性や女性との親密な関係でも知られ、特にサンドラ・バーンハードとの性的関係の噂は、メディアの憶測を呼んだ[87]。1999年にはMTV Video Music Awardsドラァグ・クイーン達がマドンナの歴代のコスチュームを着用するトリビュート・パフォーマンスも行われた[84]

第7回 ゲイゲームズ (2006年)の閉会式にてレインボーカラーのドレスでパフォーマンスをするシンディ・ローパー

もう一人の歌手のスーパースターにシンディ・ローパーがいる[88]。シンディとマドンナはウーマンリブの先駆者達である[89]。1983年に発売されたシンディのデビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』は、彼女の代表曲ともなる「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」などが持つゲイフレンドリー、レズビアンフレンドリーな力強さで多くのファンを獲得した[90]。シンディは人々を公平に分け隔てなく扱う姿勢を1960年代に自分が育ったことが原因で、「世界の視点を変えよう」という1960年代の音楽の賜物だと述べている[91]。シンディによると「誹謗や暴力に立ち向かうコミュニティの人々…ゲイの人々を私が意識するようになっていたから、1970年代前半前には、姉がカムアウトしていた」という[91]。ローパーはそれ以来ゲイの権利擁護派に立ち、LGBTの人々への支援や権利平等派への投票の呼びかけを行っている[91]

LGBTの権利支援の活動は、シンディが毎年行う「True Colors Tour」のテーマになっている。

アメリカ人としてお互いを知らなくてはいけないし、平等は公平でなくてはなりません。人を愛する事で差別を受けた多くの人々がいるかもしれません。より大きな声を上げましょう。声を上げ、そして投票をしてください。アメリカ人として平等に与えられた唯一の方法です。私たちは投票する権利があります[91]
Cyndi Lauper、The Advocate

1980年代の中盤には、様々な文化を取り上げて新たな風を呼び込んだ告白スタイルの番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』の司会オプラ・ウィンフリーがゲイコミュニティのアイコンに浮上している。イエール大学の社会学学者Joshua Gamsonは著書"Freaks Talk Back"で、「タブロイド・トークショーのジャンルはウィンフリー[92]フィル・ドナヒューが裾野を広げ、それまで性的な規格にそぐわない人々とされてきた性的少数者の人々を衝撃力の大きいメディアに登場させる機会を数十年にわたって提供してきた点で20世紀におけるどの活動よりも貢献が大きく、ゲイをメインストリームに押し上げ、また社会的受容を広げる役割を果たしている。」と書いた。

エレン・デジェネレス(2004年)

エレン・デジェネレスはウィンフリーに相談をした後にシチュエーション・コメディの『エレンの部屋』のなかで自身がレズビアンであることをカムアウトした。

ウィンフリーは1990年代中盤にタブロイド・トーク体裁のジャンルから離れたが、彼女のその面における役割は、リッキー・レイクジェニー・ジョーンズ英語版ジェリー・スプリンガー英語版などが受け継ぎ、ウィンフリーはゲイフレンドリーな番組の放送を続けている。ウィンフリーの番組「Oprah's Big Give」は同性愛を公言している司会者ネイト・バーカス英語版が登場する初のリアリティ番組として知られている。ウィンフリーの番組はGLAADメディア賞に幾度となくノミネートされ、2007年に賞を受賞している[93]。ウィンフリーのゲイ・アイコン性は、大衆文化にも広まっている。リアリティ番組の一つ「The Benefactor」では、ウィンフリーに多大な影響を受けたアフリカ系アメリカ人のゲイ男性が主人公で、彼は「ウィンフリーならどうするか?」を自問してから行動をしている。歌手アダム・ランバートもウィンフリーに大きな影響を受けたファンであることを自認している[94]

この年代のアイコンには他にバナナラマ[95]エステル・ゲティビアトリス・アーサー[96]ジョーン・コリンズ[97]アニー・レノックス[98]などがいる。

1990年代 - 2000年代

[編集]
ジャネット・ジャクソン(2002年)

1990年代に「コンテンポラリー・ミュージックで最も楽曲が売れたアーティスト」の記録を2回打ち立てたジャネット・ジャクソン(en:Janet Jackson as gay icon)は、彼女の6枚目のアルバム『ザ・ヴェルヴェット・ロープ』(The Velvet Rope、1997年)のリリース後に著名なゲイ・アイコンとなった[99][100][101][102]。このアルバムはNational Black Lesbian and Gay Leadership Forumからの高い評価を受け、1998年の第19回GLAADメディア賞では性的指向や同性愛嫌悪を扱った楽曲として評価されて優秀音楽アルバム賞を受賞した[103]。2004年にはニューヨークで開催されたプライド・ダンスのイベントに出演[102]

2008年にはジャネットがLGBTの人々の平等性をエンターテイメントを通じて支えた功労を評価され、メディア・モニタリング団体の中傷と闘うゲイ&レズビアン同盟よりヴァンガード賞英語版が贈られた[102][103]。GLAADの代表Neil G. Giulianoは「ジャクソンさんは、我が国が直面している深刻なLGBTの人々に対する名誉毀損に立ち向かう私たちと共にあり、LGBTコミュニティ内外からの絶大な支持を受けている」とコメントしている[103]

カイリー・ミノーグ(2018年)

カイリー・ミノーグはディスコに影響を受けたダンス・ミュージックやそのキャンピーなスタイルで知られており、ゲイ層から高い支持を受けている[104][105][106][107]。彼女は特にゲイ層に向けて活動していなかった初期の頃からどんな時でもゲイのファン達がそばにいてくれたと語っている。ゲイを公言しているシンガーソングライターのルーファス・ウェインライトはカイリーについて「ゲイが手っ取り早く喜ぶ」と評している。カイリーはゲイ・アンド・レズビアン・マルディ・グラのパーティで1994年、1998年、2012年[108]の3回、2018年のパームスプリングスのホワイトパーティ、ニューヨーク市で行われた2019年のワールドプライドに参加し、2023年にシドニーで開催されたワールドプライドの開会式ではヘッドライナーも務めている[109]

カイリーは厚いゲイのファン層がある理由を「明確な答えはわからないわ。ゲイのオーディエンスは芸能活動を始めたときからいたから…私が養女になったような感じかしらね」と述べている。彼女は自分が多くのゲイ・アイコンと異なり、悲劇的な人物ではない点と強調している。「悲劇的な髪型や服装をしたことは数えきれないわ。でもそのおかげでより良くなるきっかけになったのよ!」[110]とコメントしている。

妹のダニー・ミノーグもアイコンの一人である[111]。LGBTQの権利支援に積極的であり、マルディ・グラにも参加しているほか[112]、ゲイの男性を対象としたデート番組『I Kissed a Boy』の司会を務めるなどしている[113]。2023年のワールドプライドにも姉のカイリーと出演している[109]

