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ノート:フランシスコ (ローマ教皇)/過去ログ8

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極めて不適切な説明

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信条の個所に宗教的あるいは神学的説明がないのに、いきなり「同性愛」云々とはまったく不適切な説明です。まず、包括的な思想な信条を先に書くべきであり、順序の後先がまるでなっていない記述で、すみやかに改善されるべきでしょう。「同性愛」云々は最初の2行で十分で、くどくどしく書く必要はないと思います。Tizizano会話2013年3月14日 (木) 01:22 (UTC)

信条の個所に宗教的あるいは神学的説明がないのに
そんなことはどうでもいい話です。訳し終えた情報から逐次載せていけばいいと思います。同性愛に関するこの教皇の報道は特記性があり、それゆえに英語版の記事にも大きく載っているわけです。wikipediaのルール的にコメントアウトする理由は見当たりません。ここはインターネット百科事典で、あなたのブログやサイトではありません。マイルールではなく、wikipediaのルールに沿って活動されて下さい。--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 06:06 (UTC)
もし、他の情報がないので記事構成上バランスが悪い、とお思いなら、Tizizanoさんが自身でお調べになるなり、訳されるなりして、そうした「宗教的あるいは神学的説明」を足していかれればいいのではないでしょうか。他の人の編集や訳文をコメントアウトされるより、その方がよほど穏便で建設的ではないかとは思います、--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 06:16 (UTC)
Michael tiaraさん、失礼ですが、それを言うなら英語版の記事で同性愛についての記述の前にある「貧困と経済格差」「社会的弱者」「人工妊娠中絶と安楽死」についても翻訳して書くべきで、それらを書かずにいきなり同性愛のことが書かれているのは、記事としてとても奇妙で不自然な印象を受けます。「不適切な説明」とまでは言いませんが、Tizizanoさんが言われるように順序の後先や全体のバランスを考えてから書くべきことだと思います。日本時間の今朝、教皇に選出されたばかりですので、そうあわてることもないのではないのでしょうか。 --Lorettibarrend会話2013年3月14日 (木) 06:45 (UTC)
「社会的弱者」も訳しておきました。他のページでも、同じ方に無断でコメントアウトされてしまいましたので、なんとなく不快で・・・言葉使いがやや激しかったら、それは済みません。--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 07:00 (UTC)

/Tizizano - フランチェスコ1世 (ローマ教皇)等で、ウィキルールにはない主観的な理由により、他人の翻訳個所を無断でコメント削除する行為を繰り返しています。(--2013年3月14日 (木) 07:30 (UTC)) 裏でいい加減なコメント依頼などせずに、私に直接行って下さいね。それから、あなたは同じ事ばかり繰り返されていますが、英語版の記事の妥当性が何によって担保されているのかについても何も答えず、ただ翻訳するだけというのもどうかと思いますね。Tizizano会話2013年3月14日 (木) 07:35 (UTC)

