ノート:くノ一/過去ログ1
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2003年11月23日 (日) 00:17 (UTC) の議論
[編集]「・・・らしい」ってぇのが気になりますが。もともと物語性が強いので、歴史研究結果なのか、創作なのか明確にして行かないといけないでしょう。八切止夫氏の著作に詳しいようですが、これ有る程度娯楽読み物だったりしますが。--以上の署名のないコメントは、218.222.55.161(会話/Whois)さんが 2003年11月23日 (日) 00:17 (UTC) に投稿したものです。
- 本来は単に女性を意味する言葉だったのが、山田風太郎の作品などから、女忍者のことを意味するように徐々にイメージが変化していったらしいです。あと、八切先生のものは、なかなか使い方が難しいですね (^^;)。Kadzuwo 21:21 2004年3月12日 (UTC)
テレビドラマにおいて「ミニスカート風の着物に網タイツを着込んでいるくノ一」 ですが、「風」(1967年 - 1968年、TBS / 松竹) で、土田早苗さんが くノ一・かがり役で 登場しています。 --以上の署名のないコメントは、175.177.218.19(会話/Whois)さんが 2016年4月30日 (土) 11:57 に投稿したものです(ぽん吉(会話)による付記)。
- IPユーザーさんの署名を付記し、節名を補いました。--ぽん吉(会話) 2018年1月22日 (月) 07:57 (UTC)
Yu0blue氏の差し戻しに関して
[編集]>(記述内容が特定の著書の主張に偏っていた為、一旦差し戻しを行いました。「くノ一=女忍者」という広義の観念に関する記事となりますので、それを念頭に置いて編集してください。)
という理由で差し戻しましたが、再差し戻しさせていただきました。
私が編集する前は出典が無いなど複数の問題があるというテンプレートが張られていました。 それをせっかく出典をつけてなおしたのに、それを複数の問題がある状態に戻す事のほうが、よほど問題ありと判断したからです。
Wikipediaでは正しいかどうかよりも出典があるかどうかが重視されます。
もし現在の記述に問題があると思うなら、出典を明示した上で書き加えてください。
私の方で出した出典は大学に所属する専門家によるものですので、それと同等ないしそれ以上に信頼できる出典に基づいての記述をお願いします。--Munch2015(会話) 2017年9月23日 (土) 00:00 (UTC)
WikipediaにはWikipedia:中立的な観点という方針があります。 Munch2015氏の記述は、特定の学術書の主張を列挙しており、その他の史実・伝承等の記述を一方的に削除しておりましたので、中立性という観点から望ましくないと判断し、差し戻しを行いました。
現在、既に「くノ一=女忍者」という一般的な観念が成立しておりますので、本項は「くノ一」という単語の成立について記述するだけではなく、史実・伝承・創作を含めた「女忍者」という存在についても幅広く記述する必要があると思います。--Yu0blue(会話) 2017年9月25日 (月) 04:01 (UTC)
- 上記の意見に関する返答は下記の最後に書きます。--Munch2015(会話) 2017年9月25日 (月) 08:51 (UTC)
Yu0blueさんの支持している文面の個々の記述の問題点を指摘します。行きがかり上、細かい指摘をしますが、個人攻撃の意図はありませんので、その辺をご了承ください。
>ここでは、その具体例のひとつとして、江戸時代に成立した忍術書「万川集海」や「正忍記」の記述を元に、くノ一の実態をまとめる。
歴史上は女の忍者は存在しない吉丸17:p167ので、「くノ一の実態」ってのはありえないですね。
>語源について、いくつかの説がある。
語源は元来は女を指す隠語であり吉丸17:p168、「女忍者」の意味で使ったのは1964年~1967年ですね吉丸17:p186。
>歴史上のくノ一
繰り返しになりますが、歴史上は女の忍者は存在しません吉丸17:p167。
最後に
>「くノ一」という単語の成立について記述するだけではなく、史実・伝承・創作を含めた「女忍者」という存在についても幅広く記述する必要があると思います
上述の通り「史実」はありえませんね。「伝承・創作」についてはその通りなので、きっちりした出典を明示した上で、加筆をお願いします。
--Munch2015(会話) 2017年9月25日 (月) 08:51 (UTC)
追記:
>特定の学術書の主張を列挙しており、その他の史実・伝承等の記述を一方的に削除しておりましたので、中立性という観点から望ましくないと判断し、差し戻しを行いました。
「中立に反する」事を証明する出典をお願いします。現状ではYu0blueさん個人が「中立に反する」と主張しているだけで、出典があがっていないので。
繰り返しになりますが、大学の専門家の意見を「中立に反する」と主張する以上、それと同レベルの信頼度のある文献の提示をお願いします。
別に私は吉丸氏の本の意見に固執しているわけではないので、同レベルの文献が提示されれば両論併記すればよいという意見です。---Munch2015(会話) 2017年9月25日 (月) 09:25 (UTC)
まず申し上げておきますと、「歴史上は女の忍者は存在しない」というのは、あくまで吉丸氏の主張にすぎず、確定した「客観的事実」ではありません。 現時点において、学術面における「歴史上に女の忍者が存在したか否か?」という議論の結論はついておらず、吉丸氏の主張も数ある主張の一つにすぎない以上、「結論は未確定」であるのが現在の「客観的事実」であると思います。
吉丸氏の主張に対して、今後他の研究者による反証・反論が行われる可能性がある以上、吉丸氏の著書の主張のみが「客観的事実」であるかのような記述の仕方を本項で行う事それ自体が、「中立性に反する」と申し上げております。
編集後の記述は、以前から記載されていた独自研究をできるかぎり削除した上で、「歴史上に女の忍者が存在したかどうかの結論は未確定」という「客観的事実」に基づいて記述を行っており、吉丸氏の主張を要約して記述し、吉丸氏が著書の中で言及している望月千代女の実在性についても記述しておりますので、「本項において、吉丸氏の主張を出典を示して記述する」というMunch2015氏の目的はそれで果たされているはずだと思います。--Yu0blue(会話) 2017年9月26日 (火) 06:34 (UTC)
>現時点において、学術面における「歴史上に女の忍者が存在したか否か?」という議論の結論はついておらず、吉丸氏の主張も数ある主張の一つにすぎない以上、「結論は未確定」であるのが現在の「客観的事実」であると思います。
なら、女忍者が存在したという、大学の専門家の書いた文献を提示できるはずですね。4度目になりますが、出典の提示をお願いします。なぜ出典の提示を頑なに拒むのでしょうか。
あと、私が吉丸氏の本の引用をつけた箇所を削るのはおやめください。
「自身の主張に出典を提示しない」、「他人の出典を削る」はいずれもwikipediaのルール的に真っ黒ですので。
議論が平行線を辿っているようなので、コメント依頼を出しました。---Munch2015(会話) 2017年9月26日 (火) 08:54 (UTC)
まずお断り申し上げておきますが、私は「歴史上に女忍者が実在した」とは断定しておりませんし、本項において、なんの出典も提示せずにその主張を通すべきであるとは考えておりません。
以前も申し上げましたが、私は本項は「歴史上に女の忍者が存在したか否かは現時点で未確定」というスタンスで、中立性を保って記述されていくべきであると考えております。
まず前提として、本項の「歴史上のくノ一」の欄に記述している通り、 「忍者はその活動の性質上、具体的な事績や人名が歴史的な資料としては残りにくい」 「大昔の女性であり忍者でもあるくノ一の活躍ともなると、(中略)学術面においてはその全貌を確実に立証することが難しいという事情がある」 という学術研究上の客観的事実が存在します。
上記の事実はWikipedia:中立的な観点における「中立的な観点とは」の「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」に該当するものであり、この記述は出典の提示が無い事を理由に削除していいものではないと考えております。 (「忍者」及び「女忍者」について学術研究を行っている研究者全員に、この共通理解は成立していると思います)
Munch2015氏は、「自分は『歴史上に女忍者は存在しない』という研究者の主張を出典を提示して記述したので、『歴史上に女忍者が存在した』という研究者の主張を出典を提示して示してほしい」とおっしゃられていますが、現時点で、私は「歴史上に女忍者が存在した」と主張する研究者の出典を存じ上げませんので、その出典を提示することはいたしかねます。 この点に関しては、今後そういった主張を行っている研究者の出典を探していく必要があると考えております。
「歴史上に女忍者が存在した」という主張の出典を現時点で本項には記述できてはおりませんので、Munch2015氏は「片方の主張のみしか出典を提示できていないのだから、片方の主張を事実認定して構わない」とお考えになられておられるのかもしれません。 (実際に、私が差し戻す前の本項において、Munch2015氏は「歴史上は女の忍者は存在しない」と断定した記述をされておられました)
この件について、私は、出典を提示した上での「歴史上に女の忍者が存在した」という主張の記述が本項に無い事を理由に、吉丸雄哉氏の著書の記述内容を「論争の余地のない主張」と認定するべきではないと考えております。
理由として、以下の内容を記述いたします。
①そもそも学術研究の面において忍者および女忍者の全貌の実証は難しいという前提が存在する為、「女の忍者が実在したか否か?」という議論は、史料の有無、出典の有無に関わらず慎重に行われるべき案件であり、一研究者の主張に対する異論・反論が無いことを理由にその主張を簡単に事実認定していいものではありません。 (Munch2015氏は、「大学の専門家の意見を「中立に反する」と主張する以上~」とおっしゃられましたが、そもそも専門家が自身の研究結果に基づく意見を主張している時点で、それは「中立な立場」の主張ではありません)
②一研究者の「歴史上は女の忍者は実在しない」という主張を「論争の余地のない主張」と認定する権限は、そもそもWikipediaにはありません。当然ながらMunch2015氏にも私にもそのような権限はありません。 学術研究の分野において、これほどの重大な主張を事実と認定しようとするならば、それは学会において数多の専門家達が議論を尽くした上で結論付けられるべきものであり、Wikipediaに「論争の余地のない主張」として記述できるのは、その結論が出た後の事であるべきです。 差し戻し前の「歴史上は女の忍者は実在しない」という記述が、Munch2015氏個人の判断によって行われているのであれば、それは独自研究に該当しますので、Wikipedia:独自研究は載せないに違反しております。
③Wikipediaの方針として、Wikipedia:検証可能性がありますので、この点においては①で述べた通り、そもそも全貌の実証が難しい「女忍者」について本項に記述していくことは、慎重さを求められる事だと思います。 学術面における検証が難しい為、研究者の中には吉丸氏のように、「史料が不確定である為、歴史上に女の忍者は存在しない」と主張する方が出てこられるのも必然かと思いますが、本項の「概要」に記述している通り、「万川集海」等の史料には、忍者が仕事の仕掛けに女性を使う「くノ一の術」が記載されているという客観的事実があります。 これらの史料の記述は、「歴史上に女の忍者が実在した」という確実な根拠とはならないまでも、「歴史上に女の忍者が実在した可能性」を示す根拠にはなり得ると思いますので、その点については記述しておくべきであると考えており、それが私が当初申し上げた「歴史上に女の忍者が存在したか否かは現時点で未確定」というスタンスにつながっております。 今後、学術面において新たな史料が発見される可能性もゼロではなく、それに伴って女の忍者に関する議論も進展する可能性もありますので、学術面における議論について、本項は特定の主張、特定の立場に立つ事なく、中立性を保った上で「論争の余地のない主張」と認定された主張のみを「事実」として記述していくべきであると考えております。
④吉丸氏の「歴史上は女の忍者は存在しない」という主張は、上記の「万川集海」等の史料に記述されている「くノ一の術」が、「忍者が仕事の仕掛けに女を使う術」という趣旨にすぎず、「女忍者」を指しているわけではないという根拠に基づいているものだと、Munch2015氏は差し戻し前の本項において記述されておられましたが、この根拠は、あくまで吉丸氏の「史料の解釈の産物」にすぎないのではないでしょうか? 一研究者の史料の解釈による主張は「論争の余地のない主張」にはなりえません。
ひとまず、私の主張は以上となります。
Munch2015氏の記述した出典を削除した件についてはお詫び申し上げます。 ですが、そもそも今回のように新たな学術書について本項に記述を行い、それによってそれまでの記述を大幅に変更した上に、その書籍の主張を「論争の余地のない主張」として認定しようとするのであれば、それを行う以前に、その件についてノートで議論を行い、他の方の同意を得た上で行うべきではなかったのでしょうか?
それが一切行われず、一方的にそれまでの記述内容が削除・変更されておりましたので、差し戻しを行わせていただきました。 その後、独自研究を含んでいる部分に関してはできる限り削除・修正を行っており、Munch2015氏が記述された学術書についても、出典を提示した上でその主張内容を要約して記述しておりますので、Munch2015氏が吉丸氏の主張に固執されておられるのでなければ、方向性としてはこのままで問題ないのではないかと思います。
記述に対して出典を提示していただけるのはありがたいのですが、差し戻し前の記述内容は注釈が多すぎて見づらいものでしたので、記述内容について、要約できるべきところは簡潔にまとめ、できる限り注釈が少ない読みやすい文章を心掛けていただけるとありがたいです。--Yu0blue(会話) 2017年9月27日 (水) 06:42 (UTC)
>現時点で、私は「歴史上に女忍者が存在した」と主張する研究者の出典を存じ上げません
じゃあ、以下のものはYu0blueさんが個人的に思っているだけで(現時点では)根拠がだせないということですね:
>学術面における「歴史上に女の忍者が存在したか否か?」という議論の結論はついていない
>そもそも学術研究の面において忍者および女忍者の全貌の実証は難しいという前提が存在する
Wikipediaでは出典がないものは独自研究と見做されます:
>独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述することです。(Wikipedia:独自研究は載せない)
そして独自研究は排除されます(Wikipedia:独自研究は載せない)。
>Munch2015氏が吉丸氏の主張に固執されておられるのでなければ、
吉丸氏の主張には固執してませんが、Yu0blueさんが出典を出すことには当然固執しています。上述のように出典がないものは独自研究とみなされるので。
現時点で出典が出せないなら、まずは吉丸氏の本に従った私の記述を採用し、Yu0blueさんが大学の専門家による出典を見つけた時点で加筆する形がよいと思うのですが、いかがでしょうか。--Munch2015(会話) 2017年9月27日 (水) 09:13 (UTC)
追記1:
>一研究者の「歴史上は女の忍者は実在しない」という主張
下記の文献も挙げましたよ。revertされてしまいましたが。なので「一研究者」ではないですね。
- [山田16] 山田雄司(三重大学人文学部教授) (2016年4月26日). 忍者の歴史(kindle版). 角川学芸出版. ISBN 978-4047035805.
