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ノート:原理主義

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2005年3月30日~ 2005年4月13日(221.93.172.69と221.185.2.81)

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宗教原理主義ならばこの説明で妥当かと思うが、一般的には「ある特定の理論体系、価値観および判断・行動基準を無謬と信じて、そこから演繹的に導き出される結論はすべて正しく、望ましいとする思考様式」だと思う。原理主義と呼ばれる思考様式の重要な特徴は、特定の理論体系、価値観、判断・行動基準が「無謬」だとする前提にある。いわば「無謬主義」。宗教だけに限定すると宗教特有の現象のように思われてしまうけれど、実際には共産主義やチュチェ思想もおなじだ。書き換えの検討を提案する。--以上の署名のないコメントは、221.93.172.69会話/Whois)さんが 2005年3月30日 (水) 17:43 (UTC) に投稿したものです。[返信]

ご存知ないようですが、「原理主義」は元来プロテスタントの自称を訳したものです。「原典主義」、「回帰主義」、「根本主義」ともいいますが。つまり本来なら新教にのみ使うのですが、近年は宗教全般に対して使われています。少しは勉強なさってから反論すべきではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、221.185.2.81会話/Whois)さんが 2005年4月13日 (水) 10:17 (UTC) に投稿したものです。[返信]
プロテスタントは「原理主義」を自称などしないので、この主張そのものに根拠がありません。--イザヤ 2011年1月24日 (月) 06:21 (UTC)[返信]

2005年8月8日~

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ユダヤ教の「先鋭なグループは、エルサレムのイスラム教の聖地である岩のドームを取り壊し、古代にあったエルサレム神殿を復元し、ヨハネの黙示録の預言を成就させようという危険な計画を持っている。」はちょっと違う情報が入り込んでいるのではないでしょうか。一部キリスト教原理主義者が、イスラエルを支援することでこうしたことが実現すると信じていることはきいていますが、ユダヤ教徒にとってヨハネの黙示録は宗教的意義をもたないと思うのですが。。--Aphaia 2005年8月8日 (月) 11:00 (UTC)[返信]

わざわざ議論するまでもないでしょう。前々から気になっていた箇所なので、思い切って項目全体をコメントアウトしておきました。新約聖書の「ヨハネ黙示録」を信奉しているユダヤ教徒がいるわけがないので、余程無知な人の書き込みでしょう。アメリカのプロテスタントの中にはパレスチナで最終戦争を起して世の終わりを早めようと画策しているファンダメンタリストの右派もいるので、その辺の情報を勘違いしたのでしょう。何れにせよキリスト教に持ってゆくべき内容ですね。Bokemiann 2005年8月14日 (日) 17:04 (UTC)[返信]
確か記憶違いでなければ、ユダヤ教の原理主義者の中でも正統派の人達は逆に「イスラエルは神から与えられるべきものであって、シオニストが人為的にイスラエルを作ったのは誤りである」と主張していた筈で、ユダヤ原理主義は一括りに出来るのか疑問なのですが。--水野白楓 2006年6月10日 (土) 22:48 (UTC)[返信]

儒教

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私は東アジア思想は知らないので、ここに書いてあることは真偽を判定しえないのですが、中国と結びつけているところにまず違和感があります。中国大陸ではとくに文革期に徹底的な儒教廃絶が行われて、儒教の影響はまずないように思います。それに「儒教原理主義」という言い方は思想関係の学会誌などでは私が知るかぎりではみたことがありません。儒教の純正化をいうなら、こういうことを言う場合には、むしろ仏教や道教との関係のほうが問題となってくるのじゃないかと素人ながら思うのですが。書いてあることに、典拠が示されないようなら、これは除去したほうがいいように思います。いかがでしょうか。--Aphaia 2005年9月17日 (土) 14:15 (UTC)[返信]

全くその通りだと思います--以上の署名のないコメントは、24.23.156.115会話/Whois)さんが 2005年9月29日 (木) 20:07 (UTC) に投稿したものです。[返信]

思想原理主義

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現代では原理主義といえば思想・イデオロギー原理主義の意味合いの方が強いはずですが、この記事では思想原理主義については全く述べられていませんね。--くノ一あやね 2009年4月29日 (水) 05:58 (UTC)[返信]