トルコのエレクトロポップシンガーハンデ・エネル[114][115][116]はゲイ・オーディエンスとの関係性について「強い絆が存在する」[117]と述べている。エネルはキャリアのなかで新しいスタイルに挑戦しており、反偏見の立場の人物であることがゲイ・オーディエンスによく知られている。またゲイクラブによく出没することが知られており[118]、ゲイクラブでのパフォーマンスを行うトルコでは数少ないシンガーの一人とされている[119]。またゲイがテーマのトルコ映画『Kraliçe Fabrikada』でゲイ・アイコンとして取り上げられたことを喜んでいる[120]ほか、İstanbul Gay Pride 2009に参加する[120]など、積極的な反応をしている。

女優メーガン・ムラーリーはテレビドラマ『ふたりは友達? ウィル&グレイス』のカレン・ウォーカー役が当たり、ゲイ・アイコンとなった[121]。あるコメンテーターはこの番組のムラーリーについて「彼女になりたい、彼女と仲良くなりたいと思う男女両方のゲイファンの心を魅了する役だ」と述べている[121]

ステージでの奔放な振る舞いや権威をものともしない性格で有名なロックミュージシャンのコートニー・ラブは1990年代中盤のゲイ・アイコンとされ、彼女のバンドのホールがリリースした3枚目のアルバム『Live Through This』はマルチプラチナ・アルバムとなった[122]。ラブ自身の私生活はドラッグに溺れたものであったが、彼女の生い立ちや落ち込みを見せる姿、アーティストとしての激しさ全てがゲイ・アイコンとなる要素を備えていた。ラブは十代から二十代の初めまでゲイ男性やドラァグクイーン達と交流を重ねた時期があった[123][124]。ラブの熱狂的なゲイファン層については、2010年にホールの4枚目のアルバムがリリースされた際に ニューヨーク・プレスの記事[125] にて語られた[126]

メディア関連の人物や著名人で性的指向を公表した人々でゲイ・アイコンになった人物にはニール・パトリック・ハリス[50]K.d.ラング[127]ロージー・オドネル[128]T・R・ナイト[50]などがいる。

またこの時代のゲイ・アイコンにはブリトニー・スピアーズ[129]ルーシー・ローレス[50]スパイス・ガールズ[130]などがいる。

2010年 - 現在

[編集]

近年では数多くのエンターテイナーが新世代のゲイ・アイコンとして名が挙がる。性的指向を公表した男性の中ではオリー・アレクサンダー[131][132]リル・ナズ・X[72][132][133][134]が新世代のアイコンとして取り上げられている。

上記に挙がった以外にも様々なアーティストらがゲイ・アイコンとして扱われる場合がある。以下はその例の一部である。

スポーツ界

[編集]

マルチナ・ナブラチロワ[8]ビリー・ジーン・キングベン・コーエン[192][193]デビッド・ベッカムクリスティアーノ・ロナウド[194]などがゲイ・アイコンとされている[195]

性的指向を公表した男性としてはトーマス・デーリーがゲイ・アイコンの一人として数えられている[196]

政界

[編集]
人権活動家コレッタ・スコット・キング(1927年-2006年)

政治界においても数多くのゲイ・アイコンが存在するが、ダイアナ[197]ジョージ・マスコーニ英語版[198]Coretta Scott King[199]エイブラハム・リンカーン[200]ウィニー・マンデラ[201]ヒラリー・クリントン[202]エバ・ペロン[203]ジャクリーン・ケネディ・オナシス[204]イメルダ・マルコス[14]などが著名な存在とされている。アイルランドの人権活動家ロジャー・ケースメントは20世紀初頭のゲイ・アイコンであった[205]。前述の女性人権活動家のコレッタ・スコット・キングはゲイコミュニティにおけるゲイの権利運動家のなかでも評価の高い人物だった[199]。 コレッタの人生において、彼女の夫マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが導いた公民権運動の成功は、LGBT運動のそれと一致したものだった[199]

私はレズビアンやゲイ達の権利について語るべきではない、人種の平等に関する論点では批判に回るべきだという声を未だに耳にします。その時にはマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの「非正義はどこにあっても、あらゆる正義の脅威となる」の言葉を思い出すようにしています。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが思い描いた子供達が同じテーブルに集うなかに、レズビアンとゲイの子供達が加わることを皆が願うよう、訴えていきたい。[199]
Coretta Scott King、Metro Weekly

米サンフランシスコの政治家ハーヴェイ・ミルクアメリカ国内で最初にゲイを公表して選挙で選ばれた公職者で、1978年にブリッグス州上院議員が成立を目指した投票法案「条例6」(教職にある同性愛者をその性的指向を理由に解雇できるとする条例、en)の破棄に尽力した人物ある。彼は議員としてごく僅かな期間のうちに暗殺されてしまったため、ゲイの地位向上における殉職者として有名で、LGBTまたは性指向定まっていない高校生のための学校「Harvey Milk High School」に名を残すなど良きロールモデルとして慕われている[206]。彼の生涯は映画『ミルク』で映画化され、主演のショーン・ペンアカデミー主演男優賞を獲得し、映画が公開となった2008年にはカリフォルニア州法案8英語版(婚姻を男女間に限るSec. 7.5を無効とする法案)が通過した[207]。彼らは精神的強さやスタイル、思いやりや人権平等化の活動が評価された人物達である。

皮肉にもアイコンになってしまった例として反同性愛の活動家アニタ・ブライアントがいる[208]。 1970年代にかけてブライアント達が展開した"Save Our Children"キャンペーンは、同性愛と児童虐待を強引に結びつけ、同性愛は当事者の心における自然発生的なものでなく、同性愛者が引きずり込み仲間を増やしているという主張を激しく行っていた[209]。カリフォルニア州上院議員のジョン・V・ブリッグス英語版はこの活動を"愛国的"で神聖な戦いで、同性愛からアメリカの子供を守る勇気ある行動だと支持した[209]。 しかしながら、雑誌アドボケートのBruce C. Steeleは、ブライアントのゲイ権利活動に対する十字軍的行動は、彼女自身をその言葉と同義語にさせてしまったと述べている。

10年ほど前に私がアメリカの書籍販売団体のコンベンションにいたときにブライアントが現れて、フロリダ・オレンジ・ジュースのスポークスパーソンの仕事などを例に出して、同性愛が彼女のキャリアを破壊してしまったことを未だに怨めしく訴えていた。[208]
as told to Bruce C. Steele、The Advocate

皮肉にも、フロリダ・オレンジ・ジュースのボイコットがブライアントの仕事を失った直接的な理由ではないが、ブライアントの反同性愛の活動は彼女自身をその犠牲者にしてしまった。