追記2:
>「万川集海」等の史料
「万川集海」のような一次資料を根拠にするのは駄目ですよ。根拠にすべきは一次資料を読み込んだ学者さんによる二次資料です:
- むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。ほとんどの一次資料となる題材は、適切に用いるための訓練が必要です(Wikipedia:信頼できる情報源)
追記3:
>「論争の余地のない主張」と認定する権限は、そもそもWikipediaにはありません。
全くその通りです。その権限は学者さんだけにあり、だからこそYu0blueさんに学者さんの文献の提示を求めたわけです。 権限もないのに「論争の余地がある!!」と主張しちゃ駄目です。
--Munch2015(会話) 2017年9月27日 (水) 09:43 (UTC)
まずはじめに申し上げておきますが、現時点で学術研究の面において、「歴史上女の忍者は実在しない」という主張が、学会等で公式に「論争の余地のない主張」と認められたという事実は存在しません。
これほどの重要な学説が公式に歴史的事実として認定されたのであれば、当然学会の学報等にその事実が記載されますし、当然その件に関する報道も行われますので、それらの出典を提示しない限りは、本項でその主張を「論争の余地のない主張」として記述することはできないと考えます。
少なくとも、その主張の出典が一研究者に過ぎない吉丸氏、山田氏らの著書の記述のみであるならば、その主張は「論争の余地のない主張」にはなり得ません。
つまり、現時点で本項において吉丸氏、山田氏ら「実在否定派」の著書を出典として提示し、その主張を記述するには、現在本項に記述されている「吉丸氏は、(中略)「歴史上に女の忍者は存在しない」と主張している」といった記述のように、Wikipedia:中立的な観点の方針に従い、客観的な記述を行うべきであると考えます。
学術面における「女忍者実在否定論」の現状が以上のような状況ですので、本項の編集者はその現状を踏まえた上で編集を行う必要があると考えます。
たとえ、その主張の対極にあたる「女忍者実在肯定論」の出典の提示と主張の記述が本項に一切存在しないという現状があったとしても、本項において、中立的な観点から「女忍者実在否定論」の主張を「相対的な立場の主張」として扱う必要性は変わりません。「実在否定論側の出典を提示した」→「実在肯定論側からの出典の提示は一切ない」→「女忍者の実在否定論に関して論争は存在しないのだから、女忍者実在否定論は「論争の余地のない主張」である」などといった強引な三段論法は本項において成立し得ないものであると考えております。
故に、当初私が申し上げたように、Munch2015氏と私を含めた本項の編集者は、「歴史上に女の忍者が存在したか否かは現時点で未確定」という中立性を保つというスタンスに則った上で本項の編集を行っていく必要があると考えております。
「実在否定派」と「実在肯定派」の間で現在論争が存在していない状態であったとしても、片方の主張がしかるべき手続きに従って歴史的事実として認定されていない以上、「歴史上に女の忍者が存在したか否かは現時点で未確定」という中立性は本項において自動的に成立するものであると考えます。
故に、私が「実在肯定論」の出典を本項で提示できるかどうかは、さして重要な問題ではないと考えます。上記の理由により、結局のところ、本項において「実在否定派」「実在肯定派」の出典の有無、出典の多寡のみでは「歴史上に女忍者が存在したか否か?」という議論に結論を出すことはできませんので、Munch2015氏が私に「実在肯定論」の出典を提示するように固執されておられることが、この議論に結論を出す事を目的にしておられるものであるならば、Munch2015氏はWikipedia:中立的な観点の趣旨を根本的に理解されていないものだと考えております。
そして、中立性を保った編集を行うということは、編集者が記述内容を作為的に編集しないということでもあると考えます。
たとえ片方の主張の出典の提示が多数存在したとしても、片方の主張は結局のところ相対的な立場のものに過ぎませんので、例えば、「実在否定論」の出典を多数提示し、対照的に「実在肯定論」の出典が存在しないことから、「女忍者の実在論争に関して、現在は『実在否定論』が優勢である」などといった記述が行われるのであれば、それはWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「ルールの悪用」の項目にある、「証拠の悪用」「印象操作」等に該当すると考えます。
本項の編集者は、本項がWikipedia:中立的な観点の方針に従い、「歴史上に女の忍者が存在したか否かは現時点で未確定」という中立的なスタンスによって成立していることが本項を初めて閲覧した読者でも理解できるように編集を行っていく必要があると考えております。
『歴史上のくノ一』の項目にある、「忍者はその活動の性質上、具体的な事績や人名が歴史的な資料としては残りにくい」 「大昔の女性であり忍者でもあるくノ一の活躍ともなると、(中略)学術面においてはその全貌を確実に立証することが難しいという事情がある」の記述についてですが、こちらに関しましては、Wikipedia:中立的な観点の「論争の余地のない主張」であり、私の独自研究には該当しないと認識しておりますので、これらの記述については特に出典を提示する必要はないと考えております。
そもそも「忍者」及び「女の忍者」の学術研究のみならず、歴史学の学術研究の分野において、「史料が残っておらず、確実な立証が難しい」などということは枚挙に暇がない話であり、それらは学術研究全体における「常識」です。学術研究において「確実な立証が行えないので、〇〇は実在しなかった」という主張は、それを安易に行うと学術研究自体を冒涜する暴論にしかなりませんので、こういった主張こそ慎重に論じる必要性があると考えます。
上記の記述が研究者にとっては「常識」の範疇の話ですので、それをあえて著書に記述している研究者もほとんどおられないかと思いますが、上記の記述に出典を提示した方が望ましいのであれば、こちらで出典を探しておきます。
最初に申し上げました通り、私は、「実在否定派」「実在肯定派」どちらかの主張に肩入れしないという中立性を保ったスタンスの元に本項の編集を行っており、初めて本項を閲覧した読者に対しても余計な「印象操作」を行わない事を心掛けて記述を行っておりますので、上記の『歴史上のくノ一』の記述やその他の項目の記述は、そのスタンスに則り、「私自身の独自研究」ではなく、「本項を閲覧する方への注釈」として記述したものであることをご理解いただければと考えております。--Yu0blue(会話) 2017年9月28日 (木) 08:02 (UTC)
- (Munch2015さんに質問)横からすみません。コメント依頼をみてきたのですが、ちょっとMunch2015さんにお聞きしたいです。
- Munch2015さんが「歴史上は女の忍者は実在しない」という主張の根拠のひとつにあげられていた山田雄司(三重大学人文学部教授)『忍者の歴史』には「女性の忍びは(中略)、コミュニケーション能力を用いて情報を聞き出すのに使われた。(p.135)」と女の忍者の存在を示すような記述がありました。すみませんが『忍者の歴史』のどのページに「歴史上は女の忍者は実在しない」という主張が書かれてますでしょうか?どうも私は見落としているようですのでご教示願います。--ぽん吉(会話) 2017年9月28日 (木) 09:30 (UTC)
- ご協力ありがとうございます。ありゃ、ちょっとこちらは私の理解が違ってたかもです。すいません。kindle版なんでページ数はわかりませんが、3章二節に「くノ一の術」って段に「女性の忍びが男の忍び同様の立ち回りを演じるのは、戦後になってから」と書いてあったところを根拠にしたつもりだったのですが、よく読むと戦後に創作された、とは書いてないですね。kindle版でページがわからないので、ぽん吉さんのご指摘の箇所を章名で教えてください。--Munch2015(会話) 2017年9月28日 (木) 10:02 (UTC)
- 理解。同じ箇所に「女性の忍びは…」と書いてありますね。
- なお、もう一冊の根拠『忍者の誕生』の方を再確認した所「前近代には女の忍者はいません」とはっきり書いてます(p167)。 ---Munch2015(会話) 2017年9月28日 (木) 10:15 (UTC)
さらに調べました。『忍者の歴史』の序章「忍者とは何か」の段に「『万川集海』にはくノ一を一字とした者(すなわち女)を忍びに入れる事を「くノ一の術」という記述をしており、男性の忍びと同様の活動を行うわけではなかった」と書いてます。 というわけで、 1,「くノ一」は「女」という意味(吉丸氏、山田氏双方) 2,女は男忍者ほどの活躍を見せず(吉丸氏、山田氏双方)、これを「女忍者」と呼ぶべきかどうかは論者による あたりが中立な意見ですかね。
以上の判断の元書き直してみました。--Munch2015(会話) 2017年9月28日 (木) 10:42 (UTC)
- ありがとうございます。吉丸氏『忍者の誕生』を読みましたがおっしゃる通り「女の忍者(忍び)はいなかった」旨書かれていますね。(吉丸氏は実在した方は「忍び」と呼んでました)書き直された版も確認しました。けっこう良いのではないかと思います。なおせっかくなので、他に気になったところとして脚注の付け方なんですが、半角文字の
<ref>
と</ref>
で囲う(参考:Help:脚注)感じの方が見やすいと思うのですがいかがでしょうか。--ぽん吉(会話) 2017年9月29日 (金) 06:17 (UTC)
- 私のコメントに対して、Munch2015氏及びその他の利用者の方から現時点で明確なご返答をいただけておりませんが、これは現時点で私のコメントに対しての異論反論がなく、Munch2015氏及びその他の利用者の方が、私のコメントを大筋で認めたという解釈でよろしいのでしょうか?
①現時点で学術研究の面において、「歴史上女の忍者は実在しない(実在否定論)」及び「歴史上女の忍者は実在する(実在肯定論)」という主張のいずれもが、公式にWikipedia:中立的な観点で定めた「論争の余地のない主張」と認められたという事実は存在しない。
②「実在否定論」「実在肯定論」いずれかの主張を「論争の余地のない主張」として認定できる権限をそれぞれの主張を行っている個々の学術研究者は持ち得ず、学術研究者の著書の記述を出典として提示する場合、それらの出典は中立性の観点から、本項においては自動的に「相対的な立場の主張」として取り扱われるものとする。
③本項において、「実在否定論」「実在肯定論」のいずれかの主張を「論争の余地のない主張」として記述するには、その主張が「論争の余地のない主張」として公式に認定されたとする出典を提示する必要がある。「公式に認定された」とする状態とは、学会の発刊する学報等、公式な第三者機関の発行する公式文書にそれらの主張が「論争の余地のない主張」として記述された状態、およびその事実に基づいた報道が公式な報道機関によって行われた状態を指す。
④「歴史上女の忍者は実在したか?」という議論について、「実在否定論」「実在肯定論」いずれかの主張を「論争の余地のない主張」として認定できる権限をWikipedia自体、およびWikipediaの編集者は持ちえず、編集者はこれらの主張に対して中立性を保った客観的な立場からの記述を行うべきである。編集者はWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「ルールの悪用」の方針を遵守し、例えば「女忍者の実在論争に関して、現在は『実在否定論』が優勢である」などといった「印象操作」等に該当する作為的な記述を行わないことを心掛けた編集を行うことを目指すものとする。
⑤「忍者」及び「女の忍者」の学術研究のみならず、歴史学の学術研究の分野において、「史料が残っておらず、確実な立証が難しい」などということは珍しい状態ではなく、本項の編集者はその事実が学術研究全体における「常識」であると認識した上で編集を行う。「確実な立証が行えないので、〇〇は実在しなかった」といった極端に断定的な主張については、編集者は特に慎重に扱う事を心掛ける事とする。
⑥以前、本項の『歴史上のくノ一』の項目に記述されていた「忍者はその活動の性質上、具体的な事績や人名が歴史的な資料としては残りにくい」「大昔の女性であり忍者でもあるくノ一の活躍ともなると、(中略)学術面においてはその全貌を確実に立証することが難しいという事情がある」といった記述は、Wikipedia:中立的な観点の「論争の余地のない主張」に該当し、編集者の独自研究には該当しない。これらの記述について出典が提示されることは望ましいが、これらの記述は「本項を閲覧する方への注釈」に該当する為、出展の提示がないことを理由に削除されないものとする。
とりあえず私のコメントを上記にまとめておきましたので、ご確認の上、ご返答をお願いいたします。記述の不備等がございましたら、お伝えいただきますようお願いいたします。
本項の記述についてですが、すでにMunch2015氏が差し戻しを行われ、内容の修正を行われていらっしゃるようですね。
私の意見としましては、基本的に現在の記述方法でも構わないとは思います。ただ、こちらのノートで議論を行っている最中であった以上、私のコメントにご返答を行わないまま差し戻しを行うのは正直いかがなものかと思いますが。
基本的な記述方法は問題ないと思いますが、全体的に断定的な記述が多いように感じます。研究者の著書の主張を出典を提示して記述している以上、その主張の記述を「論争の余地のない主張」であるかのように記述するのは適切とは言い難いと思います。
記述内容をいくつか試しに修正いたしましたが、「創作物において(中略)山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きい」といった記述は主観的、断定的な表現であるように感じますので「~影響が大きいとされる」といった客観的、中立的な表現に置き換えていくべきだと思います。
また、同一書籍の同じページ、もしくは複数ページにまたがった記述を出典として提示する場合、「しかし江戸期には用例が少ない(出典)。これは当時「女」という字は「くノ一」に分解できる楷書体ではなく、くずし字の草書体で書かれる事が多かったからかもしれない(出典)」とするよりも、、「しかし江戸期には用例が少ない。これは当時「女」という字は「くノ一」に分解できる楷書体ではなく、くずし字の草書体で書かれる事が多かったからかもしれない(出典)」といったように、出典の提示はできる限り少なくまとめていくべきではないかと思います。--Yu0blue(会話) 2017年9月30日 (土) 06:00 (UTC)
- (Yu0blueさんへ)まず、山田雄司教授によれば、「忍者研究についていうと、これまで(中略)学術的には全く研究されていない分野だということが分かりました。(at home Time 2015年10月号より)」だそうです。最近の報道ですと「これまで学術の対象になってこなかった「忍者」を学問として体系づけ~(産経 2017.7.2)」ともありました。どうも、忍者について最近まで学術研究はほとんどなされていなかったようです。
- Yu0blueさんは『学術研究の面において「歴史上女の忍者は実在しない」という主張が、学会等で公式に「論争の余地のない主張」と認められたという事実は存在しません。』とおっしゃいましたが、「そもそも学術研究自体が最近までなかった」という点が議論の前提に欠けている印象を受けました。
- なお現実問題として、本記事は山田『忍者の歴史』あたりを主軸に、吉丸説も帰属を明確にし、「学術研究はまだまだこれから」という視点から断定的表現を避けて記述すべきかとは思います。--ぽん吉(会話) 2017年10月2日 (月) 09:05 (UTC)
ちょいと別件が入ってしまったので今日は返答出来ませんが、近日中には返答します。すいません--Munch2015(会話) 2017年10月2日 (月) 09:45 (UTC)
ぽん吉さんの見つけてくださった「これまで(中略)学術的には全く研究されていない分野」という発言は文脈からして山田教授が研究を始めた2012年時点のもの=まだ研究史は5年、ということですね。でしたら「学術研究はまだまだこれからという視点にたつべき」という意見に賛成です。
