ドボワチン D.500
D.500
D.500(Dewoitine D.500)は1930年代にフランスのデヴォアティーヌ社で製造された固定脚の全金属製単葉戦闘機である。
開発
[編集]1930年に、ニューポール 62に変わる戦闘機を求めるフランス空軍の仕様書C1に基づいてイミーユ・デヴォアティーヌによって設計された。試作機は1932年6月18日初飛行し、1933年11月に60機の注文を獲得し、最初の生産型は1934年11月29日に飛行した。機首の機銃をモーターカノンに変更した型はD.501という記号に改名された。1935年7月から運用が開始され、1936年10月にはエンジン強化型のD.510が運用を開始した。
運用
[編集]1939年にモラーヌソルニエM.S.406が運用を開始するまでフランス空軍の主力機の地位を占めた。1939年9月時点で、D.500、D.501は地域防衛、練習機部隊に配置転換された。第二次世界大戦開戦の時点で、フランス空軍の主力は引き込み脚のモラーヌソルニエM.S.406やドボワチン D.520となっていたが、D.510は2個の戦闘機隊と北アフリカの2個の戦闘機隊、2個の海軍飛行隊に配備されていた。モロッコのD.510の戦闘機部隊(ERC571)は、1939年11月までD.500を運用し、ERC573とともにGC III/4に改編され、1940年末まで活動した。ダカールの戦闘機隊GC I/6は、1941年にカーチス H-75に機種変更するまでD.510を運用した。
フランス国外には、リトアニアに7機のD.501が輸出され、2機のD.510がスペイン内戦の共和国軍に参加した。共和国軍のD.510は1936年にスペインに到着し、フランス政府がエンジンの返還を求めたためソビエト製のクリーモフ M-100が取り付けられ71沿岸防衛部隊に配備された。この2機は1938年に1機が着陸時に大破し、もう1機は爆撃により破壊された。また、中華民国空軍にも輸出され、1938年に日本軍との戦闘に加わった。
一方の大日本帝国も、1935年9月に陸軍と海軍がモーターカノンの研究用にD.510Jを1機ずつ購入し、陸軍ではキ12が、海軍では九六式三号艦上戦闘機が試作された。この時、日本製戦闘機との性能比較も行われたが、九六式艦上戦闘機とキ27(後の九七式戦闘機)双方に総合性能で劣るとされた。海軍に置ける名称はデボアチン戦闘機(略符号AXD1)、陸軍に置ける名称はデ式戦闘機[1]。
派生型
[編集]- D.500.01
- 試作型
- D.500
- エンジンにイスパノスイザ12Xbrs (690hp)を装備。武装として7.7 mm ヴィッカース機銃または 7.5 mm Darne 機首機銃 ×2 と、7.5 mm Darne 翼内機銃 ×2。101機を生産。
- D.501
- 武装をイスパノスイザ HS.7 20mm モーターカノン ×1、7.5 mm Darne 翼内機銃 ×2に強化。157機を生産。
- D.503
- D.511のエンジンを、イスパノスイザ12Xcrsに換装。試作のみ。
- D.510
- エンジンをイスパノスイザ12Ycrs (860hp)に強化。武装をイスパノスイザ HS.9 20 mm モーターカノン ×1、翼内機銃をMAC 1934 7.5 mm 機関銃 ×2に換装。120機生産。
- D.511
- D.501の翼を再設計しエンジンをイスパノスイザ12Ycrsに換装した試作機。D.503に改造された。
- D.510J
- 日本軍が参考用に購入したD.510。
- AXD1
- D.510Jの日本海軍における名称。
要目(D.510)
[編集]- 乗員:1 名
- 全長:7.94 m
- 全幅:12.09 m
- 全高:2.42 m
- 翼面積:16.50 m2
- 空虚重量:1,496 kg
- 全備重量:1,929 kg
- エンジン:イスパノスイザ 12Ycrs V型エンジン 860 hp ×1
- 最高速度:402 km/h (高度5,000m)
- 巡航高度:11,000 m
- 航続距離:700 km
- 武装
- イスパノスイザ HS.9 20mm 機関砲 ×1 (モーターカノン)
- MAC 1934 7.5 mm 機銃 ×2
脚注
[編集]外部リンク
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