展示キュレーターで、ワシントンにあるスミソニアン博物館の元展示責任者のJohn Coppolaは「偶然にも、アニタ・ブライアントの活動はゲイ権利活動の好機となってしまった。彼女とその支持者の横暴さはゲイ権利活動を充分すぎるほど活気づけてしまった[210]」と述べている。ブライアントの反LGBT活動から30年を記念した式典がStonewall Library & Archivesで行われ、この式典の代表Jack Rutlandは彼女を"The Mother of Gay Rights"(ゲイ権利の母)と讃えた[210]

フィクションにおける例

[編集]

数多くの架空のキャラクターがゲイ・アイコンであるとされている。アメリカン・アニメーションの黄金時代につくられたワーナー・ブラザース・カートゥーン(Warner Bros. Cartoons)のキャラクターに、擬人化されたウサギバッグス・バニー(米TV Guide英語版が史上最高のアニメキャラクターの一人と総称されたキャラクター)は、「クィアカルチャーアイコンで、パロディのディーバ」と評される。[211][212][213]スポンジ・ボブのキャラクターの一人パトリック・スターは性的な暗喩を持つダブルミーニングなセリフを呟くことで、新たなゲイ・アイコンの仲間入りをしている。

コミックにおいてもゲイ・アイコンは存在する。『バットマン』における同性愛的解釈や、オリジナルのロビンディック・グレイソンは文化的にも興味深いが、精神科医フレドリック・ワーサムの著書『無垢への誘惑英語版』(1954年)など学術研究においても関心を集めることがある。

1950年代の中盤に、ワーサムは反コミックブックの全国キャンペーンを展開し、コミックブックが子供を性と暴力を結びつけるという説をアメリカ人に主張していた[214]。 バットマンとロビンの関係性についてワーサムは「成熟した大人のそばにいる若者という形態や「ガニメデゼウス」的な恋愛関係に繋がるバットマンのようなストーリーは、同性愛指向を定着させる原因となる」と断言している[215]。"Containing America: Cultural Production and Consumption in Fifties America"の著者Nathan Abramsとジュリー・ヒューズは、バットマンとロビンを同性愛的解釈と結びつけることは前述のワーサムの著書の前にも存在したと指摘している[216]。ワーサムは彼の著書について、実際にはカリフォルニアの精神科医が以前に研究したものに刺激されたものだと主張している[216]

バットマンと悪役ジョーカーの関係性も、多くの人によって同性愛的な解釈をされている。『バットマン: ダークナイト・リターンズ』の著者フランク・ミラーは彼らについて「homophobic nightmare (反同性愛者の悪夢)」と語り、彼らの性的衝動が犯罪取り締まりに駆り立て、結びの言葉「彼がゲイ(同性愛・陽気な)だったら、まともだったろう」の言葉に繋がっているのだと分析している[217]。また、スーパーマンもゲイ・アイコンの一つである[218]

1960年代にLGBTカルチャーに最も影響を与えたテレビ番組にコメディ番組『奥さまは魔女』がある。キャンプ的なキャラクター性はさておき、この番組には2人のゲイ出演者(ディック・サージェント英語版ポール・リンデ)がいる。番組のスター、エリザベス・モンゴメリーとサージェントは、1990年代前半のロサンゼルスで行われたゲイ・パレードのグランドマーシャルだった。他の例にはサイエンスフィクションの番組『バフィー 〜恋する十字架〜』や、『オール・マイ・チルドレン』のビアンカ・モンゴメリー英語版がある。

日本の男女ゲイ・アイコン、LGBTアイコン

[編集]
松任谷由実(1989年)

ゲイの間で多くの女性、男性、ゲイの俳優、歌手が人気を獲得してきた。1960年代から1970年代に人気があったのは、高倉健、三島由紀夫、赤木圭一郎[219]、カルーセル麻紀、美輪明宏らだった[219]。1970年代には山口百恵ピンクレディーも人気者になった。1980年代には早見優柏原芳恵などは概ねゲイシーンでも好評であった[要出典]1990年代華原朋美安室奈美恵MAXSPEED浜崎あゆみモーニング娘。が人気だった。上原多香子、浜崎あゆみは特に人気があった。レズビアンに人気があった女優は中谷美紀榎本加奈子[要出典]。ゲイシーンではMAXやSPEEDの振り付けを真似るのが流行った。2000年代に入ると、dream新宿二丁目で短期間盛り上がり、モーニング娘。や松浦亜弥を含むハロー!プロジェクトが人気になり、2000年代後半にはAKB48Perfumeへと人気が分散した。2010年代KARA少女時代といったK-POPスターが登場した。そして、AKB48以外のAKB48グループが注目を集め、ももいろクローバーZきゃりーぱみゅぱみゅも人気を獲得している。また、この時期にモーニング娘。の人気が再燃した。ゲイ・アイコンとなるアイドルは女性が多く、振り付けがありファンが一緒に踊れるような歌手が支持を受けやすい傾向にある。

ニュー・ミュージック、J-POP系では、松任谷由実[220]中島みゆき[221]が知られている。彼女ら以降のミュージシャンではレベッカDREAMS COME TRUE槇原敬之宇多田ヒカルCrystal Kay加藤ミリヤなどがいた。宇多田ヒカルは2021年、ノンバイナリーであることをカミングアウトしている[222]

ゲイ・アイコンとされる著名人の一部は、ゲイから熱い支持を受けていることを理解している。例えば、松任谷由実は「告白」、宇多田ヒカル[223]も同性愛をテーマにした楽曲を発表している。松田聖子などはゲイイベントに出演し、Perfumeはaikoからの影響で[224]ライブのMCで、「男子〜、女子〜、そうでない人!」とノンバイナリーの観客も意識した呼びかけを行うのが恒例になっている。

