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ノート:体罰/過去ログ1

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過去ログ1 過去ログ2

コメント

この記事は体罰を否定的に見ているのでは。 もう少し中立的な記事に直したほうがいいと思います。--以上の署名のないコメントは、218.124.148.80会話/Whois)さんが 2005年10月2日 (日) 23:25 (UTC) に投稿したものです。

犯罪行為に類する記述なので、否定的に感じる位が、中立的だと考えます。--以上の署名のないコメントは、222.148.44.2会話/Whois)さんが 2006年1月19日 (木) 12:11 (UTC) に投稿したものです。
おはなしをするときは、なまえを名乗りましょう。--~~~~とタイプするだけです。218.124.148.80さん(上)222.148.44.2(下)さん。--NekoJaNekoJa 2006年1月19日 (木) 12:33 (UTC)

主観的コメントについて

このような一部の事例をいい事に体罰を“愛のムチ”などと正当化・自画自賛する教員が未だに存在するのは甚だ残念な事ではある。

とありますが、これは編集者の個人的な感想のように感じたので削除させていただきました。ジャーナリストAは・・・のように発言した、といった形に改めていただけると問題ないかと思います。O^tsuka 2006年5月18日 (木) 14:16 (UTC)

保護について

編集合戦のために、一時的に記事を保護させていただきました。 ここで論議して合意を形成してください。--ちゃたま会話|投稿記録2006年9月9日 (土) 02:31 (UTC)



アイメンタル及び長田塾裁判削除に関しての意図

アイメンタルに関しては体罰ではなく監禁致死のため除外と思われる。 長田塾裁判に関しては、裁判中のため「体罰」検索結果に表示するのは適切ではない、原告主張=事実ではないはず。 裁判中という微妙な時期にこの手の掲載をするのはよろしくないと思われる、原告側が躍起になっているようだが非常に政治的である。 また、以前にも訴えられた事があるとの書き込みがあるがこれについてはソースを発見できない。 上記の点加筆者(219.180.148.7)に問合せているが回答なし。

また 219.180.148.7 はキーワード「長田百合子」においても同様の行為を繰り返しており 教育評論家有限会社塾教育学院代表 との一文を エセ教育評論家宗教団体塾教育学院代表教祖 と、あえて変換した経緯があり、中立の立場から書き込んでいるのではないことは明確である。 また、上記「長田百合子」の検索結果に対しては有限会社塾教育学院に報告済みである。

以上、削除理由を述べた。投稿者 221.112.238.43


追記 加筆者本人が意見をしないので合意の形成が出来ません、そもそも合意できるとも思いませんが。 ちゃたまさんに質問しますがなぜ加筆状態で保護されてるのでしょうか?タグで伏せてよいものと思われます。 2006年9月13日 (水) 01:40 投稿者 221.112.238.43

了解しました。保護解除します。--ちゃたま会話|投稿記録2006年9月17日 (日) 04:18 (UTC)

お騒がせしました。 2006年9月18日 (水) 02:14 投稿者 221.112.238.43

体罰の是非と記述

「体罰否定派」の言説と思われる記述を削除いたしました。:角賛 2006年10月29日 (日) 14:01 (UTC)

すみませんが、自説の盛りこみはお止め下さい。とくに以下の書き換えは、主観でなくて何でありましょうや?

  • 教育効果が高いとと考えられていた。 → 教育効果が高いといえよう。
誰が高いといっているんですか?
  • 客観的に見ても教員の鬱憤晴らしと取られかねない「事件」も発生している。 → 「事象」も「少数ながら」発生している。
事件が発生しているという記述を、何と比較して「少数」としていますか?発生したら拙い事柄なだけに、少なければ良いという問題でもありませんし。また報道されるような事象は、既に事件と呼べましょう。
  • (が、実態としては非常うにごく稀である)
同上…というか、何か書くにしても誤字・脱字がないか落ち着いて記述を。
  • 「教員ヤクザ」関連の白紙化
出典元が明記されている情報まで白紙化すべきではありません。言論封殺は中立性の反対です。
  • コメントアウト内の白紙化
気に入らない記述だからって、コメントアウト部分まで白紙化しますかね?

百科辞典においての議論がある事柄は、否定にせよ肯定にせよ、等しく載せる事も重要です。それが無ければ、百科辞典的とは言えません。Wikipedia:中立的な観点のご確認をお願いします。--夜飛 2006年10月29日 (日) 15:07 (UTC)

体罰の種類について

06/11/19に大幅な加筆がされていますが、有益と思われるものが多い一方、独自研究もしくは出典不明の記述(「かつては~もあったようだが」「偏差値の低いマンモス私立大学にこの傾向が見られる」など)や、触れる必要があるのか微妙なもの(「「罰」として行われなくても、教育の名の下に性的な~」など、そもそも体罰ではなく、単なるわいせつ行為の記述に思われるもの)があるように思えます。また、体罰の例としてのエキセントリックな例は、過去にあった事件等を示しておいた方がいいと思います(想像上ではいくらでもエキセントリックな体罰は考えつくでしょうから)。本人に修正してもらえれば一番いいと思うので、とりあえず問題提起しておきます。Fuji 3 2006年11月19日 (日) 01:13 (UTC)

うーん、なんか記述者自身の経験(独自調査)がだいぶ混じっているっぽいですね…イジメ内容なのかなあ、「ゲキチン」。教育機関名と年度を含む具体例を示すと、被害を受けた側の特定にも繋がりやすく、差し戻しが妥当な気がします。--夜飛 2006年11月19日 (日) 03:02 (UTC)
ちょっと気になって調べてみました。ポラロイドカメラ云々というのはこの[1]事件じゃないですか。でもこのタブロイド紙の記事では、教師は撮影に参加しなかったことになってるね。この記事よりも後でもっといろんなことが発覚したのかな。もしかしたら「お気に入りの子だけ云々」ってのは、この記事の「前任校で」の話が少しずれて入っちゃってるのかも知れませんね。少し古い話だから。誰かもっと詳しい人がいたら、情報出してくれると良いんですけどね。--いいおかゆうと 2006年11月19日 (日) 19:11 (UTC)

みなさま貴重なご意見ありがとうございます。社会的な関心の高い項目ですし、もっと厳密な記述を心がけるべきでありました。典拠についてはネット上にあるものをリンクすることも出来るのでしょうけども、本文中にそれをやると、リンク先によってはファイルを消されてしまうことも多いかと危惧しまして、あるていど概略を記述するにとどめ、閲覧者がグーグル等の検索を用いて調べられるようにしておくのがよろしいかと判断いたしました。でももう少し具体的に修正してみます。いいおかゆうと様があげてくださった記事は、わたくしは存じませんでした。当時色々なもので読んだ記憶がはっきりとあったのですが、もしかしたらおっしゃるようにずれているのかも知れません。この記事を元に修正します。それからFuji様がおっしゃるような、「単なるわいせつ行為」のことですが、〈いちおう教育的な目的で行われながら、生徒に性的な苦痛を与えるもの〉は広義で体罰と呼んでもよろしいかとおもったわけです。ただのわいせつ教師の事件とも少し違いますので。またみなさまのご意見がございましたら拝聴させて頂きます。--考古学的に社会学的なミシェル 2006年11月20日 (月) 13:28 (UTC)

