ノート:徳川義崇/過去ログ1

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特筆性に関する疑問[編集]

  • コメント 削除依頼から来ました。この記事はウォッチしてなかったのですが、徳川美術館館長で徳川黎明会会長ということなので徳川黎明会のページ[1]を確認してみましたが、役員名簿等のファイル[2]に「代表理事(会長) 徳川義崇 徳川美術館館長・八雲産業(株)代表取締役」とあり、これを信じる限りは肩書は合っていることになります。また、第三者からの視点を強調して探してみると、国立情報学研究所の2010年11月12日報道発表の資料で言及[3]されており、2010年の時点で徳川美術館の館長だったと分かります。また、徳川美術館の記事の中にありますが、「トクさん」というキャラクターがこの方を描いたものだということで、こちらでも言及できるのではと思います。--tail_furry会話2016年11月10日 (木) 14:03 (UTC)
  •  追記 JUNET(インターネットの前身)に関係する人物としてインターネット界では有名であるとのブログ(検証可能性に引っかかるので出典にはできませんが)を見つけましたので、そちらの方向からでも追記できないか探してみたいと思います。現状では略歴のところにJUNET協会を発足しとありますが出典がありません。--tail_furry会話2016年11月10日 (木) 14:27 (UTC)
  • 編集履歴を拝見して、どういう趣旨で削除に反対して、(無理に?)記事を加筆しておられるのか…理解し兼ねるのですが、加筆していて、ネット上のあらゆる情報の断片を拾ってきても、特筆性がないな…とは思われませんでしょうか。私は、そう思ったのですが。
  • 尾張徳川家の歴代当主は、デフォルトで(特に本人の事績とか、努力したりとかでなくても)徳川黎明会会長、徳川美術館館長、八雲産業社長になっていて、それは尾張徳川家の記事に書いてあります。22代目のことも、「尾張徳川家」に一言加筆するくらいでいいのではないか、と思うのですよ。各団体の記事でも個人名が出てきますが、代表の個人名を挙げると、次の当主に交代したときに、代表者名を全部書き換える手間が発生するので、「尾張徳川家の当主が会長・館長・代表を務める」と書いて済ませた方がいいと思います。
  • トクさんのことは、徳川美術館の記事に書いてあります。もっと有名になったら、キャラクターそのものに関する記事を新規作成すればいいのではないでしょうか。例えば、富士山をモデルにしたゆるキャラ??があったとして、富士山の記事に、いちいち「ゆるキャラ??のモデルになった」と書くのでしょうか。
  • 加筆する前に、出典が明記していない記述や(WP:CITE)、本人のものとされている(けれど断定する術のない)個人ブログ由来の記述(WP:RS#信頼性の評価)は除去していただきたいです。
  • それに、徳川美術館のニュースリリース等は、「対象者から独立し、公にされた二次情報源」ではないので(WP:PERSON#基本的な基準)、対象者に従属した情報源に基づいて加筆されても、特筆性に関しては判断の足しにならないと思います。私がみた限りで、tail_furryさんが挙げられた中で「特筆性がある」といえるのは、静岡新聞の記事の内容(当主として祭礼に参加したこと)くらいではないでしょうか。『金鯱叢書』の編集者とか、美術館長だから名前を冠しているだけでしょう。参照したところで、本人の書いた文章が載っているいるわけでもないのに参考文献に挙げるのは、文献にあたろうとした読者に迷惑がかかるばかりではないかと思います。
  • 上にも少し書きましたが、「記事があるけど、あまり書くことがない人」よりも、「いろいろ書くことがあるのに、記事がない人」の記事の執筆に力を入れた方が、有意義な時間が過ごせると思いますので、願わくば削除にご協力ください。(削除不可になりそうだったら、あとで少し手を入れます。)--宇井木辺出夫会話2016年11月12日 (土) 13:24 (UTC)
コメント 削除依頼でこの記事に対して興味を持ちました。利用者:宇井木辺出夫会話 / 投稿記録さんが削除依頼で現行の記事内容は、本人が執筆したとされるブログ以外に出典がありません。と書かれていたので、そんなことはないだろうと思って探したらボクとしては特筆性があると思える情報が出てきたので存続票を入れています。(無理に?)記事を加筆しているように見える点に関しては、削除依頼の終了までに第三者から判断できるようにできるだけ出典を揃えたいからです。個人ブログ由来の記述の除去については、情報の真偽が不明なため、記事の改善によって裏付けの取れる出典を見つけるまではボクは残すつもりです。今の時点では要出典範囲テンプレートを貼り付ける程度で考えています。編集履歴を見ていただくと分かりますが『金鯱叢書』の共編著についてはボクは加筆していません。静岡新聞の記事の内容以外が公にされた二次情報源ではないのではないかという点に関しては第三者から見ていただきたいと思いますが、ボクは参考文献のテンプレートに従って加筆しているだけです。--tail_furry会話2016年11月13日 (日) 11:32 (UTC)
コメント 『金鯱叢書』の書式が形式に沿ってないので少し手を入れますね。--tail_furry会話2016年11月13日 (日) 11:40 (UTC)
コメント 「宇井木辺出夫さんが削除依頼で現行の記事内容は、本人が執筆したとされるブログ以外に出典がありません。と書かれていたので」…それは書き方が悪かったかもしれませんが、「今要出典範囲の下線が引いてある文章は、本人ものだとされているが確認のすべがない私設ブログからの無断転載でしょ」という意味で書きました。
「削除依頼の終了までに第三者から判断できるようにできるだけ出典を揃えたいからです。」…なるほど、そうですね。私も、貴方の編集は、「何が何でも、削除は阻止してやる。でも削除が阻止さえされれば、あとは加筆する気なんて全然ないんだよ」という編集であるように感じました。中身のない記事を書いて何が楽しいのか、理解に苦しみます。
「『金鯱叢書』の共編著についてはボクは加筆していません。」…そうですね。それは勘違いでした。失礼しました。でもその後!「書式が形式に沿っていない」といいながら、「共編者」でしかないのに、「著者」扱いするって、どうなんでしょうか。記事を削除させないために、論文を書いていない論文集の編者を、あたかも論文集の著者であるかのように書くってどうなんですか。上にも書きましたけど、読者が『金鯱叢書』を参照しても、この人が書いた論文が掲載されているわけではないですよね。--2016年11月13日 (日) 14:19 (UTC)--以上の署名の無いコメントは、宇井木辺出夫会話投稿記録)さんによるものです。
コメント なんかお互いの認識が違っていて編集合戦になりそうなので、記事の様子を見ることにします。確かに興味がなくなったら加筆しないかもしれません。でも、また興味が戻ってから加筆するかもしれません。こちらの視点からだと、宇井木辺出夫さんは、何が何でも削除を通してやる、という立場のように見えます。こちらで、もう1点出典(この記事の人物が一部を書いたとされる「日本でインターネットはどのように創られたのか? WIDEプロジェクト20年の挑戦の記録」という書籍)を当たる予定なので、それが参照できたら追記するかもしれません。編者と著者を勘違いしていた件に関しては失礼しました。確かに共編者でしたので修正しました。--tail_furry会話2016年11月13日 (日) 15:02 (UTC)
「何が何でも削除を通してやる」ということもなくて、削除にならなかった場合の記事案も用意してありますが、まず自称「プログラマー」が、昔自作サイトを作るのが流行ったときに作った、個人情報満載のサイトを消さずに放置しているということが(その頃作っていた人たちは、ある時期に「個人情報をネットに書いておくのはダメだ」ってことになって一斉に消去対応した時期があったと思うので)いかがなものか、ということがあり、更にそのサイトを転載して記事にしてあるのもどうかと思うのです。関連記事を執筆してきて、「この記事はNG」と思って、それなりに手間をかけて削除依頼しているので、私設サイト由来の記述の問題はそのままに、独立した二次資料ではない一次資料を引いてきて加筆して、削除が却下されたら加筆する気なさげに思えたのがひっかかりでした。あとはtail_furryさんが礼儀正しく編集されているので、ついのめりこんだ面もあり、その点は反省しております。これで止めます。--宇井木辺出夫会話2016年11月13日 (日) 15:25 (UTC)

冒頭は定義文が先である。次ぎに肩書きの順番に指定がある理由の説明を[編集]

宇井木辺出夫氏は、コメントアウトに以下のように書かれていますが、・・・

概要は、本文の要約になるようにする。本文に書いていないことを書かない。概要では、脚注は、論争のない事項には付さなくてよい(本文を読めば書いてある前提)。信頼できる情報源に基づかない情報を、鵜呑みにして書かない(「ICTエンジニア」)。また「尾張徳川家当主」が、「黎明会会長・徳川美術館・八雲産業社長をする」という書き順を変えないでください。

— コメントアウト・2016年12月16日 (金) 18:17‎ 宇井木辺出夫 (会話 、 投稿記録)‎

しかし、それは間違いでしょう

1. まず、冒頭は最初に項目名、次ぎに読み仮名、次ぎは定義文です。

記事の冒頭の文章には、項目名、読み仮名(ふりがな)、定義を記述します

宇井木辺出夫氏のいう「概要」というのは導入部のことです。

導入部は主題を定義した、記事本文を重要性に基づいて要約したものです。

明らかに定義文の後です。これが初歩的なルールです。主題の定義、つまり人物の伝記では、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)にあるように、第一段落に書くべき事が指定されています。

第1段落には次のことを記載すべきです。

  1. 人物の名前・称号(爵位などがあれば記載)
  2. 人物の生年月日と(死亡していれば)没年月日
  3. 人物の国籍・地域 - 日本語版なので日本人を扱っていてもそのことが分かるようにしておいてください。つまり日本人などと明記したり、征夷大将軍のように日本にしかない称号を記載したりします。国籍と活躍していた国が異なる場合は個々に応じて最適な記述をしてください。
  4. 人物の主な活動(政治家・作家・学者など)
  5. 人物がどうして重要か(主な活躍を記載する)

要約を書く・・必要も無いくらい短い記事ですから、要約は書きませんが、明らかに書くなら2段目以降、上記の5条を書き終えてからです。例にあるように、肩書きを最初に書く必要があります。要約ではありません。宇井木辺出夫氏は、ガイドラインを間違って理解していることが、これで三度目ですが、いかがなものでしょうか。

2. 次ぎに、順番ですが、なぜ変えたらいけないのか、合理的な理由を述べて下さい。

3. 出典の表記を剥がさないでください。冒頭の肩書きの出典表記を剥がすのは違犯行為です。

4. Wikipedia:存命人物の伝記にある通り、該当人物の自主的な個人サイトを外部リンクにつけることは許可されています。

本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、外部リンクや参考文献にリストして構いません。

5. 「現況」や「現在」といったすぐ古くなるような表記はふさわしくありません。毎年アップデートすること必要がない言い回しにするのが当然です。だいたい存命の個人の現在の状況を第三者がわかるはずもありません。現況を想像で記述するべきではありませんし、それは独自研究でしょう。ブログ書いてるんじゃないので、第三者が勝手に現況を書く必要もありません。

6. 徳川義崇氏は明らかに広義のITエンジニアです。間違ってません。

7. 記事に書いてある内容を引用してます。出典をきちんと付けているわけですから、読めば分かる内容に要出典をつけるのは意味不明です。出典が付いているのに、それ以上どう出典があるのでしょうか。

以上の点について、変更点を、改善します。--Quark Logo会話2016年12月16日 (金) 10:07 (UTC)


