コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

真也加ステファン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ステファン・マヤカから転送)
真也加 ステファン Portal:陸上競技
つくばマラソンでゲストランナーとして疾走する真也加ステファン(画像右)
選手情報
フルネーム 真也加ステファン
ラテン文字 Stephen Mayaka
国籍  ケニア日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
生年月日 (1972-11-27) 1972年11月27日(52歳)
出身地  ケニア
身長 165cm
体重 52kg
5000m 13分50秒08
10000m 28分01秒48
ハーフマラソン 1時間01分15秒
マラソン 2時間19分11秒
編集 テンプレートのヘルプを表示する

真也加 ステファン(まやか ステファン、旧名・ステファン・マニャング・マヤカ1972年11月27日 - )は、ケニア出身で日本国籍の陸上競技の元選手(長距離種目)・指導者。桜美林大学陸上競技部駅伝監督。山梨学院大学付属高等学校山梨学院大学卒業。身長165cm、体重52kg。血液型A型。

略歴・人物

[編集]

ケニアでは山梨学院大学での先輩にあたるジョセフ・オツオリと同じ高校に在籍していた。1990年、交換留学で山梨学院大学付属高等学校へ留学。高校時は日本ジュニア陸上競技選手権大会の10000m優勝など好成績を残した。1992年4月、山梨学院大学商学部へ入学し陸上競技部に所属した。出雲駅伝全日本大学駅伝箱根駅伝に出場し、数度にわたる母校の優勝に貢献した。同学年のライバルである早稲田大学渡辺康幸と鎬を削った[1][2]1996年3月、山梨学院大学を卒業。

1996年4月、ダイエーに入社するも事業縮小から廃部の憂き目に遭い、1998年4月、日立電線マラソン部に移籍した。大学4年時の1995年からダイエー在籍時1997年札幌国際ハーフマラソンでは3連覇を達成した。4連覇を目指した1998年の第41回大会ではアトランタ五輪男子マラソンの銅メダリストエリック・ワイナイナが優勝、同じく男子マラソン金メダリストのジョサイア・チュグワネ(5着)には先んじたが、マヤカは3着に終わった。

1999年12月に元陸上女子選手で、1994年東京国際女子マラソン2位・1995年世界陸上イェーテボリ大会女子マラソン代表などの実績を持つ盛山玲世と結婚し、2児(一男一女)がいる[3][4]。娘の真也加ジェルーシャ有里も陸上選手で、高校卒業後は実業団のTOTOに所属。2022年より大塚製薬に移籍している。

2005年8月に日本国籍を取得。2006年4月、群馬県高崎市にある創造学園大学陸上競技部のコーチに就任して同部の指導にあたり、2008年第85回箱根駅伝予選会に同大学初のエントリーを果たした。

2009年度より、同大学陸上競技部監督に就任したが、2013年3月に大学は閉校した[5]

2013年4月に桜美林大学陸上競技部駅伝監督に就任[3][4][6]

主な戦績

[編集]

ベスト記録

[編集]

エピソード

[編集]
  • 1995年2月、山梨学院大学陸上部の早朝練習で先頭を走りランニングを行なっていた際、血を流して倒れていた男性を発見し、民家を通じて110番通報を行なったことがある。この男性は殺人事件の被害者であった。
  • 2008年秋、TBSオールスター感謝祭」の赤坂5丁目ミニ駅伝に、エリック・ワイナイナと共に参加したが、当初、参加予定だった北京五輪マラソン金メダリストのサムエル・ワンジルが、乗っているはずの飛行機から降りてこず不参加となった。このため駅伝はワイナイナが2回走ることになった。
  • 2008年北京オリンピックでは男子マラソンの金メダリストに輝いたサムエル・ワンジルを支援した[7]

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]