う~ん、体罰っていうのは一義的には「罰」であって、教育目的であっても罰として行われないならば体罰ではないと思うんですが(不適切教育とか行き過ぎ教育とか言われることはあるでしょうけど)。上級生―下級生もそうですがハラスメントとは区別すべきかなと。Fuji 3 2006年11月20日 (月) 14:18 (UTC)
Fuji 3 さんの変更後の差分を見たんですが、元の執筆者があまりチェックしてなさそうなので改訂は致し方ないと思うんですけど、いくつか気になったところもあるので、コメントさせてください。Fuji 3さんに改めて記述の微調整をして頂けるのなら一番いいですし、私がやってみてもいいのですが。
      • 「わいせつな行為を強要」の項目は妥当な書き換え・削除だと思います。
      • 「正課教育以外」のところですが、運動部と文化部における「しごき」の傾向の違いの指摘は、100%すべての学校に当てはまるものではないとしても大ざっぱには妥当だったと思います。開放的な空間で行われる運動部と閉鎖的な空間で行われる文化部の、空間性の違いと結びつけた点も、百科事典としては有益な記述になるんじゃないですか(ただ、おそらくフーコーあたりの罰と閉鎖的空間に関する論を元にしてると思うんで、いっそそこまで言及があったほうがありがたいんですけどね)。修学旅行に関する指摘も同様です(過去の体罰死事件には、普段体罰を行わない教師が修学旅行中に体罰を行って生徒を死亡させた事例があります。水戸のほうでしたか。そういう事件そのものに言及する必要はないと思いますが)。
      • 「先輩後輩の上下関係」と高度成長期後の教師の権威の低下云々の所ですが、解釈の要素をあくまで一解釈として示そうとしたんだと思いますが、かえってわかりにくい記述になってませんか。「結びつけて」ではどう結びつけるのかわかりません。元の記述の「という事態が生じたためと思われる」を「という事態が生じたということも一因だろう」くらいに書き換えるのが妥当じゃないでしょうか。
      • 大学の運動部における体罰の指摘(体育会系の云々)は残してもいいのではないですか。事実でしょう。
      • 「立たせる」「正座させる」「不当なトレーニングを強いる」は記述内容からして、「体罰」の定義から外れると考えられたわけですね。私も支持します。
      • 「他の生徒の前で恥辱を与える」以下の記述の削除は妥当だと思います。--いいおかゆうと 2006年12月4日 (月) 06:01 (UTC)
  • 確かに、経験上「運動部」「文化部」の違いなんかはあるだろうなとは思いましたが、合理的に説明できる根拠を示すことができないので、ばっさりといきました。せめて、そう指摘している研究なりがあればよかったと思いますが。逆に何らかの根拠ないし事実(そういう主張をする研究があるという事実でも十分)があれば、復活させていただきたいと思います(すみませんが今の所、自身ではしっかりと資料探しをする気力がありません)。
  • 修学旅行なんかは、仰る事件を例として挙げるならば復活させて問題ないと思います。
  • 「先輩後輩」と「教師の権威」どうこうは、教師の権威低下が低下したことが何の根拠も示さないでいいほど明白かな?という点が疑問で、部活動における先輩・後輩の上下関係についても同様です。最近の先輩・後輩は昔よりゆるくなっているような印象がありますし、地域差も大きい気がします。文章がこなれていないことは確かだと思うので、その点は遠慮なく編集していただきたいと思います。
  • 大学の記述については、「正課教育における体罰は大学では皆無」という点と「学問よりもスポーツの戦歴に依存する度合いの高いマンモス私立大学にこの傾向が見られる」の部分が印象レベルの話だと思って今の形にしましたが、「体育会系の部活や応援団などでの体罰は一部の大学で当たり前のように行われている」は残しても良かったかと思います。もっとも、私自身は、当記述について自分の経験と印象しか持っていないので、自身で加筆することは遠慮しておきます。Fuji 3 2006年12月4日 (月) 09:11 (UTC)
  • 各部分の改訂の意図、理解いたしました。ところで、自分で投稿していても、Fuji 3さんの改訂などを見ていても、いつも思うのですが、百科事典あるいは百科全書というのは、明白な/立証された事実だけを表記するものなんでしょうか。日本の百科事典って、実はあまり一般に広く認識されたものがないように思いますし、自分でもあまり読んできた経験がないのですが、ヨーロッパの百科事典だと、各項目ごとに執筆担当者の視点と解釈が色濃く反映されていますし、それが慣例になっています。Wikiの場合は匿名の不特定多数が執筆しますので、権威ある一執筆者の解釈で記述する百科事典とは違うと思うのですが、ある種の解釈は入ってもいいと思うのです。別な解釈がありうるとすれば、そちらも併記すればいいわけですし。--いいおかゆうと 2006年12月5日 (火) 23:46 (UTC)
事実自体主観的なものではないか?という哲学的な問題もあります・・・ということで、厳密には記事に記載される事実は「明白な/立証された事実だけ」に限れるものでもないと思います。そういう意味の薄い哲学論議は置いておいて、ある事象をどういう観点で捉えて説明するかという点については、Wikipedia:中立的な観点が指針になると思います。私は、端的に「多様な意見をその立ち位置を明らかにしていろいろ書いくことはいいことだ」と理解しています。ただ、wikipediaのように匿名記述だと「誰が」「どういう立場の人が」ということが不明なため、書かれている”事実”をどう判断すべきかという情報が読者に与えられません。そのため、何かしらの出典を示す必要が出るのだと思います。記事には、いろんな解釈を書くべきだと思いますが、本当にそんな解釈があるのか、その解釈は社会にどの程度受け入れられているものなのかといった最低限の判断材料がないままだと、ただの落書きだと思います。
また、私は、妥当な出典がない場合でも、公正で中立的な観点から合理的な記述をすれば問題ないと考えています。しかし、執筆者の意図に関わらずそのような記述になっていないことが多々あることも事実だと感じています。そういった記事については、多くの人に、よってたかって編集されることで良くなっていくと思います。要は、削除や改稿があることを理解している加筆ならば基本的にOKという見解です。Fuji 3 2006年12月6日 (水) 01:46 (UTC)

軍隊における体罰

軍隊における体罰の記述が全く無いのが残念です。旧日本軍では私的制裁(体罰)が日常的におこなわれていたが、米軍では禁じられていた事、体罰は抑制的で自己破滅型の意思決定をうながし、バンザイ攻撃を誘引する下地になった、旧日本軍の「びんた」は海軍発祥だという事、コレは英国海軍の伝統という事など聞いた事があるのだが、出典が何だったか・・・?(´Д`;)?肉体的な制裁(体罰)は身体能力を縮退・制限する効果(可能性)がある(ラットを使った実験)というのも読んだ事があるのだが・・(;´Д`)・・・「自分がやられたらイヤだから体罰は認められない」という以前に、兵を育成する手段としての体罰は、身体能力や生存への意志を強化する方法として有効でない、くらいの研究はどこかにありそうなもんだが、出典が無いんだよなあw( ´_ゝ`) ノ--58.95.141.91 2007年3月3日 (土) 23:05 (UTC)

中立的な観点

(ここから)