脚注

[編集]
  1. ^ Euan Ferguson, Daniela's still dying for it; February 16, 2003; Retrieved on 2007-02-08:All over the South-East men fell in lust with the idea of a fast lippy sexy Scot, and I'm told she also became something of a dykon, a female gay icon.
  2. ^ a b Subjects of the Visual Arts: St. Sebastian”. en:glbtq.com (2002年). 2007年8月1日閲覧。
  3. ^ Kaye, Richard A. (1996). “Losing His Religion: Saint Sebastian as Contemporary Gay Martyr”. Outlooks: Lesbian and Gay Sexualities and Visual Cultures. Peter Horne and Reina Lewis, eds. (New York: Routledge) 86: 105. 
  4. ^ Tiny Rep presents Suddenly, Last Summer” (PDF). September 28, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月1日閲覧。
  5. ^ Vatican comes out of the closet and embraces Oscar; Richard Owen, The Times; ; 2007-01-05. Retrieved 2007-10-14.
  6. ^ a b Fraser, Antonia (2001). Marie Antoinette: The Journey. New York: Anchor. p. 449. ISBN 0-385-48949-8 
  7. ^ Castle, Terry (1993). The Apparitional Lesbian: Female Homosexuality and Modern Culture. New York: en:Columbia University Press. pp. 126–149 and 261n56. ISBN 0-231-07652-5 
  8. ^ a b c d e Abernethy, Michael (2006年11月16日). “Queer, Isn't It?: Gay Icons: Judy Who?”. en:PopMatters. 2007年8月1日閲覧。
  9. ^ Pramaggiore, Maria (February 1997). “Fishing For Girls: Romancing Lesbians in New Queer Cinema”. College Literature 24 (1): 59–75. http://findarticles.com/p/articles/mi_qa3709/is_199702/ai_n8753202/pg_11 2007年2月9日閲覧。. [リンク切れ]
  10. ^ Kennedy, Elizabeth Lapovsky; Madeline D. Davis (1994). Boots of Leather, Slippers of Gold: The History of a Lesbian Community. New York: Penguin. pp. 212–213. ISBN 0-1402-3550-7 
  11. ^ Blackman, Inge; Kathryn Perry (1990). “Skirting the Issue: Lesbian Fashion for the 1990s”. Feminist Review 0 (34): 67–78. doi:10.2307/1395306. http://links.jstor.org/sici?sici=0141-7789%28199021%290%3A34%3C67%3ASTILFF%3E2.0.CO%3B2-H 2007年2月9日閲覧。. 
  12. ^ Halberstam, Judith (1998). Female Masculinity. Durham, NC: Duke University Press. p. 330. ISBN 0-822-32243-9 
  13. ^ Ortega, Teresa. "'My Name is Sue! How do you do?': Johnny Cash as Lesbian Icon". In Tichi, Cecilia (1998). Reading Country Music: Steel Guitars, Opry Stars, and Honky-Tonk Bars. Durham, NC: Duke University Press. p. 222. ISBN 0-8223-2168-8 
  14. ^ a b Flynn, Paul (2006年5月16日). “Margret Thatcher: Gay Icon”. The Guardian (London). http://commentisfree.guardian.co.uk/paul_flynn/2006/05/by_paul_flynn.html 2007年1月15日閲覧。 
  15. ^ Gay Montmartre Tour”. 2008年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月1日閲覧。
  16. ^ France, David (2007年2月). “Dying to come out:The war on gays in Iraq”. en:GQ magazine. May 13, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月7日閲覧。
  17. ^ Abhishek ready to be gay icon”. MSN.co.in (2006年9月5日). June 30, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年2月7日閲覧。
  18. ^ Gay Icon Embarrassment”. Asian News.co.uk (2006年11月24日). 2007年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月15日閲覧。
  19. ^ Foot and Hand Prints in Rotterdam. Retrieved 2008-07-04.
  20. ^ The Guardian (August 13, 2006). 'Sex was my way of coping with death' (interview with Pedro Almodóvar). Retrieved on 2008-06-14.
  21. ^ El Papa es impopular entre gays”. Los Tiempos (2007年1月17日). November 10, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年6月22日閲覧。
  22. ^ “Joss, Lionel & Jimmy Play Dublin...”. ShowBiz Ireland. (April 11, 2004). http://www.showbiz.ie/news/november04/04-stone01.shtml 2007年11月26日閲覧。 
  23. ^ James Christopher Monger, Yahoo! Music biography. Retrieved 2008-04-13.
  24. ^ Kort, Michele (1999年4月27日). “The secret life of Dusty Springfield”. en:The Advocate. オリジナルのJune 16, 2008時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080616042503/http%3A//findarticles.com/p/articles/mi_m1589/is_1999_April_27/ai_54492600/print 2008年4月10日閲覧。 
  25. ^ Paulina Rubio Inspired By Miami For New Album And Video
  26. ^ a b http://music.si.edu/spotlight/judy-garland
  27. ^ a b c Sikov, Ed (2007). Dark Victory: The Life of Bette Davis. Macmillan. p. 139. ISBN 0805075488. https://books.google.co.jp/books?id=W7qpYrkAXw8C&redir_esc=y&hl=ja 
  28. ^ Dunn, Andrew (2001年12月25日). “Review: 'Dietrich' beautiful photo collection”. CNN.com. http://archives.cnn.com/2001/SHOWBIZ/books/12/25/marlene.dietrich/index.html 2007年8月1日閲覧。 
  29. ^ a b c Althaus-Reid, Marcella (2006). Liberation Theology and Sexuality. Ashgate Publishing, Ltd.. p. 134. ISBN 0754650804. https://books.google.co.jp/books?id=LD5nkd_1iKcC&redir_esc=y&hl=ja 
  30. ^ Watts, Jill (2001). Mae West: An Icon in Black and White. New York: Oxford University Press, USA. p. 300. ISBN 0-19-510547-8 
  31. ^ a b c Grew, Tony (2007年1月5日). “Gordon Ramsay 50th most popular gay icon”. Pink News. 2007年8月1日閲覧。
  32. ^ Carmen Miranda, The Lady in the Tutti Frutti Hat | LA Progressive
  33. ^ Joe. My. God.: Lena Horne Dies At Age 92
  34. ^ The Top 10 Black Gay And Lesbian Figures Of All-Time |WCHBNewsDetroit - WCHB 1200
  35. ^ What Is a Gay Icon? - Newsweek
  36. ^ Stockholm « Gay & Lesbian Stockholm
  37. ^ Katharine Hepburn (1907 - 2003)
  38. ^ Too Much of a Good Thing
  39. ^ http://www.popmatters.com/pm/column/gay-icons-judy-who/
