ノート:三河安城駅
この記事は2011年3月24日に削除依頼の審議対象になりました。議論の結果、版指定削除となりました。 |
申し訳ございません。かつて在来線にみどりの窓口はない、と書いてありましたが、現地までいって調べたところ、在来線にもあったことを確認したことで誤りを記入したことを深く反省いたします。--ジョアン・ハロルド 2006年8月12日 (土) 12:27 (UTC)
備考欄「JR東海道線~」の一文が論理性を欠いていて意味不明です。どなたか訂正をお願いします。利用者:Zzz(会話 / 投稿記録)2024年12月22日20:07—以上のコメントは、Zzz(会話・投稿記録)さんが[2007年4月9日 15:23 (UTC)]に投稿したものです。
ヤフー掲示板・愛知県行政板が抹消されました
[編集]三河安城駅廃止論を唱えた人物のスレももうありません。現業駅の廃止不要を叫ぶ行為は犯罪に等しく。誹謗中傷が糾弾された結果です。
ページ安城市の保護解除を提案します。
大量削除について
[編集]2007年11月13日 (火) 16:27 および 2007年11月13日 (火) 17:01で歴史の項に書かれた記事が大量削除されています。内容に問題は無く、見出しの付け替えや場所移動で十分のように思いますが、皆様の意見をお願いいたします。--M abe 2007年11月13日 (火) 14:29 (UTC)
- 特にご意見が無いということは、大量削除は妥当であるということで、よろしいでしょうか?--M abe 2007年11月15日 (木) 14:27 (UTC)
執筆者のものです。利用者:Aiaixyz氏とは会話ページで話し合いを行いましたが、現在は一切返事もないまま、削除だけが行われている状況です。自分としては、削除される理由が分からず困っています。どのように対処すればよいでしょうか?--221.118.120.201 2007年11月15日 (木) 15:48 (UTC)
- とても冷静な対応をされており、ご立派です。Wikipedia:コメント依頼で他の方の意見を聞いてみては、いかがでしょうか?--M abe 2007年11月17日 (土) 01:54 (UTC)
- どうも最近、1, 2, 3で無期限ブロックされたユーザーが再来している気がするんですよね。気のせいであればいいんですが、既にWikipedia:管理者伝言板#投稿ブロック中のユーザーのブロック逃れ(ソックパペット)にリストアップしていますんで。
- 無期限ブロックの身、あまり派手な行動は慎まれたほうがよろしいかと思いますよ。--Knua 2007年11月17日 (土) 02:47 (UTC)
お2人とも、ありがとうございます!!どうやら、もう利用者:Aiaixyz氏は活動していないみたいですね。現在は利用者:61.net219117126.t-com.ne.jpなどのアカウントで活動しているようです。七夕や南びわ湖駅、三河地方の他市への執筆姿勢から、無期限ブロックを受けた人と同一人物だと自分も思います。とりあえず記事は差し戻しておきますね。また問題が出たときはコメント依頼を活用しようと思います。--221.118.120.201 2007年11月17日 (土) 17:01 (UTC)
- 編集合戦はおやめ下さい。これは221.118.120.201氏、Aiaixyz氏、両氏に対してです。Aiaixyz氏の行動パターンから、再削除される事は十分予想できたはずです。がっかりしました。--M abe 2007年11月18日 (日) 23:31 (UTC)
すみません。もちろん再び差し戻しをされることは予想しています。M abeさんのおっしゃるようにコメント依頼を出してみようかと思いましたが、Knuaさんが管理者伝言板にリストアップされたのなら今更コメントを募る必要もないと判断して、コメント依頼を見送りました。しかし、他の記事のようにこのままAiaixyz氏の削除が黙認されることだけは避けたく、差し戻しを行いました。賢明な判断ではなかったかもしれません。ご指摘のように、Aiaixyz氏が投稿ブロックされる等の対策がされるまで、この記事や碧南市の記事はなるべく見守りたいと思います。自分で解決できず、他力本願になってしまうのは心苦しいですが、どうかよろしくお願いします。M abeさん、ご忠告ありがとうございました。--221.118.120.201 2007年11月19日 (月) 17:55 (UTC)
エリア変更
[編集]2008年4月1日に所属エリアを東海鉄道事業本部から新幹線鉄道事業本部へ移管する予定ですので付け加えてください。 --にむにむ 2008年1月8日 (火) 10:34 (UTC)
- 単純な修正ではないので難しいでしょう。2008年2月20日 (水) 11:48 まで待ちましょう。長いですが。--継之助 2008年1月12日 (土) 08:36 (UTC)
- (質問)その情報はどこから入手しましたか? 関係者から聞いたレベルでは検証可能性を満たしません。外部に公開された情報であれば問題ありませんが…--しげ坊 2008年2月19日 (火) 15:43 (UTC)
- (経過)ノート:東海旅客鉄道にて出典を提示頂けましたので、この件は解決済みです。--しげ坊 2008年2月22日 (金) 14:05 (UTC)
保護終了後の執筆方針について
[編集]あと1週間ほどで時限保護が終了し、誰でも編集可能な状態となります。しかしながら、全保護中に編集合戦の原因となった記述に関する議論がまったく行われておらず、保護終了後に編集合戦が再発し、さらなる長期の保護につながる可能性が懸念されます。
そこで、今後の執筆方針として「検証可能な出典(例えば安城市や国鉄・JR東海の公開文書など)を明示の上で」執筆して頂くことを強く求めます。--しげ坊 2008年2月13日 (水) 10:57 (UTC)
- Aiaixyz氏は、時空の旅人とオタスケマン本人である可能性が高いため、議論による収拾は難しいと思われます。--M abe 2008年2月18日 (月) 22:46 (UTC)
- (コメント)それなら現時点で議論可能な者だけで決めてしまってもいいと思います。試案として、もし出典不明な記述があれば{{要出典}}などのタグを貼って、一定の期間をおいて出典を求めます。それで出典が示されなければ独自研究と見なして除去すればいいでしょう。--しげ坊 2008年2月19日 (火) 10:54 (UTC)
シビックスクエア聞いたことないぞ
[編集]とのことなので、写真を掲載します。--M abe 2008年5月11日 (日) 03:42 (UTC)
シビックスクエア=在来線北口の広場を指すもので、北口自体をシビックスクエアとは言わないでしょう。誤解を招く表現では?スクエアとは広場のことです。
在来線北口(シビックスクエア)→北口の一部の広場がシビックスクエアでしょう。北口全体がシビックスクエアと総称されている事実はないでしょう。--Qwui9a9a 2008年5月11日 (日) 05:34 (UTC)
駅の設置経緯について
[編集]議論節
[編集]1
[編集]問題箇所の180.197.117.70さんの記述は一旦削除いたしました。
このままでは編集合戦になってしまいそうなので、三河安城駅の設置経緯について、ここで議論をしてから編集を行ったほうがいいように思います。
まず、私が記述した西三河の自治体が結束して新幹線駅の設置を求めていたというものですが、脚注にあるように『新編安城市史 通史編現代』および『新編安城市史 資料編現代』を参考に執筆しました。180.197.117.70さんが書いている安城市が誘致した、もしくはJRが安城市古井町に難色を示したという事実は確認できていません。当時の「中日新聞」は縮刷版で確認していますが、1984年1月1日付朝刊一面トップで愛知県が安城市二本木に駅候補地を一本化したというものをはじめ駅候補地が岡崎市や幸田町にあったことを裏付ける記事が多数ありました。
また、幸田町に駅設置が決まりかけていたのに安城市がそれを「かっさらった」という事実は確認できませんし、そのような意図で執筆したわけではありません。しかしながら、西三河で以前から新幹線駅設置を求める声があり、設置までに紆余曲折があったことは、ここに書いて然るべきだと考えています。180.197.117.70さんだけではなく、みなさんの意見をお待ちしています。--221.118.120.148 2010年9月26日 (日) 17:23 (UTC)
- 180.197.117.70は、Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/オタスケマンである可能性が高いので、留意してください。数年前と同じことを繰り返さないよう、お願いいたします。--M abe 2010年9月27日 (月) 13:29 (UTC)
