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利用者‐会話:リネン

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ウィキペディア日本語版へようこそ!

こんにちは、リネンさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!

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リネンさんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--Trgbot 2011年6月12日 (日) 19:42 (UTC)[返信]

こんにちは[編集]

こんにちは。えーと、特筆性や削除依頼など、記事の削除に関わるようなものについては、まずは自分で調べてみるのが本来の最初の作業です。あまり詳しくないものについては判断しないとか、そういうことも大事です。

記事のメンテナンスは、百科事典というものがどうあるべきか、ウィキペディアという百科事典では、それはどうなるか、といったことを考えながら、作業する必要があります。何かを求めるテンプレートを貼れば、それに対応するための労力が必要になります。

あなたが知識・関心を持つ記事・分野について、自分の知識や経験から、これは百科事典での収録には値しないと考えたのならば、自分が知らないところで十分な特筆性があるのではないということを確認するために特筆性のテンプレートを貼り、一定期間の後に削除依頼にまわすか、あるいは特に虚偽のおそれや、プライバシーなどに関係ないならばそのままにしておくかを判断する。そのように考えて、行動していただければ幸いです。--Ks aka 98 2011年11月5日 (土) 08:52 (UTC)[返信]

そのように考えて行動しているのですが何か問題があるのでしょうか。
私はすぐに削除するという立場ではありません。もちろん、私がどういうスタンスを持っているかは私にしか分からないので誤解されても無理はないですが。。
特筆性タグをつける基準は、古い作品で記事がただの紹介になっているとか、出典が特にないとか、放置された状態であるとか、まぁそんな感じで選んでいるつもりです。少なくとも、適当に選んで適当に削除するつもりでいるということではないです。
Ks aka 98さんは、私が削除依頼をすぐに出す前提でタグを貼られたのではないかと思われているようですが、そうではないことをとりあえず書いておきます。ですが、削除ということも視野にあるのは否定しません。--リネン 2011年11月5日 (土) 09:05 (UTC)[返信]
えーと、特筆性や削除依頼など、記事の削除に関わるようなものについては、まずは自分で調べてみるのが本来の最初の作業です。まぁ出典が特にないのはそれに応じたテンプレを貼るべきかとは思いますが、「古い」というのは、特筆性に欠ける理由ではなく、むしろゲームなどでは資料の収集が困難なことを示すものでしょう。「紹介になっている」「放置されている」というのも、「特筆性」を判断する上での基準となるものではないです。そのような基準しか持てないのであれば、多くの記事に特筆性のタグを貼ることは、あまりおすすめできません。よろしくご一考ください。--Ks aka 98 2011年11月5日 (土) 10:46 (UTC)[返信]
何だか話がかみ合ってないような気がします。自分で調べるのが最初といいますが、タグを貼ってその記事に詳しい方へ呼びかけるのも同じくらい大事だと思うんですが。それに、私が何も調べず判断しているようにも聞こえます。そうではないことは書いているつもりです。
古いから特筆性に欠けるのではなく、今後新しい出典が出てくる可能性が低いということです。最近のゲームなら、そういった出典が今後出てくることは十分ありえますが、発売から10年20年と経ったゲームについて新たな言及がされることが低いというのは普通に考えても分かると思いますよ。もちろん、これは現時点で出典がないというのを前提にした話です。
放置されている=特筆性がない、という判断ではありません。放置されているということは、記事対象に出典を貼る人間が長い間いなかった=特筆性を示す出典が存在しない可能性が高い、という考え方です。
繰り返しますが、特筆性タグを貼ったからすぐに削除依頼直行ではありませんし、大量削除を計画しているのでもありません。あくまでも、目印です。この記事は現在ウィキペディア的に考えると掲載基準を満たしていない可能性があります、という感じで他の方にアピールしているのです。自分にとっての目印でもあるし、他の方にとっての目印でもあります。--リネン 2011年11月5日 (土) 11:04 (UTC)[返信]
今後新しい出典が出てくることは現時点での特筆性を担保しませんが、古いものについて、情報源があるにもかかわらず単に付与されないままであったということは今のウィキペディアでは多々あることなので、今後、古い出典が新たに加えられる可能性は特に低いわけではないということは普通に考えても分かると思いますよ。ゲームについていえば、漫画やポピュラー音楽よりも、学術的な取り組みやアーカイブ機関への関心は遅れていました/いますし。大量削除を計画していないとしても、判断の甘い大量の特筆性タグの貼り付けは不適切です。まずは出典の明記を使うことを検討してみていただけますか。--Ks aka 98 2011年11月5日 (土) 11:44 (UTC)[返信]

(インデント戻し)それと、特筆性タグというのは非常に有用なものなんです。出典の明記タグの場合、特筆性があるという前提のもとでの場合が多いです。ですから、特筆性を示すものではない出典が提示され、「はい、出典あるので除去」って感じにはがされてしまうことがあります。

それと比べて、特筆性タグは、どんな種類の出典が必要であるかきちんと示してくれています。さらに、カテゴリに登録されることで他の方が探しやすくもなる。出典の明記で済むみたいな話をされる方は他にもいましたが、特筆性タグでないと伝えられないことというのがあるんです。 何が問題で何が必要なのかという情報が凝縮されたタグのため、ノートにいちいち理由を書くより手間が省けます。--リネン 2011年11月5日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

出典明記タグに、特筆性があるという前提は想定されていません。むしろ特筆性タグに、出典の存在が先行します。オフィシャルサイトや名鑑などを出典としているが、それでは第三者的な情報源とみなされないような場合です。何も出典がない状態の記事は、特筆性のみではなく、記事の正確さなどについても検証されていないと考えられるものであって、そこで特筆性を特に取り上げる必要はありません。検証可能性、特筆性、それぞれの文書の位置づけなどを、今一度ご確認ください。--Ks aka 98 2011年11月5日 (土) 11:44 (UTC)[返信]
まともな出典があるということ=特筆性が示されているということですし、ストレートに伝えるか間接的に伝えるか程度の違いということなのでしょうね。
私としては、ストレートに書いたほうがインパクトがあっていいなと思うんです。とはいえ、やはり過剰反応する人がいればそれだけ混乱も起きるということですし、出典の明記のほうを出来るだけ利用してみます。--リネン 2011年11月5日 (土) 12:18 (UTC)[返信]

既に書いた通り、「まともな出典があるということ=特筆性が示されているということ」とは限りません。繰り返しになりますが、公式な資料や一次資料は確かさについてまともな出典ですが、特筆性は示しません。タブロイド紙や週刊誌などは、信頼性に欠けるものも多いですが、特筆性を示す上では有用なこともあります。

ぼくの会話ページに書かれていたことのほう。いちお落ち着いてくれたようなので、ざっくりと。リネンさんが引用している「{{特筆性}}テンプレートを貼って、他の編集者に通知してください。」という一文の前には

単に特筆性が証明されているかだけではなく、すぐ簡単に証明できるかを考えることも重要です。ウィキペディアの記事は完璧でなくともよく、編集を楽しむものであることを思い出してください。特筆性を証明できるような情報源が現時点で追加されていないような記事でも、それが実は存在して、特筆性を示すことができるのかもしれません。
もしある記事に特筆性を満たしていることを証明するのに十分な情報源が示されていない場合、あなた自身でそのような記事の情報源を探すか、以下のように対処して下さい。
  • 記事の作者やその主題の専門家に連絡を取って、どのような場所で情報源を見つけられそうか聞いてみてください。

と書かれていることも確認ください。

詳しくないなら、詳しくないなりに口を出すこともできます。「詳しくないなりに」というのがわからないほど、知識がないなら、口出しをするのは、あまりいい方向には進みません。

その事柄について十分な知識を持たずとも、いくらかの見込みをつけて対応を求めるならばともかく、その記事について最低限の知識を持つ者であれば明らかに特筆性があると思えるようなものにまで、特筆性に問題があると言われれば、この作品は有名なんだから特筆性あるに決まってる、というような発言が帰ってくることも多いでしょう。そのような反応をさせるような、挑発的な意味が含まれてしまう。

部外者が特筆性について何か指摘をするとすれば、特筆性があるかもしれないけれど、今のままでは示されていない、自分で探しても示すことができないから、詳しい人に示すようお願いする、です。比較的新しい事柄であれば、ネットで検索して見つかることもあるでしょうけれど、古い事柄であれば、ネットでは見つからないことも多い、というような、その分野なりの情報流通事情も考慮する必要があります。そして、資料を探すつもりであるなら、タグを貼るのは、探してみてからのほうが無駄が生じないです。そうやって探すことで、どの程度見つかるか、見つかりそうなものか、どのへんのゲームの名前をよく目にするか、というような感覚をつかむこともできる。探すのがどの程度大変で、それを記事に反映させるのがどの程度大変なのかも。

タグ付けのようなかたちで記事のメンテナンスに関わると言うことは、自分で記事を修正するのではなく、他者に修正の労力をかけさせるということでもあります。そこでは、他者が、その労力をかけようという動機を損ねないよう、また労力をかけることが、どのようにウィキペディアの発展に結びつくのか理解するようにすることが求められます。貼る、ところじゃなくて、剥がされるところまでを想像して作業してもらえると、嬉しいです。--Ks aka 98 2011年11月5日 (土) 16:26 (UTC)[返信]

何ででしょうね、私の言うことを全部無視されているような気分です。だから納得がいかない、というのとも違うんですよ。・・もうこの話はやめにしたほうが良いですね。議論拒否と思われたら謝ります。申し訳ありません。--リネン 2011年11月6日 (日) 02:19 (UTC)[返信]


リネンさんがぼくの会話ページで書いているのは、1「詳しい人や愛着のある人が、おうおうにして特筆性の判断を誤り、あるいはウィキペディアにおける特筆性の意味を理解しないまま反論することがあるということ」、2「記事に詳しくなくとも、ウィキペディアの方針に沿った指摘をすることができるということ」、3「削除依頼にかけるのは好ましくないこと」です。2011年11月5日 (土) 12:18 (UTC)に、この会話ページで書かれているのは、4「まともな出典があるということ=特筆性が示されているということ」、5「ストレートに伝えたほうがインパクトがあっていいなと思っていた」ということです。
1と2はその通りです。3は、それだけが「好ましくないこと」ではないです。4については直接返答しています。5について、そう思っていたのはわかりますが、それでは反発を招くこともあると書いています。それらを踏まえて、詳しくない人は口を出すこともできるが、詳しくないならば詳しくないなりのふるまいをしなければ、混乱を招く。混乱を招くのは、詳しくないなりの口の出し方ができていないからだ、というのが、ぼくの上での書き込みです。
下のほうで使われているたとえでいえば、渋滞中の道路で横断しきれなかった車を交差点内から横断歩道にかかるところに動かしたところに、横断歩道を縦横無尽に走り回って違反だ違反だと騒いでいれば、たしなめられるのは普通だと思いますけれども。
ところで、以前のアカウントでも、あなたのふるまいについて、会話ページや記事のノートで、同じようなやりとりはありませんでしたか? 一度、そっちのやりとりも読み返して見てはいかがでしょう。なおWikipedia:多重アカウントは改訂されていますので、そちらも確認ください。--Ks aka 98 2011年11月6日 (日) 06:43 (UTC)[返信]