Yu0blueさん>私のコメントにご返答を行わないまま差し戻しを行うのは正直いかがなものかと思いますが。
これに関してはすいません。改定「案」を提示してみたつもりだったのですが、たしかにあまり良くなかったかも。
Yu0blueさん>基本的な記述方法は問題ないと思いますが、全体的に断定的な記述が多いように感じます。
Yu0blueさん>記述内容をいくつか試しに修正いたしましたが、
修正案に特に異論はありません。
Yu0blueさん>出典の提示はできる限り少なくまとめていくべきではないかと思います。
これに関しては賛成しません。出典をまとめた場合、どこまでが出典ありの記述かわからなくなるので。(読者が困るのはもちろん、今後別の人が文章をいじる際には非常に困る) どちらかというと以下のぽん吉さんの意見を反映する事で見栄えをよくするほうがよさそうです:
ぽん吉さん>半角文字の <ref>と</ref> で囲う(参考:Help:脚注)感じの方が見やすいと思うのですがいかがでしょうか
私自身は見栄えにあまりこだわらないので、これに関してはおまかせします--Munch2015(会話) 2017年10月3日 (火) 09:23 (UTC)
返信が遅れてしまい、申し訳ございません。
(ぽん吉氏) コメントありがとうございます。
「『女忍者実在否定論』が、公式に「論争の余地のない主張」と認められたという事実は存在しない」という私の主張は、Munch2015氏が「歴史上は女の忍者は存在しない」とする吉丸雄哉氏の主張を、本項に断定的に記述した事に対する反論としての主張になり、私自身、「女忍者の学術研究」の現状について、そこまで詳しいわけではない中での主張であったことを、まずは申し上げておきます。
私は、基本的に本項を含めた歴史学関連の項目において、「研究者の主張」は、Wikipedia:中立的な観点の方針に従い、「主張の一つ」として公正に取り扱われるべきと考えておりますので、「山田氏の『忍者の歴史』あたりを主軸にする」というよりも、「山田氏の主張も、主張の一つとして扱う」という形で本項の記述が行われるのが望ましいと思います。
記述例としては、新たに[学術研究における女忍者]の大分類を作成し、序文に修正前の[歴史上のくノ一]の分類に記述されていた「忍者はその活動の性質上、具体的な事績や人名が歴史的な資料としては残りにくい(中略)くノ一の活躍ともなると、伝承以外はほとんど記録に残っていない。」を前置きした上で、ぽん吉氏の探していただいた出典を提示し、「山田氏は、『そもそも忍者についての学術研究自体が最近までなかった』と主張している」といった形で記述するのが望ましいのではないかと思います。
山田氏の忍者の学術研究の現状についての言及は、個人的にもおそらく現状を正しく表している主張なのだろうと思いますが、山田氏の言及の通り、まだ学術研究がそれほど進んでいない現状があるのであれば、尚更、特定の研究者の著書を本項の記述の主軸にするのは避けておいた方が適切かと思います。
(Munch2015氏へ) コメントありがとうございます。
出典の提示方法については、編集者によってやり方が様々あるかもしれませんが、個人的には[江戸期における「くノ一」の語]の分類の記述が、文章としてのまとまりに欠け、読者にとって見づらいものになってしまっているように感じます。
重要なのは、あくまで「研究者がどのような主張を行っているかを読者が理解できる事」であり、「出典元の文章を、できる限り出典に忠実に記述する事」ではないはずだと思います。Wikipedia:過剰な内容の整理という方針もありますので、「吉丸雄哉は、〇〇という理由から(出典)、△△と主張している(出典)」といったように、文章は要約できるところはできる限り要約し、読者にとって見やすくなるよう努めるべきかと思います。
「断定的な記述」についてですが、序文に記述されている「『くノ一』は、元来は女を指す隠語である」という主張も、現時点では吉丸氏、山田氏らの著書における主張にすぎませんので、本項において断定的に記述するのではなく、序文を「くノ一(くのいち)とは、現代においては女の忍者を指すとされている言葉である。創作物において(中略)山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きいとされる」あたりにまとめ、[江戸期における「くノ一」の語]の分類を[「くノ一」の語源]と改称し、その分類の中で吉丸氏、山田氏の主張をそれぞれ要約して記述していくのが適切ではないかと考えております。
ご確認をお願いいたします。--Yu0blue(会話) 2017年10月6日 (金) 07:24 (UTC)
>新たに[学術研究における女忍者]の大分類を作成
他の大分類は何でしょうか。「創作物における女忍者」とかですか。現時点では「創作物における女忍者」の節には書くことがないので、節だけ作ってstubになってしまいますよ。
>「忍者はその活動の性質上、具体的な事績や人名が歴史的な資料としては残りにくい(中略)くノ一の活躍ともなると、伝承以外はほとんど記録に残っていない。」
これは反対です。「資料として残りにくい」事、「くノ一の活躍ともなると、伝承以外はほとんど記録に残っていない」事に出典が必要なので。
>序文を「くノ一(くのいち)とは、現代においては女の忍者を指すとされている言葉である。創作物において(中略)山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きいとされる」あたりにまとめ、[
いや、その後ろの「ただし歴史上、女は男の忍者ほどの活躍をみせず、論者によってこれを「女の忍び」とみなすもの山田16:第三章2節「くノ一の術」と、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするもの吉丸17:p167がいる。」も残してください。
「中立の観点」による「両論併記」とか、「史実・伝承・創作を含めた「女忍者」という存在についても幅広く記述する必要」と主張していたのはYu0blueさんご自身だったはずですよ。
--Munch2015(会話) 2017年10月11日 (水) 08:52 (UTC)
- 脚注整理しました。内容もちょっと検討してみます。--ぽん吉(会話) 2017年10月13日 (金) 08:57 (UTC)
了解です。整理ありがとうございます。--Munch2015(会話) 2017年10月14日 (土) 01:05 (UTC)
> 「中立の観点」による「両論併記」とか、「史実・伝承・創作を含めた「女忍者」という存在についても幅広く記述する必要」と主張していたのはYu0blueさんご自身だったはずですよ
これにつきましては、私の「2017年9月30日 (土) 06:00」分のコメントの②と③で既に私の主張を申し上げておりますので、そちらをご確認の上、内容に異論があれば、おっしゃっていただければと思います。『遠舟千句附』に「くノ一」という単語が記述されている事は「史実」ですが、それを根拠に「江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使っており、女忍者の意味はまったくない」とするのは研究者である吉丸雄哉氏の「主張」、即ち「学説」にすぎません。「女忍者実在否定論」と同じく、公式に学会等で「論争の余地のない主張」と認定されない限り、この学説は本項において相対的な立場の主張として扱われるべきであると考えております。
> 「資料として残りにくい」事、「くノ一の活躍ともなると、伝承以外はほとんど記録に残っていない」事に出典が必要なので。
こちらにつきましても、私の「2017年9月30日 (土) 06:00」分のコメントの⑤と⑥で既に私の主張を申し上げておりますので、そちらをご確認の上、内容に異論があれば、おっしゃっていただければと思います。私は、本項の編集方針は、私が「2017年9月30日 (土) 06:00」分のコメントで主張した①~⑥に則って行われるべきであると考えております。
> 他の大分類は何でしょうか。
とりあえず、大分類を「くノ一の語源」「歴史学における女忍者」「近代の創作物における用例」の3つにすることを提案いたします。
「くノ一の語源」の分類内に、現在の「江戸期におけるくノ一」の語源に関する記述をまとめた上で、「吉丸雄哉は、〇〇といった理由から、「江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使っており、女忍者の意味はまったくない」と主張している」と記述するのが適切であると思います。
「歴史学における女忍者」の分類において、Munch2015氏が差し替えを行う前の「歴史上のくノ一」に記述されていた、「忍者はその活動の性質上、(中略)伝承以外はほとんど記録に残っていない。」を記述し、ぽん吉氏がご提示いただいた出展を提示し、「山田雄司は、(中略)そもそも学術研究自体が最近までなかったと主張している」と記述して、女忍者の学術研究の現状をできる限り客観的に記述するようにした上で、「ただし歴史上、(中略)そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる。」の内容もこちらに記述。差し替え前に記述されていた「望月千代女」、「初芽局」もこの分類内に「詳細は各項目を参照」と注釈をつけて記述する。
「近代の創作物における用例」においては、基本的に「近代の創作物における用例と意味」の記述をこのまま踏襲するが、吉丸氏の著書のみではなく、記述されている創作物自体も出典として提示する。
序文の「元来は女を指す隠語であり」「ただし歴史上、(中略)そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる。」の記述は、分類内にまとめた為、削除する。
以上の改編を提案いたします。--Yu0blue(会話) 2017年10月16日 (月) 07:20 (UTC)
>即ち「学説」にすぎません。
あのですね、学術的に決着がついてないからこその両論併記ですよね。決着がついていればそれだけ書けばいいわけですから。
それで、
- 「学説」以外に何を書くんでしょうか?意地悪な言い方をすれば「根拠のない個人的な思い込み」とか「その辺のライターの思いつき」とか、そういうのを書くんでしょうか。まずはその辺をはっきりしてください
--Munch2015(会話) 2017年10月16日 (月) 09:17 (UTC)
追記
すでに10回くらい繰り返してますが、出典が出せないものは記事に書けませんよ?
出典を出さないにも関わらず、これを書きたいあれを書きたいと主張を繰り返してますが、はっきり言うと時間の無駄です。
だってどんなに主張しようとも、出典のないものは記事本文には書けないんだから。
Yu0blueさんが出せる出典の中で、具体的に書けるものを提示して、その範囲内で上記の質問に返答してください。--Munch2015(会話) 2017年10月17日 (火) 09:16 (UTC)
> 学術的に決着がついてないからこその両論併記ですよね。決着がついていればそれだけ書けばいいわけですから。
はい。現時点で吉丸雄哉氏や山田雄司氏の「学説」が正式に「論争の余地のない主張」と認定されたという事実があれば、その出典を提示した上で、その事実を本項に記述すればいいと私も思います。ですが、現状それらの学説が公式に論争の余地のない主張と認定された事実が存在しておりませんので、たとえ対論の出典と記述が存在しないとしても、その学説の扱いが本項では相対的なものであるべきだとは、私が当初から申し上げていることです。
私の主張につきましては、「2017年9月27日 (水) 06:42」及び「2017年9月30日 (土) 06:00」分のコメントを再度ご確認いただければと思います。こちらの内容をご確認の上、反論があるようでしたらコメントをいただければ議論に応じます。
> 「学説」以外に何を書くんでしょうか?
Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかにおいて、「ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません」の方針が存在しておりますので、それらの「学説」がさも「論争の余地のない主張」であるかのように記述することは、それらの学説の宣伝に該当すると思います。Munch2015氏も「2017年10月3日 (火) 09:23」のご自身のコメントにて「学術研究はまだまだこれからという視点にたつべき」というご意見には賛成されていらっしゃるようですので、それであれば尚更、本項における「学説」の取り扱いについては慎重に行われるべきではなかったのでしょうか?Munch2015氏にその慎重な姿勢があるのであれば、私が指摘する前に「江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使っており、女忍者の意味はまったくない」などといった断定的な主張はご自身で修正できたはずだと思いますが、なぜそれを行われなかったのでしょうか?
> すでに10回くらい繰り返してますが、出典が出せないものは記事に書けませんよ?
何度も申し上げておりますが、「忍者」「女忍者」のみならず、「史料がほとんどなく、全貌が明らかになっていないなどよくある事」というのは学術研究における「常識」であり、「論争の余地のない主張」です(だからこそ、学術研究というものが存在しうるのだと思いますが…)。Wikipedia:中立的な観点において、「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」の方針がありますので、この記述には特に出典は必要ないと考えております。
歴史上の有名な男性忍者の各項目においても、「その全貌は不明」といった記述になっている場合が多いわけですが、これらの現状こそが「忍者はその活動の性質上、具体的な事績や人名が歴史的な資料としては残りにくい」という事実を如実に反映しているものと考えます。逆に、「『忍者』『女忍者』について史料が豊富に存在している」「『忍者』『女忍者』について全貌が明らかになっている」といった出典が存在するのであれば、それを提示していただければと思います。少なくとも、私自身は「忍者」「女忍者」の学術研究において、そういった出典が存在しているという事実を存じ上げません。--Yu0blue(会話) 2017年10月17日 (火) 15:20 (UTC)
Munch2015氏には、まず、ご自身が出典を提示された吉丸雄哉氏や山田雄司氏の著書の主張を、本項においてどのように扱うべきと考えていらっしゃるのか主張を明確にしていただきたいと考えております。私は「公式に「論争の余地のない主張」と認定を受けていない「学説」にすぎない為、それらの主張が「論争の余地のない主張」であるかのような誤解を本項を閲覧した他の方に与えないような記述の仕方を目指すべき」と考えております。
いまだに「両論併記」「出典がないものは記述できない」といった主張を繰り返されているあたり、Munch2015氏は「吉丸氏や山田氏の主張に対する対論が存在しないのだから、これらの主張を本項において特別に重要視して記述するべき」と考えていらっしゃるようにもお見受けいたしますが、もしそうお考えであるならば、私はそれに同意できません。この件に関してMunch2015氏の主張を明確にしていただくことで、「出典を提示した研究者の学説の記述の仕方」について合意形成を目指したいと考えておりますので、ご協力をお願いいたします。
私は「2017年9月30日 (土) 06:00」分のコメントの②③④で女忍者の「実在否定論」も「実在肯定論」の本項での取り扱いについて主張したのと同様に、「実在否定論」「実在肯定論」以外の「学説」も、公式に「論争の余地のない主張」と認められていない以上は、本項において中立的、相対的、客観的な記述を心掛けるべきであり、⑥で主張したように、本項を閲覧した読者に誤解を与えぬよう、必要とあれば「注釈」の文章を記述することで、読者が「くノ一」について偏見なく、なおかつ幅広く理解できる質の高いページの作成を目指すべきであると考えております。--Yu0blue(会話) 2017年10月18日 (水) 00:35 (UTC)
一点だけ。YES/NOで答えてください。
- 結局、出典は出せるんですか?だせないんですか?