あなたの削除を繰り返す行為については、コメント依頼させて頂きます。3R等に引っ掛かるかもしれませんので、回数を見て、該当しそうであれば規制依頼もさせて頂きます。
裏でいい加減なコメント依頼などせずに
ノートでの合意形成の為の議論も行わずに無断削除を何度も繰り返して、「いい加減な」とはどういう意味でしょうか。Wikipedia:礼儀を忘れない等もお読みになって頂けましたらと思います。--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 07:42 (UTC)
もう一度、相手の書いてあることをお読みになって下さいね。「そんなことはどうでもいい話です。」←これのどこが「礼儀を忘れない」態度でしょうか。これこそ非常識な主観の押しつけ以外の何者でもないでしょう。相手は教皇であり、多くの著作のある思想家なのです。思想信条が「どうでもいい話」などということは、およそ理性と良識のある世界には通用しませんよ。「合意形成の為の議論」などといいながら、あなたは人の質問に答えないのに、どうやって議論するのですか。「どうでもいい話」などとは、まったく会話拒否以外の何ものでもないでしょう。Tizizano会話2013年3月14日 (木) 07:49 (UTC)
他のページでも今朝がた、Tizizanoさんに殆ど説明なく翻訳個所をコメントアウトされてしまいましたので、少しいらだっていました。そうした経緯でしてしまいました最前部のやや感情的なコメントについてはお詫び致します。が、掲載の箇所はWikipedia:特筆性Wikipedia:検証可能性、共に備えていますので、wikipedia記事への掲載妥当要件を満たしています。「相手は教皇であり、多くの著作のある思想家なのです」これはローマ教皇に対する記述が素晴らしいものであってほしい、というTizizanoさん個人の願望であって、wikipediaの記事編集基準とは何の関係もないものです。削除されるなら、どうしてそれが掲載要件を満たさないのか、wikipediaのルールに合致した説明を行ってください。--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 08:00 (UTC)
とりあえず、コメント依頼させて頂きました(Wikipedia:コメント依頼/Tizizano)。
あなたは人の質問に答えないのに、どうやって議論するのですか。
教皇フランチェスコ1世について、どこでTizizanoさんは私に質問していますか?Tizizanoさんのこの記事での該当個所への削除理由のこれまでの説明は上記二個と以下です。
こんなおどろおどろしくしつこく品位のない説明は教皇の思想の説明に相応しくない。下の注記で充分。
「おどろおどろしい」と思うのは、Tizizanoさんの主観であり、「品位のない」もTizizanoさんの感情にすぎません。なぜ、「宗教的あるいは神学的説明」がないと「「同性愛」云々」を書くことが不適切になるのか、wikipediaのルールから相応しい説明を行ってください。それがなくいたずらにマイルール基準での削除行為を繰り返すなら、それは議論の拒否(有効な理由説明を行わない)ともいえます。--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 08:41 (UTC)
Michael tiaraさん、Tizizanoさんが削除した部分を戻すのはいいとして、そのあとのWsap1さんと私の編集[1]まで取り消してしまうのは、あんまりじゃありませんか?(特に同性愛の節にある「教会が同性愛を説くことを肯定したことがある」は、引用元を参照すると正確な記述ではないと思うのですが。)ページが保護されてしまったので、すぐには元に戻せないんですけどw。 --Lorettibarrend会話2013年3月14日 (木) 08:54 (UTC)
とりあえず、削除された箇所を復帰の上で、ご指摘の箇所(Lorettibarrendさん、Wsap1さんの加筆部分)を表記事に加えようと思っていました。その矢先に保護措置を受けてしまいましたので、それは至らず申し訳なく思います。履歴をご覧頂ければお分かりと思いますが、私のとりあえずの復帰後、僅か3分足らずでの保護でしたので、他のこともしながらでしたので、処理が間に合いませんでした。それと翻訳個所のご指摘ですが、affirmは断言する、肯定する、です。断言、でもどうかな、と思い、肯定、と訳しましたが、よりいい訳案があると思うなら、Lorettibarrendさんが訳されてそれをお示し頂けましたらと思います。よろしくお願いいたします。--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 09:09 (UTC)
実際、当初、Tizizanoさんの編集だけを取り消そうと思ったのですが、さらに加筆が加えられているとのことで、(取り消し)をクリックしてもエラーメッセージが出て、それができなかったのですよ。大幅削除がされて、そのうえを他の方が編集している、という場合、復帰作業が複雑になってくるのは、wikipediaのシステム上の難しい問題かもしれないですね。--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 09:27 (UTC)
そういう問題ではないでしょう。>「・・・というか、こんな言い方をカトリック信者は普通しない」「全員教皇様かパパ様、一名だけ法王様と言っていた聖母の騎士修道会が好き?な方がいました。要するに法王でさえ本当にレアです。どうやら嘘がばれてしまったようですね」← これまで目を疑うような無礼極まりない言動をしておきながら、いまさら「Wikipedia:礼儀を忘れない」とは、ずうずうしいにも程がありますね。私はこのような中傷を受けたときでさえ、「個人攻撃」とも言いませんし、「コメント依頼」も出しませんでした。「掲載の箇所はWikipedia:特筆性、Wikipedia:検証可能性、共に備えていますので、wikipedia記事への掲載妥当要件を満たしています」← あなたは英語版と述べているのですよ。そして、私は英語版だからどうなんだと反問したわけです。また、この返答は、何度も何度も問い合わせた初めての返答でしょう。ご自分の不備を転化されるのは止めて下さい。私は、あなたの言葉を借りると「カトリックの普通の学者」なので、辞書の記事やら論文やらを書くことなど慣れております。ですから、今後も「〜依頼」などというものを出すつもりはまったくありません。言論には言論ですから、一人で対応できます。問い合わせに答えて初めて「合意の形成」云々があることを、改めて付記させて頂きます。Tizizano会話2013年3月14日 (木) 10:31 (UTC)
(Michael tiaraさんへ)なるほど、そういうことでしたか。わかりました。英訳については、私もあまり自信ないので、その部分は明記しなかったんですけど、引用元(Catholic online) を読むと当該部分(he strongly affirms church teaching on the intrinsic immorality of homosexual practices, though he teaches the importance of respecting homosexual persons.) は「(彼は)教会が同性愛行為の本質的不道徳を教えていることを affirmする(断言する)。しかしながら、同性愛者をリスペクトすることの大切さを教えている。」のような意味ではないかと考え、また(カトリック教会で)「教会が同性愛を説くことを肯定したこと」はあり得ないと考えたので、書き変えた次第です。--Lorettibarrend会話2013年3月14日 (木) 10:38 (UTC)
(Tizizanoさんへ)あなたが学者がどうかは、wikipedia上ではそんなには関係のないことです。管理人でない限りは、学者の投稿者も、そうでない投稿者も、編集の権利は同じなのです。学者であっても、wikipedia上では独自研究的な記事は禁止ですし(自分がどこかの研究誌に寄稿して、それが掲載された場合は別。ただし、それを出典として書かないといけないですが)、それは専門家のスカウトでもお読みになれば、わかると思います。学者であるかないかに関係なく、wikipediaのルールには従ってください。
← あなたは英語版と述べているのですよ。そして、私は英語版だからどうなんだと反問したわけです。
そんなことを私がどこで主張しましたか?英語版にあるから、それで論拠として十分、などとは一言も言ってはおりません。検証可能性ある脚注(Catholic Online等のニュースソース)をちゃんとつけているではないですか、と言っているだけです。
ですから、今後も「〜依頼」などというものを出すつもりはまったくありません。言論には言論ですから、一人で対応できます。問い合わせに答えて初めて
wikipediaではルール違反的な行為を繰り返す人に対して、コメント依頼を求めるのは当たり前のことです。コメント依頼とは、単にコメント依頼、というだけではないのですよ。いきなり規制依頼では穏便でないので、まずは管理人等に意見を伺い、違反行動があれば仲介が入り、それでも当該行動が停止しなければ規制、というのが、wikipediaの制度・習慣なのです。あなたは、おどろおどろしく不適切等、およそ客観性のない理由で、記事の削除を繰り返していたでしょう。これは話し合いに応じている状態でもないし、問題行動なので、他の人のコメントが必要と思われました。以上です。--Michael tiara会話2013年3月14日 (木) 13:23 (UTC)
  • 保護されてしまったのは残念ですが、どちらさまも、本記事をよりよくしようというご姿勢であることに変わりはないかと思います。私は、フランシスコ1世が使徒座に着座する前の人物像をよく知らないため、英語版にて出典がついている記述に関しては、翻訳し加筆してくださった方に対して、ありがたいことと感じました。独自研究は載せない中立的な観点検証可能性がWikipediaの三大方針ですので、それに反しないかたちで、加筆されてゆくことは望ましいことではないでしょうか。同性愛に関する見解の詳細などは、ローマ教皇として、今後どのような聖務をなさり、教徒を導いてゆかれるのか、その方向性に関して大変興味深い参考資料となるわけでありまして、私はぜひ載せていただきたいと思います。特に、同性婚には反対するものの、他方では同性愛者には慈愛的姿勢を見せていることは、旧来の教会の保守的な姿勢とは矛盾するわけでして、なぜそういう理屈が成り立つのかという点に関して、興味・関心を強く抱かされます。「地上における神の代理人」というお立場の方ですので、ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)ベネディクト16世 (ローマ教皇)と同じくらいの記事に育ってゆくことを祈念いたしております。--Isamit会話2013年3月14日 (木) 14:37 (UTC)