特筆性タグの貼付を中断してください[編集]

Template:特筆性タグの貼付作業を中断してください。リネンさんの判断基準で特筆性タグが貼られたもののうち、多くの記事で私も含めて複数の利用者により疑問が投げかけられている状況でタグを貼り続けることは、タグ貼りの濫用と言えます。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないにも当たりかねない行動であるように思います。利用者ページで述べられている、「2回目の転生です。 去年いざこざがありずっと利用を停止してきましたが」で過去にどのようなことがあったのかわかりませんが、方針にこうあるからこうして問題ないとご自身でお考えになって編集を継続することは無用なトラブルを招きかねないものであるように思います。--Tiyoringo 2011年11月5日 (土) 10:24 (UTC)[返信]

うーん、対話を無視しているつもりはないのですがなんだかそう受け取られているようで残念です。--リネン 2011年11月5日 (土) 10:28 (UTC)[返信]
他のゲーム記事でのやり取りから考えて、タグ貼りの濫用というのはTiyoringoさんの誤解であると理解してもらえたんでしょうか。そもそも一般的な基準だけで記事に採用するか否かを選んでいたら、ウィキペディアの三大方針をクリア出来ないものがゴロゴロ出来て大変なことになってしまうんですけども。というか、今の状況がまさにそれで、ゲーム、漫画、小説、テレビ番組・・その他色々まぁすごいことになってます。--リネン 2011年11月5日 (土) 11:41 (UTC)[返信]
タグ貼りを機械的な作業にしてしまっては、第三者から見た場合、その記事を充実させる行為とは受け取られなくなる可能性があります。急がずにひとつひとつご自身でも検証してはいかがでしょうか。ご自身が利用者ページの冒頭に自ら書いたことを、もう一度読んでみてください。--海獺 2011年11月5日 (土) 14:25 (UTC)[返信]
こんにちは。アドバイスありがとうございます。確かに急ぎすぎた面はあるかもしれません。雑草が目の前に広がっていると取り除かないと気がすまなくなってしまうような人間ですので・・--リネン 2011年11月5日 (土) 14:57 (UTC)[返信]
ご自分の家の庭なら、その気持ちは頷けます。でもここは公園みたいなものですから、誰かが大切にしているあなたの知らない植物があるかもしれないのです。--海獺 2011年11月5日 (土) 15:53 (UTC)[返信]

記事掲載基準についてコミュニティで提案するのが先では?[編集]

こんにちは。ちょうど自分が関わり始めた記事に特筆性のタグがついていて、びっくりしました。すでにこの件に関しては他の方も意見を述べてはいますが、私の方でも別の観点で意見を述べさせていただきます。

現状、リネンさんは主にライトノベル作品で特筆性のタグをつけているようですが、リネンさんの行動は(これまでのノートや利用者ページからの発言をやや暴論的にまとめると)「他のメディアで言及されないようなドマイナーなラノベは、Wikipediaに記事自体作るな!」と言っているのと同じです。(実際にはラノベに限らずサブカル系作品全般に対してでしょうが…)

私個人としては、少なくても信頼された情報源(この場合は出版社など)から世に出た作品(いわゆる「商業作品」)に関しては、世に出た時点で「作品自体の特筆性」はある(※記事内の特定の箇所に関する特筆性は別途問われるべき)と考えているのですが、もしリネンさんの主張(「作品自体を出典とした記載は認めない」「公式の資料集も作品の一部と考えられるので、出典として認めない」)がWikipediaで厳密にまかり通るのであれば、おそらくは現在Wikipediaに存在するサブカル系記事の大半は削除することになるでしょう。

主張の是非に関してはここではおいておきますが、このような特定ジャンル全般の大々的な改編につながるような行動を、どこのコミュニティ(ウィキプロジェクトなど)に提案もせずに、Wikipediaでのルール「のみ」を旗に行ったことに関してはいささか暴力的な行為であり、問題があると思います。

もし「サブカル系作品全般の記事自体の作成基準に問題がある」と考えているのであれば、まずはプロジェクト:ライトノベルプロジェクト:フィクションなどのコミュニティで提案し、コミュニティ内の合意をとってから行うのが筋ではないでしょうか?--スカイ・ブルー 2011年11月5日 (土) 17:48 (UTC)[返信]

こんにちは。スカイブルーさんがおっしゃるとおりです。ただ、ドマイナーなラノベと言うよりは、単純に特筆性の基準から外れているもの、を探している感じです。他のところでも書きましたが、有名である=ウィキペディアに掲載してもOKという考え方をすると、現在の日本語版(多言語版は分かりません)のような混乱が引き起こされると思っているので。
とはいえ、有名であることと特筆性があることには正の相関があるということも書いてあるわけですし、私はそれは否定しません。一般的に有名なものであれば、どこかで言及がされている可能性は十分ありうるからです。だから、有名なもの、新しい作品に関してはかなり慎重に考えています。
「サブカル系作品全般の記事自体の作成基準に問題がある」と思っていることは確かですが、どちらかというとサブカルに限らずウィキペディアを利用している編集者の方々の記事作成基準に問題があると思っています。
私が行った行動を暴力的と見る方は多いでしょうけど、ウィキペディアが何でないかを理解せずに、そのことにすら気づかず、掲載基準の考え方が事実上無視されている・黙殺されている現状のほうが私にとっては我慢なりません。(気分的には、青信号になってから横断歩道を渡っていたら自動車に轢かれたって感じです。)
といっても、結局こういったことをすると、破壊的だとか暴力的だとか問題行動だとか、場合によっては荒らし行為と判断されてしまうんですよね。なので、これからは早急な行動は出来るだけしないようにするつもりです。--リネン 2011年11月5日 (土) 22:55 (UTC)[返信]

急がないで[編集]

こんにちは。すでに多くの人から指摘がありますが、どうか急ぎすぎないで下さい。ウィキペディアでやってはいけないことのひとつに、独断で変革を試みることがあります。現状に問題を感じ、大きく変えていかなければならないと考えるなら、たとえば井戸端のような場で多くの人に問いかけ意見を求めることも大切です。ご一考下さい。--cpro 2011年11月6日 (日) 04:56 (UTC)[返信]

アドバイスありがとうございます。独断で変革は試みていません、ただの掃除です。井戸端で意見を聞くなら、それは私の行為に疑問を持っている人が聞けばいいんじゃないでしょうか。私は別に井戸端の意見は必要としていません。--リネン 2011年11月6日 (日) 05:16 (UTC)[返信]
多くの人の指摘がある現状そのものが、リネンさんの行動が「独断」と受け取られている何よりの証左でしょう。主観的な目で見れば、あなたにとっては「ただの掃除」ですが、周りから見れば「独断で変革」と見られていることに、そろそろ気づいてください。これまで多くの人が、"自分はそういうつもりではないからこれからも同様のことを続ける"という意識で、多くの方の合意を得られなくなってしまう・・・という流れに陥っています。
また、リネンさんの返答がどんどん頑なになっているという風に見受けられますので、少しウィキペディアのことは忘れてリフレッシュすることをお勧めします。--海獺 2011年11月6日 (日) 05:26 (UTC)[返信]
・・・と書いていたら、ブロック対処となってしまったようですね。これもよい機会だと思っていただいて、今後の活動に生かしてくださればと思います。--海獺 2011年11月6日 (日) 05:34 (UTC)[返信]
とても残念です。方針に沿った行動をしたら、それが身勝手な行動と判断されてしまうなんて。ウィキペディアは正しいことをしたらブロックされてしまう場所なんですね。--リネン 2011年11月6日 (日) 05:46 (UTC)[返信]
多くの人の指摘があることは確かですが、間違った考え方に基づく指摘に対してなぜ配慮しなければならないのかさっぱり分かりません。間違った意見のほうが大勢ならそれが正しいことになるといわれているようです。いや、たぶんみなさんそう言いたいんでしょうけど、納得できるはずありません。別の場所でも書きましたけど、青信号になってから横断歩道を渡り始めたら自動車に轢かれた、そういう気分です。しかも酷いのは、轢かれた後に、「青信号で渡るお前が悪い」と言われたことです。--リネン 2011年11月6日 (日) 05:46 (UTC)[返信]
大きな勘違いをしていると思います。"何十万もの既存の記事を相手に、たった一人が「僕は正しいことをしている」という主張に基づいて共同作業の場で行動すると軋轢が起きる"と言うことを気づいてもらえないでしょうか? 軋轢を起こすことがあなたの目的ではないのであれば、段階を踏み、共同作業の場に相応しい提案から始めていただきたいということです。
共同作業においては、どちらかが間違っていて、どちらかが正しいという単純な図式だけで物事を判断することは難しいということも学んでください。
多くの指摘に対して、あなたが納得することは現時点で出来ていないかもしれません。しかしながら「あなたの納得」の優先度は、共同作業の場においては順位は低くなる場合があります。まずはゆっくりと心の余裕を持って広い視野で活動してくださることをお願いします。--海獺 2011年11月6日 (日) 05:58 (UTC)[返信]

(インデント戻し)大丈夫です、私は理解しています。「特筆性のない記事はどんな記事か」というテーマにとりつかれてしまって、暴走してしまった私に問題がありました。今回のことで、どうやら自分は完璧主義者のような所があるということも見えてきました。日常生活ではいい加減な人間なんですけどね。まぁ、せっかくお休みの期間もいただいたので静養します。--リネン 2011年11月6日 (日) 23:50 (UTC)[返信]

本職である記事のご執筆に専念頂けるのであれあば、あらゆる利用者が貴殿の参加を歓迎するでしょう。リネン氏の事ですから、こと検証可能性については完璧に近いものを上梓なされることは疑いありません。ウィキペディアおよびウィキペディア利用者は優れた執筆者を常に求めています。無闇のタグ貼りよりは調査加筆の上でのタグ剥がしにご協力頂けるのであれば、神様仏様リネン様・・・は言い過ぎですが、実に素晴らしいことです。是非ともご検討下さい。--Hman 2011年11月7日 (月) 00:46 (UTC)[返信]