コメント 0.Quark Logoさんにおかれましては、概要を云々するより前に、森村(2012)を虚偽の出典にしていたこと(Wikipedia:投稿ブロックの方針#虚偽情報の記載)について、一言謝罪いただきたいのですが。私、何頁に書いてあるかなと思って、確認しに行きましたよ(フィクションだったので驚きました)。それに、代わりに出典として挙げた本も、頁番号の情報が抜けているので、補完してください。といいつつも、Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすようにしてください。何回更新するんですか。
1.導入部(=概要=要約、定義文も含みます)に関しては、私はQuark Logoさんの編集がWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に基づいていない、と思ってますし、上の説明も「また自分に都合のいい規定だけひっぱってきて、都合の悪い規定を無視しているな」と思っています。私のいうことが信用できないということでしたら、他の方のご意見も拝聴してみてはいかがですか。利用者:tail_furryさんからは、何か一言ご意見いただけませんでしょうか(無理にとは申しませんが)。或いは井戸端で質問されてみてはいかがですか。「定義文は、概要ではありませんよね」と。
2. 変えたらいけないのは、変えた結果、文意がとりづらくなっていると思うからです。尾張徳川家の当主だから、3つの職に就いている、という論理的な構成が理解されていないように思います。逆にこちらがおききしたいのですが、どういう考えに基づいて、順序を変更されたのでしょうか。敢えて変えようとする側に、説明する義務があると思います。
3.導入部では、本文中にある事項を要約している限りで、細かい出典を省略することが許容されているので(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部))、特に論争がなくて本文に出典の記載されている事項については、脚注は不要だと思います。
4.Wikipedia:存命人物の伝記#本人を情報源にする場合においては、「それが、確かに項目当事者自身で書かれたものであること」が利用の条件とされていますが、公式サイトでもない私設サイトの場合、項目当事者本人であるという確認がとれていない、と考えています。「本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、外部リンクや参考文献にリストして構いません。」とありますが、本人のサイトかどうかが(二次資料などで)確認できていないので、使用すべきではないと思います。記事に書いておけば、Wikipediaが、本人のものかどうか確認のとれないサイトを本人のものだと保障することにもなり、それは適当なこととは思えません。Wikipedia:独自研究は載せない#信頼できる資料の定義を確認なさってみてください。およそ、「信頼できる情報源」の定義からかけ離れているものを、敢えて載せる必要があるとは全く思いません。私は、尾張徳川家の回し者でもありませんし。Quark Logoさんは、それほどまでに無理して私設サイトを記事に載せたいのですか?もう利用者:松茸さんが代わりのもっと信頼できる情報源を見つけたくだすったのですから、それでいいのではありませんか。
5.「yyyy年mm月dd日現在」と記載のある役員名簿を出典にして「yyyy年現在、役員です。」と記載することが、独自研究になるわけないし、「yyyy年現在」と表示しているので、アップデートも必ずしも必要ないと思います。ただ貴方が一方的に記述を除去した、としか思えません。
6.「明らかに」は通用しないので、出典を付してくださいWikipedia:出典を明記する。ArtsNetWave社が作成した案内チラシ(NTTコミュニケーションズではない)は、宣伝媒体(一次資料)なので、内容を鵜呑みにするのではなく、Wikipedia:中立的な観点に立って叙述するべきだと思っています(記事本文はそのように記したつもり。私には、この人がプログラマだという確信は全くありません。だって、あの個人サイトを見せられたら、普通は「素人臭いな」と思うのではないか、と思っています)。Quark Logoさんは「トクさん」関係のネット上のニュースを、ほぼ記事そのままの形で大変話題性のあること、のように取り上げて記事にされていますが、「中立的な観点」を持って執筆された記事とは思えません。「美術館のキャラクターの中でランキングって、なんか狭い世界の話だな。本当に話題になっているのかな。」とか、考えたりしませんか?
7.どこのことを指しているのかわかりませんでした。
以上です。--宇井木辺出夫会話2016年12月16日 (金) 14:09 (UTC)

返信 (宇井木辺出夫宛)

0. また暴言ですね(二度目)。虚偽ではありません。[4]

・・・

 祖母の話にしばしば登場してくる人物の内、登場回数の人物が三人いた。その中で一人だけ由香が名前を知っている人物がいた。

 徳川義親。祖母の話によると、尾張徳川家の直系のお殿様であり、この方のおかげでシンガポールの文化が戦火の中で守られたということであった。

 由香がインターネットその他の資料(史料)で調べた徳川義親侯爵は、尾張徳川家第十九代当主であり、元貴族院議員、体制の中枢的な存在でありながら社会党の結成を主導した。さらに逮捕された共産党員を保護し、著名な生物学者、歴史学者であると同時に、狩猟家でもあり、諸芸術の後継者であり、日本の聾唖教育を援助している器の大きな人物であることがわかった。

 祖母の話と関連するものとしては、「一九四二年、軍政顧問としてシンガポールに赴任。イギリスから接収した植物園や博物館や図書館を、日英科学者と協力して戦火や略奪から守り抜き、敗戦後はほぼ無傷で返還した」と簡略な文言で紹介されている。

 この徳川侯爵がシンガポールの文化遺産の救いの神であることを、祖母は語り残していた。

 すでに徳川侯爵は故人となっていたが、その曾孫にあたる徳川義崇氏が現在の徳川黎明会の会長であり、尾張徳川家二十二代当主、徳川美術館の館長であることを知って、由香は面会を申し込んだ。二一代義宣氏は二〇〇五年十一月、故人となっている。義崇会長は快く面会申し込みに応じてくれた。

・・・・

—  森村誠一 『南十字星の誓い』 角川書店

この部分は(「由香」「祖母」以外は)作者の森村誠一が調べた事実の情報であり、しかも引き出された対象は、単に、二十二代徳川義崇が二一代徳川義宣の子ということだけ。どこに虚偽がありますか? 宇井木辺出夫氏は義崇は義宣の子ではないと独自研究を主張される気でしょうか? 別の出典の方が良いというのなら話はわかりますし、別のものに変えましたが、事実を間違っていないし、虚偽は一つも無いですが。暴言はやめてもらいたい。

  • 「義親の曾孫」とは書いてありますが、義宣の子、とは書かれていませんし、記述の出典も明示されていないので(インターネットで調べた、って書いてありますし)、出典にはできないと思います。やましいことがないなら、出典を「別のもの」に変える必要もないと思いますので、差し戻します。--宇井木辺出夫会話2016年12月20日 (火) 17:00 (UTC)

1. 「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に基づいていない」とか「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に反している」とかいう戯言は聞き飽きました。都合の悪い規定を無視して、スタイルマニュアルに書いてることと違うことを言われても、何の説得力もないです。上記のとおり、明文されています。このまんまの文章があるから検索してください、熟読下さい、いい加減に。

  • 「戯言」ではなく、「概要・定義文にインラインで出典注入れなければいけない」と規定したガイドラインは存在していないし、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)にもそんなことは書いていないし、現実的にもそのような編集はされていないと思います。例えば、露月院という記事の定義文にはインラインの出典注どころか、段落末の出典注もありませんよね。どうして「徳川義崇」の記事だけ、定義文にインラインで出典注を付さなければいけない、という編集方針をとらなければならないのでしょうか。編集方針が首尾一貫していないと思います。--宇井木辺出夫会話2016年12月20日 (火) 17:00 (UTC)

この記事で”概要”と言い出したのは、宇井木辺出夫氏なんですよ。上記のコメントアウトにある「概要は、本文の要約になるようにする。」というのはどういう意味なのでしょうか。宇井木辺出夫氏によると概要=要約です。発言はそういう意味にしかとれません。

  • 記事の冒頭の文章には、項目名、読み仮名(ふりがな)、定義を記述します。定義に続いて、最初の節が始まるまでに記事全体の要約が示された、それ自体ひとつの小さな百科事典の記事となるようにします。

と、日本語版ガイドラインは明文化されているのであって、誤解の余地はないです。

  1. 項目名
  2. 読み仮名(ふりがな)
  3. 定義
  4. 記事全体の要約

だから、導入部にそれが含まれるとしても、定義文が先で、次ぎが要約。そう書いてあるんだから、そうなんです。都合の悪い事項を無視するのは止めてもらいたいし、ガイドラインの内容を無視していて、それを理解したふりをする迷惑行為もやめてください。もううんざりです。

  • 定義文も要約に含まれると思いますし(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部))、仮に「定義文」が「要約」でなかったとしても、「概要の出典注は略してもいいが、定義文には出典注が必要だ」と主張されるわけでもないのでしょうから、「定義文」にインラインで出典を付ける編集を差し戻します。もし定義文にも出典注が必要だ、ということであれば、まず露月院はじめ、ご自身で執筆した記事の定義文に全部インラインで出典注を入れてからにしてください。--宇井木辺出夫会話2016年12月20日 (火) 17:00 (UTC)

2. この肩書きの順番で文意が変わることはないし、そもそも宇井木辺出夫氏が言う理由であるならば、社長になったのは22代当主になる前なので事実誤認でしょう。社長兼理事から、父親の死去によって社長兼館長兼会長になった人なので、私の書き方が正確です。21代当主である父の存命中に当主になることはありませんから、当主だから社長とはいえません。当主になる前に当主の長男として会社を相続しているようです。また、公益財団法人は名目上は世襲されません。事実上世襲されるケースが多いものの、評議会の決定で決まります。職業という点でも、会社社長なのであって、公益財団法人の役職はその次にくるべきものです。

  • 読み手(私)が、「文意が変った」と感じていることを指摘しているわけですので、その点を認識していただきたいです。それに、「いつ八雲産業の社長になったか」という記載は、本文中にありませんし、出典も明記されていないと思います。ノートで出典を示さずに書かれても、独自研究の範疇を出ませんので、要約を改変するのは、本文をきちんと執筆されてからにしていただきたいです。改変した根拠(出典)が明示されないため、差し戻します。--宇井木辺出夫会話2016年12月20日 (火) 17:00 (UTC)

3. 誰かさんによって信頼できる情報源に基づかないことを理由に削除依頼が出され、要出典タグがほぼ全文に付けれ、出典を義務づけられる存命の人物の伝記の記事は、現在「論争の対象」であると合理的に判断できます。だいたいこうして論争してるわけですから、何をかいわん、です。

・・・一方で、論争の対象となるような主題の記事であったり、内容に説明が求められる、もしくは説明が求められそうな記述に対しては本文中に脚注を加えて出典を提示することが求められるでしょう。導入部における出典提示の必要性は編集者間の合意形成によってケースバイケースで決められるべきです。複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典の提示が要求されるでしょうが、そうでない記事については、出典の提示はほんのわずかか、あるいはなくても構わないでしょう。導入部における出典の提示は全ての記事において必要とされているわけではなく、禁止されているわけでもありません。いずれにせよ、検証可能性を満たさない情報を導入部に記載できるような、特別な方針の例外があるわけではないことには注意してください。・・・

「そうでない記事」ではないので出典が必要です。また出典を剥がしていい理由にもなりません。

  • 削除に関する議論は、既に終了しています。私が削除申請した理由は、「記事のほとんどが、本人のものであるか確認できない私設ウェブサイトを出典とした記述によっている」ことでしたので、本文の記述が信頼できる情報源に由来している限りで、概要の記述の出典記載について「論争」をするつもりはありません。今問題にしているのはArtworks社の案内チラシ由来の「プログラマ」「エンジニア」等の肩書きと、「トクさん」関係の一次資料の引用が目立つ点くらいだと思います。あと「1995年以前からプロジェクトに参加」という独自研究。--宇井木辺出夫会話2016年12月20日 (火) 17:00 (UTC)

4. 個人的な写真まで掲示でき、www.tokugawa.orgのドメインを所有・更新できる人間が、本人以外にいるとは思えません。本人のホームページではないという合理的疑いがありません。記事該当人物のホームページ記載は他の人物についても一般的に行われています。ウィキペディアで「出典として用いなくても、外部リンク」に載せて良いとガイドラインに明示さているのは先に示した通りです。現在はすでに情報源として用いていませんから、後は話はただの勘違いですね。

  • 本人の写真を他の人が撮影して、勝手にドメイン取得して、サイトを作成することは可能だと思いますので、、「本人のサイト」であることの立証にはならないと思います。一般的には、二次資料に「本人のサイトです」と紹介されている、とかそういった形で「本人のものであること」が保障されるのではないでしょうか。そうした二次資料が得られない以上、「本人のものである」と断定することもできませんし、本人が「懸案のサイト」の情報をWikipediaにおいて曝すことを望んでいるのかどうか確かめようがないと思います。なので、外部リンクを設定することは不適切だと思いますので、差し戻します。--宇井木辺出夫会話2016年12月20日 (火) 17:00 (UTC)

5. 現況は不要です。スポーツ選手など以外、アップデートが必要になるような書き方はしないのが通例であり、宇井木辺出夫氏が不慣れというだけです。他の編集者も同じ指摘をするはずです。追記--Quark Logo会話2016年12月18日 (日) 08:56 (UTC)Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない

