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ノート:クビライ・カン

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削除提案

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当セクションでの2024年9月の削除提案は、下掲《#Template:もしかしてへの切り替え提案:削除提案の修正》へ変更されました。--Yumoriy会話

クビライは「カン」ではなく「カアン」なので、誤字脱字であるこのリダイレクト記事は削除したいと思います。--トムル会話2024年9月18日 (水) 04:06 (UTC)[返信]

コメント ご提案、ありがとうございます。私は《ノート:モンゴル帝国#ハーンとカン・カアンに付いて》以降、また《ノート:チンギス・カン#改名提案》での議論を拝読して「カン、カアン、ハン、ハーン、大ハーン」といった表記をめぐる難しさに驚いた程度の知識しかなく、お書きになっているとおり『「カン」ではなく「カアン」』である、日本語表記として“クビライ・カン”は誤りであり“クビライ・カアン”が正しい、と断言できるかどうかを判断できません。
ただ、もし仮にトムルさんのご主張が正しいとすれば、当ページは削除するよりも〈Template:もしかして〉を用いて“カン”表記の誤りについて示し、記事「クビライ」へ誘導するページとしたほうがウィキペディア利用者にとって便益が大きい気がいたします。いかがでしょうか。--Yumoriy会話2024年9月18日 (水) 14:07 (UTC)[返信]
「カン」(王)か「カアン」(皇帝)かは悩むまでもなく明確な違いであり誤記ですが(例えるならば「県知事」と「総理大臣」の違い)、例えば「岸田都知事」を「岸田文雄」へ誘導するということですよね? --トムル会話2024年9月20日 (金) 16:28 (UTC)[返信]
例えを作るのは苦手なのですが、この場合あえて無理に例えるなら「岸田総務大臣」を「岸田文雄(総理大臣)」へ{{もしかして}}を用いて誘導する、といったケースになりそう?です。(岸田総理大臣は今までのところ総務大臣を務めたことはないかと思います。)
ところで、少し古めの日本語の論文や教科書や事典、また詩や小説にも「クビライ・カン」の表記用例は存在していないのでしょうか? 素人としては、ありそうに感じてしまいます。たとえば人名「フッセル」は「エトムント・フッサール」に転送されますが、現代人の耳にはドイツ語Husserlの音はカタカナで「フッセル」には聞こえないと思いますし、実際、現代の日本語文献でフッセル表記は絶無です。しかしリダイレクト「フッセル」は誤記として削除はされません。古い用例があるからです。“クビライ・カン”にもそうした用例がありそうに感じます。(なお、用例があったとしても、たとえばリダイレクト「フビライ・ハン」も誤記〈フビライ・ハーン or フビライ・ハアンが正しい?〉を理由として同様に削除するのであれば、当リダイレクトクビライ・カン」の削除も理屈は通りそうです。あるいはリダイレクトページシュミレーション」も同様に削除するとか。“シュミレーション”はまさに「悩むまでもなく明確な違いであり誤記」ですね。) --Yumoriy会話) 2024年9月24日 (火) 23:19 (UTC) / 補訂--Yumoriy会話) 2024年9月25日 (水) 05:26 (UTC) / 補訂--Yumoriy会話2024年10月1日 (火) 16:15 (UTC)[返信]
すいません、Wikipediaのルールとして誤記をページとして残すというルールがあることを存じておりませんでした。良ければそのルールが記載のページのリンクをいただければ幸いです。
たとえば「ドラえもん」があり、「とらえもん」をリダイレクトで存在させるということですよね?でもそれは個人的におかしい気がします。そのようなルールがあるならばルールの改変を訴えたいです。「岸田店長」を「岸田文雄」へ誘導することに何の意味があるのでしょうか?