コメント Tizizano様。「まず、包括的な思想な信条を先に書くべきであり」とのご意見には、一定の理解を表します。しかし、編集合戦となり、保護を掛けざるを得ない事態となれば、記事の向上がその分遅れます。編集行為とそれが招く結果の双方に目を向けてください。次に「極めて不適切な説明」であるとの主張ですが、同性婚にまつわる言説はカトリックの伝統と現代の社会制度・政治との摩擦として関心の集まるトピックスであることは、あなたも知らない訳ではないでしょう。将来的な形で、当該箇所が穏便な記述となることを望むなら、編集削除よりも、表現をいかに柔和にできるか、注釈に持っていけないか、などの事項に心を砕いてください。すべての編集者がWikipedia:方針とガイドラインに従うことが要求されている上、各編集者も感情を持つ人間ですから、編集合戦や、議論における激しい応酬は、却って多くの編集者の総意を、あなたの考えとは逆向きに誘導する蓋然性すら孕みます。他の編集者を味方につけるような言動を心掛けた方がよろしいかと存じます。--ジャコウネズミ会話2013年3月14日 (木) 21:09 (UTC)

失礼致しました。しばらく、本項目に関しまして、ここの原稿を挙げ、加筆分追加の許可を頂きたいと存じます。さて、以下の文章を新たな節として付加させて頂きたいと存じます。ご検討下さいませ。