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あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。今後の対話ならびに異議申し立て、解除依頼はあなたの会話ページで受け付けます。会話ページも編集できないブロックの場合は、IRC#wikipedia-ja-unblock、もしくはメーリングリストで、会話ページの編集許可を求めてください。(ヘルプブロックへの異議申し立ての手引きAppealing a block参照)各種方針を熟読してください。また上記でks_aka_98さんとの会話と異なる行動が見受けられた事から、ks_aka_98さんとの対話拒否に該当と判断しました。また、[1]の発言が正しいのであれば現状と変わりが無くWP:SCRUTINYに該当する可能性があります。元に使用していたアカウントをよければご公表いただければと考えます。--Vigorous actionTalk/History2011年11月6日 (日) 05:28 (UTC)[返信]

残念です。ウィキペディアはもっと自由な場所だと思っていたんですが、私の思い違いだったんですね。それと私の前のアカウントですが、別に公表する必要はないのでお断りします。以前のアカウントで起こした問題行動は対話から喧嘩になったり、ノートでの議論をせずにリバート合戦をしてしまったとかですから。今回のこととは何の関係もありません。--リネン 2011年11月6日 (日) 05:38 (UTC)[返信]
前回のアカウントで起こした問題行動が、「対話から喧嘩になった」「ノートでの議論をせずにリバート合戦をしてしまった」なら、今回の問題行動は「対話を無視して行動した」「ノートでの議論をせずに編集を強行した」なわけで、「何の関係もありません」どころか、「大いに関係がある」うえに、前回から何の進歩も改善もないということになるわけです。それと、「ウィキペディアはもっと自由な場所だと思っていた」というのは、思い違いというより、ありえないほどのすさまじい勘違いです。ウィキペディアには自由なんてありません。ウィキペディアで何かを成し遂げたいなら、まずは方針文書を百万回音読する勢いで頭に叩き込み、編集の際には頭に叩き込んだその方針から逸脱しないよう細心の注意を払い、なおかつ管理者や古参利用者の逆鱗に触れぬよう慎重に空気を読み、妙な行動をとる新参者や荒らしを含む他者とも軋轢を起こさず、時間を掛けて実績を積み重ね、そのうえではじめて自分の主張を展開する必要があります。さもなければ、今回のように袋叩きにされるか、誰からも相手にされず放置されるだけです。くり返しますが、ウィキペディアに自由などありません---少なくとも、リネンさんが考える意味での「自由」は---皆無です。--210.197.181.98 2011年11月6日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
◆はじめまして。上のIPユーザの方とは違う意見を書きます。「ウィキペディアはもっと自由な場所」なのです。ただ、貴方が自由に振る舞うことが出来るだけでなく、他者も自由に振る舞える場所なのです。その辺りにお気付きになられれば、ここの「自由」がもっと実感できるようになると思います。ウィキペディアの「方針」や「ガイドライン」というのは、厳密な表現をするならば一般的には「規則」ではありません。もっと状況に応じて「自由」なものです。そこでは共同作業であるが故に、他者の自由を尊重する態度も求められます。これまで多くの方々が貴方に意見を書きました。みな、貴方がしていることが「方針」に違反しているから問題視した訳ではありません。貴方の態度に他者の自由を認めない頑なさを認めたためです。復帰されたならば、もう少しゆっくりしましょうよ。誰も貴方がウィキペディアに背を向けることを望んでいません。--ろう(Law soma) D C 2011年11月7日 (月) 11:05 (UTC)[返信]
ウィキメールいただきました。そのメールによりブロック破り及びWP:SCRUTINYに該当する行為が無い事を確認いたしました。--Vigorous actionTalk/History2011年11月7日 (月) 12:04 (UTC)[返信]
ブロック解除依頼および解除に関する節[編集]

{{unblock|今回、Ks aka 98さんとの対話を終了させ、その直後にそれまでの対話を無視した行動をとったこと、反省しております。私は冷静になるべき場面で冷静さを欠いており、その結果、ほとんど対話する意思がなかったにも関わらず対話に応じているような態度をとり、一方的に対話を終了させ、対話拒否をしてしまいました。今回のことで、ウィキペディアとは共同作業の場であり、自分だけが突っ走っても周りを混乱させるだけであるということを痛感いたしました。また、対話とは単に相手と会話することではなく、冷静さ、礼儀をもって相手との良好な関係を築くことであると知りました。今後このような行いをすることなく、ウィキペディアをよりよくするために努力していくことを誓います。どうか、ブロックの解除をお願いいたします--リネン 2011年11月9日 (水) 08:20 (UTC)}}[返信]

承認
承認

あなたの依頼したブロックの解除は以下の理由により認められました

期間満了による解除

この依頼には次の管理者が対応しました: 海獺 2011年11月13日 (日) 18:17 (UTC)[返信]

ブロックを解除する管理者へ: ブロックを解除した後に、この利用者に対して有効な自動ブロックがかかっていないか確認してください。

改めてKs aka 98さんへ[編集]

改めてKs aka 98さんの最初の文章について返信させていただきます。 まずは、分かりやすいように全文を転載。ちなみに今回対象としているのはライトノベルについて私が貼った特筆性タグです。

こんにちは。えーと、特筆性や削除依頼など、記事の削除に関わるようなものについては、まずは自分で調べてみるのが本来の最初の作業です。あまり詳しくないものについては判断しないとか、そういうことも大事です。記事のメンテナンスは、百科事典というものがどうあるべきか、ウィキペディアという百科事典では、それはどうなるか、といったことを考えながら、作業する必要があります。何かを求めるテンプレートを貼れば、それに対応するための労力が必要になります。あなたが知識・関心を持つ記事・分野について、自分の知識や経験から、これは百科事典での収録には値しないと考えたのならば、自分が知らないところで十分な特筆性があるのではないということを確認するために特筆性のテンプレートを貼り、一定期間の後に削除依頼にまわすか、あるいは特に虚偽のおそれや、プライバシーなどに関係ないならばそのままにしておくかを判断する。そのように考えて、行動していただければ幸いです。

>記事の削除に関わるものは、自分で調べるのが本来の作業

これは、別に削除に関わるものでなくても、何かを編集する際には当然何らかの調査なりをしていると思います。

まず最初に、その作品が何らかの賞を受賞しているかどうかを調べます。これは、大抵受賞していれば記事中に書いてあるのですぐ確認できます。特筆性:書籍の基準に照らして、これは特筆性があると判断します。 そこで特筆性があると判断できない場合、「対象と無関係な第三者による有意な言及」が記事中でなされているかを調べました。当然ですが、記事全体を読めばどのような出典があり、それがどういう種類のものであるかはすぐに分かります。 結果、有意な言及がないものは、ウェブで検索します。この時、インターネットの情報サイト(個人サイトではない)でレビューが載っているものや、メディアミックスの話題(アニメ化やコミック化)があるものは、特筆性ありと判断します。 この時、そういった言及が見つからず、現時点で特筆性がない、あるいは特筆性に疑問があると判断したものに、テンプレートを貼っていきました。

プラスして、検証可能性のほうにありますが、要出典タグをつけるとき、出典を提示する必要があるのはその記述を残すことを希望する側です。これは考えてみれば当たり前のことで、出典を提示して欲しいというタグをつけた人間が自分で出典を探してくるのなら、そもそも要出典タグは必要ありません。出典が見つかるまで探せばいいだけの話だからです。(私もそうしています。タグを貼ったり剥がしたりは無駄)

私が疑問に思ったのはこの点で、Ks aka 98さんも、特筆性タグをつけるのはもっと慎重にと言っているほかの方も、みんな「要出典タグを自分でつけて、自分で出典を探せ」と言っているのと同じなんですよ。しかも、慎重になれということですから、結局特筆性タグをつけるのは誰かということになる。私がタグをつけた記事の中には、2006年や2007年というように、かなり昔から記事が存在しているものがあります。それらが何年も特筆性が示されないままタグの貼り付けも行われなかったのは、普通に考えたら編集者のほうに特筆性がないという認識が無かったからです。そんな人たちが今後特筆性タグを自分でつける可能性があるでしょうか。しかも、自分でつけて自分で剥がすタグを貼ることになるのです。


>何かを求めるテンプレートを貼れば、それに対応するための労力が必要になる

既に↑で重複してしまっていますが、私が言いたいことはそういうことです。テンプレートを貼った側にテンプレートを剥がす労力を求めるというのはおかしなことだと思いませんか?Ks aka 98さんのお気持ちはよく分かります。他の方も似たようなことを考えているのでしょう。テンプレートを貼っただけで何も努力しない奴はウィキペディアには必要ない、そう言いたいのでしょう。しかし、テンプレートを貼る人間と剥がす人間は別なのが普通です。先の要出典タグの話など挙げる必要もなく、いずれ自分で剥がすと分かっているなら最初から貼付などしないし、貼付した後に剥がせるかどうか分からないなら貼るなというなら、テンプレートを貼る人がいなくなります。確かに、特筆性タグは一部の人たちの憎悪の対象となりやすいようですし、無言で剥がしている方も見受けられます。しかし、だから貼るなというのはおかしい。特筆性タグを貼ることがあたかも何の役にも立っていないかのような発言(ここに書き込んだほかの方も含む)は明らかにウィキペディアについてイメージが偏っています。そんなに特筆性タグを使って欲しくないなら廃止提案なさってください。


>これは百科事典での収録には値しないと考えたのならば

これだけでなく、Ks aka 98さんの文章の他の部分からも強く感じられるのですが、特筆性テンプレートを削除に強く結びつけすぎだと思います。そのような考え方でいけば、特筆性テンプレートを貼ること自体がとてつもなく慎重であるべきで、「努力もしないで、自分が詳しくない分野に首を突っ込み、せっせと削除のためのタグを貼り付けている」ように見える私に忠告したいという気持ちはとても理解出来ます。 しかし、私は特筆性テンプレートというのはあくまでも「特筆性に疑問がある」というテンプレートだと理解していますし、削除依頼における「ケースE」とは関係がない(削除の理由には直結しない)と特筆性に関するどのページにも書いてあります。 しかも、削除依頼されたからといってすぐに削除されるわけでもないし、ましてや自費出版でもなく誰も知らないようなマイナー出版社から出ているものでもない作品記事が、すんなりと削除されてしまうとは到底考えられません。 慎重になるべきという考え方は分かりますが、私のほうだって十分に慎重に調査しているのであり、そこを「違う」と言われても「感性の違い」としか言いようがありません。これも、私が本当に言いたかったことの一つです。結果的には、対話拒否のような終わらせ方をしてしまいましたが、本当はこれが言いたかったのです。--リネン 2011年11月9日 (水) 16:46 (UTC)[返信]