  • 生徒など自己の支配下にあると考えられる
  • また、体罰の実施者に、そもそも罰を与える権利があるのかも問題となっている。
  • 幼児期に過度な体罰により、精神的に屈折してしまうケースがあり、そうした児童は往々にして犯罪を犯す。
  • しかし、1990年代からイギリスを始め、北欧諸国では体罰禁止運動が盛んになり、家庭内での体罰も事実上禁止されている。実際に、子供が親を訴えるケースまで出てきている。
  • しかし環境が閉鎖的である事もあって、他の要因から罰の方法がエスカレートし、拷問を科す事と混同されるケースも少なくない。
  • しかし、1990年代からイギリスを始め、北欧諸国では体罰禁止運動が盛んになり、学校での体罰は禁止されている。
  • (既に寄宿学校の伝統は廃れているのが現状である。体罰禁止を始め、女子学生にも入寮を認めるなど、悪しき伝統といわれるものは廃止された)
  • が、多くの教師はそのような知識無くこの体罰を行い、生徒も身体を動かして避けようとすることがあるため、しばしば重大な結果をもたらす
  • 上級生による体罰は、しばしば教師による体罰よりも過酷なものになるという指摘があり、これらを、高度経済成長期以降の教師の権威の低下と、相対的に低下していない部活動や生活における先輩後輩の上下関係に結び付けて論じることがある。
  • たとえば1990年代岡山県岡山県立作陽高等学校桃山寮における事例では、形式上、先輩が後輩を「罰する」形で殴打等が行われるのと合わせて性的な奉仕も要求しており、その状況から考えれば、性的な「体罰」の一例とも言える。
  • しかし、一方で不良生徒の暴力や反社会的行為に対しては見てみぬ振りを決め込み、殴りやすい生徒だけ自分の感情の捌け口にする教師も数多く見られたという意見もある。

また、体罰と思われる行為の前後の会話を録音したり、病院で診断書を貰ったりすることも事実関係を明確にするためには有効である。 [2][3]

体罰を受けた際または体罰を加えられそうになった際に、生徒が避けようとしたり抵抗するなどしてもみ合いになると、加害教師や学校によってその行為が一方的な対教師暴力と扱われることもある。私立の学校・高校などでは退学や転校を強要することがある。 [6][7]

過去の関係する事件·事例

不登校や家庭内暴力といった問題行動のある児童を、スパルタ式教育により、生理機能を増進させ、健康で逞しく育てるとした私塾であったが、指導の方法は論理的根拠に欠ける部分があり、中には心理的な傷を負ったり、指導内容の問題もあって、暴力や遭難による死亡者・行方不明者まで出ている。このため戸塚宏校長らが逮捕・起訴され、有罪判決を受け服役したが、戸塚校長は出所後の記者会見でも「体罰は教育」と発言した。但し、現在では暴力的な指導はあまり行われていないといわれる。
聖書に基づく躾として、体罰行為を肯定している。しかしその根拠となる聖書の解釈に関しての問題をはらんでいるが、今現在は信者は余り体罰をすることは無い。
体育授業における体力測定中、担当教員が手伝い係の生徒の頭部を激しく殴打し、生徒が1週間後に死亡した事件。加害教員は一審で有罪となるも、二審では生徒が風疹にかかっていたと説明し、無罪判決を受けた。学校側は被害生徒側に体罰の事実を告知せず、また生徒たちに被害生徒の通夜への参列を禁止するなど、不誠実な対応も問題になった。遺族が体罰の事実を知るのは荼毘に付した後で、級友から知らされて初めて体罰の事実を知った。学校は遺族に「土葬か火葬か」と意味深の発言をしてもいた。[1]
陸上部顧問の教員が女子部員に執拗な体罰と言葉の暴力を加え、自殺に至らしめた事件。被害生徒は国体などへの出場経験を持つやり投げの選手だったが、顧問教員から半年にわたり、成績不振やその他の些細な理由で執拗かつ激烈な体罰を受け続け、さらに進級のための追試験に合格したにもかかわらず県の強化合宿メンバーから外され、体育教官室で顧問ら2人の教員から長時間立たされたまま言葉の暴力を加えられ、翌日未明に自殺した。当時同校では、この顧問教員を中心とした体育科教員による「もう1つの生徒指導部」と呼ばれる生徒指導体制が確立されていた。[2]
被害生徒の自殺後、顧問教員は「あの子はたたきよかった、殴りよかった」と話し、また焼香に訪れた際にも遺族に対し「バカとしか言えん」「死人にクチなし」などと半ば逆ギレとも思える暴言を浴びせた。遺族が県と加害教員を相手取り提訴し、県に対する請求は認められたが、加害教員への請求は認められなかった[3]
修学旅行国際科学技術博覧会を訪れた際、宿泊先である近隣の臨時宿泊施設で、持参が禁じられていたヘアドライヤーを使用した生徒に学級担任の教員が激しい体罰を加え、死亡させた事件。傷害致死罪で逮捕され実刑判決を受けた(事件後に懲戒免職)加害教員は転任したばかりで、普段体罰を振るう教員ではなかったが、生徒指導担当の教員から前任校での指導方針をなじられた事が、暴行とも見紛う激烈な体罰の引き金になったとされる。また、当校はゼロ・トレランス方式による生活指導を行っている。校長は、「これは教諭の弱さだった」と発言。
岐阜県の教育委員会は、「信じられない特異なケース」「教師個人の体質、資質の問題」「体罰は日常化していない」と断言。しかし、後のアンケートの結果生徒の半数が体罰を受けているという結果も出た。判決後の記者会見で校長は、「学校側の管理上、教育上の責任が全くゼロとは感じていないが、教育現場では、教師の個々の生徒に対する力量が最後に出てくる」と発言[4]
遅刻や忘れ物の多い生徒に対し、学級担任の教員が4回の往復ビンタの後に柔道技を数回かけて転倒させ、3日後に死亡させた事件。加害教員は「明日も忘れ物をしたら本当に怒る」と被害生徒に伝えていたが、被害生徒は母親が病気入院中で、家事や弟の面倒も見ていたために遅刻が多くなり、「忘れ物」も家計が苦しいためそもそも持っていなかったという。さらに被害生徒は解剖の結果、動静脈に先天的な異常があることも判明した[5]。加害教員は執行猶予付き判決を受けた[6]
特殊学級の担任教師が指示に従わない児童の頭部を殴打し、死亡させた事件。生後6ヶ月の時に頭骨の手術を受けた被害児童は入学する際、絶対に頭を叩かないよう両親が学校側に申し入れていた。日常的に体罰を振るっていた加害教員は実刑判決を受けた[7]
学級副担任の教員が、指示に従わなかった生徒に激しい体罰を加え、死亡させた事件。加害教員は自らの公判で体罰を伴う指導方針を正当化したほか、学校内外で体罰を容認・正当化する風潮があり、被害生徒の遺族への嫌がらせもあった。加害教員は1、2審とも実刑判決を受けた[8]
野球部が夏の全国高等学校野球選手権大会で2連覇を果たしたが、その陰で大会期間中部長による数十回にも及ぶ鉄拳制裁やスリッパでの殴打が行われていたことが発覚し問題となった。
元野球部監督の男性職員(35)が、部員に体罰を繰り返していたことや「メンタルトレーニング」と称して全裸でのランニングを強要していたことが発覚。保護者からの告訴により11月に強要罪・暴行罪で逮捕・起訴された。この性犯罪じみた体罰については、体罰肯定派が多い保守的な立場の論客からも、「性的な体罰は性犯罪者を生み出すだけだ」と強く非難されたため、どのような判決が出るか注目された。男は容疑となった事実関係そのものについては認めているが、それらの行為は正当だったとして無罪を主張。2007年3月、執行猶予付き有罪判決。[9]