  • WP:DATEDには、「最近」「現在」などの表現では、執筆時点の話だと解釈されるので、『文中において時期を具体化しましょう(例:「2001年10月現在」「2003年時点」「2006年から」「1990年代には」)』と書いてあります。「yyyy年現在、役員です。」という時期を具体化した表現には問題ないと思いますので、差し戻します。--宇井木辺出夫会話2016年12月20日 (火) 17:00 (UTC)

6. 「美術館のキャラクターの中でランキングって、なんか狭い世界の話だな。本当に話題になっているのかな。」というのがまさに独自研究ですからね。そういう宇井木辺出夫氏個人の勝手な思い入れをダイレクトに反映させた編集をするのが違反行為なのですけど・・・自覚が全然ないようですね。そういう意見こそ、入れ込んではいけないもので、禁止事項です。

そして中立的な観点の意味もまた間違えてます。これを間違う人が非常に多いのですが、ウィキペディアにおける中立の意味は、出典に基づき、様々な観点を書くということであって、意味が違います。自分の意見でもって、出典の内容のトーンを左右させてはダメなのであって、それこそが改竄です。本当は有名ではないんじゃないかと思うならば、キャラクターランキングの知名度は低いという出典を見つけて、加筆するべきであり、なんの根拠も出典もなく、宇井木辺出夫氏個人の勝手な思い入れで編集作業をしてはならないのです。基本中の基本です。 --Quark Logo会話2016年12月17日 (土) 04:50 (UTC)

  • 私が指摘しているのは、「話題になっている(人気に火がついたなど)」と紹介している資料は、当事者が作成した一次資料なので、帰属を明確にした書き方をすべきだ、ということであって、自分の意見で出典の内容のトーンを変えるということではないと思っています。
  • 「ICTエンジニア」の件には言及いただけませんでしたが、特別講演情報|第19回日本バーチャルリアリティ学会大会の略歴紹介にはそのような職歴には一切言及がなく、「IT分野にも興味を持っている。」との言及しかありませんよね。Artworks社の宣伝文よりも、信頼できる情報源だと思いますので、そのように書き直します。--宇井木辺出夫会話2016年12月20日 (火) 17:00 (UTC)

返信 (宇井木辺出夫氏宛) ここで議論を無視し、返事すらしない編集は差し戻させて貰います。--Quark Logo会話2016年12月20日 (火) 18:45 (UTC)

返信 (宇井木辺出夫氏宛)
宇井木辺出夫氏はWikipedia:ノートページのガイドラインについても熟読ください。他人の発言の中に書くのは読みにくいし、マナー違犯です。自分の投稿をまとめて書くように編集し直すように強く要請します
1. そもそもこの議論は、定義文の次ぎに要約だということであって、論点を理解してないか、すり替えようとしているとしか思えません。出典注については3で話しますが、順序についての私の話を無視するのは非常に不誠実です。
  1. 項目名
  2. 読み仮名(ふりがな)
  3. 定義
  4. 記事全体の要約
という順番で記事が構成されるべきとガイドラインにあるのは上記で証明されたように明らかで、これを宇井木辺出夫氏は認めなくてはなりません。本記事に要約部分はありませんが、定義を要約と勘違いした宇井木辺出夫氏の不明は、ガイドラインを熟知しているとは到底信じがたいものです。ガイドラインに従ってない宇井木辺出夫氏が○○に反しているというのはこれが初めてではないのです。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の件では、同じページにある「概要」節の説明を全く読んでおらず、概要節の設置に異議を唱えた宇井木辺出夫氏だからこそ言っているのであって、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)は明確に一段落目に書くことを指示しています。ともかく、これを守って下さい。「概要は、本文の要約になるようにする。本文に書いていないことを書かない。」とか誰にも理解できない意味の分からないコメントアウトをしないで下さいということです。
2. 列挙された名詞の順番だけで文意は変わりませんし、宇井木辺出夫氏のいうような意味が、「尾張徳川家第22代当主。八雲産業代表取締役社長、徳川黎明会会長、徳川美術館館長。」に込められてるということは、言語として表現されていません。無茶苦茶を言われても困ります。逆に宇井木辺出夫氏のいうような意味が込められているなら言葉が足らないわけで、誰にも伝わってません。
『「いつ八雲産業の社長になったか」という記載は、本文中』にないから『独自研究の範疇を出ない』というのは暴論も良いところです。だいたい、宇井木辺出夫氏自身が徳川義崇が八雲産業社長であることを異議をもっていないのに、独自研究という意味がわからない。何が?でしょうか。独自研究という言葉に違う意味を与えて使ってるのでしょか。言語として理解不能です。だいたい宇井木辺出夫氏自身がいつ八雲産業社長になったか知らないのに(出典を示してないのに)本文にも冒頭にも書いていたわけです。ちなみに出典を見ると、父親である徳川義宣八氏は八雲産業会長として亡くなっています。
3. どう考えても、現在「論争の対象」です。議論の余地はありません。当事者の一方が認めているわけです。肩書きの順番を変えても文句を言うような宇井木辺出夫氏と議論をしているわけで、八雲産業社長が独自研究だとも言っている宇井木辺出夫氏と議論をしているわけで、当然、そうなると出典は付けなければなくなると思います。どちらかというと、不要だという宇井木辺出夫氏の意見の方が奇妙であり、矛盾しています。存命の人物の伝記ということも当然ありますが、逆に言うと、宇井木辺出夫氏が細かいから細かく出典を書いているのです。
ガイドラインの文章についてはすでに上記に示していますが、導入部で出典明示の義務が無くなるわけではないです。出典明示は奨励されているのであり、出典剥がしをする権限はないです。
露月院の記事は、明らかに論争の対象ではないですし、存命の人物の伝記でもないです。厳密に出典を要求される存命の人物と、歴史上の人物とは異なります。(Wikipedia:存命人物の伝記
「あと「1995年以前からプロジェクトに参加」という独自研究。」と述べてますが、出典に「WIDEプロジェクトのメンバーによる書籍・論文等のリスト 1995年以前」と書いてあり、徳川義崇の書籍は1991年です。明らかに1995年以前よりのメンバーです。HPによると実際には1989年より参加と書いてありますが、これは出典にしていないので、1995年以前としています。何の問題が?どこが独自研究? そもそも事実でしょう。
4. ホームページの紹介に二次的資料は必要とされていません。出典ともしていません。本人サイトの掲載は広くウィキペディアページで行われています。秘密の暴露でも何でも無く、公開情報です。Wikipedia:外部リンクの選び方では、一般的にリンクしてよい:「組織・人物・団体などの記事の場合、その公式サイトがあればリンクすべきです。上記の#禁止される外部リンクに該当しない限り、原則として排除されるべきではありません。」とあり、Wikipedia:存命人物の伝記には、前掲のとおり「本人のブログや個人サイトは、たとえ出典として用いなくても、外部リンクや参考文献にリストして構いません。」とありますから、ガイドラインに基づいて掲載しています。
5.すぐに古くなる表現は使わない。これに尽きます。それ以上言うことはないです。「○○年現在」という書き方は、略歴として不自然です。だいたい、徳川黎明会会長と徳川美術館館長は前例からみると終身でしょうし、八雲産業社長は、ほどなく会長になると推測できる。現時点の肩書きに強い関心を持つ必然性がないです。宇井木辺出夫氏が難癖をつけてきているようにしか見えません。
6. 過去の発言から、宇井木辺出夫氏の中立的観点についての理解については強い疑念を持っています。削除依頼の件から、この議論に至るまで、一貫している点が、中立的観点の誤解です。下の部分を再度熟読ください。
中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?

これらの用語が意味している点は一般的に見て明白ではないし、誤解されやすいものだと思われます。

「偏りのない」「中立的な」という言葉についてはいろいろな妥当な解釈がありえます。ですが、ウィキペディアの方針としての「偏りのない記述」が意味するところは「論争の種になるような立場を主張することなく、単に記述する」というものです。これにはもう少し説明が必要でしょう。以下にそれを示します。

まず、最も重要なことは、論争の種になるような立場を、主張することなく単に記述する、ということがどのようなことかを考えてみることです。偏りのない記述は、最も普及している観点だけを提示するものではありません。また、最も普及している見方を正しい見方として提示するものでもありません。様々な異なる観点の中間に位置する観点からの意見を(中間=中立であるかのように)正しいものとして提示するものでもありません。全ての観点を提示するということは、p 主義者は p が正しいと考えており、一方で q 主義者は q が正しいと考え、現在その点をめぐる論争がある、というような記述をすることです。全ての観点を提示するにあたって、誰がどのような理由で p や q を信じており、どちらがより広く支持されているか、といった背景の説明を大量に供給できることが理想です。(広く支持されていること=正しい、とほのめかすようなことのないように気をつけてください。)詳細に書かれた記事であれば、p 主義者と q 主義者がお互いをどのように評価しているか、それぞれの立場が、相手に対して持っている強みなどを説明しつつ、どちらが優れた立場であるかについては確固として言及を避けることになるでしょう。

この点について、もう少し詳しく説明すべきでしょう。中立的な観点は、論争となっている点をめぐる多くの立場の中の、比較的「中立的」な、あるいは「中間的」なひとつの観点ではない、と上に書きました。これは「中立的な観点」という語についての特殊な理解に基づくものです。ウィキペディアにおいて多くの支持を得つつある理解では、「中立的な観点」とは実際にはひとつの観点なのではなく、「中立的に記事を書くことは、どのような特定の観点も全く表明しない(暗に示したり、読者を信じ込ませようとしたりもしない)」というのが正しい、ということになります。

もうひとつ説明しておくべきことがあります。偏りのない記述をするということは、ある論争についてその特長を説明しつつ、特定の立場をとらない記述をすることである、と考えることもできます。ここでの偏りのない記述とは、論争について冷静で、公正で、分析的な描写だと考えていいでしょう。当然ながら、いずれの立場も正しいと暗示することなく、複数の観点を記述することなど可能だろうか、という疑いがあります。ですが、経験を積んだ学者、論争好きな著述家、レトリックの研究家などはみな、自分や他人の記述の偏りについてよくわきまえていて、論争の説明にどちらか一方の側をひいきするような偏りがあれば、それを見つけることもできるものです。もし望むなら、彼らは、多少の創造性を発揮し、その偏りを取り除くこともできます。

以上です。--Quark Logo会話2016年12月20日 (火) 21:30 (UTC)
論点ごとに返信を付したのは、その方が見やすいだろうと思ったからですが、お気に障ったようでしたら、以後は改めます。「議論」に関しては、わりと丁寧に返信させていただいたつもりですので、「議論拒否」との誤見解は残念といいますか、何を指しておっしゃっているのか、指示内容も明確でないように思います。
僭越ながら、貴方の編集は、インターネットで検索して記事の人物の名前がヒットした素材を、それがどのような素材であろうとも出典にしようとしているように思います。
  • 「本人のものらしい」というだけで、公式サイトでもなく、大分昔に更新が止まっている個人サイトを出典にしようとしたり、
  • 森村誠一の、架空の人物が登場するようなノンフィクション小説を出典にしようとしたり、
  • 徳川美術館やほか関係者が発信している一時資料に「人気沸騰!」と書いてあるのを丸ごと引用したり、
  • ただ編者に名前が冠してあるというだけで、本人の執筆した記事が掲載されているわけでもない論文集を「著作物」に含めたり…
WP:NPOVWP:RSに照らして「信頼できる情報源」といえるかどうか、また記事に掲載する際にはどのような形で記すべきか、適切にご判断できているかどうか、編集方針をご再考いただけないでしょうか。「Wikipediaではそのようなことは日常的に行なわれている」とおっしゃるのかもしれませんが、他の編集者が何をしているかに関わらず、私はWikipediaのガイドライン・方針を遵守して編集を行なうべきだろうと思います。
ほか仔細は差し戻しの際にコメントを付しましたので、そちらをご参照ください。--宇井木辺出夫会話2016年12月21日 (水) 04:58 (UTC)

返信 (宇井木辺出夫氏宛)