今回の件は明らかな誤記で一般的ではない「クビライ・カン」を削除するというものです。「フビライ・ハン」であれば映画名やゲームのキャラ名としては存在しますので必要です。表現の違いだと「フビライ・ハーン」、「クビライ・カアン」はわかります。--トムル会話2024年9月27日 (金) 15:12 (UTC)[返信]
あるいは以前だとどこからもリンクされていない場合は削除対象だったような気がしますが、そのようなルールはなくなったのでしょうか? --トムル会話2024年9月27日 (金) 16:29 (UTC)[返信]
>〈Template:もしかして〉を用いて“カン”表記の誤りについて示し、
これはよさそうですね--トムル会話2024年9月29日 (日) 13:05 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 返信 ありがとうございます。〈Template:もしかして〉の利用について「これはよさそうですね」と思っていただけた ということは、「仮に“クビライ・カン”が誤記だったとしても、それは必ずしもリダイレクト削除の理由にはならない」とご納得いただけた、と考えてよいでしょうか? (たとえば「どらえもん」というリダイレクトページは「悩むまでもなく明確な違いであり誤記」ですが削除されていません。これは〈リダイレクト削除の方針〉が示す「#削除してはいけないもの」の2番リダイレクトが不慮のウィキリンクの補助となっていて、重複記事が作成される可能性を減らしている場合。や3番リダイレクトがある用語に対する検索を補助している場合。に該当するからだろうと私は思います。)

Wikipediaのルール」をお考えとのことですのでページ削除にかんする方針文書を確認してみました。〈Wikipedia:リダイレクト削除の方針#削除が可能なもの〉の現行版は 2024-07-05 10:27:23 (UTC)の版、〈Wikipedia:削除の方針#削除対象になるもの〉の現行版は 2024-08-03 05:34:44 (UTC)の版、〈Wikipedia:即時削除の方針#対象となるケース〉の現行版は 2024-09-18 10:54:09 (UTC)の版、でした。以上3つの方針を読んでみたのですが、2024年9月現在の最新版では、トムルさんご主張の (1)「誤記のリダイレクト」は削除しなければならない、(2)「被リンクのない孤立したリダイレクト」は削除しなければならない、とする指針は存在していない ように私には見えました。トムルさんはページ削除にかんする3つの方針をご覧になってみて、いかがでしょうか? --Yumoriy会話) 2024年9月29日 (日) 15:05 (UTC) / --補訂Yumoriy会話2024年11月13日 (水) 02:45 (UTC)[返信]

シュミレーション」、「どらえもん」があるならば納得いたしました。〈Template:もしかして〉の利用で対応したいと思います。
Wikipediaのルールのリンクも誠にありがとうございます。今後活用させていただきます。
余談ですが、Wikipediaのルールが複雑かつ、分かりにくいかつ、探しにくいことに関しては何とかしていただきたいものです(誰に言えばいいのかわかりませんが)。--トムル会話2024年9月29日 (日) 15:29 (UTC)[返信]
返信 私の最初のコメント、またリダイレクトページの削除にかんするウィキペディアの方針中にはトムルさんの前提していたルールが存在していないこと が上手く伝わったならよかったです。ありがとうございます。
なお、最初のコメントで述べたとおり、私自身は「カン/カーン/カアン/ハン/ハーン/ハアン」といった称号の日本語表記の使い分け、またその日本語文献における使用の歴史について、門外漢であり知識がありません。ですので、当リダイレクトの「クビライ・カン」という表記が「悩むまでもなく明確な違いであり誤記」なのか、それともたとえば高校教科書や古めの専門文献にも用例が存在する「表記揺れ」の範囲内に収まる表記なのか、私には判断ができません。ですので当ページに〈Template:もしかして〉の使用が適切かどうか? の判断も、できません(また、判断していません)。もしもトムルさんが当ページのリダイレクトを解除して〈Template:もしかして〉を用いて誤記だと明示したい場合には、“「クビライ・カン」表記は誤記である”と述べているwikipedia:信頼できる情報源に示された条件を満たす典拠を用意した上で、記事「クビライ」のノートページなどなるべく多くの利用者の閲覧するページで意見を募り、丁寧な合意形成をおこなうのが、編集合戦や無益なトラブルを防ぐ上で望ましい、と考えます。--Yumoriy会話2024年10月1日 (火) 16:15 (UTC)[返信]
ちなみにクビライが「カン」ではないことの出典はこちらになります。
  1. ^ 杉山正明『モンゴル帝国の興亡』1996 下 あとがき p.249
  2. ^ 『大モンゴルの時代』1997 世界の歴史9 中央公論新社 p108
  3. ^ 帝国書院『新詳世界史B』2017年版 p.114
  4. ^ 白石典之 著 · 2005「チンギス=ハーン廟の源流」
  5. ^ クビライの挑戦』1995 講談社学術文庫版 p.74-75
  6. ^ 村上正二(訳注) 『モンゴル秘史1 チンギス・カン物語』 (『東洋文庫』全3巻)、平凡社、1970年、p7
  7. ^ C.M.ドーソン(佐口透訳注) 『モンゴル帝国史2』 (『東洋文庫』全6巻)、平凡社、1968年、p67
  8. ^ 白石典之『モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る』(2017年、講談社選書メチエ)
  9. ^ 杉山正明『興亡の世界史 モンゴル帝国と長いその後』(2016年、講談社)p142,248,276
  10. ^ 白石典之『元朝秘史 チンギス・カンの一級史料』(2024年、中央公論新社)p11-12,256-258
  11. ^ 杉山正明『大モンゴルの世界 陸と海巨大帝国』(2021年、KADOKAWA)p240,246,248-249
  12. ^ 杉山正明『モンゴル帝国の興亡<下>世界経営の時代』(1996年、講談社)p62-63
  13. ^ 全国歴史教育研究協議会『世界史用語集』(2023年、山川出版社)p118
  14. ^ 全国歴史教育研究協議会『世界史用語集』(2022年、山川出版社)p122
  15. ^ 『岩波講座世界歴史10 モンゴル帝国と海域世界12~14世紀』(2023年、岩波書店)p94-97
--トムル会話2024年10月2日 (水) 11:06 (UTC)[返信]
文献情報ありがとうございます!