コメント 初めまして、MaximusM4と申します。リネンさんの上記コメントを拝見し、いくつか気になった点についてコメントさせていただきます。
「タグ貼付に際しての調査において、情報源をネット上のそれのみに依拠している」にも関わらず「十分に慎重に調査している」と仰る、率直に申し上げてこの一点のみでリネンさんの行為の正当性は否定されても致し方ないと感じました。例えばライトノベルを特集記事として扱った雑誌等において、当該項目で扱われる書籍に関する情報が掲載されているという可能性もあり得るでしょうし、それら情報がネットに流通していない可能性も十分考えられることと思います。手元にそのような雑誌がないということであれば、図書館なり古書店なりに出向いてその種の雑誌を閲覧することも必要になってくるでしょう。リネンさんが特筆性タグを貼付したゲームソフト『ディープダンジョン』でいえば、攻略本が現在でも中古市場にて流通しており、比較的容易に入手可能のようです。また、同ソフト発売当時の『ファミリーコンピュータMagazine』誌や『ファミコン通信(現・ファミ通)』誌のバックナンバーを閲覧すれば、出典となり得る二次情報が容易に手に入ります。そういった労力を費やすことなく、ネット上の情報という安直かつ必ずしも万能の情報源ではないもののみに基く判断がどれほど説得力のあるものか、ということです。
リネンさんが特筆性タグを貼付した項目が押し並べて出典の明示がないものであったことからして「出典(もしくは出典となり得る情報源)のない記事には特筆性がないと判断せざるを得ない」としたものでしょう。言い換えれば「出典さえ提示されれば一先ず特筆性は担保される」となるのだと推測します。つまり、この場合必要となってくるものは「出典の提示」、すなわち貼付すべきはやはり要出典タグだったのではないでしょうか。また、出典に関する調査は労力さえ惜しまなければ極端な話誰にでも可能です。しかし、特筆性に関する判断は、上記Ks aka 98さんが仰るように「知識・関心を持つ記事・分野について、自分の知識や経験から、これは百科事典での収録には値しないと考えた」場合にのみその是非を論じる=タグを貼付するべきです。リネンさんの場合、特筆性タグを貼付した項目のジャンルに関しては、失礼ながら知識量や経験がその判断を下せる水準には満たないのではないかと思われてなりません。
無論、いついかなる場合においても特筆性タグを貼るなとは申しません。しかし、リネンさん自身が特筆性タグの位置付けをどのように捉えていようとも、実際の特筆性タグの貼付に際しては慎重さが求められており、それを大多数の利用者が受け入れているという現実は認識すべきです。また、上記にて指摘させていただいたように、そもそも特筆性・要出典タグの位置付けに関して些か誤解があるのではないかとも感じます。長々と失礼を申し上げましたが、これらをよくよく熟考いただきまして、今後の活動に生かしていただければと思います。--MaximusM4 2011年11月9日 (水) 22:28 (UTC)[返信]
はじめまして。箇条書きで答えてみますね。
1.ネットの調査だけでは不十分である→削除依頼のほとんどはネット調査しかしてません。ネットで検索して名前が出てこないから削除なんてザラです。そもそも、私が判断する前にその記事についてもっと詳しい編集者が判断できる状態なのに貼り付けていなかったのだから、無条件で貼り付けたとしても問題はないと思います。むしろ調査する必要などないのに調査しているので、ネット検索だけでは~という指摘は、私に過労死しろと言っているのに等しいです。
2.要出典を貼り付ければ十分→十分ではないからこんな誰も読まないような長文を書いたのです。改めて特筆性タグと出典明記タグを比べてみて、明らかに両者は意味合いが違うと理解しました。たとえば、出典が一切ないように見えても、実は全て一次資料に基づくもので二次資料は特に必要ない記述だったりします。普通の記事は一次資料だけで書く部分なんてほとんどありませんけど、フィクションはそうではありません。出典の明記にしてしまうと、「みんなその作品について知れば明らかな情報ばかりだ。何やってるんだこいつは」と言う風に誤解されてしまいますよね。そんな面倒なことをするより、「ただの出典じゃない、特筆性を示す出典が欲しいんだよ!」とアピールすることがどれだけ有効か、分かると思います。
3.知識量や経験が足りないんじゃないの→必要なのは「特筆性」に対する理解と、その記事の対象・ジャンルに対するある程度の「興味」だけ、と私は思っています。ちなみに私が全く興味ないのはたとえば「音楽」ですね。バンドとかアイドルとか、ぜんぜん興味ありませんので特筆性タグを貼る気もありません(現時点での話)。これはご理解いただけることと思いますが、興味が無い記事って、存在しようがしまいがどうでもいいんです。何度か書いていることですが、知識や経験が無い(らしい)私の前に、知識や経験があるはずの方が特筆性テンプレートを一向に貼らない現状がある以上、知識や経験があれば云々というのはただの感情論だと私は思います。知識や経験がある方は、その作品について詳しいという自負から特筆性があるかないかなんて論ずるまでも無く明らかだと誤解してしまっているのであり、いわば盲目の愛ですね。そういうのって、知識や経験がある方ほど陥りやすい罠だと思います。
簡潔に答えるつもりがダラダラとした返信になってしまいましたが、今一度、ウィキペディアにおける特筆性や要出典、出典の明記などについて熟考いただけるとうれしいです。--リネン 2011年11月10日 (木) 16:35 (UTC)[返信]
コメント 先日も申し上げましたとおり、本来の作業である記事の執筆、編集にウェイトを置いて頂けるならそれで問題は解決します。ブロック解除後もブロック前の調子であくまであまり必要でないタグ貼りと削除依頼専門で行かれるのであれば、非常に困ります。如何ですか?
まあ、常識的に考えて掲載に足る著名性がありそうなものには、貼らないでください。あまりにも著名性明らかな記事に複数添付なされていますので、驚きのあまりひっくり返りそうになりました。貼付基準についてはMaximusM4さんのご意見に共感します。どこからどう見ても著名性のないインディーズバンドだったり、別に大きな大会で実績を残していないスポーツ選手だったり、そう言った場合には特筆性タグの貼付は正当ですが。この場合は削除も視野に入れた貼付にはなるのですが、逆に言えばそういったレベルでなければ貼らないでいいんじゃないでしょうか。--Hman 2011年11月9日 (水) 23:54 (UTC)[返信]
タグ貼りと削除依頼専門で行くつもりはありませんよ。色々と資料も探していますし、特に小説関係は、どこに書評が載っているのかだいぶ見当がついて、さてあとは予算の問題だなーと悩んでいるところです。私はオカルト系記事が好きなので、そっちも編集したいですし。
そもそもどこをどう読んで「タグ貼りと削除依頼専門」と勘違いされたのか分かりませんが、私にとってメインの活動とならないことは確実です。もちろん、それをメインとしている方は少なくないわけで、何で「非常に困る」のかよく分かりません。そういう人たちに失礼だと思いますよ。記事を書くだけが貢献ではないと思うんですけど。
常識的に考えて、は赤信号じゃないかなぁ。削除依頼では「常識的に考えて著名性がない」でもたぶん通る依頼があると思いますが(方針に明記されてるから)、特筆性テンプレートはWikipedia:特筆性に関連したものなんだからそうやって常識を持ち出しちゃマズイと思いますよ。
特筆性の記事にあるように、有名であることや人気であることと「正の相関を持つ」ことは確かです。でも、正の相関を持つというのは「特筆性を示す出典がどこかにあるはずだよ」という目安でしかなく、間違っても「貼るな」と指図出来るような話ではありません。
とはいっても、もちろん、明らかに人気があるとか著名であると分かるようなものは概ね貼らないか、保留という考え方をしています。たぶんこれ、Hmanさんが関わった件のゲームソフトの話をしているんでしょう。あれは確かに乱暴であったと反省していますが、だからといって「有名だから出典がなくても特筆性はある!」と主張されるつもりなら、明確に反対させていただきます。そこが最も大事なところですから。編集者の主観に頼るのを防ぐために、特筆性というガイドライン(の草案)が作られたというポイントは大事にしたいのです。
削除も視野にいれたレベルで、というのは特筆性テンプレートの意義を否定するものですから、私は全然そう思わないという主張になります。特筆性テンプレートと削除依頼は似ているが違うものであると私は認識していますし、その考え方でいったら特筆性テンプレートを貼った時点ですぐに削除依頼したことになってしまうじゃないですか。私は常々そういった削除ありきのやり方に反対しており、そんな乱暴なテンプレートを使いたいとは思いません。--リネン 2011年11月10日 (木) 16:35 (UTC)[返信]
ご理解頂けなかったようで非常に残念です。今回はこの場でこれ以上申し上げることはございません。--Hman 2011年11月11日 (金) 00:24 (UTC)[返信]

こんな方がいます[編集]

特別:投稿記録/61.45.194.238

私のところにはたくさんの忠告コメントがありますが、この方の行為は問題なしと判断されているようです。今日もウィキペディアは平常運転中ということでしょうか。

何だか手と足を縛られ、海に沈められる気分です。--リネン 2011年11月10日 (木) 16:59 (UTC)[返信]