宇井木辺出夫氏は議論軽視が甚だしい。以下の編集を差し戻します。

4. 徳川義崇氏本人のホームページです。

5. 現在と書かない。2016年もあと十日で終わるという師走に、2016年現在とか笑わせます。まさにすぐ古くなる表現ですが。

8. 人気沸騰で25,000票得たという話であって、一定の事実です。人気が無くて1位になったは筋が通らない。そもそも何の議論もなく、. 「美術館のキャラクターの中でランキングって、なんか狭い世界の話だな。本当に話題になっているのかな。」という宇井木辺出夫氏の偏見で、出典付き記述を削除するのは違犯であり、差し戻します。出典に基づかない編集は止めて下さい。(荒しに相当する

9. 冒頭の出典剥がしを戻す。宇井木辺出夫氏による違犯行為(荒しに相当する)です。改悪された、2014年当時など注釈明記を戻す。何度も言いますが、冒頭部に出典注を付けることは奨励される行為です。「自身の執筆記事の冒頭部に全部インラインで脚注を入れた後にしてください」と言ってますが、徳川義親の冒頭にも私は出典注を細かくは入れてません。ケースバイケースで対応するようにというのがガイドライン(すでに上掲)であり、肩書きの順番すら文句をいう宇井木辺出夫氏の頑なさは辟易しますが、出典の省略と出典の剥がしは別の行為であり、付いたものを剥がす必然性もないし、省略してもよいが、なぜ、宇井木辺出夫氏の頭の中では省略しなければならないになっているのか理解に苦しみます。結局、宇井木辺出夫氏は、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の文意を理解していないとしか言いようがないです。

10.「名義を冠しているだけの編集雑誌」であるという独自研究を戻す。tail_furryさんも書いてますが、書誌情報に明確に編集者として徳川義崇と明記されているのに、「名義を冠しているだけ」とか何も知らない第三者のくせに勝手な憶測を言うのは問題です。それは徳川義崇氏に対する侮蔑的発言でもあり、極めて不適切です。書誌情報を疑う理由はありません。だいたい金鯱叢書は史学美術史論文集です。雑誌の定義にも当たらない

11. 冒頭がやたら重たい。主な活動は簡潔に書かなければ成りません。『2014年に第19回日本バーチャルリアリティ学会大会で講演を行なった際には、IT分野に興味を持っており、IT技術の研究にも携わった経験がある、と紹介されており、2011年には、NTTコミュニケーションズ等が主催する「ソリューションセミナー」で「お殿様はスーパーICTエンジニア」と題して対談をしたことがある。徳川美術館のキャラクタートクさんのモデルになっている。』は長すぎる。宇井木辺出夫氏は往々にして冗長な冒頭を書きますが、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に従って下さい。こんな調子だからガイドラインを熟読していないと言われるわけですよ、まさに。ほぼ同じ内容を冒頭と略歴に2回繰り返す意味がないまさに蛇足そのものですね。

12. いままで黙ってましたが、1、2行程度で節を作る宇井木辺出夫氏の編集スタイルは、スマートではなく、可読性が悪いです。やめましょう。やたらめったら節を作るというのは、目次を長くするだけです。不要な節を作らないように。

13. 1. 2. 3. ついて回答しないのはなぜでしょうか? 都合が悪くなると黙るという傾向が宇井木辺出夫氏にはありますが。了解したのか、納得したのか、応答せずに強引な差し戻しを行うのは不誠実です。会話が成立しません。

今度、議論なく差し戻すという行動に宇井木辺出夫氏が出る場合は、コメント依頼に進まさせてもらいます。--Quark Logo会話2016年12月21日 (水) 05:54 (UTC)


  • 1.用語に関して「導入部=定義文+概要」ということですが、私がいいたいのは、「定義文」であるか、「概要」であるかに関わらず、「導入部」は本文の要約であるべき、ということです。だから、定義文だから出典が必要だということもないと思います。
(…)導入部は通常記事本文に書かれている情報の繰り返しであるため、執筆者は冗長さを回避するために記事本文と重複する出典の提示を避けようとすることと、論争のある話題などで読者が記述の情報源を見つけやすいように本文中に脚注を加えて出典を提示し利便を図ることとのバランスを取らなければなりません。記事本文が記事主題の内容に関して詳しい説明を行うのとは対照的に、導入部は一般的な内容を大まかにまとめて書かれるのが普通であるため、論争の対象とはならないような主題の導入部における情報に出典の提示を求められることはあまりないでしょう。一方で、論争の対象となるような主題の記事であったり、内容に説明が求められる、もしくは説明が求められそうな記述に対しては本文中に脚注を加えて出典を提示することが求められるでしょう。導入部における出典提示の必要性は編集者間の合意形成によってケースバイケースで決められるべきです。複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典の提示が要求されるでしょうが、そうでない記事については、出典の提示はほんのわずかか、あるいはなくても構わないでしょう。導入部における出典の提示は全ての記事において必要とされているわけではなく、禁止されているわけでもありません。(…) — Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#出典
このように、導入部は記事本文のくり返しだ、ということが明記されています。「定義文」であるか「概要」であるかは関係なく叙述されています。従って、定義文だから出典が必要だ、ということは規定されていないと思います。この規定を無視されてはいらっしゃいませんか。
それに再三指摘していますが、貴方が単独で執筆された記事(例えば露月院)では、定義文に出典注は付されていませんよね(むしろ記事全体として、{{脚注の不足}}テンプレを貼られそうな状態にあるように思いますが)。この記事でのみ、導入部にインラインでの出典を強要するのはなぜでしょうか。編集姿勢が一貫性を欠いていると思います。
  • 2.に関する貴方の論展は、私には理解し難しいです。貴方が編集する前の版、例えばこの版[5]では、本文中で静岡新聞(2005)により、「尾張徳川家第22代当主」であることをいい、徳川黎明会(2007)により「2016年現在、黎明会会長、美術館館長、八雲産業社長。」と説明していました。だから「八雲産業社長であること」は本文中で、出典付きで説明されています。本文に記載があるので、概要では出典記載を省略し、「尾張家22代当主。黎明会会長、美術館館長、八雲産業社長。」と記していました。貴方はこれをこの編集[6]で「八雲社長、尾張家当主で、黎明会会長、および美術館館長。」の順に書き直しましたが、このとき本文から「八雲産業社長である」という記述を除去しました。だから、導入部にしか「八雲産業社長」の表現がなくなりました。このとき、導入部は、本文を要約する内容から逸脱し、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の、「導入部は本文を要約する」というガイドラインに反しました。また並び順も、事前の断わりや理由付けもないまま変更されました。この変更について説明を求めると、ノートでのこの編集[7]で「社長になったのは22代当主になる前だ」と時間的順序で並べた旨に言及がありました。しかしいつ社長になったのか、出典の明記がありませんでした。そこで、記事本文中にいつ社長になったのか出典付きで叙述するよう要請し、導入部はその要約とするように要請したのですが、対応いただけていないと思います。貴方が編集する前の版では、本文に書かれていないことは、導入部には書かれていません[8]
  • 3.「論争の対象だから出典が必要」なのではないように思います。第一、論争の相手であるはずの私が、「ほとんどの記述には論争の余地がないので、導入部には出典を付さなくていい」と主張しているのに、貴方が敢えて出典を付す必要はないでしょう。
私が見たところでは、貴方が導入部に出典を付す必要があると考えているのは、「論争の対象だから」ではなく、「本文中に記載がないことを導入部に書こうとするから」ではないでしょうか。くり返しになりますが、本文中に記載がないことを導入部に書くことは、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に反していますので、本文中に書いたことを、導入部で要約するべきだと思います。貴方が差し戻す以前の版では、記事の導入部と本文は、そのように構成されています[9]
  • 4.Wikipedia:外部リンクの選び方#一般的にリンクしてよいでは、「人物などの記事の場合、その公式サイトがある場合にはリンクすべき」とされていますが、懸案のサイトは、公式サイトではないと思いますので、この規定には該当しないと思います。それ以前に、二次資料によって本人のサイトであるという確認がとれていませんので、リンクすべきではないと思います。本人のサイトであるか確認がとれていない以上、検証不可能な記述によって読者に誤解を与えるようなサイトへ外部リンクすべきではないと思います(WP:ELNO)。ウェブサイト#管理者を失ったウェブサイトの扱いも参照してください。長期間メンテされていないようなサイトにリンクするような編集は慎むべきだと思います。
Wikipedia:外部リンクの選び方#存命人物の伝記記事#本人を情報源にする場合では、「それが、確かに項目当事者自身で書かれたものであること」を要件としていますが、確認できていませんので、情報源として使用できませんし、二次資料によって本人のサイトであるという確認すらとれていませんので、リンクすべきではないと思います。当人はプライバシー尊重を望んでいると推定するべきだと思います。個人サイトに書かれた経歴などの情報を、本人がWikipediaで公開することを望んでいない、と推定してください。外部リンクは妥当ではないと思います。貴方が編集する前の版では、外部リンクは除去されています[10]
  • 5.この点は、私には、貴方がWP:DATEDの説明を読んでいないのか理解していないのかのどちらかとしか、言いようがないと思います。なぜならば、年次を特定した表現にすれば問題ない、ということが明記してあるからです。「最近」「現在」などの表現では、執筆時点の話だと解釈されるので、『文中において時期を具体化しましょう(例:「2001年10月現在」「2003年時点」「2006年から」「1990年代には」)』とWP:DATEDに書いてありますよね。上で既にそのようにご回答しましたが、スルーしていないか、ご確認いただきたいです。
  • 6.7.については特段言及ありませんが、「人気に火がついた」「デビューした」「ICTエンジニア」等、何を根拠に言っているのかわからないような一次資料の宣伝表現を引用付するような書き方は、すべきではないと思います(WP:NPOV)。また、講演のタイトルを独断で改変したりするのは、独自研究に該当すると思います。貴方が編集する前の版では、そのような根拠が確かでない記述は、情報の発信元を明らかにするように記すか、或いは除去されています[11]
  • 8.一時資料の引用を問題にしているということと、トクさんに関して過剰に詳細な記述は不要だという判断です。トクさんについて書きたければ、既に徳川美術館の記事に節が設けてありますし、それで不満ならトクさんの記事を新規立項してください。客体(モデル)だけでなく、デザイナーが誰か、とか、どういうアワードなのか、とか、それなりに書くことはあると思いますが、いずれにしても、この記事に詳しく書くべきこととは思われません。本人の事績ではないと思います。
  • 9.導入部の過剰な脚注の除去は、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#出典に沿った編集であり、本文に記載のない事項を導入部に記載する編集は同ガイドラインに反する編集だ、と思います。上でご理解いただけたでしょうか。
  • 10.一般的に、論文集を編集しているからといって、それを本人の著書に含めたりはしないと思います。例えば、『金鯱叢書』の共編者になっている竹内誠氏の著書・共編著の中には、『金鯱叢書』は含まれていません。別に忘れているわけではなく、敢えて記載するような著作物のうちに入らないと考えられているからに記載されていないもの、と思います。利用者:tail_furryさんは、記事の削除依頼が出ていたので、削除されないように敢えて記載されていたのではなかったでしょうか。除去後のこの編集[12]では、著書として復元されていませんよね。なぜ他の人が貴方のような編集をしないのか、考えてみられてはいかがですか。だから、くれぐれも、竹内誠の記事を編集して、『金鯱叢書』を追加したりしないようにしてくださいね。
  • 11.「重い」「重くない」というのは、個人的な感想の域を出ないと思いますし、導入部の内容を考える上で、重要な話でもないと思います。それよりも、出典によって、どの程度「IT」に関わっているのか、表現に違いがあるので、つまり「論争的」なので、どうしても「ITプログラマー」のような記述を導入部に書くのであれば、案内チラシでは「お殿様はスーパーICTエンジニア」だけど、学会の紹介では「IT分野に関心がある」程度の言及しかない、という点をきちんと説明する必要があり、それにはそれなりの文字数が必要になることもあると思います。
  • 12.どこかにそういう規定もあったと思いますので、別に細かい節を統合されても差し戻しませんが、追記することもあるだろうと思って前広に作っているだけで、どうでもいい話だと思っています。そういうどうでもいい点ばかり編集するような執筆者は、他の執筆者をイラつかせる、ということをご理解いただければと思います。
  • 13.Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)をよく読めば、主張が妥当ではないとご理解いただけるものと思っていましたが、そうでもなさそうだったので、上で丁寧にご説明申し上げました。
以上、私が貴方の編集について、至らないと考えている点についてご指摘させていただきましたので、各点について改善がみられないかぎりで、編集を差し戻します。上記の回答内容を、よく読んでから編集してくださいね。Quark Logoさんはいつも、私が編集した後、時間をおかずに同じ記事を編集していらっしゃいますが、そのこと自体、相手の編集をよく斟酌せずに編集を行なっていることの1つの証左になっていると思っています。--宇井木辺出夫会話2016年12月21日 (水) 16:20 (UTC)