ただ、並んでいる文献名を拝見して思ったのですが、提供くださった文献一覧は「クビライが「カン」ではないことの出典」ではなく、「クビライ・カン表記が見られる文献」である可能性はないでしょうか? 必要となるのは「“「クビライ・カン」表記は誤記である”と述べているwikipedia:信頼できる情報源に示された条件を満たす典拠(端的には、「クビライ・カン」表記は現代の研究水準では誤りであり、そのように表記すべきでない、とモンゴル研究の専門家〈や学会〉が主張しているWikipedia:信頼できる情報源の条件を満たす文献)ですので、「クビライ・カン」と表記しているしていない文献をいくら提示しても、そうした表記をしている過去の「クビライ・カン」表記をしている文献の表記が誤りであること、「クビライ・カン」が誤記であると(Wikipedia:独自研究は載せないに該当しないかたちで)ウィキペディア日本語版上で記述できること、の典拠にはならない のではないでしょうか。(ただし、信頼できる情報源に該当する文献には「クビライ・カン」表記は存在しない、というのであれば話は別だと思います。) --Yumoriy会話) 2024年10月4日 (金) 14:29 (UTC) / 補訂--Yumoriy会話) 2024年10月4日 (金) 14:42 (UTC) / トムルさんの投稿を誤読していた部分を大きく訂正いたしました。--Yumoriy会話2024年10月7日 (月) 09:17 (UTC)[返信]
ごめんなさい。上記10月4日付の私の投稿なのですが、トムルさんの「ちなみにクビライが「カン」ではないことの出典はこちらになります。」投稿を大きく誤読していました。除去すべき部分を打ち消し線で訂正いたします。カタカナ音写時の表記の問題というよりは、「クビライの君主号が(「カン」ではなく)「カーン/カアン」であることを示す出典」を示して下さったのですね。読み間違い、本当に申し訳ありません。(また、下掲の提案修正について小見出しを追加させていただきました。) --Yumoriy会話2024年10月7日 (月) 09:17 (UTC)[返信]
「岸田文雄がセブンイレブン店長ではない」「岸田文雄が楽天の社長ではない」「岸田文雄が宮城県知事ではない」といちいち証明する文献がこの世に存在しないのと同じだと思います。存在するのは「岸田文雄は第100-101代内閣総理大臣」「岸田文雄は第143-144・150代外務大臣」という文献だと思います。--トムル会話2024年10月7日 (月) 14:36 (UTC)[返信]
返信 2018年11月以降〈Template:もしかして〉が使用されている「シュミレーション差分/70732667については、「“シュミレーション”表記は誤記である(“シミュレーション”が正しい)」と述べている文献の存在を示すことができるようです(記事「シミュレーション」の導入部注釈(1)参照)。(そのほかにWEB上だけでもたとえば; NHK (1998, 2017)、小学館 (2018, 2023)、4Gamer.net (2023)、国立国語研究所 (2018))。--Yumoriy会話2024年10月11日 (金) 09:28 (UTC)[返信]

Template:もしかしてへの切り替え提案:削除提案の修正

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当セクションでの2024年10月の提案は、取り下げられました。--Yumoriy会話

一週間経過しても新たな意見がなければ議論の結果に従い、このページを削除ではなく、〈Template:もしかして〉にしたいと思います。--トムル会話2024年10月4日 (金) 14:13 (UTC)[返信]

報告 当ページ「クビライ・カン」のリダイレクトを解除し、誤表記を示す{{もしかして}}ページへ変更するご提案について、誘導先となる記事「クビライ」のノートページに《#リダイレクト「クビライ・カン」を〈Template:もしかして〉ページに変更する提案》を投稿して告知し、同時に記事ページ冒頭部に{{告知}}を設置して議論を案内しました差分/102132537。以上を10月8日付で実施しましたのでご報告いたします。--Yumoriy会話2024年10月8日 (火) 08:27 (UTC)[返信]
