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ノート:クソゲー/改定案

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クソゲー糞ゲーとは、「クソゲーム」の短縮形で、ユーザーやゲーム評論筋がコンピューターゲームを酷評する際に用いる言葉である。また、その評価が与えられた個々のゲーム作品に対しても用いる。ただし酷評とはいっても、必ずしも全否定されていない良作・怪作も散見される。

概要

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クソゲーは、コンピュータゲームの所定作品(主にゲームソフト)に否定的な感情を抱いた者が、そのゲーム作品を評する際に用いる表現、あるいはそのように評されるゲーム作品の分類である。一般にゲーム作品に対する否定的な感情を表してはいるものの、ゲーム作品としての破綻振りがネタ(興味を引く事物)としての地位を確立するなどした場合には、後述するようにこれを熱狂的に愛好するマニアも存在するなど、コンピュータゲームに関連したサブカルチャー分野における一つの現象である。

後述するように、クソゲーと評される要素には様々なものが見出されるが、特にコンピュータゲームのレビューを行う雑誌の発達以降には、ゲームマニアやゲーマーなど熱心なゲーム愛好筋を離れ、一般的に使われる表現として社会的にも認識される。ただ、個人の価値観に立つ評価に基づくことも多く、この場合において所定のゲーム作品をクソゲーと評する側と好意的に捉える側の意見が対立することもあり、各々の作品でクソゲーと普遍的かつ明確に評されるケースは限られる。

このため、本稿では特別なケースを除き所定のゲーム作品を挙げて説明しない。一般にクソゲーと評される各々の作品に関しては、ゲームレビュー雑誌や、ゲーム評価サイトなどを参照してほしい。

具体例と理由

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クソゲーと呼ばれるゲーム作品は、一般に下記の幾つかの定義のいずれかに属するとみなされる。これらの定義は明確には区別されずに使われており、個人の主観によってどれに重点を置くかなどが変わってくる。当然、複数の定義に当てはまるものや、すべての定義に当てはまるものも見受けられる。

ゲームシステム及び設定上の理由

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  1. つまらなくて、すぐ飽きてしまうゲーム(経済的損失)
    販売本数の少ないゲームに多く、早々と忘れ去られるものも多いことから、クソゲーとして有名な作品となると、後に挙げる物に属するものが多い。
  2. 難しすぎて、やる気がなくなってしまうゲーム(高難易度)
    一見易しいという印象を与えるが実は難易度が高い、またはマニア受けを狙った高難易度ゲームを遊んだ一般のプレーヤーがこのように評価するケースも見られる。他方、逆に一般受けを狙ったために難易度を低く設定し過ぎ、1に該当してしまうケースもある。他機種からの移植作品では、機種毎に違うプレイヤーの好みの傾向から外れていたり、ハードの性能差から生じる差異による印象の違いにより、同じ内容でも逆の評価を受けてしまう場合がある。
  3. ゲームシナリオや設定が悪く、一貫性に欠ける(不条理)
    ゲームを楽しみ尽くすより以前の段階で、プレイヤーがゲームにネガティブな強い感情(多くの場合、怒りの感情)を抱いてしまう事に繋がりやすい。例として、内容が独善的でプレイヤーの価値観を無視した構成になっているものや、設定された謎に関する説明が無く、ゲーム進行が困難な物などがある。不条理感覚そのものを売りにしているゲームならまだしも、そうでないゲームにとっては致命的な問題となるケースが多い。原作つきのものでは、元となった作品の世界観やストーリーからあまりにも逸脱している事で原作のファンから嫌われる場合がある。
  4. ジャンルの行き違い、異ジャンルの要素が過度に入っているなど(趣向不一致)
    ゲームにはアクション、アドベンチャー等多種のジャンルがあるが、このジャンルの線引きはプレイヤーやゲーム制作側の全てにおいて一様ではない基準がある為、プレイヤーが本人の意図しない内容のゲームを買ってしまった結果、こういう評価を受ける事もある。また、ゲームを楽しくする為に、ミニゲームやその他の要素が含まれるゲームが多数存在するが、このゲームや要素が元の親となるゲームと余りにもジャンルが異なっていると、プレイヤーに受け入れられない事がありうる。特に、謎解き、推理物のアドベンチャーゲームなど、所謂一般にアクション要素が不要とされているゲームに、親となるゲームの進行に必須なアクション要素が入ったミニゲームが含まれていたり、時間制限付きやアクション要素を必要とするイベントが含まれていたりすると、そういったものを苦手とするプレイヤーに受け入れられず、クソゲーとしてみなされたり、ゲームを取りやめてしまうケースがありうる。