ご忠言ありがとうございます。数年前の轍は踏まないようにします。ただ、以前と同様に議論の収集がつかなくなってしまわないか心配です。ここだけで合意形成ができれば良いと考えているのですが、180.197.37.28さんの合意がない場合は編集を諦めるべきでしょうか?--221.118.120.148 2010年9月27日 (月) 16:41 (UTC)
- すでに数年前の轍を踏んでおられるようですが。本当に合意形成してからということであれば、なぜ、削除されたのでしょう?--M abe 2010年9月27日 (月) 23:39 (UTC)
180.197.117.70による2010年9月22日 (水) 07:28の編集を削除したことについてでしょうか?互いの主張が食い違っているので、まずは該当部分だけ削除したほうが望ましいと考えました。数年前は編集合戦にまで発展してしまったので、そうにはならないように留意したいのですが。--221.118.120.148 2010年9月28日 (火) 17:34 (UTC)
- 削除したほうが望ましい、ってそれが編集合戦じゃないのですか?--M abe 2010年9月28日 (火) 23:21 (UTC)
記事を差し戻すと以前と同じような編集合戦になってしまうので、あくまで争点となっている部分を一時的に削除しました。確かに、180.197.117.70の記述を残しておき、それについての意見を募るということもできたと思います。それについては、私の行動が稚拙だったかもしれません。しかし、まだ180.197.37.28による差し戻しはありませんし、私も編集合戦に自ら加わっていくつもりは毛頭ないので安心してください。
wikipedia:論争の解決をもとに今回の争点を解決していきたいと考えています。今回の争点について、M_abeさんはどのように考えていますか?--221.118.120.148 2010年9月29日 (水) 17:40 (UTC)
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[編集]時期に隔たりがあるため分割--ButuCC+Mtp 2011年2月19日 (土) 21:58 (UTC)
コメント - ちょっと別件で刈谷市史を図書館から借りているので、該当部分を調べてみました。
(ここにあった刈谷市史資料は下部#刈谷市史に移動させました。)--ButuCC+Mtp 2011年1月16日 (日) 16:07 (UTC)
刈谷市史では幸田、岡崎、安城(現在所と名鉄交差)の4つに絞られ、あとは“県に一任”と省略されていました。また、「国定公園三河駅」については記載がありませんでした(当事者じゃないので当然か)。時間があれば愛知県、岡崎、碧南、刈谷(済)、豊田、安城、西尾、蒲郡、知立、高浜、一色、吉良、幡豆、幸田、額田、音羽の各自治体史(太字重要)を調べてきます。JRが安城市古井町に難色を示したかどうかは安城市史を見れば分かりそうですし、幸田町に駅設置が決まりかけていたかどうかは幸田町史を見れば分かるでしょう。あと、現行の記述と刈谷市史の記述とでは事業費と比率が異なるので、このあたりも各自治体史を用いて検証すべきかもしれません。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年12月6日 (月) 15:23 (UTC)
- 221.118.120.148と同一の者です。刈谷市史を調べていただき、ありがとうございました。これで論争の解決に向けて前進できそうです。
- 「国定公園三河駅」については、新編安城市史の資料編現代289頁に記述があります。また、岡崎市立中央図書館のホームページの地域資料というページにも「新幹線三河新駅誘致運動」として言及されています。お時間がありましたら確認をよろしくお願いします。私も、幸田町史や岡崎市史などの資料に目を通してみたいと思います。--Umako 2010年12月16日 (木) 18:40 (UTC)
- 課題の木曽川流通調査(本命)がやっと終わり、多少の自由が出来てきたので、追々調べようと思ってます。安城市史は資料編のコピーを所有、幸田町史はもう少し検討の余地あり、知立市史・音羽町史は希望薄、額田町史には記述なしです。また、自治体史とは別に『かなった西三河の夢 東海道新幹線三河安城駅開業記念誌』という郷土資料に新聞の切り抜きなど有力な情報がありそうです。今のところ、JRが安城市古井町に難色を示したという事実は確認できていませんが、「当初は古井地区を(安城市は)有力と見ていた→県は二本木を選定(
高木総裁細田運輸大臣が最適と言及)→方針転換・二本木地区民と調整」という流れがあったことを前述の郷土資料から確認できます。幸田町に駅設置が決まりかけていたについても同じく未確認ですが、「国定公園三河駅」の時点では安城含め幸田駅付近を推していたことと、幸田町が単独で陳情書を出していたことが関係してそうな気もします。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2010年12月16日 (木) 19:46 (UTC)--一部撤回。下記参照。--ButuCC+Mtp 2011年1月16日 (日) 16:07 (UTC)
- 課題の木曽川流通調査(本命)がやっと終わり、多少の自由が出来てきたので、追々調べようと思ってます。安城市史は資料編のコピーを所有、幸田町史はもう少し検討の余地あり、知立市史・音羽町史は希望薄、額田町史には記述なしです。また、自治体史とは別に『かなった西三河の夢 東海道新幹線三河安城駅開業記念誌』という郷土資料に新聞の切り抜きなど有力な情報がありそうです。今のところ、JRが安城市古井町に難色を示したという事実は確認できていませんが、「当初は古井地区を(安城市は)有力と見ていた→県は二本木を選定(
- たくさんの資料を確認していただき、本当にありがとうございます。開業記念誌はかなり有用な資料になりそうですね。
- 少なくとも、国鉄は二本木が最適だと考えていたようですね。県の選定が国鉄の意向を受けたものかどうかは分かりませんが、国鉄も誘致段階から口を出していたというのは興味深いところです。幸田についてですが、国定公園三河駅が大きく絡んできていそうですね。国定公園三河駅については、三ヶ根山観光の玄関口にするという構想だったと聞いたことがあるので、観光の衰退も影響しているかもしれません。私も、時間を見つけて図書館などで調べてくるつもりです。今後ともよろしくお願いします。--Umako 2010年12月17日 (金) 17:59 (UTC)
- またまた遅くなりました、ButuCCです。とりあえず訂正を。上記で言っていた件は高木総裁ではなく細田運輸大臣でした。また、「最適」というのは二本木選定後の話で、相模、富士、掛川、栗東に対して「最適」という意味でした。それも含めて今回は『かなった西三河の夢』の資料を掲示します(議論は引き続きこちらで)。
- JRが安城市古井町に難色を示したについて、JRではなく国鉄ですが、「古井に難色」ではなく「二本木を推薦」という意味ではそれらしき文が朝日新聞昭和59年1月6日号の文に記載されていました。『新幹線の新駅は国鉄在来線と交差することが望ましい』とあります。また、ついでに三河安城駅のホームがなぜ交差部にされなかったかという理由もあわせて記載されているのが興味深いです。
- 幸田町に駅設置が決まりかけていたについてはニュアンス次第では正しいとも言えます。幸田町は誘致運動を新幹線建設時代から国鉄に交渉するほど積極的に行っており、一度は「幸田と連携した方が得策」だと安城を引き入れ(刈谷は離脱)西三河広域の誘致運動の対象を幸田駅にすることに成功します。しかし、その運動が実にならなくて方針転換を余儀なくされたことや、その後の調査でも明らかなように、幸田に駅設置が決まりかけたのは誘致運動を行なう各自治体側の話であり、実際に建設する国鉄側から見れば一度も決まるどころかむしろもっとも建設し辛い立地条件にあったことが安城・県がそれぞれコンサルタントに委託した調査によってわかります。これを記事に書くならあくまでも「自治体の意向が」という但し書き、そしてそれは初期の事であったことを併記する必要があります。
- とはいえまだ新聞と単一資料のみなので、引き続き郷土史を調べ肉付けを行いたいと思います。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年1月16日 (日) 16:07 (UTC)
- またまた遅くなりました、ButuCCです。とりあえず訂正を。上記で言っていた件は高木総裁ではなく細田運輸大臣でした。また、「最適」というのは二本木選定後の話で、相模、富士、掛川、栗東に対して「最適」という意味でした。それも含めて今回は『かなった西三河の夢』の資料を掲示します(議論は引き続きこちらで)。
- 返信が遅くなってしまいました。かなりの量の資料を提示していただきまして、本当にありがとうございます。資料を拝見させていただきましたが、『かなった西三河の夢』の流れの通りに構成するといいかもしれませんね。