コメント横から失礼します。1点だけ(10.について)申し上げますと、通常、論集の編集は学者の業績に含まれますから、記載しておくべきではないでしょうか。もちろん宇井木さんのおっしゃるとおり「名義を冠しているだけ」の場合は別途検討する必要がありますし、徳川義崇氏の専門分野を考慮すると、その可能性はあると思います。ただ、そうだという明確な証拠がない以上、現状では記載することに問題はないように思います。--伊佐坂安物会話2016年12月22日 (木) 00:50 (UTC)

返信 (宇井木辺出夫氏宛)
  • 1. 違います。すぐにわかるような間違いですが・・・。どうも、利用者:宇井木辺出夫会話 / 投稿記録 / 記録氏は、日本語の読解に問題があるようです。すでに二度説明した中部以外にも、重要な内容があります。文章を掲示しても内容を理解してくれない宇井木辺出夫氏のために読解してみましょうか。

Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)
出典
導入部も記事本文と同様に検証可能性および他の方針やガイドラインを遵守していなければなりません。導入部は通常記事本文に書かれている情報の繰り返しであるため、執筆者は冗長さを回避するために記事本文と重複する出典の提示を避けようとすることと、論争のある話題などで読者が記述の情報源を見つけやすいように本文中に脚注を加えて出典を提示し利便を図ることとのバランスを取らなければなりません。記事本文が記事主題の内容に関して詳しい説明を行うのとは対照的に、導入部は一般的な内容を大まかにまとめて書かれるのが普通であるため、論争の対象とはならないような主題の導入部における情報に出典の提示を求められることはあまりないでしょう。一方で、論争の対象となるような主題の記事であったり、内容に説明が求められる、もしくは説明が求められそうな記述に対しては本文中に脚注を加えて出典を提示することが求められるでしょう。導入部における出典提示の必要性は編集者間の合意形成によってケースバイケースで決められるべきです。複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典の提示が要求されるでしょうが、そうでない記事については、出典の提示はほんのわずかか、あるいはなくても構わないでしょう。導入部における出典の提示は全ての記事において必要とされているわけではなく、禁止されているわけでもありません。いずれにせよ、検証可能性を満たさない情報を導入部に記載できるような、特別な方針の例外があるわけではないことには注意してください。

著作物の引用や存命人物の伝記における論争のある話題などを含むいくつかのケースでは、一般性の程度や記述場所に関係なく、その話題が言及されるたびに本文中に脚注を加えて出典を提示しなければなりません。これは、著作物を合法的に引用するために必要な著作権法上の要求や、存命中の人物の伝記に関するウィキメディア財団の方針などによって求められる要件であるため、これらのケースにおいては編集者間での合意形成によって出典の提示を不要とすることはできません。

  • 1-1. 第一行「導入部も記事本文と同様に検証可能性および他の方針やガイドラインを遵守していなければなりません」は前提です。
これをカットして宇井木辺出夫氏して掲示してますが、あれ? 意図的? これは全体の文章のどこでも、出典注を必要とするということであり、「記述の情報源を見つけやすいように本文中に脚注を加えて出典を提示し利便を図ることとのバランスを取らなければなりません」とあるだけで、nameを利用した出典注の繰り返しは、明らかに利便性を損ないません。<ref name="○○" />と記述することで問題ありません。編集者の中では常識的な理解でしょう。
第二段落はさらに決定的です。宇井木辺出夫氏の間違いが明記されています。 あれ、あれ、これも意図的に隠しましたか?? 宇井木辺出夫氏は『「また自分に都合のいい規定だけひっぱってきて、都合の悪い規定を無視しているな」と思っています』なんて言ってますが、どの口がいうのでしょうか。怒りを禁じ得ません。①宇井木辺出夫氏は明白に都合の悪い規定を隠したと、認識できます。
さて、二段落目には「著作物の引用や存命人物の伝記における論争のある話題などを含むいくつかのケースでは、一般性の程度や記述場所に関係なく、その話題が言及されるたびに本文中に脚注を加えて出典を提示しなければなりません。」とあり、「引用」と「存命中の人物の伝記」が特別であることが明記されています。他とは違う出典のレベルです。
これは、著作物を合法的に引用するために必要な著作権法上の要求や、存命中の人物の伝記に関するウィキメディア財団の方針などによって求められる要件であるため、これらのケースにおいては編集者間での合意形成によって出典の提示を不要とすることはできません。」とあります、
つまり、このノートで、宇井木辺出夫氏と私は、出典の提示を不要という合意形成をしてはならないとされているのです。明白ですね。「引用」「存命中の人物の伝記」に関する方針であるとされているので、当然、方針がガイドラインよりも上位になるわけですし、そもそも前にも言ったように、「論争の対象となるような主題の記事であったり、内容に説明が求められる、もしくは説明が求められそうな記述に対しては本文中に脚注を加えて出典を提示することが求められるでしょう。導入部における出典提示の必要性は編集者間の合意形成によってケースバイケースで決められるべきです。複雑な主題、現在進行中の主題、あるいは論争の対象となるような主題であれば多くの出典の提示が要求されるでしょう」ということなので、実際的には編集者の一人でも、出典が必要と考えれば、拒めないということなのです。また、「言及されるたびに」ということなので、何度も掲示しなければならないということです。
露月院は存命中の人物の伝記ではありませんし、現在、論争の対象でもないです。急に、殊更、私が執筆した他記事(というか、この現在の徳川義崇ですらかなり部分は私の筆ですが・・)に言及するのは宇井木辺出夫氏が戦線拡大を示唆して妨害的編集の予告をしてように聞こえなくもないのですが、それは投稿ブロック相当の行為なんですが、危ない橋を渡ろうとしていることは自覚しているのでしょうか? 脅迫しているつもりかもしれませんが、自爆装置を押す行為に等しいですよ。コメント欄に「Quark Logoによる編集の差し戻し。冒頭部の概要文にインラインでの脚注を強要する編集は、露月院はじめご自身の執筆記事の冒頭部に全部インラインで脚注を入れた後にしてください。」なんて書いてますが、全部に脚注を入れることも簡単にできるけれども、そういうことじゃないのです。あなたと私の議論で終わる話ではない。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないをはじめとする各種のガイドラインも方針も、全然わかっていないようです。宇井木辺出夫氏は自説にこだわるあまり、ウィキペディア編集者が何に従って編集という共同作業をやっているのかを承知していないといわざるえない。まさに、宇井木辺出夫氏はコミュニティを消耗させる利用者と言えるのではないのでしょうか。
存命中の人物の伝記の特殊性を理解すべきであり、存命中の人物の伝記では高いレベルの出典掲示が求められるというのはウィキペディアの方針です。宇井木辺出夫氏が私論を強訴して方針に従わないというのならば制裁を下すも必要であるように思われます。
  • 1-2. あと、このWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)-出典は、宇井木辺出夫氏の言うような「導入部は記事本文のくり返しだ」なんて内容ではありません。どういう読解なのか理解に苦しみます。これをそう要約するなら確実に0点でしょう。文意が全然違う。Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)は、「出典」の次ぎにまだまだ続きがあり、次節の「導入文」についての指示があります。

導入節は記事全体の前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。その記事が取り扱う最も重要な点を簡潔に述べる必要があります。…

このように導入文は、簡潔な記述を求められるから、「筆者は冗長さを回避するために記事本文と重複する出典の提示を避けようとすることと、論争のある話題などで読者が記述の情報源を見つけやすいように本文中に脚注を加えて出典を提示し利便を図ることとのバランスを取らなければなりません。」という前節の指示になるわけです。何度も言いますが、宇井木辺出夫氏は根本的にスタイルマニュアル (導入部)を理解できていないです。言うことがイチイチ間違ってるとは、どういうことでしょうか???  ②宇井木辺出夫氏はWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)を理解していない
簡潔な導入文については11.で再度言及します。
  • 1-3. 次ぎに「定義文だから出典が必要だ」なんて私は一言も言ってません。どこをどう曲解したらそうなるのでしょうか、不可解です。どこをどうどう読んでそう受け取ったのか、宇井木辺出夫氏は答えていただきたい。上記のように存命の人物の伝記では、「一般性の程度や記述場所に関係なく」「言及されるたびに」出典の掲示が求められます。これがガイドラインの指示ですから、それを理解する私が、定義文に限定していうはずがないし、そういうふうに理解している人はガイドラインを理解していないということに他ならないわけです。 ③宇井木辺出夫氏はやっぱりWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)を理解していない
  • 1-4. そもそも、1においては宇井木辺出夫氏のコメントアウトでの意味不明の発言についてから始まっています。再び掲示しましょう。

概要は、本文の要約になるようにする。本文に書いていないことを書かない。概要では、脚注は、論争のない事項には付さなくてよい(本文を読めば書いてある前提)。信頼できる情報源に基づかない情報を、鵜呑みにして書かない(「ICTエンジニア」)。また「尾張徳川家当主」が、「黎明会会長・徳川美術館・八雲産業社長をする」という書き順を変えないでください。