「原理主義」という表現はともかく福音主義やイスラーム復興主義は当事者が実際に主張している思想であるのに対して、政治に関して言われる「原理主義」とは藁人形レッテルに過ぎません。市場に任せれば「常に」「全てが」うまくいくなどと主張する経済学者などいませんし、マルクス・レーニン主義もあくまで独自体系の社会科学に基づいた思想です。--Extrahitz 2009年5月18日 (月) 00:18 (UTC)[返信]

全てを市場に任せればいいと考える人たちは本当にいますよ。現代では思想において原理主義という用語を使う場合の方が多いです。あと、マルクス主義も科学というより原理主義思想です。実証されていない思想、一面においてのみ真実である思想をかたくなに信じることを原理主義といいます。--くノ一あやね 2009年6月30日 (火) 07:59 (UTC)[返信]

社会科学や経済学において「全面的に実証されている思想」など存在するのでしょうか。私から言わせれば「市場原理主義」や「共産主義は終わった」と吹聴して回っている方々こそ一面においてのみの真実を盲信しているとしか言えません。--Extrahitz 2009年6月30日 (火) 08:24 (UTC)[返信]

終わったんじゃなくて、ひとつの思想をかたくなに信じることを原理主義と表現するのです。--くノ一あやね 2009年6月30日 (火) 14:48 (UTC)[返信]

宗教においては原典が存在するのでそれへの向背により「原理主義」が定義されますが、ある体系の政治思想の観点から別体系の思想を「原理主義」と非難することは単なる他思想への排撃でしょう。信念の強弱は関係ありません。無批判にPOVに則った記述をすることはできません。--Extrahitz 2009年6月30日 (火) 15:21 (UTC)[返信]

今では政治思想に対しても原理主義という用語を使うということです。--くノ一あやね 2009年7月1日 (水) 05:35 (UTC)[返信]

中道主義Wikipedia:中立的な観点を混同しておられませんか。「正しい観点」からみると「市場原理主義」と「共産主義」は偏向・頑迷であるとされるのであれば、それは最も偏向した態度であると言えましょう。--Extrahitz 2009年7月2日 (木) 11:39 (UTC)[返信]

市場原理主義も共産主義も極端主義思想だよ。--くノ一あやね 2009年7月3日 (金) 14:25 (UTC)[返信]

くノ一あやねさん

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必要があるなら「思想原理主義」節以外についても別途問題提起してくださいとは申しましたが、特に問題を感じている訳でもないのにあてつけのように無差別にタグを貼ることは全く建設的なやり方ではありません。自重してください。--Extrahitz 2009年8月11日 (火) 03:33 (UTC)[返信]

改名、分割提案

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多言語リンクをもとの英語であるファンダメンタリズムに改名し、政治用語や他の転用、派生については原理主義への分割を提案します。この語は神学、キリスト教用語として訳される場合は『宣言若しくは信条』の根本主義の訳語が付かわれ、政治用語として使われる場合に原理主義と訳されてきました。今日、政治と宗教が結びついた場合において原理主義の語が使われていますが、根本主義と呼ばれた当時、政治に関わっていた人たちは根本主義者との対立グループである社会的福音自由主義神学の立場であって、当時の運動について原理主義と訳すと不正確です。根本主義は政治との結びつきを非常に嫌います。純粋に神学的な用語として原理主義は正確な訳語ではなく、原理主義の用語は必ず政治を結びつけた、社会学や世俗の用語です。現状の題名だと混同を招きます。--イザヤ 2011年1月23日 (日) 08:31 (UTC)[返信]