  40. ^ Fyne Times Gay and Lesbian Magazine, UK
  41. ^ GMax- Queer legends: Who was Edith Piaf?
  42. ^ Westley, Michael (2002年8月13日). “Cher: Last of the Gay Icons?”. Salt Lake Tribune. 2007年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月1日閲覧。
  43. ^ a b c d e Cage, Ken; Moyra Evans (2003). Gayle: The Language of Kinks and Queens, A History and Dictionary of Gay Language in South Africa. Jacana Media. p. 10. ISBN 191993149X. https://books.google.co.jp/books?id=WSn7026sq_cC&redir_esc=y&hl=ja 
  44. ^ Gross, Michael Joseph (August, 2000). “The Queen is Dead”. The Atlantic Monthly: pp. 62–69. http://www.theatlantic.com/issues/2000/08/gross.htm 
  45. ^ a b Bret, David (2008). Joan Crawford: Hollywood Martyr. Da Capo Press. pp. 192, 287. ISBN 0306816245. https://books.google.co.jp/books?id=-cf2gT2bRG8C&redir_esc=y&hl=ja 
  46. ^ Quirk, Lawrence J.; William Schoell (2002). Joan Crawford: The Essential Biography. University Press of Kentucky. p. 235. ISBN 0813122546. https://books.google.co.jp/books?id=_yQtRavDvtUC&redir_esc=y&hl=ja 
  47. ^ Tannen, Lee (2002). I Loved Lucy: My Friendship With Lucille Ball. ISBN 9780312302740. https://books.google.co.jp/books?id=LMaAn8OL6sgC&pg=PA120&dq=%22lucille+ball%22+%22gay+icon%22&redir_esc=y&hl=ja 2008年1月24日閲覧。 
  48. ^ Smith, Bob (November 2001). “We Love Lucy”. Out 
  49. ^ Rabey, Steve (2000年10月2日). “Tammy Faye, gay icon”. Christianity Today: pp. 85–86 
  50. ^ a b c d e f g h i j Frank, Steven (2005年9月25日). “What Does It Take to Be a Gay Icon Today?”. After Elton. 2008年4月24日閲覧。
  51. ^ Farmer, Brett (2003). “Stage Door Jennies”. Genders 38. http://www.genders.org/g38/g38_farmer.html 2007年8月1日閲覧。. 
  52. ^ Powell, Vicky (1997年12月). “Call Me Miss Bassey”. en:Gay Times. 2007年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月1日閲覧。
  53. ^ May, Leigh. “Debbie Reynolds To Say Goodbye”. GenerationQ.com. 2007年9月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年8月24日閲覧。
  54. ^ Express Gay News Online[リンク切れ]
  55. ^ Doris Day - walterblog
  56. ^ SGN - Seattle Gay News - Page 3 - Eartha Kitt: In memorium - Friday, January 2, 2009 - Volume 37 Issue 01
  57. ^ Clara Ward - Black Gay Men's Gospel Icon
  58. ^ Shoffman, Marc (2006年4月28日). “Gay icon Elizabeth Taylor close to death”. Pink News. 2008年4月24日閲覧。
  59. ^ Creswell, Toby (2006). 1001 Songs: The Great Songs of All Time and the Artists, Stories and Secrets Behind Them. Thunder's Mouth Press. p. 175. ISBN 1560259159. https://books.google.co.jp/books?id=A_xtSKdVGpQC&redir_esc=y&hl=ja 
  60. ^ Cohen, Cathy J. (1999). The Boundaries of Blackness: AIDS and the Breakdown of Black Politics. University of Chicago Press. p. 223. ISBN 0226112896. https://books.google.co.jp/books?id=3pRDZ26CZnEC&redir_esc=y&hl=ja 
  61. ^ a b c Guilbert, Georges-Claude (2002). Madonna As Postmodern Myth: How One Star's Self-Construction Rewrites Sex, Gender, Hollywood and the American Dream. McFarland. ISBN 0786414081. https://books.google.co.jp/books?id=alWJbuRimhwC&redir_esc=y&hl=ja 2008年7月9日閲覧。 
  62. ^ a b c d e Groover, D.L. (2008年). “Summer Fans, Some Are Not”. OutSmart magazine. October 31, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月14日閲覧。
  63. ^ Sagert, Kelly Boyer (2007). The 1970s. Greenwood Publishing Group. p. 183. ISBN 0313339198. https://books.google.co.jp/books?id=9feBCLNhcFQC&redir_esc=y&hl=ja 
  64. ^ Disco queen Diana Ross 2023年5月31日閲覧
  65. ^ Bette Midler, Houston Voice, (23 October 1998), http://www.houstonvoice.com 
  66. ^ Wieder, Judy (May 11, 1999). “Stop! In the name of love”. The Advocate. オリジナルのAugust 14, 2006時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060814015804/http%3A//findarticles.com/p/articles/mi_m1589/is_1999_May_11/ai_54543074 2008年1月11日閲覧。 
  67. ^ Charo: From 'Love Boat' to Pride parade float Carolyne Zinko, San Francisco Chronicle; 29 June 2008.
  68. ^ “You ask the questions (Such as: so, Elaine Paige, have you ever sung in a karaoke bar?)”. The Independent (London). (2000年6月7日). http://www.independent.co.uk/news/people/you-ask-the-questions-such-as-so-elaine-paige-have-you-ever-sung-in-a-karaoke-bar-714262.html 2008年1月29日閲覧。 
  69. ^ Lesbian and Gay Icons”. 2007年7月24日閲覧。
  70. ^ Boy George on lockdown concerts, his career and being gay in the 1980s”. BBC (2020年12月17日). 2024年11月6日閲覧。
  71. ^ a b Fame is no monster for queer icon Boy George”. Dallas Voice (2024年8月16日). 2024年12月10日閲覧。
  72. ^ a b c d e f g 58 Gay Pop Icons and Rising Stars”. Autostraddle (2024年4月10日). 2024年12月11日閲覧。
  73. ^ Leboeuf, Tony (2005年5月3日). “Be My Idol”. Time Out. 2007年8月1日閲覧。
  74. ^ David Bowie: An Icon for All Music Generations”. 2009年5月4日閲覧。
  75. ^ Elton John”. Gay.com. 2005年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月24日閲覧。
  76. ^ Kellher, Patrick (2022年8月9日). “6 times Olivia Newton-John was the ultimate gay icon: From Xanadu to defending LGBTQ+ rights”. ThePinkNews. 2024年12月9日閲覧。
  77. ^ a b c d Bernstein, Robert (2003). Straight Parents, Gay Children: Keeping Families Together. Thunder's Mouth Press. p. 166. ISBN 1560254521. https://books.google.com/?id=RJ5-svzhDuMC 
  78. ^ a b Plumez, Jacqueline Hornor (2002). Mother Power. Sourcebooks, Inc.. p. 182. ISBN 1570718237. https://books.google.co.jp/books?id=atozg9Eq2WsC&redir_esc=y&hl=ja 
