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トレント級重巡洋艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トレント級重巡洋艦
竣工当時のトレント
艦級概観
艦種 重巡洋艦
艦名 都市名(第一次世界大戦後に併合した「未回収のイタリア」の地名)
前級 装甲巡洋艦サン・ジョルジョ級
次級 ザラ級
性能諸元
排水量 基準:10,500トン
常備:13,114トン
満載:13,548トン
全長 196.9m
194.0m(水線長)
全幅 20.6m
吃水 6.8m
機関 ヤーロー重油専焼水管缶12基
+パーソンズギヤード・タービン4基4軸推進
最大
出力
150,000hp
最大
速力
35.0ノット
(公試時:38.1ノット)
航続
距離
25ノット/3,200海里
16ノット/4,160海里
燃料 重油:3,000トン
乗員 723名
兵装 Models 1924 20.3cm(50口径)連装砲4基
Models 1924 10cm(47口径)連装高角砲8基
Models 1917 4cm(39口径)単装機関砲4基
Model 1931 13.2mm(75.7口径)単装機銃4基
53.3cm連装魚雷発射管4基
装甲 舷側:70mm(水線部)
甲板:50mm
主砲塔:100mm(前盾)
主砲バーベット:152mm
司令塔:76~100mm
航空
兵装
Piaggio P6水上機3機
固定式艦首カタパルト1基

トレント級重巡洋艦 (Incrociatori pesanti Classe Trento) は、イタリア王立海軍 (Regia Marina) がワシントン海軍軍縮条約締結後に最初に建造した巡洋艦の艦級である[1][2]。2隻(トレントトリエステ)が建造された[注釈 1]。その艦名は第一次世界大戦でイタリアが獲得した二つの都市、トレントトリエステにちなむ。ロンドン海軍軍縮条約が締結されると[4]重巡洋艦に類別された[5]。 なお、準同型艦にボルツァーノ (Incrociatore pesante Bolzano) がある[6][注釈 2]。またアルゼンチン海軍の発注により、本級の改良型としてベインティシンコ・デ・マヨ級重巡洋艦がイタリアで建造・輸出された[7]

概要

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第一次大戦後にオーストリア=ハンガリー帝国海軍の解体後、イタリア海軍は地中海を挟んで対峙するフランス海軍を仮想敵に定めた。フランス海軍が世界大戦後に建造を開始した条約型巡洋艦(デュケーヌ級シュフラン級)は、どちらかといえば速力重視だった[8][9][注釈 3]。 さらに地中海の要所(ジブラルタル英領マルタアレキサンドリア)を拠点とするイギリス海軍地中海艦隊も展開しており、同海軍の条約型巡洋艦[11]ケント級重巡洋艦)に対処する必要もあった[注釈 4]

これら仮想敵国の巡洋艦に対抗するため[13]、トレント級はワシントン条約制限一杯の8インチ(20.3cm)砲を搭載した条約型巡洋艦として建造されたが、基準排水量は制限の1万tを超過していた。ただし対外的には基準排水量10,000トンと公表している[注釈 4]

なおフランス海軍は高速かつ強力な兵装を持つ大型駆逐艦を揃えており、イタリア海軍の小型駆逐艦では対抗が難しかった。そのため大型駆逐艦に対抗可能な火力と速力を持つ高速軽防御の軽巡洋艦を建造する事とした[14]。この1927/1928年計画で建造された二等巡洋艦がアルベルト・ディ・ジュッサーノ級軽巡洋艦である[15][注釈 5]

艦形

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トレント級の艦形を示した図。

トレント級は高速を発揮を発揮しやすくするために、同時期のイギリス海軍の巡洋艦と同じく縦横の比率の強い細長い船体形状を採用していた。艦首水線下には初期からバルバス・バウを採用していた。艦首構造の内部に水上機格納庫を持ち、水上機は艦首甲板上に埋め込まれた固定式カタパルトから射出される。その後部から主砲を箱型の連装砲塔に納め、1・2番主砲塔を背負い式で2基が配置された。トレント級は操舵艦橋を基部として頂上部に測距儀を載せ、中部に戦闘艦橋を持つた前部三脚檣が立っていたが、公試中に三脚檣の振動を押さえられなかったために前部に二脚を足して五脚檣となった経緯を持つ。このデザインは「ザラ級」まで受け継がれた。

