ノート:レムリア
キツネザル類はマダガスカルにほとんど固有です。1種がコモロ等にいるようですが、インドにはいませんので。--Ks 2007年3月14日 (水) 06:15 (UTC)
要出典について
[編集]以下の文
「1990年代、神智学系の葦原瑞穂著『黎明』(太陽出版、2001年)では、著者の高次アカシック・リーディングにより、レムリア大陸は最大時には太平洋をまたがって赤道を半周する、現在のユーラシア大陸と同位の面積があったが、およそ7万5千年という長い年月にわたる地殻変動により大半が減少し、最後には日本の東方にオーストラリア程度の大陸が2つ残り、やがて完全に沈没したと説く」
に関して、このこと自体を事実として取り上げ紹介している2次資料を求める意味で、要出典テンプレートを貼り付けました。情報があれば記載していただけますようお願いいたします。--Calvero 2011年11月27日 (日) 05:37 (UTC)
- 「このこと自体を事実として取り上げ紹介している」とはどういう意味なんでしょう。自費出版でもないみたいですし(こちら参照)、この本自体が二次資料ではないのですか?
- それとも、内容に虚偽の疑いがあるということですか?それなら「要検証」タグを貼ればいいと思うのですが。--リネン 2011年11月27日 (日) 05:49 (UTC)
- たとえば「この本にはこういうことが書いてある」と書いてある書籍等を求めている、ということです。内容に関して懐疑があるわけではありません。--Calvero 2011年11月27日 (日) 05:57 (UTC)
- いえ、それは理解しているのですが、なぜそれが必要なのかという意味で書きました。自費出版ではない以上、この本自体に出典が必要とは思えません。第一、そういったことを求めるのなら、ウィキペディアで使われているほとんどの出典に「要出典」がつけられてしまうことになりますが、現実的に考えておかしいですよね。
- Wikipedia:検証可能性には情報源を欠く記述に情報源を求める意味で「要出典」タグを使うとありますし、既に出典があるものにさらなる出典(三次資料?)を求めるのは違うと思います。--リネン 2011年11月27日 (日) 06:11 (UTC)
- それはですね…
- Wikipedia:中立的な観点 には「複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません」
- Wikipedia:検証可能性#但し書き には「ある事柄が単に「検証可能」だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかをご覧ください」
- Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません には「フィクション作品およびその構成要素について解説されているのがあらすじの概要だけであってはなりません。このような記事では、その作品の現実世界における位置づけ(制作の経緯、後世への影響、批評家の反応、出典を明示した文学的分析など)とともに、作品のあらすじ、登場人物、設定について適度に簡潔な解説が記述されるべきです」
- とあることが理由です。出典が自費出版でないからといって、即座に掲載に値する内容であると判断することはできないと思います。一般的に、ある説が広く受け入れられている(あるいは知られている)ものであれば、詳細に解説すべきですし、そうでないならば簡単に触れるにとどめるか、まったく記述しなくともよいでしょう。そして、その説の知名度について判断するにあたり、第三者による言及があるかどうかは有用な基準になると考えます。たとえば英語版の en:Lemuria (continent) によると、ブラヴァツキーの説はディ・キャンプによって紹介されているようです。なお申し忘れましたが、『黎明』という書籍は著者・葦原瑞穂自身の考えを発表・解説するものですから、1次資料にあたるものです。--Calvero 2011年11月27日 (日) 07:45 (UTC)
- それはですね…
- たとえば「この本にはこういうことが書いてある」と書いてある書籍等を求めている、ということです。内容に関して懐疑があるわけではありません。--Calvero 2011年11月27日 (日) 05:57 (UTC)