  79. ^ a b Mann, William J. (2004). Gay Pride: A Celebration of All Things Gay and Lesbian. Citadel Press. p. 14. ISBN 0806525630. https://books.google.co.jp/books?id=bw60KNSQNpoC&redir_esc=y&hl=ja 
  80. ^ Rutledge, Leigh W. (2003). The Gay Book of Lists, 3rd Edition. Los Angeles, CA: en:Alyson Publications. pp. 87–88. ISBN 1-55583-7409 
  81. ^ Cross, Mary (2004). Madonna: A Biography. Canongate U.S.. ISBN 0313338116 
  82. ^ Bowman, Edith (2007年5月26日). “BBC World Visionaries: Madonna Vs. Mozart”. BBC News. 2008年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月12日閲覧。 “In 2000, Guinness World Records listed Madonna as the most successful female recording artist of all time.”
  83. ^ a b c Gdula, Steve (2005年11月11日). “Happy Madonna day!”. 2006年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月9日閲覧。
  84. ^ a b c d Virtel, Louis (2017年6月6日). “10 Reasons Madonna Is An Eternal Inspiration to the LGBTQ Community”. Billboard. 2024年12月9日閲覧。
  85. ^ Madonna: ‘I hope I’m still a gay icon’”. en:Gay.com (2005年10月26日). 2005年10月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月1日閲覧。
  86. ^ Madonna's Groundbreaking 'Truth or Dare' Helped the LGBT Community at Its Most Vulnerable Time”. Huffpost (2016年2月17日). 2024年12月9日閲覧。
  87. ^ Taraborrelli, J. Randy (2002). Madonna: An Intimate Biography. Simon and Schuster. p. 147. ISBN 0743228804. https://books.google.co.jp/books?id=yj1PTnse9-gC&redir_esc=y&hl=ja 
  88. ^ Cyndi Lauper to Perform at National Forum”. Equality Forum press release (2005年2月24日). 2007年8月1日閲覧。
  89. ^ Creekmur, Corey K.; Doty, Alexander (1995). Out in Culture: Gay, Lesbian, and Queer Essays on Popular Culture. Duke University Press. p. 420. ISBN 0822315416. https://books.google.co.jp/books?id=KOKX0_QfdpgC&redir_esc=y&hl=ja 
  90. ^ Stites, Jessica (2008年6月30日). “She Still Bops”. The Advocate. 2008年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月11日閲覧。
  91. ^ a b c d Lauper, Cyndi (2008年6月11日). “Here's Where I'm Coming From”. The Advocate. 2008年7月11日閲覧。
  92. ^ Press.Uchicago.edu
  93. ^ Queerty.com
  94. ^ Digitalspy.com
  95. ^ Kelleher, Patrick (22 July 2022). “Bananarama on gay bars, LGBTQ+ fans and the 80s: ‘Cher booted us off stage'”. PinkNews. 24 June 2024閲覧。
  96. ^ Taylor, Maggie (2008年7月22日). “Thank You for Being a Friend; Golden Girls' Estelle Getty Dead at 84”. GayWired.com. 2008年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月24日閲覧。
  97. ^ D'Argy, Marcelle (2001年4月22日). “Joan Collins: She's younger by the minute”. The Independent (London). http://www.independent.co.uk/news/people/profiles/joan-collins-shes-younger-by-the-minute-682194.html 2010年4月14日閲覧。 
  98. ^ Diva Annie Lennox Sings... Live...”. GTMagazine (2007年9月). 2007年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月29日閲覧。
  99. ^ Goldberg, M. (1991-05-02). “The Jacksons score big”. Academic Search Premier (Rolling Stone): 32. ISSN 0035791X. https://libris.mtsac.edu/login?url=http://search.ebscohost.com/login.aspx?direct=true&db=aph&AN=9104291442&loginpage=login.asp&site=ehost-live&scope=site. 
  100. ^ “Janet Jackson Hits Big; $80 Million Record Deal”. en:Newsday: pp. A02. (1996年1月13日) 
  101. ^ McCormick, Neil (1997年10月18日). “The Arts: Give her enough rope... Reviews Rock CDs”. The Daily Telegraph: p. 11 
  102. ^ a b c 10 times Janet Jackson was there for LGBT community”. Washington Blade (2017年11月9日). 2024年12月11日閲覧。
  103. ^ a b c McCarthy, Marc (April 1, 2008). “Janet Jackson to be Honored at 19th Annual GLAAD Media Awards in Los Angeles”. GLAAD. April 9, 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月1日閲覧。
  104. ^ Kylie: Becoming a Gay Icon”. National Film and Sound Archive. March 28, 2023時点のオリジナルよりアーカイブJune 12, 2023閲覧。
  105. ^ “Kylie Minogue Finally Settles the Debate on the Definitive Gay Anthem: Here's Her Pick”. Billboard. https://www.billboard.com/culture/pride/kylie-minogue-reveals-gay-anthem-pick-prince-1235083807/. 
  106. ^ “GLAAD Blog”. Glaad. https://www.glaad.org/blog/glaad-interview-lgbtq-icon-kylie-minogue-celebrate-queer-community-during-pride-month-%E2%80%9Cfind-joy 
  107. ^ Stroude, Will (January 7, 2019). “The enduring gay appeal of Kylie Minogue”. Attitude. February 13, 2023時点のオリジナルよりアーカイブJune 15, 2023閲覧。
  108. ^ Kylie to Play at Mardi Gras” (2012年1月26日). 2024年12月9日閲覧。
  109. ^ a b Dow, Steve (2023年2月24日). “Sydney WorldPride opening concert: Kylie and Dannii Minogue gloriously launch season of golden hot pants”. The Guardian. 2024年12月9日閲覧。
  110. ^ Ives, Brian; Bottomley, C. (2004年2月24日). “Kylie Minogue: Disco's Thin White Dame”. VH1.com. 2007年1月21日閲覧。
  111. ^ Dannii Minogue is proud to embrace her status as a gay icon”. Advocate (2024年9月24日). 2024年12月11日閲覧。
  112. ^ Powell, Rose (2015年2月19日). “Dannii Minogue to perform at 2015 Sydney Mardi Gras”. Sydney Morning Herald. 2024年12月11日閲覧。
  113. ^ Spencer, Samuel (2023年5月12日). “I Kissed A Boy host Dannii Minogue: ‘You don’t think of yourself as a gay icon’”. BBC. 2024年12月9日閲覧。
  114. ^ Lastfm's Top Gay Icons”. 2011年2月25日閲覧。
  115. ^ Gaymag's March 2008 Issue”. 2011年2月25日閲覧。
  116. ^ Turkey's New Gay Icon, Hurriyet Newspaper, 15.11.2007”. 2011年2月25日閲覧。