艦橋の背後には2本煙突が立つが機関のシフト配置のために前後が離されており、その間は艦載艇置き場となっており、2番煙突前方に配置された後部三脚檣の基部に付いたクレーン1基により運用された。舷側甲板上には高角砲を防盾付きの連装砲架で片舷4基ずつ計8基配置していた。2番煙突後方の後部甲板上に後ろ向きに3・4番主砲塔が背負い式に2基配置した。艦尾水面下には中央に大型の一枚を挟むように片舷2軸ずつ計4軸にスクリュープロペラが付いていた。

アルゼンチン海軍がイタリアに発注したベインティシンコ・デ・マヨ級重巡洋艦ベインティシンコ・デ・マヨアルミランテ・ブラウン)は、トレント級重巡の簡易輸出仕様というべき艦型であった[9]。独自の武装を採用したほか、機関部の出力を減じて2軸推進になっている[16]

イタリア王国の次級(ザラ級重巡洋艦、1928/1929~30/1931年)は、速力を忍び、魚雷兵装を全廃、防御力を強化している[17][18]。 その次級のボルツァーノはトレント級とザラ級の改良型であり[注釈 6]、魚雷兵装を復活させ、速力重視に戻った[6][20]

武装

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主砲

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トレントを描いたイラスト。

トレント級の主砲は国産のModels 1924 20.3cm(50口径)砲を採用した。この砲は、重量118kgの砲弾を使用した場合仰角45度での射程が28,000mとなる。この砲をイタリア海軍の重巡洋艦では初の連装式の砲塔に収めたが、列強の同種艦と異なり、イタリア海軍の条約型重巡洋艦は最後まで左右の砲身を同一の砲架に据えつける形式を採用した。これは、砲身の間を狭める事により砲塔の小型化と機構の簡略化を狙った物であるが、代償として斉射時に左右の砲弾の衝撃波が相互に干渉しあって散布界が広がる弱点があり、イタリア巡洋艦のウィークポイントとなった。砲塔の旋回は首尾線方向を0度として左右150度で、俯仰角度は仰角45度・俯角1.5度で発射速度は毎分1.5~3.4発である。

高角砲・機銃・水雷兵装

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トレント級は多種類の武装を装備している[注釈 7]高角砲は1927年10cm(47口径)高角砲を採用した。この砲は設計年次が古く、原型は第一次世界大戦前にシュコダ社でオーストリア=ハンガリー帝国海軍向けに製造されたK11型 10cm(47口径)砲であり、戦利艦に搭載されていたこの砲を複製し、砲架を改めて平射砲から高角砲に転用したものである。原型が平射砲であったため砲耳の位置が低く、そのままでは高仰角時の装填操作が困難となることから、転用にあたり採用された高角砲架は仰角が大きくなるとそれに応じて砲耳の高さが高くなる機構を有していた。性能は、13.8kgの砲弾を使用した場合仰角45度で射程15,240m、最大仰角85度で射高10,000mであった。旋回と俯仰は電動と人力で行われ、360度旋回でき、俯仰は仰角85度~俯角5度であった。発射速度は毎分8~10発だった。これを連装砲架で8基16門を搭載した。砲架の機構が特殊なため俯仰操作が重く、実際に高角砲として使用するには目標追随能力が十分でなかったとされる。イタリア海軍の艦艇ではトレント級が最初の搭載艦となった。

他に、高角砲を補うためにModels 1917 4cm(39口径)機関砲を採用した。これは第一次世界大戦前にイギリスのヴィッカーズ社よりライセンス生産されたものでイギリス海軍では「ポンポン砲」として第二次世界大戦時も使用している砲である。この機関砲を単装砲架で4基を搭載した。

近接対空用にはModel 1931 13.2mm(75.7口径)機銃を採用した。その性能は0.051kgの機銃弾を仰角45度で6,000m、仰角85度で2,000mの高さまで届かせることが出来た。俯仰能力は仰角85度・俯角11度である。旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが、上部構造物に射界を制限された。砲架の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に電力で行われ、補助に人力を必要とした。発射速度は毎分500発である。この機銃を連装砲架で4基を搭載した。