- 試験から開放されたので、図書館で幸田町の郷土資料を確認してきました。まず、『幸田町史』の資料編に「新幹線三河駅(仮称)新設に関する決議」(昭和44年)と、県と連署で提出している陳情書などの資料がありました。また、『芦谷郷土史』には、名古屋幹線工事局長の仁杉厳に幸田町の総合計画(総合計画に新幹線駅の記載がある)への協力を覚書で取り付けたという内容もありました。それと、幸田の負担金が多大だったことから、反対する町民が少なからずいたことも記されていました。メモしかとっておらず、資料としてしっかりと提示できずにすみません。ただ、これらから幸田町が西三河の候補地として決まりかけていたと言うことができるかもしれません。
- 私としては、かなり有力な資料が揃ってきたので、大まかな流れだけでも書ける気がしていますが、どうでしょうか?--Umako 2011年2月1日 (火) 19:07 (UTC)
- えと、今のところ自分が確認できているのは『刈谷市史』『安城市史』『幸田町史』『岡崎市史』『碧南市史』『知立市史』『音羽町史』『額田町史』『愛知県昭和史』『かなった西三河の夢』です(この題材でレポート書いてたので(笑))。『西三河の夢』は専門資料だけあって記述の根幹として差し支えない。誘致あり、工事あり、費用あり、年表ありで内容充実。基本的にこの記述を郷土資料で補完、裏付け、肉付けをする方針でよいかと。『刈谷市史』は掲示したもので全てです。『安城市史』はコピー/スキャンデータを所持しています、貴重なものと言えば『東海道新幹線新設期成同盟会』における県への一任が決まった総会の議事録があることです。『幸田町史』もほぼ該当部分のコピー/スキャンデータを所持、基本的に『三河新駅』時代のものが主流、将来国鉄が新駅を設置する場合は最優先して建設を進めるよう国鉄と交渉の裏付けが取れました。『岡崎市史』は岡崎市立中央図書館のホームページで検索して出てくる程度の内容が記載されているのみです。『碧南市史』『知立市史』『音羽町史』『額田町史』『愛知県昭和史』には特に目新しい情報なし、残る自治体のうち期待できるのは「三河新駅」時代の内容がありそうな『蒲郡市史』くらいでしょうか。『芦谷郷土史』は当然ながら所蔵する館全てにおいて貸出不可の郷土資料であり、ちょっとすぐには閲覧しに行くことはできなさそうなので、その資料から記述する内容がある場合はよろしくお願いします。
- とりあえず『かなった西三河の夢』から重要な要目を抽出して年表の加筆を近々行いたいと思います。次いで事業費の修正、その後歴史本文を加筆する余裕が出来れば行います(基本的な資料は下記に掲示しているので、そちらが加筆されるのも構いません)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年2月3日 (木) 13:37 (UTC)
- このテーマでレポートを書いたというのは、たいへん心強いです。私から話題を提起したのに、編集していただいたくのは恐縮ですが、よろしくお願いします。今回はwikipedia:論争の解決での、論争相手と話し合うことができませんでしたが、ひとまずここで合意に達したということにしたいと思います。今まで数回この件で編集合戦になってしまっているので、その折にはまたこちらで対処を考えましょう。
- 私にも何か加筆したい部分がありましたら加筆したいと思います。よろしくお願いします。--Umako 2011年2月4日 (金) 17:56 (UTC)
設置までの紆余曲折を、幸田町の主観で、書く必要は、ありませんね。三河安城駅は、安城市が主導して設置したものなのであり、幸田町に設置されたものではないので、幸田町の立場に配慮する必要は全くない。
安城市の主観で言えば、幸田町は新幹線新駅設置に失敗した、ただこれだけですね。安城市が幸田町と競争したわけでもない。とにかく、異常に幸田町の立場を強調しようとするのは、おかしいですね。
結論から言うと、幸田町の新幹線新駅設置誘致活動と、安城市の新幹線新駅設置活動は、まったくの別個のモノであるということです。なぜなら、今から幸田町が町内に新たに新幹線駅を設置することは可能だからです。
幸田町だけに偏執する異常は、西三河全市の立場見解を述べていないことからも明らか。--180.197.230.100 2011年2月5日 (土) 07:42 (UTC)--時系列順に移動--ButuCC+Mtp 2011年2月5日 (土) 16:16 (UTC)
- コメント - 私は幸田のみならず刈谷、岡崎などの立場も述べてますが。どこからそのような話が出てきているのか分かりかねます。とりあえず、三河安城駅は、安城市が主導して設置した、安城市が幸田町と競争したわけでもないという意見から下記の資料を全く理解できていない上でのコメントと思っていますが、それは置いておいて、貴方の意見は安城市の主観、幸田町の主観に基づくものである事を自ら告白したものであり、客観的なものを記載すべき百科事典のスタンスに反しているのは明らかです。また、『幸田町の新幹線新駅設置誘致活動』『安城市の新幹線新駅設置活動』といった単独誘致の話は一切してません(黎明期のものを除く)。私が挙げているのは『新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会(岡崎・豊田・安城・西尾・蒲郡・幡豆・幸田・額田・碧南・一色・吉良・音羽)』と『東海道新幹線駅新設期成同盟会(左記+刈谷・知立・高浜)』です。そして、三河安城駅設置後の幸田町における誘致運動(自分は存じていませんが、仮にあったとして)についてここに記載する気は一切ありません。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年2月5日 (土) 16:16 (UTC)
- コメント Butu CCさんが、たくさんの資料を提示してくださりました。まずはそれに目を通してみてください。現在の編集内容は「幸田町だけに偏執している」とは思えませんし、西三河がまとまって誘致に向けて動いていたことが分かる年表だと思います。また、参考資料についても『かなった西三河の夢』というそれぞれの市町の立場を踏まえた、一定以上の客観性を持つ資料だと思っています。--Umako 2011年2月12日 (土) 17:20 (UTC)
だから、国定公園三河駅(幸田町)は、三河安城駅ではない。誤解を招く表現であり、誤った歴史認識である。 安城市では、当時、豊橋・名古屋の中間駅って言ってるよ。マピオンキョリ測ではかると、名鉄古井駅辺りが ちょうど中間なんです。で、第1候補に挙がった。資料の選択解釈がおかしいですね。
三河安城駅の請願者・最大出資者=安城市。設置者・運営者=JR東海(国鉄)で、幸田町とは一切の関係がない。神奈川県の史料にもそう書いてあるでしょうが。幸田町とは隣接していないため、広域行政も一切の関係がない。 西三河地域の新幹線駅なんだというスタンスからして、誤り。
JR幸田駅に、1人でも安城市民の利用者があれば、安城市の駅だなんて書くようなもんでしょ?
新幹線駅が数が少なく、特別なものなんだという認識をしているから、やたら広域で書きたがる。--180.197.216.36 2011年2月13日 (日) 18:42 (UTC)
幸田町のつくった国定公園ナントカ同盟は解散して、新たに東海道新幹線新設期成同盟会に変わっているでしょ? 自分で書いて、おかしいと、思わないの?
三河湾国定公園は、安城市内にないため、安城市とは一切の関係がない。三河安城駅の仮称が国定公園ナントカであった事実もない。安城市の議事録にも、JR東海の資料にも、どこにもない。
安城市やJR東海を主語に置いた場合、国定公園ナントカ駅はまったく関係がない。 あるのは、岡崎市や幸田町を主語に置いた場合、岡崎市史の中で、新幹線新駅誘致運動で触れているだけです。 岡崎市や幸田町が、三河安城駅を設置した事実は、どこにもないのです。なぜなら、自治体請願駅だからです。 岡崎市外・幸田町外にある三河安城駅を請願した事実はありません。というか、請願できません。--180.197.216.36 2011年2月13日 (日) 19:23 (UTC)
- あなたが言っているのは独自研究ではないでしょうか。違うと言うならそういう供述をした資料を掲示してほしいのですが。
- 国定公園三河駅(幸田町)は、三河安城駅ではない。
- そうですが何か? 文面からして貴方は「新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会→東海道新幹線新設期成同盟会→駅建設」という流れであることは理解してるはずですが。「新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会」が三河安城になったなんて誰が言ったのですか?