  1. ^ 「わたしの雑記帳」内「子どもに関する事件・事故 2」より
  2. ^ NHK取材班+今橋盛勝:『NHKおはようジャーナル 体罰』(日本放送出版協会,1986年)より
  3. ^ 上掲サイト「子どもに関する事件・事故 2」より
  4. ^ 上掲書『体罰』および上掲サイト「子どもに関する事件・事故 2」より
  5. ^ 上掲書『体罰』より
  6. ^ 上掲サイト「子どもに関する事件・事故 2」より
  7. ^ 上掲サイト「子どもに関する事件・事故 2」より
  8. ^ 上掲サイト「子どもに関する事件・事故 2」より
  9. ^ 全裸ランニング強要の野球部元監督に有罪判決アサヒコム記事

参考文献

なお、体罰は教育的指導の一環とみなされる場合と、単なる暴力行為と同一視される場合とを含むため、以下のような問題の延長にみなされる場合もある。

外部リンク

(ここまで)

以上の記述について、体罰に関して特に異を唱える方の文章と判断し、こちらに移動しました。今後の記述でも「中立性に疑問のある記事」が記載されると思われますので「観点」タグを貼付します。--MikimaruGT 2007年6月8日 (金) 10:15 (UTC)

中立的な観点(議論)

  • 移動されてきた全文のうち、最初の12箇条項目は、相応に恣意的な、投稿者個人の考察にもとづいた要約と見られますが、それ以降は出典が示されていたり、事実関係の要約が中心なので、引用が適正であれば記載(コレクション)しておいて宜しいのでは?Sn-ptさんのリバートに賛同いたします。「観点」タグはあっても宜しいかと。全削除ではなく編集対応で出典資料を生かしましょう。--58.95.142.253 2007年6月8日 (金) 11:51 (UTC)
  • Mikimaruさんが移動以外で編集・削除された箇所ついて、「投稿者個人の経験にもとづいたあやふやな情報」が表現されている箇所が多々ありますね。この種の編集は賛成です。この種のテーマは、ちょっと突っこんだ表現をしてしまいたい誘惑に駆られやすいですが、個人的な体験や回想だけのあやふやな記事にしない表現を心がけたいもんです。--58.95.142.253 2007年6月8日 (金) 12:02 (UTC)
  • Wikipedia:中立的な観点
    • 利用者:Sn-pt氏によって、体罰校則退学が、私が中立的な観点に疑問のある記述として、ノートページに移動した文章を「恣意的な削除を戻す」とあります。これは、Wikipedia:中立的な観点#偏った意見を削除して良いかに記載された方法に則って作業をしております。リバートする前に、各ノートページにおいて、「恣意的な削除」であるとする理由をまず述べていただき、その後、リバートすべきではないでしょうか。観点タグを貼ったのも広く意見を問いたいからです。広く意見を問うのに不都合がおありなのでしょうか。一旦、記事を戻させていただき、貴殿からのご意見は各ノートページでお受けしたいと思いますのでよろしくお願い致します。--MikimaruGT 2007年6月8日 (金) 14:31 (UTC)

上記3つの会話部分は議論が始まっているものとし、こちらの節に移動しました。--MikimaruGT 2007年6月9日 (土) 11:44 (UTC)

  • コメントアウト(移動)部分が長くなっていますので、議論を読みやすくするために項目を立てます。MikimaruGT氏が本文からコメントアウトされた理由『体罰に関して特に異を唱える方の文章と判断し』について、具体的に指摘・説明を頂きたいです。ワタクシは先述のとおり、冒頭の12箇条にまとめられた部分について'相応に恣意的で投稿者個人の考察にもとづいた要約'と考えましたが(出典の明示が無いにも関わらず、断定的に記述しているため)、それ以外については出典が明示されており、いちおうの体裁が整えられたものと判断いたしました。無論、投稿者が特定の立場に立った出典のみをコレクションしている可能性があります。しかし独自の考察や推論、結論などが提示されていない限り、それはコレクションの不足を意味するだけであって、中立性に問題は無いのではないか?--58.95.142.253 2007年6月8日 (金) 16:50 (UTC)
  • この記事が保護されました。保護解除後、冒頭の12箇条については、削除ということで、現時点での結論とさせていただきたいと思います。異論のある方は保護解除までに反論をお願いいたします。また、リンクについては、反体罰の観点から製作されたサイトであり、不適当と考えております。こちらも削除すべきと考えております。もしくは、「外部リンク」を「体罰に反対する観点によるウェブサイト」として、記載するのが最低限すべきことではないでしょうか。--MikimaruGT 2007年6月9日 (土) 11:44 (UTC)
(一律の削除無用・追記対応)体罰と虐待ないし暴行を混同している記述もなきにしにあらずとはいえ、観点タブや要出展タブ対応で整理することこそ妥当かと思われます。そもそも「中立的な観点」では、良きも悪きも一々評価したり取捨選択したりせず、検証可能な事象に関しては淡々と書くことこそ望ましく、体罰に対して否定的だからといって除去することが妥当とは考えられません。その点でMikimaruGTさんは体罰のことなのか虐待や暴力のことなのかではなく、単に体罰に否定的という理由で除去しているようにすら見受けられます。上12項目に関しては、一つ一つを吟味する必要があると考えます。1~3番目は一見して妥当性も怪しいため除去もやむなしだが、4番目に関しては体罰にからむ社会現象を示唆しており、要出展で対応出来る範疇。5番目は児童虐待事件のニュース報道といった普遍的ソースによって常識的判断が可能。6番目も要出展の範疇。7番目は恣意的な言説があるので書き換え対応が必要。8は微妙だが、これにてを付けるならその前後のブラッシュアップが先。9~11は体罰とは別のものを混ぜてるので、よくよく整理する必要がある。12番目は整理する必要はありそうだが、別段記事の趣旨からは外れていない。いずれにしても「中立性」などという言葉で括れる記述ではなく、一律に削ることはMikimaruGTさんの価値観が多分に反映された問題編集だと感じられます。--夜飛/ 2007年6月9日 (土) 12:07 (UTC)
  • 58.95.142.253さん、夜飛さん、的確な整理をありがとうございます。MikimaruGTの削除は、「個人的に気に入らない」というきわめて主観的な判断に基づく問題編集、もっとはっきりいうのならば「荒らしと紙一重の編集」と判断してリバートしました。

はっきりいって「まともに相手にする必要すらない単純荒らし(消去荒らし)」だと認識していますが、自分の行為について全く自覚していないうえ自己正当化を図っているようなので、最小限反論いたします。

問題となっている箇所は、「体罰に関して特に異を唱える」考えを主張するような文章ではありません。大半の箇所は出典もあり、また新聞報道や書籍などでも検証可能です。特に「過去の関係する事件·事例」「参考文献」「外部リンク」の箇所を一律削除したことについては、個人的に気に入らないものに対して「中立的でない」という一方的なすり替えをおこなっているものだと判断せざるを得ません。

おかしな箇所も多少ありますが、削除しなければならないほどおかしいわけではなく、編集で対応できる内容です。

削除の強行を宣言していますが、今後削除を強行することがあれば、ブロック依頼に提出します。--Sn-pt 2007年6月10日 (日) 02:31 (UTC)