ありがとうございます。--トムル会話2024年10月8日 (火) 12:32 (UTC)[返信]
条件付反対 ここまでの議論では2024年時点の日本語文献において表記「クビライ・カン」の用例は劣勢である(優勢でない)との資料が示されただけ と考えます。ですので現時点では、主ページのリダイレクトを解除して{{もしかして}}ページへ切り替える(=Category:誤表記へ分類する)トムルさんのご提案に、反対いたします。
ただし、「“クビライ・カン”表記は誤記である」と述べているWikipedia:信頼できる情報源に示された条件を満たす典拠、すなわち 「“クビライ・カン”表記は現代の研究水準では誤りであり、そのように表記すべきでない」とモンゴル研究の専門家が主張している信頼できる情報源 が示されるのであれば、〈Template:もしかして〉の使用に積極的に賛成したいと思います。
なお、念のため申し添えれば 私自身は《クビライが称したのは「カン」とは異なる「カアン/カーン」なのだから日本語で「カン」と音写するのは好ましくない》だろうと思っています。しかし、“編集者自身がどう考えているか”を記しても、そしてそれがいかに正しくとも、ウィキペディア上では方針Wikipedia:独自研究は載せない〉に抵触して除去されるだろうと思います(これは、誤った主張を「自分は専門家だから正しいのだ」と自称して記述しようとする編集者への対応を想定すれば合理的、あるいは少なくとも悪くはないルール設定と考えられます)。ですのでトムルさんがモンゴル史におけるカン位とカアン位の差違についてウィキペディアを使って啓蒙活動をおこないたいのであれば、たとえば記事「クビライ」にあるカンとカアンの違いの説明を初読者によりわかりやすく明確な記述とし、当リダイレクト「クビライ・カン」から転送された閲覧者が、「ああ、学術的にはクビライ・カン表記は好ましくないのだな、使わないほうがよさそうだ」と感じ取れるように改善するのが(現時点での)次善の策なのではないか、と感じます。(というか率直に申し上げると素人ながら私は、「クビライ・カン表記は誤解を呼ぶので良くないですよ」と注意喚起する信頼できる情報源はどこかに存在しそうな予感がしています。《ノート:モンゴル帝国》などを眺めているかぎりでも。) --Yumoriy会話2024年10月10日 (木) 12:51 (UTC)[返信]
私も現時点では 反対 です。ある地位についていないことは、その地位を名前につけて呼ぶことが間違いであることを意味しません。例えば天皇ではないのに天皇と呼ばれる人物がいます。単にカンではなくカーンであるという出典をいくら集めても、クビライ・カンという表記自体が誤りだということにはなりません。一応こういうのはありますがこれは長音の有無よりもカ行とハ行の違いの方に重点が置かれています。それはそうとトムルさんにはハンとハーンが総理大臣と店長くらい似ても似つかない文字列に見えているのでしょうか?ハンとハーンが混同されるのは苗字と思っているからではなく字面が似ているからだと思いますよ。--フューチャー会話2024年10月12日 (土) 20:42 (UTC)[返信]
返信 (フューチャーさん宛) 参考リンク、ありがとうございます。
ご紹介くださった上記ウェブサイト「世界史の窓」の記述など拝見しても、日本語での「クビライ・カン」表記を好ましくないとして「カアン」「カーン」表記を妥当とする信頼できる情報源はやはりどこかに存在する、あるいはこれから5年・10年もたてば出てくるのではないか、と感じました。(また「ハンとハーン〔またカンとカーン〕が混同されるのは 苗字と思っているからではなく 字面が似ているからだ」との観察も同意します。) --Yumoriy会話2024年10月14日 (月) 13:43 (UTC)[返信]
逆に「クビライ・カン」表記の情報源をください。ネットの情報ではなく、論文か書籍で。
それ次第で今回の件を取り下げましょう。--トムル会話2024年10月18日 (金) 15:49 (UTC)[返信]