出典の話になるといつも言い訳ばかりで話が先に進みません。
「常識」という言葉を多用していますが、そこまで常識なら、具体的に誰と誰と誰が言っているか明確な文献を提示できるはずでしょ。
繰り返しになりますが、出典を出さないんなら、時間の無駄です。--Munch2015(会話) 2017年10月18日 (水) 03:32 (UTC)
- どうも議論がループしているように思います。Yu0blueさんは、「女忍者が存在したかどうかについては学術的な結論は出ていないので、一つの意見を確定事項のように記述することは中立に反する」という主張で終始一貫されていると思います。これに対する、「(学術的な結論が出ていないというなら)女忍者が存在したという、大学の専門家の書いた文献を提示できるはず」とのMunch2015さんの反論は、議論が噛み合っておらず、筋違いの要求と言わざるを得ません。この点を理解されていないMunch2015さんの議論姿勢は、「いつまでも納得せず、力ずくで解決しようとしている」ように見えかねない恐れがありますので、Munch2015さんには、これまでの議論を今一度冷静に見直されることをお勧めしたいと思います。
- 「女忍者はいなかった」との研究発表をしている学者がいるということ自体には疑いはなく、Yu0blueさんもその説をwikipediaに記載することは全く問題ないとおっしゃっています。ただ、その説が「諸説あるうちの一つ」に過ぎず、確定した客観的事実ではない以上は、「女忍者は存在しなかったとの説を主張する学者がいる」と書くことはできても、「女忍者は存在しなかった」とまで断定する書き方はするべきでない、と言っているのであって、これは出典の有無を求められるような主張ではありません。もし、「女忍者は存在しなかったという説は、歴史学的に確定した事実かそうでないか」という議論であれば、逆にMunch2015さんの方が、その説が歴史学的に確定した事実であることを示す根拠を提示すべきだと考えます。--Nazox(会話) 2017年10月18日 (水) 14:32 (UTC)
- ちょいと勘違いされてますが、別に「学術的に確定した」とは主張してないですよ?事実確定してないようですし。
- だから本文には「いた」という学説と「いなかった」という学説を信用できる出典つきで両論併記しました。
- 論点はそこではなく、私&ぽん太さんが出典を出したのに、Yu0blueさんただ一人が出典を出さずに学説以外の何か(多分個人的思い込み)を書き加えたいと主張しているので、「それはやめてね」と言ってるわけです。--Munch2015(会話) 2017年10月18日 (水) 23:54 (UTC)
- 追記:議論への参加ありがとうございます--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 03:12 (UTC)
> 結局、出典は出せるんですか?だせないんですか?
- 出典は現在、探している最中です。ただし以前も申し上げました通り、これは歴史学の学術研究においてあまりに当たり前すぎる話なので、あえて著書に記述しておられる方もほとんどいらっしゃらないかと思います。
- 「忍者はその活動の性質上、(中略)伝承以外はほとんど記録に残っていない」の記述は、上記の理由もあり、Munch2015氏が大幅な差し替えを行う前の記述の中で、特に消す必要もなかったのではないかと個人的には考えております。
- 「忍者はその活動の性質上、具体的な事績や人名が歴史的な資料としては残りにくい」の部分は少し独自研究的な表現のようにも思いますが、歴史上に実在したとされる「百地丹波」「藤林長門守」といった有名な男性忍者のページにおいても「記録はほとんど残っておらず、その生涯は謎に包まれている」という「客観的事実」の記述がありますので、たとえ書籍の出典がなくとも、これらの客観的事実はこの文章の根拠になり得ると思います。
- 「また、諱(いみな)のように本名の一部を隠していた大昔においては女性名の秘匿化が進んでおり」の記述も、「女性の足跡が資料として残りづらい」という歴史学における「客観的事実」をそのまま説明しているだけですので、特に問題がある記述であるとは思えません。
- 「女忍者に関する資料は、女忍者が実在した可能性を記述している『万川集海』『正忍記』以外に存在していない」というのが現時点における「客観的事実」であると思いますので、その客観的事実を本項に記述するのは特に問題がないと考えておりますし、「資料が存在していない」という事実について、歴史学における上記のような事情が存在していることを注釈として記述することに特に問題はないと思います。これらの記述は、私が本項の編集に参加する以前から記載されておりましたが、本項の読者に対して予断、偏見を植え付けるような事を意図した記述ではないように思います。少なくとも「Yu0blueの個人的思い込み」で書かれていた文章ではないことを申し上げておきます。
- こちらの文章を本項に記述するかどうかについて議論を行うのは構いませんが、この文章が「個人的な思い込み」によるものだと主張されるのであれば、この文章への対論の出典をご提示いただきますようお願いいたします。少なくとも私自身は、この文章の内容への対論を存じ上げません。
- Nazox氏、コメントをいただき、誠にありがとうございます。
- Munch2015氏が「2017年8月17日 (木) 14:28」分の編集で差し替えた内容については言及したい点が複数ありましたので、私はまず「歴史上は女の忍者は存在しない」という記述についての議論に取り掛かり、ほかの点についてはその議論に決着がついた後で手をつけようと考えておりました。
- そういった経緯がありますので、「学術的な結論が出ていない学説を、一つの意見を確定事項のように記述することは中立に反する」という主張は、「歴史上は女の忍者は存在しない」の主張のみに対してではなく、「研究者の主張=学説」全般に対してのものであるとご理解いただければと思います。
- 「女忍者の実在について」の議論は、最終的に「論者によってこれを「女の忍び」とみなすものと、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる」という記述で収まりましたが、これについて、私にはMunch2015氏に対する一つの懸念があります。
- Munch2015氏は、ぽん吉氏の「2017年9月28日 (木) 09:30」分のコメントでの指摘を受け、「自身が出典の読み方を誤っていた」という理由で記述の修正を行いましたが、ぽん吉氏のコメント以前の、私の「2017年9月28日 (木) 08:02」分のコメントの内容については、その後何も言及しておりません。
- つまりMunch2015氏は、現時点まで「学術的な結論が出ていない学説を、一つの意見を確定事項のように記述することは中立に反する」というWikipediaの方針に基づく私の主張に関しては、納得しておられないとも受け取れることになります。
- 私は「『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか」について再三議論を呼びかけておりますが、Munch2015氏はこれまでこの点については一切議論に取り合わず、「両論併記」「出典を提示していないものは記述できない」といった原則論を繰り返すのみです。(この場合、論点は「提示した出典の内容をどう取り扱うか」なのですが…)
- 私は以前のコメントにおいて、「両論併記できなくとも、Munch2015氏が出典を提示した『確定していない学説』は、本項では自動的に『諸説あるうちの一つ』として扱われるべき」「本項は学術論争の場ではない為、出典の有無・多寡で本項において学術論争に結論は出せず、編集者は中立を保ち、編集で印象操作を行わないことを心掛けるべき」と主張いたしましたが、Munch2015氏の今までの対応は、この主張についても納得しておられないように思えます。
- ですので、この度の議論で合意形成に至る為には、まず「『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか」という議題について、Munch2015氏の明確なご回答をいただくのが重要であると考えます。この議題について、私のこれまでの主張に納得されるのか、それとも反論があるのかについて、これまでのように原則論に終始するのではなく、是非とも明確なご回答をいただければと思います。歴史学の項目の編集に参加しておられる編集者であるならば、少なくともこの点についての見識は最低限お持ちであるはずだと思います。--Yu0blue(会話) 2017年10月19日 (木) 07:27 (UTC)
「当たり前」、「常識」なら簡単に本を見つけられるはずでしょ。
いずれにせよ「出典を探している」のであれば、あとは実際に見つけるだけなので、出典を見つけてからそれをベースに記述して下さい。
以下に合意するか否か、またYes/Noで答えてください。
- 学者による出典を見つけるまで編集・議論を停止し、見つけたら出典を明記して編集や議論を再開する Yu0blueさんが納得してないっぽいんでいったん取り下げ。--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 15:13 (UTC)
>『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか
学者により提案されている複数の学説を出典付きで列挙する。学者以外の思いつきや出典のない記述はこれに当たらないので削除する。--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 10:40 (UTC)
>あまりに当たり前すぎる話なので、
論点がわかってないようなので追記。Yu0blueさん個人にとっての「常識」が本当に学会の「常識」なのかを問うてるわけですよ。
Yu0blueさん個人にとっては「常識」でも、私にとっては「Yu0blueさん個人の独自研究」です。
Yu0blueさんは常識だと思い、私はYu0blueさんの独自研究だと思う。どうすればいいですか?出典を出すしか無いですよね--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 11:26 (UTC)
>本項は学術論争の場ではない為、出典の有無・多寡で本項において学術論争に結論は出せず
その通り。出典の有無や多寡では事実かどうか結論がでません
しかしWikipediaでは事実かどうかではなく出典があるかどうかが重視されますので、それはどうでもよいことです。
前にもそう答えたでしょ--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 14:51 (UTC)
- 人のコメントを勝手に削除しないでください。非常に不愉快です。Wikipedia:投稿ブロックの方針の「悪戯・荒らし・破壊行為」に該当しますので、次に議論の妨げとなる行為を行った場合、Wikipedia:投稿ブロック依頼を行わせていただきます。
- この文章の記述に出典が必要だというのであれば、出典が見つかるまで、この文章の記述を控えるというのは別に構わないと思います。「忍者はその活動の性質上、具体的な事績や人名が歴史的な資料としては残りにくい」あたりの記述は、独自解釈的な感もあると思いますので。
- ただし、「女忍者に関する資料は、女忍者が実在した可能性を記述している『万川集海』『正忍記』以外に存在していない」という点は疑いようのない「客観的事実」であり、独自研究には該当しませんので、代わりに記述するべきかと思います。Munch2015氏も、「(万川集海の「くノ一の術」の記述について)論者によってこれを「女の忍び」とみなすものと、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる」という点についてはご納得されていらっしゃるようですので、「論者によってこれを「女の忍び」とみなすものが存在する」という事実は、それ自体が「万川集海の「くノ一の術」の記述が、女忍者が実在した可能性を記述しているもの」であることの根拠にあたると思います。
- それでは、引き続き「『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか」の議題について、ご回答をお願いいたします。Wikipedia:信頼できる情報源のWikipedia:出典を明記するは記述する際の原則論にすぎませんので、この議題の回答にはなりえません。--Yu0blue(会話) 2017年10月19日 (木) 15:15 (UTC)
ん?コメントの削除なんかしてませんよ?
Wikipediaアプリから投稿すると、競合編集の時に相手の編集が消えてしまう事があるんで、たぶんそれが原因だと思います(そもそもノートの編集は正式にはサポートされてない)。
すいません。また同じ現象が起こったら、ご指摘ください。--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 15:28 (UTC)
> 万川集海の「くノ一の術」の記述が、女忍者が実在した可能性を記述しているもの」
これは合意。
>「女忍者に関する資料は、女忍者が実在した可能性を記述している『万川集海』『正忍記』以外に存在していない」
太字部分に出典が必要。
斜体部分は「女忍者に関する可能性のある」が正解。←すぐ後ろに書いてありましたね。勘違いしてたんで削除
>引き続き「『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか」の議題について、ご回答をお願いいたします。
前述の答えで何が不足か具体的に書いてくれないと返答しようがないです。--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 15:28 (UTC)
追記:私への質問は
- ○○についてどう思いますか?