  117. ^ Gay'lerle aramızda güzel bir bağ var”. Hürriyet (2008年3月7日). 2008年2月1日閲覧。
  118. ^ En çok gay kulüplere gidiyorum”. Hürriyet (2008年6月13日). 2008年2月1日閲覧。
  119. ^ Hande Yener, gay kulüpte çıkacak”. Hürriyet (2009年1月31日). 2000年2月1日閲覧。
  120. ^ a b Gay ikonu Hande”. Hürriyet (2008年6月13日). 2009年2月1日閲覧。
  121. ^ a b Szymanek, Lukas (2004年). “Chasing Megan Mullally”. Lumino Magazine. 2010年4月24日閲覧。
  122. ^ author=Romseburg, Don; Finlay, Jennifer (17 August 1997). “Evens that shaped the under-30 mind”. The Advocate 
  123. ^ Marks, Craig (February 1995). “"Courtney Love— Confessions of a Diva”. Spin 
  124. ^ Brite, Poppy Z. (1997). Courtney Love: The Real Story. Simon & Schuster. pp. 44–46 
  125. ^ [1]
  126. ^ Russell, John (21 April 2010). “Unconditional Love”. New York Press. 29 December 2010閲覧。
  127. ^ Frank, Steven (2005年9月25日). “k.d. Lang, A Woman in Love”. Advocate 40th. The Advocate. 2007年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2000年6月20日閲覧。
  128. ^ Chonin, Neva (2007年7月2日). “Gay icons rock Berkeley for a cause in post-Pride 'True Colors' celebration”. en:San Francisco Chronicle (Frank J. Vega): pp. E1. http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2007/07/02/DDGQUQOII31.DTL 2008年7月8日閲覧。 
  129. ^ May, Leigh (11 May 2006). “Baby One More Time: Gay icon Britney Spears is pregnant”. PinkNews.co.uk. 2011年2月25日閲覧。
  130. ^ Welcome to Spiceworld!”. en:The Vancouver Sun (December 7, 2007). 2007年12月9日閲覧。
  131. ^ Eurovision: 12 times Olly Alexander proved himself a powerful queer icon”. ThePinkNews (2023年12月18日). 2024年12月11日閲覧。
  132. ^ a b 10 LGBTQ Music Icons of our Generation”. Sound Of Life (2021年10月6日). 2024年12月11日閲覧。
  133. ^ Kornhaberdate, Spencer (2024年1月31日). “The Gay Icon Who Wants Conservative Approval”. Atlantic. 2024年12月11日閲覧。
  134. ^ Mackey, Joshua (2024年4月9日). “5 times Lil Nas X proved he’s the queer pop star we deserve”. Intomore. 2024年12月15日閲覧。
  135. ^ Christina Aguilera becomes the new gay icon”. 2010年11月20日閲覧。
  136. ^ Queen of Quirky”. 2009年3月18日閲覧。
  137. ^ Tina Arena to headline Mardi Gras 2009?
  138. ^ “I’m so camp! I’m such a gay man trying to… | Star Quotes
  139. ^ GreyGardensNews.blogspot.com
  140. ^ Bjork.com Björk on gay fans
  141. ^ “Rufus Wainwright's list of gay icons”. The Guardian (London). (11/12/06). http://www.guardian.co.uk/music/musicblog/2006/nov/10/rufuspickshisgayicons 
  142. ^ Hollywood's Gay Icons”. 2011年2月25日閲覧。
  143. ^ Out in Hollywood
  144. ^ Bugg, Sean (2003-05-29), Metro Weekly 
  145. ^ Nirvana’s Front Man Shoots From The Hip – The Advocate | kurtcobain.com
  146. ^ Theinsider.com
  147. ^ GayMagazine.cl Sophie as a Gay icon
  148. ^ Theinsider.com
  149. ^ Afterelton.com
  150. ^ Tony Grew (2007年1月5日). “Gordon Ramsay 50th most popular gay icon”. PinkNews.co.uk. Pink News. 2010年6月27日閲覧。
  151. ^ Evans, Chris (2007年11月19日). “Ten Rising Gay icons”. Blogcritics Magazine. 2008年3月10日閲覧。
  152. ^ Gay icon Jake Gyllenhaal | The List
  153. ^ Jake Gyllenhaal - gay icon
  154. ^ gay.com Daily Entertainment: Gay Judas Priest Frontman Rob Halford Talks
  155. ^ Oh No They Didn't! - Anne Hathaway Talks About Gay People, Marriage, Sally Kern
  156. ^ Paris Hilton Is This Year's Hottest Gay Icon
  157. ^ RodOnline.Typepad.com
  158. ^ La Toya Jackson Learns Life's Lessons”. gaywired.com (2005年6月). 2007年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月21日閲覧。
  159. ^ Kent's State, ebar.com, 01.02.07”. 2011年2月25日閲覧。
  160. ^ Matson, Michael (22 Nov. 2010). “Ukraine's Hottest Boy Band”. Geek Out. 2010年11月22日閲覧。
  161. ^ Johnny on John”. MontrealMirror.com (2004年9月). 2004年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年2月21日閲覧。
  162. ^ Adam Lambert: Sex no big deal for gay icon” (2010年1月28日). 2010年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月31日閲覧。
  163. ^ Gays Taught Reba McEntire How to Sing, NewNowNext Blog, 2007-09-17. Retrieved 2009-04-23. アーカイブ 2007年12月23日 - ウェイバックマシン
  164. ^ Maluma has the perfect answer as to why he takes so many damn hot thirst traps Queerty
  165. ^ Pink Is The New Blog, 2010-07-26. Retrieved 2011-01-31.
  166. ^ Harry Judd turns 35: Here are his most jaw-droppingly hot moments
  167. ^ In News Weekly May 2, 2001 Nicks of Time By Lawrence Ferber
  168. ^ [2]
  169. ^ Phoenixnewtimes.com blogs
  170. ^ Liam Payne Is Our New Favorite LGBT Ally on His First Solo Magazine Cover
  171. ^ [3]
  172. ^ Starpulse entertainment news blog, June 18, 2007, Ellen pompeo was raised by drag queens. Retrieved 2008-02-27.
  173. ^ Blogspot.com
  174. ^ Fabsugar.com
  175. ^ The New Gay » Isabella Rossellini: Fashion and Gay icon to make film series
  176. ^ Dancevibes.be
  177. ^ Copenhagen2009.org
  178. ^ Robledo, Jordan (2022年7月24日). “JoJo Siwa says she’s “honoured” to be considered a gay icon”. Gay Times. 2024年12月11日閲覧。
  179. ^ 2 Unlikely Gay TV Shows We Love”. Queerty (15 January 2009). 29 August 2009閲覧。
  180. ^ Lawrence Ferber (2007年). “Love to you, Chloe”. Genre Magazine. 2006年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月28日閲覧。
  181. ^ Cox, Jennifer (18 November 2006). “Angelina Jolie tops Bi-Sexual Scorecard”. National Ledger. 2011年2月28日閲覧。
  182. ^ Hande'den destek, Hurriyet Newspaper, 30.06.2009”. 2011年2月28日閲覧。