— コメントアウト・2016年12月16日 (金) 18:17‎ 宇井木辺出夫 (会話 、 投稿記録)‎
さて、この文章の意味が分かる編集者はいらっしゃるでしょうか?! 不可解極まります。
まず「概要」って何?なんです。この時点でも現時点でも、この記事に概要節はないのです。宇井木辺出夫氏は、冒頭の定義部分にコメントアウトを付けていた[13]のです。記事の冒頭部・導入部の順序はすでに説明(というかこれはすべての編集者が編集を始める前に知っておくべきことですけど・・・)したように、
  1. 項目名
  2. 読み仮名(ふりがな)
  3. 定義
  4. 記事全体の要約
の順序ですが、宇井木辺出夫氏の頭の中に「定義」が欠落してるとしか、理解できません。しかもですが、これは他の話題でも合点できたのです。宇井木辺出夫氏は、徳川義親徳川家康三方ヶ原戦役画像の冒頭についても、該当ノートや私の会話ページで、要約になってない云々という意味不明の発言をしていたので、宇井木辺出夫氏は定義文の存在を知らなかったとすれば、合点がいきます。この点について、宇井木辺出夫氏に強く説明を要求します。(Wikipedia:説明責任) 私も含めて、宇井木辺出夫氏の言いがかりのような発言で迷惑している人々がかなりいるので、ここではっきりさせましょう。
  • 1-5. さらに、宇井木辺出夫氏からは全く言及がないのですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)を無視しています。これには一段落目の書き方の指示があり、誤解の余地がないです。人物の伝記の場合の要約は、二段落目以下になるのは当然であり、編集者としては常識です。読み仮名(ふりがな)の後ろに「本文の要約」になる「概要」を書くという、宇井木辺出夫氏の主張はスタイルマニュアルを全く無視しています。「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に基づいていない」(異句同意)というフレーズを、宇井木辺出夫氏は繰り返してくるのですが、宇井木辺出夫氏自身がスタイルマニュアルを理解してなかったり間違って解釈してたり知らなかったりしているのは明らかであり、むしろ故意にルールを悪用しようという目的で、虚偽の主張をしているという疑いすらあります。○○に反している、という主張は、宇井木辺出夫氏については1回や2回ではなく、腕ずくで解決しようとする議論のときには常套句に近い頻度で登場します(宇井木辺出夫氏の履歴を参照ください)が、上記でも一端を示したように実際にはガイドラインの内容に基づいていません。 ④宇井木辺出夫氏はWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)を理解していない(恐らく読んでもいないらしい)
  • 2. 2については表題にもあるように、順序を指定する意味です。変えても文意はかわりません。文意が変わるには(最低限)助詞が必要です。名詞の羅列の順序で意味が変わるというのは日本語の文法にありません。宇井木辺出夫氏は同格とか連体修飾語とかという文法用語を知らないのでしょうか・・・。どなたか、宇井木辺出夫氏に文法解釈をしてくれる方はいないでしょうか。議論以前の問題ですよね。
宇井木辺出夫氏は「。」「、」に日本語の本来の意味とは異なる用法を与えてると解釈していいのでしょうか。いずれにしても、独自の言語文法を使っても、他の人には通じません。前掲の宇井木辺出夫氏のコメントアウトに『「尾張徳川家当主」が、「黎明会会長・徳川美術館・八雲産業社長をする」という書き順を変えないでください。』とありますが、「尾張徳川家第22代当主。徳川黎明会会長、八雲産業代表取締役社長、徳川美術館館長。」にその意味がないのです。通常の日本語を使う人間に言わせると「は?!」なんです。理解不能。私の記述のように「で」とかの助詞を入れないと、(仮に宇井木辺出夫氏のいう内容にしたくても)文意をなしません。これが常識です。
しかるに、「読み手(私)が、「文意が変った」と感じている」と宇井木辺出夫氏はのたまう・・・。というか、日本語の文法を間違ってるから! 私の文章は助詞が入ってるから順番変えただけじゃないから当たり前だろ! そして、宇井木辺出夫氏個人の感性を記事に反映する理由もないから! ・・・独特なことをいわないでもらいたい。 ⑤宇井木辺出夫氏は日本語の文法も怪しい
  • 2-1. 宇井木辺出夫氏が「尾張徳川家当主が黎明会会長・徳川美術館・八雲産業社長をする」と言っているにもかからず、そう書かないのは、明々白々として、その出典がないからです。書けないというだけ。「尾張徳川家当主が黎明会会長・徳川美術館・八雲産業社長をする」という宇井木辺出夫氏の主張は独自研究でしかないのです。そんなものを尊重しろとはどういうことなんでしょうか? 順番を指図するような権限も理由も合理性も、意味すらない、と私はいいたいわけで、コメントアウトの文面はどこをとっても納得できるものではないと、当初より、指摘しているわけです。
  • 2-2.  「略歴」に入れるならば、「いつ」社長になったのかがわかってる必要があるわけです。経歴としては、当然、いつから社長かわからないのに、書くわけにはいかないわけです。宇井木辺出夫氏編集のこの状態の見ればわかりますし、『「いつ八雲産業の社長になったか」という記載は、本文中にありませんし、出典も明記されていないと思います』とノートでもが書いています。
「現在」という表記については5.で述べますが、出典をみただけでも、2005年以前にすでに徳川義崇は八雲産業社長なのはわかるわけです。この八雲産業は昭和23年に尾張徳川家の資産管理運営を目的として設立された会社だそうなので、当然それは相続税対策であることは明白なわけです。2005年以前にすでに社長だった人の略歴に、「2016年現在」と書くのは不適切であるだけでなく編集技術として稚拙です。「略歴」の中に全部収める必要はなく、かつ、これからいつ社長になったかの出典を見つけて加筆される余地の可能性を無視しています。不明な内容を無記とするのはしょうが無いのであり、宇井木辺出夫氏は無理矢理入れようとしてる。その理由が次ぎになりますが、それも間違ってます。
  • 2-3. 『本文を要約する内容から逸脱し、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の、「導入部は本文を要約する」というガイドラインに反しました。』 これですよ。これこそが宇井木辺出夫氏の間違いであるわけです。宇井木辺出夫氏は「導入部の中に要約文がある」≠「導入部は要約文である」という二文の意味の違いを理解していない。すでに散々説明もしましたが、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)の冒頭に以下の掲示があります。
主題を定義した後です。そして繰り返しますが、徳川義崇の記事に要約部分はありませんでした。

導入部は、前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべきです。第1文で主題を定義し、続いて別名や間違いやすい事柄に触れ、前後関係や注目に値する理由を説明し、そして最も重要な点—あらゆる著名な論争も要約することが推奨されます[1]。主題の特筆性は、通常は最初のわずかな文章にて明らかにされるでしょう。それぞれの話題を強調するには、信頼できる情報源における、その重要性の強弱に大まかに一致している必要があります。細々とした基本的な事実は別にして、重要な情報は以降の記事本文で取り上げないなら導入部でも触れないようにします。

ここで問題になるのは、何が重要な情報かということです。
仮に、宇井木辺出夫氏の主張するように「尾張徳川家当主が黎明会会長・徳川美術館・八雲産業社長をする」ということにして、重要な情報は「尾張徳川家当主」ということになります。だから尾張徳川家当主になったというは、本文で触れる必要性があります。しかるに、宇井木辺出夫氏は誰の子かも出典を見いだしていない。そもそも本末転倒なのです。義宣の子、義宣の長男(嫡男)を示せなければ、尾張徳川家当主だとは言えません。宇井木辺出夫氏の編集では尾張徳川家第22代当主には出典を付けてないので、こういう編集方法ではダメなわけです。
略歴のなかでは一行目の「1961年」の行と、四行目の「2005年」の行が重要であり、欠かせない内容になる。にもかかわらず、宇井木辺出夫氏は内容を改悪してます[14]。重要な情報がどの部分にポイントがあるかを分かっていない証拠でしょう。
そして前掲のように、「細々とした基本的な事実」は、たとえ本文で触れなくても導入部に書けるわけで、それらはWikipedia:存命人物の伝記のガイドラインに従い、同時に出典を要するという決まり事です。 ⑥宇井木辺出夫氏はやっぱりきっとWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)を理解していない
  • 3. すでに1.でも述べましたが、論争の対象であると同時に存命の人物の伝記なので、「編集者間での合意形成によって出典の提示を不要とすることはできません。」がルールです。前条2-3で説明したように、出典付きの細々とした基本的な事実は本文で触れなくても導入部に書けます。明白ですね。
宇井木辺出夫氏の私論は、無駄でしかないです。そして出典剥がしは荒し行為です。⑦宇井木辺出夫氏の出典剥がしは、ガイドラインへの無知が原因としても、妨害的編集であり荒し行為である
  • 4. 本人のホームページであると断言でき、掲載許可を貰うことも恐らくは可能でしょう。宇井木辺出夫氏の言い分は間違いであり、二次資料によって本人のサイトであるという確認する必要ないし、というか、こんな厳し条件をつければ、ウィキペディアのあらゆるページの外部リンクで付けるリンクで、ほとんどのホームページやサイトに対してクリアできません。根底を揺るがすような言動です。情報源にしない場合、外部リンクは「信頼できる情報源」とは直接関係ないのであって、これを混同していることが最初から顕著です。出典として用いなくても、外部リンクや参考文献にリストして良いと明記されています。中身も、批判的内容も一切ない、個人の紹介のみです。一般的にリンクしてよいケースに完全に入っています。
ウェブサイト#管理者を失ったウェブサイトの扱い」はガイドラインではありませんし、本人存命中であり、www.tokugawa.orgは遺棄されているわけでもないです。
当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」については、HPの内容を細かく記述すれば、著作権やプライバシーの侵害に該当しますが、自主的に公開されているホームページのリンク情報はプライバシーにはあたりません。この節の指示は、記述内容についてであり、URLのことではないです。
  • 4-1. 前項のプライバシーの件は(こちらの言い分が正しいけれど)百歩譲って理解はできますが、ついでに徳川義崇が取り上げられているサイトの情報も消してますよね。これは妨害編集そののものではないでしょうか。インターネットミュージアムの紹介記事の外部リンクからの削除は何の理由も示せていない不当なものですから、ついでに荒し行為をするのは止めてください。
  • 5. リンク掲示しても、理解してもらえないようなので、今回も細かく読解して見ていきましょう。

Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わない
Portal:最近の出来事のような定期的に再構成されるページを記述しているのでなければ、すぐに古くなる表現は使わないでください。

記述の際には、文章の意味や内容が時間を経ても適切に維持できるよう、記述対象ごとの時間的変化を考慮してください。その上で「最近」「現在」「近年」「現代では」「現状では」「今のところ」「今は考えられている」「近い将来」などといった語句や時期の説明が全くない記述によって、結果的に執筆時点でしか成立しない表現となることを避けてください。特に現在進行中の事象の場合は注意が必要です。それらの記述を数か月後、数年後、あるいは十数年後に読む人のことを考えてみてください。その時になっても適切なままであると言えるでしょうか。

個々の記述においては、Wikipedia:検証可能性の観点から読む側がその記述の基準となった具体的時期を知る手掛かりとできるようWikipedia:出典を明記するに従って脚注等に出典の刊行年を明示することが必要です。その上で個々の記述について何時の事象について記述しているのか知る手段が脚注等の表示のみでは不十分で、特に誤解を与えるおそれのある場合には文中において時期を具体化しましょう(例:「2001年10月現在」「2003年時点」「2006年から」「1990年代には」)。例えば、1988年に発表された出典に「現在」とあった場合は、1988年当時のことが記されています。また、文献や資料内の統計・アンケートなどで特に調査の時期が示されているものについては、文献や資料の発表時ではなく、その調査時点での記述です。記述の基準となった時期を文中において特定するか否かを判断するにあたっては、脚注等で出典の刊行年が明示されている場合には更に文中でも示すことが必要かどうかも考慮し、文脈上では単に「現在」とだけ書けば十分な場合もあることにも留意してください(例:太陽系が誕生した頃に対して現在の状態を述べる場合など)。また、文中において時期を特定する際には、百科事典として適切な表現であるかという点にも配慮した上で、出典として利用する著作物の内容上の意図を損ねることのないよう十分に注意してください。記述対象の時間的変化の度合いに適応しない時期の特定や機械的な語句の削除が行われると、出典とする著作物の本来の意図に沿わない内容となってしまい、読む側に誤解を招いたり違和感を生じたりすることになります

なお、単に「現在」の前に2024などのマジックワードを追記して、「2024年現在」などと記述することはこの問題を解決する方策にはなりません。これらのマジックワードはその文書が編集された時間を提示するのではなく、その文書が閲覧された時間、厳密にはウィキペディアのサーバ上にある文書が参照された時間を示すものです。そのため、執筆者は執筆した時点の時間を表示させるつもりで記述したとしても、執筆者が意図した通りの時間表記をいつまでも継続できるとは限りません。記事文中に時間を記したいときには、これらのマジックワードで記すのではなく、直接「2015年現在」のように記してください。

一行目が前提ですね。「Portal:最近の出来事のような定期的に再構成されるページを記述しているのでなければ」以外のすべてウィキペディアのすべてのページで、適用されるということです。二段落目の内容にあるように、「現況」節のある宇井木辺出夫氏のこの編集は、まったくダメということです。「一方的に記述を除去」とか言ってましたが、構成を改めて建て付けを変えないと、くみ取るものがないですから、現況とか現在とかをできるだけ書かないで良いようにしなければならないというのがこのガイドラインの趣旨で、略歴において現時点を示すような合理性がないです。
記述対象の時間的変化の度合いに適応しない時期の特定や機械的な語句の削除が行われると、出典とする著作物の本来の意図に沿わない内容となってしまい、読む側に誤解を招いたり違和感を生じたりすることになります。」とあるのを理解できていないんだと思います。宇井木辺出夫氏の編集改悪は、「記述対象の時間的変化の度合いに適応しない時期の特定」です。実例を挙げましょう。
宇井木辺出夫氏 2016年12月21日 (水) 02:41版の問題点
  1. 2014年現在、名古屋市博物館協議会委員、全国美術館会議副会長、日本博物館協会理事、名古屋大学参与、IT分野にも興味を持っている。
    ・・・え? この書き方だと、名古屋市博物館協議会委員、全国美術館会議副会長、日本博物館協会理事、名古屋大学参与にも興味を持ってるという意味になるし、後段とも符合しない。さすが、名詞を並べた順序で意味が変わるというだけはあるが、句読点が滅茶苦茶。
    1つの講演の紹介文をもって、「IT分野にも興味を持っている」を導入で書くのも非常に奇妙です。前述のようにWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)には、一段落目に書くべき事が5つ指示されており、現況とかその人の興味は入っていませんから、スタイルマニュアルにも違反しているということになります。ダメダメです。私の編集では、同じ出典からも異なる記述「IT技術の研究にも携わり」を引き出して、WIDEプロジェクトメンバーであることや講演などを、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)の5番目である”主な活躍”として記述しています。言っちゃ何ですが、この優劣は明らかです。興味がどうこうというような話に食い付くこと自体が奇妙で、「IT分野にも興味を持っている」というぼんやりした記述を採用したことでも、宇井木辺出夫氏が人物伝の表記に不慣れであることがわかります。
  2. 2014年以前にsimpleshow Japan(注)が制作した徳川美術館のインバウンド対策解説動画に登場するキャラクター・トクさんのモデルになった(注)。
    2014年現在、名古屋市博物館協議会委員、全国美術館会議副会長、(公財)日本博物館協会理事で、名古屋大学参与、IT分野にも興味を持っている(注)。
    (中略)
    2016年現在、徳川黎明会会長、徳川美術館館長・八雲産業(株)代表取締役を務めており(注)、またWIDEプロジェクトのメンバーとされている(注)。