- なるほど、おっしゃりたいことは分かりました。(4は違うと思いますが)
- 確かに少数派の意見を多数が支持しているかのような書き方をするのはウィキペディアとしては避けるべきと考えられていますし、私も理解しています。しかし、それはたとえば、ある一般的でない意見を、「○○という意見もある」のように、あたかも一般的に広く広まっている意見の一つとして扱うようなことを避けるためのものであって、今回のケースに当てはまるかは微妙かと思います。問題の記述は、個人の意見の一つでしかないことを示していますし、セクションを設けて説明しているならまだしも、「オカルトとレムリア」を説明する際の一つの意見として載せているに過ぎません。
- また、第三者による言及云々は確かにその通りですが、そのために「要出典タグ」をつけるのは違うと思います。私もやっとここまできてあなたの意図を理解しましたが、Wikipedia:検証可能性を普通に理解している人が、あなたの意図をすぐに理解するのはまず無理です。要出典タグの通常の使い方ではありませんから。
- ですので、とりあえず要出典タグは外していただいてもよろしいでしょうか。出典があるにも関わらず出典を求めている、としか受け取られないタグの使い方では混乱を招くだけです。また、もしオカルトとレムリアについてそこまで興味がおありなら、タグ貼り付けをする前に何冊か書籍に目を通してからのほうが良いと思います。もし、たまたま見つけた記事の一つに過ぎないのでしたら、この記事に詳しいほかの編集者に任せたほうが無駄な時間を費やさずに済むと思うのです。--リネン 2011年11月27日 (日) 08:13 (UTC)
- (インデント戻す)4とは番号をつけなかったので、どの部分が違うと思われているかよくわからないですが、ともかく、「個人の意見の一つでしかない」ものは、そうであると示してあれば載せてよいというものではない、と私は主張しています。
- 「要出典タグ」が適切でないというならば外していただいてもかまいませんが、タグに関わらず、ある程度待って上記の記述が重要なものであると示す情報が得られなければ、これを除去したいと思います。あるいは、あまり重要でもないが載せておくべき、という(納得できる)主張があってもよいです。
- --Calvero 2011年11月27日 (日) 09:44 (UTC)
- 申し訳ありません、3でした。
- 除去するのが当然のようにおっしゃられていますが、私はあなたの考え方そのものに反対しているので、「除去したいと思います」とご自分の中で完結されては困ります。
- あなたが問題にしている記述を重要と考えている人がいるという事実を無視しないでください。結局、その言い方ですと「私はいらないと思うからいらないんだ」という風に聞こえますし、そうであるなら私は「必要と思うから除去には反対する」と言うまでです。
- それに、この議論は、オカルトとレムリアに深く関わっているような方々の参加が必要になりますので、単純な除去するしないの話ではないと申し上げています。「出典が示されていない独自研究は誰でも除去出来る」のような簡単な話とは違います。要出典タグの貼り付けが適切でないことはご理解されたようですので、要出典タグの考え方に基づく除去行為もまた否定されている、ということをご理解ください。再度申し上げますが、ご自身にとって興味のある話題でないなら、時間を無駄に浪費するだけだと思いますよ。--リネン 2011年11月27日 (日) 10:11 (UTC)
- 3でしたか。『黎明』という書籍は学術書とか啓蒙書ではなくフィクションに類するものですから、3の考え方を適用することができると考えます。影響や背景などの解説がなく、単に内容の紹介にとどまるのであれば、この考え方に基づいて修整が施されるべきであり、それが不可能なら記述を除去するのが妥当な解決であると考えます。そして、私は除去しない場合の条件も提案していますので、別に自分の中だけで結論を出しているわけでもありません。
- 重要であると考える人がいることを私は無視しておらず、必要であるならなぜなのかという根拠を求めています。これまでのところ、誰もそれは提示していないように思います。また、単にいらないと思うからではなく、基準を上記で提案しています。ご反論があればできるだけ具体的にお願いしたいです。