世俗と宗教を分離しない立場 (たとえば、イスラム教の立場の一つとして存在するでしょう) に対して、「原理主義の用語は必ず政治を結びつけた、社会学や世俗の用語です」という言明はどの様な意味を有するのでしょうか。--Jms 2011年1月23日 (日) 08:57 (UTC)[返信]
私が直前に訂正した記述では、この語が発生した当時の運動について原理主義の訳語をあてていましたが、この時代は原理主義なる用語でキリスト教の運動が呼ばれておりませんし、原理主義を自称する者などおりません。Jmsさんは「世俗と宗教を分離しない立場 (たとえば、イスラム教の立場の一つとして存在するでしょう) 」と言われますが、イスラム教に見られるようなそれが原理主義と呼ばれているのではないですか。根本主義は極端なほど政治との結びつきを嫌いました。--イザヤ 2011年1月23日 (日) 09:07 (UTC)[返信]
そもそも分離していないものに対して「結びつけた」と言えるのか、ということなのですが…。「ファンダメンタリズムに改名し、政治用語や他の転用、派生については原理主義への分割」をする位なら、根本主義を分割する方が良いのではありませんか。Wikipedia:記事名の付け方からすれば、「ファンダメンタリズム」よりは「原理主義」をとるべきでしょう。--Jms 2011年1月23日 (日) 09:18 (UTC)[返信]
Jms さんは原理主義の語について政治と「そもそも分離していない」場合に使われる語だと認識しておられるということで間違いないですね?その点において私の言語感覚とそれほど相違がないと思います。20世紀初頭の運動というのは、神学運動です。それを[1]のように原理主義と訳すことは結びつけたと言えるでしょう。また、記事名の付け方を読みましたが、そのどこを根拠に「「原理主義」をとるべき」と言っておられるのか不明です。--イザヤ 2011年1月23日 (日) 10:01 (UTC)[返信]
原理主義の語について政治と「そもそも分離していない」場合に使われる語だと認識しておられるということで間違いないですね? いいえ、文脈に依存すると考えています。「記事名の付け方」の該当箇所は、冒頭の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」及び「略号・記号・片仮名語」の項です。冒頭箇所により、原理主義という語がウィキペディアを利用する人々の平均的文脈において何を意味しているかという事が影響しますし、fundamntalism について説明するにしても、「略号・記号・片仮名語」により、対応する訳語があるならば記事名にはそれを用いるべきでしょう。その際に fundamntalism の原義が別項目 (たとえば、「根本主義」) になって他言語版の fundamentalism から直接はリンクされないことがあるかもしれませんが、それは日本語と他言語の違い、ならびに「日本語話者の大多数」がどの様な用例に接しているかという問題なので、仕方ないでしょう。ナビゲーション用に「ファンタメンタリズム」という曖昧さ回避のページを新規作成する、という手はあるかもしれませんが…。--Jms 2011年1月23日 (日) 10:17 (UTC)[返信]
「日本語話者の大多数」は、この語のルーツとなった20世紀初頭の神学的な運動である根本主義と、政治的な「原理主義」の区別はつかないでしょう。上記の訳語の用い方を見れば、この語を使うことで、「日本語話者の大多数」に用語の区別がつかないことがはっきりわかります。理解しにくいということです。混同するような語は使うべきではありません。--イザヤ 2011年1月23日 (日) 11:06 (UTC)[返信]
だから、「原理主義」という項目から「根本主義」を分割し、「原理主義」からは「根本主義」へ otheruses で誘導して、区別がつく様にするのが良いと思うのですが…。なぜ「ファンダメンタリズムに改名し、政治用語や他の転用、派生については原理主義への分割」なのかがわかりません。それは fundamentalism fundamentalism ではありませんか。--Jms 2011年1月23日 (日) 11:12 (UTC) スペルミス訂正 --Jms 2011年1月23日 (日) 12:38 (UTC)[返信]

コメント現在、原理主義では神学の意味と政治の意味の両方を記述し、キリスト教根本主義は別記事が存在します。「原理主義」の冒頭では、「キリスト教根本主義」の説明とリンクが掲示されています。また「根本主義」は「キリスト教根本主義」へのリダイレクトです。通常、別の分野での別の意味で同一の語が使われているならば分割が望ましいですが、ファンダメンタリズムは同一の語で、最初は神学、後に政治で使われるようになっただけです。もともと記事としては1つであり、改名や分割の必要性が理解できません。--Rabit gti 2011年1月23日 (日) 11:19 (UTC)[返信]

おっと、すでにそうなっていたとは。それならば確かに改名分割とも不要だと思います。--Jms 2011年1月23日 (日) 11:23 (UTC)[返信]
(改名分割不賛成): 私も改名分割共に不要と考えます。既にキリスト教原理主義キリスト教根本主義というほぼ同じような項目が出来ているのに、原理主義をさらに分割するのは利用者を混乱させるだけで無意味だと思います。ちなみに、「キリスト教根本主義」は「キリスト教原理主義」を改題してリバーとされていたものを、ある人が再度記事に起こしたもので、統合が望ましいと考えます。それなのに、大項目である「原理主義」を分割するのは、必要はないどころか、却って読者を混乱させる原因になるでしょう。さらに、「神学用語としての原理主義」と、その派生としての「政治用語としての原理主義」の区別が日本の読者につかないと言っても、ここは百科事典なのだから、そのことを記事内できちんと書けばよいことです。また、それを言うなら「根本主義」という用語の方が一般的でなく、読者の混乱のもとになります。--Bokemiann 2011年1月23日 (日) 11:54 (UTC)[返信]