なお2番目と3番目の定義に属する理由は様々であるが、ゲームシステムが特異でユーザに受け入れられなかったものなどが挙げられる。一部にはあまりにも画期的・斬新なシステムを搭載したため、ユーザが追随できなかったものも多数存在する。これらは「世に出るのが早すぎたゲーム」といえるものであり、数年後にそのシステムが標準的なものになるにつれて、正しく評価され直すこともある。セガ社のドリームキャストは早々と生産停止になったが、ソフトの殆どがこのような「世に出るのが早すぎたゲーム」と評されるものであったからだと言われている。

プログラム的な理由

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プログラム的に不備が多く、動作に問題のあるゲーム(設計・制作上の不具合や、チェック不足)
プログラム設計上の問題から、暴走や動作不良・またはバグなど一般に認識される、製品としての品質面での致命的な欠陥を含み、制作メーカー自体の信用にも関わる。このような製品を乱発する企業体質を抱えたメーカーも存在するが、アタリショックの再来を招きかねないとして同業者からも問題視される場合がある。特に漫画やテレビアニメを題材にしたキャラクターゲーム芸能人タレントを起用したタレントゲームについては、時期を逸すると商品価値が事実上無くなる為、販売元に厳しい納期を課せられた下請け業者が品質検査をなおざりにしたまま納品し、販売元も十分な検査を行わずに発売された例がある。またプログラム的には目立った不具合が無くとも、以下に挙げるような幾つかの物も、クソゲーとされ易い指標に挙げられる。
当たり判定がおかしい
シューティングゲームアクションゲームなどで当たり判定そのもののプログラムミスにより「弱点が画面上の表示に無関係な場所に付いているボスキャラクター」や「スクロールする地形の、何も無い所(空気)に衝突して自機が爆発する」ともなると致命的といわざるを得ない。但し、スプライトが使えないか制限がきついパソコンゲームの中にはおかしな衝突判定があっても名作とされているものがあるため、これもゲームデザイン次第といえる。
グラフィックが甘い
画面上の絵(グラフィック)のデッサンが極端に悪かったり、3DCGゲームなのにモデリング(立体物表現)がいい加減だったりする物など。
グラフィック全般が見辛い
特に、グラフィック技術が著しく向上した、近年のアクションゲームやシューティングゲームにおいて該当しやすいものである。例えばゲーム自体に無関係な背景やエフェクトと、ゲームに関係のあるオブジェクトや主人公が触れるとミスになる敵弾などが紛らわしいもの。背景の色とオブジェクトの色合いがよく似ていてそもそも見る事自体に困難を極めるもの。アンチエイリアスアルファブレンディングの使い過ぎで、当たり判定の判別がしにくい物がこれに当たる。
ユーザーインターフェイスの設計が悪く、誤操作を招き易い
コントローラーの設計や、ボタン設定、画面表示の悪さなどから、ミスを誘発するようなゲーム。
ロード時間が長い
ディスクドライブ(磁気光学を問わず)やカセットテープを媒体に用いるゲームで、頻繁にデータロードのための中断が入る。
表示性・操作性が悪い
全体の描画、あるいはプレイヤーの操作対象となるキャラクタの動作が異常に遅い、また操作性が悪い。
安っぽい
同時代の同ジャンルのゲームに比べて、安っぽい印象を受ける場合。ここ最近ではグラフィックや3Dのモデリングなどが悪い場合のことを言うことが多い。
過剰な能力差がある
対戦型格闘ゲームの類いで、利用可能なキャラクターの中に「(誰が操作しても)極端に強いキャラクターがいる」といったゲームバランス上の問題を放置したまま製品化してしまった場合にも、クソゲー扱いされる傾向も見られる。
また、RPG戦術シミュレーションゲームにおいて味方の能力と敵の能力に極端に差がありゲーム進行が非常に困難、もしくは極端に易しすぎる場合も同様の評価を受けることがある。