のようにアイテマイズしてくれるとうれしいです。その方がお互い論点がわかりやすいんで--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 15:39 (UTC)
追記2:履歴確認したら、消えた投稿と私の投稿が4分差ですね。やはりWikipediaアプリが編集競合をケアしてくれないのが原因のようです。
まぁ、証拠は出しようがないんですが、意図的ではなかったことはご理解いただけると嬉しいです。そもそもコメントを消しても私にメリットはないんで。
再度謝罪いたします--Munch2015(会話) 2017年10月19日 (木) 15:56 (UTC)
- コメント投稿の入れ違いが原因で、私の投稿が消えてしまっていたようですね。早とちりをしてしまい、申し訳ございませんでした。
> 太字部分に出典が必要。
- 「史料が存在していない(見つかっていない)」という事実は、「史料が存在している(見つかった)」とする出典の提示がないかぎりは、出典なしで記述しておいても特に問題はないかと思います。個人的な見解ですが、差し替え前のページにも記述されていた通り、「くノ一=女忍者」という存在について、現代の人間の観念は創作物の作り出したイメージの影響を強く受けているという現状がありますので、「女忍者が存在する可能性を示した史料は存在する」「女忍者が存在したことを確実に示す史料は現時点で存在していない(見つかっていない)」という客観的事実は、そういった観念に対する注釈として記述しておいたほうがいいのではないかと思います。同様に、「忍装束を着て任務を行う女忍者が存在していたという史料は存在しない(見つかっていない)」「女忍者が色仕掛けを用いていたとする史料は存在しない(見つかっていない)」という記述も、創作の作り出したイメージの影響に対する注釈として適切かと思いますので、記述しておいても特に問題はないのではないかと思います。
> 前述の答えで何が不足か具体的に書いてくれないと返答しようがないです
- それではまず、Nazox氏がおっしゃられるように、これまでこのノートで行われてきた議論を今一度冷静に見直された上で、Munch2015氏側で「『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか」の議題について、何が論点なのかをまとめ、記述してください。私はこの点について、今までの議論の中で一貫した主張を行ってきておりますので、それらの主張をMunch2015氏が真摯に受け止めておられるのであれば、今更「論点がわからない」ということはないはずです。Munch2015氏のまとめた内容を拝見させていただき、認識の食い違いがあるようでしたらこちらから指摘させていただきます。念の為に申し上げておきますが「提示した出典の内容を記述していいかどうか」などということが論点ではありませんので、Munch2015氏が何度も主張しておられる「Wikipedia:信頼できる情報源のWikipedia:出典を明記する」という「原則論」はこの議論の回答にはなり得ません。
- Munch2015氏にはお手数をおかけしてしまい、誠に申し訳ございませんが、Munch2015氏の行為は、Nazox氏がおっしゃられるようにWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「いつまでも「納得」しない」、あるいはWikipedia:妨害的編集の「合意形成への不参加」に該当する疑いがありますので、こちらの議題につきまして真摯にご対応いただきますようお願いいたします。こちらの議題につきまして再度コメント依頼を出しましたので、お互いに合意形成を目指していければと思います。
- なお、「わからない」「なぜそんなことをしなければいけないのか」等の議論を進めようとする意志の無い返答、今までMunch2015氏が何度も行われてきた「出典を提示して記述する」という「原則論」の返答が再度行われた場合は、「いつまでも「納得」しない」「合意形成への不参加」に該当すると判断し、Wikipedia:管理者伝言板にMunch2015氏のアカウントの投稿ブロック依頼を行わせていただきますのでご了承ください。--Yu0blue(会話) 2017年10月20日 (金) 02:29 (UTC)
Yu0blueさんのrevertに関して(続)
[編集]長くなったんで節を分けました。
またWikipediaアプリからなんで、編集が消えたらご指摘ください。モバイルでもブラウザから書きたいのですが、クラッシュしてしまうので。
うーん、相変わらず話がかみ合ってないですね…。
私の側からはYu0blueさんの方こそ意見をコロコロ変えてるように見えるので、分かりやすく質問形式にしてと言ったつもりですが。
まぁ、論点を想像して書きますが、間違っていたら指摘してください。今度こそ質問形式で。
順不同で答えます。
>何が論点なのか
>「出典を提示して記述する」という「原則論」
いや、私にはこここそが論点でしたよ。
だってYu0blueさんはこの最低限の原則すら無視して独自研究っぽいものを書き散らそうとしてましたから。
まぁ、「出典のないものは書かない」という最低限の原則には前回やっとこさ合意いたたしたみたいなんで、やっと先に進めます。
ちなみにこれまでYu0blueさんの質問に真面目に答えてなかったのは、まずはこの最低限の原則に合意していただかないと他の話ができなかったからです。
ブロックするぞと息巻いてますが、最低限の原則を守れないのもブロック事由なんで、人の振り見てなんとやら。
まぁ、ここは解決したみたいなんで、今後は順に質問に答えていきます。
長くなったんで一旦投稿。順に答えています--Munch2015(会話) 2017年10月20日 (金) 03:26 (UTC)
> 『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか
Yu0blueさんは私の出した2つの文献を「学説に過ぎない」と主張してますが(そしてそれは正しい)、この背後には「他にも学説が絶対にある」という強い思い込みがあるんだと思います。
しかし私はこれがそもそも独自研究じゃないの?と疑ってます。
他の学説はあるかもしれないし、ないかもしれない。なのにあると思いこんでる。
だから何度も「他の学説」があることを示すまっとうな出典を求め続けたわけです。
まぁ、Yu0blueさんの気持ちは分かります。長年くのいちの存在を信じてきたのにいきなり「そんなのいない」という学説を提示されたわけですから。
でもおそらく、ぽん太さんが出したのが答えです。そもそも忍者は研究の歴史が浅いんで、私&Yu0blueさんはくノ一に関するいい加減な知識を常識として信じていた。だけどここ数年で専門家数人の手が入って、急速にこれが否定された。ただし専門家の人数は少ないので、まだ未熟な部分も(もしかしたら)ある。
しかし言うまでもないことですが、専門家以外の意見は信用ならないし、勝手に「他の学説」があると思い込んではいけない(あるかもしれにしないかもしれない)。
で、これを踏まえた上でですが、冒頭部を
> 歴史上、女は男の忍者ほどの活躍をみせず、論者によってこれを「女の忍び」とみなすもの[3]と、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる[4]。他にも諸説あり…
と書くのはモロに独自研究ですね。前述の通り。かと言って
> 歴史上、女は男の忍者ほどの活躍をみせず、論者によってこれを「女の忍び」とみなすもの[3]と、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる[4]。これら以外に学説はない
とするのもやはり独自研究なわけです。
なんで、まっとうそうな落とし所は
> 歴史上、女は男の忍者ほどの活躍をみせず、論者によってこれを「女の忍び」とみなすもの[3]と、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる[4]。しかしまだ忍者の研究史は浅い事に注意する必要がある[ポン太さんの出典]
とするのがよいんではないでしょうか。
--Munch2015(会話) 2017年10月20日 (金) 10:27 (UTC)
以上の議論を踏まえた上で、この記事を編集する上での1つ目の大原則:
- 「常識」だろうがなんだろうが、専門家による出典がないものは一切書かない
Yu0blueさんは根拠として「常識」、「当たり前」を頻繁に持ち出しますが、これは駄目だよ、ということです。
なぜこんなことを口を酸っぱくしていうかというと、忍者研究の歴史が浅いからです。
ポン太さんが示してくださったように、忍者研究はたったの5年です。という事は、5年より前に得た「常識」は専門家の手が入っていないので正しいとは限らないということです。なんで、この記事の場合「常識だから」で済ませるのは非常に危険です。
繰り返しになりますが、Yu0blueさん個人にとっての「常識」が本当に学会の「常識」なのかを問う為に、出典が必須なわけです。
例えばこういうのは駄目です:
> 「史料が存在していない(見つかっていない)」という事実は、「史料が存在している(見つかった)」とする出典の提示がないかぎりは、出典なしで記述しておいても特に問題はないかと思います
ここ5年で専門家が新しい史料が見つかって、私&Yublue0さんがそれを知らないだけかもしれないでしょ。
議論の切れ目なんで一旦投稿します。--Munch2015(会話) 2017年10月20日 (金) 13:23 (UTC)
山田・吉丸両氏の学説のみを書くのは中立的な観点に反する、と主張してたと思いますが、これはこれら2説以外の「他の学説」が存在する、という前提に立ってますよね?
そして前述の通り、「他の学説」が存在するという前提自身が独自研究の可能性があるわけですので、これは採用できないです。
「他の学説」があるという証拠となる出典が提示されれば別ですが。
そもそも、これは絶対に許してはならない論法だと思います。これを許したら、どんな記事でも「中立的な観点」に反する、って言えちゃう。
証拠も出さずに「この記事の記述以外にも学説があるはずだから中立じゃない!出典は出さないけど」って言えばいいだけ。
実際Wikipedia:中立的な観点にも、
- 中立性とは、さまざまな「信頼できる情報源」を注意深く、批判的に分析し、
って書いてありますね。つまり中立性の判断に考慮されるのは「信頼できる情報源」が出た場合だけ。出典を出さずに「偏っている!」というのは駄目なんです。
で、懸案となっている、「山田・吉丸両氏の学説が偏っているか?」問題ですが、この問題に対する正しい回答は「出典がない以上わからない」です。偏っているかもしれないし、偏ってないかもしれない。
いずれにせよ、出典がでないものは考慮しないんで、どちらでもよいです。
繰り返しになりますが、事実かどうかではなく出典があるかどうかが重視されるんで。
以上をまとめると、以下の記事編集上の第二の原則が導かれます:
- 現状では出典が出ている山田・吉丸両氏の学説のみに従って本記事を記載する。将来別の学者による出典がでてきたら、その段階で書き換える
…他にも返答すべきことは多々ある気がしますが、相当長くなったのでここでストップし、Yu0blueさんの返答を待つことにします。--Munch2015(会話) 2017年10月20日 (金) 13:51 (UTC)
- こちらの都合で返答に時間がかかってしまい、申し訳ございませんでした。
> 「出典のないものは書かない」という最低限の原則には前回やっとこさ合意いたたしたみたいなんで。
- 私はその内容に合意しておりません。Wikipedia:出典を明記するは、あくまでWikipediaにおける原則論にすぎず、Munch2015氏がその原則論のみで記述を行うべきと主張するのであれば、明確に反対いたします。
- まず、Wikipediaには三大方針としてWikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せないがあり、この方針に反したページ作成を行ってはいけないという前提が存在します。Wikipediaの編集者はこの方針から逸脱しないようにページの編集を行う義務があります。
- 論争の余地のない主張を単なる意見として記さない。という方針も定められておりますので、「論争の余地のない主張(客観的事実)」であれば、特に出典を提示せずとも記述しても構わないということであり、ページへの記述が必ずしもWikipedia:出典を明記するの原則論のみで成り立つわけではないことを示しています。
- 例として、Munch2015氏が取り上げておられる「歴史上女の忍者は実在したか?」の議題について記述された文章について、上記に基づいた意見を述べさせていただきます。
- この例の場合、Munch2015氏が主張されるように「出典の記述の前後の文章の記述の仕方によって、独自研究を含んでしまう」という危険性がありますので、それでMunch2015氏もこの「出典を記述した以外の文章の記述」をどうするかについて本ノートに議題を投げかけられ、合意の形成を求めたことになりますね。
- この議題に関しては、現在のところ「出典」として「実在否定論」を主張する吉丸雄哉氏の著書、「『実在肯定派』も存在する」と主張する山田雄司氏の著書が存在します。その為、この2つの出典について記述を行う必要があり、その記述をWikipediaの方針に基づいて中立的な記述とする事が編集者には求められるわけですが、その場合「中立的な記述にするために、どのような記述を目指せばよいか?」という議題が発生します。
- この場合、文章の前後をどのような記述とするかが問題となるわけですが、この文章においては、前提として
- 「『実在肯定派』が存在するとする研究者の主張」「『実在否定派』の研究者が存在する」という客観的事実。
- 「実在肯定派」「実在否定派」双方の主張のいずれも、その主張が「論争の余地のない主張」であると認定された事実を示す出典が存在しないという客観的事実。
- という2点の「客観的事実」が存在します(山田氏の出典の部分に関しては後程別に語らせていただきますので、一旦省略した事をご了承ください)
- 私は、、Munch2015氏が現在そうしておられるように、この客観的事実を踏まえた上で本ノートで議論を行い、合意の形成を行った上であれば、Wikipediaの方針を実現する為に編集者の裁量で出典を示さずにこの前後の文章を記述してかまわないと考えております(その為に各ページのノートの機能と、Wikipedia:合意形成等のガイドラインが存在するわけでしょうし、Munch2015氏もそれらの機能を活用された上で記述の落としどころを探しておられるわけですから、私の主張に大筋で異論はないはずだと思います)
- たとえば、この文章の前文を「現時点で学術研究の面において、『歴史上女の忍者は実在したか?』の議題は結論が出ていない」と断定的な表現で前文を記述したとしても、それが本ノートの合意に基づいて「議題を取り巻く現状の客観的事実」を適切に表した記述であると判断されたのであれば、「現時点で学術研究の面において、『歴史上女の忍者は実在したか?』の議題は結論が出ていない」の文章を「仮の論争の余地のない主張」として出典なしで記述したとしても、それは独自研究には該当しないと考えております。
- 故に、私もその手順に従い、
- 「史料が存在していない(見つかっていない)」という事実は、「史料が存在している(見つかった)」とする出典の提示がないかぎりは、出典なしで記述しておいても特に問題はないかと思います。個人的な見解ですが、差し替え前のページにも記述されていた通り、「くノ一=女忍者」という存在について、現代の人間の観念は創作物の作り出したイメージの影響を強く受けているという現状がありますので、「女忍者が存在する可能性を示した史料は存在する」「女忍者が存在したことを確実に示す史料は現時点で存在していない(見つかっていない)」という客観的事実は、そういった観念に対する注釈として記述しておいたほうがいいのではないかと思います。同様に、「忍装束を着て任務を行う女忍者が存在していたという史料は存在しない(見つかっていない)」「女忍者が色仕掛けを用いていたとする史料は存在しない(見つかっていない)」という記述も、創作の作り出したイメージの影響に対する注釈として適切かと思いますので、記述しておいても特に問題はないのではないかと思います。
- と、「出典の提示が無い文章を、本項において『注記』として記述すること」について本ノートで合意の形成を求めました。
- 長々と語ってしまい申し訳ありませんが、つまり、Munch2015氏が主張される「出典を提示した事のみを記述する」「出典のないものは書かない」というWikipedia:出典を明記する、Wikipedia:検証可能性等のガイドラインを極論化させた編集方法のみでは、Wikipediaの基本方針を体現する為のページ編集を行う事は難しい為、どうしてもこういった「補助文」が必要になるのではないでしょうかと申し上げておきたいのです。
- これらの補助文は下手をすると「独自研究」に該当する可能性がありますので慎重に取り扱う必要があるとは思いますが、文章の表現に問題があると判断する編集者が現れれば、Munch2015氏がそうしれおられるように、都度ノートで議論を行い、表現の落としどころを見つけていくべきだと思います。
- 故に、その点において、Wikipedia:出典を明記するのガイドラインを極論化させた「出典のないものは書かない」という主張には反対いたします。Wikipedia:出典を明記するはあくまでWikipedia:独自研究は載せないの方針に違反する編集者に対する最低限のガイドラインであるはずで、それを極論化させたことで編集者がWikipediaの方針を実践できなくなるのであれば、それこそ本末転倒としか言いようがない話だと思います。
- 上記の主張は多分に私の独自解釈を含んでおりますので、異論・反論があっても構わないと思いますが、この議題に関しては私とMunch2015氏の二者間で議論を行うよりも、Wikipedia:井戸端等に議題を持ち込んで相談するのも一つの方法ではないかと思います。
- 他の内容については、また後程お答えさせていただきます。--Yu0blue(会話) 2017年10月23日 (月) 07:24 (UTC)
>Wikipedia:出典を明記するのガイドラインを極論化させた「出典のないものは書かない」という主張には反対いたします。
Wikipedia:検証可能性にはっきりこう書いてあります。
- 出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができます(出典のない記述は除去されても文句は言えません)。
(追記3も参照)
これまでもWikipedia:中立的な観点の主張を無視して、出典のないものを論拠として中立を主張したりしてますし(前回指摘)、Yu0blueさんはそもそもルールをちゃんと読んでないのでは?