- 安城市では、当時、豊橋・名古屋の中間駅って言ってるよ。名鉄古井駅辺りがちょうど中間なんです。で、第1候補に挙がった。資料の選択解釈がおかしいですね。
- この文からも下の資料節をほとんど理解できていない証左です。碧海古井駅が最有力となってるでしょうが。
- 三河安城駅の請願者・最大出資者=安城市。設置者・運営者=JR東海(国鉄)で
- そういう事実は駅場所決定とは別の歴史的事象としてあるのであって、それはそれで記載すればいい事です。駅場所決定の話と同居して何ら問題はない。
- 幸田町とは一切の関係がない
- 何度も言いますがそれならばそのような資料を掲示してください。幸田町は東海道新幹線新設期成同盟会に参加しているのになんで無関係なのですか?
- 神奈川県の史料にもそう書いてあるでしょうが。
- なんで愛知県の歴史なのに神奈川の資料を重要視するのか意味ががわかりません。それは三河の郷土資料を無視してまで重要な話なのですか(神奈川…ということは相模新駅の引き合いに出されているに過ぎないのではないでしょうか)。
- 幸田町とは隣接していないため、広域行政も一切の関係がない。西三河地域の新幹線駅なんだというスタンスからして、誤り。
- 広域行政に隣接なんて条件があったでしょうか。そして、西三河地域の新幹線駅なんだというスタンスが誤りという出典を掲示してください。全資料において単独自治体の運動ではなかったことは一致しています。三河どころか、運動の規模は県レベルです。
- 新幹線駅が数が少なく、特別なものなんだという認識をしているから、やたら広域で書きたがる。
- それはあなたの感想であって私の知るところではありません。
- JR幸田駅に、1人でも安城市民の利用者があれば、安城市の駅だなんて書くようなもんでしょ?
- その例えの意味がわかりません。私は「三河安城駅に1人でも幸田町民の利用者があれば、幸田町の駅」だなんて一言も申していませんし、そんなこと微塵も思っていません。拡大解釈も甚だしいです。
- 幸田町のつくった国定公園ナントカ同盟は解散して、新たに東海道新幹線新設期成同盟会に変わっているでしょ?自分で書いて、おかしいと、思わないの?
- わたしはあなたのその考え方がおかしいとしか思えません。貴方の言っていることはマケドニア共和国において国名論争の結果独立当初はマケドニア旧ユーゴスラビア共和国という国名になってしまったがもともとはマケドニアを正式名称にしようとしていたということや、準惑星において日本学術会議の推奨で準惑星となったが当初はdwarf planetの訳語として矮惑星が使われていたことを書くと「おかしい」と言っているようなものであり、こういった歴史の流れを無視した隠蔽行為にしか見えません。寧ろ、解散して移行しているのですからそれは「発展的解消」であって、つながりがある両者を歴史の流れとして書くことが何が問題なのか、そもそも“歴史”がどのようなものか理解しているのかという段階から疑わざるを得ません(ここでつながりが“ない”と仰るなら資料を掲示してください。以下の資料で移行したことは証明済みですから)。
- 三河湾国定公園は、安城市内にないため、安城市とは一切の関係がない。
- 「三河湾国定公園がない」ことと「新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会に参加する(安城市は参加)」ことと何の因果関係があるのですか?
- 三河安城駅の仮称が国定公園ナントカであった事実もない。
- そもそも「国定公園三河新駅」をそのまま駅名称に採用しようとしていたという出典はどこからですか? また、三河安城駅の駅名は二本木に決まった時点ですらまだ未定だったのにそれが何で無関係である論に関係するのですか。
- 安城市の議事録にも、JR東海の資料にも、どこにもない。
- そんなあなたには幸田町史の資料編の閲覧をおススメします。新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会の文書にはっきりと安城市長の名前が連名されてますよ。
- 安城市やJR東海を主語に置いた場合、国定公園ナントカ駅はまったく関係がない。
- 先の幸田町と逆になりますが、安城市は新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会に参加しているのになんで無関係なのですか? JR東海に至っては三河安城建設に全く関与してないし、それが国鉄だったとしても二本木選定(県内)に国鉄は関与していません。国鉄にしてみれば「どこでもいい(もっといえば三河じゃなくてもいい)から駅を作ります」程度の認識であって、安城だろうが岡崎だろうが幸田だろうが結果が出るまでは高みの見物を決め込んでいたに過ぎません。あと、根本的な話ですがWikipediaは(主観客観の話と同じく)特定の対象を中心に据えるような書き込みを行う場所ではありません。安城市を主語にした記事は『安城市』であり、JR東海を主語に置くのは『東海旅客鉄道』という記事です。三河安城駅を主語にするこの記事において安城を主語とするのは安城中心視点(安城POV)であって中立的な記述ではありません。
- あるのは、岡崎市や幸田町を主語に置いた場合、岡崎市史の中で、新幹線新駅誘致運動で触れているだけです。
- 貴方の「岡崎市史の中で、新幹線新駅誘致運動で触れているだけ」という文面をもって「あなたは安城市史を読んだことが無い」ことがはっきりしました。事実誤認も甚だしいです(いまさらですが、『かなった西三河の夢』を編纂したのは安城市です)。
- 岡崎市や幸田町が、三河安城駅を設置した事実は、どこにもないのです。
- (繰り返しますが)そうですが何か? 文面からして貴方は「新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会→東海道新幹線新設期成同盟会→駅建設」という流れであることは理解してるはずですが。岡崎市や幸田町が三河安城駅を設置したなんて誰が言ったのですか?
- なぜなら、自治体請願駅だからです。岡崎市外・幸田町外にある三河安城駅を請願した事実はありません。というか、請願できません。
- (繰り返しますが)請願駅に単独自治体なんて条件があったでしょうか。三河安城駅の請願に参加できない規定があるのでしょうか(というか、岡崎市は三河安城駅建設に関して1億8600万円の寄付金を支出(刈谷市史)してますが、これを協力と言わず何というのでしょうか)。
- 総括すると、貴方は資料をことごとく無視、もしくは神奈川やら外部資料やらネット上で簡単に確認できるものしか上げておらず、出典の明記や検証可能性を全く理解していない発言と捉えています(岡崎市史で新幹線誘致運動が載っているのは総集編の20巻だけであり、しかもその内容は岡崎市中央図書館から閲覧できます。新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会については安城市史にも当然幸田町史にも掲載されているのにこれしか載ってないと断言するのが資料を読んでないとする証拠です)。
- 今後下記の資料に反論するならば、出典の明記や検証可能性に基づいたきちんとした出典をもった反論でなければ取るに足らないと考えています。また、現在本を返却中なのでもう少し後になりますが、現状では下記資料に基づくという流れで合意に達しており、新たな出典に基づいた反論がなければ本文も加筆する予定です。その際、貴方が議論を無視して本文を淡々と除去される場合は荒らしとして半保護も検討します。
- 最後に、上でも挙がってますが、あなたの議論傾向やIP情報(場所・詳細)よりWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/オタスケマンである可能性を疑っています。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年2月14日 (月) 10:59 (UTC)
※時系列順に移動--ButuCC+Mtp 2011年2月15日 (火) 13:15 (UTC)
これは、東海道新幹線仮称三河駅の建設寄附金でございまして、当初これは、建設費総額が135億でございまして、このうち県45億、安城市が55億ということでございまして、残りの35億を寄附金で賄いたいという意向があったようでございます。岡崎市といたしましては、市民の利用の範囲、そうしたものの算定の中から1億8,600万円というものを算定したわけでございまして、他市とも見合いながら、この寄附金を1億ということで本年計上したわけでございます。