中にはゲーム・コンセプトのみを表現するために敢えてグラフィックを用いず、絵文字によるテキストのみでゲームの流れやストーリーを表わしたものもあり、メーカーやプログラマー自らクソゲー・シリーズと呼んだものもあった。ただこれは遊ぶ側(ユーザー)をゲームが選ぶと言う点で、2や3に近いかもしれない。

その他の理由

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ゲーム内容全体で考えるとクソゲーでないにも関わらず、クソゲー扱いされているゲームも存在する。例えばメーカーやシリーズの評判が良かったが、急に路線変更などを行い1や3に該当してしまい、旧来のファンから総スカンを食らうケースである。

例えば人気シリーズ作品で、全く前作とは違うゲームシステムを導入して、世界観だけを踏襲しているゲームや、あるいはゲームシステムは前シリーズの改良型であるものの世界観を置き換え「シリアス路線からギャグ路線への変更」ないしその逆のパターンで方向修正を行ったものなどが挙げられ、こういったシリーズ作品の大きな軌道修正は、前作の延長にある作品を期待する前作愛好者を混乱させ、不評を被るのである。しかし一方で、新しいファンを多く取り込んで、全く逆の評価になるケースも多い。

なおゲーム内で利用されている素材・表現面での問題点を指してクソゲー扱いされる場合もある。

声優の配役や演技技術など
最近ではボイス入りゲームが当たり前となってきており、キャラクターゲームでは旧来からの声優陣を完璧に無視した配役や、タレントによる吹き替えなどにより著しくゲームの世界観が崩れている場合や世界観を楽しもうにも担当声優の未熟な演技が原因でプレイヤーの気分を害してしまうという状況も生んでいる。それを逆手にとって、声優の演技を下手っぽくすることによってバカゲー風味を敢えて醸し出す作品もある。
安易なキャラクターゲーム
テレビアニメ作品や漫画作品などを基調とする作品で、元作品の世界観などからかけ離れたものなど。元作品の内容とは一切関係なくパズルゲームアクションゲームのキャラクターを差し替えただけというものに批判が集まり易く、ゲームをタイトルだけで買ってしまった元作品のファンをひどく失望させるなどの傾向が見られる。ただ、全く異なる世界観をゲーム内で独自に作り上げてしまったり、あるいは余りな内容過ぎて有名になった怪作がある一方、ゲーム作品としての高い完成度をもつ良作も見られ、一概にキャラクターゲームの全てがクソゲー扱いされる訳ではない(→キャラクターゲーム)。

語源

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「クソゲー」という名称の起源については諸説ある。イラストレーターみうらじゅんが『いっき』(サンソフト・1985年11月発売)を評した際に使用したというのが通説とされるが、『いっき』自体はミリオンセールスを記録している。その一方で、それ以前にパソコン通信上で用いられていたとの異説もあり、ゲームソフトが一般に出回るようになって自然発生した可能性もある。ゲーム雑誌では『ファミコン通信』1986年12月号にて「くそゲー」などの表現が登場している。

なおみうらじゅんが『いっき』をこのように評した背景には、『ドラゴンクエスト』(1986年5月発売)の抱き合わせで買う気も無かった同ゲームソフトを買わされたことも手伝ってのことだと言う話もある。その一方で同氏が「馬鹿馬鹿しいもの」や「変なもの」に対する造詣が深いことが知られているが、同ゲームソフトも同氏の「変なモノ愛好家」としての琴線に触れたらしく、購入直後数時間に渡り主目的だったドラゴンクエストそっちのけで遊び倒したなどの逸話も伝わっている。また1997年1月21日の『FLASH』上での「爆笑!あの『クソゲー』列伝」と題された直井裕太(ライター)・すぎやまこういちの三者対談では『暴れん坊天狗』や『舛添要一・朝までファミコン』など無茶な設定とシュールな内容でバカゲーの範疇にはいる作品も挙げており、「買わされて腹が立った」というよりも、余りな内容で「ゲームで遊ぶ」という本来の価値以外に価値がある作品に対する(好意的な?)評価である可能性も見て取れる。