  • 保護の過程はMikimaruGTさんに分があるようですが、そもそも大量移動(除去)を実施したのがMikimaruGTさんであって、またその理由(『体罰に関して特に異を唱える方の文章と判断し』)が乱暴すぎます。まず自分の好みに編集してからリバート合戦に持ち込み、3リバートルールまで持ち込んで自分の編集を反映させてしまうというのは、保護ルールを悪用した「荒らし」の手口ですよ。自重してくださいな。まず、MikimaruGTさんは、本文からコメントアウトされた理由『体罰に関して特に異を唱える方の文章と判断し』について、具体的な箇所を指摘・説明を頂きたいです--58.95.142.253 2007年6月10日 (日) 04:27 (UTC)
  • 個人的な主観でWikipedia:中立的な観点を盾に、大量消去をすべきではありません。また、中立的な観点という点で異議を持つのであれば、中立的な観点をもった記述・校正をすべきであります。臭い物には蓋の理論は通用しません。また、ノート:体罰ノート:校則ノート:退学の議論については中身がほぼ同一なのでこの問題の発端となった利用者‐会話:MikimaruGTにて議論を行えばよいのではないかと思います。--新御茶ノ水 2007年6月10日 (日) 10:38 (UTC)
  • なんだ。あっちこっちでトラブってるのか。こりゃアレだな( ´_ゝ`) 。で、どうしましょ。各ベージで糾弾していく方針で宜しいんですかね?--58.95.142.253 2007年6月10日 (日) 10:58 (UTC)
  • MikimaruGTさんは、大量の移動、削除をされましたが、その選択範囲について、具体的に、どの表現が『体罰に関して特に異を唱える方の文章と判断し』たのか、その意図をまず開陳、説明する義務がある。編集保護期間が切れるまでに明確に説明せよ。--58.95.142.253 2007年6月10日 (日) 10:58 (UTC)
  • wikipediaは告発サイトではありません。百科事典です。そのような記述は告発専門サイトもしくは2ちゃんねるへの投稿が適当かと思われます。ちなみに教育板には『体罰総合スレッド』や『いじめ統一スレッド』があります。また、『大人になった今でも許せないあの教師』とか、『退学させればそれでいいのか~!』というスレッドもあるようです。ただし、2ちゃんねるにも一応ルールがありますので、そちらはご自身でご確認下さい。--MikimaruGT

という意見をいただきました。--220.215.160.136 2007年6月11日 (月) 07:52 (UTC)

という疑惑を私はもたれました。--220.215.160.136 2007年6月11日 (月) 07:52 (UTC)

とのご意見をMikimaruGT という意見を述べていました。この一連の問題はMikimaruGT が、教員との相性が悪かった生徒の被害妄想としか私には思えません。という理由で消去しているのであると思います。--220.215.160.136 2007年6月11日 (月) 07:52 (UTC)

合意の形成の仕方の提案方法に疑問

まず何故記事が保護に値すると判断されたのか、MikimaruGTさんに考えていただきたいと思います。Sn-ptさんにも同じことは言えますが。実際問題として、記事保護を行なった管理者によっては、お二人とも1週間程度は投稿ブロックを受けてもおかしくなかったと思いました。要約欄でのみ意見を述べて自分の案が明白に正しい、異議がある場合は・・・といった提案ではとてもまとまりそうにありません。Wikipedia:中立的な観点,Wikipedia:ウィキケット,Wikipedia:礼儀を忘れない,Wikipedia:議論が白熱しても冷静になどに基づいて議論をしていただきたいと思います。--Tiyoringo 2007年6月9日 (土) 15:14 (UTC)

  • 手続きに行き過ぎがあったことをまずはお詫び申し上げます。しかし、反体罰に偏った記事で構成するだけでいいのでしょうか。まず、「過去の関係する事件·事例」ですが、『「わたしの雑記帳」内「子どもに関する事件・事故 2」』を出典としていますが、さらに上部に闘う人びとのためにというページがあります。そこには『注 意:私自身は法律の専門家でも、少年犯罪やいじめ研究の専門家でも、カウンセラーでもありません。なかには、思いこみや不確かな情報もあるでしょう。最終的な判断はあくまでご自身の責任でお願いします。S.TAKEDA』とあります。著者が中立で無い立場からの記述であることを断っているウェブサイトを出典として用いて中立性が担保できるとは到底思えません。よってノートページに一旦移動し、議論を経る必要があるのではないかと思います。 また抜き出し項目11と12は『体罰データベース』なるウェブサイトを出典としていますが、管理者は『「体罰」についてですが、管理人は明確に反対の立場です。』(「体罰」に対する管理人の立場)と述べております。これも同様にノートページでの議論を経る必要があると思います。抜き出し項目1~10はWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性に抵触する記事と考えます。これも同様にノートページでの議論を経てからの掲載をすべきと考えます。さまざまなご意見をいただきましたが、Wikipedia:中立的な観点についての適否についてははどなたも触れられませんでした。その点についてのご意見もお願いいたします。 --MikimaruGT 2007年6月11日 (月) 13:05 (UTC)
  • 過去の関係する事件·事例の引用については「特定非営利活動法人 ジェントルハートプロジェクト」[8]という神奈川県知事が所轄しているNPO法人の理事の方が運営されています。また、そのホームページ[9]の管理者は該当した裁判を傍聴したり[10]、過去の事件・事故については遺族の方や被害者に直接調査を行い、承諾が取れしだい実名報道しています。今後このような事故・事件を起こして欲しくないという趣旨で運営されています。そのような活動をあなたは中立的観点から消去しても良いと思いますか?あなたがもしも教職員であったり、加害者側の立場であるのならば話は別ですが・・・--新御茶ノ水 2007年6月11日 (月) 14:04 (UTC)
  • 私は教職員でもなければ加害者でもありません。今後このような事故・事件を起こして欲しくないという趣旨で運営されています。理念は素晴らしいのですが、それはWikipedia:中立的な観点とは違うものであると思います。例えば、世の中には体罰を肯定する方もいます。Wikipedia:中立的な観点は、肯定する立場の方から見てもおかしくない文章であることを記すように努力することではないでしょうか。それとも『体罰は間違っているからWikipedia:中立的な観点は無視して構わない』というお立場なのでしょうか。--MikimaruGT 2007年6月11日 (月) 14:54 (UTC)

なんだかんだいっても「反体罰に偏った記事」の具体的な内容や、そう判断した根拠は全く示せないということです。何を指して「反体罰」と言っているのかまともに説明がありませんが、まずは「反体罰」と判断した具体的な根拠を提示しなければどうしようもありません。反「反体罰」で削除を強行した行為こそが、Wikipedia:中立的な観点から逸脱していることの証明です。

外部サイト管理人が「反体罰」だから全体が偏っているとは、乱暴な内容です。「反体罰」が『個人的に』気に入らないのは個人の問題ですが、「反体罰」だから『客観的に見て』偏っている・だから削除するとでも言いたげな態度でWikipediaの記事を主観的にいじる言動は、ものすごい論法です。『「反体罰」は間違っているからWikipedia:中立的な観点は無視して構わない』というお立場なのでしょうか。また『自分の考えは、客観的事実と全く同じもの』というお立場なのでしょうか。

問題はサイトの内容で、両サイトに目を通すと、両サイトとも資料部分と管理人の見解は明確に区別して書かれている上、資料部分は新聞記事や書籍などを元に構成されていると判断でき、検証可能性を満たしていて「Wikipedia:外部リンクの選び方」の「情報の信頼性、検証可能性などにおいて書籍や学術論文などと同等の水準を保っており、出典、参考文献として掲げるに値するサイト。」に該当すると判断できます。それぞれの事件については、少しでも新聞記事等を調べてみれば、「『過去の関係する事件・事例』で示されている事件があったのは事実」ということはわかるはずです。

足りない点があるというのなら加筆すればよく、削除の必要がないことは明らかです。

いくらごちゃごちゃ言っても、「個人的に気に入らないから削除した」以上の理由はないことを改めて裏付けているだけです。--Sn-pt 2007年6月11日 (月) 21:35 (UTC)