- それから、私は要出典タグがここで不適切な使われ方をしているとは認識していませんし、「要出典タグの考え方」に基づいて記述を除去しようともしていません。勝手に決め付けないでください。
- 繰り返しておっしゃるので返事しますが、「興味がある」とか「時間の無駄」とは何が言いたいのですか? よくわからない理由で参加者を排除しようとするのは、やめていただきたいです。
- --Calvero 2011年11月27日 (日) 11:44 (UTC)
- 精神世界系の書籍をフィクションに分類している時点で、あなたがこの話題には関わるのは無理だと私は思うのです。
- あなたは先ほどから「検証可能性を満たしている・自費出版ではない、という理由だけで出典として載せることは出来ない」とおっしゃっていますが、じゃあなぜ出典として載せることが出来ないのか書いていないのです。記事の主題に深く関わってくることなのに、あなたは上辺だけ、つまり、方針の「検証可能性を満たしているからといって出典として使えるとは限らない」という箇所を抜き出し、それだけを根拠に話を展開しています。「使えるとは限らないから使えない」なんて屁理屈の意見では、誰も賛同してくれませんし、たとえ除去しても他の人が必ず復帰させるでしょう。こう言ってはなんですが、ただの横槍をまじめに聞く人などいないということです。
- これは私の印象ですが、あなたが化学分野に強い関心を抱いていて、素晴らしい編集活動をされていることは投稿履歴を見ただけで分かります。これ以上話をややこしくするのはやめにしませんか?フィクション云々や、主張の浅さから考えるに、これ以上この記事に関わっても何の意味も無いと思います。
- それと、要出典タグについてですが、少なくとも、本来「出典がない記述」につけるタグを「出典があるが出典として使えるか疑わしい記述」に使う人はいません。不満なら他の場所で議論でもなさってみてください。--リネン 2011年11月27日 (日) 12:18 (UTC)
- リネンさんが私についてどのような感想をもたれようと自由ですが、上記コメントは私をここでの議論から排除する正当な理由にはなりません。無理だというなら理由を示してください。私は「出典として載せることができない」などと言っていませんし、他に出典が必要であると考える理由も既に述べています。存在しない根拠に基づいた主張をしないでください。
- また「誰も賛同しない」などとおっしゃる根拠は何なのですか?誰が復帰させようと、議論を無視した行為であるなら不当なものです。私は一貫して「2次資料に記載のない記述は除去すべき」と主張しているのであって、何も複雑なことなど問題としていません。そして、浅い主張なら理解も容易でしょうから、反論も簡単なはずです。
- しかし結局、リネンさんはさしたる理由もなく「必要と思うから除去には反対する」とおっしゃっているだけです。そして「わからない人は編集に参加するな」という趣旨のこともおっしゃっています。これでは理解も納得のしようもありません。--Calvero 2011年11月27日 (日) 17:56 (UTC)
- なんで二次資料に記載があるかどうかまで検証しなきゃならないのか。また、それを書いているのがCalveroさんのようにオカルト分野に詳しい人ではないから、余計にその必要性が見えてきません。私には、単にタグを剥がされた腹いせにしつこく議論(?)を続けているようにしか見えないのです。
- 誰も賛同しない、も、私があなたに参加して欲しくないと言っていることも、全てはただの思い込みです。ですが、あなたの態度、これまでの編集からはそう判断するしかないのであり、かつ、今回のここでのやりとりを眺めてみても、あなたが「黎明」という書籍や、オカルトとレムリア節に対する思いというのは、さっぱり見えてきません。
- 意見そのものは、別に何も間違ってはいません。しかし、それこそが一番の問題なのです。中身が空っぽなのに、正しいことをしているというそれだけで自分の意見が通ると思っている、それが問題なのです。もしそれが今回だけのことならば、今からでも遅くありません、自分の仕事をしてください。--リネン 2011年11月28日 (月) 04:32 (UTC)
- と、こんなことを書きましたが、何だか冷めてしまったのでもう私はこの話題からは身を引きます。
