ナズリ・ナシル
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名前 | ||||||
本名 | モハメド・ナズリ・ビン・ナシル | |||||
ラテン文字 | Nazri Nasir | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | シンガポール | |||||
生年月日 | 1971年1月17日(53歳)[1] | |||||
出身地 | シンガポール | |||||
身長 | 175cm[2] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF(DMF)/DF(CB) | |||||
ユース | ||||||
1987 | ジュロン・タウンFC[3] | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1988-1991 | ジュロン・タウンFC[4] | |||||
1991-1992 | バレスティア・ユナイテッドFC[5] | 10 | (0) | |||
1992-1994 | シンガポール警察 | |||||
1994-1995 | シンガポールFA[6] | 14 | (6) | |||
1996 | センバワン・レンジャーズFC | 24 | (1) | |||
1997-2001 | SAFFC | |||||
2002-2008 | タンピネス・ローバースFC | 299 | (19) | |||
代表歴2 | ||||||
1990-2004 | シンガポール | 100[7] | (12) | |||
監督歴 | ||||||
2008-2012 | タンピネス・ローバースFC(総支配人) | |||||
2012-2013 | NFA U-15 | |||||
2014- | シンガポール・ライオンズXII(アシスタント) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 2. 2004年7月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ナズリ・ナシル(Nazri Nasir、1971年1月17日 - )は、シンガポールの元サッカー選手、現サッカー指導者。元シンガポール代表主将[8]。ポジションは守備的ミッドフィールダーまたはセンターバック。
戦う事も出来、よく走り、強力なタックルを持つ選手として知られた他[2]、シンガポールの主将として挑んだ1998 タイガーカップでは同国に初めての優勝を齎した。
クラブ歴
[編集]1988年にシンガポールサッカー協会プレミアリーグに所属するジュロン・タウンFCでサッカー選手となった[4]。1988年と1989年にはプレジデンツ・カップを制覇している[9]。1990年にはラフィ・アリ、サニザル・ジャミルと共に、チェコスロバキアのFCニトラに二ヶ月のトレーニングを受けに行っている.[10][11]。FCニトラからのプロ契約の打診があったもののこれを断り[12]、1991年にバレスティア・ユナイテッドFCと年俸1万シンガポール・ドルの二年契約をした[5]。その後、シンガポール警察サッカー部へ移籍。
1994年2月には、シンガポールFAと2年の契約を結んだ[6]。これによって、マレーシア・スーパーリーグへの参戦とマレーシアカップへの参加を経験する事となった[13]。同チームがマレーシアから追放され、1995年の東南アジア競技大会がシンガポールで開かれる事となると、シンガポールサッカー協会は同チームのプレミアリーグへの移籍及びSリーグの創設を決定した[14]。この年はプレミアリーグで優勝を果たしている。
Sリーグが開幕した1996年はセンバワン・レンジャーズFCに所属した。その翌年からはシンガポール・アームド・フォーシズFCに移籍し、1997年、1998年、2000年に同チームでリーグ優勝を果たした。2002年にはタンピネス・ローバースFCに移籍し、センターバックとして活躍[15]、2004年と2005年にリーグ優勝をした。37歳となった2008年、タンピネス・ローバースFCで現役を引退した。
代表歴
[編集]代表デビューは1990年9月13日に行われたマレーシア代表戦であった[7]。
1992年11月19日にはパン・アイランド高速道路で乗っていたバイクで事故に遭い、背骨と右の鎖骨が粉砕された[16]。5週間のリハビリの後に復帰したものの[17]、1993年2月に行われたムルデカ大会1993には出場出来なかった[18]。
1997年にはシンガポール代表の主将となり、1998 タイガーカップでは主将として同国を初優勝に導いた。
2007年6月にはFIFAセンチュリークラブの一員となった[19]。
監督歴
[編集]選手として引退した後には、現役を引退したタンピネス・ローバースFCで総支配人を務めた[20]。その後は、シンガポール国立フットボールアカデミーのU-15監督を務め、2012年と2013年のライオン・シティ・カップに監督として参戦した。
2013年12月16日には、シンガポール・ライオンズXIIのアシスタントコーチに就任した[21]。同チームではシンガポールFAでのチームメイトであったファンディ・アマドの下で任務を全うしている。
個人
[編集]彼の父親は1993年12月に69歳で亡くなっている[22]。母親については、自身が8歳の時に喘息を発症し、成績も芳しくなかったにも関わらず、サッカーのサポートをしてくれたと云う[23]。兄弟が6人、姉妹が4人いる[24]。兄のナズリ・アミンも元シンガポール代表のディフェンダーで現在サッカー指導者となっている[25]。
センバワン小学校を卒業し、シ・リン中学校を卒業した。その後工芸教育学院で学位を取得した[24]。
1994年11月27日には客室乗務員と結婚した[26]。息子が二人おり、彼らは国立フットボールアカデミーにセンターバックとして在籍している[27][28]。娘は2004年10月に生まれた。
また、トッテナム・ホットスパーFCのファンである[24] 。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- ジュロン・タウンFC
- プレジデンツ・カップ: 1988, 1989
- シンガポールFA
- マレーシア・スーパーリーグ: 1994
- マレーシアカップ: 1994