リネンさんが考える基準を変えないまま、あるいは今のようなお話を繰り返しているままならば、まして過労死などという語句まで使用してまで、リネンさんがやらなくてもよいことをやらなくてよいと思います。ご自分の興味のある部門の記事の充実のみで活動されたほうがよいと思います。
はっきり申し上げれば、現在のお話の内容から鑑みて、特筆性のタグ貼りをなさるには、あなたは向いていないようです。
自身について完ぺき主義者のような部分があるとおっしゃっていましたが、ウィキペディアのような大きなプロジェクトで、目的が記事の充実であっても多くの記事(わずか数日間に50以上でした)にタグを貼りまわるというのは、完ぺき主義という自分に向けていずに、他人に何とかしろと投げているだけの行為なのです。個々の記事に対してその見解を沿えてタグを貼るということは受け入れられるでしょう。
ブロックは期限付きなのでもうすぐ解除されますが、今回のお話を読む限り私には大きな懸念が残ったままです。
まして、自分は反省しているといいながら、この人はどうなんだというお話の進め方は、根本的な問題点を摩り替えている証左なのです。
もしあなたが、まだ若年であるならばWikipedia:児童・生徒の方々へをよくお読み下さい。非常に失礼かもしれませんが、ここでのあなたの話を読んでいると、私には非常にお若い方なのではないかという想像をせざるを得ません。--海獺 2011年11月10日 (木) 17:11 (UTC)[返信]
そういった忠告めいたアドバイスはありがたいのですが、私は誰かの操り人形ではありませんので、何をするかは自分が決めます。
ウィキペディアとして問題のある記事にテンプレートを貼る行為が、結果として他人に何とかしろと投げているように見えたとしても、それが問題だとは私は思いません。
たとえば私がたくさん編集している記事に、ある日突然特筆性タグが貼り付けられたら驚くでしょう。しかし、その後すぐにタグ貼り付けの正当性を調査し、それが認められれば私は特筆性を示すために出典を探し始めます。もし正当性が認められないなら、ノートや会話ページで不当なタグ貼りであると意見を書きます。それが当たり前のことです。誰が張ったかなんて関係ありません。特筆性を証明するために努力すべきは、その記事に特筆性がある、あるいはあるだろうと判断する人のほうです。Wikipedia:検証可能性の「出典を示す義務を負うのは、書き加えようとする側であり、除去を求める側ではありません」と同じです。特筆性タグは、それが剥がされたとき、「この記事は特筆性を確かに満たしている」という大きなプレゼントをもたらしてくれます。これがあれば、容易には削除依頼には出せませんし、心おきなく編集を楽しめます。無意味な、あるいは害のあるタグであるかのように思っている人がいれば、それはそういった効用を知らないのでしょう。
結局のところ、特筆性タグを貼られただけで記事の存在意義を全否定されたと勝手に怒っている人その他諸々の問題なんですよ。あなたがそういう人たちの立場として発言されるのは構いませんが、それがあたかも「正しい主張」であるかのように言われるのは違和感があります。
大量貼付による混乱というのは、そうした人たちに根本的な原因があるのであって、今回は本当に仕方なく、「混乱を生じさせた」ということに関してのみ、甘んじて批判を受け入れたに過ぎません。にも関わらず、まるで私がこの特筆性の話も含めて「全て間違いだった」と認めたかのように思っている人がいるので、困り果てています。--リネン 2011年11月10日 (木) 18:16 (UTC)[返信]
前回と同様にあなたの今後に懸念を表明します。原因は違っても、あなたが複数の利用者に指摘されたことを理解できないからアカウントを乗り換えざるを得なくなったのではありませんか? 自問自答しても答えが出ないのであれば、おそらくあなたは「それが問題だとは私は思いません」という位置からよい方向へ動くことはないでしょう。
特筆性のタグを貼ること、または特筆性のタグそのものが、今回の問題ではないこともお気づきになられていないようですが、根本は「あなたには手に余るものである」ということなのです--海獺 2011年11月10日 (木) 18:35 (UTC)[返信]
いえいえ、問題が何であるかにはちゃんと気づいていますよ。
嘘も100回言えば真実になってしまうというのは本当に由々しき事態です。私一人ではなかなか大変でしょうけど、だからといって他人に私のやり方を強制するようなことは認められないでしょうし、そういった非人間的なやり方は好きではないです。
外観だけは真実になってしまったからといって、その中身が嘘であることは決して変わりません。ウィキペディアの方針が存在する限り、その嘘は絶対に真実とは認められないんです。
嘘を真実と誤解してしまっている人たちに、アホだの馬鹿だの言われても、私には真実が見えています。曇った眼鏡をかけた人間は、私を罵ったり嗤っているようでいて、実は自分が笑われていることに気づいていません。微力ですが、ウィキペディアが良い方向へ向かえるよう尽力していきますので、よろしくお願いします。--リネン 2011年11月10日 (木) 19:08 (UTC)[返信]
上記でWP:SCRUTINYの問題は無いと回答しましたが、その後の発言を見ている限り前アカウントで問題とされて指摘されている行動が改善されていないように感じます。クリーンスタートの条件には、前のアカウントで問題となった行動を繰り返し行わないという事が必要です。今後の行動を見直していただけない限り、不適切なアカウントの使用となる可能性があります事をお知らせしておきます。--Vigorous actionTalk/History2011年11月11日 (金) 02:03 (UTC)[返信]

(インデント戻し)ちょっと待ってください。一度問題ないとしておきながらそれをくつがえし、「改善されていないように感じ」ただけなのに、「見直さなければ無期限ブロックする可能性がある」とは一体どういうことでしょう。ブロックの権限を持つ管理者がこのような脅迫めいた発言をしても良いのでしょうか。強く疑問を感じます。

繰り返しになりますが私は前アカウントでとったような稚拙な行為はしていません。今回のことはあれとは性格が異なります。--リネン 2011年11月11日 (金) 03:19 (UTC)[返信]

その頑なな態度を和らげることは、リネンさんには難しいですか? あなた自身の判断力、とりわけ現在は自己判断に疑問が投げかけられていると気づきませんか?--海獺 2011年11月11日 (金) 03:49 (UTC)[返信]


申し訳ありません。以下に書く誓いが、その答えになるかと思います。自分を客観的に見て、何が「頑なな態度」を引き起こしていたのか理解できたと思います。
今後特筆性についての私の考え方を否定されたとしてもそれは「個人の考え方の違い」でしかないので不要な対話は行わない、方針に沿って行動する前にここが共同作業の場であることを確認し、方針を振りかざしての強行突破的編集は避ける、この2点を私は誓います。復帰後は、特に2点目を強く自分に言い聞かせます。--リネン 2011年11月11日 (金) 04:30 (UTC)[返信]
(追記)前者を補足します。個人の考え方の違いでしかないものを、「正しい・間違い」でジャッジするようなことはしないことを誓います。私は自分の考え方だけが正しくて、他の人の考え方は全て間違っているという「正しい・間違い」の罠にはまり込んでいました。他の方が指摘していたのはこのことだったと今気づきました。--リネン 2011年11月11日 (金) 04:35 (UTC)[返信]
コメント 先にいただいたコメントの返信を含め、こちらにてコメントさせていただきます。
例えば、先に述べた『ディープダンジョン』に限らず、ゲームソフトには大抵そのソフトを扱った攻略本が同時発行されます。「(ゲームソフト名) 攻略本」でGoogle検索すれば、過労死するほどの労力を要さずともすぐにお分かりになると思います。それら出典となりうる書籍類が項目内に記載されていなければ「要出典」状態であることには変わりありませんが、少なくとも「特筆性」については充足されることは明白です。ネット上の情報源に限定しても「十分に慎重に調査している」結果がこれでは、リネンさんの調査精度には著しく問題があると断定せざるを得ませんでしたので、先のような指摘をさせていただいた次第です。
大体にして、出典が明記された記事イコール特筆性を有するものであるとは必ずしも断定できませんし、出典が明記されていない記事であっても当該記事において取り上げられた対象が同ジャンルにおいて特筆性を有すると判断可能である場合もあります。いみじくも「もしその記事が専門的なものである場合、関連するウィキプロジェクトなどで、その分野に詳しくインターネット上では見つけられない信頼できる情報源を利用できる専門家の協力を頼んでみてください。」と方針文章にあるように、リネンさんの仰る「その記事の対象・ジャンルに対するある程度の『興味』だけ」で特筆性の有無を判断することや、「タグを貼った後は他人任せで自分は何もしない、するつもりもない」といった行為に問題がないとは些か考え難いのです。また、要出典タグにしてもそうなのですが「自身の知識不足を棚に上げた各種タグ貼付は基本的に歓迎されざるものである」ということをご認識いただきたいと思います。
現状の特筆性タグの位置付け(特筆性タグに対する大多数の利用者の認識)が間違いだとお考えになるのであれば、先ずWikipedia:井戸端等において意見提起し賛同者を募り、「特筆性タグについては方針文章に忠実な解釈をし、削除と結びつけることなく要出典タグと同様に柔軟に用いる」ことについて合意形成を図ってからとして下さい。これらは共同作業の場においては必要不可欠な手順であり、それを厭うのであれば無用な混乱を避けるべき、即ちリネンさんが正しいとお考えになる解釈ではなく現状の慣習に則った解釈を以ってタグを運用すべきです。直近のリネンさんのコメントによりますと「ガイドラインや方針を額面通りに解釈して、現状の慣習を一切無視して混乱を招くことも厭わずにご自身のやり方を貫くのは、共同作業を旨とするWikipediaにおいて不適切な手法である」ことをご認識いただいたと解釈いたしましたので、以降はコミュニティにとって最適な手段・手法を以って活動されることを期待いたします。--MaximusM4 2011年11月11日 (金) 07:39 (UTC)[返信]


コメント返信させていただきます。
1.攻略本があれば無条件に特筆性を示せると考えているのであればそれは間違いです念のため。著しく問題があるのは、おまかせ表示して出てきたものに対して無条件にペタペタ貼るような行為ではないですか?もっとも、それはただの荒らしですが(笑)
2.「慣習」については井戸端で話題にしてみようと思います。
3.それと、誤解されているところがあるので一カ所だけ。現状の慣習に則った解釈を以って私がタグを運用する予定であるかのようにおっしゃられていますが、それは違います。私は大量貼付など、明らかにコミュニティに対して混乱を与えるようなことを避けるという意味で上の誓いを書いたのであって、私自身が慣習に従うべき理由はありません。私の問題点は慣習に従わなかったからではなく、自分の考えを他の方に説明しなかった説明不足です。自分の考えは説明する必要がなく正しいと思っていたので、大量貼付のようなこともしてしまったというわけですね。きちんとノートで説明すれば、この問題は解消されると考えています。それでは。--リネン 2011年11月11日 (金) 08:38 (UTC)[返信]
コメント ゲームソフトに関していえば、同ジャンルはゲーム機ならびにソフトの発売元とそれらについての情報を報じる雑誌社が密接な関係にあり、なおかつゲームソフト単体が第三者的(二次資料的)媒体によって取り上げられることがあまりないという特殊性を踏まえた上でいろいろな判断を下すべきであると思います。確かにWikipedia:特筆性を厳密に適用した場合、攻略本やゲーム雑誌によるレビュー等の情報源が特筆性を担保するには不十分であると判断される可能性もあるでしょう。しかし、それらに対して特筆性を担保する出典としての有用性を認めないと仰るのであれば、例えば『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』シリーズのようなゲーム愛好者のみならず一般社会にまで広く知られたゲームソフト以外はWikipediaにおいて項目化するに相応しくない(特筆性を欠く、特筆性に疑問がある)と仰っているも同然なのですが、リネンさんはそういった認識をお持ちであるということで間違いないでしょうか。
さらにもう一点、念のためお伺いします。特筆性タグの運用について「『慣習』について井戸端で話題に」し、「きちんとノートで説明」した結果、他の利用者の賛同を得ることができなかった場合はどうされるおつもりでしょうか。--MaximusM4 2011年11月11日 (金) 11:37 (UTC)[返信]

(インデント戻し)「無条件に」特筆性を示す条件として使えるということなら、それは違うでしょうという意見です。詳しくはWikipedia:特筆性を読んでみてください。