ルールを読まずにルールを勝手に解釈するのはやめてください。
>まず、Wikipediaには三大方針としてWikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せないがあり、この方針に反したページ作成を行ってはいけないという前提が存在します。Wikipediaの編集者はこの方針から逸脱しないようにページの編集を行う義務があります。
Wikipedia:独自研究は載せないに出典を出すように書いてあり、検証可能性には「出典のない記述は除去されても文句は言えません」とまで書いてあり(上述)、Wikipedia:中立的な観点にも「信頼できる情報源」と書いてあります。
にも関わらず、出典を出すよう10回近く指摘してもYu0blueさんはこれを無視し続けているわけですから、この義務に明確に違反しています。
>Wikipediaの方針を実現する為に編集者の裁量で出典を示さずにこの前後の文章を記述してかまわないと考えております
これは「出典出さずに独自研究を書き散らしたいから、ルール三代方針を無視する」といってるだけ。
(追記1も参照)
>> 「出典のないものは書かない」という最低限の原則には前回やっとこさ合意いたたしたみたいなんで。
> 私はその内容に合意しておりません。
三大方針が義務だと自覚していて、それでも出典を出すのを拒むという事でしょうか。切りがないのでコメント依頼します。--Munch2015(会話) 2017年10月23日 (月) 09:47 (UTC)文意を誤解されそうなところを一カ所修正--Munch2015(会話) 2017年10月23日 (月) 13:51 (UTC)
追記1
>Wikipediaの方針を実現する為に編集者の裁量で出典を示さずにこの前後の文章を記述してかまわないと考えております
Yu0blueさんは「Wikipediaの方針を実現する為 」に、「(三代方針を無視して)出典を出ずに加筆」と主張してるようですが、そこまでいうなら「○○のケースでは出典を出さずに編集してよい」というルールを見つけ出して明記してください。
一応言っとくと、草案とかはダメですよ。
追記2:
井戸端に関してはやっていただいて構いませんが、過去ログをみる限り井戸端は目的が違うようです(使かったことが無いので分かりませんが)。--Munch2015(会話) 2017年10月23日 (月) 13:49 (UTC)
追記3
>「出典のないものは書かない」という主張には反対いたします。
Wikipedia:検証可能性にはこうも書いてありますね。
>検証可能なことのみ載せるという方針が大変重要となるのです
--Munch2015(会話) 2017年10月23日 (月) 14:13 (UTC)
追記4
Wikipedia:論争の解決にもYu0blueさんの行為は非推奨だと書いてありますよ
>非推奨 レベル3 反対意見ほとんど証拠を示さず反対意見を述べる。
--Munch2015(会話) 2017年10月23日 (月) 15:18 (UTC)
- それでは、続きについてコメントさせていただきます。
- Munch2015氏がさかんにおっしゃられている「出典を提示して記述する」というWikipediaの原則についてですが、私は当然それ自体には反対しておりませんので、「吉丸氏・山田氏の著書の記述を、出典を提示して記述する」という行為自体には反対しておらず、むしろ歓迎していることを先に申し上げておきます。
- 私がまず申し上げたいのは、「吉丸氏・山田氏の著書の記述」には、「事実」と「意見」が両方存在しているので、それらを明確に区別して記述する必要がある、ということです。「事実」と「意見」の違いについては、用語の定義に定義付けられております。
- 例として、Munch2015氏が本項に記述された「くノ一(くのいち)は、元来は女を指す隠語である」という「学説」を取り上げますと、現在の本項で「江戸期における「くノ一」の語」の分類に記述されている「『遠舟千句附』に記述されている「くノ一」の単語の用例」「『万川集海』にくノ一の術が記述されている」という記述については、実際にその史料に記述されていることは疑いようの無い「事実」でありますが、史料(事実)の記述を基に行われた、「江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使っており、女忍者の意味はまったくない」という吉丸氏の「主張」は、「その主張が『事実』の認定を受けたとする『出典』」が存在しない以上、「研究者の主張する学説の一つ」であり、これは「意見」に該当します。
- 中立的な観点とはにて「意見を事実として記さない」という方針が存在しますので、この場合、「『遠舟千句附』「くノ一」の単語の用例が記述されている」「『万川集海』にくノ一の術が記述されている」といった事実はこのまま断定的な表現で記述しても構わないと思います(ただし、Wikipedia:検証可能性の方針に従うのであれば、その記述の出典は吉丸氏の著書のみではなく、『遠舟千句附』『万川集海』の原本(あるいは原本の現代復刻版)からも提示された方が望ましいと思いますが)
- ですが、「江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使っており、女忍者の意味はまったくない」とする「意見」については「事実」に該当しない為、断定的な表現での記述を避け、「 吉丸雄哉は、『江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使われており、女忍者の意味はまったくない』と主張している」という風に、客観的な表現にするべきだと思います。
- 「学説」の記述方法について、私はこれまでにも何度も「研究者が、〇〇と主張している」という客観的な表現で記述するべきだと申し上げており、Munch2015氏もこれまでの議論の中で、その主張に異論・反論は延べられておりません。
- 私が「2017年9月30日 (土) 06:00 (UTC)」分のコメントにて、「全体的に断定的な記述が多いように感じます。研究者の著書の主張を出典を提示して記述している以上、その主張の記述を「論争の余地のない主張」であるかのように記述するのは適切とは言い難いと思います」と主張した上で、「創作物において(中略)山田風太郎の忍法帖シリーズの影響が大きい」という断定的な表現を用いた記述を試しに「~影響が大きいとされる」といった客観的、中立的な表現に置き換えた際に、Munch2015氏はその内容について「異論はありません」と同意されましたので、「『学説』の記述を、断定的な表現から客観的な表現に置き換える」という点については本ノートにおいて合意形成が行われているものと判断いたします(ただ、そもそも本来は合意形成を行う必要があるような事ではありませんが)
- 続いて、これもまたMunch2015氏がさかんに主張しておられる「両論併記」についてですが、私はこの件につきましては「本ノートにおいて、(条件付きではあるが)既に合意形成済である」と判断しております。
- 私は「2017年9月27日 (水) 06:42 (UTC)」分の自身のコメントの②において、「一研究者の「歴史上は女の忍者は実在しない」という主張を「論争の余地のない主張」と認定する権限は、そもそもWikipediaにはありません。当然ながらMunch2015氏にも私にもそのような権限はありません」と主張いたしましたが、Munch2015氏はこの主張に対して「全くその通りです。その権限は学者さんだけにあり、だからこそYu0blueさんに学者さんの文献の提示を求めたわけです。 権限もないのに「論争の余地がある!!」と主張しちゃ駄目です」と返答しています。
- 私はMunch2015氏のコメントの後半部分について異論がありますので、Munch2015氏の主張をすべて受け入れたわけではありませんが、少なくともこの時点で「『学者の主張する学説』を『事実』と認定できる権限が、Wikipedia自体、そしてWikipediaの編集者(私とMunch2015氏含む)にはない」という点については合意が形成されております(ただし、これも本来は合意の形成を行うような事ではありませんが)
- 上記の合意が成立している以上、「吉丸氏・山田氏の学説以外の、他の学説の出典の提示が存在するかどうか」は、本項において吉丸氏・山田氏の学説を扱う際に何の影響も及ぼさないはずですので、私はMunch2015氏の「その権限は学者さんだけにあり、だからこそYu0blueさんに学者さんの文献の提示を求めたわけです。 権限もないのに「論争の余地がある!!」と主張しちゃ駄目です」という後半の主張、即ち「両論併記の為の出典を求める行為」、「『論争の余地がある』と主張するな」という主張について、「2017年9月28日 (木) 08:02 (UTC)」分のコメントにて、
- Munch2015氏の提示した出典の『学説』が、学会等で公式に「論争の余地のない主張」と認められたという事実は存在しない。
- 『学説』が事実認定されたのであれば、「事実認定された」とする公式な出典が存在するはずであり、それが存在せず「研究者が『学説』を主張した」という「出典」しか存在しないのであれば、「学説」はWikipedia:中立的な観点で定めた「論争の余地のない主張」になり得ない。
- 吉丸氏・山田氏の『学説』への対論が現時点で存在しない状態であっても、出典の有無、出典の多寡で議論に結論を出すことはできない(本項には、それらの事実を基に『学説』を「論争の余地のない主張」であると判断する権限はない)
- 片方の『学説』を主張する出典が多数あり、その対論の出典が存在しないことを理由に「その『学説』が優勢である」などと記述することは、ルールの悪用の、「証拠の悪用」「印象操作」等に該当する。
- 以上の内容を、Munch2015氏の主張される「両論併記」に対する反論として主張いたしましたが、上記の内容について、その後Munch2015氏からの同意、もしくは反論のコメントがありませんでしたので、私はMunch2015氏がこの主張を実質的に受け入れたものだと判断し、「両論併記」については「それ自体が本項における判断基準になり得ない事」として認識しておりました。その為、Munch2015氏が「2017年10月11日 (水) 08:52 (UTC)」分のコメントにて、「「中立の観点」による「両論併記」とか、(中略)主張していたのはYu0blueさんご自身だったはずですよ」と、まるで私がなおも「両論併記」を是としているかのように主張されましたので、Munch2015氏の認識違いを正す為に、「私の過去の主張を見返していただき、異論があれば返答してください」と申し上げましたが、Munch2015氏は「2017年10月16日 (月) 09:17 (UTC)」分のコメントにて、「江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使っており、女忍者の意味はまったくない」とする吉丸雄哉氏の「主張」は「学説」にすぎず、(以前議論した)「女忍者実在否定論」と同様に、公式に学会等で「論争の余地のない主張」と認定されない限り、この学説は本項において相対的な立場の主張として扱われるべき」とする私の主張に対して、なおも「あのですね、学術的に決着がついてないからこその両論併記ですよね。決着がついていればそれだけ書けばいいわけですから」と「両論併記」を主張して反論されましたので、私はその後も一貫して何度も「『学説』は、『論争の余地のない主張』と公式に認定されない限り、『学説(意見)の一つ』に過ぎない」と主張いたしました。
- Munch2015氏は私のその主張に対し、「2017年10月19日 (木) 14:51 (UTC)」分のコメントにて、「その通り。出典の有無や多寡では事実かどうか結論がでません」と私の主張を認める発言をしながらも、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」の項目を持ち出して、「それはどうでもいいこと」だと反論されました(つまりこの時点で、Munch2015氏は「本項において、両論併記ができるかできないかは、本項においてなんの判断基準にもならない」という主張に再度合意したことになります)
- 「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうかの項目には、たしかに「出典を提示した記述が『実際に事実かどうか』ということよりも、『検証可能性』を満たしているかどうかが重要」と定められておりますが、「「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」」の項目を最後まで読めばわかる通り、ここで定められている「検証可能性」とは、あくまで「出典を提示した記述内容が、提示した出典に本当に記述されている事を検証できるかどうか」といった内容になります(実際に提示した出典に記述内容が記述されていなければ、勿論その記述は「虚偽の記述=独自研究」に該当いたしますので、速やかに削除されるべきです)
- つまり、私とMunch2015氏が現在行っている吉丸氏・山田氏の「学説」についての議論と、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」の内容は何の関係もありませんので、こちらの方針を持ち出されたところで、私の主張に対する反論にはなりません(あらためて言いますが、私は、吉丸氏・山田氏の著書の『学説』を本項に記述する事、そしてその『学説』の記述が提示された出典にきちんと記述されているという「検証可能性」を満たしていることには納得しております)
- また、Munch2015氏はWikipedia:信頼できる情報源を持ち出して反論しておられますが、こちらのガイドラインにおける「信頼できる」という条件は、「出典の情報源が正規の組織(出版社等)によるものであるか」「出典の著者が正規の存在(大学教授等の正式な研究者)であるか」という部分に対して保証を求めるものであり、「出典に記述されている『意見』の内容が、どれだけ正しいか」を保証するものではありませんので、こちらのガイドラインも私の主張に対する反論にはなりません(私は、吉丸氏・山田氏の出典について、「信頼できる情報源」のものであることには納得しております)
- 以上のことから、再度の合意確認の為、Munch2015氏に確認させていただきたいことがあります。(Yes/No)形式でお伺いしますので、お答えください。「No」を選択された場合は、理由も記述してください。なお、返答を避けられた場合は、いつまでも「納得」しないに該当すると判断させていただきます。
- 「まずYu0blueが出典を示せ」も返答になりませんのでご注意ください。議論を円滑に進める為の、以前私とMunch2015氏で討論させていただいた内容の確認でもありますので、私が「出典の存在しない記述」について出典を提示できるかどうかの議論とは関係ないはずです。
①用語の定義に定義付けられている「事実」と「意見」のガイドラインに基づき、「「吉丸氏・山田氏の著書の記述」には、「事実」と「意見」が両方存在しているので、それらを明確に区別して記述する必要がある」という私の主張にご同意いただけますか?(Y/N)
② ①の例として、まず「『遠舟千句附』に記述されている「くノ一」の単語の用例」「『万川集海』にくノ一の術が記述されている」という記述については「事実」として断定的に記述し、「江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使っており、女忍者の意味はまったくない」とする「学説」が「事実」ではなく「意見」に該当することを認め、私の主張する、「 吉丸雄哉は、『江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使われており、女忍者の意味はまったくない』と主張している」という、客観的な表現に修正することにご同意いただけますか?(Y/N)
③上記の内容以外でも、出典を提示して記述された『学説』については、その『学説』が「事実」と認定されないかぎり、断定的な表現を用いるのではなく「研究者が、〇〇と主張している」という客観的な表現で記述するべきだとする私の主張を認めますか?(Y/N)
④Wikipedia自体、およびYu0blueとMunch2015氏を含めたWikipedia編集者に、「『意見=学説』の事実認定」を行う権限がないことを認めますか?(Y/N)
⑤「『研究者の主張する学説』の事実認定」には、「研究者が学説を主張した事」を示す出典以外の、「その学説の事実認定が行われた事」を示す別の出典の提示が必要であることを認めますか?(Y/N)
⑥「研究者の主張する学説」に対する「対論」の出典が存在するかどうか。つまり、「出典を提示した学説を『両論併記』できるかどうか」は、「研究者の主張する学説」が「事実」であるかどうかの判断材料にはなり得ない(本項には、出典の有無・多寡の事実を基に『学説』を「論争の余地のない主張」であると判断する権限はない)。その為、「『両論併記』できるかどうか」の論点は解決済である事、今後の議論の中で「両論併記」を一切持ち出さない事を認めますか?(Y/N)
⑦片方の『学説』を主張する出典が多数あり、その対論の出典が存在しないことを理由に「その『学説』が優勢である」などと記述することが、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「証拠の悪用」「印象操作」等に該当することを認めますか?(Y/N)