- 私が全ての原因なのでしょう。私が放つある種のオーラが人を怒らせ、意味不明な理由でリバートをさせ、失笑ものの言い訳をしていつまでも議論を続けようとさせてしまうのです。これはつい最近の特筆性の議論でも明らかになりました。2ちゃんねるからたくさんの人が私に「惹き付けられて」しまったようで、それは大変でしたから。その過程で問題編集者がブロックされたのは、ウィキペディアに対する間接的な貢献かなとも思いますが。
- これ以上私のせいでおかしくなってしまう人たちが出てこないように、この議論はここで打ち切らせていただきます。私の代わりに議論を続けたい方がいれば、それは構いません。--リネン 2011年11月28日 (月) 05:38 (UTC)
- 私の会話ページにコメントをいただいてはいますが、私について「意味不明な理由でリバート」とか「失笑ものの言い訳」とかをしている、「おかしくなって」いるというのでしたら、無礼な発言として抗議しておきます。--Calvero 2011年12月17日 (土) 07:17 (UTC)
コメント この議論そのものには関わる気は全く無いのですが、気になったことが一つ。『黎明』の説明には「1990年代~」とあるので、2001年太陽出版版ではなく1998年コスモ・テン版 ISBN 4876660646 の方が出典としては正しいのではないでしょうか。また、2001年版は増補新版らしく、1998年版と内容が異なっている可能性があります(『空想科学読本1』のように)。元の本も読まずに「たぶんこの本のことだろう」と適当に書誌情報を付け加えるのは止めた方が無難ではないかと思います(Calvero氏が『黎明』の読者かどうかは分かりませんが、リネン氏は読んでいないと明言している。私も読んでいません)。こういうのは執筆者の利用者:Lafonica(会話 / 投稿記録)氏に直接聞いた方が良いでしょう。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年11月27日 (日) 23:51 (UTC)
- コメント 要出典テンプレートの使い方に関しては、リネン氏の意見に分があると思います。Calvero氏の言う目的のためなら、Template:信頼性要検証を使えば済む話では? --草刈り機 2011年12月16日 (金) 01:08 (UTC)
- 内容自体について問題にしているのではなく、それを書くかどうかについていっています。第三者による言及があるかどうか示す目的において、出典を求めています。テンプレートをつけるかどうかについては、議論してもあまり意味がないと思うので、どちらでもよいです。--Calvero 2011年12月17日 (土) 07:17 (UTC)
- コメント そういう目的のためにも使うのが、このテンプレートなのですが。要はこの葦原瑞穂の意見に対するその道でそれなりに権威のある第三者の言及なり評価なりが必要ということですよね? その点においては、Calvero氏のおっしゃるとおりだと思いますよ。そもそもアカシック・リーディングによる言及ってどうなの、という疑問はオカルティズムの話なので置いておいて、確かに一次資料に過ぎないわけですから、二次資料が提供されなければ除去もやむを得ないでしょう。それ以前に、葦原瑞穂自身がどの程度権威のある人なのか、これを見ると?なのですが。--草刈り機 2011年12月18日 (日) 03:12 (UTC)
- コメント 書いた後で気づいたのですが、利用者‐会話:Starchild1884#レムリアの件について、利用者‐会話:リネン#レムリア、利用者‐会話:Calvero#レムリアの件のお詫びなどにも議論が拡散し、経過がわかりにくいです。結局、この件は終息したのでしょうか? 何のタグも貼られないままになっていますが? リネン氏は議論を打ち切ったということなので、何らかのタグを貼るなり、もう出典は求めないならそう宣言してこの節をクローズするなり、どちらかにして下さいませんでしょうか。--草刈り機 2011年12月18日 (日) 03:35 (UTC)