ファンダメンタリズムが同一の語であるということに同意します。だから、多言語リンクは同一の語にするべきだと言っているのです。しかし、原理主義と根本主義は同一の語ではありません。ファンダメンタリズムであれば、根本主義の語も原理主義の語もカバーできますが、原理主義と根本主義は異なります。違うものがこの不正確な訳語によって一緒にされています。読者はすでに混乱しているのです。--イザヤ 2011年1月23日 (日) 12:27 (UTC)[返信]

日本語と英語が一対一に対応するとは限らない事は既に述べました。広義の fundamentalism の一般的な訳語は「原理主義」でしょう。--Jms 2011年1月23日 (日) 12:38 (UTC)[返信]
広義のfundamentalismが「原理主義」になるとする主張に根拠はありません。原理主義の語はより限定されています。一対一に対応しているのなら多言語にリンクするのに原理主義でも構いませんが、一対一に対応していないのだから、不正確な項目名です。--イザヤ 2011年1月23日 (日) 12:46 (UTC)[返信]
広義の fundamentalism を「根本主義」とする用例よりは「原理主義」とする用例の方が多いと思いますが…たとえば ci.nii.ac.jp で検索すると、原理主義で 625 件、根本主義で 1 件、ファンダメンタリズムで 43 件です。逆に、「原理主義の語はより限定されています」の根拠はありますか? 英語版の項目が広義の fundamentalism について述べているのですから、広義の fundamentalism に対応する項目を言語間リンクしておけば良いでしょう (fundamentalism という英語が fundamental なら)。--Jms 2011年1月23日 (日) 13:02 (UTC) 検索結果追記 --Jms 2011年1月23日 (日) 13:05 (UTC)[返信]
コメントイザヤさんへ。「一対一に対応していないのだから、不正確」とありますが、確かに主要各国語版と日本語版の関係は、可能であれば一対一(1:1)が理想的とは私もかねて思っていますが、各国語の特性や記事の発展経緯によって(1:n)、(n:1)、(n:n)などの記事が多数存在しており、必ず同一化すべきとは言えませんし、そのようなガイドも存在しません。例えばナショナリズム国家主義民族主義では各記事が存在していますが、「ナショナリズム」の翻訳が文脈により「国家主義」や「民族主義」で、更に「statism」も「国家主義」で、「ethnicism」も「民族主義」です。ただしこの場合は「ナショナリズム」も日本語としてかなり定着しています。仮に当記事を「ファンダメンタリズム」とすると、日本語としての定着度が疑問です。Wikipedia:記事名の付け方では「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」です。また(1:1)対応を重視すると、同様に「急進主義」は「ラディカリズム」、「民主主義」は「デモクラティズム」にすべきですが、リダイレクトは残すにせよ日本語版百科事典とは言いがたくなり、語によっては語源はフランス語なのでフランス語読みにすべきとか、いや古代ギリシア語読みにすべきとか、記事名の収拾が付かない恐れもあります。日本語としては現状の「原理主義」と「(○○教)根本主義」が一般的と思えます。--Rabit gti 2011年1月23日 (日) 13:09 (UTC)[返信]
記事が別立てになっており、現状のままで問題なく、改名分割ともに不要と思います。
あと、Category‐ノート:キリスト教根本主義にも似たことを書いておきましたが、こちらにも若干たとえ話を変えて書き込んでおきます(それにしても関連議論が終結していないのにカテゴリ整理を実行されるのはいかがなものかと思います)。
メタな議論については上で色々な方が仰っていますし、私から特に加えることはありません。
むしろここは「人の振り見て我が振り直す」のたとえ話の方が分かりやすいでしょう。(私は実行しませんが)訳語の違いをそこまでカテゴリ・記事名に反映させ続けるとどうなるか、イザヤさんの行動様式を正教の立場に適用させたらどうなるでしょう?
記事名「キリスト教」は問題。「キリスト」は西方教会における転写。せめて正教会でも使われる漢字表記である「基督教」か、もしくはギリシャ語から「クリストス教」もしくは「ハリストス教」と改名すべき。
…などと私が言い出したらどうなるでしょう?
記事名「サクラメント」はラテン語由来。語源的にも「サクラメント」は宣誓といった意味合い。だからカトリックの訳語である「秘蹟」にも影響を与えているであろう、「隠されたもの」を意味するギリシャ語由来の「ミスティリオン」に記事名を改名するべきだ
…などと私が言い出したらどうなるでしょう?
一笑に付されて終了の筈です。物事にも限度があるということです。だから折り合いが必要なのです。
私も、正教に関連する記事は別枠・別項目にする一方で、総合的な記事は無理に改名したり分割したりすることを避けて書くことが多いです。それが折り合いというものでしょう。色々なところで申しておりますが、我々は「(非クリスチャンも含む)一般からの寄付で成り立っているスペースに無料で書かせてもらっている」のだということを忘れてはなりません。--Kinno Angel 2011年2月10日 (木) 10:44 (UTC)[返信]
議論に返答することなく、Category‐ノート:キリスト教根本主義にも書きましたが関連するカテゴリ整理を強行されるイザヤさんの行動、神道原理主義を立項されたイザヤさんの行動を、大変危惧しておりますことを申し上げます。--Kinno Angel 2011年2月11日 (金) 02:52 (UTC)[返信]
原理主義がアジアの一地域の日本で使われるファンダメンタリズムの訳語の一つに過ぎないことは、自明のことです。この項目には國學院大學井上順孝教授の説が載っており、原理主義を1.原点主義、2.原典主義、3.減点主義の特徴で説明しているといいますが、日本語の言葉遊びのようなものでそれも一つの観点です。少なくとも古いファンダメンタリズムにはそのような意味はありませんでした。--イザヤ 2011年2月11日 (金) 06:16 (UTC)[返信]
議論中案件の合意をみずに、イザヤさん自ら神道原理主義を単独立項されたという行動からは、ここ「ノート:原理主義」での議論の範疇である「キリスト教原理主義」、「イスラム原理主義」の単独存続を是認・支持する立場であると解釈して良いのではないでしょうか。他者からのレッテルであっても、出典があるのですから、レッテル言語として、wikipedia日本語版の記事項目としては、単独存続すべきだとのお考えと判断できますね。
また専門家・精通者の自明が、一般閲覧者にとっても自明とは限りませんし、むしろそうでないことも数多いので、一部少数知識共有者の自明に逃げることなく別項をもって解説することも、場合によってはよろしいでしょう。--ジャムリン 2011年2月11日 (金) 08:12 (UTC)[返信]
従って、独立項目の単語の大本たる日本語版このページも原理主義という名称がふさわしいと考えます。対応外国語との乖離とその変遷については記事内で解説すれば充分でしょう。--ジャムリン 2011年2月11日 (金) 12:52 (UTC)[返信]