ゲームソフトに限らず、私はWikipedia:特筆性に照らして「一般流通していればどんな記事でも作れる」という考え方はとっていません。なぜかといえば、ウィキペディアは複数の情報源によってその記事の現実における位置づけや評価などが説明されることを望んでいますし、フィクションについて、ウィキペディアは現実の観点を大事にするというスタンスをとっています。ただそれの内容を紹介するような記事にしかならないのであれば、ウィキペディアにことさら載せる理由もないだろうと思っています。

井戸端の話題はともかく、ノートでの説明のことについてお答えしますが、私はウィキペディアの特筆性に従った理解をしています。もし相手の方が、Wikipedia:特筆性を理解しないまま主張を続けられた場合は、理解してもらうために私が説明しますし、理解した上で「だがあなたの意見は認めない」と独自の主張を続けられる場合は、コメント依頼を考えます。--リネン 2011年11月11日 (金) 22:19 (UTC)[返信]

(追記)コメント依頼と書きましたが、そこまでやる必要はないと考えてます。上で書いたのは、あくまでifです。私は特筆性タグをつけるより、特筆性を示す出典を提示する作業のほうがよっぽど好きですので、とことん興味をもったものなら調べます。調べて調べてそれでも出ないようなら、これは特筆性タグつける必要があるな、と。そういう感じです。
もし私が、これから復帰してとにかく特筆性タグをつけることに一生を捧げるかのようなことを思われているとしたら、それは違いますので、ご安心ください。--リネン 2011年11月11日 (金) 22:46 (UTC)[返信]
コメント 根本的な話をしてしまうと、Wikipedia:特筆性は未だ草案段階の方針であり公式ガイドラインではない、すなわち何ら拘束力のないものなのですが(上記にてわざわざ「厳密に」と断ったのはそのためです)、終始お気付きいただけなかったようで残念です。草案に過ぎない方針文章に全面的に依拠した編集方針を旨とし、さらにそれを他者にまで強要するとなると些かおかしな話になってしまいます。それよりも現在の公式方針であるWikipedia:検証可能性を根拠とした出典提示を求めるよう手法を改めた方が、他者との無用な軋轢を回避できるのみならず、最終的にはリネンさんが求めるものとも合致すると思うのですがいかがでしょうか。
また、「記事編集・作成実績が少ない、または皆無であるままタグ貼付を始めとしたいわゆる“草取り行為”に傾注する利用者は、Wikipediaにおいては往々にして歓迎されざる存在と看做される」ということについても是非一度お考えいただきたいと思います。Wikipediaに対する貢献方法は一つではない(記事作成だけが貢献ではない)といったことも確かに正論ではあるのですが、正論を振りかざすことがあらゆる状況において唯一無二の正解であるとも限りません。
改めて申し上げます。これまでにリネンさんが「特筆性タグ」を貼付したような場面においては「要出典タグ」を貼付することが一般的であること、Wikipedia:特筆性に現状何ら拘束力はないこと、そして何より先ずは記事を編集・作成すべきであること、以上をよくよくご認識いただき、今後の活動において反映させて下さい。--MaximusM4 2011年11月12日 (土) 05:56 (UTC) 内容修正--MaximusM4 2011年11月12日 (土) 08:48 (UTC)[返信]
ご意見は承りました。今回の件に限らず、記事を編集しているのは生身の人間であるということを忘れずに、私なりの考え方でウィキペディアに貢献できればと思います。--リネン 2011年11月12日 (土) 10:41 (UTC)[返信]
名前を見たことがあるなと思って探してみたらWikipedia:コメント依頼/SLIMHANNYA 20111028で当を得ない発言をされた方でしたか。現状ではリネンさんはこのままブロック延長の依頼が出てもおかしくはないなという感じですね。ろくな記事を書かない、大きな加筆もしない。でも他人の作成記事にはいちいちイチャモンをつける。そんな編集を主にやっていて、リネンさんのことを快く思われる方なんているでしょうか?MaximusM4さんのコメントにもありますが、特筆性タグを率先してつけているにも関わらず、Wikipedia:特筆性をそれほど読まれていないか理解していないように思います。もし知っていてやっているなら論外ですが。その場凌ぎで記事を書きます宣言をして、今まで通り精度の低い草取りをやられるつもりが少しでもあるのならWikipediaから去られた方がリネンさんにとっても、Wikipediaにとってもプラスになるかと思います。利用者:リネンの冒頭で前アカウント活動時の反省をしたためられていますが、今回も全く同じことをやっていませんか?--Tamaiman 2011年11月12日 (土) 09:07 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。今後の活動の際には参考にさせていただきます。--リネン 2011年11月12日 (土) 10:41 (UTC)[返信]
リネンはいまブロックされています。しかしリネンさんのコメントを見るとブロック延長しか見えてきません。私なりの考え方とか参考とか抽象的すぎるんですよ。これからどのようにWikipediaと向き合っていきたいのか全く見えてきません。いまのリネンさんには、管理活動をきっぱりやめるか、Wikipediaでの活動をきっぱりやめるかのどちらかしか選択が無いように思います。--Tamaiman 2011年11月12日 (土) 13:31 (UTC)[返信]
ご意見は承りました。既に書いていますが、「個人の意見の違いに白黒つけたり、相手を間違っているとして非難することは避ける」「共同作業の場であることを確認し、対話を忘れない」、この二つを今後特に気をつけようと考えています。たとえ自分が正しいと確信できたとしても、他人に自分の意見をむやみに押しつけるようなことがないようにということは、特に気をつけます。--リネン 2011年11月12日 (土) 22:56 (UTC)[返信]


他の利用者に対する働きかけは、しばらくやめませんか? 上記のようなやり取りがあった直後にあなたがそのような行動をしても、効果はないでしょう。記事に専念していただくことを強くお勧めします。--海獺 2011年11月17日 (木) 06:01 (UTC)[返信]

海獺さんの懸念されていることは概ね理解出来ます。とはいえ、「効果がない」というのは違うと思います。私は他の利用者の方とスムーズに共同作業をするために、必要なことをお伝えしました。もちろん、他の方が伝えているなら私の出番はありませんが、そうではなかったため、これもウィキペディアの貢献の一つと考えて、僭越ながら書きこませていただきました。
私は出来れば自分が出来ることを他人任せにはしたくありません。たとえば今回のような書き込みを、「私が書くのは憚られるから」と海獺さんに依頼するなど失礼極まりない行為でしょう。そういった無責任なことをしてきたのが過去の自分であったわけですから、私としては出過ぎたことだと思われても、言うべきことは言うという心づもりです。
では、編集作業に専念したいので今回のお話はこれで終わらせてください。--リネン 2011年11月17日 (木) 06:52 (UTC)[返信]
あなたは私が懸念していることを全く理解出来ていません。あなたには現時点で、「他の利用者に対する働きかけでウィキペディアに貢献することはできない」という評価が与えられていると自覚してください。「他の人がやっていない」という全く具体性のない動機であなたがやっても効果がないということです。むしろ逆効果しかないでしょう。--海獺 2011年11月17日 (木) 07:01 (UTC)[返信]
それだと私自身の編集活動に支障が生じてしまいます。
それにしても、「評価が与えられていると自覚してください」というのには驚きました。そういうのを通常レッテル貼りというのではないですか。レッテル貼りをされると、その人との会話は成り立たなくなってしまいます。私はあなたの言うことに盲目的に従うか、もしくは拒絶するかしか出来ないことになります。そして、拒絶すれば私はさらなる酷いレッテルを貼られてしまうのでしょう。たとえば「荒らし」とか。
私自身はもちろん自覚しています。しかし、それを外部から押しつけるのはレッテル貼りと変わりません。
今回、私は誰かに自分の価値観を押しつけるようなことをしましたか?むしろそれをやっているのは海獺さんのほうではないですか。私は上記で説明したように、ただIPユーザーの方にテンプレート無断剥がしは今後避けた方がいい行為だとアドバイスしたかっただけです。誰もしていなかったから私がした、それだけに過ぎません。
問題行為を諫めるというなら分かりますが、あなたがやっていることは「お前にはそんなこと言う資格はない」というただの人格否定です。そう思われるだけなら構いません。私は確かに問題を起こしたユーザーですから。しかし、その「思い」がどんなに正しいとしても、私の通常の行動を制限するような高圧的な物言いが正当化されることはありませんよ。
もちろん、「みんなが海獺さんの行為を問題なしと言っている」としてもです。海獺さんが「自分とは意見が異なる人を侮辱したり、困らせたり、威嚇したり」しない人であると信じています。--リネン 2011年11月17日 (木) 07:42 (UTC)[返信]
正当化ですとか、どっちが正しいとかいう判断基準を持たないように努力するのではなかったのですか? これではあなたの言葉は誰にも信用されないでしょうと申し上げているのです。ご自分の言ったことに責任を持ち、しっかりと実践できないのならば、ここでの共同作業は無理ですとはっきり申し上げます。あなたの自覚のお話をしているのです。--海獺 2011年11月17日 (木) 07:46 (UTC)[返信]
あなたは最初に、現時点の私には他人にどうこう言う資格はないのでやめたほうがいいという類のことを書きこまれました。私はそれに対して、あなたの意見は分かるが、自分はこうこうこういうつもりでやっているから、それを理解して欲しいと書きました。つまり、「意見は受け入れられないが、そういう意見があることは理解した」ということです。
するとあなたは、ただの意見もしくはアドバイスであったところからとつぜん、「あなたには資格がない」という断言に近いことをされました。だから私はレッテル貼りだと申し上げたのです。
自覚というのは他人から強要されるものではありません。ここのページでも何度か書いたことはありますが、私は他人の操り人形ではないのです。他人の意見が自分にとって有用だと判断すればそれを受け入れますが、そう思わなければ受け入れないのは人間として当たり前の行動です。まして理由も示さずに拒否し続ければ問題でしょうが、理由も示しています。
Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないには、こんなことが書いてあります。「自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとします。
今回の海獺さんの行為は、まさに「いつまでも納得しない」です。自分の意見を他人に押しつけ、それを否定されたら今度はレッテル貼りをして私がそれに従うしかないかのように主張し続ける。海獺さんにしてみればそれは私のことかもしれませんが、私はあなたの「意見」を「受け入れられない」と言ったに過ぎません。意見は意見なのですから、理由を示されて受け入れられないと言われればそれまでなのです(相手が荒らし行為をしているなら話は別ですよ)。
どうかこれ以上私の人格を否定するようなことはなさらないでください。心からお願い申し上げます。--リネン 2011年11月17日 (木) 08:40 (UTC)[返信]
横から失礼します。私から見ても、貴方は海獺さんの懸念していることを理解していないように見えます。端的に申し上げれば、海獺さんは、「『たとえ自分が正しいと確信できたとしても、他人に自分の意見をむやみに押しつけるようなことがないようにということは、特に気をつけます。』と言ってから1週間と経たない間に他人の会話ページに自分の意見を書くということは、貴方が嘘つきだと思われますよ」ということを婉曲的に言っているのです。--ろう(Law soma) D C 2011年11月17日 (木) 09:15 (UTC)[返信]

