ノート:アレクサンドラ (第2代ファイフ公爵)
改名提案
[編集]ノート:バーバラ・パーマーでの議論を踏まえていうと、領主貴族でなく爵位貴族のduchessは「女公」でなく「公爵夫人」と訳すのが慣例であろうと考えます。従って、この人物の場合はアレクサンドラ (ファイフ公爵夫人) の方が適切でしょう。--モンゴルの白い虎 2008年11月6日 (木) 10:48 (UTC)
- 賛成します。ファイフ公位は君主ではないので。--Magyon 2008年11月7日 (金) 06:06 (UTC)
改名しました。--モンゴルの白い虎 2008年11月13日 (木) 12:57 (UTC)
記事名の差し戻しの提案
[編集]「女公と公爵夫人の混同」を理由として記事名がアレクサンドラ (ファイフ女公) に戻されていますが、上記の通り混同はしておらず、慣例あるいは定訳を踏まえております。アレクサンドラ (ファイフ公爵夫人) への差し戻しを提案します。--モンゴルの白い虎(会話) 2012年4月12日 (木) 10:15 (UTC)
- その慣例というのは具体的にはどのような慣例なのでしょうか。出典がございますか。自らの権利に拠る有爵の女性を未婚既婚を問わずに「〜爵夫人」とするという慣例を、少なくともわたしは歴史書に見いだすことができません。また混同はないとおっしゃられますが、アレクサンドラ王女をファイフ公爵夫人としてしまいますと、一般の読者には彼女の夫がファイフ公爵なのかコノート公息アーサー王子なのかが分からず、やはり混乱を来すことは否めないと思えます。記事名は正式名称をというガイドラインに照らし合わせましても「アレクサンドラ (ファイフ公爵夫人)」は正式名称ではなく、しかも正しくない翻訳でもあり、不適切と考えますが、いかがでしょうか。--白拍子花子(会話) 2012年4月12日 (木) 10:57 (UTC)
- たとえ紛らさがあろうと正しい訳語であり正式名称には違いない、むしろ「女公」の方が正式名称といえない、というのがノート:バーバラ・パーマーでの先行議論における指摘から導き出される見解です。あいにく私自身は文献をすぐに提示することができませんが、そちらは反証となる文献を示せますか?--モンゴルの白い虎(会話) 2012年4月13日 (金) 12:48 (UTC)
- 公妾は一般的に「〜爵夫人」とされていますね。マントノン侯爵夫人、フォンタンジュ公爵夫人などは結婚によらない有爵の女性です。ポンパドゥール夫人も「ポンパドゥール侯爵夫人」と書かれることも多いようです。英和辞書をいくつか見たところでは、"duchess"の訳語は公爵夫人、女公爵、女公(載せていない辞書も多い)の順になっているようです。--アルビレオ(会話) 2012年4月14日 (土) 00:07 (UTC)
- ウィキペディア日本語版での公爵夫人の例
- マリア・ホセファ・ピメンテルは自身の権利としてベナベンテ伯公爵夫人だったが、オスナ公爵ペドロ・デ・ヒロンと結婚してオスナ公爵夫人となったという主旨の記述あり。
- マリー・アンヌ・ド・マイイ=ネールは結婚してトゥールネル侯爵夫人となったが、侯爵の死後にルイ15世からシャトールー公爵領を与えられ、シャトールー公爵夫人と呼ばれるようになったという主旨の記述。
- マリア・デ・シルバ・イ・アルバレス・デ・トレドは「この場合の公爵夫人とは、自身の権利としてアルバ公位の継承者であることを意味する」の記述あり。この記述は一度女公爵に改められた[1]が、差し戻されている[2]。
- ヴィルヘルミーネ・フォン・ザーガンはザーガン公爵領を相続し、未婚で「年若いザーガン公爵夫人ヴィルヘルミーネ」と記述されている。
- アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンは母からモンパンシエ公位を受け継ぎ、定義にはモンパンシエ公爵夫人とある。
- アン・スコット (初代バクルー公爵夫人) はバクルー伯爵の爵位を相続したが、国王チャールズ2世の庶子ジェイムズとの結婚でバクルー公爵夫人となり、夫ジェイムズはバクルー公爵およびモンマス公爵に叙された旨の記載あり。
- 女公の例