岡崎市の議事録ですが、寄付金の意味、わかってますか?民間の寄付金もあったわけで、民間人も三河安城駅の事業者ということになってしまいますけど?民間の寄付が16億もあるのに、たった1億の岡崎市ですよ。 一部事務組合じゃないんですよ。民間の寄付金と同列の寄付金があるだけです。
これで、なんで、岡崎市や幸田町が、三河安城駅の請願者になるんですか?安城市が主導する新幹線三河安城駅設置事業資金に民間よりもはるかに少ない寄付金を出した、ただそれだけです。
三河安城駅の歴史は、駅設置から始まります。設置以前に歴史はない。仮に岡崎市が事業者の1人 だとすると、岡崎市が岡崎市に寄付金を出すことになるので、おかしいことはわかりますよね?--180.197.216.36 2011年2月15日 (火) 08:16 (UTC)
昭和59年 3月 定例会 これは先ほどお尋ねした新幹線駅とも関連が深い問題でございますが、県が西三河駅誘致の地点を安城の二本木に決定したことにより、新駅とのかかわりはなくなったことになるわけですが、1月25日の公共交通対策特別委員会で市長は今後都市問題として視野を広げ、積極的に調査研究をしていきたいと言われておりますが、新幹線駅が岡崎を外されたいま、さらに新交通システムを推進するつもりがあるかないかお伺いいたします
岡崎市議が、岡崎市議会の定例会で、三河安城駅との関与は一切なくなったと公言している箇所です。議事録という公文書の重み、わかりますか?だから、岡崎市や幸田町が誘致運動設置したなど、デタラメもいいとこです。--180.197.216.36 2011年2月15日 (火) 08:28 (UTC)
国定公園三河駅=昭和55年以降の岡崎市議事録(公文書)で、一切確認できない名称。岡崎市議事録では、西三河新駅という用語が頻出。あるいは、仮称三河駅。このことから、国定公園三河駅が公的に使用されていた形跡がないことが判明。幸田町史などによる後付の捏造で任意の仮称をさも公的用語であったかのように書きなぶっている可能性。--180.197.216.36 2011年2月15日 (火) 08:48 (UTC)
- >2011年2月15日 (火) 08:16 (UTC)への反論
- 寄附金の話
- 貴方の拡大解釈が招いた矛盾ばかりで困惑しています。私は駅設置運動に岡崎市が関係ないと仰る貴方の意見の反論として「関連性」を述べているにすぎないのにいつから「寄付すれば三河安城駅の事業者」とか「寄付金の程度が多いか少ないか」という話になったのですか。繰り返しますが寄付の多少は駅場所決定とは別の歴史的事象としてあるのであって、それはそれで記載すればいい事です。
- 三河安城駅の歴史は、駅設置から始まります。設置以前に歴史はない。
- やはり貴方は歴史と言うものが何なのか理解していない危惧を抱きます。貴方の言っていることはアメリカ合衆国の歴史においてアメリカ合衆国建国以前の歴史を書くことや安城市において市制以前の歴史を書くことを否定しているのと同義だという事に気が付いて下さい。
- もっといえば、三河安城の同期である新富士駅 (静岡県)を是として三河安城を非とする理由は貴方の個人的歴史観しか拠所が無いという事です。
- >2011年2月15日 (火) 08:28 (UTC)への反論
- 岡崎市議会の定例会
- 貴方が字面通りの解釈しかしないことがよくわかりました。もっとよく読んでほしいですね。
昭和59年 3月 定例会
これは先ほどお尋ねした新幹線駅とも関連が深い問題でございますが、県が西三河駅誘致の地点を安城の二本木に決定したことにより、新駅とのかかわりはなくなったことになるわけですが、1月25日の公共交通対策特別委員会で市長は今後都市問題として視野を広げ、積極的に調査研究をしていきたいと言われておりますが、新幹線駅が岡崎を外されたいま、さらに新交通システムを推進するつもりがあるかないかお伺いいたします
- 解りましたか? この議事録は新幹線駅建設に付帯して整備するはずだった“新幹線連絡”の新交通システムの今後について議論しているものなのです。候補の一つであった岡崎市正名地区は連絡交通機関が無いため選定の際にも新交通システムを整備することが条件として付加されていたのは(下記資料を見れば)御理解できると思いますが、市長が新駅が二本木地区に決まり正名地区への設置が無くなったにもかかわらず、“新幹線連絡”の新交通システムだったはずなのに『今後都市問題として視野を広げ、積極的に調査研究をしていきたい』と発言したため、今後は“単独”の新交通システムとして整備は引き続き行う予定でいるのか伺っている議論と考えるのが筋でしょう。新幹線駅への協力そのものについては誰も論じておらず、ここでは新交通システムを焦点においていることが御理解できたでしょうか。
- >2011年2月15日 (火) 08:48 (UTC)への反論。
- 国定公園三河駅=昭和55年以降の岡崎市議事録(公文書)で、一切確認できない名称。
- 何で昭和55年以降ですか? 「新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会」の活動期間は昭和44年から昭和49年ころで、そこから新市町を取り込み「東海道新幹線駅新設期成同盟会」になっているというのに。昭和55年時点では「国定公園三河駅」は死語でしょう。載ってなくて当然ですが、「それがどうしました?」というレベルの話です。
- 岡崎市議事録では、西三河新駅という用語が頻出。あるいは、仮称三河駅。このことから、国定公園三河駅が公的に使用されていた形跡がないことが判明。
- 「国定公園三河駅」を『仮駅名』という認識でいるのは貴方だけである事を繰り返し述べておきます。私は「新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会」と期成同盟会の名前に使われているという認識でしかないです。貴方が仰るように仮称三河駅というのはありますね。これは貴方が「国定公園三河駅が公的に使用されていた」という誤解をしていたのを自己解決しただけなので判明も何も今更な話です。
- 幸田町史などによる後付の捏造で任意の仮称をさも公的用語であったかのように書きなぶっている可能性。
- 確かに国定公園三河駅という名称は各資料に出てきてはいます。ですが、仮称として用いたのかハッキリわかる文面はないのに貴方は何を根拠に「任意の仮称をさも公的用語であったかのように書きなぶっている」としたのか分かりません。むしろ、そういう事実があるなら知りたいくらいです。
- …今回前後の投稿で「デタラメ」だとか「捏造」だとか仰っている内容は全て貴方の拡大解釈によって貴方自身が勝手に「デタラメ」を創出してしまい、それによって一人で勝手に被害妄想に陥っているだけだということを申し添えておきます。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年2月15日 (火) 13:15 (UTC)
- PS:議事録を調べられているようですが、注意していただきたいのは、上記のような問答や発言を取り上げる場合はあくまでその議員の一意見にすぎない可能性も考えてください。例えば上記の新交通システムの伺いについても議員が市長に質問している場面でしかなく、その文面を持って『岡崎市政全体の総意』であるというのは間違いであるというのは明らかでしょう。議事録を根拠とするならば議論における発言だけを取り上げるのではなく、その議論の結論、つまり議会全体の意見とはっきり分かるものでないと役に立ちません。その意味では、岡崎市史など郷土史(行政関連部分)は、過去に起きた論争などの経過・結果を歴史として書き連ねる議事録とも言えるでしょう。--ButuCC+Mtp 2011年2月19日 (土) 10:55 (UTC)
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[編集]節肥大化のため分割--ButuCC+Mtp 2011年2月19日 (土) 21:58 (UTC)
あなたは、本文中に、国定公園三河駅新設期成同盟会に安城市が加入しており、幸田町内に、駅をつくってと陳情したと、ウソを書きました。三河安城駅設置直前の岡崎市議会の議事録の公開により、岡崎市は岡崎市内に、安城市は安城市内に陳情しているのは、明らか。
国定公園三河駅新設期成同盟会に法人格はなく、一部事務組合でもありません。また、あなたは、国定公園三河駅新設期成同盟会の議事録および定款規約規定を公開していません。ただの集会に、そんなモノあるわけありません。