  • Wikipedia:中立的な観点で論を組み立てたのが悪かったようですね。Wikipedia:検証可能性の方が適当なガイドラインだったのかもしれません。方針1に『記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです』とあります。少なくとも「私自身は法律の専門家でも、少年犯罪やいじめ研究の専門家でも、カウンセラーでもありません。なかには、思いこみや不確かな情報もあるでしょう。最終的な判断はあくまでご自身の責任でお願いします。」と明記されているウェブサイトが「信頼できる情報源」なのだろうかということです。このウェブサイトの筆者はむしろ「信頼できる情報源」であることを放棄して(私自身は~ご自身の責任でお願いします)いるのでは?--MikimaruGT 2007年6月12日 (火) 10:39 (UTC)
  • そのサイトは新聞報道をされ、裁判沙汰になっている事例を多く取り扱っています。各種新聞の内容、裁判の結果は信頼できる情報源であり、Wikipedia:検証可能性の条件を満たしているであると思います。それならば引用先を判例にすればよいのではないでしょうか?--新御茶ノ水 2007年6月12日 (火) 11:45 (UTC)
少なくとも該当箇所については、知られていない事実の公表が目的とは思えませんし、プライバシー、不謹慎などの事由にはなおのこと当てはまりません。
また、当該サイトの検証可能性についても、事実関係部分はおおむね公表されている新聞等の内容となっており、問題ないと考えます。
ただし、記事の理解を深めるのに、冗長とも思えるほどの事例を載せる必要があるか?と言われたら、少なくとも私は疑問に感じていますし、情報源ももっと適当なものに変えるべきという点はあると考えます。Fuji 3 2007年6月12日 (火) 15:31 (UTC)
  • 事件・事例リストは捨てるのはもったいないですね。出典要求のテンプレートを貼るなりして、なんとか生かせる方法で対処願いたいところ。--58.95.142.253 2007年6月12日 (火) 23:01 (UTC)
  • Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは演説場所ではありません1に『いかなる種類の宣伝(プロパガンダ)や擁護の場でもありません。あなたが支持する人物や団体、思想や信条を宣伝するために(『「体罰」についてですが、管理人は明確に反対の立場です。』という方のウェブサイトを宣伝)ウィキペディアを利用してはなりませんし、逆に対立する相手や不愉快なものを非難・攻撃したり(体罰#過去の関係する事件·事例水戸市立第五中学校以降)、あるいは読者を扇動するために(『また、体罰と思われる行為の前後の会話を録音したり、病院で診断書を貰ったりすることも事実関係を明確にするためには有効である。』)ウィキペディアを利用してもなりません。』--MikimaruGT 2007年6月13日 (水) 14:32 (UTC)
マジレスすべきなのかちょっと考えますが・・・
情報の参照元を載せることを「宣伝」というのは暴論ですし、水戸5中以降を「対立する相手を」云々はうがちすぎですし、”体罰と思われる行為を”云々を「読者の扇動」は被害妄想に思えます。確かにひどい内容が追加されることも多い項目ですが、編集によって徐々にましになっていますし、それを上記のような理由で全削除するのはいかがなものかと思います。Fuji 3 2007年6月13日 (水) 15:31 (UTC)
なんかもう、コテハンつけるから妙な名誉心が出て無理押ししてるだけじゃネーノ( ´_⊃`) 俺みたいにIPアドレスオンリーでやりなよ。「荒らし」するようなタイプジャねーンだしさ。アカウントなど飾りですよ飾り。偉いひとにはワカランのです。--58.95.142.253 2007年6月13日 (水) 16:19 (UTC)
思想的に偏った一種の自治厨でしょう。相手にする価値なし。--Nabeyakanchang 2007年6月14日 (木) 01:30 (UTC)

「体罰に関して特に異を唱える方の文章と判断」した根拠について全く説明することができず、いつの間にか変な方向に話がすり替わっているようです。

大きな方向性としては「記事の内容は基本的に存続、一部の箇所については加筆・編集・{{要出典}}などで対応」の方向性でまとまっていると認識していますが、その方向性でよろしいでしょうか。

なお、利用者:MikimaruGT会話 / 投稿記録 / 記録氏には、長期荒らし利用者:Mikihisa会話 / 投稿記録 / 記録のソックパペットの疑惑が浮上していることも報告します。(Wikipedia:管理者伝言板/荒らしおよびWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Mikihisaを参照)--Sn-pt 2007年6月15日 (金) 02:02 (UTC)

メディアでの「体罰」の扱いについて

これについて加筆します。1990年代に入ってすぐにNGとなったわけではなく、テレビでも1990年代前半にはまだ家庭内の体罰がみられました。「びんた」(1990年、TBS)や「ツヨシしっかりしなさい」(1992年~1994年)など(1992年~1994年、フジテレビ)などが体罰(といっても平手打ちですが)の多い(あるいはそれをメインテーマにした?)作品です。それが原則NGになるのは、1990年代後半のどこかだと思われます。学校や塾・お稽古などの教育機関や、家庭・教育機関以外のものなどもそうだと思います。なお、1990年代後半以降(あるいは2000年代)におけるテレビ番組(アニメ・ドラマなど)での教師の体罰への過度の制裁・圧迫(この記事にもありますように、現実にはそのようなことが通常行われなかった1970年代などの過去の時代の設定も含む)などは、(私見ですが)父母などの過度の教師への圧力という現状が背景にある気がします。

ただ、中々教育機関以外の体罰シーンはなくならないものです。2001年の「金八先生」では金八が乙女を平手打ちしています(第1話で弟の大病なのに携帯電話の電源を切っていたことに対して)し、2003年の「こころ」では、主人公が客室乗務員時代に、子供の乗客のマナーの悪さ故に平手打ちをするシーンがありました。60.33.125.2 2007年6月17日 (日) 07:06 (UTC)

架空のメディア作品については、(所詮)フィクションだけに何処まで取り上げるべきかは配慮されるべきかもしれません(フィクションのことを矢鱈クローズアップしても現実とは違うだけに不毛ですし)。例えば制作者サイドが社会風潮に配慮したのか、それとも単に制作者自身がそういう価値観の持ち主で避けているのか…などなど、様々な可能性が考えられるためです。ただ可能性だけで彼是憶測を書き綴る訳にもいきません。明確な制作・提供サイドからのアナウンスがあれば紹介してもいいのかもしれませんが、無ければ精々放送倫理・番組向上機構などが発表した「視聴者からの声」などを引用してそういう指向の量の大小は差し置いて意見が存在することだけを紹介するしかないかも。--夜飛/ 2007年6月17日 (日) 09:41 (UTC)
先ほど本文についてこの件を加筆しました。ご意見なにとぞお願いします。なお、このノートにある例も転記してもよかったのですが、今回は割愛しました。

ところで、バブルの前のころの児童向けドラマや児童文学で、普段は優しいお父さんが男の子(息子、小学生くらい)を殴る理由として、「友達・クラスメイトへの裏切り」への罰というのが多かったのです。実際他人の子供のために叱る親なんてどれくらいいるんでしょうね、と思いたくはなりますが。しかもいじめではなく、裏切りですよ。道徳教材や娯楽作品と割り切るべきでしょうか?60.39.233.45 2007年8月29日 (水) 13:27 (UTC)