コンピュータゲーム黎明期から「クソッタレなゲーム」と評されたゲームは少なからず存在し、またゲームソフトはかつて、決して安くは無いモノであったことも、関係しているかもしれない。事実、この「クソッタレなゲーム」の氾濫が米国ではアタリショックの一因となったとされている。パッケージは豪華だが内容はさっぱり…などというモノや、あまりにメーカーが意欲的過ぎて写真で見る限りは興味をそそられるのに、肝心のゲーム自体の操作性の悪さ(ロード時間が長過ぎる)があるものといった具合である。

これらはユーザー主体のメディアがかつては無かったために表面に出ることは無かったものの、それなりに特定のゲーム作品に悪評を述べるユーザーも見られた。

他の呼称

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任天堂前社長の山内溥は「ダメゲーム」と表現したが、これは任天堂の厳しいコンテンツ管理の観点から出てきた言葉といえ、ユーザーの間に広まっているクソゲー認識とは必ずしも対象が一致せず、またあまり普及もしていない。

またその一方で、消費者側からは「買った事を後悔する」ゲームとして地雷(誰が踏んでも同じように爆発して怪我をする)に准え、「地雷ゲー(単に地雷とも)」なる呼称も見られる。これは「ダメゲーム」と同様に、誰にとっても商品価値が低い作品に対する評価と言えよう。ほとんどの場合、「一見すると安全なように見える」ことから、発売前の前評判のよかったゲームで、内容が予想されていた出来より下回った場合に用いられる。

対義語

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俗称としては「良ゲー」や「神ゲー」などの言葉が用いられている。ただこれらは「クソゲー」ほどには一般化されておらず、「クソゲー」以上に属するコミュニティ(ネットコミュニティや個人間の交友関係)によって程度や意味的な揺らぎを含む。

これは、クソゲーには「システム的な欠陥がある」「物理的に不可能な程難易度が高すぎる」等の万人共通の評価基準があるが、良ゲー・神ゲーはあくまで「ストーリーが面白い」「戦闘シーンが爽快」等の好みに寄る部分が大きいため、ある人にとっては神ゲーでも他の人にとっては神ゲーでない場合が殆どだからである。

また明確なジャンル付けにもなっていない部分を含む事から、「クソゲー・カテゴリー」に属すると見なされる所定の作品群は存在しても、「良ゲー・カテゴリー」や「神ゲー・カテゴリー」に属するとして評価される作品群が存在せず、個々の良質な作品(またはベストセラー)としては評価されるも、これを一つのカテゴリーとして扱うケースは限られる。

どちらかというと「良いゲーム」や「神の手によって作られたかのような素晴らしいゲーム」という形容詞の省略形である域を出ず、ゲームのカテゴリーとするにはやや弱い感も否めないが、「クソゲー」が「叩き付けるような強い負の感情」に基いているのに比べ、「良ゲー」や「神ゲー」は満足感という「激しい所の無い感情」に基いているだけに、インパクトに欠ける部分も関係しているのかも知れない。

クソゲー定義と派生概念

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狭義には、クソゲーは正統派の作品を作ろうとして失敗した結果の産物であり、クソゲーとして有名な作品は、そもそも発売当時は高評価でヒットした作品であることも多く、多数のファンがそのゲームをクソゲーとみなすことに反対する状況がしばし見られる。

バカゲー

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バカゲーは、ゲームの評価が真っ二つに割れるような状況から生じた言葉である。また、自ら「ゲームジャンル:クソゲー」を名乗ったソフトも存在する(グルーヴ地獄Vを参照)。

アンチ

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特定のゲームシリーズ、メーカーにおいてアンチ的な感情を持つ者が、評価せずにクソゲーと決めつけるケースもある。そのような感情論的なクソゲーとは区別する必要がある。しかしアンチと呼ばれる人の全てが、評価をせずにクソゲー扱いをしている訳ではなく、高評価の作品であっても、明確な否定意見を連ねて批判しているケースも多々見受けられる上に、ファン信者の様に度合いの差を表す言葉がない点にも注意が必要である。

他にも、先に挙げた通り企業体質として品質に難がある製品を平気で販売するメーカーに対する「累計評価」である場合も見られ、このあたりの見極めは、実際に遊んでみるまで良し悪しの判断がつかないコンピュータゲームの常として、中々難しい問題をはらむ。