神道項目の削除

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神道原理主義にも削除依頼が出ていますが、一人のキリスト教徒の特殊な見解を元に項目を作るのはどうかと思われます。同項目の削除を提案いたします。--222.149.10.202 2011年3月7日 (月) 12:57 (UTC)[返信]

コメントノート:神道原理主義にも書きましたが、「神道原理主義」はマイナーな用語ですが、御嶽神社を含めた複数の立場から使われており、必要ならば編集対応すべきで、安易な削除は適切とは思えません。--Rabit gti 2011年3月7日 (月) 13:53 (UTC)[返信]
(コメント)使用が確認されるのは書籍「すっきりわかる「靖国神社」問題」と御嶽神社と岡山英雄の三者だけでしょうか。この3つだけで特筆性がある、成長の見込みがあるといえるとは思えないのですが。削除提案の方でRabit gtiさんは儒教原理主義に付いて触れておられますが、それも本記事ではマイナーであるということで上記で削除されております。神道も同様に判断してよいかと思います。--118.1.229.202 2011年3月7日 (月) 14:37 (UTC)[返信]
Rabit gtiさんから削除依頼の方で山中恒の「すっきりわかる「靖国神社」問題」吉田司の「王道楽土の戦争 戦前・戦中篇 」、小川忠の「原理主義入門」、道徳科学研究センターのイスラムQ/Aで使用されているとの指摘をいただきました。山中恒、吉田司や小川忠は学者ではないようですし、個人的には学術的にどの程度評価されているのか疑問はありますが。削除依頼の方でRabit gtiさんから「よければ更新してみますが」と言って頂いたのでひとまずこちらで更新してみてはいかがでしょうか。独立した記事にするかはそれからでも遅くはないと思います。この記事の神道の項目も現時点のままでは神道原理主義の記事と同様にあまりに少数派の特殊な見解臭が漂っていますので早期になんとかしてもらいたいです。--118.1.229.202 2011年3月7日 (月) 17:27 (UTC)[返信]

