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ダニエル・カリッチマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダニエル・カリッチマン
名前
本名 ダニエル・ジェイコブ・カリッチマン
ラテン文字 Daniel CALICHMAN
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1968-02-21) 1968年2月21日(56歳)
出身地 ニューヨーク州ハンティントン・ステーション英語版[1]
身長 183cm
体重 81kg
選手情報
ポジション DF
ユース
アメリカ合衆国の旗ウィリアムズ大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1993 日本の旗マツダ/サンフレッチェ広島 50 (1)
1994 アメリカ合衆国の旗ボストン・ストーム英語版
1995 アメリカ合衆国の旗ニューヨーク・セントルーズ英語版
1996-1998 アメリカ合衆国の旗ロサンゼルス・ギャラクシー 58 (0)
1999-2000 アメリカ合衆国の旗ニューイングランド・レボリューション 29 (0)
2000 アメリカ合衆国の旗サンノゼ・アースクエイクス 16 (0)
2001 アメリカ合衆国の旗チャールストン・バッテリー 30 (1)
通算 183 (2)
代表歴2
1997-1998 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 3 (0)
監督歴
アメリカ合衆国の旗クラウンシティ・ユナイテッド監督
アメリカ合衆国の旗ロサンゼルスFC育成ディレクター
2004-2014 アメリカ合衆国の旗クレアモント・マッケナ大学監督
2014- アメリカ合衆国の旗トロントFCアシスタント
1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月10日現在。
2. 2007年10月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダニエル・ジェイコブ・カリッチマン(Daniel Jacob Calichman、 1968年2月21日 - )は、アメリカ合衆国出身の元同国代表サッカー選手(DF)、サッカー指導者。

母国アメリカでは「ダン・カリッチマン(Dan Calichman)」表記で通っているが、JSLおよびJリーグでの登録名は「ダニエル」であるため本表題もそれに従う。

人物

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ユダヤ系アメリカ人[2]

北アメリカ大陸出身ではJリーグで初めてプレーした選手であり、2017年現在Jリーグでプレーした唯一のアメリカ合衆国代表選手[1][3]

来歴

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ニューヨークで生まれ育ち、ウィリアムズ大学時代には3度、大学サッカーリーグ3部のオールアメリカンに選ばれる[2]。また大学ではサッカー部とラクロス部でキャプテンを務め、勉学では歴史を専攻した[3]

プロのサッカー選手になることを夢見たが、当時はNASL廃止後かつMLS開幕前でアメリカにはその土壌がなかった[4]。そこで広島での修行をしていた兄弟を頼りに日本サッカーリーグ(JSL)所属のマツダSCとコンタクトすると、そのコーチだったビル・フォルケスに認められた[4]。1990年マツダに入団、Jリーグが始まりサンフレッチェ広島F.Cとしてプロ化に移行してからも引き続き在籍した[1][3]。この頃はインターネットが民間普及する初期の時代、ニュー・イングランドのメディアがダニエルのJリーグでの活躍をネット記事として掲載すると、これを見たアメリカ代表スタッフにより代表合宿に招集されることになる[4]。そしてMSL開幕を聞きつけたダニエルは帰国することになる[4]

MSL開幕まで、USLボストン・ストーム英語版Aリーグ英語版ニューヨーク・セントルーズ英語版[1] に在籍した。

1996年、MLS開幕、ロサンゼルス・ギャラクシードラフト外のマーキープレイヤーの一人として入団する。チームではセンターバックを務め、キャプテンでもあった[3]。1996年にはUSAトゥデイで最優秀DFに選出されている[3]。1997年から1998年までアメリカ代表に選ばれている[3]。1998年マルセロ・バルボアのタックルで右足脛骨腓骨共に骨折し、シーズンを棒に振る[5]

1999年、大学生ドラフト全体13位指名権とのトレードの形でニューイングランド・レボリューションに移籍し[6]、2シーズン在籍した。その後サンノゼ・アースクエイクス[3] と移籍し、2001年ユナイテッドサッカーリーグ(USL)のチャールストン・バッテリーで現役引退。

その後はカリフォルニア州を拠点にサッカー指導者やTV解説者として活躍している。2011年クラブ・デポルティボ・チーヴァス・USAにアカデミーが発足しそのU-18監督となったが[7]、スペイン語が話せないことを理由にホルヘ・ベルガラ英語版オーナーから突然解雇通告を受けている[8]

2014年、LAギャラクシー時代のチームメイトだったグレッグ・ヴァニー英語版トロントFCの監督に就任すると、そのアシスタントコーチとなった。

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990-91 マツダ JSL2部 26 1 3 1
1991-92 6 JSL1部 11 0 0 0
1992 広島 - J - 6 1
1993 13 0 1 0 0 0 14 0
アメリカ リーグ戦 リーグ杯USオープン杯 期間通算
1995 ニューヨーク Aリーグ1部
1996 ロサンゼルス MLS
1997
1998
1999 ニューイングランド
2000
2000 サンノゼ
2001 チャールストン USL1部
通算 日本 J 13 0 7 1
日本 JSL1部 11 0
日本 JSL2部
アメリカ MSL
アメリカ USL1部
アメリカ Aリーグ1部
総通算

代表歴

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試合数

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  • 国際Aマッチ 2試合(1997年)[9]


アメリカ代表国際Aマッチ
出場得点
1997 2 0
通算 2 0

脚注

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  1. ^ a b c d COMING HOME : JAPAN WAS NICE ENOUGH, BUT DAN CALICHMAN HAS FOUND REAL HAPPINESS PLAYING SOCCER IN LA”. デイリーニューズ (ニューヨーク) (1996年). 2013年6月10日閲覧。
  2. ^ a b Slater, Robert (2000). Great Jews in Sports. Jonathan David Publishers. p. 54. ISBN 0-8246-0453-9 
  3. ^ a b c d e f g Dan Calichman”. クレアモント・マッケナ大学. 2013年6月10日閲覧。
  4. ^ a b c d Dan Calichman got start playing in Japan”. oneworldsports.com (2015年12月27日). 2016年2月7日閲覧。
  5. ^ Galaxy Hurting as Broken Leg Sidelines Calichman for Season”. ロサンゼルス・タイムズ (1998年5月8日). 2013年6月10日閲覧。
  6. ^ MLS: New England Acquires Dan Calichman”. SoccerAmerica (1999年1月5日). 2013年6月10日閲覧。
  7. ^ Calichman, Munoz lead Chivas USA academy efforts”. チーヴァス・USA (2011年11月10日). 2013年6月10日閲覧。
  8. ^ M.L.S. Club Owner Has Latinos-Only Policy, Suit Says”. ニューヨーク・タイムズ (2013年5月30日). 2013年6月10日閲覧。
  9. ^ ダニエル・カリッチマン - National-Football-Teams.com

参考資料

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関連項目

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外部リンク

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