ナントカ市史は、すべて三河安城駅設置後に編纂されたものばかりであり、いくらでも書きなぶれます。だいたい、刈谷市史には、国定三河公園駅は出ていないでしょ。岡崎市議会議事録は、後から改ざんすることはできないリアルタイムの政策決定プロセスです。
幸田町、国定公園三河駅→岡崎市→三河安城駅。あなたは、このように年表をつくりました。あたかも、幸田町や岡崎市が、三河安城駅を作ったと誤解させるような。三河安城駅をつくったのは安城市です。岡崎市の議事録にもはっきり書かれています。
会議録とは… 会議の次第をそのまま記録した公文書で、議事運営を公認する書類です。 会議録は議会の活動経過を記録するため、また、会議録公開の原則に基づき、住民に会議の内容を公開するために作成されています。 本会議会議録は、地方自治法に基づき、議長が作成を義務付けられているものです。
市史編纂は、地方自治法に定めはありません。市史編纂の審議に市会議員が参加することもないです。
昭和57年 6月 定例会 県の主導により、東海道新幹線駅新設期成同盟会の会長市の立場では、具体的な発言も限界があるかもしれませんが、現在までの状況と、今後の見通しについて、お尋ねいたします。特に、国鉄では地元負担の要望があり、この100億、150億の調達は困難なことであり、また、自治体の負担は問題があるので、第8セクター方式をお考えのことと思いますが、この点もお願いいたします。
東海道新幹線駅新設期成同盟会なるものが、県の主導という干渉を受けて、岡崎市の意のままにならない状態を吐露したモノです。つまり、愛知県、JR(当時国鉄)、そして安城市が、主導権を持ってる様子が伺えます。
昭和59年 3月 定例会 しかし、市長は同盟会の会長の立場から誘致場所指定を57年9月4日、9市5町の市町村長及び各議長の念書を入れ、単独行動をしないことを前提に誘致場所の決定を知事に一任されました。県はこれを受けて広域的な立場で調査研究をされ、その結果、新駅の誘致場所を安城の二本木地区と決定した。
岡崎市の会議録からわかるのは、誘致の同盟会は、特定の場所=幸田や岡崎を押していた事実はないってことです。--180.197.76.110 2011年2月19日 (土) 19:13 (UTC)
- 2011年2月19日 (土) 19:13 (UTC)への反論
- あなたは、本文中に、国定公園三河駅新設期成同盟会に安城市が加入しており、幸田町内に、駅をつくってと陳情したと、ウソを書きました。
- これについての貴方の根拠は『三河安城駅設置直前の岡崎市議会の議事録の公開により、岡崎市は岡崎市内に、安城市は安城市内に陳情しているのは、明らか。』。また意味不明なことをおっしゃいますね。なんで設置直前ですか?。陳情は昭和44年に行われたのに。
- あと、その陳情はウソでもなんでもないです。『新編安城市史 資料編現代』の288-289頁、〈176〉新幹線「国定公園三河駅」設置についての陳情(1969年)に載ってます。陳情の要旨は『愛知県幸田町地内に新幹線の「国定公園三河駅」を新設していただきたい。』、最後に『新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会』の名目で岡崎市長・豊田市長・安城市長・蒲郡市長・西尾市長・碧南市長・一色町長・吉良町長・幸田町長・幡豆町長・額田町長・音羽町長の順で連名されています。またこの資料は市史独自のものではなく出典として「昭和44~51年度 東海道線駅新設期成同盟会綴 永年保存 区画整理2課」が挙げられており、安城市役所所蔵とあります。
- もう埒が明かないので、国定公園三河駅新設期成同盟会に関して議事録を調べるならせめて昭和40年代のモノにして下さい。ハッキリ言って意味ないです。
- 国定公園三河駅新設期成同盟会に法人格はなく、一部事務組合でもありません。また、あなたは、国定公園三河駅新設期成同盟会の議事録および定款規約規定を公開していません。ただの集会に、そんなモノあるわけありません。
- 何で法人とか形態の話になるのか。そんな話全くしてませんよね。議事録については次の反論と内容が被るのでここでは省きます。
- ナントカ市史は、
- いい加減イラついてきたんですけど、何市史を指すのかハッキリ言って下さい。何市史の内容を問題視しているのか分からないんですけど。
- ナントカ市史は、すべて三河安城駅設置後に編纂されたものばかりであり、いくらでも書きなぶれます。
- 通史編はともかくとして資料編はただの写しなのにどう「いくらでも書きなぶれます」のか理解できません。
- だいたい、刈谷市史には、国定三河公園駅は出ていないでしょ。
- 刈谷市史に国定三河公園駅が出てるなどいつ話題になりましたか? 刈谷は新幹線国定公園三河駅新設期成同盟会に参加していないのだから当然の話ですが。
- 岡崎市議会議事録は、後から改ざんすることはできないリアルタイムの政策決定プロセスです。
- 議事録の話が出たのでここで。確かに議事録は「改ざんすることはできない」かもしれませんが、それと「リアルタイム」は別の話です。貴方の掲示する議事録はどれも昭和55年以降ばかりであり、陳情が行われて10年以上後の議事録なんてみて何が分かるのですか? リアルタイムとか主張したいならあと11年以上は遡ってください。
- 幸田町、国定公園三河駅→岡崎市→三河安城駅。あなたは、このように年表をつくりました。
- つくってません。どんな悪意的な読み方をすればそんな解釈ができるのか不思議です。
- あたかも、幸田町や岡崎市が、三河安城駅を作ったと誤解させるような。三河安城駅をつくったのは安城市です。岡崎市の議事録にもはっきり書かれています。
- 上に同じく。誤解しているのは貴方だけです。
- 会議録とは…
- そうですけど何か。議事録自体は別に『東海道線駅新設期成同盟会』でも作ってますし、残ってます(安城市史資料編に誘致場所の県への一任の議事録が収録されてます)。
- 市史編纂は、地方自治法に定めはありません。市史編纂の審議に市会議員が参加することもないです。
- 『市史編纂の審議に市会議員が参加することもない』という意見は貴方の「自治体史はデタラメだ」という前提でこそ出てくる話ですよね。世間の歴史的資料には全て議員の検閲がないと信用できないとでも言わんばかりの理屈であり、市史編纂に議員が関わる関わらないが何の関係があるか理解できません(あなたのそのデタラメ意識については最後に述べます)。
- 昭和57年 6月 定例会
- 県に一任された経緯について安城市史に期成同盟会の議事録が残ってます
〈177〉新幹線新駅候補地の1本化は県に一任を決定 (1982年)
2 来賓挨拶 (要旨)
— 安城市役所所蔵「昭和57~58(1/2)年度 東海道新幹線駅新設に関する文書(2/3) 永年保存 企画課」、『安城市史 第八巻 資料編現代』 289-292頁
○武川愛知県副知事
国鉄は新幹線こだま駅の設置意思を示した。西三河地域に新駅を設置することは、他のどの要望駅より有力な条件を備えている。
国鉄は行革、財政再建という厳しい条件下にあり難しい状況にある。
新駅設置には地元の熱意が最も必要で覚悟して取り組んでもらいたい。
また位置の決定についても関係市町の合意が必要である。
〈田川企画部長、丹羽交通対策室長列席〉
○酒井鈴夫県議代表
〈杉浦(安城)倉知(豊田 西加茂)柴田(岡崎)小田(幡豆)各県議列席
この西三河に新幹線駅を新設することは地域の発展のために必要である。
同盟会のご協力に感謝する。
しかし進展していない。
新駅設置 国鉄は負担しない。地元全額負担である。
駅位置の合意が進展の第1である。駅位置の決定は難しいが、関係市町の合意があるならば、県も協力させてもらう。
合意点をみつけることに西三河県議団も我田引水を排し努力する。
○大川名鉄局企画室長
新幹線は開業以来17億人の利用があり、56年度1億2千万人利用し、死亡事故は零で最も優秀な輸送機である。
名古屋、豊橋間は約70㎞、この地域から名古屋か豊橋に出るのは1~2時〔間〕かかる。
三河駅は他の要望駅と比較し群を抜いた条件環境のところである。
設置には全額地元負担をお願いする。
名鉄局として資料の提供など協力する。
期成同盟会を中心に一層運動に努力願いたい。
3 協議会 (発言要旨)
※総会後。協議会として今後の進め方を協議
○岡崎市長(会長)
他の要望地域は単市で位置が確定している。この地域は広域で位置の決定難しい。よって一致協力して心機一転強力な運動をしなければならない。位置の決定は西三河全体から見てもっとも高度な判断により個々にとらわれることなく実務的な数値から決めてもらいたい。
積極的な推進を県に一任したい。