家庭・教育機関以外での体罰について

これもあると思います。つまり家族(あるいは親族など家族に準じたもの)や教師など以外の行う体罰です。
例えば、医療現場が考えられます。診察・治療で言うことを聞かない子供の患者に対して、医師・看護師・歯科衛生士などが軽い平手打ちをすることなどがあります。少なくとも過去には内科・歯科・耳鼻科などであったようです。
あるいは地域社会において、近所の人が悪さをする子供(他人の子)に体罰するなどです。
その他、交通機関で運転士(タクシー・バスなど)・駅員・車掌・客室乗務員などが、マナーの悪い子供の乗客(大人の乗客にすら?)に体罰することなども考えられます。
ただし、自分以外のものが子供に手を挙げることに不寛容なこのご時世では、それは難しいでしょうが。60.33.125.2 2007年6月17日 (日) 07:06 (UTC)

伝聞調がなにやら要らぬ警戒心を擽りますが…それはさておき、それらの事象は単純に体罰で括るべきかどうか微妙かもしれません。逆に職場なんかでのパワーハラスメント事例なんかは、行った当人の主観的には体罰かもしれません。まあかつては、悪さが過ぎれば余所の子にも手ぇ挙げる大人も少なくなかったみたいですけど…本当に殴ったかどうかは兎も角として。--夜飛/ 2007年6月17日 (日) 09:41 (UTC)

歯医者さんや目医者さんなどの子供の患者への体罰(?)やご近所の人のよその子への体罰って、バブルの前まではあったのは本当ですよ。60.39.233.45 2007年8月29日 (水) 13:21 (UTC)

現業業務

荒らしたくなるほどの現業業務、日々ご苦労さまです。ほんとうに子らが減るしか解決はなさそうですね(;´Д`)少子化万歳--125.205.188.24 2007年11月7日 (水) 12:43 (UTC)

ここはあなたの日記帳じゃありません。そーゆーことは、ご自身のブログに書いてください。--夜飛/ 2007年11月7日 (水) 12:47 (UTC)

いやいや。ほんに。ご苦労様です。大業に騒ぎ立て、問題にし、重要な課題として騒ぎ立てておくのが宜しいですな。いやはや(;´Д`)ご苦労様です。--125.205.188.24 2007年11月7日 (水) 12:55 (UTC)

(井戸端より)記事を私的判断で差し戻ししないでください

体罰の項に加筆しましたわずか10分位で削除されました理由は「物事を客観的に説明する百貨辞典であって、何かを 告発する場ではありません。」という物。 私は具体的な話を書いたほうが信用度が増すと思ったからです。 単に体罰に鉄パイプが使われることもあると簡単にかいたのでは信用してもらえないと思ったからです。中立的意見というなら既に私の見方とは反対の意見が他の人によって書かれているではありませんか! 謝罪するとともに私の書き込みを元に戻してください。 どういう内容かはもう削除されているので表示できません。 —以上の署名の無いコメントは、Minako Aphrodite会話履歴)さんが 2008年5月6日 (火) 17:00 UTC に投稿したものです。

他の投稿に出典がないという事実をもってWikipediaで出典のない投稿が認められるというわけではありません。他の投稿が気になるなら[要出典]を塗布することで出典の開示を求めてみてください。--ネコバット 2008年5月6日 (火) 17:08 (UTC)

該当記事のノートで当事者も交えて話し合うのがいいと思います。井戸端向けの議題だとは思えないので他者の意見が必要ならコメント依頼を検討してください。--KM-0901 2008年5月6日 (火) 17:29 (UTC)
個別の記事に関する話題は井戸端では不向きですので、以降はノート:体罰でお願いします。--Broad-Sky [note] 2008年5月7日 (水) 18:49 (UTC)

以上、井戸端での2008年5月8日 (木) 03:49 (UTC)時点での議論です。--Railroad///RW 2008年5月8日 (木) 12:19 (UTC)

体罰と暴力の定義に付いて

ここには初めて書き込みます。 本文とノートを(長かったですが)読みました。 そこで受けた印象は、体罰と暴力の定義が曖昧なのではないかと言う事です。 もちろん、その定義が難しいからこそ論争や意見の対立が起こるのだろうとは思いますが、そこに付いてのある程度の合意が得られない限り体罰の項に「体罰」と「暴力」がない交ぜに記述されてしまいそうに思います。(ない交ぜに記述されていると感じています) これに付いて、すでに(ここかここ以外でも)合意されているようなら、その場所を教えて下さい。読ませて頂きます。 もし合意されていないままなら、その合意の必要性を議論すると言うのはどうでしょうか。 もちろん、どこかにビシッと一本の境界線を引けるとは思っておらず、個人的には「体罰⇔グレーゾーン⇔暴力」の関係にあるようには思っていますが、少なくとも何かを基準に定めなければ議論にならないだろうし、ましてや中立の観点から事典を記述するのは難しいと思います。 なおこの体罰の問題をさらに複雑にさせるのは、例えばまったく同じビンタであっても、ビンタをした人とされた人のそれぞれの考え方やその時の心情、あるいはした人とされた人の精神的な関係、またそれに至る前後の状況などによっても解釈が異なりそうだと言う部分です。 こう言う部分に付いての定義付けに、ある程度の合意が必要ではないかと考えています。 みなさんのご意見をお聞かせ下さい。--Usagi ryosuke 2008年5月11日 (日) 13:56 (UTC)

語の定義自体は辞書(国語辞典)を引くべきかと思います。実際問題として、体罰が問題化した事例のいずれもがその態において暴力事件であるところで、本記事が変な方向へ行っちゃってる側面もあるのですが、そこにはグレーゾーンという以前に「成す側と受ける側(更にはこの両者の関係者)の意識の違い」という問題もあり、それぞれの主体においてどう認識するかも絡んでくると思います。しかしてこの両者の行為や意識を客体から見た場合に、そこは合理性の有無が問われるのみで、合理的と判断されれば体罰、非合理的だと判断されれば暴力になると考えられます。この基準は一種の文化性も関連するとも考えられますが、また法レベルでもその可否が問われるところでもあり、そこは切々と地域(国)ごとの事情を示せばよいとも考えます。
ともあれ、全世界共通の認識がないというただ一点のみをもって、本項ではいろいろな考え方があるということを示せばいいと思います。--夜飛/ 2008年5月12日 (月) 11:53 (UTC)

過去の関係する事件·事例 -「幸福会ヤマギシ会」の節について。

こんにちは、通りがかりで編集をしました、kahskydreamと申します。
「幸福会ヤマギシ会」の節についてですが、文にまとまりがなく、また参考文献となっている池坊保子議員の発言等が見受けられません。さらに、最後の方に記述されている岐阜の例も何と対比したいのか理解に苦しみます。書いてある内容もニュートラルではない様に見受けられます。
文体から想像するにWP:KIDの編集のようなので、一応雑草抜きはしてみましたが、いまだに自分でも訳わからない文章になってしまいます。私、Wikipedian失格ですね、申し訳ありません。。。
ともかく、1.根拠がなく2.冗長的な文章であり、3.WP:NPOVによりWikipediaの方針に反していることを報告いたします。体罰を編集している皆さんで少々、この節の改善法・有意義性について話し合ってみてください。
では、お騒がせしました。--Kahskydream 2008年5月25日 (日) 10:42 (UTC)

こんにちは。国会議事録は[11]から検索できます。145回、衆議院、予算委員会、池坊保子で検索すれば発言者番号168から172にわたって当該発言が確認できます。まずはご自身で検証できるようになってから検証可能性を話題にしてください。--118.18.225.166 2008年5月25日 (日) 11:46 (UTC)