水雷兵装は連装53.3cm魚雷発射管が舷側に固定式で4基搭載されている。

1937年の改装により、10cm高角砲、12.7mm機銃及び40mm機関砲のそれぞれ一部を撤去し、代わりに37mm機関砲8門と13.2mm機銃8挺を搭載した。

艦歴

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第二次世界大戦勃発後の1940年(昭和15年)6月10日、イタリア王国の参戦により地中海戦線が形成された。地中海攻防戦において、本級と準同型艦合計3隻(トレント、トリエステ、ボルツァーノ)は連合国海軍との間で生起した多数の海戦に参加している[22]。1941年(昭和16年)3月下旬のマタパン岬沖海戦でザラ級重巡3隻(ザラフィウメポーラ)が沈没すると、生き残ったザラ級重巡ゴリツィア (Incrociatore pesante Gorizia) も本級と行動を共にするようになった[23]。トレントはヴィガラス作戦の阻止行動中の1942年(昭和17年)6月15日にマルタ島からの空襲により被雷、同日イギリス潜水艦アンブラ (HMS Umbra,P35) により再度魚雷攻撃を受けイオニア海で沈没した[24]。半数以上の乗員が死亡したが、その一部は護衛に当たった艦が投じた爆雷による物と見られている。

トリエステは、1941年(昭和16年)11月21日夜にイギリス潜水艦アトモスト (HMS Utmost) の雷撃により大破した[注釈 8]。トリエステはメッシーナで修理に従事した。だが、1943年(昭和18年)4月10日にラ・マッダレーナ港にてアメリカ陸軍のB-24爆撃機により数発の爆弾を受けた後、沈没した[22]。スペインに航空母艦への改装のため売却する計画もあったが、実行に移されることはなく解体された。

同型艦

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艦名 起工 進水 就役 戦没
トレント(Trento) 1925年2月8日 1927年10月4日 1929年4月3日 1942年6月15日
トリエステ(Trieste) 1925年6月22日 1926年10月24日 1928年12月21日 1943年4月10日

出典

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注釈

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  1. ^ 巡洋艦トレント(一九二八年九月竣工)[3] 基準排水量一〇〇〇〇噸、時速三五節半。同年十二月竣工のトリエステと同型。一九二三 ― 四年度計畫に依り二五年八月に起工。前方艦檣にカタパルトを装着す。
  2. ^ 巡洋艦ボルツァノ(一九三二年進水)[3] 基準排水量一〇〇〇〇噸、時速三五節半。一九二九年度の海軍計畫によりトレント級の第三位として決定されたものであるが、トレントとは水きさ及び前方艦檣に於ける甲板の有無に依つて異る。
  3. ^ シュフラン級重巡では、やや防御力を強化している[10]
  4. ^ a b 一等巡洋艦 “トレント Trento[12] 全要目{排水量10,000噸 速力35.5節 備砲20糎砲8門 魚雷發射管(53糎)8門 起工1925年2月 竣工1929年4月 建造所 オルランド造船所} 同型艦“トリエスト Trieste
    要目一切は“トリエスト”と同じである。建造中に於て種々の變更が行はれ、最初は煙突間にカタパルトが装備される筈であつたのが艦首に装備されることゝなつたり、司令塔附近には對空防禦のため装甲其他が新に加工される等幾多の改善が施され又超えて1931年には更に改装が施されたのである。この2隻は英國“ケント級重巡洋艦に對抗する意味で建造されたもので“ケント”よりは高速力を得んために餘程苦心して輕く設計されてゐる。伊國重巡の最新艦はボルザーノ Bolzano(33-8竣工)で、外に舊型ピサ Pisa” “サン・ギオルギオ San Giorgio” “サン・マルコ San Marco”がある。重巡總計10隻97,342噸である。
  5. ^ いわゆるコンドッチェリ級巡洋艦 (Condottieri) である[14]
  6. ^ 一等巡洋艦 “トレント Trento[19] 全要目{排水量10,000噸 速力35節 備砲20糎砲8門 魚雷發射管(53糎)8門 起工1925年2月 竣工1929年4月 建造所 オルランド造船所} 要目一切は“トリエスト”と同じである。建造中に於て種々の變更が行はれ、最初は煙突間にカタパルトが装備される筈であつたのが艦首に装備されることゝなつたり、司令塔附近には對空防禦のため装甲其他が新に加工される等幾多の改善が施され又超えて1931年には更に改装が施されたのである。この2隻は英國“ケント級重巡洋艦に對抗する意味で建造されたもので“ケント”よりは高速力を得んために餘程苦心して輕く設計されてゐる。伊國重巡の最新艦は“ボルツアノ Bolzano(33-8竣工)で、(ポラと殆ど全く同じ)外に舊型巡洋艦に“ピザ Pisa”“サン・ギオルヂオ San Giorgio”がある。重巡總計10隻97,342噸である。
  7. ^ 一等巡洋艦“トリエスト Triest[21] 全要目{排水量10,000噸 速力33.5節 備砲20糎砲8門 魚雷發射管(53糎)8門 起工1925年3月 竣工1928年12月 建造所アドリアチコ造船所} “ザラ級”に先んずる一等巡洋艦で全長190.18米、幅20.57米、平均吃水5.79米。10糎高角砲16門(2聯装8基) 8糎砲3門、4糎高角砲4門、小砲14門と言ふモリたくさんな備砲を有してゐる。8門の發射管は甲板上に2聯装に装備され、カタパルトは艦首に1基、哨戒兼爆撃水上機3機を搭載してゐる。/機關は重油専燒で搭載量3,000噸、35.5節の軸馬力150,000馬力。乗員723名である。主砲20糎砲は例外的に長大なる着彈距離を有し、最大仰角45度なりと稱せられてゐる。
  8. ^ 『イギリス潜水艦隊の死闘(上)』239-240頁では、伊海軍の巡洋艦3隻と駆逐艦3隻を英潜水艦アトモストが夜間に襲撃し、軽巡デューカ・ダブラツィ(7,874トン)を撃破したと記述する[25]。なおデューカ・ダブラツィ (Luigi di Savoia Duca degli Abruzzi) は22日の空襲で損傷した。