==日本からの反応==
新教皇の選出にあたり、日本カトリック中央協議会は声明を発し、枢機卿自身は「フランチェスコ」とイタリア語で発音したが、「日本では英語の発音で『アッシジの聖フランシスコ』との呼び名が定着している」ので、混乱を避けるために、「報道機関も英語読みで統一してほしい」としている。なお、アッシジのフランチェスコとの混同を避けるために、「日本の教会は1世を付けて呼んでいく」と付言した(吉村英輝「新法王誕生 各国の反応」、『産経新聞』2013年3月15日付)。しかし、その後教皇庁大使館より日本カトリック中央協議会に通知があり、新教皇名には「一世」を付けないことになり、新教皇名を「教皇 フランシスコ」として各小教区・信徒・司祭・修道者に周知するよう指示がなされた(池長潤「新教皇の呼び名について」、『カトリック東京司教区からのお知らせ』2013年3月15日付)。

また、上智大学神学部の山岡三治教授は、「ベリゴリオ枢機卿の出身地の中南米は最大の信者を抱え、貧困問題もあり、大国を近くで冷静に見ている。環境問題や幼児虐待で、化学や心理学などにも通じる彼は最適任者だ」と歓迎の意を表し、アッシジのフランチェスコは、「環境保護の聖人でもある。新法王は、貧しさや自然を愛する基本に戻ろうとしているのではないか。その人格で信用をつかみ、新たな教会を築いて欲しい」と述べて、新教皇への期待を表明した(山岡三治「新たな教会築く最適任者」、『産経新聞』2013年3月15日付)。

Tizizano会話2013年3月14日 (木) 21:39 (UTC)
コメント 節が分断されてしまっていたため、表示方法に細工を加えさせて頂きました。--Frozen-mikan会話2013年3月15日 (金) 00:49 (UTC)
Frozen-mikanさん、すっきりと書き換えて下さり、ありがとうござます。
管理者の方へ。ノートを見ていない新規投稿者が「「フランチェスコ1世 (ローマ教皇)」を保護しました: 編集の前にノートを使ってください ([編集=管理者のみに許可] (2013年3月14日 (木) 14:31(UTC)で自動的に解除) [移動=管理者のみに許可] )」という掲示を無視して、ぶつ切れの文章で、とても伝記記事とは思えない無茶苦茶な編集を繰り返しています。管理者の方の善処をお願いできませんでしょうか。「要出展」のところには、以下のサイトがあり、経歴は正しいものですが、もう少し文章がどうにかならないものでしょうか。文頭の蘊蓄(?)は脚注に書くべきものではないかと思います。

【Vatican Today】 http://www.news.va/en/news/biography-who-is-jorge-mario-bergoglio Tizizano会話2013年3月15日 (金) 05:06 (UTC)

「蘊蓄(?)」というのが名前の問題のことを指しているなら、それはいささか不見識だと思います。新教皇をどう呼べば良いのかというのは、それ自体が少なからず問題になっています。いずれ定着すれば脚注なり備考なりに移動しても構わないのでしょうけれども。--133.205.5.172 2013年3月15日 (金) 06:15 (UTC)
ちょっと誤解があるようですが、ここの「ノート」のことではなくて、表の本文のことですよ。ラテン語を習いたての「稚気愛すべき」院生のいたずら書きみたいなところですよ。あれはノートに書くべきことでしょう。Tizizano会話2013年3月15日 (金) 06:59 (UTC)
ですから、その本文の話です。議論はウィキペディアの中でのみ起こっているわけではありません。最初に何行かでも割くべき事柄です。--133.205.3.133 2013年3月15日 (金) 09:23 (UTC)
Wikipedia には、できれば「百科事典の記事としての「質」・「量」・「書式」に問題がないか」「表現がふさわしくないときは、別の言葉で言い換える」「記述の場所が適切ではない場合は、その位置を記事内で変える」等々が求められているわけでしょう。だから、本文の書き出しは、「脚注」に記載されるべきことだということです。「質」・「量」・「書式」の内の「書式」がなっていない、およそ記事だとか項目だとかを作成するときの基本がまるでわかっていないということですよ。ものごとの軽重があれば、「重」を本文に「軽」を注釈にまわすのが当然でしょう。まず「表記については、カトリック中央協議会からは〜」云々と書き、現在冒頭にあるものは脚注にまわすべきということです。そのくらいのことが瞬時にわからなければ、FAもGAも生まれないということですよ。それだけのことで、難しいことを申し上げているわけではありません。「3.思想・信条」以下の個所は随分と改善されて来たと思います。問題は、それより上の乱雑な部分です。Tizizano会話2013年3月15日 (金) 10:15 (UTC)
コメントもし、引用元の記述が間違っていた場合どうしたらいいのか、ガイドラインはありますか?吉村英輝氏の「報道機関も英語読みで統一してほしい」という部分おかしくないですか?(この部分が本文でも引用されています。)英語読みだったら“フランシスコ”ではなくて、“フランシス”ですよね。マスコミって“フランシス”と統一報道しましたっけ?--Vanity Tops会話2013年3月27日 (水) 14:49 (UTC)