ノート:クリメント北原史門
この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
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ここは記事「クリメント北原史門」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
特筆性 (人物) テンプレート除去の提案
[編集]この編集により、要約欄にて何か理由が書かれているわけでもなく、{{特筆性}}(人物)テンプレートが貼られました。出典にあるとおりジャパンタイムズやクリスチャントゥデイなどで、日本正教会を代表しての人物として取り上げられており、専門家としての立場より上梓された著書も自費出版などではありません。にも関わらず、Wikipedia:特筆性 (人物)やWikipedia:独立記事作成の目安などの基準を満たさないとの判断は不適当であると考え、テンプレートの除去をここに提案させていただきます。--市井の人(会話) 2016年8月4日 (木) 18:23 (UTC)
- 明示的に「日本正教会を代表しての人物として」取り上げられたわけでもなく、Wikipedia:特筆性 (人物)#学者・教授の文面にも該当するとは考えにくいのではないかと思います。自費出版でなければ特筆性が発生するわけでもないですし、現状の記事内容だけでは特筆性の証明として弱いように感じます。--Ohgi 2016年8月4日 (木) 18:34 (UTC)
- お忙しい中ご意見・ご指摘ありがとうございます。Wikipedia:削除依頼/クリメント北原史門を提出いたしました。--市井の人(会話) 2016年8月4日 (木) 19:00 (UTC)
山田晴通氏によって再作成されました
[編集]山田晴通氏により再作成されましたが、作成を可とする事前の合意形成は有りません。--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月2日 (日) 14:22 (UTC) (補足)対処した管理者との会話で対処した管理者はspecial:diff/61228399にて『再作成については、ノート等で再作成についての合意が得られればよろしいのではないでしょうか。』といっていますが、合意形成の形跡は有りません。普段から再作成者のいう『コミュニティーの合意』ってのはどこにあるんでしょうかね?--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月2日 (日) 14:53 (UTC)
- Wikipedia:削除依頼/クリメント北原史門では削除3, 存続2の意見がつき、削除となっており、その後新たに特筆すべき経歴が確認されたわけではなく、記事作成前に再作成の合意あるいは、Wikipedia:削除の復帰依頼を経ることなく、記事を再作成していることは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないに反する行為だと思います。また管理者権限を用いて、削除された版を直前に閲覧することができる方が存続意見を出したものの削除された記事を再作成することは、倫理上も問題であるように思います。--Tiyoringo(会話) 2016年10月2日 (日) 14:33 (UTC)
- なお、山田氏により、リダイレクト、北原史門も作成されています。--Tiyoringo(会話) 2016年10月2日 (日) 15:07 (UTC)
再作成に際して
[編集]この記事を再作成しました。これについては、複数の観点から問題があるのではないかと考えられる方々もおいでかと思いますので、予め山田の見解を明記しておきます。
1) ケースEで削除された記事の改善な記載作成ではないか?