⑧「『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか」の議題について、Munch2015氏の提示された「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」の方針と、Wikipedia:信頼できる情報源のガイドラインが、『確定していない学説』は、本項では自動的に『諸説あるうちの一つ』として扱われるべき」「『学説』は、『論争の余地のない主張』と公式に認定されない限り、『学説(意見)の一つ』に過ぎない」という私の主張への反論として成立していないとする私の主張を認め、今後はこの議題について「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」の方針と、Wikipedia:信頼できる情報源のガイドラインの主張を行わないことを認めますか?(Y/N)
- 他にも申し上げたい事、確認させていただきたい事は何点かありますが、とりあえず今回はこれにて失礼いたします。合意の形成に向け、①~⑧の確認事項に関してはきちんとご回答いただければと思います。
- 加えて、このノートをご覧になられておられる他の編集者の方に、是非とも積極的なコメント参加をお願いしたいと思います。これまでの議論の流れを見返していただければわかる通り、私とMunch2015氏の二者間のみでは議論がかみ合わない事が多々ありますので、議論の進行を円滑にする為に、他の方のコメントをいただけると非常に助かります。よろしくお願いいたします。--Yu0blue(会話) 2017年10月25日 (水) 00:12 (UTC)
「吉丸本・山田本に書いてある内容を本項にどう書くか?」に関するものは話し合いで合意できると思っています。
私が問題視しているのは「吉丸本・山田本に書いてない内容を本項に書くべきか?」という点です。これに関しては私が再三主張しているように、「そうした内容を書きたきゃまっとうな出典が必須。出典出さなきゃ論外」です。
例えば
>「吉丸氏・山田氏の著書の記述」には、「事実」と「意見」が両方存在しているので、それらを明確に区別して記述する必要がある、ということです。
このあたりは「具体的な表記内容」を特定していただければ合意可能だと考えています。
「吉丸氏・山田氏の著書の記述」(等の出典のある記述)のみに従って書いてますから。
問題視しているのは、例えばだいぶ前に主張されていた、
> 差し替え前に記述されていた「望月千代女」、「初芽局」もこの分類内に「詳細は各項目を参照」と注釈をつけて記述する。
とかですね。出典なしで「意見」を書こうとしてるので。
- ① 方針はYes。ただし具体的表記は話し合って決める。
- ②、③、 ④:先に④を答えます:
- ④ 「学説の事実認定」を行う権限がないことはYes。しかし専門家による「学説」を素人による「意見」と同一視し、「学説=意見」とするのはNo。
- ②、③ これらは△。「学説=意見」とするのがNoなので、個人的「意見」にすぎないように見える「研究者は…主張している」ではなく「誰々の研究によれば…とされる」等とする。意見が割れているところは「A氏の学説によれば…、一方B氏の学説によれば…」と両論併記。
- ⑤ Yes。ただし、そもそも私は「吉丸説は事実だ」とは一言も言ってない。
- ⑥ 文節毎に答えます。
- 6-1「「事実」であるかどうかの判断材料にはなり得ない」:同上。そもそも「事実だ」とは言ってない。
- 6-2 「両論併記」:「事実かどうかわからない」からといって「だから出典のない記述を両論併記してよい」とはならない。両者は全く違う。
- 6-3 「今後の議論の中で「両論併記」を一切持ち出さない」:両論併記&中立的な観点を持ち出したのはYu0blueさんでしょ?言い訳しないでください。
- ⑦ 文節毎に答えます。
- 7-1「その対論の出典が存在しない事」: Wikipediaでは出典0個と1個は全く異なるので、出典0個の意見は無視。
- 7-2「片方の『学説』を主張する出典が多数あり」:まともな出典が1つ以上でていれば、出典の多寡でなく質(=専門家の説か否か)で判断すべき。
- 7-3「「その『学説』が優勢である」などと記述」:そもそも私は「吉丸説が優勢」とは一言も言ってない。優勢かどうかに触れず、吉丸の研究成果を書くべき
- 7-4「腕ずくで解決」:同上。そもそも「優勢」とは言ってない。
- ⑧ No。Yu0blueさんは検証可能性や信頼できる情報源のような最低限のルールにすら納得しかねると主張しているので。
論点は⑦、⑧あたりですかね。
上記の①~⑧の回答に賛成するか否か、それぞれYes、Noで箇条書きしてください
--Munch2015(会話) 2017年10月25日 (水) 14:32 (UTC)(論旨を整理して全面改稿。主張は変えてません)--Munch2015(会話) 2017年10月25日 (水) 15:32 (UTC)(質問⑤の意味を理解したので追記)--Munch2015(会話) 2017年10月25日 (水) 16:06 (UTC)(質問⑥の意図を理解したので追記)
追記:
前回書いたこの質問にも答えてください
>Yu0blueさんは「Wikipediaの方針を実現する為 」に、「(三代方針を無視して)出典を出ずに加筆」と主張してるようですが、そこまでいうなら「○○のケースでは出典を出さずに編集してよい」というルールを見つけ出して明記してください。
--Munch2015(会話) 2017年10月25日 (水) 16:55 (UTC)
- 返答が遅れてしまい、申し訳ございません。本日からコメント投稿を再開いたします。
- ①につきましては、表記の仕方について議論の余地が存在することを条件に、合意が確定したと判断させていただきます。
- ⑤につきましても合意が確定したと判断させていただきます。
- 「そもそも私は「吉丸説は事実だ」とは一言も言ってない」とのことですが、Munch2015氏は当初、本項の大幅な差し替えを行ったことについて私がノートで言及した際、「歴史上は女の忍者は存在しないので、「くノ一の実態」ってのはありえないですね」「語源は元来は女を指す隠語であり、「女忍者」の意味で使ったのは1964年~1967年ですね」と、吉丸氏の主張が事実として確定しているかのような反論をされましたが、これは「Munch2015氏が「吉丸説は事実だ」と言った事」にはならないのでしょうか?以前とご意見が変わられたのか、それともお変わりないのかについてご返答をお願いいたします。私は、当初そのような事がありましたので、その後のMunch2015氏の言動も含めて「自身が出典を提示した吉丸氏・山田氏の著書の内容を、疑いもせずに頭から信じ込んでおられる方」だと感じております。そして、Munch2015氏のそういった姿勢がはじめにの「ウィキペディアの中立性」についての「論争での全ての観点を公正に考慮することで、記事には特定の立場が正しいと明記したり、暗示したりするべきではない」とする方針に反するものであると考えております。
- ②と③についてですが、「出典元の記述の、何が『意見』に該当するか?」と考えるのではなく、「記述の何が『事実』に該当するのか?」という考え方をするべきだと思います。私が例に出した「『遠舟千句附』に記述されている「くノ一」の単語の用例」についての記述のように、吉丸氏が著書のなかで「別の著書の内容を引用して、『記述が存在する』と主張している状態」の部分については引用元を確認すれば「記述が存在する」という「事実」はWikipedia:検証可能性に基づいて「事実認定」が可能であると考えます(逆に、もしそれらの引用元に記述が存在しないのであれば、引用元を出典として提示して「引用元にその記述が存在しない」という「事実」を記述するべきです)
- ですが、「江戸期には「くノ一」は「女」を指す隠語として使われており、女忍者の意味はまったくない」という記述は、その内容を「事実」と認定できておりませんので、少なくとも「『事実以外の記述』として扱うべきであり、それらの記述が「事実」に該当するかのような表現を用いて記述することはするべきではないと考えております。そして、Wikipediaは項目に関連した内容を記述するものですので、研究者の著書の記述で、項目に関連している部分を抜き出して記述する場合、その内容が「事実」に該当しないのであれば、その記述は項目に関連する「意見」に該当するものであると考えます。
- ④については、あくまでこの件については「Wikipedia:信頼できる情報源のガイドラインに従った著書の記述内容を出典として提示し、記述した場合」について述べておりますので、素人の意見との同一視云々は関係ありません。②、③で述べた通り、研究者の著書の記述を、出典を提示してWikipediaのページに記述するのであれば、「事実」以外の記述はすべて「その項目に関連した研究者の「意見」=「学説」や「言及」」に該当すると考えます。
- ⑥について
- それでは、なぜ「両論併記」を主張されるのか、「両論併記」を行えるかどうかに何の意味があるのか、Munch2015氏に回答を求めます。私は、「『両論併記』ができるかどうかは、吉丸氏・山田氏の著書の内容を本項に記述する上で何の関連性もない」と再度主張させていただきます。
- 「両論併記&中立的な観点を持ち出したのはYu0blueさんでしょ?」とおっしゃられておりますので、私が当初にMunch2015氏による差し替え分の差し戻しを行った際に「Wikipedia:中立的な観点」を持ち出した事をその根拠にされておられるのだと思いますが、私はMunch2015氏がその件に触れて何度も「出典の提示」と「両論併記できるかどうか」を主張しておられた事について、自身の主張が正しく理解されていないものと考え、その後は一貫して「吉丸氏・山田氏の著書の内容(この時の論点は「歴史上女の忍者は存在しない」とする両者の主張をMunch2015氏が断定的な表現で本項に記述し、その主張が事実であると私Yu0blueに対して主張した事について)が「事実」と認定された出典(事実認定の証拠)があるかどうかが重要であり、吉丸氏・山田氏の著書の内容に対する対論・反論の出典が存在するかどうかは問題ではない」と主張しております。
- 私がこれらの主張を一貫して行っていることはログを見返していただければわかる話だと思いますので、私はMunch2015氏が「2017年10月11日 (水) 08:52」分のコメントで「「中立の観点」による「両論併記」とか(中略)主張していたのはYu0blueさんご自身だったはずですよ」と述べられた際に、「私の以前のコメントを読み返してください(私のこれまでの主張内容を再度確認してください)」と申し上げております。
- 口頭での議論と違い、きちんと今までの議論の内容がログとして残っているのですから、Munch2015氏がそれを読み返し、自身と相手が今までどのような主張を行ってきたのかを正しく認識しておられれば、本来こういった「言った言わない」の水掛け論は発生しないはずだと思いますが、それでこういった事が起こってしまう事のであれば、申し訳ありませんがMunch2015氏の「議論を行う能力」、つまり「Wikipedia編集者としての能力」に疑問を持たざるを得ません。
- その為、私はMunch2015氏がWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「いつまでも「納得」しない」、Wikipedia:妨害的編集の「合意形成への不参加」に該当する行為を行っている疑いがあると判断し、2017年10月20日 (金) 02:29分のコメントにおいて、投稿ブロック依頼について言及させていただきました。
- ⑦について
- 現時点では、確かに吉丸氏・山田氏の主張への「対論」の出典は存在していない状態(あるいは見つかっていない状態)ですが、⑥で述べた通り、「対論」が存在して「両論併記」が行えるかどうかは、本項に両氏の主張の内容を記述することに関して何の関連性もありませんので、現時点において「他の出典が存在していない事」は、本項における吉丸氏・山田氏の主張の扱いに影響を及ぼさない事であると考えます。
- 「まともな出典が1つ以上でていれば、出典の多寡でなく質(=専門家の説か否か)で判断すべき」と申されましたが、「専門家の著書」の内容を記述するとしても、その内容が「事実以外」であれば、⑤の合意に従い、「事実」とは認定できませんので、断定的な表現は使えず、「〇〇(専門家)は△△と主張している」という風に、客観的な表現を用いて記述するべきであると考えます。
- 「優勢かどうかに触れず、吉丸の研究成果を書くべき」についても、「研究成果」が「事実」として認定されていないのであれば客観的な表現で記述するべきであると考えます。
- ⑧について
- それでは、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」の方針と、、Wikipedia:信頼できる情報源のガイドラインをどのようにご理解されておられるのか、Munch2015氏の主張をお伺いしたいと思いますので、ご返答をお願いいたします。すでに述べた通り、私は、この方針とガイドラインは「吉丸氏・山田氏の著書の内容を記述する」という点において保証を与えるものでしかない為、私の主張への反論としては成立していないと考えております(これに関しては、⑦でも同じ事を申しあげております)
>Yu0blueさんは「Wikipediaの方針を実現する為 」に、「(三代方針を無視して)出典を出ずに加筆」と主張してるようですが、そこまでいうなら「○○のケースでは出典を出さずに編集してよい」というルールを見つけ出して明記してください。
- 最後に、上記のご質問についてですが、私は「三代方針を無視して、出典を出さずに記述するべき」とは一言も申しておりません。「出典を提示しない記述」は、「Wikipediaの方針を実現する為 」に「三代方針や各ガイドラインを尊重」し、「ノートでの合意形成を行った上」で行うべきであると申し上げております。
- 「出典を提示しない記述」については、中立的な観点とはに、「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」において「その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張が誰のものかを記述する必要はありません」と記述されており、これに該当する記述は必ずしも出典の提示を必要としません。
- そして、中立的な観点とはには、同時に「ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません。執筆者が独自の視点を持っているのは当然ですが、完全な情報を伝えるように誠実に努力しなければいけません。ある特定の観点を他方に優先して推進するものではありませんし、ある特定の観点を除外するものでもありません」と記述されておりますので、Wikipedia編集者は、中立性に基づき、「論争を記述すること」、「完全な情報を伝えるように誠実に努力すること」が求められます。
- 上記の方針を踏まえますと、「歴史上、女忍者が存在したか」の議論を本項に記述するにあたって、「議題を取り巻く現状の客観的事実」を考慮したで、「『歴史上、女忍者が存在したか』の議論は、まだ結論が出ていない」と「仮の論争の余地のない事実」をノートでの合意によって確定させた上で、
- 「歴史上、女忍者が存在したか」の議論について、まだ結論は出ていない。「万川集海」等の史料には「くノ一の術」についての記述が存在するが、論者によってこれを「女の忍び」とみなすものと、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる。
- と記述した方が、「議論の現状」がわかりやすい表現になるのではないかと思います。
- Munch2015氏の主張された
- 歴史上、女は男の忍者ほどの活躍をみせず、論者によってこれを「女の忍び」とみなすものと、そうは見做さず女の忍者は存在しないとするものがいる。しかしまだ忍者の研究史は浅い事に注意する必要がある
- の内容では、まず前半部分の「歴史上、女は男の忍者ほどの活躍をみせず」の部分が出典をそのまま引用しているだけなので、読み取り方によっては「女(忍者)は男の忍者ほど活躍をみせず」とも受け取れる為、「女忍者が実在した事」が確定しているかのような印象を与えかねない表現になってしまっていると思います。
- また、「しかしまだ忍者の研究史は浅い事に注意する必要がある」の一文も、「研究史が浅い」とする山田雄司氏の主張をそのまま「事実」として記述しておりますので、記述として不適切です。
- これが、Munch2015氏の主張である「出典の提示した内容のみを記述する」「出典を提示した以外の事は記述しない」を忠実に実現した場合の限界であり、「論争を記述する」為には、どうしても出典を引用した部分以外に文章全体を構成するための「補足文」が必要となってきますので、私が主張したように、出典の提示がない補足文をノートでの合意の上で記述する必要があると思います。
- 「『仮の』論争の余地のない事実」としたのは、この場合、「「歴史上、女忍者が存在したか」の議論について、まだ結論は出ていない」という部分が、あくまで「暫定的事実」でしかなく、「普遍的事実」ではないという現実があるからです。
- 当然の話ですが、今後、学術研究の面において、仮に「女忍者が存在する」という歴史的事実が証明される事があれば、「議論の結論が出ていない」という事実は、「議論の結論が出た」という事実に変わりますので、その際には、この部分を書き換える必要があります。
- Munch2015氏も、「現状では出典が出ている山田・吉丸両氏の学説のみに従って本記事を記載する。将来別の学者による出典がでてきたら、その段階で書き換える」と主張されておられますので、少なくとも「状況が変化したら都度書き換えるべき」という点についてはご納得されておられると思いますが、それでは私の主張する方法に基本的に異論はないのではないでしょうか?