返信 それ次第で [...] 取り下げましょう」というか、反対意見にトムルさんが同意できないなら無理に取り下げる必要はないように思います。現在はトムルさんの改名リダイレクトから〈Template:もしかして〉への切り替えへの賛成票1件に対して フューチャーさんと私(Yumoriy)の2件の反対票(ただし、いずれも“現時点では”との条件付き反対)が提示された状況ですので、順番としては 反対意見に対してトムルさんが改名切り替えの妥当性や合理性を主張して反論・説得するターンなのかなと思います(このままだと、反対意見を説得できないため今回の改名{{もしかして}}使用への切り替え提案は棄却、という結果は変わらないわけですし…)。あるいは反対意見に納得できないが説得力のある反論もなしがたい のであれば、Wikipedia:コメント依頼などを利用してより広く意見を募ってみると、反対意見を説得できる改名切り替え賛成意見が出てくるかもしれません。--Yumoriy会話) 2024年11月6日 (水) 05:52 (UTC) / フューチャーさんのご批正を受け訂正--Yumoriy会話2024年11月6日 (水) 07:30 (UTC)[返信]
細かいですが、この議論は改名提案ではなく「もしかして」にする提案です。--フューチャー会話2024年11月6日 (水) 06:51 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます! 当提案は改名提案ではない。おっしゃる通りでした…。《ノート:フビライ・ハン (曖昧さ回避)#改名提案》と頭の中で混ざってしまったようです。申し訳ありません。提案者トムルさんにもおわびするとともに発言を訂正いたします。--Yumoriy会話2024年11月6日 (水) 07:30 (UTC)[返信]
別件の削除依頼でGoogle検索に書籍の項目があるのを教えていただいたのでそれで検索してみました。(クビライ・カン表記の書籍フビライ・ハン表記の書籍)--フューチャー会話2024年11月6日 (水) 06:58 (UTC)[返信]
返信 「クビライ・カン」表記の情報源」としてGoogle書籍検索の結果、ありがとうございます。さらに、WEB検索ですぐ出てくるものですが、
上記2論文に「クビライ・カン」との表記が見えます。ただし、前者は素直に「クビライ・カン」の用例と言えそうですが(“クビライ・カアン”表記も1箇所あり)、後者(2006年論文、p. 99)に現れる「クビライ・カン」表記については(“クビライ・カアン”を)誤植した可能性もある…のかも? と私は感じました。
(なお、宇野伸浩[1]さんは2008年発表の論文「フレグ家の通婚関係にみられる交換婚」になると、誤植とおぼしき1箇所〈p. 36に“クビライ・カン”表記〉を除き明確に“クビライ・カアン”表記を採用しているように見えます。この1993年〈平成5年〉から2008年〈平成20年〉の間に宇野さんの論文に生じた表記法の変化は、日本語文献での表記変更の趨勢を示しているようにも思われました。)
また、それとは別に 図書館で小学館の百科事典『日本大百科全書(1995年、第2版第2刷)を引いたところ、「クビライ・カン」の見出しを掲載し、「クビライ・カン ⇒フビライ・ハン」と参照指示を置いていました。(すなわち、『日本大百科全書』の編集者は「フビライ・ハン」を本見出しとしましたが、“クビライ・カン”で事典を検索する読者が一定数いる と想定して「クビライ・カン」表記の見出しを立てています。) --Yumoriy会話) 2024年11月6日 (水) 10:51 (UTC) / 補訂--Yumoriy会話2024年11月10日 (日) 06:32 (UTC)[返信]
情報提供ありがとうございます。古今に1つでも用例があれば、リダイレクトにするというウィキペディアのルールにより、わたしの提案取り下げでよいです。--トムル会話2024年11月7日 (木) 11:43 (UTC)[返信]
チェック了解 主ページを〈Template:もしかして〉に切り替えるトムルさんのご提案を 取り下げるとのこと、了解いたしました。(ただ、おっしゃっている「古今に1つでも用例があれば」リダイレクトを設定する というのは私はよくわかりません。そのようなルールがあるのでしょうか…。) --Yumoriy会話2024年11月10日 (日) 06:32 (UTC)[返信]
ただ、おっしゃっている「古今に1つでも用例があれば」リダイレクトを設定する というのは私はよくわかりません。そのようなルールがあるのでしょうか…。
>>ところで、少し古めの日本語の論文や教科書や事典、また詩や小説にも「クビライ・カン」の表記用例は存在していないのでしょうか?