- マリア・ルイーザ (パルマ女公) この場合はパルマ公国の統治者。類似のものにマリー (ブルゴーニュ女公)、アンヌ (ブルターニュ女公)、イザベル (ロレーヌ女公)、エリーザベト (ルクセンブルク女公)、コンスタンス (アンティオキア女公)、エルジュビェタ・ルクレツィア (チェシン女公)など。
- マルガレーテ・フォン・バーベンベルクには「名目上のオーストリア女公」の記述あり。
- イサベル・フランシスカ・デ・ボルボンは「2度アストゥリアス公(女公)位を授けられた」という記述あり。
- フランソワーズ・ド・ロレーヌには「メルクール女公およびパンティエーヴル女公」の記述あり。
- マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒ (1742-1798)は「夫婦でテシェン(チェシン)公国の公および女公となった」の記述あり。
- コンスタンス・ド・ブルターニュは、ブルターニュ女公とリッチモンド女伯である旨の記述。
- イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャには「王位継承者としてアストゥリアス女公となった」という記述。
- 女公爵の例
- エレナ・デ・ボルボーン・イ・デ・グレシアにはスペイン王女でルーゴ女公爵である旨の記述。
- クリスティナ・デ・ボルボーン・イ・デ・グレシアにはスペイン王女でパルマ・デ・マリョルカ女公爵である旨の記述。
- エリザ・ボナパルトにはフランス帝国の女公爵となり後にトスカーナ大公国の女大公に封じられた旨の記述あり。
- イニャキ・ウルダンガリンには「パルマ・デ・マリョルカ女公爵の配偶者としてパルマ・デ・マリョルカ公爵と呼ばれる」という記述あり。
- ピラール・デ・ボルボン・イ・ボルボン=ドス・シシリアスには、スペイン王女で儀礼称号はバダホス女公爵である旨の記述。
- これらを見る限り、ウィキペディア日本語版においては、女公は公国・公領の君主・領主、女公爵はスペインの王女の称号に多いという傾向はあるものの、慣例が定まっているとまではいえないのではないかと思います。白拍子花子さんのおっしゃる混同を避けるためというのも一理ありますし、一般(ウィキペディア外部)ではどうなっているのか出典を精査するのも必要でしょう。いずれにせよ、統一をはかるならどこかしかるべき場所でさらなる議論して合意を得た方がいいと思いますし、そうでなければ性急な改名はせずに、各記事ごとに提案をして個々に決めていくしかないのではないかと思います。--立花左近(会話) 2012年4月14日 (土) 02:53 (UTC)
- 調査ありがとうございます。ただ、「アストゥリアス女公」は duchess (duquesa) でなく princess (princesa) ですので、本件とはまた話が別です。--モンゴルの白い虎(会話) 2012年4月14日 (土) 03:22 (UTC)
- 大変失礼しました。領主貴族と爵位貴族も混在して順不同であり、ざっくりと調べた結果でしかありませんのでご参考程度です。--立花左近(会話) 2012年4月14日 (土) 03:30 (UTC)
- 調査ありがとうございます。ただ、「アストゥリアス女公」は duchess (duquesa) でなく princess (princesa) ですので、本件とはまた話が別です。--モンゴルの白い虎(会話) 2012年4月14日 (土) 03:22 (UTC)
- これらを見る限り、ウィキペディア日本語版においては、女公は公国・公領の君主・領主、女公爵はスペインの王女の称号に多いという傾向はあるものの、慣例が定まっているとまではいえないのではないかと思います。白拍子花子さんのおっしゃる混同を避けるためというのも一理ありますし、一般(ウィキペディア外部)ではどうなっているのか出典を精査するのも必要でしょう。いずれにせよ、統一をはかるならどこかしかるべき場所でさらなる議論して合意を得た方がいいと思いますし、そうでなければ性急な改名はせずに、各記事ごとに提案をして個々に決めていくしかないのではないかと思います。--立花左近(会話) 2012年4月14日 (土) 02:53 (UTC)