(インデント戻し)こんにちは、誤解されているようなので私から説明します。

海獺さんは私の書き込みの内容を問題視されているわけではなく、私がそういう書き込みをしたこと自体を問題視されているのです。これまでの経緯すべてを把握していないと理解するのは難しいと思いますが、大丈夫ですか。

その上で、私は海獺さんの懸念は理解出来るが、問題行為をしているわけではないので、あなたの意見は受け入れられないという旨をお話したのです。--リネン 2011年11月17日 (木) 09:22 (UTC)[返信]

大丈夫です、私は貴方と同様、海獺さんは貴方が書き込みをしたこと自体を問題視していると理解していますよ。私は「他人の会話ページに自分の意見を書くということ」と書いており、「他人の会話ページに問題のある内容を書くということ」とは書いておりません。海獺さんは、内容如何に関わらず前言に反する行為をされることは信用されなくなる元だと言っているのであって、それに対し「問題行為をしているわけではない」と応答すること自体、海獺さんの懸念を理解していないということです。もっと端的に申し上げますと、A「もう相手を間違っていると言わない」A「貴方は間違っているから気を付けて」B「嘘つきと思われるよ」A「問題行為をしているわけではないのでBの意見は受け入れられない」という流れな訳です。貴方の信用問題と、発言の内容が正しいか否かは別物なのです。--ろう(Law soma) D C 2011年11月17日 (木) 10:26 (UTC)[返信]
書き込みを読む限りご理解いただけているとは思えませんので説明します。
信用問題と書かれていますのでその言葉を利用しますが、わたしが信用出来ないからという理由だけで私に対して何らかの行動制限を課すかのような行為はやめてほしいと言っているのです。
私の過去を利用して自分の意見を相手に押しつけような行為をレッテル貼りと申し上げているのです。
意見としておっしゃられているなら、それを受け入れるか拒否するかを決めるのは私自身です。しかし、それを申し上げた途端、海獺さんは「でもあなたは過去に問題行動したよね。あなたは信用されてない。だからこの意見を受け入れる以外にはない」という風なことをおっしゃって、私が海獺さんの意見に従うしかないかのような状況に追い込みました。
私が現在問題行動をしていないというのは理解していますよね。なのに、私の行動を「懸念」だけで制限しようとするのは、人格を否定しているも同然だと申し上げているのです。
それと、前言に反する行為をしているつもりはありません。説明します。
私が言ったのは、たとえば個々の価値観に関わるようなことで、どちらが正しいとか間違っているとか言うのは不可能な場面では、方針その他のルールを持ち出して白黒はっきりつけるような行為はしない、ということです。
一方、私が今回問題視された行動というのは、テンプレートを無断で剥がされた方にたいして、「テンプレートを剥がす前には事前連絡をすると混乱が避けられる」という一つの意見を申し上げたに過ぎません。
前言に反する行動とは何かを考えれば、たとえばIPユーザーさんが私の意見を受けて何か反論を書きこんだときに、「でもこれはウィキペディアのルールとしてみんなに受け入れられているんだ。あなたが何を言おうと間違っているのだからそれを受け入れなさい」と迫るような行為でしょう。
ご理解いただけましたか?私は前言に反する行為などしておりません。海獺さんのしていることは、私が今後上記のような「前言に反する行為」をする恐れがあるからやめてくれということであって、私が問題行動しているからやめろというのはないんです。「今後問題行動しそうだから今のうちにやめておけ」ということなんです。
これがただの意見なのだから、私が受け入れるかどうかは自由であることは疑いの余地がないと思います。なぜなら、未来において私がすることなど誰にも予測できないからです。もちろん、その懸念を払拭するために私が書きこんだ理由は説明しましたし、当然ですが、今後問題行為をしないように努力していくつもりです。
にも関わらず、私が意見を受け入れなかった途端、それ(今後問題行動をするという懸念)が絶対に真実であるかのようにおっしゃられました。これは、自分の意見を否定されたのにいつまでもそれに固執する、すなわち「いつまでも納得しない」だと私は判断したわけです。ご理解いただけましたか。--リネン 2011年11月17日 (木) 10:58 (UTC)[返信]
私も含め、恐らくほとんどの方があなたの現在の編集行動が、先のブロックであなたが何も学んでいないのではないかと思っているのです。誰かがレッテルを貼っているのではなく、あなたが細心の注意を払って行動すべきタイミングに、ブロックとその後の発言を経ても、結局何も学んでおらず、以前と同様の言動を続け、自分で自分のイメージを強調しているような振る舞いをしているのです。
例えば3日間の合意では短い、あるいは告知が足りないのではないかという指摘があったとき、「私はこれでいいと思った」では、以前と何も変わっていないのです。先のブロックでは、あなたがよいと思ってやっていたことが問題視されていたということを忘れているのでしょうか? まずは指摘の通りにやってみるくらいの気持ちの余裕がなければ、今後もあなたが起こす行動による軋轢が増えるばかりなのです。
急いであなたのやり方を進めていく必要は全くありません。指摘があなたにとってすぐに納得がいかないもの、その必要はないと思ったものであっても、太字を交えてまで自己主張に基づく反論を先にせず。まずは聞く耳を持ち、自分の行動をアドバイスにしたがって変えてみることからはじめてはいかがでしょうか?
当初からあなたにされている指摘はいずれも、根っこが同じのものです。再度時間をかけてでもここでのやり取りを読み返してみてください。--海獺 2011年11月17日 (木) 13:20 (UTC)[返信]
あなたは私に上辺だけの誠意を求めています。「まずは聞く耳を持ち、自分の行動をアドバイスにしたがって変えてみることからはじめてはいかがでしょうか?」というご自分の発言についてよくよく考えてください。これってつまり、納得しようがしまいが、とりあえず相手の意見を受け入れたようなそぶりだけでも見せろ、と言っているのと変わりません。何かあれば「土下座して謝罪しろ」と喚く人間と同じです。形だけの謝罪など無意味なのは、先のブロックで私自身がはっきりと理解しました。ですので、これからも形だけの謝罪や誠意を見せることはありません。
海獺さん、どうか理解してください。自分の意見を聞き入れてもらいたいなら、あなたの一連の脅迫めいた、上から目線のやり方では効果がないのです。それは私が以前やっていた行動と同じです。あなたは私と立場が違うだけで、やっていることは同じなのです。
一度ブロックされた私は現実社会で言えば前科一犯というところでしょう。前科がついた人間が社会的にどのような評価がされるか分かっているからこそ、安心して私の人格を否定するような要求が出来る。あなたがよく出す「ブロック」という言葉は、私に立場の違いを分からせるために都合良く利用されています。それを言えば私が震え上がって形だけの謝罪をするとでも思っているのでしょうか。
私たちはよく似ています。自分の意見を正しいと思い込み、相手の意見を絶対に認めない頑固者。管理者というある種の力をもった人間ならその傾向は尚更強くなります。良い機会ですから、あなたも自分自身について考えてみてはいかがでしょう。似たもの同士、色々と参考になるところがあるはずです。--リネン 2011年11月17日 (木) 14:47 (UTC)[返信]
再度、以前と全く同じことを書いておきます。以降の返答は必要ありません。
その頑なな態度を和らげることは、リネンさんには難しいですか? あなた自身の判断力、とりわけ現在は自己判断に疑問が投げかけられていると気づきませんか?--海獺 2011年11月17日 (木) 14:59 (UTC)[返信]

ノートでの提議について[編集]

はじめまして。リネンさんはここのところ、ノート:怪盗ロワイヤルノート:ロートレック荘事件ノート:ウォーリアーズノート:火車 (小説)などで提案をなされ、前2つについては反対が無かったとしてその提案に基づく編集を行っておりますが、ちょっと疑問点があります。

  1. まず1つは、提案の告知が不十分ではないかということです。ノートページに提案を書くだけでは、(活発に編集・議論されている記事・ノートならともかく)それに意見を投じる方もなかなか現れないように思います。Help:ノートページでは「ウィキペディア利用者は基本的に皆ボランティアですので、応答が付くのに長い時間がかかったり、実質的に全く付かないこともありますので、ご承知ください。場合によっては、議論を喚起するために「コメント依頼」を行ったり、テンプレートの「Template:告知」を利用したり(乱用は歓迎されませんので、ご注意ください)なども考えられます。」と記されています。意見を募集したいのであれば、それに従って記事にTemplate:告知を貼り、Wikipedia:コメント依頼に提案について記す方が良いと思うのですが。
  2. もう1つは、意見の募集期間が少々短いのではないかということです。ノート:怪盗ロワイヤルノート:ロートレック荘事件では、3日間ほどで終了ということにしていますが、Wikipedia:合意形成では「通常は168時間程度(約7日間・約1週間)が妥当でしょう」と記されています(場合によっては1週間どころか何ヶ月に及ぶ場合もあります)。提案の不十分な告知とあいまって、意見を述べる方が現れにくくなってしまうと思います。