や、他の方々の今回の私へのバッシングからそうだと思いましたが、違うのでしょうか?ウィキペディアのルールを探すことは砂漠の中からゴマを探すようなもので、自分で見つけることはできませんでした。
とりあえず取り下げます。--トムル会話2024年11月11日 (月) 12:43 (UTC)[返信]
古今に1つでも用例があれば」と言われてしまうと私は疑問を覚えます。「古今に(有意と言える数の)用例があれば」リダイレクトページを作成してよい、であれば了解できます。 (そして、各種の紙の辞事典〈Wikipedia:信頼できる情報源〉の見出しや索引語に「クビライ・カン」や「フビライ・カン」が置かれていることは、その表記で検索しようとする利用者が社会に一定数以上にいる〈つまり、「有意と言える数の」用例が社会に存在している〉と当該書籍の編集部が想定していたことを示してくれます。)
なお、リダイレクトの存在意義やリダイレクトについての「ウィキペディアのルール」は〈Wikipedia:リダイレクト〉〈Help:リダイレクト〉〈Wikipedia:リダイレクト削除の方針〉以上3つのページを丁寧に読んで考えればよいのかな、と私は今回の議論で思うようになりました。--Yumoriy会話2024年11月11日 (月) 14:59 (UTC)[返信]
ありがとうございます--トムル会話2024年11月15日 (金) 11:27 (UTC)[返信]
返信 (トムルさん宛) 誤解があるかもしれないと思ったので念のため補足です。 私(Yumoriy)が前セクション《#削除提案》で「少し古めの日本語の論文や教科書や事典、また詩や小説にも「クビライ・カン」の表記用例は存在していないのでしょうか?(2024年9月24日付)と書いたのは、過去の日本で当該表記は頻繁に、ごく一般的に使われていたのではないか…? と想像したため です。戦前はもちろん1960年代に至っても専門家による評伝が『忽必烈』のタイトルで公刊されていたような人物において〈cf. クビライ#参考文献〉、漢字「汗」をカナ表記する場合に古くから「カン」以外が〈たとえば“クビライ・カアン”や“クビライ・カーン”表記が〉採用されてきたとは考えにくい、カタカナ表記では“フビライ・ハン”と並んで“クビライ・カン”も相当に流通していたのではないか、と思われました。)
そして リダイレクト(記事ページへの転送)の存在意義はまず第一に、ウィキペディア閲覧者の利便性の向上です。ガイドラインWikipedia:リダイレクト〉が冒頭で明示するように、リダイレクトという一種の“参照指示”機能は、利用者がウィキペディア上の記事名とは異なる用語で検索した場合に その利用者が必要とする記事ページへ的確に誘導するために存在するわけです。実際、何か過去の文献や作品で「クビライ・カン」という記述に初めて遭遇した利用者が、この“クビライ・カン”なる人物についてウィキペディアで調べてみよう! と思い立った際に、リダイレクト「クビライ・カン」が設定されていれば、具体的な解説の書かれた記事「クビライ」に即座にたどり着くことができます(先に例を挙げたリダイレクトページ「フッセル」などは、その最たるものです。“フッセル”表記は近年の文献には用例ゼロだから誤表記だ として今回の削除提案のようにリダイレクトが削除されていたら、昔の文献で“フッセル”なる人名に出会って〈たとえば1945年に獄死した哲学者三木清の著作では“フッセル”表記が用いられています〉、これは誰のことだろう? とウィキペディアで調べた利用者は 求めている記事「フッサール」にたどり着くのに本来無用な時間と手間を要求され、利便性が低下します)
つまり私は、表記“クビライ・カン”が「少し古めの日本語の論文教科書事典、また小説」にそれなりに多く見られる表記なら、リダイレクトを削除しないほうがウィキペディア利用者の便益に資するし、リダイレクトの存在意義にもかなうはずだ と考えて先掲の返信を書きました。「古今に1つでも用例があれば、リダイレクトにする」と考えていたわけではない ことが伝わると嬉しいです。--Yumoriy会話) 2024年11月12日 (火) 11:49 (UTC) / 文意明確化のため加筆--Yumoriy会話2024年11月13日 (水) 02:45 (UTC)[返信]