賛成 アレクサンドラ (ファイフ公爵夫人)への差し戻しに賛成します。君主じゃないのに女公は違和感があります。女公や女公爵か、公爵夫人なのかと表記で改名が出るたびに思うのですが、Duchessを日本語訳するには
- 公爵の娘
- 公爵と結婚した女性
- 公爵の爵位を先代から継承した女性、または爵位を授けられた女性
の3パターンがあり、この3つのパターンそれぞれにうまくはまる日本語訳語が確立されていないことが問題なのだと思います。爵位名から「女」をとって、アレクサンドラ (第2代ファイフ公爵)にしたら、訳語にもめることもなさそうです。
アレクサンドラ (フレゼリクスボー女伯)でも差し戻しの提案を行ってきました。アレクサンドラ・マンリーが旧姓だから改名したと、編集内容の要約に書き込まれていますが、フランス語版ではfr:Alexandra Manleyです(参考までに、レティシア・オルティスはスペイン語版でes:Letizia Ortizですし、マクシマ・ソレギエタはオランダ語版でnl:Máxima Zorreguietaです)。称号をカッコにして付けて賛否が分かれるくらいなら、デンマーク語版の記事名に合わせてアレクサンドラ・ア・フレゼリクスボー(da:Alexandra af Frederiksborg)とした方がまだいい気がします。--Magyon(会話) 2012年4月16日 (月) 11:48 (UTC)
- >爵位名から「女」をとって、アレクサンドラ (第2代ファイフ公爵)にしたら、訳語にもめることもなさそうです。
- ファイフ公爵の方では、「アレグザンドラ王女 (第2代ファイフ公爵)」になっていますね。まだ出典が出てこないので何とも言えませんが、関連記事間での表記は統一したいところです。--立花左近(会話) 2012年4月16日 (月) 16:18 (UTC)
賛成 いずれにしても改名提案を経て改名されていた本記事を、今回そうした手順を踏まず改名したのは良くなかったと思いますので差し戻しに賛成させていただくことにします。その上で再改名が必要であれば提案・議論・合意を経て改名すればよろしいかと思います。--立花左近(会話) 2012年4月16日 (月) 16:32 (UTC)
賛成も得られていますので、差し戻しを依頼します。誤って一旦即時削除テンプレートが貼られたため、移動依頼が必要な状態です。記事名が不適切ということであれば、適切な記事名について改めて議論の上で決するべきでしょう。--モンゴルの白い虎(会話) 2012年4月21日 (土) 03:35 (UTC)
改名提案(2度目)
[編集]Wikipedia:記事名の付け方/ヨーロッパ貴族の記事名に基づき、「アレクサンドラ (第2代ファイフ女公爵)」への改名を提案します。提案の主な理由は現記事名に「第2代」が欠落していることです。なお、「第2代ファイフ公爵夫人」とした場合の問題点はWikipedia‐ノート:記事名の付け方/ヨーロッパ貴族の記事名でも議論があった通りで、「『2人目のファイフ公爵』の妻」「2人目の『ファイフ公爵の妻』」「本人の権利でファイフ公爵の爵位を持っている、2人目の人物」の区別ができなくなることであり、改名せず「ファイフ公爵夫人」のままとした場合の問題点は「ファイフ公爵の妻」「本人の権利でファイフ公爵の爵位を持っている女性」の区別ができなくなることです。--ネイ(会話) 2019年6月1日 (土) 02:19 (UTC)
- 上の議論や記事名の付け方に関する議論も見ましたが、アレクサンドラ (第2代ファイフ公爵)への改名とすべきではないかと思います。ヘンリエッタ・チャーチル (第2代マールバラ公)などのようにわざわざ「女公爵」としなくてもよいのではないでしょうか。--さえぼー(会話) 2019年6月1日 (土) 02:39 (UTC)
- 「女」をつけるべきかについては特にこだわりはありませんので、それでもいいと思います。--ネイ(会話) 2019年6月1日 (土) 03:29 (UTC)
- 報告 アレクサンドラ (第2代ファイフ公爵)に移動しました。--ネイ(会話) 2019年6月8日 (土) 10:12 (UTC)