- シンガポール・アームド・フォーシズFC
- Sリーグ: 1997, 1998, 2000
- シンガポール・カップ: 1997, 1999
- タンピネス・ローバースFC
- Sリーグ: 2004, 2005
- シンガポール・カップ: 2002, 2004, 2006
代表
[編集]- シンガポール
個人
[編集]- Sリーグ市民選出賞: 2004
参考文献
[編集]- ^ “Nazri Nasir's fact file”. The Straits Times. (24 July 1990)
- ^ a b Darren Lai (24 October 2005). “The most successful player of the decade”. Today
- ^ Hakikat Rai (28 September 1987). “Jurong eager on Suria for League”. The Straits Times
- ^ a b “Jurong Town Football Club”. The Straits Times. (2 January 1988)
- ^ a b Joe Dorai (1 April 1991). “Balestier secures Nazri's signature”. The Straits Times
- ^ a b “Nazri accepts two-year deal with the FAS”. The Straits Times. (17 February 1994)
- ^ a b “FIFA Century Club fact sheet”. FIFA (12 April 2013). 24 November 2015閲覧。
- ^ “FAS launches FAS Captains' Advisory Panel”. FAS. 21 March 2014閲覧。
- ^ “Jurong pave way for young talent”. The Straits Times. (2 January 1990)
- ^ Joe Dorai (24 July 1990). “FAS select three teenagers for stint with Czech club”. The Straits Times
- ^ Peter Khoo (9 November 1990). “Czech club Nitra will play hosts to talented teen trio”. The Straits Times
- ^ Joe Dorai (19 March 1991). “Singapore trio turn down Czech pro offers”. The Straits Times
- ^ Peter Khoo (18 December 1994). “The perfect end to Singapore's 14-year drought”. The Straits Times
- ^ Joe Dorai (5 March 1995). “It's official: FAS to keep Lions intact this year”. The Straits Times
- ^ Jose Raymond (21 November 2001). “Nazri's a Stag”. Today
- ^ “Footballer Nazri hurt in crash”. The Straits Times. (20 November 1992)
- ^ “Nazri and Borhan doing light workouts”. The Straits Times. (5 January 1993)
- ^ “Borhan, Nazri out”. The Straits Times. (12 January 1993)
- ^ “FIFA Century Club fact sheet”. FIFA (12 June 2007). 24 November 2015閲覧。
- ^ “Nazri kicks off new career”. Today. (3 January 2008)
- ^ “Nazri Nasir joins LionsXII as assistant coach”. LionsXII. 6 March 2014閲覧。
- ^ “Condolences to Nazri, Amin”. The Straits Times. (15 December 1993)
- ^ “Nazri leaves a lasting impression”. The Straits Times. (7 April 1991)
- ^ a b c “Nazri provides 'oomph'”. The Straits Times. (27 November 1993)
- ^ “S.League: Beating cancer is his biggest win”. The New Paper. (1 March 2014)
- ^ “Nazri meets his match in Sharifah”. The Straits Times. (28 November 1994)
- ^ “Dad cracks whip only on field”. The Straits Times. (7 June 2013)
- ^ “SSS profile: Amer doesn't want to be the new Nazri”. The New Paper. (20 September 2012). オリジナルの2014年3月22日時点におけるアーカイブ。
外部リンク
[編集]- ナズリ・ナシル - National-Football-Teams.com
- ナズリ・ナシル - FootballDatabase.eu
- ナズリ・ナシル - WorldFootball.net
- ナズリ・ナシル - Transfermarkt.comによる選手データ
- ナズリ・ナシル - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ナズリ・ナシル - FIFA主催大会成績
先代 リム・トンハイ |
サッカーシンガポール代表主将 1997-2003 |
次代 アイデ・イスカンダル |