- {{信頼性要検証}} には「本文の記述内容の正確性に疑問があり」とあるので、違うような気がします。ともあれ 114.161.255.174 さんによる編集に伴い、くだんの記述は除去されましたので、この話はもう終わりでよいと思います。再度付け加えるのであれば、二次資料とともにお願いしますということで。--Calvero 2011年12月23日 (金) 09:00 (UTC)
- 内容自体について問題にしているのではなく、それを書くかどうかについていっています。第三者による言及があるかどうか示す目的において、出典を求めています。テンプレートをつけるかどうかについては、議論してもあまり意味がないと思うので、どちらでもよいです。--Calvero 2011年12月17日 (土) 07:17 (UTC)
動物学の仮説について
[編集]"動物学の仮説"の節を削除しました。
動物学者フィリップ・スクレーターの功績は陸橋説を提唱した点にあります。それに比べるとレムリアという固有名詞は些細なものです。彼の学説とオカルト言説が併記されていると、背景知識を持たない読者にはどちらも対等の説と受け取られる可能性があります。このような状態を解消するため、動物学者フィリップ・スクレーターの項を翻訳して立項し、陸橋説についてはそちらで詳述する予定です。--59.190.3.41 2011年12月20日 (火) 22:44 (UTC)
- 今書かれている文によると、「ブラヴァツキー夫人によって」発表されたのは1988年だそうですね。これは動物学からの仮説よりずいぶん遅いのではないですか?「レムリアという固有名詞は些細なもの」というのはどうでしょう?レムールの国なのですからね。そこを説明できないのなら、この内容変更は納得できませんね。--Ks 2011年12月20日 (火) 23:18 (UTC)
- 学術論文同士であれば先に発表したほうが栄誉を受けます。しかし学術論文とオカルトの比較では話が別です。オカルト相手に先陣を競っても詮無いことだ、と考えています。--59.190.3.41 2011年12月21日 (水) 00:08 (UTC)
- 戦陣を競うというレベルではありません。歴史をたどる、と言う話です。--Ks 2011年12月21日 (水) 01:24 (UTC)
- ブラヴァツキー夫人による発表は1888年で単純な誤記です。それでも、スクレーターの後になるし、スクレーターは大西洋からインド洋にかけて大陸が存在したと考え、それをレムリア大陸と名づけたという意味のことが英語版に引用されています。スクレーターの項を立てるのは自由ですが、本稿から「動物学の仮説」の節を除去するのは本末転倒で、復帰させるべきです。オカルトの記述をどうするかは、議論で合意を得てからにしてください。英語版では両方とも載っています。--草刈り機 2011年12月21日 (水) 03:46 (UTC)
- 私も除去しないことに賛成です。オカルトで「レムリア」の語が用いられるようになったのはスクレーターの説があってこそで、たまたま名称が一致したというものではないでしょう。本文を読めば経緯についても理解できるし、学説とオカルト説を混同するということもないと考えます。対等という感覚とは少し違うかもしれませんが、信憑性などにおいて誤解を生じる余地(たとえば陸橋説がオカルトっぽくみえるとか)があるとしても、文章の書き方の工夫によって回避すべきではないでしょうか。--Calvero 2011年12月23日 (金) 09:09 (UTC)
- ブラヴァツキー夫人による発表は1888年で単純な誤記です。それでも、スクレーターの後になるし、スクレーターは大西洋からインド洋にかけて大陸が存在したと考え、それをレムリア大陸と名づけたという意味のことが英語版に引用されています。スクレーターの項を立てるのは自由ですが、本稿から「動物学の仮説」の節を除去するのは本末転倒で、復帰させるべきです。オカルトの記述をどうするかは、議論で合意を得てからにしてください。英語版では両方とも載っています。--草刈り機 2011年12月21日 (水) 03:46 (UTC)
- 戦陣を競うというレベルではありません。歴史をたどる、と言う話です。--Ks 2011年12月21日 (水) 01:24 (UTC)
- 学術論文同士であれば先に発表したほうが栄誉を受けます。しかし学術論文とオカルトの比較では話が別です。オカルト相手に先陣を競っても詮無いことだ、と考えています。--59.190.3.41 2011年12月21日 (水) 00:08 (UTC)