    存命の人物の伝記では、わからないことは書かない方が良いのは基本です。出典に「2014年以前」とは書いてないのに、書く必要が無い一方、WIDEプロジェクトのメンバーは出典に”1995年以前”と明記されている。この宇井木辺出夫氏の編集がまさに指示にある「出典として利用する著作物の内容上の意図を損ねること」です。また略歴の中に「2014年現在」と「2016年現在」という2つの現在の存在は、まさに「読む側に違和感を生じたりすること」です。注意事項を守っていない悪い編集例ということになります。 ⑧宇井木辺出夫氏は、Wikipedia:すぐに古くなる表現は使わないを、間違って解釈している
宇井木辺出夫氏の2016年12月22日 (木) 01:24版の問題点もあとで指摘しますが、経歴に「2016年現在」は必要ありません。特に徳川黎明会会長、徳川美術館館長は、2005年の就任を書いてるので二度書く必要もない。略歴とか経歴では、辞任か解任とかくまで普通はその地位にあると考えるものです。(前述のように本文に記述がなくても出典付きの記述ならば冒頭に書くことができますが)百歩譲って他に記述がないという理由で、八雲産業(株)代表取締役だけならまだしも、無駄な記述が多い。社長職だって2005年以前よりの地位ですから、「2016年現在」と書くと、読者にはむしろ最近、社長になったのかという誤解を与えかねません。少なくとも10年以上まえから社長であることが出典から判明しており、恐らくさらに前からそうだったはずです。「2016年現在」と書くことでさらに誤解を与えるような場合、上記のすぐに古くなる表現は使わないのガイドラインに従えば、明示する意味がないということになります。また同じ行の他の話は全く必要ないだけでなく、WIDEプロジェクトのメンバーは”1995年以前”(HPによると1989年)とわかってるわけであり、(HPを情報源とできないために)時系列で表示できないのなら、この略歴とは別した方が妥当というものです。
略歴とは、経歴を略したものの意味であり、経歴とは「今までに経てきた学業・仕事・地位などの事柄。履歴。」とある、現在を強調することは、そもそも節の意味に反するわけです。主に過去のことを書くものです。宇井木辺出夫氏の場合は最初にはすべてバラバラの節にして可読性を悪くしていたのに、今度は何でもかんでも1つの節に入れようとして、無理しています。記事の向上には、もっと柔軟な思考が必要であり、宇井木辺出夫氏の自分の記述への歪んだこだわりや妨害的編集のようなものはお門違いです。
  • 6-1. 宇井木辺出夫氏がミュージアムキャラクターアワード2015についての記述を全く削除して、亡き者としたのは、全く不当な編集であり、言語道断の暴挙と言えます。議論なき出典付き記述の削除は荒し行為です。これは明白な違反行為と断定できます。普通、表現が気に入らないというならば、簡素な表現にするとかなんとかするのが(我々何万通りの表現でも使い分ける)正常な編集者ですが、丸ごと削除して、ミュージアムキャラクターアワード1位という事実すら闇に葬ってしますとは何ごとでしょう。第三者のくせに勝手に黒歴史とでも思ってるのか、理解不能ですが、宇井木辺出夫氏の2016年12月16日 (金) 02:19版よりも内容が悪くなってるということは妨害的編集の悪意を推認されます。宇井木辺出夫氏がミュージアムキャラクターアワードにどれだけの怨みがあるのか知りませんが、そんな個人的感情は編集に関係ありませんし、影響を及ぼしてもいけません。宇井木辺出夫氏がどう思うかなんか、記事には何の関係もないわけで、事実の隠蔽なんかするとは驚きです。出典が付いてるわけで、情報の発信元を明らかにされており、全く言い訳にもならない、荒しでしかないでしょう。⑨宇井木辺出夫氏による出典付き記述の削除は荒し行為である
  • 8.キャラクターのトクさんは、類似性が強い徳川義崇氏の似顔絵ですから、本人と極めて関係の深い話題であり、ここに書くのは全く適切です。いずれにろ何の議論も合意もなく、宇井木辺出夫氏が出典付き記述の削除を独断で決める権限はないので、6-1で言った通り、違反行為です。ウィキペディアでは、出典付き記述を勝手に削除できないことになっており、濫り不当な削除をする者を投稿ブロックにしています。これを知らないわけはないでしょう。論争の最中に、ラフな削除をすることが許容されるはずもありません。
既に徳川美術館の記事に節が設けてありますし、それで不満ならトクさんの記事を新規立項してください」と言ってますが、それはただの暴言です。暴言というだけ。宇井木辺出夫氏は徳川美術館の記事に転載するわけでもなく、ただ削除編集しているだけで、何の説得力も無いです。⑩宇井木辺出夫氏による暴言は4回目である
  • 9. 前掲1, 1-1のように、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)出典のどこを読んでも、「導入部の過剰な脚注の除去」などをしろとは書いてありません。むしろ逆に存命人物の伝記では、どの記述場所であっても、繰り返し言及される度に出典の表示が求められうることは、1-1で説明した通りです。これのどこが「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#出典に沿った編集」なのでしょうか。この場でも何度も間違いを指摘し続けているので、ここまで来るとさすがにスタイルマニュアルの誤認とか過誤とは見なすのは難しく、端的に宇井木辺出夫氏のというべきだと思います。前述のように宇井木辺出夫氏のマニュアルにあるある詐欺はこれが初めてではありません。他の編集者を故意に妨害するため、あるいは議論に勝つために、スタイルマニュアルを度々偽ってまで欺くというのは極め不誠実な態度であり、宇井木辺出夫氏はルールの悪用者の典型です。これは宇井木辺出夫氏が「各種方針の熟読期間」を要することを意味しています。 ⑪宇井木辺出夫氏は虚偽を弄して、ルールを悪用している
  • 10. 「論文集を編集しているからといって、それを本人の著書に含めたりはしないと思います。」というのは、単なる宇井木辺出夫氏の非常識です。非常識、それ以上いうことはないです。例えどんなことであっても本に名前が載ると言う社会的な意味を過小評価しているし、世間知らずと言わねばならないでしょう。編集者に名を連ねるということは大変なことです。宇井木辺出夫氏の「名義を冠しているだけの編集雑誌」であるというのは独自研究そのものであり、編者だから著作物に含めないとか、宇井木辺出夫氏自身で「著作物」という節の名前に変更しておきながら、何をいってるのか。著者と編者の意味の違いを理解しているかも怪しいです。
ISBNで確認できるように、書誌情報で徳川義崇氏を編者として記録しています。「竹内誠氏の著書・共編著の中には、『金鯱叢書』は含まれていません」とは、ウィキペディアの竹内誠の記事のことでしょう。こんな初歩的な間違いを言うとは思いもよりませんでしたがウィキペディア自身(別のページ)は出典として利用できません。何を言ってるのでしょうか? そんなことを知らないとは考えられないのですが・・・。書誌情報に、竹内誠氏が編者となった書籍に金鯱叢書は普通に載ってます。このデータペースは日本のどこでも広く利用される公式なものとまさに言えます。社会の常識と、ウィキペディアの常識の両方から、宇井木辺出夫氏は外れています。論外です。 ⑫宇井木辺出夫氏は言説は常識から大きく外れており、その不条理は、恐らく腕ずくで解決しようとしている結果である
  • 11. ここ2、3週間の間、私は宇井木辺出夫氏から”要約”がどうのこうのという話を延々と聞かされました。露骨な言行不一致であり、導入部は要約文だという人物がこれはなんだ、と言わざる得ません。

宇井木辺出夫氏 2016年12月21日 (水) 13:40版の導入部の下

2014年に第19回日本バーチャルリアリティ学会大会で講演を行なった際には、IT分野に興味を持っており、IT技術の研究にも携わった経験がある、と紹介されており、2011年には、NTTコミュニケーションズ等が主催する「ソリューションセミナー」で「お殿様はスーパーICTエンジニア」と題して対談をしたことがある。徳川美術館のキャラクタートクさんのモデルになっている。

←← 要約

同版の本文の一部

2011年11月に、名古屋国際センターでNTTコミュニケーションズとNTTコミュニケーションズ・パートナー連絡協議会(NCOP)の共催で開かれた『ソリューションセミナー「経営戦略へのICT活用」』に徳川美術館長として出席し、「お殿さまはスーパーICTエンジニア」と題してNTTコミュニケーションズ・先端IP アーキテクチャセンタ担当部長で北陸先端科学技術大学院大学客員教授の宮川晋と対談した[8]。同セミナーの案内状では、「実はコンピュータプログラミングおよびインターネットの高い技術をもつエンジニアとしても御高名」と紹介されている[9]。

2014年にsimpleshow Japan[10]が公開した、徳川美術館のインバウンド対策解説動画に登場するキャラクター・トクさんのモデルになった[11][12]。

赤字は、なんと! 導入部にしかない記述です。しかも出典注も付いてません。あれ? 「本文に記載のない事項を導入部に記載する編集は同ガイドラインに反する編集だ、と思います」と言っていたはずの宇井木辺出夫氏がその時にした編集に、本文に記載のない事項がはっきり載ってます。宇井木辺出夫氏自身が主張する間違ったガイドラインすら自らで反するとは・・・、寄る瀬もないとはこのことです。
要約についても下手です。『NTTコミュニケーションズ等が主催する「ソリューションセミナー」で』が必要とは思われない。宇井木辺出夫氏は「きちんと説明する必要があり、それにはそれなりの文字数が必要になることもあると思います。」と言ってますが、いや、いや、いや、説明は導入部ですることではなく、本文ですることだから。今更、何を言ってるのでしょうか。冒頭で説明したら要約にならない。説明は本文に書くことですが、導入部は要約文だとこれだけ執拗に主張してきた宇井木辺出夫氏が、矛盾することをやってもらっては、話にならない。言ってることと、やっていることが、全然違う。宇井木辺出夫氏の言説の信用性がこの程度だとわかる決定的な一事です。酷くお粗末。 ⑬宇井木辺出夫氏は自身が主張する間違ったガイドラインすら自らで違反する人間である
ちなみに私が書いたこの部分は簡潔です。

IT技術の研究にも携わり[3]、WIDEプロジェクトメンバー[4]。ICTエンジニアと題して講演[5]。徳川美術館のキャラクター「トクさん」のモデル[6][7][8]。

— Quark Logoによる 2016年12月21日 (水) 15:09
この3文1行だけ。要約、要約と言っていた宇井木辺出夫氏が、私より長い導入部を作るというだけでも話が可笑しいのに、本文にない内容を書いてるし、1-1などで説明した出典注についても不正であるし、・・・・ダメでしょ。宇井木辺出夫氏の編集はただの自爆であり、話にならないレベルです。
  • 12. 細かな節は統合しても良いという言質と理解しました。唯一、まともな返答でした。
  • 13. 上のように論じてきて、宇井木辺出夫氏の間違いが証明できたと思います。ここに20の宇井木辺出夫氏の編集の問題点について指摘し、13の宇井木辺出夫氏の行動の問題点を糾弾しました。先にも述べたように、宇井木辺出夫氏の行動は十分にコメント依頼に相当します。
しかし、このように長文になったことでもわかるように、同等の長さの文面になると思われるコメント依頼を書くのは相当な苦労を要します。議論に参加頂ける諸氏が読むだけでも苦労するかもしれません。そこそこ迷惑にもなるので、宇井木辺出夫氏に最後の機会として、非を認めて、改善なき差し戻し(荒し)を止めるように要求します。
記事の復元ついては別途に記載するので多少の時間的猶予を与えます。--Quark Logo会話2016年12月22日 (木) 14:28 (UTC)