- この記事は、「Wikipedia:削除依頼/クリメント北原史門」で一度削除されています。この際には、山田は存続票を投じました。この審議を削除で閉じられた Bellcricket さんは、「プライバシーに触れそうな部分もあります」というコメントを考慮して削除したことを表明されています(利用者‐会話:Bellcricketに9月20日から23日にかけてやりとりをして確認しています。現在は過去ログ化作業の途中らしくやりとりは見えません)。したがって、単純なケースEではないケースであり、全般5には該当しないと考えます。
必要であれば、再度ケースEでの削除依頼を提起してください。
2) 削除されている版とはいえ、削除された記事からのライセンス違反ではないか? (管理者権限のある方には)内容を見ていただければ、また、外部サイトに転記されている内容と比べていただければ分かると思いますが、今回の記事は、事実の羅列にあたるものに絞り込んでおり、記事量は圧縮されています。また、著作権上の問題はないものと考えており、記事の復帰ではなく、再作成という形をとっています。
3) 管理者としてこの記事を即時削除したことがある山田が、記事を作成するのは問題ではないか? 山田は管理者権限をもっており、そのため、本記事を作成する前に誤操作によりいったん記事を意図せず復元してしまい、直後にこれを取り消すために復元した記事を即時削除しました。形の上では管理者として関わったことになりますが、これは意図しないものであり、新規の記事を作成する妨げにはならないと考えます。
以上、初版作成者としてコメントしておきます。--山田晴通(会話) 2016年10月2日 (日) 14:23 (UTC)
山田晴通さんに質問ですが、この記事は、削除されたページの改善なき再作成なのでしょうか。それとも、削除理由となった問題点が解消されているとお考えなのでしょうか。--ぽてから(会話) 2016年10月2日 (日) 14:46 (UTC)
- やっと意味が分かってきました。今回は、山田晴通さんのコメントを読んでも、たまたま、利用者‐会話:Bellcricketが過去ログ化になっていてどこをクリックしたら事情が分かるのか当初判別できなかったということもあり、ちょっと混乱がありましたね。山田晴通さんとBellcricketさんとの対話から、削除理由がケースB-2とケースEであるということが確認できました。ケースB-2が病気のことを指すのであれば本人が表明している出典がついているので問題ないでしょう。配置転換については、病気が関係するとかご事情があるのでしょうが、「司祭の任を解かれる」まででいいんじゃないですかね。転属先については、ケースB-2の「著名活動に多大な影響を与えたとは考えられない個人的情報」といえるかもしれませんよね。ケースEについては、Wikipedia:削除依頼/三宅善信などが類似の案件になると思います。Wikipedia:削除依頼/三宅善信では、ケースEについては判断されずケースB-2により版指定削除されました。新宗教であっても何代目とかになってくると、教祖とか代表者ではなく、指導的立場に相応しい人が中心となって布教を行うなどはありますね。立場的には、クリメント北原史門氏は、三宅善信氏のような役割をされていた方であるのではと。信仰により病気を克服された奇跡体験をもつ方でもありますしね。ジャパンタイムズによって、三宅善信氏以上にWikipedia:特筆性 (人物)#学者・教授の「独立した情報源からその専門分野の重要な専門家であると目されていること。」とする第三者出典があるようにも思われますが、ちょっと即断はできないですね。過去にも教祖やその親族等ではない指導的立場の宗教者に関する特筆性はあまり深く議論されていなかったかもしれません。--ぽてから(会話) 2016年10月2日 (日) 15:50 (UTC)
- コメント 3について、重大な疑問があります。私も管理者権限を持つ身であり、また削除者以上の権限をお持ちである方であれば誰でもお分かりかと思うのですが、記事の復元には対象記事の「その他」タブから「復元」リンクを選択押下し、さらに遷移先ページ内の「復元」ボタンを押下する必要があります。記事の復帰を意図したか、あるいは下記に示すもう一つの可能性に該当しない限り、山田晴道さんの仰るような「誤操作」が起こりうる可能性は限りなく皆無であると判断します。
- 「もう一つの可能性」ですが、削除済記事の「復元」リンクを押下すると、記事の過去版が全て表示される仕組みになっています。また作成保護が掛けられているのでもない限り、削除済記事は権限の有無関係なく誰でも再作成可能であることは周知の事実であると思います。単に記事の再作成を意図していたのであればそもそも「復元」リンクどころか「その他」タブを押下する必要などなく、山田晴道さんは過去版の参照を目的として「復元」リンクを押下した、そう判断しうるということです。