- 59.190.3.41です。
- 上手い嘘は真実と共に供されます。
- スクレーターの陸橋説に関する記述は最後に「否定された。」で終わらざるを得ません。それに続きオカルトの解説が置かれています。論説文の構成では"過去の間違っていた説"を紹介したあとには"現在広く信じられている説"を解説することが通常です。背景知識を持たず・プレートテクトニクス理論の内部リンクをクリックして確認しない読者(若年層を想定しています)には、オカルトが現在の定説だと誤解されかねない構成になっています。
- 本項は初版作成者の210.175.50.37さんが推敲の手を止めた2007年2月27日 (火) 17:14の版から、スクレーター説は否定された -> オカルト解説になっています。
- オカルトに信憑性を与えてしまう形になっているため、私は本項目の改善方法を検討しました。
- Wikipedia:中立的な観点/FAQ#疑似科学と科学を対等に扱うのかにおいては、われわれに課せられた任務は、その疑似科学が科学的な見方とあたかも平等に張り合うような説であるがごとく紹介するという何かインチキな「フェア」の概念に基づいて論争をフェアに描写することではありません。むしろわれわれの任務は、主流派の(科学者の)意見を主流派のものとして提供し、少数派の(時として擬似科学的な)意見を少数派のものとして提供し、更に、科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明することです。とあります。良いアイデアで、たいていの場合うまく機能するやり方だと思います。正当な科学によって検証された説とオカルトが併記された項目でオカルトが対等あるいはそれ以上の分量で記述されていれば、それはWikipedia:中立的な観点を根拠に少数派であるオカルトの記述割合を減らすように合意を求めることができるでしょう。
- しかし本項目で悩ましいのはスクレーターの陸橋説は"正当な科学的続きに則って検証され、棄却された説"であるというのが主流派の(科学者の)意見である点です。当然ながら現代の科学者で陸橋説を支持する方はおられないでしょう。棄却された仮説とオカルト、どちらもWikipedia:中立的な観点で言うところの少数派でしかないでしょう。とはいえ正当な科学的続きに則って検証され、棄却された説と反証可能性を満たさないオカルトはどちらも少数派ですが明確に区別して扱うべきです。しかしWikipedia:中立的な観点/FAQ#疑似科学と科学を対等に扱うのかをうまく適用することが出来ません。
- そこで例外的ではありますが、スクレーターの学説とオカルトを同一項目に併記せず分離することにしました。
- 隔離分布しているキツネザルにちなんで陸橋をレムリアと名付けた、という話はスクレーターの学説を印象づけるのに適したエピソードです。そして"秘教における説"および"創作物"の節にはキツネザルに由来する点を踏まえてレムリアという語を用いている例はありません。従ってスクレーターの学説を別項目で解説し、キツネザルのエピソードもそちらに記述するのが適切と考えました。
- オカルトよりも先にレムリアという言葉は存在していた、ということを示すためにスクレーターの学説を残しておくのは弊害のほうが多いという判断です。
- 私の編集は"まともな学説"と"オカルト言説"の分離に主眼を置いていましたが、上記コメントを頂いた皆さんは"レムリアという言葉の由来"を重視されているようで合意点を見い出すのは困難なようです。私の主張は端的に言うと「混ぜるな危険」でしたが、御理解頂けなかったようで残念です。この件の編集からは手を引きます。
- Calveroさんの言われるように、文章の書き方の工夫によって回避ということであれば、少なくとも
- スクレーターの学説否定がオカルトの肯定を意味しないと平易に解説すること
- スクレーターの学説に関する出典を『プラトンのアトランティス』『トンデモ超常現象99の真相』などのオカルト周辺本では無く、学術文献に置き換えること
- を期待します。--60.43.38.137 2012年1月19日 (木) 08:20 (UTC)
- Calveroさんの言われるように、文章の書き方の工夫によって回避ということであれば、少なくとも