  183. ^ People.com
  184. ^ The Escape Artist”. Instinct Magazine (2007年1月). August 10, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年9月29日閲覧。
  185. ^ Howard Stern comes out in support of gay marriage”. Perez Hilton (2009年4月29日). 2011年2月28日閲覧。
  186. ^ Japhy Grant (2008年11月21日). “Nate Silver on African-Americans, Prop 8. and Being A Hero to Gays & Geeks Everywhere” (英語). Queerty.com. 2014年12月4日閲覧。
  187. ^ Clodfelter, Tim (2007年6月7日). “Mink Stole has a role in the sequel to Eating Out”. relish now!. October 14, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年3月30日閲覧。 “Mink Stole never set out to become a gay icon. 'While I’m thrilled with the title – it’s lovely to be considered an icon of any type.'”
  188. ^ en:¿A Quién Le Importa?
  189. ^ Village People - GAY ICONS
  190. ^ Will Young – Gay Pop Trailblazer - DNA
  191. ^ He’s not just a gay icon—the girls love Rufus Wainwright”. Monterey Country Weekly (2005年8月). 2008年2月27日閲覧。
  192. ^ Outsports.com
  193. ^ Gaywired.com[リンク切れ]
  194. ^ Guanabee | Cristiano Ronaldo Voted "Ultimate Gay Icon"
  195. ^ Lesbian tennis star becomes a pioneer for women’s rights” (2006年4月26日). 2006年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月15日閲覧。
  196. ^ Newspaper review: 'Gay icon' Daley, drone delivery and political energy
  197. ^ Gage, Simon; Lisa Richards, Howard Wilmot, Boy George (2002). Queer. Thunder's Mouth Press. p. 17. ISBN 1560253770. https://books.google.com/?id=FPHZbVhQQTUC 
  198. ^ MSN.com
  199. ^ a b c d O'Bryan, Will (2006年2月16日). “Losing an Ally: Gay leaders mourn the death of Coretta Scott King, mull the future of the King legacy for GLBT civil rights”. Metro Weekly. 2008年4月10日閲覧。
  200. ^ Invisibility: Gay Icons in U.S. History”. panel event. Equality Forum 2005 (26 April 2005). 2007年1月16日閲覧。
  201. ^ Labruce, Bruce (2000年4月13日). “In praise of the Bitch Goddess”. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年1月15日閲覧。
  202. ^ Nymag.com, Why Barack’s Mojo With the Gays Can’t Match Hillary’s – Daily Intel – New York News Blog – New York Magazine New gay icon
  203. ^ Foster, David William (1997). Sexual Textualities: Essays on Queer/Ing Latin American Writing. University of Texas Press. ISBN 0-2927-2501-9 
  204. ^ Jackie Under My Skin: Interpreting an Icon; en:Wayne Koestenbaum; Forth Estate; 1996
  205. ^ Lewis, Brian (2005). “The Queer Life and Afterlife of Roger Casement”. Journal of the History of Sexuality (HW Wilson) 14 (4): 363–82. doi:10.1353/sex.2006.0040. http://vnweb.hwwilsonweb.com/hww/results/getResults.jhtml?_DARGS=/hww/results/results_common.jhtml.21. 
  206. ^ AP (no byline) (2008年11月27日). “Milk”. Article. MSNBC.com. 2010年1月22日閲覧。
  207. ^ Brett McCracken (2008年11月26日). “Milk”. Film Review. Christianity Today. 2010年1月22日閲覧。
  208. ^ a b Steele, Bruce C. (2002年11月12日). “Milestones”. The Advocate. 2008年12月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月9日閲覧。
  209. ^ a b Sagert, Kelly Boyer (2007). The 1970s. Greenwood Publishing Group. p. 34. ISBN 0313339198. https://books.google.com/?id=FPHZbVhQQTUC 
  210. ^ a b Celebrating Anita Bryant: The Mother of Gay Rights”. Pensito Review (2007年7月4日). 2008年7月14日閲覧。
  211. ^ “Bugs Bunny tops greatest cartoon characters list”. CNN. (2002年7月30日). http://archives.cnn.com/2002/SHOWBIZ/TV/07/30/cartoon.characters/index.html 2008年2月27日閲覧。 
  212. ^ Murray, Raymond (1994). Images in the Dark: An Encyclopedia of Gay and Lesbian Film and Video. TLA Publications. p. 455. ISBN 1880707012. https://books.google.co.jp/books?id=iGxZAAAAMAAJ&redir_esc=y&hl=ja 
  213. ^ McGowan, Kate (1998). The Year's Work in Critical and Cultural Theory: 1995. Blackwell Publishing. p. 129. ISBN 0631208968. https://books.google.co.jp/books?id=T7pSf0PZteEC&redir_esc=y&hl=ja 
  214. ^ Daniels, Les; Chip Kidd (2004). Batman: The Complete History. Chronicle Books. p. 69. ISBN 0811842320. https://books.google.co.jp/books?id=73wknu2cVIkC&redir_esc=y&hl=ja 
  215. ^ Bosmajian, Haig A. (2006). Burning Books. McFarland. p. 202. ISBN 0786422084. https://books.google.co.jp/books?id=UkAXPuObVBUC&redir_esc=y&hl=ja 
  216. ^ a b Abrams, Nathan; Julie Hughes (2005). Containing America: Cultural Production and Consumption in Fifties America. Continuum International Publishing Group. p. 163. ISBN 1902459067. https://books.google.co.jp/books?id=qhLZsBLjV28C&redir_esc=y&hl=ja 
  217. ^ Sharrett, Christopher. "Batman and the Twilight of the Idols: An Interview with Frank Miller." The Many Lives of the Batman: Critical Approaches to a Superhero and His Media. Routledge: London, 1991. ISBN 0-85170-276-7,pg.37–38 
  218. ^ Superman: Gay Icon? Christ Figure?”. CBS news (2006年6月16日). 2007年8月1日閲覧。
  219. ^ a b https://www.asagei.com/excerpt/10823
  220. ^ ユーミン、LGBTQへメッセージ「みんなユニークな孤独がある」”. GENXY (2019年12月7日). 2024年11月6日閲覧。
  221. ^ 「よくわかるゲイ・ライフハンドブック」(1994年2月JICC出版局 ISBN 4-7966-0789-7
  222. ^ 【プライド月間】宇多田ヒカルさんがノンバイナリーであることをカミングアウト
  223. ^ “宇多田ヒカル「ともだち」への参加で一躍話題に。小袋成彬 (OBKR)の来歴と魅力に迫る!”. utalabo. (2016年9月). http://utalabo.com/archives/5937 
  224. ^ あ〜ちゃん(Perfume)(インタビュアー:鳴田麻未)「aiko「時のシルエット」特集」『音楽ナタリー』https://natalie.mu/music/pp/aiko02/page/32017年9月27日閲覧 

関連項目

[編集]

関連書籍

[編集]

外部リンク

[編集]