- すなわち、本記事は Wikipedia:削除依頼/クリメント北原史門 の審議で削除3・存続2にて一度削除裁定が下された(さらに存続のうち1票は失礼ながら実質無効票として処理されても致し方のない内容であったと言わざるを得ません)にも関わらず、存続票を投じた1人である山田晴道さんが権限を用いて過去版を参照し、再作成を独断で強行した蓋然性が極めて高い、ということになります。
- さらに、削除を実施したBellcricketさんの会話ページにおけるやり取りにて、山田晴道さんの「ケースB-2に抵触しないよう考慮されていれば記事を再作成することが可能である、という理解でよろしいでしょうか?」という問いかけに対して、Bellcricketさんは「ノート等で再作成についての合意が得られればよろしいのではないでしょうか。ただ、削除の理由としてはケースB-2とケースEが共にありますから、ケースB-2だけを考慮してもよろしくないとおもいますが。」と返答されています(太線表記は引用者による)。すなわち、山田晴道さんの発言をお借りすると、「単純なケースEではないケース」 ではあるものの「(B-2抵触部分を除去したので)全般5には該当しない」 という解釈は全く我田引水そのもので正当性を認め得ません。「必要であれば、再度ケースEでの削除依頼を提起してください」 ではなく、ケースEに該当しないと主張されているのは現状山田晴道さんのみであることをご自覚いただいた上で、本記事に対しては即時削除テンプレートを自ら貼付されることを強く求めます。--MaximusM4(会話) 2016年10月3日 (月) 07:06 (UTC)
- ぶっちゃけて書くと、再作成者にそこまで高度な判断を求めるのは酷だと思います。これまでも明文で指摘しても自身が納得するまでというか、自身の都合の悪いコメントは見えてないというか。。。本来自身が説明すべき事項であっても指摘者に説明を求め続けるのはこの人のデフォです。それは、第三者から再作成者が理由などを説明すべきとコメントされても、方針の骨子を説明されてもそこは変わっていません【参照】。これまでの件さらに今回の件での各種方針に関する理解度などを見ても、管理者はおろか一般利用者として参加者をご遠慮頂くレベルではないかと個人的には思ってます。--Vigorous action (Talk/History) 2016年10月3日 (月) 10:49 (UTC)
山田晴通さんによる初版の再作成ですが、事前に削除理由を確認されており、その問題点を解消したと判断しての投稿を意図されたものであったと判断しています。ただ、削除理由の確認の過程などが第三者にわかりづらかったため、当初、「改善なき再作成」であると判断した方にも瑕疵があったとは考えてません。とはいえ、削除依頼へ誘導せずあくまでもSD張り付けを強行しその上SDを2つ貼るなどについては、タグの不正使用にあたる懸念を表明しておきます。
結論から申しますと、ジャパンタイムズなどリンクされている全出典にも目を通した上で、この記事は、削除を免れることはできないといわざるをえません。
本件記事における問題点は2点あると考えています。一つはケースB-2における問題点で、もう一つは宗教団体の職員としての業務を「個人」の業績とみなすことは出来ないというケースEにおける問題点です。
まず、司祭解任後の配属先ですが、管理職ということでもないので、本人の公表がない限りプライバシー情報と考えるべきでしょう。山田晴通さんは実名で広く活躍されておられるので、一般の方よりもプライバシーが制限されてしまっている環境なのだろうと思いますが、プライバシー保護についてはもう少し厳格な基準をお持ちになったほうが良いと思いますね。それについては、以前、椛島有三で指摘しました点と同様のケースとも言えるでしょう。
二つ目ですが、宗教者の場合、たとえば、成田山新勝寺の貫首(かんす、寺のトップ)として複数のメディアで言及があっても、それだけで特筆性を満たすとは言えないでしょう。司祭や広報担当としてメディアに名前が出ているとしても、それは団体の業務の一環としてであり、「個人」の業績とはいえません。
