ジョバンニ・ガッリ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Giovanni Galli | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1958年4月29日(66歳) | |||||
出身地 | ピサ | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 81kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1977-1986 1986-1990 1990-1993 1993-1994 1994-1995 1995-1996 |
フィオレンティーナ ACミラン ナポリ トリノ パルマ ルッケーゼ |
259 (0) 98 (0) 98 (0) 31 (0) 10 (0) 26 (0) | ||||
代表歴 | ||||||
1982-1986 | イタリア | 19 (0) | ||||
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ジョバンニ・ガッリ(Giovanni Galli、1958年4月29日 - )は、イタリア出身の元同国代表の元サッカー選手。ポジションはGK。派手なプレーは少ないが、ミスが少なく安定したプレーで活躍した[1]。当時としては珍しい、ペナルティーエリアを飛び出してのプレーも可能な、現代型のGKであった[2]。フィオレンティーナ史上最高のGKの一人、という評価を受けている[2]。
経歴
[編集]フィオレンティーナで選手生活を始め、1977年から1986年までプレーした。1977年10月10日、ユヴェントス戦でセリエAデビューを果たした[2]。1981-82シーズンには、1ポイント差でリーグ優勝を逃した[2]。
1986年、ワールドカップ出場の後、ACミランに移籍、シルヴィオ・ベルルスコーニが自ら獲得した最初の選手の一人となった[2]。1987-88シーズン、セリエA優勝、1988-89シーズン、スーペルコッパ・イタリアーナ、チャンピオンズカップ、1989-90シーズン、インターコンチネンタルカップ、2度目のチャンピオンズカップ優勝を果たすが、アンドレア・パッツァーリが優先して起用され、出場機会を減らした[2]。4シーズン在籍し、その内3シーズンをレギュラーとして過ごす。
1990-91シーズン、ナポリに移籍し、3シーズンレギュラーとしてプレーし、スーペルコッパ・イタリアーナで優勝した[2]。トリノ、パルマにてプレーした後、1995-1996シーズンにセリエBのルッケーゼで、38歳で引退した。
イタリア代表では19試合に出場。1980年欧州選手権で初めて、ディノ・ゾフ、ボルトンに次ぐ、第3GKとして代表入り[2]。イタリアが優勝した1982年ワールドカップでは、第3GKのため、試合出場がなかったが、優勝メンバーの一人となった[2]。1983年10月5日のギリシャ戦でようやく代表初キャップを刻んだ。1986年ワールドカップでは、フランコ・タンクレーディとのポジション争いに勝ち、4試合すべてに先発出場したが、ベスト16で敗退した[2]。
現在はエラス・ヴェローナのスポーツディレクターおよびテレビやラジオの解説者として働いている[2]。
息子のニッコロ・ガッリは有望な若手サッカー選手だったが、2001年に17歳で交通事故死した。
代表歴
[編集]- イタリア代表 1982-1986
- 代表通算:19試合出場 0得点
タイトル
[編集]- ミラン
- セリエA優勝:1987-1988
- スーペルコッパ優勝:1988
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝:2回(1988-1989、1989-1990)
- UEFAスーパーカップ優勝:1989
- インターコンチネンタルカップ優勝:1989
- ナポリ
- スーペルコッパ優勝:1990
- パルマ
- UEFAカップ優勝:1994-1995
- イタリア代表
- FIFAワールドカップ優勝:1982