コメント 冒頭文を修正しました。日本語として「〜おり」が二度重ねて記述されている点が気になったので、「」を付けましたが、そのほか、冒頭文には適さない詳細な記述がありましたので、概要節に移動しました。編集後に、ノートで冒頭部についての議論を目にしましたので、報告いたします。もし、議論中の編集行為であったということであれば、お詫びいたします。--Husa会話2016年12月23日 (金) 04:07 (UTC)

コメント 前述の記事の復元について述べます。
  1. 導入部の出典剥がしは復元します。 (1-1, 3を参照)
  2. 定義文を修正。当主・会長・館長・社長の順番でも意味は変わらないので、変な句読点を直す。(2を参照。コメントアウトの流れから指図の意図を白日のもとに曝し、宇井木辺出夫氏の日本語能力を問いただす必要性があったが、意味は変わらないので対立回避の意味もある。)
  3. 主な活動を私の記述をベースに直す。講演の題は「お殿様はスーパーICTエンジニア」で可。(11)
  4. 「現在」などすぐに古くなる表現の記述は削除します。(5を参照)
  5. Husaさんには悪いですが、短い記事に概要節は不要と思われますので導入部のコンパクト化(宇井木辺出夫氏の問題の編集によって冗長になったためですので)にともなって撤廃します。
  6. トクさん、ミュージアムキャラクターアワード2015についての記述は復元します。(6-1, 8を参照)
  7. トクさんについては一部簡略化し、一部は注釈化します。
  8. 義宣氏の死去に関しての記述は復元します。(2-3を参照)
  9. 伊佐坂安物さんの金鯱叢書の復帰は当然維持されます。(10を参照)
  10. 「著作物等」の小節は削除されます。(12を参照)
  11. 外部リンクを復元します。(4を参照)
  12. 出典の記述に基づき、simpleshow Japanはsimpleshow として復元します。
  13. WIDEプロジェクトメンバーは別記の状態で復元します。
以上です。--Quark Logo会話2016年12月23日 (金) 04:51 (UTC)
コメント 上記「5」の通り、「概要」節を撤廃するという点については賛意を表明いたします。「略歴」節に出典つきで記述することがベターであると考えます。また、概要節に移動した箇所につきましては、冒頭には不要な表現であると考えます。--Husa会話2016年12月23日 (金) 05:53 (UTC)
出典がなく、略歴と重複であるので、明らかに除去して差し支えない記述であると判断し、「概要」節を除去いたしました。(記述が適当であると考える場合は、出典をつけた状態でどのように記述するかを、提案なさってください。)--Husa会話2016年12月23日 (金) 06:14 (UTC)

(インデント戻します。)内容の議論云々の前に、Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃が目立つように感じます。「利用者:宇井木辺出夫(ノート / 履歴 / ログ)氏は、日本語の読解に問題があるようです」「宇井木辺出夫氏はWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)を理解していない」「宇井木辺出夫氏は日本語の文法も怪しい」「宇井木辺出夫氏はルールの悪用者の典型」「単なる宇井木辺出夫氏の非常識」など。ざっと見た限りでも、ちょっとひどい言い方だと思いますが、いかがでしょうか。「宇井木は方針を理解してない」のように、個人の経験を、利用者の独断で決めつけて攻撃することは、Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例に該当していると思いますので、もし謝罪・撤回されないのであれば、同方針に従い、個人攻撃に該当する記述をコメントアウトしたいと思います。エキサイトしておられるようにも感じるので、投稿ブロックを申請した上で、コメント依頼をします。--宇井木辺出夫会話2016年12月23日 (金) 18:19 (UTC)

利用者:Quark Logoさんのお返事は、長すぎ、差し戻すまでに充分な時間が与えられておらず、個人攻撃もひどいと思いますので、差し戻した上、コメント依頼が終るまで、お返事を保留します。利用者:伊佐坂安物さんからのご指摘についてお答えしますが、「通常記載すべき」とのご指摘に対しては、例えば先代の徳川義宣氏も『金鯱叢書』の編者にクレジットされていましたが、記事には記載されていませんし、上記のとおり共著者の竹内誠氏はむしろ主編者(最初に名前が記されている)ですが、同じく記事には記載がありません。ですから、書かないのが普通であり、記載するべき、ということはないと思います。本人の著作物ではないので、読者が参照したところで本人について理解する上で参考になるとも思えないし、毎年発行されていてあまり意味のない文字列が縦長に表示されることになって記事が読みづらくなるだけだと思います。加筆するのは難しくなくて、
  • 竹内誠・徳川義崇 編『金鯱叢書』(pdf) 43巻、徳川美術館、2016年3月。ISSN 2188-7594http://www.tokugawa-art-museum.jp/academic/publications/kinshachi/items/bcd297314498ffc33ee5c1ce05ca0657a85cb7b9.pdf2016年10月3日閲覧 
  • 竹内誠・徳川義崇 編『金鯱叢書』(pdf) 42巻、徳川美術館、2015年3月。ISSN 2188-7594http://www.tokugawa-art-museum.jp/academic/publications/kinshachi/items/f288e26192a7749fd5b95f8951f47540c8adbd4d.pdf2016年10月3日閲覧 
  • 竹内誠・徳川義崇 編『金鯱叢書』(pdf) 41巻、徳川美術館、2014年3月。ISSN 2188-7594http://www.tokugawa-art-museum.jp/academic/publications/kinshachi/items/41.pdf2016年10月3日閲覧 
(『金鯱叢書』の続きの巻号)など、加筆しようと思えばできますが、読者の参考にならない余計な情報が増えて読みづらくなるから加筆しないようにしているだけです。
「名義を冠しているだけ」の場合についても、よくご検討いただきたいです。通常の学会誌などであれば、en:Academic authorshipについて学会が判断している、と推測できますが、『金鯱叢書』は徳川美術館の機関紙であり、尾張徳川家の当主はそのスポンサーです。自主的にAuthorshipについて適切な判断ができているとの判断は成り立ちにくく、むしろ名義を冠していると推測するほうが自然だと思います。「そうだという明確な証拠」はなかなか見つからないと思いますが、WP:RSに規定されている「常識的感覚」により編集者が「信頼できる情報源」に基づく情報かを判断すべきことだと思います。--宇井木辺出夫会話2016年12月23日 (金) 20:22 (UTC)

コメント 宇井木辺出夫氏については、個人攻撃がなにかもよく分かってないようです。宇井木辺出夫氏の出典剥がしという行為は荒しであり、編集行為に対する批判は個人攻撃になりません。ガイドラインにない内容をあるといったり、ルールの悪用する宇井木辺出夫氏の行為は、すでに投稿ブロック相当であり、全然、個人攻撃ではありません。だいたい、「個人の経験」って何? 上にそんな話は一言もでてきません。宇井木辺出夫氏の経験なんて知りませんし、話題にしたこともない。編集行為そのものを批判し、ガイドライン・方針の解釈の言動が間違っていることを証明しただけです、これは正当な行為です。というか、嘘のルールを振りかざす宇井木辺出夫氏の信用性が問題になっているのです。そして、返事もしないで差し戻しをするのは、改善なき差し戻しという明きらかな違反行為の繰り返しです。返事もしないとは対話拒否でもある。宇井木辺出夫氏は全然反省する気もルールを守る気もないと判断せざるえません。私はすでに二度、チャンスを与え、改善案も示しましたが、全く聞く耳ももたないという態度のようです。掲示板に意味不明のブロック依頼まで出されていた。こうなると、残念ながら宇井木辺出夫氏へのコメント依頼からブロック依頼に進むしかないでしょう。--Quark Logo会話2016年12月23日 (金) 23:49 (UTC)

あと、言い忘れましたが、宇井木辺出夫氏は過去にも他人のコメントを改竄した前科がありますが、そういう方法で合意もなく独断で、他人のノートでの発言投稿を、コメントアウトするのは「他の利用者の署名付きコメントを改竄すること」という投稿ブロック相当の違反であり、やったら、それもブロック理由の1つになるので覚悟してください。宇井木辺出夫氏は、ここでも上記のように他人の投稿に割って入ったり、署名付きコメントの意味と価値を理解していないようで、基本的なルールを全然わかってないようなので、是非、長い各種方針熟読期間を設けて下さい。--Quark Logo会話2016年12月24日 (土) 00:07 (UTC)
上記議論を拝見いたしましたが、正直、内容が把握出来ませんでした。ただ、宇井木辺出夫氏による、冒頭部無出典記述は不要であり、それさえ除去すれば記事として改善できることは明らかであると考えます。宇井木辺出夫氏はこの記事に限らず、編集合戦を繰り広げて自身の思想をウィキペディアに反映させることを目的としているかのような活動をされており、批判する者に対しては「個人攻撃だ」と宣言してブロック依頼に提出すると言う行為を繰り返しておられます。宇井木辺出夫氏は、方針無理解であると指摘されたことについても、個人攻撃だ、と反発して方針を熟読されるつもりもありません。これ以上、方針無理解を改善する意志のない利用者と議論を行うことは無意味であるといわざるをえず、ブロック依頼へ進むべき段階であると考えます。顕著な方針無理解であるため、コメント依頼さえも経由する必要はないかもしれません。--Husa会話2016年12月24日 (土) 00:24 (UTC)
(宇井木辺出夫さんへ) 宇井木辺出夫さんは「むしろ名義を冠していると推測するほうが自然だ」と仰っていますが、これは明らかに独自研究です。また、「徳川義宣」「竹内誠」・「露月院」など、ウィキペディア内の他の記事例は根拠になりません。宇井木辺出夫さん自身も、「「Wikipediaではそのようなことは日常的に行なわれている」とおっしゃるのかもしれませんが、他の編集者が何をしているかに関わらず、私はWikipediaのガイドライン・方針を遵守して編集を行なうべきだろうと思います。」と仰っているとおりです仰っしゃています。宇井木辺出夫さんの議論姿勢には矛盾があるように感じました。--伊佐坂安物会話) 2016年12月24日 (土) 01:14 (UTC)インデント修正--伊佐坂安物会話) 2016年12月24日 (土) 01:16 (UTC)>修正--伊佐坂安物会話2016年12月24日 (土) 05:49 (UTC)
返信 (Husaさん宛)  - 簡単にいうと、ウィキペディアでは基本的にどの文章でも出典を必要としていてどの部分も例外ではありませんが、「論争の対象」「存命の人物の伝記」は特に高いレベルで出典注記が求められる、「記述場所に関係なく」「言及されるたびに」と、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)出典にはっきりと書いてあるのに、同じガイドラインをもって、宇井木辺出夫氏は「導入部の過剰な脚注の除去」とか、マニュアルのどこにも存在しない虚構を根拠に編集を強行しているわけです。間違いを指摘された後も繰り返しているので、これはもう嘘といえます。それだけでもルールの悪用になりますが、出典の除去とか議論無き出典付き記述の削除という行為は、ガイドラインどころか、方針に反しているので、そうなるとこれは投稿ブロック相当の荒し行為でしかないことになります。どのような記述にするかといった編集内容の問題でなく、利用者としての行動が重大な問題となっています。
ということで、コメント依頼を書かせていただいていおります。ブロック依頼は挙手で終わるので、コメント依頼で十分に議論を重ねて宇井木辺出夫氏の問題行動を明らかにさせることが肝要でしょう。--Quark Logo会話2016年12月24日 (土) 01:37 (UTC)
  • コメント 上記議論については正直完全に把握できないままでありますが、この版が適切であると考える旨、お伝えします。「宇井木辺出夫氏のコメントアウトでの意味不明の発言」が何を指しているのか、やっと理解いたしましたが、まったく意味不明なコメントアウトが多数存在しているとしか表現のしようがなく除去すべきであると考えます。--Husa会話2016年12月24日 (土) 12:35 (UTC)

報告 宇井木辺出夫さんの差戻しは望ましいものではないと判断したことから、保護依頼を提出しました。先ほど、 平成28年12月24日 (土) 12:02‎ アルトクール氏により、保護となったことをお伝えします。--湖紫陽会話2016年12月24日 (土) 12:56 (UTC)