宗教体験というのは極めて個人的な体験であり、究極のプライベートに該当します。しかし、個人的な体験を通して悟ることは、いにしえの人が代々辿ってきたように神仏の尊さや教えの普遍性を深く再認識するということであり、すでに示されていることを自分も追体験するというものです。学者であれば、論文や著書の出版は個人の創造的な業績にあたりますが、宗教団体の職員の場合はすでに教祖や経典等により明示されていることを繰り返し悟ったり弘めるのみであり、布教や宗教に関する言及を行うことをもって「個人」による業績とはしがたいものがありますね。宗教の開祖や教祖、中興の祖、教会の創立者などであれば特筆性は認められるでしょう。しかし、伝統宗教の教えを代々受け継いでいるその時々の宗教者については、その宗教団体のページに一覧を書く以上の特筆性が生じることは滅多にないでしょう。宗教の教祖や経典にない独自な教えを言うような人は、別派をたてるとか独立していくので、そうなればその人物に創造的な業績が生じ、特筆性が生じることになる可能性はあります。そうでなければ、宗教とは別の職業や特技を持っているとか、事件を起こすとか別の要素によるのでもなければ特筆性が生じることはないでしょう。大本の出口王仁三郎の側近などは第三者出典も複数ありますが、「霊界物語」を著述した側近等というだけで特筆性を生じることはなく、新たな宗教団体を興すとかいうアクション等により特筆性を認められることになるでしょう。学者や芸能人であれば「個人」なので、なんとか大学や所属事務所の教えを弘めるわけではなく、個人の見解を主張しますよね。宗教団体の職員は「個人」ではなく、「団体」の普遍的な見解を成り代わって述べるのみであり、個人の独創的な見解ではないんですよ。職員というのは、神仏への奉仕をさせていただいてるだけで、神仏に仕えてる身なんです。なので、宗教団体の職員が自身が所帰依する宗教に関する著書があったとしても、宗教団体に関するインタビューに答えていたとしても、それは、「個人」ではなく「団体」の業務(奉仕)の一環だという判断となるでしょうね。したがって、クリメント北原史門氏の著書を、正教会やニコライ堂関連で使用する際は一次資料であり、本来であれば神学者等による第三者出典を用いるほうがベターであるでしょう。
決して、山田晴通さんの資質が劣っているということではなく、むしろ大変優れた資質をお持ちであると日頃から考えていますが、ただし、「個人」の業績を磨かれることを生業としておられるために、日頃、社会に存在する「団体」の一員として生活している私からすると、感覚の違いがあるなと思いました。ただし、山田晴通さんは、上記で述べた内容については容易に理解される知性をお持ちであると考えていますので、それほど大きな問題は感じていません。
一点だけ、MaximusM4さんによる「我田引水」等の指摘を支持するものではなく、むしろ、善意に解釈することを避け、山田晴通さんの発言が真実ではないことを前提としたコメントには異議を唱えるものであることを付け加えておきます。MaximusM4さんについても、管理者権限に関わるミス等の諸々を見かけたこともありますが、山田晴通さんの発言が真実ではないことを前提として管理者権限に関わるミスについて批判されたことについては、慎重に山田晴通さんへ確認を行った後にしなければならなかったと思います。今回の行動は、山田晴通さんの日頃の社会生活環境から生じる観念により生じたものであり、論理的に正当な行いだと判断しての善意の行動であったと推察します。ただし、その判断は、多くの「個人」で活動していない利用者の理解の範疇を超える行動であったということも言えるでしょう。これまで、教祖等以外の宗教者に関する特筆性の議論があまりなかったので、山田晴通さんのような判断が生まれたとも思います。また、このレベルの記事の立項が可能となってしまうと、山田晴通さんには当てはまりませんが、今後、布教活動の一環としてその宗教団体の重要人物の立項がされるなど、宣伝に利用される可能性もありえます。宗教団体の職員については、創造的な職業ではないという特質があるために、学者以上の厳しい特筆性基準となることは必然でありましょう。
もし、削除の理由がご納得いただけるようであれば、ご自分で削除の手続きをなさってください。まだ、ほかに疑義をお持ちでしたら、良い機会ですのでこの場にて、もしくは削除依頼の場等で、宗教団体の職員等に関する特筆性等の議論を持てればと思います。—ぽてから(会話) 2016年10月3日 (月) 16:44 (UTC)誤字修正。大変失礼しました。--ぽてから(会話) 2016年10月3日 (月) 17:25 (UTC)
- 保護解除後も再発の可能性を否定できないため、削除依頼に提出(Wikipedia:削除依頼/クリメント北原史門 20161004)。削除の是非は当該審議ページにて。--Senatsuki(会話) 2016年10月4日 (火) 00:20 (UTC)