ノート:君主制廃止
記事名「君主制廃止論」について
[編集]結局利用者の勝手な造語を元に項目を作ってしまった訳ですね。改名するなり、相応しい用語がないようなら君主制辺りに統合した方がいいと思いますが。因みにGoogleでの検索結果(6件)。--MIO 2007年5月28日 (月) 10:46 (UTC)
- 他にも作成者はここへのリダイレクトページも熱心に作成されていたようですが、
- "王室不要論" - Google 検索(57件)
- "王室廃止論" - Google 検索(142件)
- "王制不要論" - Google 検索(4件)
- "王制廃止論" - Google 検索(92件)
- "君主制不要論" - Google 検索(該当なし)
- いずれも造語の域を出ないと言えるでしょうね。このような碌な調査も伴っていないと思われる不正確な項目の立ち上げ方はWikipedia全体の信頼性そのものを損なう行為だと思いますが、ご自分のなさったことを如何お考えなのでしょうねえ。--MIO 2007年5月28日 (月) 11:09 (UTC)
天皇制廃止論から分割を行って、この記事を作った本人(KH)です。
ときどき、『王室廃止論』、『王室不要論』との言葉を聞きまして、そういった理由から、「需要があるか?」、と思い、リダイレクトを作りました。
リダイレクトのうちのいくらかについて、今、「造語の域を出ない。」ことを指摘されて、「不要なことをしてしまったのでは?」、と気付きましたので、若し、その指摘が正しいというのなら、私の行動を謝罪します。
--@KH(利用者ページ/会話/投稿記録) 2007年5月30日 (水) 10:38 (UTC)
- 情報 当記事は2007年(平成19年)5月21日に記事「天皇制廃止論」へのリダイレクトページ「君主制廃止論」として作成されたのち(差分/12657672)、同年5月27日に「天皇制廃止論」から分割して記事ページ化されました(差分/12788439・差分/12788452、分割の前提となった議論は《ノート:天皇制廃止論/過去ログ1#君主制廃止論への分割提案》参照)。--Yumoriy(会話) 2024年8月31日 (土) 01:35 (UTC)
- 追記…若し、アレでしたら、リダイレクトの削除依頼に出したいと思います。--@KH(利用者ページ/会話/投稿記録) 2007年5月30日 (水) 10:40 (UTC)
- 更に追記…『需要がある』=「王室不要論で検索する者も居るかもしれない。」です。--@KH(利用者ページ/会話/投稿記録) 2007年5月30日 (水) 11:22 (UTC)
- ん? 日本では天皇制への遠慮からか、「北欧には王制廃止論など存在しない」などと出鱈目を言う人がいるから、こういう項目は貴重でしょう。最初に難癖つけた人は右翼なんでしょうね、きっと。これから充実させていきましょうよ。--以上の署名のないコメントは、124.25.221.133(会話/Whois)さんが 2009-11-02 14:13:27 (UTC) に投稿したものです。
- 記事名は「君主制の廃止」等に変えるべきです。(参考:"君主制廃止論" - Google 検索、"君主制の廃止" - Google 検索) --124.217.228.200 2008年4月16日 (水) 12:45 (UTC)
新聞社のウェブサイト上の記事について
[編集]新聞社のウェブサイト上の記事でURLだけを記述している人がいましたが、新聞社のウェブサイト上の記事はすぐきえることがおおいので、後でデーターベースでしらべやすいように、記事名、報道年月日をきちんとかいてください。--Rikumio 2009年8月23日 (日) 06:05 (UTC)
イタリア王国
[編集]「敗戦によって倒れた君主制国家は、ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、イタリア王国が代表例である。」とありますが、イタリア王国は、1946年6月の王制の是非を問う国民投票で賛成54%の僅差で王政廃止が決定されウンベルト2世は廃位、共和制を採択してイタリア共和国となりました。
第二次世界大戦に敗戦したことも王政廃止の原因だと思いますが、この経緯を鑑みると敗戦によって倒れた君主制国家とは言い難いのではないでしょうか? --182.171.107.137 2012年3月21日 (水) 12:41 (UTC)
記事名
[編集]最初の記事名の選択が不適切。ウィキペディア英語版やさまざまな英語文献ではmonarchy abolishmentあるいはabolishment of monarchy となっており、それをあえて日本語に訳せば「君主制の廃止」。 つまり「論」などという語を足す必要はなかった。蛇足。
「君主制廃止論」などという項目名で記事を立ててしまっては、やや(というより、かなり)独自の研究ぎみ。
こういう場合は百科事典的にも「君主制の廃止」あるいは「君主制廃止」として項目を立て、そこで、まずすでに実際に起きた歴史的事実について書き、つづいて、今現在 君主制の廃止が検討されている国、議論に上がっている国などについて言及するのが妥当。--210.130.190.31 2015年8月10日 (月) 18:50 (UTC)
大幅更新
[編集]報告 英語版を参考に大幅な更新を行いました[1]。従来の国別では、順序性・関連性が判らず、国や執筆者による差が大きく、目次も長くなり使用しづらいため。20世紀以降は表とし、最低限の事実を平等に併記(詳細は各リンク先参照)としました。なお、当ノートで繰り返されている改名提案(君主制廃止論から君主制廃止)は、当大幅更新の様子を見て、提起予定です。--Rabit gti(会話) 2019年8月14日 (水) 13:58 (UTC)
- 報告 追加で「君主国における議論」「君主制が復活した国」を、「現存する君主制における議論」の表に整理しました[2]。出典なき編集者の見解や予想は削除し、過去の歴史や現在の政党の主張など事実の簡潔な列挙としました(詳細は各リンク先参照)。--Rabit gti(会話) 2019年8月16日 (金) 14:32 (UTC)
「君主制廃止論」から「君主制廃止」への改名提案
[編集]提案 当記事名を現在の「君主制廃止論」から「君主制廃止」への解明を提案します。理由は (1)廃止すべきとの思想や議論は「共和主義」に、廃止・消滅したとの歴史的事実は「君主制廃止」に一本化した方が良い (2)現在の日本語版も、英語版など各国語版も、記事内容はほぼそうなっており、当記事名のみが不一致 (3)当ノートでも(最初の記事作成者も含め)全員が改名意見 (4)改名先はシンプル優先で「君主制廃止」(「君主制の廃止」や「君主制の廃止・消滅」案もあるとは思いますが、紛らわしい)。Wikipedia:ページの改名に従い、Wikipedia:改名提案に掲載しました。2週間ほど異論が無ければ改名対応を進める予定です。--Rabit gti(会話) 2019年8月18日 (日) 09:18 (UTC)
- 報告 3週間以上異論なしのため、合意されたとみなし、改名しました[3]。--Rabit gti(会話) 2019年9月14日 (土) 03:36 (UTC)