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全金属製飛行機研究材料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

海軍 全金属製飛行機研究材料

  • 用途:実験機、艦上偵察機
  • 設計者:長畑順一郎、佐藤博
  • 製造者川崎造船所飛行機工場
  • 運用者大日本帝国海軍
  • 初飛行1929年3月
  • 生産数:1機
  • 運用状況:退役

全金属製飛行機研究材料(ぜんきんぞくせいひこうきけんきゅうざいりょう)は、大日本帝国海軍が実験的に試作した艦上偵察機。設計者の名前から長畑式特殊艦上偵察機とも[1]、機体製造を川崎造船所飛行機工場(のちの川崎航空機工業)が担当したことから川崎試作艦上偵察機とも呼ばれる[2]

概要

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海軍は全金属製航空機の研究を目的として、海防義会の献金によって極秘裏に1927年昭和2年)に「全金属製飛行機研究材料」という名目の実験機の開発を開始した[2][3]。機体の設計は海軍技術研究所航空研究部(のちの海軍航空技術廠[2][3]長畑順一郎技師[1][2]佐藤博助手によって行われ[2]、機体の試作は川崎に発注された[2][3]。設計は1927年3月に開始され、1928年(昭和3年)6月に完了[2]。機体は同年9月に完成した[2][3]。試験飛行は1929年(昭和4年)3月から霞ヶ浦で実施されたが、フラップの操作が困難なため[4]操縦性に難があり危険との判断がなされ[3]、数回の飛行のみで審査・計画は中止された[5]

本機は高い高空性能を持つ[2]艦上偵察機として設計された[2][3]。機体はドルニエ式の設計による[2]全金属製骨組みに羽布張りの単葉機で、主翼である片持式パラソル翼英語版には、深い後退角の付与や大面積のスロッテッド・フラップの採用が行われるなど[4]、当時では世界的にも類がない新機軸が盛り込まれたものだった[2][3]。しかし、基礎研究の不十分さから形にならず、これらの技術がこの時点で実用に至ることはなかった[2]。降着装置は固定脚[5]

諸元

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出典:『日本航空機総集 川崎篇』 76頁[5]、『決定版 日本の空母搭載機』 58頁[3]

  • 全長:10.65 m
  • 全幅:16.60 m
  • 全高:3.18 m
  • 主翼面積:43.70 m2
  • 自重:1,200 kg
  • 全備重量:1,800 kg
  • エンジン:三菱 ヒ式 水冷V型12気筒(離昇600 hp) × 1
  • 最大速度:262 km/h
  • 実用上昇限度:10,000 m
  • 航続時間:3時間
  • 乗員:2名

脚注

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  1. ^ a b 川崎まなぶ 2011, p. 100.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 野沢正 1960, p. 75.
  3. ^ a b c d e f g h 歴史群像編集部 2011, p. 58.
  4. ^ a b 野沢正 1960, p. 75,76.
  5. ^ a b c 野沢正 1960, p. 76.

参考文献

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  • 川崎まなぶ『日本海軍の艦上機と水上機 その開発と戦歴』大日本絵画、2011年、100頁。ISBN 978-4-499-23037-7 
  • 野沢正『日本航空機総集 川崎篇』出版協同社、1960年、75,76頁。全国書誌番号:53009887 
  • 歴史群像編集部 編『決定版 日本の空母搭載機』学研パブリッシング、2010年、58頁。ISBN 978-4-05-606155-0 

関連項目

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