脚注

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  1. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 148(原本278-279頁)一等巡洋艦トリエスト
  2. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 115aイタリア/重巡洋艦「トレント」級 TRENTO CLASS
  3. ^ a b 世界海軍大写真帖 1935, p. 52.
  4. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, pp. 47–50条約下の重巡と軽巡
  5. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 118a-119トレント級重巡洋艦/航洋性能に秀でたイタリア初の条約型重巡
  6. ^ a b 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 117イタリア/重巡洋艦「ボルツァーノ」 BOLZANO
  7. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 138aアルゼンチン/重巡洋艦「ベインティシンコ・デ・マヨ」級 VEINTICINCO DE MAYO CLASS
  8. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 107フランス/重巡洋艦「デュケーヌ」級 DUQUESNE CLASS
  9. ^ a b 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 226.
  10. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, pp. 108–109フランス/重巡洋艦「シュフラン」級 SUFFREN CLASS
  11. ^ 福井、世界巡洋艦物語 1994, p. 45.
  12. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 172(原本326-327頁)一等巡洋艦トレント
  13. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 115b.
  14. ^ a b 福井、世界巡洋艦物語 1994, p. 82.
  15. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 118イタリア/軽巡洋艦「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」級 ALBERTO DI GIUSSANO CLASS
  16. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 138b.
  17. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 116イタリア/重巡洋艦「ザラ」級 ZARA CLASS
  18. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, pp. 120a-121ザラ級重巡洋艦/条約型重巡の中でも屈指の重装甲を誇る
  19. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 149(原本280-281頁)一等巡洋艦トレント
  20. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 122a重巡洋艦「ボルツァーノ」/快速軽装甲に立ち返った改トレント級
  21. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 171(原本324-325頁)一等巡洋艦トリエスト
  22. ^ a b イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 119.
  23. ^ イカロス、世界の巡洋艦 2018, p. 121.
  24. ^ イギリス潜水艦隊(下) 2003, pp. 32–33.
  25. ^ イギリス潜水艦隊(上) 2003, pp. 239–240.

参考文献

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  • ジョン・ウィンゲート 著、秋山信雄 訳『イギリス潜水艦隊の死闘(上)』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2003年7月。ISBN 4-15-050278-1 
  • ジョン・ウィンゲート 著、秋山信雄 訳『イギリス潜水艦隊の死闘(下)』早川書房〈ハヤカワ文庫〉、2003年7月。ISBN 4-15-050279-X 
  • 「世界の艦船増刊 イタリア巡洋艦史」(海人社)
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門「<第2部> 条約時代の巡洋艦」『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。 
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想 第八巻 世界巡洋艦物語』光人社、1994年6月。ISBN 4-7698-0656-6 
  • 本吉隆(著)、田村紀雄、吉原幹也(図版)「イタリアの巡洋艦」『第二次世界大戦 世界の巡洋艦 完全ガイド』イカロス出版株式会社、2018年12月。ISBN 978-4-8022-0627-3 


関連項目

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外部リンク

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