○倉知県議
この9月県議会で新駅設置の一般質問を行う。53年12月議会で中央新幹線の問題とともに東海道新幹線新駅設置の件も質問した。
県としても今年中に国、国鉄に新駅設置を働きかける必要がある。時期を失しないように対処必要。
質問のために意見を聞かしてもらいたい。
一任と言われても県も難しいと思われるが関係市町の合意が第1だ。
○西尾市長
同盟会もすでに県に一任ということになっている。したがって県で早急に検討し処置できる対策を。
○会長
位置の一任異議ありませんか。(拍手)
単独で行動しないことを申し合わせます。
○武川副知事
理想的には、位置は同盟会で決めてもらうのがよいが、今日の同盟会の意向は理解できました。9月県議会の倉知議員の質問に答えるかたちで何らか県の態度を決めていきたい。
○会長
この際、位置について発言したいところは発言してもらった方がよいか、どうか。
○安城市長
位置は、おれのところと云わない方がよい。この際、関係の市、町長と各議長の陳情書を作成して県へ提出することを提案します。
○会長
提案に対し賛成をはかる。
○全員賛成の拍手
以上で協議会終了。
- 東海道新幹線駅新設期成同盟会なるものが、県の主導という干渉を受けて、岡崎市の意のままにならない状態を吐露したモノです。つまり、愛知県、JR(当時国鉄)、そして安城市が、主導権を持ってる様子が伺えます。
- これに関しては完全に貴方の憶測ですよね。とくに国鉄や安城市なんて貴方の岡崎市議事録に単語すら出てきていないのに何故わかるのですか? そもそも期成同盟会は複数の自治体で結成されたのに岡崎市は「意のまま」にしようとしていたのですか? 期成同盟会の形態的に単独自治体の意のままにするとかしないとかの話に何でなるのかが意味不明です。「県の主導」を「干渉」と判断するのも「岡崎市が期成同盟会を操る」という貴方の憶測からの前提によるものですし、そういう事が主張したいのなら出典を示して下さい。
- 昭和59年 3月 定例会
- これは私が上にあげた期成同盟会の議論の結果を述べている物ですね。後半はそれによる県の判断結果です。
- 岡崎市の会議録からわかるのは、誘致の同盟会は、特定の場所=幸田や岡崎を押していた事実はないってことです。
- 昭和59年3月の会議録から判断するとかふざけるのもいい加減にして下さい。昭和59年1月に二本木地区に決まったというのに。決まった後の会議録に何の意味がありますか? 期成同盟会が特定の場所を押したかどうかはもっと前の会議録を見るべきですし、岡崎だけじゃなく安城・幸田の議事録や同盟会の資料を探るべき内容です。
- コメント1。どうして貴方が昭和54年以前の岡崎市議事録を探らないのか、いや、逆に岡崎市議事録の昭和55年以上に限定して他の自治体議事録や文献にあたらないのか疑問に思っていましたが分かりました。またネット依存ですか。ホント、ネットの情報だけじゃなく図書館など文献を漁ってみてくださいと言いたいです。
- コメント2。今回の投稿(いや前回からも)で貴方は郷土史料の内容について「デタラメ」だとか「いくらでも書きなぶれます」とか散々なことを仰ってますが、貴方の個人的意見の他にその史料が間違ってるという根拠はありますか? 貴方自身が「これは正しい」「これは捏造」とか情報の選定をしているならそれは独自研究です。
- コメント3。Wikipedia:コメント依頼に出してみます。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年2月19日 (土) 21:58 (UTC)
- コメント - ここで挙がっている資料に疑問があるのなら、まずは自分の眼で確かめに行ってください。『新編安城市史』でも『かなった西三河の夢』でも、安城市中央図書館にあります。あなたが図書館に行けない何らかの事情を察すべきかもしれませんが、それならば編集には参加すべきでないと考えます。
- まず、国定公園三河駅についてですが、あなたは誘致運動が存在しなかったという立場なのか、または存在したことは認めるが載せるべきではないという立場なのか、どちらなのでしょうか?そこをはっきりさせないと議論が進みません。
- 次に、駅設置にあたっての同盟および岡崎・幸田の立場についてです。あなたが自説の論拠とした岡崎市議会の議事録を調べました。まず、あなたが「愛知県、JR(当時国鉄)、そして安城市が、主導権を持ってる様子が伺えます。」という主張の論拠とした昭和57年6月定例会の八田議員の質問ですが、中根市長は次のように返答しました。
昭和57年6月定例会 6月17日 - 中根鎭夫市長2つ目の新幹線のこの問題というのは、大変な問題でございまして、いま、ただいま私の立場を御理解くださいまして、新幹線設置期成同盟会の会長の中根鎭夫としては、ここで言明できないこともあるだろうがという推定のもとのお話しでございました。私は、そういう意味から、新幹線の三河駅誘致と、こういうことに対しましては、私なりの考え方を十分持っておりますが、ただ、岡崎駅の設置と、こういうことになってまいりますと、私にはここで申し上げられないと、また、申し上げるべきでない。これはなぜかと申し上げますと、西三河の駅と、こういう問題が、全国の新幹線の候補の内では、1番有力な産業、あるいは人口背景を持っておるということは、各市、各団体ともに、大いに、ひとつ中央に対しましても、国鉄当局に対しましても、運動をしてください、これが期成同盟会の方針でございますということで、満場一致御議決を願っておるわけでございまして、その裏づけといたしまして、各都市が各々、勝手、勝手に運動ということは一切しないと、こういうことの盟約をしたわけでございます。
(略)こういう問題よりも、せっかく県が予算も組まれましたもんですから、私は、西三河の市町村長、こういう方々は一致して、県に対しまして、1番この西三河、と言っておりますか、三河新幹線駅設置の期成同盟の対象の地域の住民、こういう住民層を考えて科学的に仮に3つの点があるとするならば、科学的にどこの点が1番多くの関係住民が利用するに至便なところであろうか。こういうことを県が、政治力が強いとか、財政があるとか、こんなことだけでなくて、こういう問題を十分考えてください、こういうことを県の担当部長にも申し上げ、そういう原則で、ひとつ、調停をしてくださいというお願いをしておるのでございますか、ところが、それはよくわかった話で、間違いない話だと、非常に正しい話で、公正な話だと評価してくれますが、(略)、やはり、私は新幹線の岡崎駅と、こういうことに対しましては、そういう立場から言明はできません。
こういうことではございますが、むしろ私は、岡多線の将来計画、これを活用する、こういう方向につきましては、岡多線は南進することによりまして、通例言われております幸田駅、あるいは岡多線を南進するところにおきます接点の地位、あるいは安城、これがいわゆる国鉄と、あるいは公共交通機関鉄道と交差する3点でございます。そういう中におきましての岡崎のこの地域が、もしもこの新幹線の駅と、岡多線の新交通システム等が交差をした、こういう仮定の中に1つの数字を持ってまいりますと、(略)、この岡崎の地域が、ばかに都合のいいという評価が出てくるわけでございまして、(略)、数字等は、ちょっともう少し、研究委員会等の成果かまとまってから申し上げたいと思いますが、この駅勢圏下における3点を評価いたしますと、大変です。西三河全地域から利用するのに一番人口比率の多い点ではないかというのが、ひとつの数字としては出ておる、こういうことでございますですが、これらの関係等につきましては、今後西三河各郡市との対応、特に県の御指導を受けながら、こういう問題に対しましては考えていきたいと思っておりますか、同時に、市民の皆さん方の世論、なかんずく第3セクターという考え方等、持ちますと、経済界の考え方、こういうものも大きな参考にしなきゃならない、こういうことが前提でございますもんですから、単に行政分野だけで結論を出すと、こういう段階ではなかろうかと思っておりますもんですから、御推察をお願いを申し上げる次第でございます。
- ここで少なくとも、同盟内で各市町が勝手に行動をしないように盟約が結ばれており、安城市としての誘致活動ができないことが分かります。愛知県は駅候補地決定で、国鉄は駅設置場所決定で、ある意味では主導権を握っています。
- 発言中には、愛知県が予算を組み、科学的な調査を行って調停をはかっていることも出てきます。ここで市長は、岡崎が都合のいい評価が出てくると発言していることから、岡崎市の意にならないどころか、同市への駅設置に自信を持っている様子さえ窺えるのですが。