さきほど神道原理主義の記事が削除されたようです。「神道原理主義」の独立記事も本記事の「神道」の項目もそうなんですが、イザヤさんがあまりに少数の人物の一方的な意見を基に独断で建てたものであることは否めません。当記事の「神道」項目を作るのも「神道原理主義」の記事を作成するのもまずは当該ノートにおいて議論したうえで行うべきであったと思います。その最終的議論はRabit gtiさんの編集の成果を待つとして、それまでは現時点においてソースが少なすぎるうえに中立性・客観性が皆無の当項目をコメントアウトする事を提案いたします。--118.1.229.202 2011年3月8日 (火) 04:53 (UTC)[返信]

提案に賛成します。Rabit gtiさんの提示してくださいました出典を見ても「誰々は~~~を神道原理主義と呼ぶ(ことにする)」といった記述が多く、定見があるようにはみえませんし、肯定的立場はさらに違うことを表明しているので用法例の羅列という辞書的なものにしかならないような気もします。臨時的な処置としてコメントアウトしましたので、再編集をみてから、また判断しいた方が良いと思います。--ジャムリン 2011年3月12日 (土) 01:30 (UTC)[返信]
コメント削除依頼で「よければ更新してみますが」と書いた者です。なお、個人的には「神道原理主義」という表現を支持している訳では全くなく、単に確立した学術用語以外も相応に記載して良いのでは、との立場です。ジャムリンさんにコメントアウトして頂いた「神道原理主義」の節ですが、英語版(en:Fundamentalism)などのようにユダヤ教・ヒンズー教などと各宗教別に節を列挙するのではなく、同じような用法なので「その他の宗教」でまとめて、出典と複数の用法を併記してみました[2]。また従来の節構成がかなり疑問でしたので悩みましたが、「用語」の節はまとめ、「概要」の節に「げんてん主義」の話や「教条主義」などとの相違と関連をまとめました。「科学」は冗長なのでいずれ整理すべきと思いますが、とりあえずそのままにしました。いかがでしょうか?--Rabit gti 2011年3月21日 (月) 15:29 (UTC)[返信]

取り消し意図説明

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この取り消しにつき説明申し上げます。

  • まず、従前の記事には脚注出典が各所に使われ、WP:VERIFYWP:INCITEに則ったものでした。一気に削除して全く新しい記事に置き換えるには、少なくもノートでの合意、また出来ればプロジェクト:キリスト教にも呼びかけて、幅広い合意を事前に行う必要があるでしょう。
    • WP:BOLDより:ただし、「編集は大胆に行う」ことは、長かったり、複雑だったり、長い論争が続く主題のものを無条件に除去してよいという意味ではないことに注意してください。(中略)真実であることが実証されていたり出典が明示されている記述を除去するときには、より慎重になってください(中略)論争の種となる項目を編集する前に、ノートに、編集したいところを抜き出して、どのように変更するかを提示してください
  • 置き換えられた記事は、脚注出典が殆ど使われない状態になっていました。これはWikipedia:検証可能性を低下させるものでした。

以上の理由につき、差し戻させて頂きました。これほどの記事の抜本的修正を行われるのであれば(しかも議論の多い本項目のような主題であれば特に)、より慎重に、合意形成に努めて頂きますよう、Timepassage様には何卒よろしくお願い申し上げます。

なお私も、疑問が多い項目についてはプロジェクト:キリスト教に呼びかけて、ノートに問題提起し、抜本的にほぼ差し替える編集を行うことがあります。Timepassage様の編集内容の全てを否定しているわけではありませんし、ノートでの問題提起内容によっては新しい内容に賛成することも有り得ますので念の為。ただしその際にも、脚注出典形式をもっと細かく使って頂きたく存じます。--Kinno Angel会話2013年10月11日 (金) 04:04 (UTC)[返信]