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デラニー&ボニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デラニー&ボニー
1970年
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンル ロックブルースロックスワンプ・ロック
活動期間 1967年 - 1972年
レーベル スタックス・レコード
エレクトラ・レコード
アトコ・レコード
コロムビア・レコード
共同作業者 レオン・ラッセル
エリック・クラプトン
ジェリー・マギー
カール・レイドル
ボビー・ウィットロック
ジム・ケルトナー
ボビー・キーズ
リタ・クーリッジ
ジム・ゴードン
デイヴ・メイソン
デュアン・オールマン
旧メンバー デラニー・ブラムレット
ボニー・ブラムレット

デラニー&ボニー(Delaney & Bonnie)は、アメリカ合衆国のデュオ歌手。デラニー・ブラムレット(1939年7月1日 - 2008年12月27日)とボニー・ブラムレット(1944年11月8日 - )の夫婦により結成された。エリック・クラプトンとの共演等で知られる。いくつかの作品では、大編成のバック・バンドを従えて、デラニー&ボニー&フレンズという名義となっている。デラニーと表記されるが発音はディレイニーに近い。

来歴

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デラニー・ブラムレットは1939年ミシシッピ州ポントトクで生まれた。1959年ロサンゼルスに渡り、その後ABCのテレビ番組「シンディグ!」のハウスバンドであったザ・シンドッグズというバンドでレオン・ラッセルらと活動[1]

ボニー・リン・オファレルは1944年イリノイ州アルトンで生まれ、イースト・セント・ルイスで育った後、1960年代にはメンフィスに移り、様々な歌手のバック・コーラスを経て、アイク&ティナ・ターナー専属のヴォーカル・グループ、アイケッツに初の白人メンバーとして加入した[2]

1967年、2人はロサンゼルスで出会い、ほどなく結婚しデラニー&ボニーを結成した。1968年スタックス・レコードとの契約を得て、ブッカー・T&ザ・MG'sアイザック・ヘイズのサポートを得てレコーディングを行うが、その音源はお蔵入りになった。2人はメンフィスで知り合ったボビー・ウィットロックを連れてロサンゼルスに戻り、エレクトラ・レコードと契約して1969年春にアルバム『オリジナル・デラニー&ボニー』でメジャー・デビューを果たす。当時ジョージ・ハリスンが2人をアップル・レコードに勧誘して『オリジナル・デラニー&ボニー』を発表しようとしたが実現せず[3]、同アルバムのために用意されていたカタログ番号「SAPCOR 7」は欠番となった[4]

1969年、ブラインド・フェイスのアメリカ・ツアーのオープニング・アクトを担当。2人はメンバーのエリック・クラプトンと親交を深め、ブラインド・フェイスが解散すると彼をザ・ベンチャーズに加入したジェリー・マギーの後任としてデラニー&ボニー・アンド・フレンズに迎えた。デュオはアトコ・レコードに移籍し、12月にはデラニーとクラプトンが共作した楽曲「カミン・ホーム」をデラニー&ボニー・アンド・フレンズ・フィーチャーリング・エリック・クラプトン名義でシングル発表した[5]。同作は全英16位というヒットを記録した[6]。B面収録曲「グルーピー(スーパースター)」はボニーとレオン・ラッセルとの共作で、1971年にはカーペンターズによるカヴァー「スーパースター」が世界中で大ヒットした[7]

同年、スタックス・レコードでお蔵入りになった音源がアルバム『ホーム』として発表された[7]。年末のイギリス・ツアーはクラプトン、ウィットロック、カール・レイドルジム・ゴードンデイヴ・メイソンボビー・キーズリタ・クーリッジ等が加わった大所帯で行われた。その模様は1970年3月にライヴ・アルバム『オン・ツアー・ウィズ・エリック・クラプトン』として発表され、全米29位[8]、全英39位のヒット作となった[9]。クラプトンはその後、ウィットロック、レイドル、ゴードンとデレク・アンド・ザ・ドミノスを結成した。

2人はその後、デュアン・オールマンと交流を深め、『デラニーよりボニーへ』(1970年)、『モーテル・ショット』(1971年)を発表。後者はアンプラグドの色が強い作風で、オールマン、ジョー・コッカーグラム・パーソンズが参加。また映画『バニシング・ポイント』にも出演した[10]。その後、コロムビア・レコードに移籍して『D&Bトゥゲザー』(1972年)を発表した。しかし同作を最後にデュオは解散し、2人は離婚する。

その後、2人ともソロ・アーティストとしての道を歩む。デラニーは1972年に『サム・シングス・カミング』でソロ・デビュー後、1970年代に計4枚のアルバムを発表した。1980年代以降は暫く作品は途絶えるものの、2000年に『サウンズ・フロム・ホーム』でカムバック。2007年には『ア・ニュー・カインド・オブ・ブルース』をリリースし存在感を示した。しかし2008年12月27日、胆嚢手術後の合併症によりロサンゼルスで死去した[1]

ボニーは1987年よりボニー・シェリダン名義で女優に転向。2002年に約四半世紀ぶりのアルバム『アイム・スティル・ザ・セイム』でシンガーとしてカムバックを果たした[11]

2人の間に生まれた娘ベッカ・ブラムレットは歌手になり、フリートウッド・マックのアルバム「Time」に参加するなどの活躍をしている。

ディスコグラフィ

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脚注

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外部リンク

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