- また、候補地が3点(4点?)あったことが言及されており、岡崎・幸田に候補地があったことが分かります。同盟が「特定の候補地を推す」というのは、設置経緯からしてありえないってことは分かりますよね。
- つまみ食いではなく、新幹線駅についての質疑をしっかり読めば、このような誤解は生まれないと思うのですが。議事録には、他にも発言が載っていますが、あなたがなぜこの発言を抽出したのか理解できません。あなたの主張も一貫性がなく、最終的にこの項目で安城市が単市事業として新幹線の駅を建設したという誤った事実を載せたいだけなんじゃないかと疑ってしまいます。--Umako 2011年2月23日 (水) 20:37 (UTC)
安城市が単市事業として新幹線の駅を建設したという誤った事実を(=ついに告白したな。幸田町や岡崎市が、三河安城駅をつくったという大ウソを。)
誤っているのは、あなたのほうでしょ?三河安城駅建設は、安城市の単市事業です。安城市内の施設設置に、近隣他市の自治権は及びません。また、一部事務組合・第3セクターが設置された事実はない。
安城市単独で、137億の50%を負担。不足分を愛知県の補助金と、民間の建設寄付金で補ったのです。 過半数の出資ということでも、事業主であるのは明白です。県の事業ではない、滋賀県とは違う。 近隣自治体の出したオカネは、この民間建設寄付金の中に含まれます。つまり、個人やデンソー・アイシンの寄付金と同列です。
幸田町や岡崎市は、三河安城駅設置に一切関与していないし、仮称三河駅、仮称国定公園三河駅を不採用としていることからも、明らかでは?--180.197.76.110 2011年2月24日 (木) 17:48 (UTC)
- 単市事業でないというのは語弊がありました。事業主については調べていないのでここで言及できませんが、負担金について異論はありません。ただ、周辺自治体が寄付金を拠出したことは書くべきだとは思います。
- また、幸田・岡崎が三河安城駅設置に一切関与していないというのは言いすぎです。上の中根市長の発言や他の議事録からも分かるように、設置場所決定までに9市6町が関与しています。二本木に設置が決まってからは、同盟の会長が岩月安城市長となって安城市が中心となりましたが、三河安城駅について書くなかで同盟の記述は必要と考えます。名称決定のプロセスは知りませんが、三河+安城という駅名だけで他市町の関与がないことは明らかではありません。
- 私がButuCCさんとの会話をぶった切るカタチになってしまいました。申し訳ありません。--Umako 2011年2月24日 (木) 18:59 (UTC)
- コメント - 私からも意見します。
- 安城市が単市事業として新幹線の駅を建設したという誤った事実を(=ついに告白したな。幸田町や岡崎市が、三河安城駅をつくったという大ウソを。)
- 同時に貴方も誘致運動ではなく建設事業の話をしていることを告白しましたね(いや、私が気付かなかったといった方が正しいか…)。ここで問題になっているのは駅設置の経緯、つまり誘致の話なのになぜ設置が決まった後の話を持ってくるのかが分かりません。私は建設事業の話はしてませんし問題視もしてません。「安城市が単市事業として新幹線の駅を建設した」ことに特に異論はありませんが、それと誘致運動と何の関係がありますか? これで今まで貴方が「安城市が」「幸田町が」と単体自治体でしかも三河安城駅を「誘致した」ではなく「つくった」と表現している理由が分かりました。これで会話の交錯はないはずです。
- 三河安城駅建設は、安城市の単市事業です。安城市内の施設設置に、近隣他市の自治権は及びません
- 安城市単独で、137億の50%を負担。不足分を愛知県の補助金と、民間の建設寄付金で補ったのです。 過半数の出資ということでも、事業主であるのは明白です
- というわけで上記のように建設事業・寄付金の話は誘致運動とは別問題であることから無関係であるという事になります。再三繰り返しますが寄付の多少は駅場所決定とは別の歴史的事象としてあるのであって、それはそれで記載すればいい事です。
- 幸田町や岡崎市は、三河安城駅設置に一切関与していないし
- この文面が丁度いい比較になるので示しますが、この節で問題となっているのは「三河安城駅設置」ではなく「(後の三河安城駅になる)新幹線駅誘致」です。上の文を置き換えて「幸田町や岡崎市は、(後の三河安城駅になる)新幹線駅誘致に」とすれば「関与している」ことになりますね。
- 幸田町や岡崎市は、三河安城駅設置に一切関与していないし、仮称三河駅、仮称国定公園三河駅を不採用としていることからも、明らかでは
- まだ貴方から「国定公園三河駅」をそのまま駅名に採用しようという動きを示す出典が掲示されていません。そんな事実ありますか? 話はそもそもそれが仮駅名だった事を貴方が示してからです。また、(これも繰り返しですが)三河安城駅の駅名が決まったのは開業半年前です。これはどう考えても駅が二本木に建設されることが決まってから決定した名称であり、誘致運動段階でどうするかなど全く論じてません(というか、場所も決まってないのに駅名など決めようがありませんよね、三河安城の同期で駅が実現していないのは栗東(南びわ湖)と相模新駅ですが、前者がそうであったように結局駅名は「栗東」でも「相模新」でもないですよね。在来線の野田新町駅だって計画時は「刈谷新駅」でしたがこれも同様に駅名が決まるまでの便宜的名称です)。駅名などは設置が決定してから考えればいいことで、誘致段階ではこういった便宜的名称で話が進むことは不思議ではありません。駅名について論じることがあるならば「三河駅」「国定公園三河駅」が便宜的名称ではなく本当にその駅名を使いたかったのか、それを示す出典が掲示してからです。もちろん駅名と駅誘致は別問題として議論しますけど。
- また『西三河の夢』を借りてきたので近々加筆出来たらなと思います。なお、私は主に刈谷中央図書館を利用しますが、自治体史と違って刈谷のように『西三河の夢』が所蔵していない図書館も多いです。が、この本は名古屋市図書館にあるので確認は比較的容易です(名古屋市図書館の貸出カードは愛知県在住なら無条件で発行可能です。IPアドレスから県内の方と見受けましたが、違いましたらごめんなさい)。--ButuCC+Mtp «Sub Talk:AVI/I-90» 2011年2月25日 (金) 02:32 (UTC)
- PS:…ちょっと履歴探ってみたら『かなった西三河の夢』って以前出典として使われてますね。ここからは推測ですがこの出典を使用しているIP:180.197.37.28さんって上の議論節2で「神奈川県の史料にもそう書いてあるでしょうが」と三河安城駅について神奈川を取り上げたIP:180.197.216.36さん(現IP:180.197.76.110さん)では? 利用者‐会話:180.197.37.28で会話ページに現れたIP:221.118.120.148さんは口調からおそらく現Umakoさんだと思いますが、だとすると半年前から図書館などの資料を閲覧するよう勧められていることになり、もはやIP:180.197…さんはそういった文献を読む気が無いと判断せざるをえません。「かなった西三河の夢(安城市発行)」(神奈川県HPママの表現)も恐らく神奈川県HPに載っていただけであり、実物は確認していないのでしょう。事業費を神奈川HPにある表と同じパーセントの体裁でしか書いてませんが、当然『かなった西三河の夢』には具体的な数値(事業費137億118万円など)や周辺市町村(この表現も西三河の夢では「近隣市町」です)約8%(正確には11億5000万円で約8.393%)の自治体別の内訳がしっかりと書かれています。--ButuCC+Mtp 2011年2月25日 (金) 17:36 (UTC)
- ご指摘のとおり、221.118.120.148は私です。たしかに『かなった西三河の夢』が出てきますね。結果的に、この方は『かなった西三河の夢』に沿った編集に賛成していることになるんじゃないかと思います。少なくとも、岡崎市議会議事録を自らソースとして提示していることから、9市6町による同盟結成、3市町の候補地と県への一任などについて記述することに差し支えはないはずです。--Umako 2011年3月1日 (火) 18:11 (UTC)
資料節
[編集]- 刈谷市史
- 東海道新幹線新駅の設置, 『刈谷市史 第四巻 現代』 612-613頁
- かなった西三河の夢
- 第1節 夢の実現に向けて「陳情の時代」, 『かなった西三河の夢 東海道新幹線三河安城駅開業記念誌』 30-40頁