ご返答ありがとうございます。なるほど、データベースシステムがあったのですね。今まで国会議事録を原典とした記事に触れるのは初めてでしたので・・・。リサーチ不足でした。該当発言は取り下げさせていただきます。
しかし、改善の余地があるとは思います。私はこういうことについては非常に疎いので、どなたか体罰を研究されている方へ、改善をお任せいたします。よろしくお願い致します。--Kahskydream 2008年5月25日 (日) 13:51 (UTC)

身体刑について

「身体刑を加えることを指す」

とありますが、(pediaのページの)体罰は刑として定められた身体刑とは異なるものだと思います。 法に則ったものでもありませんし。両者を同一視するのはおかしいのでは? --118.21.5.113 2010年1月2日 (土) 11:55 (UTC)

身体刑を法学方面から見ればそうなるかもしれませんが、身体刑をより原義的に「肉体に課す罰」と解釈すれば意味は通ります。一方、暴行だとか私刑と位置付けるのは、些か偏った恣意的な表現にお見受けしますが。まあ刑罰史方面から見ると身体刑が禁固などより酸鼻を極めるような苛烈な刑罰のニュアンスがあるので、身体刑と表現するのも語弊がありますか。このあたりは多少調整しますが。--夜飛/ 2010年1月2日 (土) 12:16 (UTC)
正規の刑法ではない以上、その刑は私刑に該当します。私刑であれば、法に基づくかぎり暴行ないし傷害の行為になるでしょう(暴行の定義に沿い、意図してそれを為すのが体罰ですから)。刑でないのであれば、そもそも罰ではない。苛烈さは関係なく、事柄の定義としてそうなっているだけです。(そもそも身体刑も傷害的苦痛を目的とするものだけではなく、軽度のものであれば多くは暴行的苦痛を目的としているのであり、記事の記載は誤解を招くように思われます)--118.21.5.113 2010年1月2日 (土) 16:54 (UTC)
いやそこで刑事罰などを引っ張り出す必要があるのか?と思います。まあ私刑に関して言えば広辞苑を紐解く限りでもリンチと同義語扱いであり、程度ってもんも多分に絡み語のニュアンスからして「特定視点に誘導的」と考えます。暴行(ないし暴力)にしても、抑制されない乱暴な振る舞い・力の行使というニュアンスを含む以上は、語として中立性を逸していると考えます。なんといってもここは日本語版Wikipediaなのでありますからして、日本語の語の定義が文章としての説明で優先されるべきであり、法学的解釈の見地から独自研究的に同一視したとしても詮無い(ありていに言えば「書くべきではない」事柄)ことでしょう。なお「刑で無ければ罰ではない」には同意しかねます。自罰や他罰といった語の存在を無視しているのみならず、どこぞの文豪の作品タイトルではないですが、罰は罪に付随する観念であり、罪が法律のみならず道徳に反する行為も含まれる以上は、その解釈は「法学POV」でしかなく、より広い視点での説明が求められる百科事典の記事としては不適切と考えます。まあ、体罰を法的側面から見れば私刑(私人によって法的根拠によらず成される制裁)という解釈が可能だというのを別節を設けて書くことまでは反対しませんが、それは独自研究や演説ではなく中立性をもっていなければ結局は「書くべきではない」と思いますけどね。--夜飛/ 2010年1月3日 (日) 03:24 (UTC)
「身体刑」ではなく「身体罰」ですね。--大和屋敷 2010年1月3日 (日) 03:47 (UTC)
ニュアンスを重視して本来の日本語から間違った記事になっているでしょう。身体刑については形式を伴い、大小が明確に定められており――そうでないものを身体刑と呼ばない――、記事に書かれているような一面的かつ誇張された単純なものではありませんし、暴行・傷害についても理不尽であるということが直接に決定するわけではない。これらの見解は法学的見地でいった方が正確にはなりますが、そうでなくても日本語から外れた「常識外れ」の内容といえます。まぁこの辺の内容については揚げ足取り、修正は比較的たやすいし問題ではない。さて、程度の問題に触れていますが、その明確な線引きは体罰に存在しません。体罰の目的はその効果性を見ると、「相手の痛みを弱く、かつ効果が出るように」ではなく「相手の痛みを強く、それゆえ効果が出るように」となっています。ゆえに「正しい体罰」はより大きな暴行であり、意図そのものと矛盾するため、現状「正しい体罰」は決定できない(体罰を為す側の都合と、体罰の有用性の主張が矛盾するため)。ゆえに軽度を語ることはできない。また、「刑(私刑、あるいは刑罰)でなくては罰ではない」というのは正しくありませんでした。正確には「刑としての形式を伴わないものは、社会的に正しい罰とはなり得ない」と言うべきでした。--118.21.5.113 2010年1月3日 (日) 08:57 (UTC)
(インデント戻し)んー、なんだかな。ちょっと表現が上滑りすぎて万歳しちゃっている風味なので意味するところを判じがたいのではありますが、法学見地で論じる視点こそが独自研究の虞ありと申し上げる次第でして、そもそも法に関しては日本の国内法において体罰を学校教育者が行使することを禁じているのみで、その内容を論じていないのでは?また「効果性(云々)」なんて造語が出ている訳ですが、その118.21.5.113さんの考えだと「尻をスリッパで叩く」より「麻袋に放り込んで吊るしバットで(致死しない程度に)滅多打ちにする」ほうが効果的だという主張ですか?まあ前者は体罰とみなされたとしても、そこまでやったら後者は完全な犯罪(傷害や虐待・あるいは殺人未遂とか)ですがね。いずれにせよ118.21.5.113さんの解釈は独創的過ぎて百科事典的とは考えにくい感じです。--夜飛/ 2010年1月3日 (日) 13:45 (UTC)
法学を論じるのは法(身体刑)であると記事に書いてあったからでしょう。更にその点に関しては修正されても、今度はそれらと私刑が体罰に対して「重度である」との誤った見解の記事になっている。法に関してはこの点が問題と言っているだけですよ。その上で、一般的な体罰の論理には、その論理の矛盾から、身体刑や私刑の罰に対し軽度か否かを比較できるような尺度は無いと言っているのです。現在の記事は牛肉は一般的に豚肉より美味いとされるからビーフカレーは常にポークカレーよりも美味いとするようなもので、百科事典には相応しくないものといえます。--118.21.5.113 2010年1月3日 (日) 14:24 (UTC)
まずもって体罰を法の観点で規定しようというのが無茶だと…大体記事中において私刑という記述がないにもかかわらずそれを論点として食い下がる態度自体、なんか主張レベルの相容れなさを感じます。つっかそのビーフカレーとポークカレーの例、意味あります?無闇な同一視で議論霍乱をもくろむ詭弁ならお引取り願います。まあどっちも美味しく作れば美味しいんだけどさ(漏電中)。--夜飛/ 2010年1月3日 (日) 14:42 (UTC)
そう思うなら最初から刑と規定しなければ良かったし、現在も刑を比較対象に取り入れるべきではありませんね。自分の書いたことを自分で無茶といっているのが夜飛さんの主張ですよ。--118.21.5.113 2010年1月3日 (日) 15:16 (UTC)

折檻からのリダイレクトについて

故事としての「折檻」にも配慮して朱雲とこのページに分岐させたほうがいいと思いますが、どうでしょう?--うりりり 2012年1月26日 (木) 11:11 (UTC)

どちらかと言うと、朱雲の項で 折檻の故事は説明されてるけど、そこから激しく叱ること、転じて体罰を加えること…とやると些か冗長の気味があるので、本項で「激しく叱ることを 折檻 というが云々」とか故事を紹介しつつ書いたほうがまとまりがいいように思います。--夜飛/ 2012年1月26日 (木) 12:15 (UTC)