マニア層

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ゲーマーの中にはこれらクソゲーと称されるゲームを愛し、クソゲーと呼ばれることこそゲームに対する最大の賛辞と考える者(通称クソゲーマー)も存在する。また「クソゲーをけなすことを楽しむ」とするゲームライターや評論家(→ゲーム雑誌)、あるいはそういう傾向の消費者も存在する。

これらはコアなマニアの一種で、この中にはメーカーにしてみれば不名誉極まりない評価かも知れないが、中にはクソゲーとして熱狂的な愛好者を獲得した怪作まで見出される。「帝王」とまで評された『デスクリムゾン』シリーズの場合では、その余りの内容から発売当時にゲーム雑誌から「本気で売るつもりなのか」とまでコメントされた伝説も残るほか、インターネットコミュニティでも語り草となり、中古市場ではマニアによるゲームソフトパッケージの買占めによる中古市場価格が小売希望価格を上回ったり、この「クソゲーテイスト」を維持したままで続編が望まれたりといった、非常識な盛り上がりも見られる。

備考

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80年代、日本経済急成長とともに、コンピュータゲーム業界は矢継ぎ早に大量の新製品を次から次へと絶え間なく市場に出回せた。一つの作品は極めて短期間で市場価値が失われる場合が多い。このため販売力が無い小さなソフトハウスの製品だけではなく、大手メーカーの製品でも特徴に欠けるために最初から注目されない製品や、忘れ去られるのが早い製品も見受けられる。

だが、それらの製品もゲームクリエイターやプログラマー・デザイナー・ミュージシャン・(ゲームの種類によってはシナリオライター・声優も含めて)らによる合作である。彼らの多くは良い製品・売れる製品を作り出そうと努力している。とはいえ、人の記憶から忘れ去られてしまえばそれまでであり、中古ゲーム販売店のワゴンに投売り状態で積み上げられて殆ど顧みられなくなって泡沫のように消え去ってしまう。いわゆるクソゲーは、このバブル華やかなる頃に生み出された負の遺産であるともいえる。

しかし、近年のファミコン世代以降(すでにプレステ世代ともとれる)年代の若者にとってコンピュータゲームは、同世代層における話題の共通基盤ともなっており、クソゲーはネタの対象として貴重な存在であることは否めない。

再評価

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2000年代に入っての近年では、エミュレータや復刻版で過去のゲームをプレイしたプレイヤーによる、制作当時の技術・ハード面の限界や社会状況を無視した無茶な批判も見られ、リアルタイムで経験したプレイヤーの抱く美化された記憶とのギャップも生じている。

逆に『機動戦士Ζガンダム・ホットスクランブル』などのように、リリース当時にはゲームの主要な消費者であった中高生や当時のゲーム水準に照らし合わせていた雑誌ライターにより酷評されていたゲームが、新規に遊んだり当時まだ評価する立場に無かった者により再評価されたケースもある。『ヘルツォーク・ツヴァイ』は当時該当するジャンルすら存在しなかったため難解ゲームとして忘れ去られたが、2000年代に入ってこれを賛美するウェブサイトも散見される。

関連項目

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  • 裏技 - 肝心のゲーム内容をそっちのけにして、これを仕込む事に制作サイドが熱中し、ゲーム自体が台無しになったケースも散見される。また裏技によりゲームバランスが著しく崩れ、クソゲー扱いされたものもある。
  • 隠しコマンド
  • 隠れキャラ
  • チート - ゲーム発売時には難易度が高過ぎ評価されなかった作品が、後に公表されたチートなどで遊びやすくなり、結果的に再評価される事もある。
  • 大学入試センター試験 - 「常軌を逸したクソゲー」を例にした英文が出題された。「試験に関する批判」の項を参照。
  • アタリショック - 1983年にアメリカのテレビゲーム機「Atari 2600」を巡って起きたゲーム市場の空前の縮退現象。その一因としてまさに日本ではクソゲーといわれる様な低品質ゲームソフトの粗製濫造があったと言われている。
  • KUSO文化 - クソゲーに纏わるインターネット文化が台湾に伝わって成立したパロディ文化。

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