- 私は、「現状では出典が出ている山田・吉丸両氏の学説のみに従って本記事を記載する」の部分については、上記でも主張したように、それを行うと文章の内容がおかしくなる場合がある事と、そして、Wikipediaの方針・ガイドラインのいずれにも「学説の出典がそれのみであれば、その学説のみに従って記述を行う」といった根拠が記載されていない事を理由に、この主張に反対いたします。
- また、「将来別の学者による出典がでてきたら」とありますが、こちらも「事実認定されていない研究者の学説の出典」は、既に「意見」として客観的に記述するしかないとも主張しておりますので、吉丸氏・山田氏の「意見」、その他の研究者の「意見」も、ただ客観的表現で記述する以外はないと考えております。
- 「学説のみに従って記述する」というMunch2015氏の主張は、ぽん吉氏が「2017年10月2日 (月) 09:05」分のコメントで主張された、「なお現実問題として、本記事は山田『忍者の歴史』あたりを主軸に」という記述から始まっているものを認識しておりますが、私はそもそもぽん吉氏が提示していただいた山田氏のインタビュー記事の内容も、現時点では「事実」ではなく「意見」に該当すると考えておりますので、その後の「2017年10月6日 (金) 07:24」分のコメントにおいて、「山田氏の『忍者の歴史』あたりを主軸にする」というよりも、「山田氏の主張も、主張の一つとして扱う」という形で本項の記述が行われるのが望ましいと思います」と、明確に主張を行っております。
- >なぜこんなことを口を酸っぱくしていうかというと、忍者研究の歴史が浅いからです。
- >ポン吉さんが示してくださったように、忍者研究はたったの5年です。という事は、5年より前に得た「常識」は専門家の手が入っていないので正しいとは限らないということです。
- というMunch2015氏の主張は、山田雄司氏の「意見」がすべて「事実」であるという前提の元に成り立っているものだと思いますので、私は受け入れられません。吉丸氏にしても山田氏にしても、研究者の「意見」はそれだけでは「事実」になり得ません。
まだ語り足りない部分はありますが、長くなりましたので、この辺で一旦終わらせていただきます。--Yu0blue(会話) 2017年10月30日 (月) 07:50 (UTC)
>吉丸氏の主張が事実として確定しているかのような反論をされましたが、これは「Munch2015氏が「吉丸説は事実だ」と言った事」にはならないのでしょうか?
頭のなかで「吉丸氏の研究成果によれば」を追加してください。そのくらい言わなくても分かるでしょ…
> ②と③についてですが、… >④については、…
で、だからどうしたいの?
>それでは、なぜ「両論併記」を主張されるのか、
私がどこで両論併記を主張したの?
>現時点では、確かに吉丸氏・山田氏の主張への「対論」の出典は存在していない状態(あるいは見つかっていない状態)ですが
じゃあ今後「対論も書く」とは主張しない、という事で合意ですね。
>⑧について
何を言ってるかわからない。
>「出典を提示しない記述」は、「Wikipediaの方針を実現する為 」に「三代方針や各ガイドラインを尊重」し、「ノートでの合意形成を行った上」で行うべきであると申し上げております。
「出典のない記述は書くな」とはっきり三大方針に書いてあるでしょ(前述)。
それを無視した個人的主張を書きたいとゴネるのを「ノートでの合意形成」とか言わないでください。--Munch2015(会話) 2017年11月2日 (木) 10:49 (UTC)
- こちらの返答が遅れてしまい、申し訳ございません。
>頭のなかで「吉丸氏の研究成果によれば」を追加してください。そのくらい言わなくても分かるでしょ
- では、Munch2015氏は、当初の差し替えにおいて、「あくまでも研究成果による主張で、事実確定していない吉丸氏の学説」を「事実」として記述した上で、私に対しても「事実だ」と主張したことになりますね。
- これは「意見」を「事実」として記述するという明らかな「独自研究」に該当しますので、Munch2015氏はまず、自身がこの時点で「独自研究」を行ったことを正式に認めてください。
- 本ノートにおける私Yu0blueとMunch2015氏との議論のそもそもの始まりは、Munch2015氏が「一つの意見にすぎない記述」を「事実」として記述したところから始まっておりますので、私が差し替え内容に異議を唱えた時点でMunch2015氏が自身の独自研究を認めていればよかった話です。
- また、「頭の中で『吉丸氏の研究成果によれば』」を追加してくれと言いますが、他の読者が差し替え後の本項を見て、そこまで都合良く解釈してくれるとなぜ思えるのかが不思議でなりません。礼を欠いた非常に悪質な言い分であると主張させていただきます。
>②と③について
- 具体的な記述内容として、
- ①冒頭文を、下記内容とする。
- 「くノ一」とは、現代において一般的に「女の忍者」を指す言葉として認識されている言葉である。小説や漫画などの創作物(フィクション)で多く用いられる言葉である。
- ②『江戸期における「くノ一」の語』を、『「くノ一」の語源』『学術研究における女忍者』の分類に分割し、語源の学説、実在論その他に関する学説をまとめる。
- ③吉丸氏・山田氏の出典の内容を記述する場合、「歴史上女忍者は存在しない」「『くノ一』は元来は女を指す隠語である」とする「事実確定していない学説」の記述については、「吉丸氏は、『歴史上女忍者は存在しない』と主張している」といった客観的な表現で記述する。他の書籍の記述を引用している部分は「〇〇と記述されている」という断定的な表現でも構わないが、その引用元をなるべく出典として提示する。
- 以上を提案いたします。
- ①につきましては、冒頭文に研究者の著書の内容が記述されていると、それが「事実確定していない学説」であったとしても、読者が冒頭文に記述していることで「事実確定された学説」と勘違いしてしまう可能性がありますので、それを防ぐのが目的です。
- 記事のスタイルにも、「冒頭の段落は明確で簡潔な定義から」と記述されておりますので、冒頭文はこのぐらいの簡潔さで構わないと思います。
- また、「現代において一般的に~」という表現は、近現代以前の「くノ一」の単語の語源について、吉丸氏らの主張が存在していることを考慮したものです。
- 冒頭文から学説の記述等を一切廃し、それらの記述を②の『語源』と『学術研究における女忍者』の分類にまとめ、③の記述方法で記述することで、なにが「意見」で、なにが「事実」かが読者にとってわかりやすくなりますので、中立的な観点とはにおける「論争を記述することであり、論争に加わることではありません」「意見を事実として記さない」という方針に合致すると思います。
- 私の提案が分かりづらいようであれば、一度本項内に私が提案した改定案の雛型を作成させていただきます。
- Munch2015氏からも、具体的な記述内容についてご提案があればご提示願います。
>④については、…
>で、だからどうしたいの?
- Munch2015氏は「『学説=意見』とするのはNo」とおっしゃられましたので、「吉丸氏・山田氏の学説は、『事実』でなければ『意見』でしかない」と主張させていただきました。
- 逆にMunch2015氏にお伺いしますが、「『事実』に該当しない学説」が用語の定義で定められている「意見」以外の何に該当するのでしょうか?それ以外の何かに該当するというのであれば、Wikipediaの方針・ガイドラインに基づいた定義をご提示ください。
>私がどこで両論併記を主張したの?
>Wikipediaでは正しいかどうかよりも出典があるかどうかが重視されます。
>もし現在の記述に問題があると思うなら、出典を明示した上で書き加えてください。
>私の方で出した出典は大学に所属する専門家によるものですので、それと同等ないしそれ以上に信頼できる文献での記述をお願いします。
>「中立に反する」事を証明する出典をお願いします。現状ではYu0blueさん個人が「中立に反する」と主張しているだけで、出典があがっていないので。
>繰り返しになりますが、大学の専門家の意見を「中立に反する」と主張する以上、それと同レベルの信頼度のある文献の提示をお願いします。
>別に私は吉丸氏の本の意見に固執しているわけではないので、同レベルの文献が提示されれば両論併記すればよいという意見です
- 上記を見ればわかる通り、私Yu0blueに対して吉丸氏・山田氏の学説への対論の出典を求めるという形で、初めに「両論併記」を主張されたのがMunch2015氏であることは明らかですね。
- 私は「特定の学術書の主張を列挙しており、その他の史実・伝承等の記述を一方的に削除しておりましたので、中立性という観点から望ましくない」とは主張いたしましたが、「Munch2015氏が出典を提示した吉丸氏・山田氏への対論の出典を提示して両論併記するべき」などとは一言も申し上げておらず、その後も、吉丸氏・山田氏の著書の内容を「事実」として記述している事に対して「「実在否定派」と「実在肯定派」の間で現在論争が存在していない状態であったとしても、片方の主張がしかるべき手続きに従って歴史的事実として認定されていない以上、「歴史上に女の忍者が存在したか否かは現時点で未確定」という中立性は本項において自動的に成立するものであると考えます」2017年9月28日 (木) 07:23と、Munch2015氏の「両論併記するべき」という主張を否定する主張を一貫して行っております。
- ログを見ればこの通り明らかな話であるはずですが、なぜこのような事が起こるのかが本当に理解不能です。
- これを見ても、なおも「『両論併記』を最初に主張したのはYu0blueである」と主張し続けるのであれば、Munch2015氏がWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「いつまでも納得しない」、Wikipedia:妨害的編集に該当する行為をしていると判断し、ブロック依頼を申請させていただきます。
- また、これはむよむよ氏にもお伺いしましたが、「Yu0blueが一番最初に『両論併記』を主張した」とおっしゃるのであれば、「Yu0blueが最初に主張したから」以外に、「両論併記を行うべき」という主張の根拠となるWikipediaの方針・ガイドラインをご提示ください。
- 当たり前の話ですが、Wikipedia編集者が編集・議論を行う上で根拠とするべきはWikipediaの方針・ガイドラインであり、議論相手の発言ではありません。議論相手の発言のみを根拠にしてこだわるのは、ただの「揚げ足取り」であり、それは本ノートで行うべき議論のやり方ではありません。
>じゃあ今後「対論も書く」とは主張しない、という事で合意ですね
- 吉丸氏・山田氏の学説に対する対論を記述するかどうかは、私Yu0blueの判断で決める事ではなく、その対論が世に出るかどうかによる話です。
- また、当初から述べておりますように、両氏の学説に対論が存在しないとしても、両氏の学説が「事実確定していない学説」でしかない以上、本項での扱いは変わらないものであるべきだと主張いたします。
>⑧について
>何を言ってるかわからない。
- 私が回答を求めた「『確定していない学説』を、Wikipediaの方針に基づいて本項でどう記述していくべきか」の議題2017年10月19日 (木) 07:27に対するMunch2015氏の回答が以下のものになります。
>学者により提案されている複数の学説を出典付きで列挙する。学者以外の思いつきや出典のない記述はこれに当たらないので削除する2017年10月19日 (木) 10:40
- 議論の中で「Wikipedia:信頼できる情報源」を提示されたのはMunch2015氏ですので、それをご提示された事にどのような意味があるのかご回答ください。
>「出典のない記述は書くな」とはっきり三大方針に書いてあるでしょ
- Munch2015氏から、「そこまでいうなら「○○のケースでは出典を出さずに編集してよい」というルールを見つけ出して明記してください」2017年10月25日 (水) 16:55とのご質問がありましたので、私は中立的な観点とはの「論争の余地のない主張を単なる意見として記さない」を根拠として示した上で、「出典なしで記述する例」を提示いたしました。
- 「根拠を示せ」という質問に対して根拠を示した上で回答いたしましたので、それに対して「「出典のない記述は書くな」とはっきり三大方針に書いてあるでしょ」という反論は、反論として成立していないと認識しております。Munch2015氏には私が示した根拠と、その根拠に基づく記述例について、論理的なご回答をお願いできればと思います。
- 長くなりましたので、この辺りで一旦終わらせていただきます。--Yu0blue(会話) 2017年11月10日 (金) 06:57 (UTC)