リネンさんは先頃、「対話拒否」としてブロックされたのを受け、上記で「対話を忘れない」ということを語っていますが、このように不十分な告知・拙速な意見募集を行っていると、「一見意見を募集しているようであるが、実際は他者との対話を忌避し、自分の意見をこっそり記事に反映させようとしている」という先の言葉と正反対な行動方針をとっているように思えてしまいます。リネンさんがきちんと記事について提案や議論を行う意思があるのならば、Template:告知Wikipedia:コメント依頼を活用された方が良いのではないでしょうか。この点について、ご考慮いただけると幸いです。--松茸 2011年11月17日 (木) 09:31 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。告知が不十分ではないかということですが、私としてはテンプレートやコメント依頼を必要とするほどの編集ではないと考えています。
どちらかといえば、三日というのは(私としては)長いほうで、無用なトラブルを避けるためにノートであらかじめ提案をしたという感じです。
もし大幅な編集、たとえば、長大な記事を分割するなど、私一人では勝手に決められない状況なら松茸さんのおっしゃられているような方法を使いますが、今回はどちらかといえば「私はこういう編集を行いますが、万が一異論ある方がおりましたらご意見ください」ということで、他の方の賛成意見を必要とする場面ではないと考えています。
このように、合意形成といっても色々ありますから、一概に3日がダメで7日が良いという枠に当てはめるような形は適切でないと思うのですが、いかがでしょうか。
それと、内容については特にご意見がないようですが、もしご意見があるのであれば個別記事で承りますので、よろしくお願いします。--リネン 2011年11月17日 (木) 09:54 (UTC)[返信]
単なる見解の相違かもしれませんが、私はTemplate:告知は提議・議論がある場合はできるかぎり貼り付けた方が良いと思っています(一方、コメント依頼の方は必ず行うものではないと捉えていますが)。記事に比べてノートは閲覧される率が低く、ノートのみに提案を記しているとそれに気付かれない可能性が高くなるからです。提案事項自体は一人でも決められることかもしれませんが、それでもノートで提議を行う場合は、やはりテンプレートでの告知ぐらいは行っておかないと、「提案していることに気付かれたくないのでは?」と考えてしまいます。例えるなら、「掲示板に2枚の紙を重ねて貼り、上の紙をめくらないと見えない(2枚目があるかどうかも分からない)下の紙に重要な告知を書いておいた、気付かなかった人が悪い」みたいなものですし。
期間についても、やはり見解の相違かもしれませんが、3日だと短いように思います。Wikipediaは曜日に関係なく閲覧・編集できる人ばかり集まっているのではないのですから、せめて土日を挟むなりしないと、期間としては不適当な気がします。あまり期間を短く設定すると、やっぱり上記同様に「実は意見を募集したくない(自分の意見をそのまま通したい)のでは?」とか、あるいは「何を焦っているのだろう?」などと思ってしまいます。別に「絶対7日以上にしなければならない」とは思いませんが、「3日以下だとやや拙速」な感じはします。編集を急がねばならない事情があるなら別ですが、そうでないのならゆっくりと提案・編集を行ってもいいんじゃないでしょうか。誰に急かされるものでもないのですから。私としてはこんなところです。また、ノートでの提案について意見のあるものについては記しておくことにします。--松茸 2011年11月17日 (木) 10:49 (UTC)[返信]
三日という期間について十分と認識されておいでのようですが、誰もが毎日編集しているわけではありません。週末にしか閲覧、編集参加できない方もおります。無用なトラブルを避けたいとお考えなのであれば、一週間以上の時間をかけても良いことではないでしょうか。いずれにしろリネンさんが異論がある人は3日以内に述べてください、というスタンスより、合意形成をきちんと図ることの方が将来問題が起きるおそれは低いものとなります。異論が期間内に出てこないことは誰も反対がないこととは限らないことを十分理解していただくようお願いいたします。--Tiyoringo 2011年11月17日 (木) 10:51 (UTC)[返信]


(松茸さんへ)やはり見解の相違でしかないでしょう。既に書いたように、私がノートで書いているのは合意形成というより「確認」ですし、三日たって異論がなかったから反対意見は封じ込められたということではありません。確かに編集者の方の中には、「既に合意形成された後ですから反対意見は受け付けません」という強硬な姿勢をもった方もいるようですが、私は先の反省もあってそういうことをするつもりはありません。
期間が短い云々も、松茸さんの主観的な意見でしかなく、私は単に「三日程度しか必要ない」と考えたからそうしたまでです。
私は別に合意形成を図るつもりではなく、通常よりもやや大胆な編集なので一応ノートで予告しておこう(ついでだから反対意見があれば聞こう)という程度の心持なんですが、そこを理解されていないため、このような疑問が出ているのかなぁと思います。私は合意形成が必要なほど大幅な編集は今まで行ったことないと思っています。マイナー記事の統合を一度したくらいです。--リネン 2011年11月17日 (木) 15:01 (UTC)[返信]
(Tiyoringoさんへ)上記の松茸さんへの回答の通りです。--リネン 2011年11月17日 (木) 15:01 (UTC)[返信]
ご意見は承りました。既に書いていますが、「個人の意見の違いに白黒つけたり、相手を間違っているとして非難することは避ける」「共同作業の場であることを確認し、対話を忘れない」、この二つを今後特に気をつけようと考えています。たとえ自分が正しいと確信できたとしても、他人に自分の意見をむやみに押しつけるようなことがないようにということは、特に気をつけます。--リネン 2011年11月12日 (土) 22:56 (UTC)
というご自身の発言を早速破っておられるようで残念でなりません。何名もの利用者にリネンさんの行動が間違っていると指摘を受けているのになぜ素直になれないのでしょうか?編集に専念したい[2]と述べられていますが、ブロック終了後の履歴を見ましたが議論や草取りばかりで加筆と呼べるような加筆は一切見あたりませんでした。どのようなおつもりでしょうか?最早リネンさんには何を申し上げても無駄なように思います。--Tamaiman 2011年11月18日 (金) 05:59 (UTC)[返信]

コメント依頼のお知らせ[編集]

Wikipedia:コメント依頼/リネンを作成しました。リネンさんの言い分をお願いします。--Tamaiman 2011年11月18日 (金) 06:21 (UTC)[返信]

レムリア[編集]

葦原瑞穂という方はどのような人物なのですか? 大川隆法は著名な新宗教の教祖なのでその著書で取り上げているならば記載すべきとも言えますが、葦原瑞穂氏が(こういう言い方はあまり良くないのかもしれませんが)よくいるスピリチャル系の文筆家の一人に過ぎないのであるならば、ことさらその思想を取り上げる必要はないのではないでしょうか。おそらく、レムリアについて論じている方はその他大勢居ります。葦原瑞穂氏がどのような人物で、その思想を「レムリア」に記載すべきという根拠をお教え下さい。--Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年11月24日 (木) 22:30 (UTC)[返信]

こんにちは、私が復帰させた記述についてのご質問がありましたのでこちらで回答します。
端的に言えば、私は出典がある記述を復帰させたに過ぎません。件の人物は素性は不明ですが書籍を出版しており、書籍の記述であるという以上除去することは適当でないと思います。
もちろん、その後に続く「まとめ」的な記述は独自研究部分があったのでそのままにしましたが、IPユーザーさんは独自研究を理由に除去を行ったと(要約欄から)認識しておりますので、その過程で不適切な(故意ではない)除去が行われたのなら、復帰させる必要があります。
また、大川氏がある種の著名人であることは確かですが、別に著名人の記述だけを載せなければいけないわけではないと思います。レムリアについて論じている人がたくさんいるなら、それらの記述をまとめながら記述する必要があります。
ウィキペディアにおいて載せる必要がないのは個人サイトの情報や、無名の一般人がブログで書いた主張などです。葦原 瑞穂という人物は、それとは違うと思いますよ。--リネン 2011年11月24日 (木) 22:46 (UTC)[返信]
話が拡散するのでこちらにまとめさせていただきました。今後はこちらにお願いします。
ではリネン氏は、葦原瑞穂氏がどういう方かも分からないまま、機械的に差し戻してしまったのですか? --Starchild1884 (LuckyStar Kid) 2011年11月24日 (木) 23:04 (UTC)[返信]
そういう話ではないと思います。出典があるから記述を復帰させたということです。「素性が分からないから」とか、「よくいるスピリチャル系の文筆家」というようなご自分の主観を他人に受け入れさせようとすると、無用な編集合戦を生むことになるんじゃないかなと思うのですが。
たとえば、個人的なことを申し上げると、幸福の科学自体は著名な宗教団体だと思いますが、大川氏のレムリアについての発言が著名性があるとは全く思いません。むしろ、レムリア研究家(いるのか知りませんが)とかそういった人達の主張のほうが「レムリア」の記事においては重要かなぁと思うくらいです。
というわけで、主観の話ではないご返答をお願いします。--リネン 2011年11月24日 (木) 23:28 (UTC)[返信]

距離を置きませんか?[編集]

これまでの活動や最近の発言を見る限り、現在のあなたは

  1. その場の感情でお話をする
  2. 具体性のある根拠を基にした議論をすることができていない
  3. 複数の人から指摘されても、議論内容そのものではなく相手の理解力を疑い始める
  4. 議論のポイントが理解できていない、あるいはほかの利用者と同等の理解度や最低限の共通認識がないままに議論に参加する
  5. 自身の主張は、単に自身の判断によるものであるため、議論が平行線をたどり停滞する
  6. 議論が停滞すると自身を卑下するような発言を行うなどして論点をずらす

など、目も当てられない状態です。特にレムリアに関するほかの利用者への発言は、そのままご自身に当てはまってしまっている状態です。

先日、「あなた自身の判断力、および自己判断に疑問が投げかけられている」という指摘をしました。今ではより顕著になっているようです。

この発言[3]から、一時間ほど後で[4]この発言となり、一日後には本来記事のノートに書くべきであることを[5]議論参加者の会話ページに書いています。これでは議論撹乱させているだけの結果です。仮に議論参加者に対しての詫びの気持ちから会話ページに書いたとしても、利用者‐会話:Ks利用者‐会話:Starchild1884、およびこのページの上記節での言いっぱなしが放置されている以上、まったく統一性が言動となっています。

現在、あなたに対するコメント依頼が出ています。ブロック破りの方が提出なさったという背景もあり、議論は活発ではありませんが、第三者のコメントで指摘されている内容は、あなたにとって心当たりが全くないものでしょうか。これまで非常に多くの方が、あなたに指摘をしています。指摘されている内容は異なるものの、「あなた自身の判断力、および自己判断」が根本的な問題となっています。

Wikipediaでの活動の仕方はいろいろあります。しばらくは議論から距離を置くことを強くお勧めするとともに、記事の執筆に勤しんでいただけることを希望します。もしWikipediaでの議論やほかの利用者との関わりがあなたを夢中にしているのでしたら、Wikipediaから自主的に離れる時間を置くことも検討してみてください。--海獺 2011年11月30日 (水) 01:28 (UTC)[返信]

こんにちは。私の冷静さを欠く書き込みの中に問題があることは理解しております。海獺さんのご指摘は真摯に受け止めるつもりです。
ただ、今までの私だったら議論することすら放棄していたと思うので(荒らし扱い、コメント依頼、ブロック依頼などに直行する)、話し合いで解決しようという気持ちが自分の中に確実に出てきたことは成長したと思っています。もちろん、他の普通のウィキペディアンと比べればまだまだ未熟です。
ですので、今後しばらくは大規模な議論を伴うような活動は極力控えることにします。他の利用者との関わりは大事ですが、それは冷静な状態でのみ出来ることですから。アドバイスありがとうございます。--リネン 2011年11月30日 (水) 03:15 (UTC)[返信]


福田麻貴について[編集]

失礼します。以前、上記記事の削除依頼審議に参加され、現在活動中の方にご連絡します。Wikipedia:削除依頼/福田麻貴20120118を提出いたしましたので、ご確認いただければ幸いです。--アイザール 2012年1月21日 (土) 14:35 (UTC)[返信]